「終夜祈疇から聖バンをいただいてくるって約束したもの」 「ど , っしたの、フェージャ」 カテリーナ・リヴォーヴナは急に血の気がひいた。腹の中「ばく、何だかどきっとしたの、おばさん」と少年は・ヘッド のわが子がはじめて心臓の下あたりでびくりと動き、胸を冷の隅に身をちちめ、おすおすとほほえみながら答えた。 たいものが走った。彼女はしばらく部屋の真中にたたずんで「どうしてどきっとしたのかしら」 いたが、やがて冷えきった両手をこすりながら出て行った。 「いっしょに来たのはだれ、おばさん」 「今だよ」そっと自分の寝室に戻った彼女はセルゲイを見て 「どこに。だれもいっしょになんか来やしないわ」 ささやいた。彼はさっきと同じようにペチカのそばに立って「そうかな」 いたのである。 少年はべッドの足もとの方へ身を乗り出し、目を細めてお 「何」とセルゲイは聞こえるか聞こえないほどの声で訊き返ばさんのはいってきたドアの方を眺めて、やっと安心した。 せき し、一つ咳ばらいをした。 「きっと、そんな気がしただけなんだ」と彼は言った。 「ひとりつきりなのさ」 カテリーナ・リヴォーヴナは立ちどまると、甥のべッドの まくら ひじ セルゲイは眉を寄せ、重苦しい息づかいになった 枕もとの化粧板に肘をついた。 「行こうよ」やにわにドアの方に向き直ったカテリーナ・ フェージャは彼女を見て、おばさんの顔はなぜか真青だよ、 ヴォーヴナが一一 = ロった。 と一一一一口った。 せき セルゲイは急いで革の長靴を脱いでたずねた。 それに答えてカテリーナ・リヴォーヴナは出まかせに咳ば 人 夫「何をもっていく」 らいをしてみせ、待ち遠しげに客間のドアの方に目をやった。 ク 「いらないわ」カテリーナ・リヴォーヴナはかすれた声で答そこでは床板が一枚静かにみしりと鳴った。こけだった。 マ え、男の手をひいてそっと歩き出した。 「いま読んでるのはねえ、おばさん、ばくの守護聖人のフョ の 郡 ードル司令官の話なんだ。ほんとによく神さまにお仕えした ク ス んだね」 ン 工 カテリーナ・リヴォーヴナはだまったままだった。 ム 病気の少年は、カテリーナ・リヴォーヴナが三度目に自分「おばさん、そこにかけませんか。ばくもう一ペん読んであ ひざ の部屋にはいってくるのを見ると、ぎくりとして本を膝の上げるから」と甥は甘えるように言った。 とうみようしん に落とした。 「ちょっと待って。いま広間のお灯明の芯を切ってくるか
不愉快至極な鞭の先を感じた。「やけに気が立ってやがるな」 して、「ほら、あれが本街道だよ」と言った。 と、彼は両耳をひくつかせて内心呟 いた。「打ち所をよくわ「ありゃあ、何の建物だい」とセリファンがたずねると、 きまえてやがる。まともに背中に食らわさすに、急所ばかり「料理屋だよ」と小娘は答えた。 ゴねら 一狙ってやがる。耳に引っかけたり、腹の真下をひつばたいた 「それじゃ、もう自分でいけるからな。おめえは、家へ帰 ゴ りしやがってよ」 れ」とセリファンが一言った。 「あれを右へ行くのかい」セリファンは、隣に腰かけている彼は馬車を止めて、小娘に手を貸して降ろしてやり、「何 あさぎいろはたけ 小娘に向い、さわやかな浅葱色の畠の間を夜来の雨で黒ずんて黒い足してんの、おめえは」とばやくように言った。 で走る道を鞭で指しながら、無愛想に聞いた。 チチコフが小娘に銅貨を一枚やると、小娘は、馭車台に乗 「ちがう、ちがうよ、あたいが教えてやるってばさ」小娘はせてもらったことに満足感を味わいながら、ぶらぶらと家路 答えた。 へ向った。 「さあ、どっちだい」その道が近くなったとき、セリファン がたすねた。 4 ノズドリヨーフ 「こっちだってばさ」小娘はそう言って、手で指した。 「なんだ、おめえ」セリファンは言った。「やつばり右じゃ 料理屋の前にさしかかったとき、チチコフは、二つの理由 ねえか。右も、左もわかっちゃねえんだな」 から馬車を停めさせた。一つには、馬を休ませるためであり、 日はうららかだったが、地面がひどくぬかっていて、馬車二つには、自分でも何か食べて、元気をつけるためだった。 