ニーナ - みる会図書館


検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」13 -ロシア1
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」13 -ロシア1

チェーホフ 778 のばりかけてるかい ? らないのよ。ここはポヘミャンの巣だなんて言って : : : あ たしが女優にでもなりはしょ オいかって、心配しているんだャーコフま、 わ : : : でも、あたし、かもめみオしし トレープレファルコールはあるだろうね ? 硫黄もあるか こ、こここの湖にひきつけ られるわ : : : あたしの心は、あなたのことでいつばい 赤い目が現われる時に、硫黄の匂いがしてないとい 〔あたりを見まわす〕 しないからね。〔ニーナに〕じゃ、頼むよ、すっかり準備で きてるから。あがってる ? トレープレフ僕たちだけさ。 ニーナあそこにだれかいるみたい : ニーナええ、とっても。あなたのお母さまは、大丈夫なの。 トレープレフいないよ。〔キス〕 お母さまはこわくないんだけど、トリゴーリンさんが見え てるんでしよう : : : あの人の前で演するなんて、不安だし、 ニーナこれ、何ていう木 ? トレープレフにれ。 恥ずかしいわ : : : 有名な作家なんですもの : : : 若い人 ? トレープレフうん。 ニーナどうしてこんなに黒いのかしら ? ニーナあの人の短篇、とてもすてきだわ , トレープレフもう夜だから、物はみんな黒く見えるのさ。 トレープレフ〔そっけなく〕知らない。読んでないから。 ね、早く帰ったりしないで、おねがいだから。 ニーナだめなの。 ニーナあなたの戯曲、とてもやりにくくて。生きた人間が いないんですもの。 トレープレフじゃ、僕があなたのところへ行こうか、ニー トレープレフ生きた人間がね ! 人生を描くには、ありの ナ ? 夜通し庭にたたすんで、あなたの窓を見ているんだ。 ままでもなければ、あるべき姿でもなくて、空想にあらわ ニーナだめよ、番人に見つかるわ。トレゾールだって、ま だあなたに馴れていないから、吠えるでしようし。 れるように描かなけりやいけないんだよ。 ニーナあなたの戯曲は、動きが少なくて、読みだけですも トレープレフ愛しているよ。 の。あたしの考えでは、お芝居には必す恋愛がなけりや、 トレープレフ〔足音をききつけて〕だれ、そこにいるのは ? けないと思うわ。〔二人とも舞台裏に引っ込む〕 ャーコフかい ? 「ポリーナ・アンドレーエヴナとドールン登場〕 ャーコフ〔舞台の裏で〕はい、たしかに。 トレープレフみんな、持ち場についてくれ。時間だ。月はポリーナ湿っぱくなってきましたわね。引き返して、オー おう

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チェーホフ 818 て、庭を見る〕だれか階段を駆けおりてったそ。「声をかけ 「ポリーナ、カード・テープルの蝦燭を消し、そのあと彼女と る〕だれ、そこにいるのは ? 「出てゆく。彼が足早にテラス ドールンで車椅子を押す。一同、左手の戸口から退場。舞台に を歩いてゆくのがきこえる。三十秒ほどして、ニーナを連れて戻 はデスクに向かうトレープレフ一人になる〕 ってくる〕ニーナ ! ニーナ , トレープレフ「書こうとして、すでに書き上げた部分に目を走ら おれ 「ニーナ、彼の胸に頭をおき、押し殺したむせび泣き」 せる〕俺はあんなにあれこれと新しい形式を説いてきたく トレープレフ〔感動して〕ニーナ ! ニーナ ! あなただっ せに、この頃じゃ、俺自身が古い因襲にしだいにはまりこ たの : : : あなただったのか : ・ : 僕はまるで予感してたみた んでゆくのが感じられるんだ。〔読む〕「塀のポスターが告 そ、つはく 一日じゅう胸がひどく痛んでならなかったんだ。 げていた : : : 黒い髪に縁取られた蒼白な顔」 : : : 告げてい 〔彼女の帽子とマントをとってやる〕ああ、僕の大事な可愛い ただの、縁取られただのと : : : へたくそだ。〔消す〕雨の 音で主人公が目をさますところから始めて、あとはみんな人が来てくれたんだね ! 泣くのはよそうよ、泣くのは。 ニーナだれかいるわ。 取ろう。月夜の描写も長たらしくて、気取りすぎてるな。 トリゴーリンなら、自分の手法を作りだしてるから、たやトレープレフだれもいないよ。 びん すいもんだ : : : あの男なら、土手の上に割れた壜の首が光ニーナドアに鍵をかけてちょうだい。