1258 一九〇五ソログープ『小悪魔』、クプリーン「決闘』 一部』、・ショ 一九〇六 ・アンネンスキー「鏡の巻 ( ー〇九 ) 、・フローク「見知らぬ ( 一三 ) 女』 カフカ『変身』 ( 一五 ) シェフ『サーニン』 一九〇七ゴーリキー『母』、アルツイバー モーム「月と六ペンス』 ( 一九 ) 一九〇九ペールイ『銀の鳩』、 > ・イワノフ「熱き心』 ( ー ヴァレリー「海辺の墓地』 ( 二〇 ) 一九一〇プーニン「村』、レーミゾフ「十字架の姉妺』、グミリョフ「真ビランデッロ『作者を探す六人の登場 珠フレープニコフ「笑いによる呪文』 人物』、魯迅「阿正伝』 ( 二 シメリョフ「レストランのポーイ』、ゴーリキーイタリア物賀直哉「暗夜行路 ( 二一ー三七 ) 辛亥革命 ( 一 語 ( ー一五 ) ジョイス『ュリシーズ』、・ T) ・エ ・ハルカン戦争 ( 一二ー 一九一ニッヴェターエワ『幻灯』、フレープニコフ「イとエ』 リオット『荒地』 ( 二一 D 、マルタン・第一次世界大戦 ( 一四ー一 ペールイ「ペテルプルグ』 ( ー一四 ) 、ローザノフ「落葉』 ( ー デュ・ガール「チボー家の人々 ( 二ロシア十月革命 ( 一七 ) 一五 ) 、マンデリシュターム『石』 二ー四〇 ) プレスト・リトフスク講和条約。ロシ 一九一五マヤコフスキー「ズボンをはいた雲』 ラディゲ「肉体の悪魔』 ( 二三 ) ア、ポリシエヴィキ党の単独政権 ( 一 プローク曰十二』、マヤコフスキー「ミステリヤ・ブッフ』 フィッツジェラルド「偉大なギャッ八 ) 一九ニ〇ザミャーチン「われら』 ( ー二一 ) 、エセーニン「僕は最後の農ビイ』、ドライサー「アメリカの悲劇』モスクワでコミンテルン成立 ( 一九 ) 村詩人』 ( 二五 ) 国際連盟成立。ロシア全土で国内戦ほ 一九ニ一 < ・ Z ・トルストイ「苦脳の中を行く』 ( ー四一 ) ヘミングウェイ「日はまた昇る』、カば終結 ( 二〇 ) 一九ニニマンデリシュターム「トリスティア』、パ ステルナーク『わがフカ「城』 ( 二六 ) ワシントン軍縮会議。ロシアで新経済 妹人生』、アフマートワ「西暦一九二一年』、エレンプルグフモー 丿アック「テレーズ・デスケル政策 ( ネップ ) 開始 ( 二一 ) リオ・フレニトの遍歴』、ゾーシチェンコ「シネプリューホフ ー』 ( 二七 ) ソヴィエト連邦成立 ( 二三 ) 物語 ロレンス「チャタレイ夫人の恋人レーニン没 ( 二四 ) 一九ニ三マヤコフスキー『これについて』、トロッキー『文学の革命』 イエーツ「塔』、プレヒト『三文オペロシアプロレタリア作家同盟結成 ( 二 グリーン「真紅の帆』、プリーシヴィン『カシチェーイの鎖』ラ』 ( 二八 ) 五 ) ( ー五四 ) フォークナー「響きと怒り』ハ一 一九ニ四工セーニン「ソヴィエトのルーシ』、フェージン『都市と歳月』 ル『マルセル』、コクトー『恐るべきソ連、第一次五カ年計画案発表 ( 二 トウイニャーノフ「詩的一一 = ロ語の問題』 子供たち』、レマルク『西部戦線異状八 ) 一九ニ五シクロフスキー「散文の理論』、プーニン『ミーチャの恋』、エなし』、・グリーン『生きること』 トロッキー国外へ。ソ連で強制的農業 セーニン『ベルシャのモチーフプルガーコフ『運命の卵』、 ( 二九 ) 、島崎藤村『夜明け前』 ( 二九集団化の開始 ( 二九 ) 罰犬の心臓』、ザイツェフ『黄金の模様』 ー三五 ) ロンドン軍縮会議 ( 三〇 ) ー・ヘリ『騎兵隊』、ピリニャーク『消されない月の話し サン日テグジュペリ『夜間飛行』、パ 満州国成立 ( 三一 l) アメリカでニューディール始まる。ド 一九ニ七プラトーノフ『チエヴェングール』 ( ー二八 ) 、ベルジャーエフ ール・バック「大地』 ( 三一 ) コールドウエル「タバコ・ロード 自由な精神の哲学』 』ィッ、ナチス政権樹立。ソ連で社会主 『ビグマリオン』ストルイ。ヒンの農業改革 ( 〇六 ) 英仏露協商 ( 〇七 )