の車輪は泥をつかんで、ばた餅みたいになり、足がいちじる白状すれば、作者も、こういう人々の食欲と胃袋がうらやま しく重くなった。その上、土壌が粘土質で、異常に粘ったのしくてならない。。へテルプルクやモスクワに住んでいて、明 である。というような訳で、一行が村を抜け出ることができ 日は何を食べようか、明後日のディナーは何にしようかなど たのはやっと昼下がりだった。小娘がいなかったら、それをと思案を重ねて時を過し、さてその食事に取りかかるとなる しも不可能であったろう。なぜならば、道は、つかまえたざ と、あらかじめ丸薬を口にほうりこんでおいてから牡蠣だの りがにを袋からぶちまけたように四方八方にはい出していて、かにだのの珍味をむさばり食い、しかるのちカールスパード これならセリファンがどんなに迷いこんだとしても、とがめやカフカースへ湯治に出かけてゆく上流の紳士などは作者の かなた せんばう 立てはできまい。やがて、小娘は、彼方に黒ずむ建物を指さ眼中にない 。こんな紳士方に羨望の念を感じたことは一度も もち
したんだ ? ・ 『なんにもしねえき、 ! 』 昨晩とおなじく、静かな夜だった。ただ空には雲がすくな どんなに残忍なうす笑いをうかべて、わたしはこの『なんく、 茂みの輪郭ばかりか、丈の高い草花の形までが、昨晩よ にもしねえさ ! 』をくりかえしたことか ! 父は家にいなか りもはっきりと見えた。待つあいだが、 はじめのうちは気づ フ ネっこ。。ゝ、 オカこのあいだからロには出さないが、たえずいらい かれがして、ほとんどこわいような気持ちだった。わたしは らしていた母が、わたしの思いつめたようすに気がついて、 なんでも来いという腹で、ただ行動の手順だけを考えていた。 ねずみ 夕食のときに、「どうしたんだね、鼠がひきわり麦をかじっ 『どこへ一打く ? 待て ! 白状しろ , き、もないとす てるみたいに、そんなふくれつ面をして ? 」といった。わたぞ ! 』とどなろうかーーーそれともなにもいわすに斬りつけよ お、つよう しは鷹揚な笑いをかえしただけで、『父や母にこのことを知うか : : : ちょっとした物音、一つ一つの葉すれの音が、いっ られたら ! 』と考えた。時計が十一時を打った。わたしは部 もとちがって、なんとなく怪しげに思われた : : : わたしは身 屋へもどったが、服をぬがないで、夜ふけを待った。とうと がまえて : : : 上体を前にかがめ、とび出す姿勢をとっていた う、十二時になった。『さあ時間だ ! 』わたしは歯をくいし : しかし、三十分がすぎ、一時間がすぎた。わたしの血は そで ばったままささやくと、ボタンをすっかりかけ、袖までまく静まって、冷えてきた。無意味にこんなことをしているので りあげて、庭へ出ていった。 はなかろうか。すこし頭がどうかしてはいないか、マレフス わたしはあらかじめ見はりをする場所を選んでおいた。庭キーにからかわれたのではないか、という意識がーーーわたし のはすれの、わたしの家とザセキン家の庭を分ける垣根があの胸に忍びこみはじめた。わたしは自分の待伏せの場所をは もみ るあたりに、その垣根にもたれかかるように、一本の樅の木なれて、庭をひとまわりしてみた。まるでわざとのように、 が茂っていた。その低い、よく茂った枝の下に立っていると、 どこにもかすかな物音ひとっきこえなかった。すべてがひっ 夜の闇の許すかぎり、あたりのようすをよく観察することがそりと眠っていた。うちの犬までが木一尸のところにまるくな こみち できた。そこに小径がうねっていて、それがいつもわたしに って、眠っていた。わたしは温室のくすれ跡にのばって、遠 はなんとなく謎めいて見えた。それはちょうどその場所に人い野原をながめた。するとジナイーダとの出会いが思いださ がふみこえたらしい足跡ののこっている垣根の下を蛇のようれて、物思いに沈んだ : あずまや にくねり、アカシアの木でつくったまるい園亭に通じていた。 わたしはぎくっとした : : : ギィッと戸のあく音、つづいて わたしは樅の木までたどりつくと、幹にもたれて、見はりを小枝の折れるかすかな音が、きこえたような気がした : : : わ はじめた。 たしは二とびでくすれ跡からとびおりたーーーーそして、その場 なそ
