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検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」12 -ドイツ3・中欧・東欧・イタリア
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」12 -ドイツ3・中欧・東欧・イタリア

しめあげられてしまうことだろう。もし彼女が事務的に、感ナの現代的魅力を破壊する。なぜなら、ピンコは、詩を無視 ほんほう 傷ぬきで、肉体的現代的にコプイルダと奔放な交際を始めたする彼女のスポーティーこのうえない態度をむりやりおし曲 ら : : もし教師の命に従順にピンコのもとにおもむいたならげようとしていたし、コプイルダになると、なお悪いことに は、彼女をおふくろさんとして終わらせてしまうかもしれな ・ : 娘が老人のところに行くのは、つまり、彼女が女学生だ かったからだ。しかし、破壊の瞬間そのものは、すべての魅 からだ : : : 娘が若い男に身をまかせるのは、つまり、彼女が : なぜおれは引き出しの 力を百倍にも輝かせてみせるのだ : 新時代の娘だからだ : ・ なかをのそいたのだろう ? 無知こそは祝福された状態だ。 オオ、女学生的性格、現代的性格にたいする娘のなんとい もしのぞかず、なにも知らずにいたとしたら、これからさき 二人とも う盲目的崇拝、なんという奴隷的屈従、従順さ , めいりよう こうして簡単明瞭、ぞんも当然のこと、おれはやはり女学生一人を目標に陰謀計画を じつによく、い得たものだった たてていたにちがいない。だが、おれはもう知っていた さいに押しつけがましく呼びかけたのは、まさにそのために ろ、つかい こそ娘が承諾する気になるのを、知っていたからだ : : : 老獪そして、そのことがひどくおれを弱らせていた。 十七娘の私生活のすさまじくもそら恐ろしい秘密、女学生 なビンコは、こんなおどしにのって彼女がふるえあがるなど うた とは、むろんのこと思っているわけがなかった。イヤ、かれの引き出しの悪魔的な中身。詩 : : : なんによって傷つけたら いいのだろう ? どうやってだめにしてやったらいいのだろ が勘定に入れていたのは、そんなことではなく、おどされて 年寄りに身をまかせるのが娘にとって魅惑的ーーソウ、現代う ? はえは動かず声もたてずに苦しみ、ひげ男は小枝をく の言葉で話ができるというそれだけの理由から若い男に身をわえていた。二通の手紙を手にしたまま、おれは魅力が、美 が、魅惑が、あこがれが、ひた押しにものすさまじくふくれ まかせるのと、ほとんど同じくらい魅惑的だという点だった ケ のだ。オオ、スタイルのためには自己否定にさえ走るこの奴あがってゆくのを未然に防ぐには、なにをしたらいいか、ど ししい力と、考えた : うすれよ、 隷的屈従、オオ、娘の従順さ ! おれはそれが避けられぬの そして、ついに、乱れに乱れる感覚の渦のうちから、ある をもう知っていた : : : では、この際 : : : おれはなにをしたら デ : どこに身をひそめ、どうやって身を守ればいし 陰謀の思いっきがひらめいたのだ。あまりに奇怪な思いっき 工 フ なので、実行にうっさぬさきは、なんとも非現実的なものと のか : : この新しいあげ潮、波の高まりをまえにして ? ま ったく、ちょっと思ってもみるがいし しか思えなかったほどだった。おれはノートの。ヘージをさき 、どんなに奇妙なこと たったか。なにしろ、二人とも究極的にはムウオジャクーヴ取った。それから、鉛筆をとってムウオジャクーヴナのはっ

