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検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

みな妻子を連れて集まっていたので、おそらく千人くらいの生命というものが、心の中や希望の中で思うほど貴重なもの うれ 群集になっていたに違いない。群集は喚声をあげ、嬉しげだではないことを理解したので、生き残っている人間だれもが、 っこ。・及らは、ひと田 5 いに 一人残らず全員殺してもらうためヒーワへ連れて行かれなかったことを淋しく思ってさえいた。 ところが、若いヤク。フジャノフとその友人オラーズ・ にヒーワへ行き、もはやこれ以上生きていないことに決めた のだ。ヒーワの領主はすでに久しい以前から、この役にも立 ャンは、自由の身で死ぬことができる以上、意味もなくヒー おくびよう ワへ行くのを望まなかった。彼らは短刀を手にして領主の四 たぬ臆病な民族を自己の権力で苦しめつづけていた。最初 のうちこそ時たまだったが、時を追うごとにひんばんに宮殿人の番兵におそいかかり、即座に生命と名誉とをうばってそ から騎馬の使者をこのサルイ・カムイシに派遣し、使者たちの場に置き去りにした。幼いチャガターエフは、武装したよ はそのたびに数名すつ人間を連れて行っては、ヒーワで彼らその人間を見て、遊びのために隠しておいた、先の尖った鉄 を罰するか、永久に投獄するかしたのだった。領主は盗人や片をとりに母のところへ走ったのだが、とって返した時はす 犯罪者や、無神論者を探していたのだが、見つけだすのはむでに遅かった。番兵たちは彼の鉄片を待たすに死んでいたの ずかしかった。そこで彼は、ヒーワの住民が処刑と苦しみをだ。オラーズとヤク。フジャノフはそのあと、殺した兵士の馬 にまたがって姿を消し、ほかの人々は幸福な和やかな気持で、 見て、恐怖心をいだき、戦慄するよう、素姓不明の人間や居 所不明の人間を残らずひっとらえるよう命じた。最初のうち、一団となってヒーワに向った。生きていることがだれにとっ ジャンの人々はヒーワをおそれ、多くの者はまだ何もされぬても喜びや特典とは思われなかったし、死ぬことが苦痛でも うちから恐怖のあまり虚脱感をおばえたほどだった。彼らは なかったので、人々はその時一様に、領主の一族を枌砕する 自分の身や家族のことを案ずるのもやめ、たえまない無力感か、でなければ何の末練もなくこの世に別れをつげようとい しゅうちょう にとざされて、ただ仰向けに寝ているばかりだった。やがて、う心構えになっていた。酋長が歌をつぶやきながら先頭に すべての人がおそれるようになった。彼らは、騎馬の敵があ立ち、その隣りにその頃すでに老人だったスフィャンがなら らわれるのを覚語しながら、清らかな砂漠に目をこらし、砂んだ。チャガターエフは母を見た。これから死にに行くと、 ン 止の頂きに風が砂を舞いあげるたびに、それを騎兵が走ってうのに、母が今楽しそうにしており、ほかの人たちもみない ャ ジ そいそと歩いているのを見て、彼はびつくりした。十日か十 くるものと思って、息を殺した。種族の三分の一か、あるい らっち 五日して、サルイ・カムイシの人々はヒーワの塔を目にした。 はそれ以上がヒーワに拉致されて消自 5 知れずになったころに ヒーワまでの旅はのろのろとした苦しいものだったけれど、 は、人々はもう自己の破滅を待つのに置れていた。彼らは、 せんりつ

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

