わいきよく 通ってだだっ広い部屋に連れて行かれた。イワンは、驚くべせいぜい歪曲して解釈されるだけに終わることは昨日の経 き設備を誇るこの建物のなかにあるすべてのものにたいして験によって証明ずみである。それで、イワンはこの方法も拒 皮肉な態度をとろうと決心していたのだが、このときも、こ否して、誇り高い沈黙に閉じこもるという第三の方法を選ぶ あだな ことに決めた。 の部屋を《工場兼台所》と心のなかですぐに綽名をつけた。 いやおう この方法を完全に実行することはできず、否応なく、たと それも、理由のないことではなかった。ここには、戸棚が え一一 = ロ葉少なに、不機嫌にではあっても、一連の質問に返事を あり、まばゆいニッケルの器具を並べたガラス棚があった。 す かさ しなければならなかった。 さらには、きわめて複雑な構造をもっ椅子、光った笠のつい そしてイワンは、これまでの生活について、それこそ十五 た大きなランプ、無数の薬瓶、ガスパーナー、電線、まった し・よう・一うねっ 年前にかかった猩紅熱にいたるまで、なにもかも、こと細か く誰にもわからないような器具類。 その部屋でイワンを待ち受けていたのは、二人の女と一人に質問されたのだった。白衣の女は、イワンにたいする質問 しんせき の男で、三人とも白衣を着ていた。まず最初、イワンは部屋の回答で一枚の用紙を埋めると、それを裏返し、親戚関係に の隅の小さなテープルのところに連れて行かれたが、なにカついての質問に移った。煩雑で面倒くさい質問がはじまり、 を訊き出そうとする目的があったことは明白である。イワン誰が、いつ、なにが原因で死んだか、酒が好きだったか、性 はあれこれと状況を思案しはじめた。イワンの前には三つの病ではなかったかとか、およそそういった種類の質問がつづ いた。最後に、昨日のパトリアルシェ池での出来事を話すよ 方法が出てきた。きわめて魅惑的であったのは第一の方法で、 それにはさほど強い関心を払わず、ポンテ これらのランプやわけのわからない品物にとびかかり、粉みうに言われたが、 イウス・ピラトに関する報告にも驚いたようすはなかった。 じんにたたきこわし、そうすることで不当監禁にたいする抗 そこで、女はイワンを男に譲り渡したが、男のほうはこれ タ議を表明するという方法だった。しかし、今日のイワンは、 カ昨日のイワンとはもはや別人のように変わっていて、この第までとは異なって、もうなにも質問しなかった。男はイワン みやくはく それは、彼をの体温を測り、脈搏を調べ、ランプのようなものを当てな 一の方法はどうも成功しないように思えたが、 マ と狂暴生精神病者にちがいないと確信させるだけだったからでがら目を検査した。それから、男はもう一人の女の助けを借 巨 りて、イワンの背中になにかの器具で痛くない程度に刺し、 ある。それで、イワンは第一の方法を断念することにした。 ひぎ かなづち 小さな金槌の柄で胸の上に奇妙な印を描き、金槌で膝をたた 第二の方法は、ただちに特別顧問とポンテイウス・ピラトの き、そのためにイワンの足が跳びあがり、指を刺して採血し、 話をはじめることだった。しかし、この話が信用されないか、
プルガーコフ 638 「ご自分ではお書きにならないのですか ? 」ここでイワンは 待ちしていたのです。とうとう来てくれましたね、お隣さ 首を垂れ、物思いに沈みながらつけ加えた。「ああ、そうで したね : : : なんだってこんなことをたすねようとしたのだろ 巨匠はこれに答えて言った。 「そうです、わたしですよ ! しかし残念ながら、もうお隣う」イワンは床に目を落とし、おびえたようにそれをみつめ さんではなくなりました。わたしは永遠に飛び去りますので、はじめた。 「そうです」と巨匠は言ったが、 その声は、低くて、はじめ お別れにきたのです」 「知っていました、そうなるだろうと思っていたのです」とて耳にするもののようにイワンには思えた。