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ゆくという奇怪きわまる苦しみ 知恵の イ補にたっ苦痛 醜さの 抱負をもっ苦痛 美の、魅惑の、魅力の痛み チ 志願する苦痛 あるいは、愚劣さのうちにひそむ恐るべき論理と首尾一貫 ヴそして、あるいは、そう、言うなれば、カにあまる努力や性の苦痛 ロ緊張に歯をくいしばる苦痛と、そこから発することとなる全朗読の苦悩 ン般的個別的な無力感の苦悩 模倣の絶望 てんぐ 天狗になる苦しさと、お太鼓をたたくつらさ 際限ない繰り返しと退屈な苦しさ そうきよう 人をおとしめることの痛み もしくは、ひょっと躁狂の躁狂的苦痛 高級な詩と低級な詩の苦悶 一一 = ロ葉にならぬ思いの言葉にならぬ苦悶 もしくは、心理的袋小路の声なき悶え 昇華されぬことの痛苦 抜け裏の、抜け露地の、反則的やりくちのーーーさか立ちし 指の痛み た苦痛 爪の どちらかといえば、また、特殊的一般的意味における時代歯の の苦しみ 耳の痛み 旧時代の古さの苦悩 苦痛という苦痛、部分という部分が、すべて同等の資格で 新時代の新しさの苦悩 もって互いに影響し、影響され、従属を強い、従属を強いら 新たな社会層の形成された結果の苦痛 れる恐るべき依存関係のこの苦悶、そして、十六世紀フランス こうふん 半インテリの悩み のある老作家のロ吻をかりれば、女子供は数に入れぬまでも、 えせインテリの悩み 十五万六千三百二十四と半分にものばるほかの苦悶の苦痛。 インテリの脳み どの苦痛を大本の根源的苦痛とすればいいのか ? どの部 わいぎつ かぎ ひょっとして、また、ただ 単に小市民的知識層の猥雑さの分が鍵となるのか ? 本書の手がかりとなるものはなんだろ 苦痛 う ? 上述の苦痛と部分とのうち、足がかりに、なにを選ば のろ 愚昧の痛み なければならないのだろう ? 呪われた部分よ、

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クンデラ 772 っている世界ということになる。この美的な理想を俗悪なも の (Kitsch) という。 これはドイツ語の単語で、センチメンタルな十九世紀の中 世界が神によって創られたと主張する人たちと、自然にで頃に生まれ、すべての一一一一口語にひろがったものである。ところ きたと考える人たちとの論争は、われわれの理性や経験を越がしばしば使われているうちにもともとの形而上の意味を失 ひゅ える何物かを扱っている。人間に与えられたものである存在ってしまった。すなわち、文字通りの意味でも比喩的な意味 を無条件で受け入れる人たちと、 ( それがどのようにであれ、でも、キーチは糞の絶対的否定になった。キーチはそれ自身 誰によってであれ ) それを疑う人たちの間には現実をはるかの観点から人間の存在において本質的に受け入れがたいもの に越えた差異がある。 をすべて除外する。 ヨーロッパのすべての信仰の背後には、宗教的であれ、政 治的であれ、創世記の第一章があり、世界は正しく創造され、 存在は善であり、従って増えるのは正しいという考えが出て くる。われわれはこの基本的な信仰を存在との絶対的同意と 共産主義に対するサビナの最初の内的な反乱は道徳的な性 呼ばう。 格を持つものではなく、美的な性格を持つものであった。彼 ごや つい最近まで糞という語が本の中で x x で書かれていたと女を不快にしたのは共産主義社会の汚さ ( 牛小舎へと一変し しても、これは道徳的な理由からではない。糞が不道徳であた廃墟の城 ) よりもむしろ、共産主義社会がつけていた美の チ るなどと、まさか主張なさりたくはないであろう ! 糞との仮面、 いいかえれば、共産主義の悪なものだ 0 た。そのキ 不同意は形而上的なものである。排便の瞬間は創造の受け入 ーチのモデルがいわゆるメーデーの祝典である。 れがたさを日々証明している。あれかこれかで、糞が受け入人びとがまだ熱狂していた、あるいは、熱狂をまだ熱心に れられるか ( もしそうなら便所を閉めるのを止めよう ! ) 、よそおっていた時代のメーデーのバレードをサビナは見てい われわれは受け入れがたい方法で創造されているか、二つに 女たちは赤、水、青のプラウスを着ていたので、バルコ 一つである。 ニーや窓から見ると、五角形の星、心、文字などのさまざま 以上のことから、存在との絶対的同意の美的な理想は、糞がな形が作られた。バ レードの一つ一つのグループには小さな 否定され、すべての人が糞など存在しないかのように振る舞プラスパンドが従い、全員の歩調をとっていた。行進が高官 チ