ゴーゴリ 426 あたしはもう三人の人からきいてるけど、ひげ剃りの時にあまるきりそうじゃないんだからな。さつばりわからねえ ! 」 んたは、鼻がやっとつながってるほどのカでつまむそうじゃ イワン・ヤーコヴレウイチは黙りこんだ。警官たちが鼻を探 ないの」 しだして、彼の罪にすると思うと、まったく気が遠くなる感 ししゅう しかし、イワン・ヤーコヴレウイチは生きた心地もなかっ じだった。もはや、銀糸で美しく刺繍した真赤な襟やサーベ あた た。その鼻が、毎水曜と日曜に顔を剃ってきた、ほかならぬルが目にちらついてきて : : : 全身がふるえた。やっと下着や ノ等官コワリョフのものであることに気づいたからだ。 長靴を引っ張りだして、そうしたばろを身につけると、プラ 「まあ待てよ、プラスコーヴィヤ・オーシポヴナ ! こいっ スコーヴィヤ・オーシポヴナのしんどい説教に送られながら、 すみ をばろ布にでもくるんで、隅っこに突っこんどこう。しばら鼻をばろ布にくるんで、通りに出た。 くそこに寝かせておいて、あとで持ちだすよ」 彼はそれをどこか門の下の土台石の間に突っこむなり、な 「そんな話、ききたくもないわ ! 切り落した鼻なんぞをあんとかさりげなく落っことして横町に曲るなりするつもりだ まったくこんった。。こが、 たしが自分の部屋へおかせとくもんですか ! オあいにく、知合いの男に出くわして、早速「お かみそり がり焼けたおいしそうなパンだこと ! のんきに剃刀を砥ぐや、どちらへ ? 」だの、「こんなに早くだれの顔を剃りに行 くらいが関の山で、そのうち仕事を満足にはたすこともでき くつもりだね ? 」だのときかれたので、イワン・ヤーコヴレ とら なくなるわよ、この人でなし ! あたしが警察にあんたの責ウイチはどうにもチャンスを捉えることができなかった。そ 任をとるとでもいうの ? ああ、やくざな人ね、薄のろ , の次には、もうちゃんと落っことしたのに、巡査が遠くの方 棄ててよ、そんなもの ! 棄てちゃって ! どこへでも持っ から戟でさし示して、「何か落したそ、拾っていけ , て行ってよ ! そんなもの、臭いも嗅ぎたくない ! 」 ったので、イワン・ヤーコヴレウイチは鼻を拾い上げて、ポ イワン・ヤーコヴレウイチはまったく打ちしおれてたたすケットにしまわねばならなかった。絶望が彼を促えた。まし んでいた。考えに考えてみたが、・ とう考えたらよいのか、わて、商店や店が開きはじめるにつれて、通りの人もますます からなかった。「どうしてこんなことになったのか、見当も増えてくるとあってはなおさらのことだった。 つかないな」やっと彼は、片手で耳のうしろを掻いて言った。彼はイサーキイ橋に行くことに決めた。なんとかうまくネ : それはそうと、多くの点 「ゆうべ帰ってきた時、酔っ払ってたかどうか、それさえしワ河に放りこめないだろうか ? ・ かとは言えないな。しかし、どこから見ても、およそあり得で尊敬すべき人物であるイワン・ヤーコヴレウイチに関して、 ない出来事だ。だって、。ハンはちゃんと焼けてるのに、鼻はこれまで何一つ語らなかったのは、いささか申しわけなかっ えり
わたしはザセキン家をたすねたときのことを事こまかに父夕食後わたしは一人でザセキン家をたすねた。客間には老 むち に吾った。父はべンチに腰をおろして、鞭の先で砂の上にい 夫人し力いなかった。わたしを見ると、夫人は室内帽をかぶ たすら書きをしながら、熱心とはいえないが、散漫ともいえ った頭を編み針でかいて、だしぬけに訴状を一通清書しては フ もらえまいかとたすねた。 ネぬ、あいまいなようすでわたしの話をきいていた。父はとき 「お書きしますとも、喜んで」とわたしは答えて、椅子のは けおり笑い声をたてて、妙に晴れやかな、いたずらつばい目を あお わたしに投げ、短い質問やまぜっかえしでわたしを煽った。 しに腰をおろした。 