でないと入ってくる から。 っていて、水車の影が黒く落ちていれば、それでもう月夜 は出来上がりだからな。ところが俺ときたら、ふるえおのトレープレフだれも入ってきやしないって。 のく光だの、星の静かなまたたきだの、香り高い静かな大ニーナあたし知ってるの。お母さまがいらしてるでしよ。 気の中に消えてゆく遠いピアノの音色だのと : : : やりきれ ドアに鍵をかけて・ トレープレフ〔右手のドアに鍵をかけ、左手の戸口に行く〕こ ないな。「間〕そう、俺がますます近づきつつある信念だ ハ ) ド ) か 1 〕 っちは錠がないんだ。椅子でふさいじまおう。〔戸口に肘掛 けれど、問題は形式の古い新しいなんてことじゃなくて、 椅子をおく〕心配ないですよ、だれも入ってこないから。 形式のことなんそ考えすに一人の人間が書くってことなん ニーナ〔食い入るように彼の顔をみつめる〕あなたをよく見さ だ、魂の奥から自由にほとばしりでるから書くってことな せて。〔周囲を見まわしながら〕暖かくて、気持がいいわ んだな。「だれかデスクにいちばん近い窓をノックする〕何だ ・「ガラス戸を開け : あの頃ここは客間だったわね。あたし、すっかり変わ ろう ? 「窓をのそく〕何も見えないな : ろうそく

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チェーホフ 784 〔間〕きっと、この湖には魚がたくさんいるでしようね アルカージナなんて。ハ。ハでしよう、ほんとに : ・〔キスを ニーナええ。 交す〕ま、しかたがないわ。残念ね。お帰ししたくないけ トリゴーリン釣が好きなもんですからね。わたしにとって、 れど。 うき 夕方、岸辺に腰をおろしてじっと浮子を見ているほど楽しニーナ帰るのがどんなにつらいか、わかっていただけたら、 みなことはないんですよ。 と思いますわ。 ニーナでも、創作の楽しみを味わった方には、もうほかのアルカージナだれかがお送りするといいんだけれど、ねえ。 ニーナ〔おびえたように〕まあ、 楽しみなんか存在しないように思いますけれど。 しいんです、 しいんです アルカージナ「笑いながら」そんなふうにおっしやらないで。 この人、お上手を言われると、悪のりしますから。 ソーリン〔哀願するように」もっといらしててくださいよ , シャムラーエフ今でもおばえていますが、いっそやモスク ニーナだめなんです、ピヨートル・ニコラーエウイチ。 ソーリンせめて一時間でもいらっしゃい。それだけのこと ワのオペラ劇場で、有名な歌手のノレワ ( イ 。丿の歌和 ) がとても 低いドの音をだしたことがあったんです。ところが、ちょ ですよ。ね、どうです、ほんとに : うどその時、まるでわざと仕組んだみたいに、 宗務院の聖 ニーナ〔ちょっと考えてから、涙声で」やつばりだめ ! 「握 さじき 手して、急ぎ足に退場〕 歌隊のバス歌手が天井桟敷に来ていたんですね。で、突然、 いやもうおどろいたのなんのって、天井桟敷から「プラー アルカージナほんとに気の毒な娘さんね。なんでも、亡く ヴォ、シルワ ! 」という声がきこえましてね、それがまる なったお母さんが莫大な財産を、一カ。ヘイカ残らす全部そ 一オクタープ低いんですよ : : こんなふうにね。〔低いバス つくりご主人の手に渡るような遺言をなさったんですって。 で〕プラーヴォ、シルワ : : : 劇場がそれこそしーんとなっ それを今度はあの子の父親が後妻の名義にしたものだから、 ちまったものでした。〔間〕 あの子はまるきり無一文になってしまったという話ね。腹 ドールン沈黙の天使、とび過ぎぬ、か が立つわ。 ニーナあたくし、もう時間ですわ。失礼します。 ドールンそう、あの子の父親というのは相当なわるですよ、 アルカージナどこへ ? こんなに早くどちらへ ? まだお こいつははっきりさせとく必要がありますね。 帰ししませんわよ。 ソーリン〔かじかんだ両手をこすりながら」さ、われわれも行 ハバが待っておりますので。 こうじゃありませんか、みなさん、湿気がでてきましたよ。 つり