ゴーリキー 1148 八一ー三年 ( 十三ー十五歳 ) ヴォルガ定期船の皿洗い、再びセルゲーエフ家の徒弟、聖像画房の 見習い小僧などを転々とする。定期船のコック、スムールイによっ て読書への目を開かれる。 ・一八八四年 ( 十六歳 ) ・一八六八年 八月、大学入学を志してカザンへ行くが、果たせす、波止場人足な 三月十六日 ( 新暦二十八日 ) 、アレクセイ・マクシモヴィチ・。へシ ハン店主デレンコフと知り合い ど最下層の生活をおくる。十月、 ニージニイ・ノヴゴロド ュコフ ( 筆名マクシム・ゴーリキー ) 、 店に集まる進歩的、人民主義 ( ナロードニキ ) 派的青年学生と交友 ( 一九三二ー一九八九年の間ゴーリキー市 ) に生まれる。父マクシをもつ。 ム・サヴァチエヴィチはベルミ出身の家具職人。母ヴァルヴァー ・一八八五年 ( 十七歳 ) ラ・ヴァシーリエヴナは染物組合の長老カシーリンの娘 十一月、セミョーノフ製パン工場で働く。 ・一八七一年 ( 三歳 ) 、八六年 ( 十八歳 ) 七月、息子から感染したコレラで父死去。享年三十一歳。九月、母夏、デレンコフ・。ハン店に移る。主人の妹マリア・デレンコヴァに とともに祖父カシーリ、し ノこ引き取られる。 恋する。人民主義やマルクシズムの文献に接する。 ・一八七三年 ( 五歳 ) ・一八八七年 ( 十九歳 ) 母、出奔。以後おもに祖父母に教育される。 二月十六日、祖母死去。十二月十二日、孤独感、生活への絶望など ・一八七六年 ( 八歳 ) からピストル自殺を図る。 八八八年 ( ニ十歳 ) 一月、教区学校に通う。春、母再婚。この頃、祖父の家零落し、貧 民街に移る。 六月、カザン近郊クラスノヴィードヴォ村で啓蒙活動を行なってい ・一八七七年 ( 九歳 ) た人民主義者ロマーシの誘いで村に入るが、失敗し、村を去る。秋、 クナーヴィンスク初等学校へ入学。 カスピ海の漁師、ついでタンポフ県ドプリンカ駅の警備員となる。 ・一八七九年 ( 十一歳 ) ・一八八九年 ( ニ十一歳 ) 八月五日、母、肺結核で死去。享年三十七歳。秋、ポルフノフ靴店一月、クルターヤ駅勤務。五月、ニージニイ・ノヴゴロドへ帰り、 に小僧として住み込む。 弁護士ラーニンの書記となる。十月、学生革命家隠匿のかどで逮捕 ・一ハ八〇年 ( 十ニ歳 ) される。翌月釈放。以後、一七年の革命まで警察の監視下におかれ やけど 五月、火傷をして靴店をやめる。九月、遠縁にあたる製図家セルゲる。この頃、詩イ 乍を行なう。年末から翌年二月にかけてコロレンコ ーエフのもとに住み込む。 を訪問する。この翌年、ノイローゼ気味。 ゴーリキー年譜
作家と作品 ここに訳出した ハの滅亡を予言した『トラスト・』 ( 二三 ) 、 「農場主のパイプ」を含むオムニバス短編集「十三本のバイプ』 ( 二 三 ) で文名を確立した。 三〇年代に入ると、ソ連作家としての立場を明確に打ちだし、社 会主義建設をテーマとした『第二の日』 ( 三三 ) 、共産主義社会の愛 とモラルを扱った「息もっかずに』 ( 三五 ) と二つの長編を発表す るが、芸術的完成度は十分と一一 = ロえない ばつばっ 、パリ陥落、ナチスの崩壊、そして戦後の 第二次大戦の勃発から ィリヤ・グリゴリエウイチ・エレン・フルグ ( 一八九一ー一九六米ソの冷戦と、ヨーロッパの激動期を描いた長編三部作「。ハリ陥 あらし 七 ) は、キエフの中流ユダヤ人の家庭に生まれ、少年期をモスクワ落』 ( 四一 ) 、『嵐』 ( 四二ー四四 ) 、『第九の波』 ( 五一ー五二 ) でス で過ごした。