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もしくは、発達と未発達の苦悶 たその目的すら意識せず、古今の文豪大作家のよう、折目正 はんもん しく平均した足どりでまっすぐに進むかわりに、千鳥足で意そして、あるいは、未形成と末構成の煩悶 もしくは、他人によりわれわれの自我が作られる苦痛 味もなく自分自身のかかとを追いながら歩いているなどと、 肉体的心理的強姦の痛み こうるさい非難を受けぬための用心でもあるが、しかし、そ かん 高まる人間間の緊張の悩み れはそれとして、いったいぜんたいどれがその主要な苦痛、 はっきりとは説明できない心理的傾斜のななめにつりあが 苦痛の大本なのだろうか ? どこに本書の根源的苦痛がある った苦悶 のだろうか ? どこ、どこだ、苦痛のそもそもの母胎は ? だっきゅうねんぎ 心理的脱臼、捻挫、捻転のかたすみの煩悶 そこで、研究をかさね思索をつみ洞察をふかめるにつれ、筆 虚偽の、裏切りのたえまない痛み 者の目にはいよいよ明白になってきたのだが、主要な大本の 苦痛というのは、思うに、悪しき形式の苦痛、悪しき exteri- 機械化と自動化の自動的な苦痛 アナロジーのシンメトリカルな苦痛と、シンメトリーのア つまり、言葉をかえて言え eu 「 ) の苦痛にほかならない。 ちょうちょう ナロジカルな苦痛 ば、喋々たる空言のーーーしかめつつらのーーー作り顔の あれやこれやのしやつつらの苦痛ということだ。そう、これ綜合の分析的苦痛と分析の綜合的苦痛 あるいはひょっと、肉体のもろもろの部分の苦悶、そして、 こそ苦痛の泉、みなもと、発端なので、そこからほかのもろ もだ くもん 個々の歯車が全体の体系をかきみだす悶え もろの苦痛、狂気、苦悶のいっさいが、例外なしに、仲よく なまぬるい発育不全症の苦痛 流れだしているのだ。しかし、どちらかというと、他人によ おちりの、教育の、しつけの、学校の って制限されることから生じる苦痛ーーーわれわれがわれわれ てんしんらんまん レ自身にかんする他人のこわばった不自然なせまい想像の檻の 純潔と、なだめようもない天真爛漫さの ドなかでおしつぶされ、息をつめられかけている苦痛こそ、大現実離れの 妄想、幻想、白昼夢、仮構、うわごとの デ本の主要な苦痛にほかならぬのだと、こう言ったほうがいし 高い理想主義の のかもしれない。ひょっとすると、この本の土台には、ど。こ 工 フ いそれこそ決定的根底的な苦痛がすえられているのかもしれ表にだすことのできぬ皮相な低い理想主義の せん ぬ 二番煎じでしかない夢想の痛み 、まっ それにまたひょっと、瑣末化することのつらさ、縮小して 草木の芽、青葉若葉にむれかえる非開明的な青さの苦悩 おり ′ ) うかん

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世故にたけた一家一一 = 口をもつ人物にあてて 者は二度ともうそこから解き放されることがないのだろうか アア、部分のなんという豊富さ、苦痛の底知れぬ豊か文化おばさんの手に落ちて にたいして 根源的苦痛はどこにある ? 苦痛のどれを土台にすえ都市の市民 ナいじじトう いなか紳士を前にして ようーー形而上的苦痛か形而下的苦痛か、物理的苦痛か心理 とるにたりないいなか医者や、技師や、視野のせまい小官 的苦痛か ? とはいえ、筆者はどうしても、どうしても、ど うしても選ばなければならぬのだ、選ばぬわけにはいかぬの吏に関連して 広大な視野をもつ高級官吏、高名な医師、大弁護士に関連 だーーさもなければ、たちまち世間は、筆者を目的意識すら もたす、いたずらに自分のかかとを追って歩くものと、決めして てかかるに相違ないのだ。