893 霧の中 ほど同情をそそるのだ。 よい流れてくる。 そこには、むずかしい外国語をふんだんに織りまぜた、ま死んでしまったその人間に対する静かな憐れみが、彼の心 ーヴェルには、をみたした。長い日数を通じてはじめてパーヴェルは、自分 じめな、断定的な人生論が述べられてあり、 そうめい これを書いたのが彼ではなく、だれか、ひどく聡明な、年輩が、敵意にみちた何千という無縁な生活にかこまれて街にい の人間であるかに思われたほどだった。そこには、懐疑思想るのではなく、わが家の自分のべッドの上にただ一人いるの なんじ の最初のおののきがあり、神に向かって発した「神よ、汝はを感じた。 もうすっかり暗くなり、黄色みをおびた異様な残照も消え しすこにありや ? 」という最初の懐疑や疑問があった。そこ み かたおも 長い秋の夜が、霧にとざされたまま、音もなく立ちあが にはまた、充たされぬ片想いの甘い感傷もあれば、誇り高い 高潔な人間となって、これからの長い人生、それこそ墓に入り、家々や人々はおびえたかのように、身をよせ合った。街 るまで、カーチャ・レイメルを愛して行こうという決意もあ灯が無関心な蒼白い光にもえはじめ、その光は冷たく悲しか った。家々のそこかしこで窓がほのばのとした光にかがやき、 った。そこには、生存の目的と意義に関するおそろしい、深 たとえ一つでも窓のかがやいている家は、どれも愛想のいい 刻な疑問もあったし、不幸な人々を愛するために生きねばな らぬという、春風と陽光の吹きかよってくるような純真な解やさしい微笑に照らされているように思われ、旧友さながら くろぐろとした大きな姿になった。相変らす馬 にやき、しい 答もあった。あれらの女たちのことなど、一言も書いてなか たただ時たま、微笑にかがやく緑の大地におちる暗雲の車がひどく揺れながら走って行き、人々がせかせかと動いて いたが、今ではだれもが、暖気とやさしい光とやさしい 〈〈苦しい》と、ただ一語、アンダーラインを付 影のように、 ーヴェルは、人々の待っている場所へ早く行きっこう、という目的を持っ した簡単な感想の記されていることがあった。バ ーヴェルは眼を閉じた。と、別荘を それらの持っ秘めやかな悲しい意味を知っていたので、読むているかに思われた。パ 引きあげる前の夕方、一人で散歩に出た時に見たことが、ま のを避け、その一一一一口葉によってけがされたページを急いでめく ざまざと思い起された。やわらかな雨といっしょに空から舞 、野道。街 しおりてくる、音もない秋のタ闢、まっすぐな長し彳、 ーヴェルには終始、これを書いたのは自分ではなく、だ もや こ殳し、人生そのもののような何か無限の れかほかの、善良な聡明な人間であるような気がした。その道の端は静かな靄し冫 、トさな荷車を曳いた二人のプリキ屋 ものを語っていた。と 人間は今や死んでしまったのだ。だからこそ、その筆になっ たすべてがこれほど意義深いのであり、それを読むのがこれが、向うから。ハーヴェルの方に急ぎ足に街道をやってきた。 あわ

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とがあったが、今その意味をことごとく理解できた。その昔、りの極に達していた。この男はもっとも凶悪というわけでは ここから遠く、コペート・ダーグの山脈を越えたところにあないにせよ、もっとも不幸な人間で、空腹をみたし享楽した るホロッサンの果樹園や畑のただ中に、幸福と実りと女性と いばかりに、山々をこえてイランの、オルムズドの楽園へ入 フ ノ の清らかな神であり、農業と繁殖の庇護者であり、イランのりこもうと生涯っとめていたのだが、結局、泣きぬれた顔を 静寂の愛好者であるオルムズドが住んでいた。また、イランサルイ・カムイシの不毛の土地に突伏して、息絶えたのだっ から北方にあたる、山の斜面の向うには、不毛の砂が横たわた。 っていた。砂たちは、夜の中心のある方角をさして去って行 スフィャンはチャガターエフを泊めてくれた。経済学士は しレうす・い った。そこには、わずかに、まばらな草が憔悴しきった様夢の中で悩んだ。昼夜がむなしくすぎ去って行く。