「もう彼のこと イワンは静かに答え、質問した。「彼にお会いになったのでは書きません。ほかのことでにしくなるのです」 すね ? 」 雷鳴を貫いて口笛が聞こえた。 「聞こえるでしよう ? 」と巨匠はたすねた。 「そうです」と巨匠は言った。「お別れの挨拶に立ち寄った のは、あなたが、最近のわたしのただ一人の話相手だったか 「雷鳴が轟いています : : : 」 しいえ、あれはわたしを呼んでいるのです、もう行かなけ らです」 れば」と巨匠は説明し、べッドから立ちあがった。 イワンは明るい表情を浮かべて、一一 = ロった。 もう一言だけ」とイワンは頼んだ。 「立ち寄ってくださって、本当によかった。ちゃんと約束を「待ってください , 守っています、詩はもう書かないでしよう。いま関心がある「彼女を見つけられましたか ? あなたを裏切らすにいたの のはほかのことなのです」イワンは微笑を浮かべ、狂気じみでしよう ? 」 た目でどこか巨匠の脇のほうをみつめだした。「ほかのこと 「ほら、彼女ですよ」と巨匠は答え、壁のほうを指さした。 、。ッドに近づいて を書きたいのです。本当に、この病院に入っているあいだに、白い壁からマルガリータの黒い影が離れへ きた。彼女は横になっている青年を眺めたが、その目には深 とてもたくさんのことが理解できたのです」 巨匠はこういった一一一一口葉に興奮しはじめ、イワンのべッドの い悲しみが読みとれた。 「かわいそうに、かわいそうに」とマルガリータは低くつぶ 端に腰をおろしながら、話しだした。 「それは、、、 それま、、。 皮こっ、ての続きを書いてくだやき、べッドの上に身をかがめた。 せんばう 「なんと美しいのだろう」羨望ではなくて、悲しみと、なに か静かな感動を覚えつつ、イワンは言った。「ほら、あなた イワンの目が急に燃えあがった。
「うん、なるほど」と医者はたいへん満足そうに言った。 ここでリューヒンはイワンの顔をまじまじと凝視して、ぞ 「すると、この傷はどうしたのです ? 誰かとやり合ったのっとした、その目こま、 し。しかなる狂気の徴候すらないではない ですか ? 」 か。さきほどグリポエードフにいたときにはどんよりと濁っ フ コ 「塀から落ちたのです、そのあとレストランで、一人を殴りていたその目が、い まは以前のように明るく澄んでいたので だれ ガ つけ : ある。 : ほかにも誰や彼やを : ・・ : 」 がくぜん プ「なるはど、なるほど」と医者はうなすき、イワンのほうを 《これはたいへんだ ! 》とリューヒンは愕然として思った。 向いて、つけ加えた。「今晩は ! 」 こいつはなんとばかげた 《まったく正常なのではないか ? ことなのか , 「今晩は、やぶ医者 ! 」とイワンは憎々しげに大声で答えた。 まったくの話、なぜこの男をこんなところに リューヒンはすっかりうろたえて、この親切な医者の顔を無理に引っぱってきてしまったのだろう ? 正気も正気、た まともに見ることもできなかった。ところが、医者のほうはた顔が擦りむけているだけだ : 少しも気にせず、いかにも慣れた器用な手つきで眼鏡をはず「あなたがいるところはですね」びかびか光る金属製の脚の すと、白衣の裾をたくしあげ、ズボンのうしろポケットに眼白い椅子に腰かけながら、医者は落ちつきはらって言った。 鏡をしまってから、イワンにたずねた。 「精神病院ではなくて、診療所です、ここでは、もしも必要 「お年齢は ? 」 がなければ、誰もあなたを引きとめたりはしないのです」 「みんな、とっとと消え失せろ、まったく ! 」とイワンは乱 イワンは疑わしげに横目で見やったが、それでも低くつぶ 暴にどなり、くるりと背中を向けた。 ゃいた。 とうして怒っているのです ? なにか不愉央な 「これでやっと安心できる ! ばか者どものなかにも、まと ことで・も一一一一口い洋 ( したか ? 」 もな人間が一人ようやく見つかったというわけだ、そのばか 「二十三歳」とイワンはいらだたしげに言った。