しかし、それなら、どうだろう生まれついた貴族、および、その他の貴族にたいして わき めいせき 苦痛という論点はひとまずここで脇へおき、明晰な言葉百姓庶民を前にして 作者のとった態度にあるということができる。とはいうも でもってモチーフを、作の成り立ちそのものを検討し解明し わ ~ ほ , つがし ) 、っそ合理的なのではなかろうか ? 本書執筆にのの、やはり、この作品は、多少の割引さえがまんすれば、 あたって、筆者のとった態度を問題にするのだ。すると、さ具体的な実在人物と交際した苦痛の結果、生まれたというこ ともまたできそうだ。その人物というのは、たとえば、並外 しづめ、本作品成立の契機は れて人に不愉快な印象を与える ><> 氏とか、筆者が鼻であし 教師と中学生にたいして らうほかない N 氏とか、筆者をうんざりさせ苦しめるだけが りこうぶったばか者を前にして しんえんこうまい 取り柄のような ZZ 氏とかいった人たちで、いや、まったく、 深淵高邁な精神によせて ケ 現代ポーランド文学の代表的作家、および、批評界のもっその連中と付き合うことは、なんとまあ恐ろしい苦痛だった とも完成し完結しできあがりできあがったこちこちの代表者ろう ! するとーーあるいはーー本書成立の契機も目的も、 じつは、これらの紳士諸君に筆者の軽蔑の念をつたえ、かれ デに関連して らの神経をかきむしり、かれらを憤慨激昂させて、かれらと 女学生を前にして 工 フ 付き合い交わることからなんとか免れようとする気持以外の、 如才なくぬかりない大人にたいして つう なにものでもなかったかもしれない。そうだとすれば、この しゃれ者、めかし屋、ナルシスト、唯美主義者、通、わけ 作品のモチーフは具体的で、特殊で、個人的で、私的な性格 知り顔の常連とのかかわりあいにおいて けいべっ

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ゴンプローヴィッチ 412 のどくび かない、コプイルダ以外のだれでもなかった , 簡単な走り おれは喉首をしめられた。 書きのあるしわだらけのうす汚れた紙きれーーーすべては窓か それに、またあのピンコだ。年とったピンコは教師として ら投げこまれたあとを歴然ととどめていた。 文化的に合法的に公式的に形式をふんで、女学生を意のまま にしようとしていた。ぜひとも、なにがどうあろうとも、か 「住所をしらせるのを忘れていた ( そのあとにコプイルダの 所書きがしるしてあった ) 。その気があるなら、こっちは O ならすノルヴィットについておまえはわたしを満足させなけ ればならない なぜなら、わたしはおまえの教師であり主 。連絡まっ。・。」 コプイルダ ! 読者はコプイルダのことを覚えているだろ人であって、おまえはわたしの女奴隷、つまり女学生なのだ うか ? アア、おれはたちまちすべてを了解した ! おれのから , : といった式なのだ。あっちがそれこそ一つ穴のむ 予感はあたっていた ! コプイルダが例の昼食のときに話に じなーーー同じ世代に属する新時代の申し子として女学生にた でた少年ーー女学生にいい寄ってきたあの未知の少年だった いする権利を主張するなら、こっちはこっちで、中等教育に のだ ! コプイルダは通りすがりにこの紙きれを窓から投げ たすさわる老練の教師として、やはり女学生にたいするその 入れていったのだが、 それもまだそんなに前のことではない。権利を主張しているというわけ : いま、またして 通りで女学生にいい寄ったうえ、おまけに、 おれはまたまた喉首をしめつけられた。この二通の手紙を もこのような誘いをかけてよこすーーなんと、マア、単刀直前にしては、れつきとした市民諸氏の告白や、弁護士先生の ・」っけい 入、さばさばするはどいけずうすうしくて、現代的なのだろうめきや、さてはまた、詩人たちの滑稽な一言葉の遊びに、なん 「その気があるなら、こっちは」ーーー事務的で実の意味があったろう ? 二通のこの手紙は、災厄を、破滅を 際的で曖昧なところの少しもない提案 : : : 通りで彼女を見か予告していた。