サルイ・ 子で生えているだけだったが、 それも風にひきちぎられ、人力ムイシの地獄の底に一刻も早く幸福を作りださねばならな 間の魂がたえず嘆き悲しんでいるトウランの暗黒の地へ走り もどかしさのあまり、彼は時の流れを数えながら、永い 去った。そこからは逆に、暗愚な人々が、絶望と飢えとに堪こと寝つけなかった。夜空に星が、良心の光のように燃え、 えきれずに、イランへ逃げこんできた。彼らは果樹園の茂みラクダは外でいびきをかいていた。日中の風に引きちぎられ、 や、女の住居や、古代の都市へなだれこみ、あたふたと腹をカつきた草が、さながら自分のかばそい足でひとりで歩こう みたし、目を楽しませ、自分自身を忘れようと急いだが、やと望むかのように、そっと砂を掻いていた。 がて退治され、辛うじて生きのびた連中も砂漠の奥まで追跡 翌日、スフィャンとチャガターエフは、行方知れぬ人々を された。そこで彼らは砂漠の端れにあるサルイ・カムイシの見つけだすために、穴を出た。恋していながら、恋する人と 陥没地に身をひそめ、永いことその中で苦しみ悩んでいたが、 別れて暮さねばならぬ人間が孤独をおそれるように、ラクダ やがてついに、すみきったイランの果樹園の思い出と窮乏とも孤独をおそれて、彼らのあとについてきた。 が、彼らを立ちあがらせた : : こうしてふたたび暗黒のトウ サルイ・カムイシの端れで、チャガターエフは見おばえの ランの騎士たちが、アトレークの峰をこえてホロッサンやアある場所を思いだした。ここには、チャガターエフが子供だ ストラバードに姿をあらわし、敵意にみちた裕福な土着民の ったころ以来、少しも成長していない灰色の草が生えていた。 : ことによると、サルイ・ 財産をあらし、享楽しはじめた : 「坊や、 かって母はこの場所で彼にこう言ったのだった こわがるんじゃないよ、 カムイシの古い住人の一人が、悪魘と同意義のアリマンとい っしょに死に・ましょ , つ」そして、 う名だったのかも知れないが、この貧者は悲しみのあまり憤彼の手をとり、引きよせた。周囲には、その当時いた人々が

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動きのない生活の辛さと困窮もやはり心の慣れを要求したのかも知れないし、別の老人だったかも知れない。 いらだ で、人々は余分な疲労に苛立ちをおばえなかった。ヒーワの 「お前は永い間わしらに死ぬことを教えこんできた。わしら すぐ近くで、領主の少数の騎兵が人々をとりかこんだ。するも今じやすっかり慣れたから、みんなで一遍にやってきたん フ ノ と、人々はこれを見て、歌をうたいだし、はしゃぎはじめた。 だよ。わしらがまた忘れちまわないうちに、みなが楽しんで いちばん無ロな、不得手な者まで、みながうたっていた。ウ いるうちに、早く死を与えてくれ ! 」 ズベック人やカザフ人たちは、みんなの前に出て踊り、一人領主の手下は引っ返して行き、二度と戻ってこなかった。 の不幸なロシア人の年寄りはハーモニカを吹き、チャガター騎馬や徒歩の兵士たちも、人々に手をだそうとせすに、宮殿 エフの母は神秘的な踊りにそなえるかのように両手をあげた。のまわりにとどまった。彼らが殺し得るのは、死をおそれる チャガターエフは、今にも兵士たちがみんなや彼自身を殺し相手だけであり、 いったん種族全部がこうして嬉しそうに死 てくれるものと、興味深く待ち受けていた。領主の宮殿のわに赴いてきたとなると、領主も主だった家来も、どう理解す きには、領主をあらゆる人間から守る、肥った番兵たちが立ればよいのか、どうすればよいのか、わからなかった。彼ら っていた。まるで、自分たちは幸福な立派な人間なのだとい が何もしないので、窪地からやってきた人々はさらに先へ進 わんばかりに、誇らしげな様子でわきを通りすぎて行き、銃み、ほどなく市場を見いだした。