十五歳で革命運動に加わり、逮捕、投獄。一九〇八年ターリン賞を受け、さらに平和運動家として五二年スターリン平和 に亡命、ポヘミャンの作家、芸術家たちと交際を深め、一〇年賞を受賞した。 五三年のスターリンの死を契機に生じた社会の空気の変動を中編 に唯美的な処女詩集を出版する。一七年のロシア革命を歓迎して帰 国するが、すぐに革命と国内戦の血なまぐさい現実に幻滅し、二一 『雪どけ』 ( 五四 ) で描き、評論『作家の仕事について』 ( 五三 ) で 年に新聞の特派員という資格でバ リに出る。これ以後四一年までのは、文学は人間の内面世界を描くべきであると強調した。ライフワ ークである回想『人間・歳月・生活』 ( 六一ー六五 ) は、粛清され 永い期間ヨーロッパで生活し、三六ー三七年にはスペイン内戦にも しんらっふうし こ乍家、詩人をはじめて正面から取りあげた時代の貴重な証言とし 参加する。一一二年、資本主義社会の内実を辛辣な諷刺であばいた長オイ 編「フリオ・フレニトの遍歴』で小説家としてデビュー ヨーロッて、高く評価されている。
プラトーノフ 1202 衝撃を受ける。共産党脱党。 ・一九ニニ年 ( ニ十三歳 ) 鉄道技術専門学校卒業。県農地局に加わり、水資源活用を中心とし た農地改良事業に精力的に取り組む。また「苦難における平等」を はじめ農地改良事業に関する数十の論文を地方紙に一九二四年にか しんえん ・一八九九年 けて発表する。詩集「空色の深淵』を出版。翌年、この詩集に対し アンドレイ・プラトーノヴィチ・プラトーノフ ( 本名クリメーントてブリューソフによる好意的な批評が出る。短編「太陽の子孫」発 フ ) は、九月一日 ( 旧暦八月二十日 ) モスクワの南東部、ヴォロネ表。この頃、イコン画家の娘、マリヤ・アレクサンドロヴナ・カシ ジ近郊のヤムスカヤ村 ( ″宿場街〃の意味をもっ ) に、、 ノ人兄弟の エンツェワと吐婚。 長男として生まれる。父は鉄道修理工だった。 ・一九ニ三年 ( ニ十四歳 ) ・一九一三年 ( 十四歳 ) ドン河水力発電所建設委員会委員長となる。長男プラトン誕生。 教区学校と四年制学校を卒業後、大家族を養う父を助けるため、鋳 ・一九ニ四年 ( ニ十五歳 ) 物工や機関士などとして働きはじめる。この少し前、十二、三歳の県農業電化事業部の責任者も兼任し、農村の電化事業に携わる。短 頃から詩イ 乍を始める。 編「渦」で「赤い畑」誌編集部賞を受賞。 ・一九一八年 ( 十九歳 ) ・一九ニ六年 ( ニ十七歳 ) ヴォロネジ鉄道技術専門学校の電気工学科に入学、同じ頃から「ヴモスクワから召喚され、農業人民委員部に籍をおき、後タンポフ県 オロネジのコミューン」、「赤い村」紙等の地方新聞や雑誌にエッセ に派遣される。短編「月砲弾」発表。短編「電気の故郷」執筆 ( 一 イ、詩などを発表しはじめる。 九三九年発表 ) 。中編「エーテルの道』執筆 ( 一九六八年発表 ) 。 ・一九一九年 ( ニ十歳 ) ・一九ニ七年 ( ニ十八歳 ) 赤軍に入り一九二一年まで国内戦に参加。ェッセイ「芸術につい モスクワへ移り、本格的に文学の仕事を始める。作品集エビファ て」発表。 ニの水門』を出版、短編「イリイチの消えたランプ」、「砂の女教 ・一九ニ〇年 ( ニ十一歳 ) 師」、中編「グラドフ市』等を収録。この作品集はゴーリキーに高 ェッセイ「土地改良」、「キリストと我ら」、「世界の魂」、「プロレタ く評価される。中編『ャムスカヤ村』発表。長編『チエヴェングー リアート文化」等発表。共産党入党。 ル』の執筆開始 ( 一九二九年完成、一九八八年発表 ) 。 ・一九ニ一年 ( ニ十ニ歳 ) ・一九ニ八年 ( ニ十九歳 ) 初めての著書、エッセイ集『電化』がヴォロネジで出版される。短作品集『秘められた人間』出版。短編「漁師の子孫」、「冒険」発表。 かんばっ 編「マルクン」発表。ヴォルガ沿岸地帯で大旱魃。技師として強い これらは『チエヴェングール』の断章である。ピリニャークと共同 プラトーノフ年譜 ロケット