まさに起こらんとしている危険は、娘がひえ 今度た心のまま、ただ風俗習慣に従って、ピンコにもコプイルダ けて、性欲を感じて : : : その場でいい寄ると、つぎに、 にもいつでもすすんで身をまかせてしまいそうなことだった は窓のそばを通りすぎざまこの紙きれを投げこんでいったの よけいな遠慮などせす、ぶしつけにむきだしに、若い 一人は現代的個人的、もう一人は旧時代的公式的、どち ものの新しい風習にしたがって : : : コプイルダ ! ところで、らにも権利があるというただそれだけの理由でもって。しか 彼女はー、ー彼女のほうは、かれの名前さえ知らなかったわけ し、そのとき、彼女の魅力は前代未聞の強さで輝きだそう だ。なぜなら、コプイルダは自己紹介さえしなかったからだ : ダンスも、おれの苦心の作戦になるはえも、おれを助け ることができなくなるにちがいない。その魅力でおれの喉は

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ゴンプローヴィッチ 416 妙にいたずらつばいふざけた様子でそのなかに入っていった。 があった。天にもとどけと鳴き叫ぶ子牛をさらえず、鷲のほ タバコをふかし、〈キャリオカ〉を歌い、かなり長いことそうがなすすべもなく輪を描いているものとばかり思われたの こにみこしをすえてしたが、 、 : 出てきたときには、それこそも 、技師夫人ムウオジャコーヴァは、自分のばあさんくさい う俗臭ふんぶんたるものがあった。顔は、白痴めくほどおどお話にならぬ不細工な足をいとも知的に、衛生的に、しげし わいせつ けていて、胸が悪くなるほど猥褻で、いやになるほどあほく げとながめていたのだった。やがて、さっと体を起こした。 さく、それこそ典型的な不良インテリの顔であったから、おそして、その位置にまっすぐ立っと、両手を腰にあてて、息 れは、もしも懸命に力をふるって自制しなかったなら、そのをすい息を吐きながら、右から左に腰をひねった。息をすい ままかれのこのつらに跳びかかっていたところだろう。まっ吐きながら、今度は、左から右 ! つぎに、足を上にはねあ たくふしぎなことだったが、 トイレが妻には積極的建設的な けた。小さなばら色の足の裏が見えた。つづいて、もう一方 ひぎ 影響を与えるのに、そのぶんだけ夫には、かれが建築技師での足と足の裏 ! それから、膝を曲げてかがみこんだ。鼻で あったにもかかわらず、消極的非建設的な影響を与えるよう大きく息をしながら、鏡のまえで十二回も、こうしてかがみ に見えたことだ。 こんでは立ち、立ってはかがみこんだのだ , 「早く、早く ! 」洗面所で朝の身づくろいをしている妻にむ四 : : : 」乳房がぶるぶるふるえた。はては、おれの足までふ かって、恐ろしくくだけた調子でこう叫んだ。「早くしない るえだし、このいまわしい文化的な美容体操に、こっちもあ か、おかあさん ! ヴィクトシが遅刻するじゃないか ! 」 ゃうく弖きこまれそうになったほどだ。しかし、おれは洋服 明らかにもうトイレの影響で、ヴィクトルをヴィクトシと、掛けのうしろに飛びこんだ。女学生がかるやかな足どりで近 てめぐい 自分からすっかりくだけた愛称で呼ぶと、手拭を手に立ち去づいてきたのだ。おれはジャングルの獣のように身をひそめ っていった。ドアのくもりガラスにひび割れのあるのをさい て、折りをねらった。おれはもうまるで野獣と化していて わい、おれはこっそり洗面所のなかをのそきこんだ。技師夫 : 非人間的に、超人間的に野獣と化していて : いっ何時 - もも 人は裸になって、タオルで腿をこすっていた。いつもより浅でも心理的にひとびとにとびかかる用意ができていた。今だ、 黒くかしこそうにきっと鋭くひきしまった顔が、子牛のようさもなければ、永久に機会はあるまい。目がさめたばかりで じ」らく に罪のないぶよぶよと脂肪のついた白くてなんとも不細工な暖かく、裸にちかい自堕落な格好をした彼女をとらえて、そ ふくらはぎのうえに、ちょうど子牛をねらうはげたかのよう、の美を、その安つばい女学生の魅力をおれの内部において破 おお コプイルダでもビンコでも、この 蔽いかぶさっている。そこには恐ろしいほどのアンチテーゼ壊するのだ ! 面白い わし