「あんたた どもきってのばかが、図体がでかいばかりの無能なサーシカ ちみんなを訴えてやる。とりわけあんたをな、うじ虫 ! 」と、 ことさらリューヒンに・回かって吐き出すよ , つに一一 = ロった。 「その無能なサーシカというのは誰のことです ? 」と医者は 「いったい何を訴えたいというのです ? 」 「正常な人間であるこのばくを捕まえて、無理やり精神病院 「ほら、この男、リューヒンだよ ! 」とイワンは答え、汚れ に連れこんだからだ ! 」とイワンは憤慨して答えた。 た指をリューヒンのほうに突き出した。 すそ
フ・ルガーコフ 658 さらに高く昇ってゆく。二人のあとから、落ちつきはらい 顔で眠っているのだ。 威厳をもって、耳のとがった巨大な犬がつづく。 翌朝、目をさますと、ロ数は少ないが、すっかり心も落ち このとき、月光の道は勢いよくわき返り、月光の河がほとっき、元気になっている。刺傷だらけの思い出は静まり、つ はんらん ばしり、四方に氾濫する。月はすべてを圧倒し、荒れ狂い ぎの満月の夜までは、教授を不安にさせる者は誰もいない 踊り、騒ぎまわる。このとき、光の奔流のなかに絶世の美女へスタスを殺したあの鼻のつぶれた死刑執行人も、冷酷な第 が現われ、顔じゅうにひげを伸ばし、おすおすとあたりを見五代ユダヤ総督、騎士ポンテイウス・ピラトも。 まわしている男の手を引いて、イワンのほうに導いてくる。 イワンはすぐに相手が誰であるかに気づく。それは一一八号原題 MACTEP = MAP 「 APHTA の患者、深夜に訪れてきた客。夢のなかで、イワンは両手を 差し伸べ、必死になってたずねる。 「それじゃ、つまり、これで終わったのですね ? 」 「これで終わったのだよ、わたしの弟子」と一一八号の患者 は答え、女がイワンのそばに近寄り、言う。 「もちろん、これで終りよ。すべては終わったし、すべては 終わる : : : そして、わたしがあなたの額にキスすると、なに - もかも、つ十ノ、い / 、よ , つに . なるわ」 女はイワンのほうに身をかがめ、額に接吻し、イワンは女 のほうに身を伸ばし、その目をじっとみつめるが、しかし女 はしだいにあとずさりし、自分の道づれと一緒に月のほうに 去って行く。 このとき、月は荒れ狂いはじめ、月は光の奔流をイワンに 真正面から浴びせかけ、月は光を四方にまき散らし、部屋の なかに月光の氾濫がはじまり、光は揺れ、高く昇ってゆき、 べッドを沈めてしまう。このときには、イワンは幸福そうな
肘の関節を刺し、腕にゴム輪のようなものを巻きつけた : は椅子に腰をおろし、ほかの者はみな立ったままだった。 イワンは心のなかでひそかに苦笑し、これはみんな愚かで、 「ストラヴィンスキイ博士です」と椅子に腰をおろすと同時 奇妙なことだ、と考えていただけだった。まったくあきれた に自己紹介し、愛想よくイワンのはうを見た。 フ コ ものだ。見知らぬ特別顧問によって惹き起こされようとして「これです、アレクサンドル・ニコラエヴィチ」小ざっぱり 力いる危険をみんなに予告し、特別顧問を捕まえようとしただ とひげを整えた男が低い声で言い イワンの回答をびっしり プけなのに、その結果は、どことなく秘密めいた部屋に連れてと書きこんだ調査表をストラヴィンスキイに差し出した。 こられ、飲んだくれて死んだヴォログダ市の伯父フヨードル 《なにからなにまで調べあげたものだ ! 》とイワンは考えた。 についてあれやこれやとくだらぬことを話さなければならな院長は物置れた目つきで調査表にすばやく視線を走らせると、 かっただけだ。まったくもってばかげている。 「ふむ、ふむ : : : 」とつぶやき、意味のとれない言葉で二言 ようやくイワンは釈放された。彼は自分の部屋に連れもど三一一一一口、周囲の者と話をかわした。 され、そこで、コーヒーと半熟の卵二つ、それに白バンとバ 《ピラトのよ , つにラテン衄で話している : : : 》と非 5 しげにイ ターが与えられた。 