一八ニ九レールモントフ「悪魔』 ( ー四一 ) 、チャアダーエフ「哲学書ゲーテ『ファウスト』 ( 〇八 ) アメリカ独立宣一一 = ロ ( 七六 ) バイロン『チャイルド・ハロルドの遍フランス革命 ( 八九 ) 歴』 ( 一二ー ナポレオン車、モスクワに侵入 ( 一 に一八三〇プーシキン『ペールキン物語』 一八三五ゴーゴリ『ミルゴロド』、『アラベスキ』 ホフマン黄金の壺』 ( 一四 ) ゴーゴリ「検察官』、ベストウージェフⅡマルリンスキー『ムオースティン「エマ』 ( 一六 ) アメリカ、モンロー宣一言 ( 二三 ) ラⅡヌール』 ラム「エリア随筆』 ( 二三ー ロシア、デカプリストの乱 ( 二五 ) 一八三九チュッチェフ「春』、レールモントフ『現代の英雄』 ( ー四〇 ) ハイネ「歌の本』 ( 二七 ) フランス七月革命 ( 三〇 ) 。ポーラン 一八四一ゲルツェン「誰の罪か』 ( ー四六 ) 、 < ・・トルストイ『吸血スタンダール「赤と黒』 ( 三〇 ) ドの独立革命 ( 三〇ー三一 ) 鬼』 バルザック「谷間の百合』 ( 三六 ) アヘン戦争 ( 四〇ー四二 ) 一ハ四ニゴーゴリ「外套』、死せる魂』、バラトウインスキー薄明』 ポー「アッシャー家の崩壊』 ( 三九 ) 一八四四オドエフスキー「ロシアの夜』 アンデルセン「絵のない絵本』 ( 四〇 ) 一八四六ドストエフスキー「貧しき人々』 デイケンズ『骨董屋』 ( 四一 ) 一八四七ゴンチャロフ『平凡物語』、ツルゲーネフ『猟人日記』 ( ー五メリメ「カルメン』 ( 四五 ) フランス二月革命、ドイツ三月革命、 デュマ「モンテⅡクリスト伯』 ( 四六 ) マルクス / エンゲルス「共産党宣一言」 一八四八チュッチェフ『海と巌』、ペリンスキー『一八四七年のロシア・プロンテ「嵐が止』、 O ・プロン ( 四八 ) 文学概観』 テ『ジェイン・エア』 ( 四七 ) ロシアでベトラシェフスキー事件 ( 四 一八五ニ・トルストイ『幼年時代』、「コサック』 ( ー六三 ) 、ゲルツエサッカレー「虚栄の市』 ( 四七ー四八 ) 九 ) ン「過去と思索』 ( ー六 ホーソン「緋文字』 ( 五〇 ) クリミア戦争 ( 五三ー五六 ) 一八五六・アクサーコフ『家族の記録』、ツルゲーネフ『ルージン』、 インド、セポイの反乱 ( 五七ー五九 ) メルヴィル「白鯨』 ( 五一 ) サルトウイコフⅡシチェドリン『県の記録』 ( ー五七 ) ストウ夫人「アンクル・トムの小屋』 ( 五一 l) 一八五九ゴンチャロフ「オプローモフ』、ツルゲーネフ『貴族の巣』、 ロシア、清と愛琿条約 ( 五八 ) プロリューポフ『オプローモフ気質とは何か』、『闇の王国』 ポードレール「悪の華』、フロペール < ・オストロフスキー『雷雨』 「ポヴァリー夫人』 ( 五七 ) ロシア、農奴解放令発布 ( 六一 ) 。ア 一ハ六〇ツルゲーネフ『初恋』 ダーウイン種の起源』 ( 五九 ) メリカで南北戦争 ( 六一ー六五 ) 八六一ドストエフスキー『死の家の記録』 ( ー六一 l) ・エリオット『サイラス・マーナ 八六三チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか』、ダーリ『現用大ー』 ( 六 ポーランド反乱 ( 六三ー六四 ) 。ロシ ロシア語詳解辞典』 ( ー六七 ) キャロル「不思議の国のアリス』 ( 六アで司法行政・地方行政の改革 ( 六三 一八六四ドストエフスキー『地下室の手記』 五 ) ー六五 ) 一八六五。ヒーサレフ『美学の破壊』、レスコフ『ムツェンスク郡のマク ドーデ『風車小屋だより』 ( 六六 ) アメリカ・アラスカを買収 ( 六七 ) ベス夫人』、・トルストイ『戦争と平和』 ( ー六九 ) ュゴー『レ・ミゼラブル』 ( 六七 ) ドストエフスキー罪と罰』、 Z ・ネクラーソフ「誰にロシアフロべール『感情教育』 ( 六九 ) は住みよいか』 ( ー七六 ) ランポー『地獄の季節』 ( 七三 )