わたしは、はじめのうちジナイーダの名を口にすることさえ 「ただ、なるたけ大きな字で書いてくださいな」と夫人は、 ためらっていたが、そのうちにがまんできなくなって、しきわたしによごれた紙を一枚わたしながら、 日じゅうに書いていただけません、坊っちゃま ? 」 りに彼女をほめはじめた。父は相変わらす笑っていた。やが て父は考えこんだようすになり、伸びをして、立ちあがった。 「ムフ日じゅ , つに圭日キ、士小しょ , つ」 わたしは父が家を出るとき馬に鞍をおくようにい、つけた 隣室のドアがわすかに開いたーーーそして透き間からジナイ ことを思いだした。父は乗馬の名人だったーーーそしてレーリ ーダの顔がのそいた。ーー。・青ざめた、愁いに沈んだ顔で、髪は 氏よりもすっとまえに、手に負えぬ荒馬を乗りこなす術を会無造作にうしろへたらされていた。彼女は大きな冷ややかな 得していた。 目でわたしをじっと見て、静かにドアをしめた。 ハハ ? 」とわたしはたずねた。 「、つしょに ( 打っても、 「ジーナ、ジーナ ! 」と老夫人は呼んだ。 ジナイーダは返事をしなかった。わたしは老夫人からたの 「いかん」と父は答えた。そしていつもの、やさしいが冷た い顔になった。「行きたければ、一人で行きなさい。御者にまれた下書きをもち帰って、一晩じゅうその清書に没頭した。 は、わたしはやめたといってくれ」 父はくるりとこちらに背をむけて、足ばやに遠ざかってい った。わたしはその後ろ姿を目で追ったー・ーー父は門のかげへ わたしの《清熱》はその日からはじまった。おばえている 消えた。帽子が垣にそって動いてゆくのを、わたしは見てい た。父はザセキン家へはいっていった。 が、わたしはそのとき、はじめて勤務についた人がおばえる 父がザセキン家にいたのは一時間たらずで、すぐに町へ出にちがいないような感情というか、そうしたものを感じたの だった。わたしはもうただの少年ではなかった。わたしは恋 かけ、日暮れ近くになってやっと家へもどってきた。
: 」わたしはとうとう音をあげた。 どう解釈したらいい たしはすっかり頭が混乱してしまった。、 「あら、いたいの ! じやわたしはいたくないの ? のか、さつばりわからないで、自分でも泣きだしたい気持ち ないの ? 」と彼女はくりかえした。 。しいながら、わたしはやつばり子供だっ だ・つた。十六歳とま、 「あら ! 」わたしの髪をちょっぴりむしりとったのに気づい たのである。わたしはもうマレフスキーのことは考えなかっ て、彼女はふいに声をあげた。「わたしなんてことをしたのた。・ ヘロフゾーロフは日ましにますます目つきがけわしくな おおかみ かしら ? かわいそ , つに、ムッシュ ・ヴォルデマールー って、羊をねらう狼のような目で、のらりくらりと逃げを 彼女はむしりとった髪の毛をていねいにそろえると、それはる伯爵をにらんでいたが、わたしはなにも考えなかったし、 を指に巻きつけて、小さな輪にした。 だれのことも頭になかった。わたしは考えることに疲れはて 「わたしこの髪の毛を胸飾りに入れて、いつも身につけてい て、たえず人気のないさびしい場所を求めた。わたしがとく 。しオカ目にはやはり涙が光っていた。 るわ」と彼女ま、つこ。ゝ、 に愛したのはあの温室のくずれ跡だった。よく、高い壁によ 「そうすれば、あなたもいくらかなぐさめになるかもしれな じのばって、腰をおろし、 いかにも不幸な、孤独な、悲し、 いわね : : : じゃ、今日はこれでね」 青年らしくしょんばりしていると、自分がみじめに思えてく 家へもどると、不愉央な出来事が待っていた。母が父に釈るのだった、 そしてこの痛ましい思いがわたしにはなん ともいえすうれしく、わたしはうっとりとしてその思いにひ 明を求めていたのである。母は何事か父を責めていた。が、 しんぎんにおしだまっていた たっていた : 父は例によって、冷ややかに、、 そしてじきに出ていってしまった。母がなにをいってい ある日、わたしは壁の上に腰かけて、ばんやり遠くをなが たのか、わたしはきくことができなかったし、またそれどこめながら、きくともなく鐘の音をきいていると : : : ふいにな ろではなかった。