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ソン ) だと一一 = ロうこともできるだろ , つ。 生みだされた ( 。フェノスアイレスの銀行で執筆された ) 長編 が「トランス・アトランティック』だったわけだが、これが アルゼンチンでの亡命生活 アルゼンチンを舞台としながらもその主題において最も「ポ チ 一九三九年、ポーランドの海運会社の大西洋航路定期船の ーランド的」な作品となったのは、亡命のもたらしてくれた オーランド・ ヴ処女航海に招かれたゴン・フローヴィッチは、アルゼンチンに逆説的な特権ゆえのことだった。。、 ハロック期の じようぜっ ロ到着後まもなく、ドイツ軍のポーランド侵攻を知った。こう作家バセクにならって「ガヴェンダ」と呼ばれる饒舌な語 ンしてポーランドにもどることができなくなった彼は、自ら望りの手法を取り入れ、古語や方一言を駆使して演じられたこの んだわけでもない亡命生活を始めることになった。アルゼン 一一 = ロ語的アクロバットは、伝統的なポーランド精神のあり方 チンでの生活が以後二十三年も続くことになるとは、この時 ( 特に偏狭なロマン主義的愛国精神 ) を痛烈に風刺していた の彼は夢にも思わなかったにちがいない。 しかし、この亡命 ため、亡命社会では多くの同国人から強い反発を買ったので ちょう は単なる偶然の結果ではなかった。。、 オーランドの伝統を嘲ある。 ししムう 笑し、それと格闘し続けてきた作家にとっては、祖国を離 晩年の名声 れ、距離をおいて祖国を見られるような位置に身を置くこと は、ある意味では必然的な帰結だったと一一一一口えるだろう。亡命 長い亡命生活の間、名声とは縁のなかったゴンプローヴィ 先での生活はもちろん楽なものではなかったが、彼は亡命ポ ッチだが、スターリンが死んでいわゆる「雪どけ」が東欧で ーランド人の群からは意図的に孤立し、プエノスアイレスで始まると、彼にも転機がめぐってくる。再評価の動きはます 高い地位を占める地元の知識人とも一線を画し、二重、三重ポーランド国内で起こった。一九五七年から五八年にかけて の意味での亡命と呼べるような状況をみずから作りだしなが 彼の主要作品がすべてポーランドで解禁され、大きな反響を ら、その逆境を創作へのカへと転化していったのである。亡呼んだのである。ポーランドでは政治情勢の変化のため、彼 命が文学者にとって特権となり得るものだという信念は、日の著作はまたすぐに禁止されるが、その後『フェルデイドウ 言のなかにもはっきりと表明されていた。 ルケ』や「ポルノグラフィア』などの長編がフランス語に訳 こうして、ゴン。フローヴィッチは一国だけの枠内の民族主されるに及んで、西側でも彼の名声は次第に高まっていった。 義的な文化にとらわれないで、もっと普遍的な視点から自国そして一九六三年にはフォード財団の給費を受けて、ゴン。フ の文化を見直すという作業に取り組んだのである。その結果ローヴィッチは長い亡命生活を送ったアルゼンチンを離れ、

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自分に固有の、女についての常に同じ夢を探し求める人であしさにはそっぱを向き、必然的に珍しい物の収集家に行きっ くようになる。自分はこのことを心得ているので、いささか り、もう一方は客観的な女の世界の無限の多様性を得たいと 恥ずかしく思い、友人たちを困惑させないようにと、恋人と いう願望に追われている人である。 この第一のカテゴリーの男たちの夢中ぶりは叙情的である。一緒に人前に出ることはしな、 トマーシュが、窓洗いになってそろそろ二年になろうかと 彼らは女たちの中に自分自身、自分の理想を探し求め、たえ いうとき、ある新しい女性客から注文を受けた。