プルガーコフ 1 182 ひめ ギムナージア八年生の夏、サラトフからキエフの伯母のもとへ遊び に来ていたタチアーナ・ニコラーエヴナ・ラッパ 九八一 l) と知り合う。 ・一九〇九年 ( 十八歳 ) ギムナージアを卒業し、八月、キエフ大学医学部に入学。 ・一八九一年 ・一九一三年 ( ニ十ニ歳 ) 五月二日、ミハイル・アファナーシエヴィチ・プルガーコフ、キエ四月二十六日、タチアーナ・ニコラーエヴナと結婚。 フに生まれる。父アファナーシイ・イワノヴィチ ( 一八五九ー一九 ・一九一四年 ( ニ十三歳 ) 〇七 ) はキエフの神学校教授。宗教史が専門で、検閲局にも勤務し第一次世界大戦が勃発した夏休み、サラトフにある義母の経営する ていた。母ワルワーラ・ミハイロヴナ ( 一八六九ー一九〇七 ) は司病院で働く。初めての本格的な医療経験となる。 教の娘で、ふたりの兄弟はいずれも医者だった。ミハイルはプルガ ・一九一六年 ( ニ十五歳 ) ーコフ家の長子で、二人の弟と四人の妹がいた。 四月六日、大学を卒業。キエフの病院に勤務したのち、看護婦であ ・一八九八年 ( 七歳 ) った妻とともにウクライナ南西部にて軍医として働く。九月、スモ 初めての創作『蛍の冒険』を書く。 レンスク県のニコルスコ工村にゼムストヴォ ( 県会 ) 派遣の医師と ・一九〇〇年 ( 九歳 ) して赴任。地位はロシア軍予備士官だった。 キエフ第二ギムナージアに入学。 ・一九一七年 ( ニ十六歳 ) ・一九〇一年 ( 十歳 ) 三月十二日、二月革命勃発。九月、ヴャーゼマの病院に移る。この ころ 八月二十二日、名門のキエフ第一ギムナージアに入学し直す。ギム頃モルヒネ中毒にかかるが、習慣的に作品を書き始める ( 習作「緑 ナージア時代のプルガーコフは、成績は普通だったが、ゴーゴリ 色の蛇』第一の色』等 ) 。十一月六日、十月革命勃発。十二月初め、 プーシキン、トルストイ、レスコフ、シチェドリン等の文学作品をモスクワに向かい、除隊を願い出るが、却下される。 つばき よく読んだ。他の学生同様、大のオペラ好きで、「アイーダ」「椿・一九一八年 ( ニ十七歳 ) 姫」「ファウスト」等のアリアや二重唱をやわらかなバリトンで歌二月十九日、健康の理由で除隊の許可を得、妻とともにキエフに戻 ゲトマン ったとい , っ る。四月、ドイツ車の支援によってウクライナ・コサックの首長ス かいらい ・一九〇七年 ( 十六歳 ) コロバッキイの傀儡政権がキエフに成立。プルガーコフは首長の車 じんぞう 三月十四日、父親、腎臓硬化症にて死去。享年四十八歳。母は七人隊に動員されたが、十一月、スコロバッキイが逃亡したのを機に戦 の子を養うため、教職に就く。 線離脱する。シモン・ベトウリューラ率いるウクライナ民族車がキ ・一九〇八年 ( 十七歳 ) エフに入城し、政権を掌握する。 プルガーコフ年譜 ばつばっ