ただおばえているのは、父が出てゆくと、 にかがわたしをかすめすぎたーーーそよ風ともちがうし、悪寒 母はわたしを居間へ呼びつけて、母の一一一一口葉によれば、なにをでもない、息吹きというか、だれかが近づいてくるけはいと しでかすかわかりやしない公爵夫人の家をわたしが足しげく いうか、そんな感じであった : : : わたしは下を見た。下の小 訪れすぎるといって、ひどく不機嫌にわたしにあたりちらし径を、軽やかなグレイの衣装をつけて、薔薇色のパラソルを 恋 シナイーダが急ぎ足で歩いてきた。彼女はわたしに気 たことだけだった。わたしは母のそばへ行って手に接吻する肩に、・ いつもわたしがっかう づいて、立ちどまった。そして麦藁帽子のはしをちょいとあ と ( これは話を打ち切りたいときに、 シナイーダの涙に、わげて、ビロードのような目でわたしを見あげた。 手だった ) 、自分の部屋へもどった。。 むギ一わら
とはやりかねない ) 。『それともだれかほかの男があらわれる 「あなたはなにをいいたいのです ? 」 「ばくがなにをいいたい ? はっきりいったはすだがね。昼かな ( 家の庭の垣はひどく低かったので、越えるのはわけな も、夜もだよ。昼はまだいい。日 いすれにしても、ばくの見はりにひっかかた 月るいし、人目があるからね。かった ) ところが夜というやつは くせ者で、どうもよくないことら、ただではおかんそ ! まあ、ばくに見つからんようにす がおこりやすい。きみに忠告するが、毎夜眠らずに見はるこることだ ! 世間のやつらと裏切り者の彼女に ( わたしは、 とだ。熱、いに見はることだよ。おばえてるね。ーー庭、夜ふけ、 ともあれ、彼女を裏切り者と呼んだのだった ) 、ばくだって ふくしゅこっ 噴水のそば こういうところだよ。見はらなきゃならんの復讐できるということを、みせてやる ! 』 は。きみはいまにばくに感謝するよ , つになるよ」 わたしは自分の部屋へもどると、机のなかからこのあいだ マレフスキーはあざけるように笑って、くるりとわたしに 買ったばかりのイギリス製のナイフをとり出し、指の腹で刃 まゆ 背をむけた。彼はわたしにいったことをそう重大には考えてをあたってみた。そして眉をしかめて、思いつめた冷ややか な決意をもってそれをポケットに入れた。まるでそんなこと いなかったらしい。彼はかつぐことの名人でとおっていて、 仮面舞踏会でひとびとをまんまとたぶらかす腕を自慢にしては珍しくもないし、はじめてではないというような、なれた いたが、それもおおいに、彼の全身にしみとおっていたほと手つきだった。心臟が限みに燃えて高まり、そのまま石のよ うに固まった。わたしは夜ふけになるまで眉をひそめ、ロを んど無意識の嘘つき癖のせいであった : : : 彼はわたしをから かおうとしただけだったが、 そのひと言ひと言が毒となってひきむすんだままで、片手をポケットにつつこんで汗で熱く わたしの全身の血管に流れわたった。わたしは頭にかっと血なったナイフをにぎりしめ、ある恐ろしいことにたいする心 がまえをしながら、たえす室内を歩きまわっていた。この新 がのばった。『あ ! そうだったのか ! 』とわたしは自分に いいきかせた。『なるほど ! これまで知らなかった感じにすっかりとらわれ、うき してみると、ばくが庭へひか れたのには、わけがあったのだ ! よし、そんなことはさせうきした気持ちにさえなって、わたしはジナイーダのことは ほとんど考えなかった。わたしの頭にはたえずこんな光景が ぬそ ! 』わたしは大声で叫ぶと、拳でドンと胸をたたいた。 とはいえ、なにをさせぬそと息まいたのか、自分でもわからちらついた。 プーシキンの叙事詩 初なかったのである。『マレフスキーのやっ、自分で庭へ行く ) 、若いジプシー 「ジプシー』の主人公 つもりかな』とわたしは考えた ( あいつ、うつかり口をすべ色男、どこへ行くんだ ? ーーー寝てろ : : : 』それからしばらく オしカ : : : おい、なにを らしたのかもしれん。あのすうすうしさだ、それくらいのこ して『おや、すっかり血だらけじゃよ、