ワンは思った。そのとき、ひとつの一 = ロ葉が身震いさせたが、 出されたものをすべてたいらげ、コーヒーを飲み終えると、それは、ああ、すでに昨日、 ハトリアルシェ池で呪わしい外 この病院の責任者を待ち、その人物に、自分への注意と公正国人によって口にされ、そして今日、ここでストラヴィンス を期待しようと決心した。 キイ教授によってくり返された《精神分裂症》という一言葉で そして、イワンが朝食を終えてほどなくして、その機会はあった。 訪れた。突然、部屋のドアが開き、白衣を着た大勢の人が部《このことも知っていたのか ! 》と不安にかられてイワンは 田 5 った。 屋に入ってきた。その先頭に立って歩いてきたのは、入念に ひげを剃りあげ、俳優のような顔をした四十五歳くらいの男 どうやら院長は、周囲の者がなにを言っても、すべてそれ いんぎん で、感じはよいが、ひじように鋭い目つきをし、慇懃な物腰で に賛成し、すべてに満足し、《結構、結構 : ・・ : 》という言葉 振舞っていた。随員はみなその男に注意と尊敬の念を示してでその気持を表現するのを原則としているみたいだった。 いたために、その登場はきわめて荘厳なものになった。《ま 「結構 ! 」とストラヴィンスキイは誰かに調査表を返しなが るでポンテイウス・ビラトみたいだ ! 》とイワンは思った。 ら言い、イワンに話しかけた。「あなたは詩人ですか ? 」 そうだ、これこそ疑いもなく責任ある人物だった。その男「詩人です」とイワンは陰気に答え、そこではじめて、不意
: ここで、あなたは助かりま ります : : : 聞いていますね ? はごく簡単なことですし、それに、もしもあなたのお考えど おり、その男が犯罪者であるならば、すべてはすぐ解決されす : : : ここで、あなたは助かります : : : あなたは楽になりま るでしよう。しかし、ひとつだけ条件があります、頭を緊張す : : : ここは静かで、なにもかもが平穏です : : : ここで、あ させず、ポンテイウス・ピラトのことはなるべく考えないよなたは助かります : : : 」 イワンは急にあくびをし、その表清は柔和になった。 うにすることです。そんなことを話してなんになるでしょ 「ええ、ええ」とイワンは小声で言った。 しし。し力ないでしよう」 , っ ? ・誰、も信 g ドしつつ、わナ・こま、 「そう、それで結構 ! 」ストラヴィンスキイはいつもの癖と 「わかりき、した ! 」とイワンはキ、つばりと一一 = ロった。「紙とペ なっている言葉で会話を締めくくり、立ちあがった。「それ ンをください」 「紙と短い鉛筆を与えてください」とストラヴィンスキイはでは、また ! 」イワンの手を握り、すでに部屋から出ようと ふとった女に入叩令し、イワンにはこう一言った。「しかし、ムフしていたときに、ひげを生やした男のほうをふり返って、一一 = ロ った。「そう、酸素を試してくれたまえ : ・・ : それから風呂」 、と田いますがね」 日は圭日かないは , つがいし 「いや、いや、今日、絶対に今日じゅうに書かなければ」と数秒後、イワンの前からは、ストラヴィンスキイも随員た ちの姿も消えていた。窓格子の向うには、真昼の陽光を浴び 興奮してイワンは叫んだ。 「まあ、 しいでしよう。ただ頭を緊張させないこと。今日でて、向う岸の明るい感じの春の林がくつきりと見え、その手 前では、河面が光っていた。 きなくとも、明日はできるのですから」 「あいつが逃げてしまう ! 」 9 コロヴィョフの奸策 「おお、ちがいます」とストラヴィンスキイは確信をもって 反論した。「どこにも逃げはしません、請け合います。そし モスクワのサドーワャ通り三〇二番地にある、いまは亡き て覚えておいてほしいのですが、ここでわたしたちは、あり ガ ベルリオーズが住んでいたアパートの居住者組合の議長ニカ とあらゆる手段を用いてあなたを助けます、そうしないと、 マ 匠あなたの計画はなにも成功しないでしよう。聞いていますノール・イワノヴィチ・ポソイは、この水曜日から木曜日に 巨 ね ? 」と突然、ストラヴィンスキイは意味ありげにたすね、かけての深夜以来、てんてこ舞いの忙しさだった。 イワンの両手を取った。イワンの両手を握りしめると、相手深夜に捜査員たちがジェルドウイビンとともにこのアパ トに車を乗りつけたことは、すでにわれわれの知っていると の目をじっと凝視し、くり返した。「ここで、あなたは助か