1255 ロシア文学史年表 ロシア文学史年表 世界の文学 西暦ロシアの文学 キエフ・ルーシのウラジーミル大公、 「ロランの歌』 ( 一〇九〇頃 ) 一〇五六「オストロミール福音書』 ( ー五七 ) 『ニー・ヘルンゲンの歌』 ( 一二〇〇頃 ) キリスト教を国教とする ( 九八八 ) 一〇八〇代ネストル「フェオドーシー聖人伝』 ダンテ「神曲』 ( 一三〇七ー二一頃 ) 第一回十字軍 ( 一〇九六ー九九 ) 一一一三頃ネストル等气原初年代記』 チンギス Ⅱハン即位 ( 一二〇六 ) 吉田兼好『徒然草』 ( 三〇ー三一 ) 一ニ世紀ウラジーミル・モノマフ公『子らへの教訓』 ( 世紀前半 ) ポッカチオ曰デカメロン』 ( 四八ー五モンゴル・タタール軍によるロシア征 一一ハ七頃「イーゴリ遠征物語』 服 ( 一二三七ー一四八〇 ) 一頃 ) 一ニ〇〇頃「囚人ダニールの祈願』 チョーサー「カンタベリー物語』 ( 一百年戦争 ( 一三三九ー一四五三 ) 一三八〇「ザドンシチナ』 ( ー九〇頃 ) 東ローマ帝国滅亡 ( 一四五三 ) 四〇〇 ) 一五六四イワン四世とクールプスキー「往復書簡』 ( ー七九 ) コロンプス、新大陸発見 ( 九二 ) ラブレー「ガルガンチュア』 ( 一五三 一七世紀「不幸物語』 ( 世紀中頃ー後半 ) ルター、九十五箇条を発表 ( 一五一 四 ) 一六七ニアヴァクーム曰自伝」 ( ー七五 ) シェイクスピア「ハムレット』 一六七七シメオン・ポーロッキー『百花の庭園』 ( ー七八 ) イワン四世、正式にツアーリの称号を 〇三 ) 一七ニ九カンテミール曰風刺詩』 ( ー三九 ) セル・ハンテス『ドン・キホーテ」 ( 〇採用 ( 四七 ) 一七三五トレジャコフスキー曰新簡約ロシア詩作法』 英国、ス。ヘインの無敵艦隊破る ( 八 一七三九ロモノーソフホチーン占領に捧ぐ頌詩』、ロシア詩法に関す五ー一五 ) モリエール「女房学校』 ( 六一 D る書簡 一一コンの宗教改革、分離派教徒の発生 ミルトン『失楽園』 ( 六七 ) 一七四七スマローコフホレーフ』 スウイフト「ガリヴァ旅行記 ( 一七 ( 一六五四 ) 一七八ニフォンヴィージン曰親がかり』、デ - ルジャーヴィン曰フェリー ステンカ・ラージンの乱 ( 七〇 ) スターン曰トリストラム・シャンデピヨートル一世即位 ( 八一 D 一七九〇ラジーシチェフ「ペテル。フルグからモスクワへの旅』 英国、名誉革命 ( 八、 イ ( 六〇ー六七 ) 一七九ニカラムジーン曰哀れなリーザ』 ネルチンスク条約締結 ( 八九 ) ルソー曰エミール』 ( 六一 l) ジュコーフスキー「タベ』 北方戦争 ( 一七〇〇ー二一 ) プレイク曰無垢の歌新 ( 八九 ) 一八〇九クルイローフ曰寓話詩集 ワーズワース / コールリッジ曰抒情歌ペテルプルグ市建設開始 ( 〇三 ) 一八ニ四グリポエードフ曰知恵の悲しみ』、プーシキン「ポリス・ゴド 工カテリーナ二世即位 ( 六二 ) 謡集』 ( 九八 ) ウノフ ( ー二五 ) ポーランド分割 ( 七二ー九五 ) シラー曰ヴィルヘルム・テル」 ( 一 一八ニ五ルイレーエフ曰ヴォイナロフスキー』、プーシキン『エヴゲー ブガチョーフの乱 ( 七三ー七五 ) 〇四 ) ニイ・オネーギン新 ( ー三一 l) 社会の動き ( 安岡治子編 )
」 1 羡 aH 「田舎の庭の粘土造りの家』 「 JIHHflHbIli JL()M B ye3AHOM ノ 『三男坊』 TpeTHli CbIH 「不死 beCCMepTHe 「フロー』 「セミ ( ョ , ーン』 CeMeH 「ポッダニ川』 PeKa FlOTY'JWHb 『プーシキンは我らが同志』 CIYLI]KHH Ha[11 T()BaPHl-IL 「プーシキンとゴーリキー』 IIYLIJKHH H 「 OPbK 一、三 「バーヴェル・コルチャーギン』 [laBeJI KopqaI*HH 「十四軒の赤い百姓家』 一 4 KpacHblX H36Y11RK ) 人類撲滅〃について ( チャベック論 ) 』 0 <<JIHKBHJI&ILII 、 IH 【 IeJI()BeqeCTBa 》 『霧の青春の朝焼け』 Ha 3ape TYMaHH()li