らした。 おれは肩をすばめて、グルシニッキイの二人の介添人に会 「きみも馬鹿だよ」と彼は言った。「大馬鹿も、 しいところ釈した。 : ばくにまかせた以上は、一一 = ロうとおりにしてくれなく 小道を降りて行く途中、岩の割れ目にグルシニッキイの血 フ はえ ちゃ・ : 自業自得だぜ ! 蠅のようにくたばるがいいさまみれの死体が見えた。思わずおれは目を覆った : ン モ : 」彼はくるりと後ろを向き、その場を離れながらつぶや 馬の手綱をといて、おれは並足で帰路についた。 胸は石の ように重かった。太陽はくすんで見え、その光にあたたかみ 「グルシニッキイ」とおれは言った。「まだ時間はある。あは感じられなかった。 の中傷を取りさげたまえ、そうすれば赦してやるよ。おれを 部落まで行きっかぬうちに、おれは峡谷沿いに右に折れた。 こけにしようとして、うまくいかなかったんだから、おれの人の姿を見るのがわすらわしい感じで、おれは一人になりた 自尊心は満足させられたよ。思い出してくれ、ばくらがかっかった。手綱を放したまま、首をがつくりとうなだれて、お ては親友だったことを : : : 」 れは長いこと馬を進めていたが、ふと気がつくと、まったく 彼の顔は真っ赤になり、目がぎらぎらと輝きだした。 見なれない場所に来ていた。おれは馬首を向け変え、道を探 「撃ちたまえ ! 」と彼は答えた。「ばくは自分を軽蔑するが、 にかかった。もう太陽も沈みかけるころ、人も馬もくたく きみのことは憎悪する。もしばくを殺さなければ、ばくのほ たに疲れきって、おれはようやくキスロヴォーックにたどり とも うが夜、ものかげからきみを襲ってやる : : : ばくらは倶に天ついた。 をいただかずだ : 従僕がヴェルネルの立ち寄ったことを告げ、二通の手紙を おれは発射した。 差し出した。一通は彼から、もう一通は : : : ヴェーラからだ 硝煙が晴れたとき、グルシニッキイの姿は台地には見えな かった。砂煙だけが崖のふちにかすかに立ちのばっていた。 第一の手紙の封を切ると、それは次のような内容だった。 そろ みなが口を揃えて叫んだ。 「万事申し分なく片づきました。遺体は原形をとどめぬ無残 「 Finita la comedia! ( 喜劇は終りぬ ! ) 」とおれはドクトルに な姿で運ばれてきたし、胸の弾丸は摘出しておきました。だ 言った。 れもが彼の死因は不慮の事故によるものと信じきっています。 ドクトルは何も答えす、恐ろしそうに後ろを向いてしまっ司令官だけが、貴君らのいさかいを知っていたと見えて、首 を横に振っていましたが、何も言いませんでした。貴君に不 っこ 0
れた。しかもその未知のあるものが、わたしにはどうしても つきとめることができす、まるでうす暗がりのなかでいくら 目に力をこめても見わけることのできない、見しらぬ、美し しかも恐ろしい顔のように、わたしをおびやかすのだっ 四年すぎた。わたしはまだ大学を出たばかりで、なにをし たらいいのか、どんな扉をたたいたらいいのか、よくわから その夜わたしは奇妙な恐ろしい夢を見た。わたしは天井のなかった。そして、さしあたりなにをするでもなくぶらぶら 低い暗い部屋へはいってゆくところらしかった : : : 父が鞭をしていた。ある美しい宵、わたしは劇場でマイダノフに出あ もって立ちはだかり、足をふみ鳴らしていた。片隅にジナイ オわたしの目に った。皮はまんまと妻と職を得ていた。。こが、 ーダがうすくまり、腕にではなく、額に赤い筋がついていた はまえとちっとも変わらなかった。彼はやはり必要もなく興 : そして二人の背後に全身血まみれのべロフゾーロフが仁奮したり、たちまち失望したりしていた。 のろ 王立ちになって、血の気のない唇をばくばくさせて、父に呪「知ってるかね」と彼はいった。「ちょうど、ドーリスカヤ いの一一一一口葉をたたきつけていた。 夫人が来てるんだよ」 それから二カ月後にわたしは大学にはいった。そして半年「ドーリスカヤ夫人 ? 」 のういつけっ 後に父がペテルブルグで脳溢血で急死した。