「おお、わたしの思ったとおりだ ! おお、なにもかも思っ と、腰をおろして、言った。「もっとも、そんなことはどう たとおりだ ! 」 でもよいのですが」さきほど中断されたイワンとの話にもど ベルリオーズの惨死の話を聞くや、客は謎めいた注釈をは った。「それで、どうしてここに入れられたのです ? 」 ひらめ いんうつ さみ、その目には憎悪の色が閃いた 「ポンテイウス・ピラトのせいです」陰鬱そうに床を見て、 「ただひとっ残念なのは、殺されたのがベルリオーズで、批 イワンは答えた。 「なんですって製」これまでの用心深さを忘れて客は大声で評家のラトウンスキイか作家のムスチスラフ・ラヴロヴィチ 叫び、あわてて手でロを押えた。「驚くべき一致 ! お願いでなかったことだ」そして夢中になって、しかし声を殺して 叫んだ。「そのさきを ! 」 です、お願いです、話してください ! 」 うれ なぜか、この見知らぬ男に信頼感を覚えて、イワンは、最猫が車掌に乗車賃を払った話には、客はすっかり嬉しくな ってしまい、自分の物語の成功に興奮したイワンが、十コペ 初のうちこそ、おすおすと、ロごもりながらではあったが、 まね やがて覚悟を決めて、パトリアルシェ池で起こった昨日の一イカ硬貨でひげを撫でる猫の真似をしながら腰を落としたま 件を物語りはじめた。そう、この謎めいた鍵泥棒に、イワンま軽く跳びはねるのを見て、忍び笑いにむせ返ったほどであ はうってつけの聞き役を見いだしたのである。客はイワンをつた。 狂人扱いすることなく、このうえない関心を示し、話が進展「そういうわけで」グリポエードフでの出来事を語り終わる と、悲しそうな暗い表情になって、イワンは結んだ。「ここ するにつれて、いやがうえにも興味がそそられたものらしく、 ついには、深い感激にかられるにいたった。それこそ、感嘆に入れられたのです」 客は同情するように哀れな詩人の肩に手を置いて、言った。 の絶叫でイワンの話を絶えずさえぎったほどである。 タ 「気の毒なことに ! それでも、あなた、すべてはご自分の 「そう、そう ! そのさきを、そのさきをお願いします。た せいなのですよ。彼にたいして、あんなにも無遠慮な、厚か だ、どうか、なにひとっ抜かさないでください ! 」 ガ ましいともいえるような態度をとってはいけなかったのです。 イワンはなにひとっ抜かさず、むしろそのほうが、ずっと マ と話がしやすかったので、間もなく、白いマントをはおり、真それで罰が当たった。それでも、すべては、どちらかといえ 巨 、ゝヾレコば、その程度ですんだことで、《ありがとう》と一 = ロうべきで 紅の裏地をひるがえしながらポンテイウス・ピラトが / ノ ニーに出るあの瞬間に話は及んだ。 4 ・ てのひら 「それで結局、彼はいったい何者なのです ? 」興奮して拳を そのとき、客は祈るように掌を合わせて、囁いた