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789 かもめ アルカージナおめかしして、魅力的だわ : : : お利口さんね。ドールンおやすみなさい , 〔ニーナにキスする〕でも、あんまり賞めちゃいけないわ、アルカージナ兄さん , たた なにかの祟りがあるといけないから。ポリス・アレクセー ソーリンあ ? エウイチはどこかしら ? アルカージナ眠ってるの ? ニーナ水浴び場で釣をしてらっしゃいますわ。 ソーリンいや。 アルカージナよく飽きないものね ! 「朗読をつづけようと する〕 ニーナそれ、何ですの ? アルカージナ兄さんは病気を癒そうとしないのね、いけな アルカージナモ ーバッサンの『水の上』よ。〔数行、黙読す る〕まあ、この先はおもしろくないし、でたらめだから。 ソーリンわたしだって喜んで治療を受けたいところだが、 〔本を閉じる〕気持がおちつかないわ。ねえ、うちの息子は こちらの先生が望まんのでな。 どうしているかしら ? なぜあんなふさぎこんで、とげと ドールン六十にもなって治療を受けるなんて , げしいの ? まる何日もすっと湖ですごしていて、わたし ソーリン六十になったって生きていたいよ。 なんかほとんど顔も合わせていないのよ。 ドールン「腹立たしげに〕やれやれ ! じゃ、鎮静剤でも飲 マーシャご気分がすぐれないんですわ。〔ニーナに、おすお むんですね。 ずと〕おねがいだから、あの人の戯曲をどこか読んでくだアルカージナどこか温泉にでも行くといいんじゃないかと さらない , 思うんですけど。 ニーナ「肩をすくめて〕ほんとに ? だって、おもしろくな ドールンそりやね。行ってもいいでしよう。行かなくても いわよ , かまわないけど。 マーシャ〔感激をおさえながら〕あの人が自分で何かを朗読アルカージナそれでわかれと、おっしやるの。 あお なさる時って、目がかがやいて、顔が蒼ざめてくるのよ。 ドールン別にわかることなんて何もないんです。万事はっ さび 淋しい素敵な声で、読み方もまるで詩人みたいだし。 きりしていますよ。 「ソーリンのいびきがきこえる〕 つり なお

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チェーホフ 794 まなぎ につこりして、眼差しまであの光でとろけてしまいました いんでしようね。そんなこと、一度も考えたことがありま ね。お邪魔はしませんよ。〔足早に退場〕 せんでしたよ。「ちょっと考えて」二つに一つでしようね。 トリコーリン〔手帖に書きこみながら〕嗅ぎ煙草をかいで、 つまり、あなたが僕の知名度を過大評価してらっしやるか、 ウォトカを飲む : いつも黒い服。その娘を愛している教さもなければ、そんなものは概して全然感じられないもの か、どっちかですよ。 ニーナ今日は、ポリス・アレクセーエウイチ , ニーナでも新聞などでご自分のことが書かれているのをお 読みになったら ? トリゴーリンやあ、今日は。だしぬけに入り組んだ事情に なって、どうやら僕らは今日帰るらしいですよ。あなたと トリゴーリン賞められた時は嬉しいし、けなされると、そ は、いっかまたお目にかかれるかどうか。残念です。僕は のあと二日くらい気色がわるいですね。 うらや 若いお嬢さんたち、若い魅力的なお嬢さんたちと会う機会ニーナすばらしい世界だわ ! どんなにあたしが羨ましく があまりないもんで、十八、九の人がどういう気持でいる 思っているか、わかっていただけたらと思いますわ ! 人 のか、もう忘れてしまったし、はっきり想像できないんで 間の運命って、さまざまですわね。一方に、目立たない退 すよ。ですから、僕の中篇や短篇にでてくる若い娘は、た 屈な一生をどうにか過ごしてゆく、みんなお互い似たりよ いてい、インチキです。せめて一時間でもあなたの立場に ったりの、不幸な人たちがいるかと思うと、たとえば先生 身をおいて、あなたがどういう考え方をするか、概してあ みたいに、百万人に一人くらい、興味深い、華やかな、意 なたが。 とういう人なのかを知れたらと思いますね。 義深い生活に恵まれる人もいるんですもの : : : 先生はお幸 せですわ : ・ ニーナあたしは先生の立場に身をおけたらな、と思います わ。 トリゴーリン僕が ? 「肩をすくめながら〕ふむ : : : あなた トリコーリンなぜ ? は今、有名だとか、幸せだとか、なにやら華やかな興味深 ニーナ才能豊かな有名な作家はどんな気分でいるのかを知 い生活だとか、言ってらしたけど、僕にとってはそういう るために、ですわ。有名って、どういう気分ですの ? ご 結構な一一 = ロ葉はみんな、わるいけれど、僕が決して口にしな 自分が有名人だってことを、どんなふうに感じ取られます いマーマレードと同じことでしてね。あなたはとてもお若 くて、とても気立てのいい方ですね。 トリコーリンどんなふうに ? たぶん、どうってこともな ニーナ先生の生活って素敵だわ !