一家をあげてペ 「忘れたのかね ? もとのザセキン公爵令嬢、ほら、ばくた テルプルグへうつった直後だった。死の数日まえに父はモスちがみんな夢中だったじゃよ、 オしか、きみもさ。おばえてるだ クワから一通の手紙を受けとったが、この手紙が父にひどい ろう、ネスクーチヌイ公園のそばの別荘で」 ショックをあたえたのだった : : : 父は何度も母の部屋へ行っ 「あのひとがドーリスキーという人の夫人になったの ? 」 て、何事かたのみこんだ。そして涙さえ流したというのだ。 「そうだよ」 あの、わたしの父が ! たおれるその日の朝、父はわたしに 「そしていま、この劇場に来てるの ? 」 あててフランス語の手紙を書きかけていた。それにはこう書 「いや、ペテル。フルグにさ、四、五日まえに着いたんだよ。 いてあった。『わが子よ、女の愛を恐れよ、その幸福と、そ外国へ行くそうだ」 の毒を恐れよ : : 』父の死後、母はかなり多額の金をモスク 「良人はどんな人です ? 」とわたしはきいた。 ワへ送った。 いい男だよ、財産はあるし、ばくとモスクワの役所でいっ しょだった。ところで、きみも察しがつくはすだが・ーーあの
レールモントフ 566 役所のデスクにしばりつけられた天才は、死ぬか発狂するか グルシニッキイがやってきて、おれの首っ玉にかじりつい たいく しかない。頑健な体躯の持主が家にこもりきりでおとなしく 将校に昇進したのだ。おれたちはシャンパンで乾杯 していると、脳卒中で倒れてしまうのと同じことである。 した。つづいてドクトル・ヴェルネルが訪ねてきた。 晴熱とは、最初の発展段階における観念にほかならない 「お祝いは言わんですよ」と彼はグルシニッキイに言った。 それは心の青春時代の属性であって、一生涯情熱にゆさぶら 「」 , っ , して ? ・」 れていたいと考えるのは馬鹿者である。おだやかに流れるⅡ 「なにね、きみには兵隊外套がよく似合うからですよ。それ の多くは、水音高い滝にその源を発してはいるが、その一つ に、きみにだってわかるでしようが、こんな鉱泉地仕立ての として、海に流れ入る直前まで逆巻き、泡立つものはない。 歩兵将校の軍服なんて、きみに魅力を添えてくれるわけがな それでいながらこのおだやかさは、秘められてこそいるが、 しいですか、きみはこれまでは例外だったが、いまや しばしば巨大な力のしるしなのだ。感情と思考の充実と深さ 一般法則の適用を受けるわけです」 は、そのはげしい激発を許さない。そのような魂は、苦脳と 「なんとでも一一一一口ってください ど , つ一一 = ロわれよ , っ うれ 快楽を味わいながらも、すべてを冷厳に意識し、 かくあるべと、ばくはやはり嬉しいんですから。この人は知らないんだ きだという確信をもつにいたる。それは、もしときとして雷よ」グルシニッキイはおれに耳打ちした。「この将校肩章が 雨がないなら、太陽のたえまない炎熱に自身が干あがってし どんなにかばくに希望をもたせてくれたことか : : : おお、肩 まうことを知っている。それは自分自身の生命力につらぬか章よ、肩章よ , きみのその星章こそ、ばくの導きの星だ れており、愛し子に対するように、自身をいつくしんだり、 いや、ばくはいま完全に幸福ですよ」 プロワール * 罰したりする。この自己認識の最高次の段階においてこそ、 「いっしょに奈落まで散歩に行かんかね ? 」とおれはたず ねた。 人は神の裁きの真の価値を知りうるのである。 このページを読み返してみて、本題からすっかり離れてし 「ばくかい ? 軍服ができるまでは、なにがあろうと令嬢の まったことに刄がついた : : だが、それでいいじゃよ、 前には出たくないね」 : この日誌はおれが自分のために書いているものなのだし、 「きみの朗報を彼女に伝えてやろうか ? ・ してみれば、そこに何を書き入れておこうと、時がたてば、 「いや、話さんでくれ : : : 彼女をびつくりさせてやりたいん すべてはおれにとって貴重な思い出となるだろう。 「それはそうと、彼女とはどうなっているんだい ? 」 、刀しと・つ