K)HOCTH 『七月の雷雨』 (K)JIbCKafl 一・ P()3a 『人々の方へ ( ヘミングウェイ論 ) 』 HaBcTpeqy 三 0 第 flM 作品集一九三七 評論一九三七 評論一九三七 評論一九三七 戯曲一九三七 評論一九三八 評論一九三八 ノニ = ロ / 1 = 一口 / 二二ロ / 二 = ロ 「夜半の空を』 = ( ) He6y 110JIYH0t1H 『年老いた機関士』 CTaPbIÜI N'1exaHl 、 IK 「マヤコフスキーについて』 Pa3Mb1111JIeHHfl 0 MUIKOBCKOM 『美しく烈しい世界で』 B npeKpacHOM 一、一 flPOCTHOM MHpe 「祖国の空の下で』 = 0 洋 He6ecaMH P()AldHbI 『意気に感じた人々』 OAYXOTBOpeHHbIe JIK)AH 『民衆の中で』 CpeJIH HaPOJLa よろい 「山豆 bPOHfl 『祖国の話』 PaCCKa3bI 0 P()JLHHe 「故郷の樹』 LLepeB0 P()JIHHbI 「サンポ』 CaMIlO 『小さな兵士』 MaJleHbKHli C()JIJWT 『屈強な婆さん』 )KeJIe3Hafl CTapyxa 『将校と兵卒』 ()(I)HIRP H C()JIJWT 『少女ローザ』 LleBY111Ka P03a 小説一九三九 小説一九四〇 評論一九四〇 ト兇一九四一 作品集一九四二 小説一九四二 ト兇一九四二 作品集一九四三 作品集一九四三 ト兇一九四三 ト兇一九四三 小説一九四三 小説一九四三 ト兇一九四四 小説一九四四 / 二 1 一口 / 一三ロ / ニ = ロ
と短編』一、二巻を出版し、大好評を博する。五月六日、二度目の ・一八九一年 ( ニ十三歳 ) 四月、南ロシア放浪に出る。十二月、チフリスの鉄道工場に職を得逮捕。チフリスの革命家たちとの関係について取調べをうける。同 る。 月二十八日、釈放。秋、チェーホフとの文通はじまる。 ・一八九九年 ( 三十一歳 ) ・一八九ニ年 ( ニ十四歳 ) 「人民の意志」派の革命家カリュージヌイと知り合い、その勧めで三月、療養のためャルタへ行き、チェーホフと会う。長編『フォマ ・ゴルヂエーエフ』、短編「二十六人の男と一人の少女」他を発 創作を始める。九月、初めてマクシム・ゴーリキーの筆名で処女作 「マカール・チュドラー」がチフリスの「カフカーズ」紙に掲載さ表。『オーチェルクと短編』第三巻出版。 ・一九〇〇年 ( 三十ニ歳 ) れる。十月、ニージニイへ帰り、再びラーニンの書記をつとめる。 一月、モスクワでレフ・トルストイと会う。三月、レオニード・ア 十二月、九歳年長の人妻オリガ・カミンスカヤ夫人と同棲する。 ンドレーエフと会う。春、ヤルタのチェーホフ邸でモスクワ芸術座 ・一八九三年 ( ニ十五歳 ) ズナーニエ の一行と知り合い、戯曲執筆を約束。「知識」社の創立に加わる。 モスクワの「ロシア報知」紙に短編「エメリャン・ピリャーイ」 「ヴォルガ報知」紙に、「嘘つきのまひわと正直なきつつき」他を発中編『三人』他を発表。 ・一九〇一年 ( 三十三歳 ) 表。コロレンコの指導、庇護を受ける。 三月、『海つばめの歌』を「生活」誌に発表 ( この作品掲載のかど ・一八九五年 ( ニ十七歳 ) で雑誌「生活」は発禁となる ) 。四月十七日、革命宣伝活動の理由 二月、コロレンコの紹介で「サマーラ新聞」の記者となり、サマー ラへ居を移す。これを機にカミンスカヤ夫人との同棲を解消。こので逮捕される。五月十七日、病気のため釈放され、自宅監禁となる。 年、短編「イゼルギリ婆さん」「黒海にて」 ( 「鷹の歌」初稿 ) 「チェ九月、アルザマス流刑の判決をうけるが、十月、ヤルタを除くクリ ミア南岸への転地療養を許される。