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なかった。記憶にうかぶことはみな、実に頼りない不必要なは言った。「ついこの間までお前はほんの子供で、ねんねだ ものばかりだった。 ったのに、今じゃもうお嫁さんだもの。自然界にはたえす新 煖炉の中で、何種類もの低音の歌声がひびき、『ああ、や陳代謝が行なわれているのね。気がっかぬうちに、そういう フ すわ ばあ ホりきれん ! 』という声さえきこえた。ナージャは寝床に坐り、お前もいっしか母親になり、お婆ちゃんになって、わたしと 工突然ぎゅっと髪をつかんで、泣きだした。 同じように、わがままな娘を持つようになるんだわ」 「ママ、ママ」彼女はロ走った。「ねえ、ママ、あたしの心 「ねえ、ママ。ママは頭がいいはすじゃないの。ママは不幸 に今起こっていることをわかってもらえたら、と思うわ , せなんだわ」ナージャは言った。「ママはとっても不幸せな おねがい、頼むからあたしを旅に行かせて ! おねがい ! 」 のよ。だのに、なぜそんな俗つばいことを一言うの ? 教えて。 「どこへ ? 」ニーナ・イワーノヴナは理解できずにきき返し、 なぜなの ? 」 べッドに腰をおろした。「旅って、どこへ ? 」 ニーナ・イワーノヴナは何か言おうとしかけたが、一言も ナージャは永いこと泣きつづけ、一言も発することができ口をきくことができず、しやくりあげて、自分の部屋へ去っ よ、つこ。 ナ′、カ子 / た。いくつもの低音がまた煖炉の中でうなりはじめ、ふいに 「あたしをこの町から出て行かせて ! 」やっと彼女は言った。 恐ろしくなった。ナージャはべッドからとびおり、急いで母 「結婚なんてすべきじゃないし、しないわ、ね、わかって , のところへ行った。ニーナ・イワーノヴナは泣きぬれた顔で、 あたし、あの人を好きじゃないの : : : あの人の話をすること空色の毛布にくるまって寝床に横たわり、両手で本をかかえ さえ、できないわ」 ていた。 ちょうだい しいえ、お前、そんな」ひどくおびえて、ニーナ・イワー 「ママ、きいて頂戴 ! 」ナージャはロ走った。「おねがい、 ノヴナは急いで言った。「気を静めなさい、それは虫の居所よく考えて理解してね ! あたしたちの生活がいったいどれ なお がわるいからよ。じきに癒ります。よくあることだもの。き ほどちつばけで屈辱的なものか、わかって欲しいの。あたし けんか っと、アンドレイと喧嘩したのね。でも、喧嘩するのは仲の目が開いたのよ、今こそ何もかも見えるわ。ママのごひいき しし言拠たって言うじゃないの」 のアンドレイ・アンドレーイチが、いったい何だというの ? 「もう出て行って、ママ、行ってよ ! 」ナージャはわっと泣 だって、あの人、利ロじゃないのよ、ママ ! とんでもない きだした。 わ ! わかって、ママ、あの人は愚か者よ ! 」 「そうね」ちょっと黙っていたあと、ニーナ・イワーノヴナ ニーナ・イワーノヴナがやにわに坐り直した。

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チェーホフ 820 らえてきたような気がしますよ。僕はあなたの名を呼びつ づけて、あなたの歩んできた地面にキスしているんです。 どっちを見ても、 いたるところにあなたの顔が見える。僕 の人生の最良の時代に、僕に向かってかがやいてくれた、 あのやさしい笑顔が見えるんです : ニーナ「途方にくれて〕何のためにあんなことを一言うのかし ら、なぜあんなことを ? トレープレフ僕は孤独なんです。だれの愛情にも暖められ ずに、まるで地下室にいるみたいに寒いんだ。何を書いて も、みんな無味乾燥で、かさついていて、陰気くさいもの ニーナ、おねがいだ。 ばかりだし。