住居の開け ず繰り返し、繰り返し裏切られている。なぜならば、理想と いうものは、ご承知のとおり、けっして見つけることができ放たれたドアの所でその女を初めて見たとき、彼女が一風変 ないものである。女から女へとその男たちを追いたてる失望わっていることがすぐ目にとまった。その変わったところは は、その男たちの移り気にロマンチックな言い訳のようなも控え目で、すぐ目をひくていのものではなく、感じのよい平 のを与えるので、多くのセンチメンタルな女たちはその男が凡さの範囲に保たれていた ( トマーシュの風変わりなものヘ かんたん の好みはフェリーニの怪奇なものへの好みと何ら共通するも 何人も恋人を持っことに感歎させられるのである。 ーの夢中ぶりは叙事的で、女たちはそこにのはなかった ) 。彼女はべらばうに背が高く、彼よりちょっ 第二のカテゴリ 感動的なものを何一つ見ることがない。男は女たちの中に何とだが高いくらいで、繊細でとても長い鼻をしており、風変 ら主観的な理想を投影することはなく、すべてのことが男のわりで、顔立ちはきれいだ ( 全員がそれに抗議するであろ 興味の対象であり、失望を味わうことはありえない。失望すう ! ) とはいえなかったが、 ( 少なくともトマーシュの目に ることがないという質は何やら不央にするものを内蔵しは ) きれいでないとはいえなかった。彼女はスラックスをは ている。叙事的な女好きが夢中になってもそれは救い ( 失望き、白いプラウスを着ていたので、感受性の強い男の子と、 軽 キリンと、コウノトリを合わせたような風変わりな組み合わ による救い ) がないように見える。 れ 叙情的な女好きはいつも同じタイプの女を追いまわすので、せのように見えた。 ら え 彼女はトマーシュをじっと、注意深い、探るような眼差し 恋人たちが代わっても、誰も気がっかない。その男の友人た 耐 の ちは、その男の女友達を区別できないし、いつも同じ名で呼で眺めたが、そこにはインテリふうな皮肉な光が欠けてはい 在 存 よゝっこ。 十 / 、刀ュ / んでいるので、たえず誤解が生ずる。 「さあどうそ、先生」と、彼女はいった。 叙事的女好きたち ( ここにもちろんトマーシュが入る ) は 女を知ろうとするとき、すぐにうんざりする月並みな女の美そのことから女には彼が誰なのか知っていることが分かっ まなぎ

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1079 解説 し、ゴンプローヴィッチは新進の作家として文壇で認知されの変態的な欲望を描いた「台所の階段で」など、ゴン。フロー るようになったのである。 ヴィッチの独創性がすでに充分発揮された短編が七編収めら この本には、自伝的要素の強い「ステファン・チャルニエれている。「弁護士クライコフスキの。ハ ートナー」などはド ぶし、よく ッキの手記」の他に、自分を侮辱した弁護士を偏執狂的に追ストエフスキーの地下室人を思わせる " 恨み , が主題とな いまわす男を描いた「弁護士クライコフスキのパートナー」、 った作品だが、そういった点を除けばほとんど他の文学的影 " 白い黒人 , に世界中を追いまわされる男の被害妄想狂的で響を感じさせないゴン。フローヴィッチだけのグロテスクで幻 、 ) うと・つむけい 荒唐無稽な「冒険」、ありもしない殺人事件が悪意をもった 想的な世界がここにはすでに展開されていると言っていいた 判事によってでっちあげられるという推理小説仕立ての「計ろう。 画殺人」、上流階級の令嬢の内に秘められた下品なものへの あば 欲望を暴いた「処女」、貴族の生活を痛烈に風刺した「コト ウウバイ侯爵夫人の宴会」、粗野な " 台所女中。への語り手処女短編集を批評家たちーーゴンプローヴィッチ自身の言 『フェルデイドウルケ 上 / 若き日のゴンプローヴィッチ 中家族とともに 後列ャスシュ、イエジイ両兄弟と その妻および子ら 手前左はレナ、右端がヴィトルド ( 一九二八年頃 ) 下 / , 両親とともに。自家用車の前て ルサンチマン