九月、処女戯曲「小市民」を脱 ルカーシ」「秋の一夜」などを発表。 稿。年末、『どん底』を起稿。 ・一八九六年 ( ニ十八歳 ) ・一九〇ニ年 ( 三十四歳 ) 五月、「ニジェゴロド」紙へ移る。八月、「サマーラ新聞」の校正係 二月、ロシア科学アカデミー名誉会員に選出されるが、ニコライ二 をしていたエカテリーナ・ ーヴロヴナ・ヴォルジナと結婚。秋ご 世の命により取り消される。コロレンコとチェーホフはこれに抗義 ろから肺結核を病む。短編「憂愁」などを発表。 して、名誉会員を辞する。三月二十八日、モスクワ芸術座によって ・一八九七年 ( ニ十九歳 ) 『小市民』が初演される。五月、アルザマスへ流刑となる。六月、 觴一月、文学基金協会の援助をえて、クリミアへ療養に行く。七月、 曰どん底』を脱稿。九月、ニージニイへ帰る。十二月十八日、芸術 長男マクシム誕生。短編「零落者の群れ」等を発表。 座による『どん底』の初演。 ・一八九八年 ( 三十歳 ) ・一九〇四年 ( 三十六歳 ) 一月、ニージニイへ帰る。それまでの作品を集めた「オーチェルク
・一九四六年 ( ニ十八歳 ) ? 囚人のみから成る科学研究所に入れられ、研究に従事。ここが『煉 獄のなかで』の舞台となる。 ・一九五〇年 ( 三十ニ歳 ) 北カザフスタンの炭鉱地帯の収容所で作業に従事。ここが『イワ ン・デニーソヴィチの一日』の舞台となる。収容所で石工と鋳造工 ・一九一八年 コーカサスのキスロヴォーック市に生れる。誕生の数カ月前、父死の仕事を覚える。 ・一九五三年 ( 三十五歳 ) 亡。南ロシアのロストフ市で母親に育てられる。同市の十年制中学 を卒業後、ロストフ大学の物理・数学科に学ぶ。在学中、モスクワ二月、八年ぶりに釈放。三月、スターリン死去。収容所を出てのち、 カザフスタン、ジャンプール州へ追放、流刑生活を送る。腫瘍悪化 歴史・哲学・文学大学文学部の通信教育課程をとる。 のため、タシケントの病院に入院、ここが『ガン病棟』の舞台とな ・一九四一年 ( ニ十三歳 ) 六月、ロストフ大学卒業。ロストフ州モロゾフスク市の中学教師とる。 なる。独ソ開戦。十月、応召し、輸送部隊に配属、馬丁として勤務・一九五四年 ( 三十六歳 ) ? 戯曲『鹿とラーゲリの女』執筆。つづいて『煉獄のなかで』執筆。 する。 ・一九五六年 ( 三十八歳 ) ・一九四ニ年 ( ニ十四歳 ) 青年将校養成所に入り、そこの課程を卒えたのち、ゴーリキー市でカザフスタンのコク・テレン部落に居住、同部落の数学教師となり、 勤務。この途中の見聞が「クレチェトフカ駅の出来事」を生む。そ「マトリヨーナの家」を体験。ソ連共産党二十回大会でスターリン 批判。流刑を解かれ、ロシアへ帰る。 の後、砲兵中隊に入って、各地を転戦。 ・一九五九年 ( 四十一歳 ) ・一九四三年 ( ニ十五歳 ) 映画シナリオ『戦車は真実を知る』執筆。リヤザン市の中学校の物 八月、祖国戦争一一等勲章を受ける。 理・数学教師となる。『イワン・デニーソヴィチの一日』脱稿 ・一九四四年 ( ニ十六歳 ) ・一九六〇年 ( 四十ニ歳 ) ? 砲兵大尉となり赤い星勲章を授与される。 秋、「マトリヨーナの家」完成。戯曲「風にゆらぐ灯火』執筆。 ・一九四五年 ( ニ十七歳 ) ・一九六一年 ( 四十三歳 ) 二月、友人への手紙でスターリンを批判したかどで、東プロシャの カリーニングラード近郊で逮捕され、モスクワのリュビャンカ刑務『煉獄のなかで』完成。十一月、『イワン・デニーソヴィチの一日』 志こ出す。 所に入る。五月、対独戦終結。裁判で八年の刑を宣告されて矯正労コーベレフを通じて、「ノーヴィ・ミール」言し ・一九六ニ年 ( 四十四歳 ) 働収容所に入れられ、モスクワ周辺で作業に従事。 ソルジェニーツイン年 しゅよう れん