ここに残ってくだき、い でなけりや、あなたといっしょに行かせて ! 〔ニーナ、手早く帽子とマントをつける〕 トレープレフニーナ、どうして ? おねがいだから、ニー ナ : ・ : ・〔彼女が身支度するのを見つめている。間〕 ニーナ木戸のところに馬車を待たせてあるの。送ったりし ないで。一人で行けるから : : : 「涙声で〕お水をくださる トレープレフ〔水を飲ませる〕これから、どこへ ? ニーナ町よ。〔間〕お母さま、いらしてるんでしよう ? トレープレフうん : : : 木曜日に伯父さんの具合がわるかっ たんで、すぐ来るように電報を打ったんですよ。 ニーナあたしの歩んできた地面にキスしていたなんて、な ぜおっしやるの ? あたしなんか、殺さなけりやいけな、 のに。「デスクの方に身を傾ける〕とても疲れたわ ! 休み たい : : : 休みたいわ ! 「頭をあげる〕あたしはかもめ : 違う。あたしは女優だわ。ええ、そうなの ! 〔アルカージ ナとトリゴーリンの笑い声をきいて、耳をすまし、それから左手 の戸口に走りよって、鍵穴からのそく〕彼も来ているのね : 〔トレープレフの方に戻りながら〕ええ、そうね : : : かまわな いわ : : : そう : : : 彼、演劇を信じないで、いつもあたしの 夢を笑っていたのよ。だからあたしまで少しすっ信じない ようになって、気落ちしたわ : : : そこへもってきて、恋の 苦労だの、嫉妬だの、たえず赤ちゃんのことで心配したり で : : : あたしはちつばけな、取柄のない女になってしまっ て、演技もまったくナンセンスだったわ : : : 手の使い方も わからないし、舞台に立っていることもできない始末で、 声も思うようにだせなかった。ひどい演技だと自分で感じ る、そんな心境、あなたにはわからないわね。あたしはか もめよ。ううん、違う : : : おばえてらっしやる、あなたが かもめを射ち殺したことがあったわね ? たまたまやって 来た男が、目にとめて、退屈しのぎに破滅させてしまった の : : : ちょっとした短篇の主題ね : : : これは違う話だわ ・「額を拭う〕何の話だったかしら ? 舞台の話ね。今 のあたしは、もう違うわ : ・・ : あたしはもう本当の女優よ。 喜び楽しんでお芝居をしているし、舞台の上で陶酔して、 自分をすばらしいと感じるんですもの。今この町で暮らし しっと

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るわけですからね。僕は祖国を、民衆を愛してます。作家ニーナ作家や女優になれるような幸せのためだったら、あ である以上、民衆や、民衆の苦しみや、民衆の末来につい たし、身近な人たちの憎しみにも、貧乏にも、幻滅にも堪 て語る義務がある、科学や、人間の権利や、そのほかいろ えぬけると思いますわ。屋根裏に住んで、黒。ハンばかり食 いろなことについて語らなければいけないと感ずるもんだ べて、自分への不満だの、自分が未熟だという意識だのに から、僕はあらゆることを論じて、生き急いでいるんです。苦しんでもかまいません。その代りあたしは名誉を求めま 僕は四方から駆りたてられ、叱りつけられて、まるで猟犬すわ : : : 本当の、華々しい名声を : : : 〔両手で顔をおおう〕 きつね めまいがするわ : : : ああ , に追いつめられた狐みたいに、あっちこっちへとびまわっ ているうちに、見ると、人生だの科学だのは先へ先へと遠アルカージナの声〔家の中から〕ポリス・アレクセーエウィ ざかってゆくのに、僕だけが汽車に乗りおくれた百姓よろ トリコーリンあ、よんでる : : : きっと、荷作りだな。しか いつまでも取り残されていることに気がつく。そし し、帰りたくないな。