605 巨匠とマルガリータ 捜査官の質問はこれが最後だった。このあと、捜査官は立 でおおわれている西の丘の宮殿、その緑の上、タ映えに燃え あがるプロンズの彫像のある町を見、古代の町の城壁に沿っちあがり、イワンに手を差し伸べると、一日も早く元気にな かっちゅう て進む、甲冑に身をかためたローマ百人隊の兵士たちを見り、ふたたび彼の詩が読めるようになることを希望する、と 言った。 こま、ひげを剃った黄「、、 ししえ」とイワンは小声で答えた。「もう詩は書きません」 まどろみのなかで、イワンの目の前し。 捜査官は愛想よく微笑を浮かべ、詩人はいま一種の鬱状態 色い顔をひきつらせ、肘掛椅子にすわって身じろぎもしない 男、真紅の裏地のついた純白のマントをはおり、華麗な異国にあるが、それもすぐに治ると確信している、と語った。 「いや」捜査官のほうではなく、はるか遠くの消え入りそう の庭園を憎悪をこめてみつめている男が浮かんでいた。 バトリアルシェ池での出来事は、もはや詩人イワン・べズな地平線を見ながら、イワンは答えた。「けっして治らない でしよう。これまで書いてきた詩はよくない詩です、いま、 ドームヌイの興味を呼びさまさなくなっていた。 「それでは、イワン・ニコラエヴィチ、ベルリオーズが電車それがわかったのです」 捜査官はきわめて重要な情報を手に入れて、イワンのもと の下に転落したとき、あなたご自身は回転木戸から遠く離れ を去った。結末から発端へと事件の糸をたぐって、ついに、 たところにいらしたのですか ? 」 かすかにそれとわかる冷淡な笑いをなぜか唇に浮かべて、すべての事件のはじまった源泉にたどりついたのである。こ れらの事件がパトリアルシェの殺人に端を発していることを、 イワンは答えた。 捜査官は疑わなかった。もちろん、イワンも、あの格子縞の 「わたしは遠くにいました」 「その格子縞の男のほうは回転木戸のすぐそばにいたのでし男も、〈マスソリト〉の不運な議長を電車の下に突きとばし てはいず、いわば物理的に、車輪の下に彼を転落させられる よ , っ ? ・」 しいえ、わたしのすぐ近くのべンチに腰かけていました」者は誰もいなかった。しかし捜査官は、ベルリオーズが催眠 「よく記憶なさっているのでしようが、ベルリオーズが倒れ術にかけられて電車の下に身を投げた ( あるいは転落した ) たときに、彼は回転木戸のほうに近づいたのではありませんのだ、と確信した。 確かに、証拠はすでにたくさんあり、誰をどこで捕まえた 「よく覚えています。近づきませんでした。彼は背をもたせらよいかは、すでに明らかだった。しかし、どうしても捕ま えられなかったことこそ問題なのであった。呪ってもあまり かけてべンチにすわっていました」 う
らとび出そうと企てた。そうですね ? そこでお訊きします 出ししましよう。証明は要りません、ただ言ってくだされば よいのです。それでは、あなたは正常ですか ? 」 が、そのような行為をし、誰かを捕まえたり、逮捕したりで ここで完全な静寂が訪れ、今朝、イワンの世話をした例のきるものでしようか ? もしも正常な人間でしたら、ご自分 ふとった女は、尊敬の目で教授を見やり、イワンはもう一度、でも、そんなことは絶対に不可能だとお答えになるでしよう。 あなたはここから出て行きたいとお望みですね ? どうそご 《本当に頭のよい男だ》と思った。 ここを出てから、どこへ 自由に。しかし聞かせてください 教授の提案はたいへん気に入ったが、しかし答える前に、 しわ イワンは額に皺を寄せながら、何度も何度も思い返してから、行くつもりです ? 」 まはそれほど 「もちろん、警察へ」とイワンは答えたが、い 日取・後に、きつばりと一一 = ロった。 「わたしは正常です」 確信もなさそうで、教授の視線にいくぶん当惑させられたよ うだった。 「そ , つ、それで結構」ほっとしたようにストラヴィンスキイ は大声を出した。「それでしたら、理論的に検討してみるこ 「ここから ~ 旦接 ? 」 とにしましょ , つ。昨・日のことからはじめましょ , つ」ここで教「 , ん , ん : ・・ : 」 「ご自宅にはお寄りにならないのですか ? 」とストラヴィン 授がふり返ると、すぐさま、イワンの調査表が手渡された。 「ポンテイウス・ビラトの知合いと名乗った見知らぬ男を追スキイはすばやくたずねた。 