〔湖を眺める〕なんという恵まれた環 て、結局のところ、自分に書けるのは風景だけで、ほかの ずい 境だろう ! 実にいしオ , ことに関してはみんな、自分はインチキなんだ、骨の髄ま にせもの ニーナ向こう岸に家と庭が見えますでしよう ? で偽物なんだと感じるんですよ。 ニーナ先生は仕事で疲れすぎてらっしやるから、ご自分のトリゴーリンええ。 いくら先ニーナあれが、亡くなった母の屋敷ですの。あたし、あそ 意義を自覚なさる時間も、意欲もないんですわ。 こで生まれたんです。生まれてからすっとこの湖のほとり 生がご自分に不満だとしても、ほかの人たちにとって先生 で過ごしてきましたから、小さな島の一つ一つにいたるま は偉大だし、素晴らしいんですもの ! もしあたしが先生 で知っていますわ。 みたいな作家だとしたら、自分の全生活を民衆に捧げるで 、ところですね ! 「かもめを見て」 しようけれど、でも、民衆の幸せはあたしのレベルまで向トリゴーリンここはいし 上することにしかないんだと自覚するでしようね。そうす何です、これ ? だし め れば民衆だってあたしを、山車に乗せて運んでくれますわ、ニーナかもめですわ。コンスタンチン・ガヴリールイチが きっと。 射ったんです。 トリコーリンほう、山車に乗せてね : : : アガメムノンてわトリコーリンきれいな鳥ですね。ほんとに帰りたくないな あなたからイリーナ・ニコラーエヴナに、もっといるよう けですか、このわたしが ! 〔二人、微笑する」

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793 かもめ ′一うまん よくわからないわ、なにやらシンポルめかして。現にこの しら。あたし、有名人てのは傲慢で近よりがたいのかと思 かもめだって、どうやら何かのシンポルらしいけれど、ご っていたわ。俗世間の人をばかにしているのかと思ってた わ。家柄だの財産だのを何よりもありがたがる俗世間の人めんなさい、あたしにはわからないわ : : : 「かもめをベン チの上におく」あたしって単純すぎるから、わからないの。 を、名声やかがやかしい名前で見返してやるような感じな トレープレフこんなふうになったのは、僕の芝居があんな のかと思っていたのに。ところが、あの人たちときたら、 ばかげた失敗に終わった、あの晩以来なんだ。女性は失敗 泣いたり、釣をしたり、トランプをやったり、笑ったり、 を赦してくれないからな。僕は全部焼きすてましたよ、紙 怒ったり、みんなと変わりないんだもの : 片一つ残さすにすっかり ! 僕がどんなに不幸か、知って トレープレフ〔帽子もかぶらず、銃と、射とめたかもめをさげて もらえたらな ! あなたの冷たくなったのが、僕には恐ろ 登場〕一人なの ? しいし、信じられないんです。まるで、目がさめて見ると、 ニーナ一人よ。 この湖が突然干上がるか、地面へ吸いこまれるかしていた 「トレープレフ、彼女の足もとにかもめをおく」 みたいだ。あなたはたった今、単純すぎるからわからない、 なんて言いましたね。ええ、何をわかる必要があるんで ニーナこれ、どういう意味 ? す製戯曲が気に入らなかったので、あなたは僕のインス トレープレフ僕は今日このかもめを殺すような卑劣な真似 けいべっ ピレーションを軽蔑して、僕をそこらにざらにいる平凡な、 をしたんです。あなたの足もとに捧げます。 とるに足らぬ連中と同じように見ているんじゃありません ニーナどうなさったの ! 「かもめを拾いあげて、彼を見つめ か : ・ : ・「片足を踏み鳴らして〕僕にはそれがよくわかるんだ、 くぎ わかりますとも ! まるで脳天に釘をぶちこまれたみたい トレープレフ「間のあと〕もうじき僕はこんなふうに自分自 へび ですよ。そんなものは、蛇みたいに僕の血を吸って苦しめ 身を殺すんです。 てちょう のろ つづける自尊心もろとも、呪われるがいいんだ : : : 「手帖 ニーナあなた、人が変わったみたい。 を読みながら歩いてくるトリゴーリンに気づいて」ほら、本当 トレープレフそう、あなたが」 人のようになった時以来ね。 の天才がやってきますよ。ハムレットみたいな歩き方で、 あなたはすっかり変わった。僕を見る目も冷たいし。僕の ちょ - っしよう やはり本をかかえて。〔嘲笑する〕「言葉、言葉、言葉」 存在が気づまりなんだ。 : あの太陽がまだそばへ来ないうちから、あなたはもう ニーナ最近あなたは怒りつばくなって、おっしやることも、 ゆる

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トレープレフ〔彼女の両手にキスしながら〕うん、うん、大丈 その連中の考えを推測して、屈辱感に苦しんだものでし 夫・ : ソーリンっいでに、ひとっ教えてくれないか、あの小説家ニーナ一日じゅう気をもんでいたわ、とても不安だった はいったいどういう人間なんだい ? さつばりわからんよ。 の ! お父さんが出してくれないだろうと思って : : : でも、 いつもむつつり黙りこんでるんでな。 お父さんは今、母といっしょに出かけたわ。空が赤いし、 いノ、らか、挈・、 も , っ月が出はじめているでしよ、つ、だから馬を思いっきり トレープレフ頭のいい、気さくな人ですよ。 う、メランコリックでね。実にまともな人間ですよ。四十 とばしてきたのよ。「笑う〕でも、嬉しいわ。「ソーリンの手 を強く握る〕 にはまだだいぶ間があるってのに、もう有名人で、すべて ソーリン「笑う〕その目は、泣いたみたいだよ : に満足しきってるんです : : : あの人の書くものに関して言 ほら , いかんね , , っと : : : 挈よっ、ゾ」 , つ一一一一口 , ん、よ 。しし力、な ? ・ , っ十いー ) 、 , ~ イ純眤 7 も あるけれど : ・ : ・でも : : トルストイやゾラのあとでは、ト : はら、息をするのが苦しくって。三 ニーナこれは別に : 丿ゴーリンを読む気は起こらないってとこですかね。 十分したら帰ります。いそがなければいけないの。 だめよ、おねがいだから、引きとめたりなさらないで。あ ソーリンところで、君、僕は文学者が好きでね。かっては たしがここに来ているのを、お父さん知らないんですもの。 わたしも熱烈に二つのことを望んでいたものだよ。一つは トレープレフほんとに、もうはじめる時間だ。みんなをよ 結婚することで、もう一つは文学者になることだったんだ が、どちらもうまくいかなかったな。うん。ちゃちな文学 びに行かなけりや。 うれ ソーリンわたしが行ってくるよ、それだけのことさ。今す 者だって、なれりや嬉しいからね、結局のところ : てきだんへい トレープレフ「耳をすます〕足音がきこえる : ・ : ・〔伯父を抱 ぐにな。「右手へ行きながら、うたう〕「擲弾兵が二人、フラ ハイネの詩をシュ ンスに向か , っ : く」僕は彼女がいなけりや生きてゆかれないんです : : : 足 ー ) 〔ふり返る〕いつだっ 」マンが作曲した歌曲 たか、こんなふうにうたいはじめたらね、ある検事補がこ 音まで素敵だ : : : 幸せだなあ、気が狂うほど ! 〔登場して め : それか う一一一一口うんだよ。「いや、閣下、力強いお声で」 くるニーナ・ザレーチナヤを、急いで迎えに行く〕僕の魔法使 7 も らちょっと考えて、付け加えたもんだ。「しかし : : : 厭な が来てくれた、僕の夢が : : もち 声ですな」だとさ。「笑って、退場〕 万ニーナ「心配そうに」あたし、遅れなかったでしょ・ ニーナお父さんも後妻の人も、あたしをここへよこしたが ろん、遅れなかったわね : ・