跡して、あなたは昨日つぎのようなことをしました」ストラ「寄る暇なんてあるものですか ! わたしが家に寄ったりし ヴィンスキイは調査表とイワンの顔を交互に見ながら、長いていたら、そのあいだに、あいつは姿をくらましてしまいま 指を折り曲げはじめた。「聖像画を胸にぶらさげた。そうですよ ! 」 タ 「なるほど。それで、警察では、まずなにから話しだすので すね ? 」 「そうです」とイワンは不機嫌に答えた。 「ポンテイウス・ピラトのことです」とイワンは答え、その 「塀から落ちて、顔に怪我をした。そうですね ? 火をとも マ ろうそく 砒した蝦燭を片手に、下着だけでレストランに現われて、レス瞬間、彼の目が曇 0 た。 巨 「そう、それで結構 ! 」打ちのめされたようにストラヴィン トランで誰かを殴りつけた。あなたは縛られてここに連れて こられた。ここに連れてこられるや、あなたは警察に電話し、スキイは叫び、ひげを生やした男のほうをふり返って命令し ーリエヴィチ、どうかべズドームヌ た。「フヨードル・ワシ 機関銃で武装した警官隊の出動を要請した。それから、窓か
いうのに、下着だけで : : : ぐあいもよくないのだから、ここ がった。「もう二時か、あんたたちと話をして時間をむだに にお・汨まりなき、い ! 」 してしまった ! ちょっと失礼、電話はどこです ? 」 「通してくれ」とイワンはドアを固めた看護助手たちに言っ 「電話のところに行かせてやりなさい」と医者は看護助手た た。「通してくれ、それとも通さないつもりか ? 」と詩人は ちに命令した。 恐ろしい声で叫んだ。 女は小声でリュ イワンが受話器をつかみ、そのあいだに、 リューヒンは震えだし、女のほうが机のボタンを押すと、 ーヒンにたすねた。 ひかびか光る金属製のケースと封 机のガラスばりの表面に、。 「・彼は娃婚してい亠まオ・・か ? ・」 印されたアンプルがとび出した。 「独身です」とリューヒンはびつくりしたように答えた。 「ああ、そういうつもりだったのか製」イワンは驚いたよう 「組合員ですか ? 」 な、追いつめられたような目であたりを見まわしながら一一一一口っ 「そうです」 おさらばだ : た。「よし、それならそれでもいし 「もしもし、警察ですか ? 」とイワンは電話に向かってどな りはじめた。「警察ですね ? 当直のかたですか、外国から言うなり、シャッターのおりた窓に頭から突進した。窓にぶ つかる激しい立日が鳴り〔いたが、しかしシャッターの向うの 来た特別顧問を逮捕するために、機関銃とオートバイを五台、 出動するように緊急手配してください。なんです ? こちらガラスはひび割れもせすに画突に耐え、一瞬ののちには、イ ワンは看護助手たちの腕に押えられ、もがきまわっていた。 に寄ってください、わたしも一緒に行きます : : : こちらは詩 人のべズドームヌイ、精神病院からです : : : こちらの住所彼は声をからして喚き、噛みつこうとし、叫んだ。 てのひら 「立派なガラスなんか入れやがって ! : : : 放せ ! 放せと言 は ? 」イワンは受話器を掌でおおいながら声を低めて医者 タにたすね、それからふたたびどなりはじめた。「聞こえますっているんだ ! 」 わめ 注射器が医者の手に光り、女ははころびかけたシャツの袖 か ? もしもし ! 失敬じゃよ、 オしカ ! 」とイワンは突然喚き ガ だし、受話器を壁に投げつけた。それから医者のほうに向きをさっと引き裂き、とても女とは思えぬほどのカでイワンの マ レ」 直ると、手を差し出し、「さようなら」とそっけなく言って、腕にしがみついた。エーテルの匂いを嗅ぐと、イワンは四人 巨 の腕に押えつけられてぐったりとなり、その瞬間を抜け目な 出て行こうとした。 「ち一よっと、 いったいどこへ行こうというのです ? 」と医者く利用して医者は腕に注射した。さらに何秒かのあいだ、イ ワンはそのまま人々の腕に支えられていたが、やがてソファ はイワンの目を覗きこみながら言った。「こんな夜ふけだと