そこでは商人たちが商いを 弾や刀の威力をおそれる色のない、 この徒歩の群集を、彼らしており、食物がまわりに積みあげられて、空にかがやくタ すいか ぶどう はおどろきの目で眺めやった。この宮殿の番兵たちは、先刻日が、緑色の葱やメロン、西瓜、籠に入った葡萄、黄色い穀 の騎兵たちといっしょになって、サルイ・カムイシの群集を粒、疲労と無関心とでまどろんでいる灰色のロバたちなどを ろう′ ) く しだいに包囲し、地下の牢獄に追いこまねばならぬはずだっ 照らしていた。 たたが、陽気にはしゃいでいる人間を罰するのはむずかし そこでチャガターエフは母にたすねた。 いものだ、なぜなら彼らは悪を理解していないからだ。 「死って、いつくるの ? 僕、欲しいよ ! 」 領主の手下の一人がサルイ・カムイシの老人たちのところ しかし、母自身もこれからどうなるのやら、知らなかった。 に歩みより、たすねた。 みながまだ生きているのを見て、彼女は、またサルイ・カム 「いったい何が必要なんだ、。 とうしてそんなに喜んでいるんイシに戻って、ふたたび永遠に生きつづけることをおそれて だれかがこれに答えた。ことによると、スフィャンだった ヒーワの市場で、人々はさまざまな果物をてんでに取り、 つら ねぎ

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であるが、そのような噂をここでくり返すのさえ胸がむかつなかった。・ ウオランドと名乗った男は仲間全員とともに姿を 消し、モスクワには二度ともどってこなかったし、ほかの場 こんせき この真実にみちた文章を書いている作者自身、フェオドー 所にも、現われもしなければ、なんの痕跡も残しはしなかっ フ コ シャに向かう列車のなかで、モスクワでは二千もの人間が文た。国外に逃亡したのではないかと推測があったのもしごく 字どおり全裸で劇場から出てきて、そのままの姿でそれそれ当然のことだが、しかし外国でも、その男が出現したという 手口まよ、つこ。 ・フタクシーで自宅に帰ったという話を聞かされたことがある。 一三ロナ′、カ子 / その後も、この事件の捜査は長く継続された。それにして 声をひそめて《悪魔》と囁くのが、牛乳店の前に並んだ行 列や市電のなか、商店、アパート、 炊事場、郊外電車や遠距も、これはまったく奇怪きわまりない事件であった。全焼し 離列車、大小さまざまな駅、別荘、海水浴場で聞かれた。 た四つの建物の火事、数百にのばる人々が精神錯乱に陥った もっとも知的で教養のある人々は、首都を訪れた悪魔につ ことはもう言わないにしても、殺人事件まで起きていた。少 ぎた いての取沙汰には、もちろん、少しも興味を示さないで、むなくとも二人の人間については正確に言うことができるが、 ぐろう しろそれを愚弄し、そんな話をする人々の迷いを解こうと試それはつまりベルリオーズと、観光局に勤務し、外国人にモ きゅうせき みたほどだった。しかし、よく一言われるように、事実はやはスクワの名所旧蹟を案内していた不運な元男爵マイゲール り事実なので、なんの釈明もなしに頭から無視するわけにはの二人である。この二人が殺害されたのは確実だった。黒隹 どうしてもゆかず、わざわざ首都に出向く者すら現われた。 げになった元男爵の焼死体が、鎮火後、サドーワャ通りのア まったく、グリポエードフの焼け跡ひとっとっても、いや、 ートの五〇号室で発見された。確かに犠牲者は出ていたし、 そのほか多くのものが、あまりにも雄弁に噂の根拠を証明し犠牲者が出ているからには捜査は続けられねばならなかった。 ていた。 しかし、ヴォランドがすでに首都を去ったあとになって、 教養ある人々は捜査当局の見解を支持し、これが催眠術とさらに多くの犠牲者が出たが、その犠牲者となったのは、悲 、とみな 腹話術をみごとに駆使する一味の仕業にちがいない しいことに黒猫たちであった。 ー」ていた おとなしくて、人間に忠実で、有益な動物がおよそ百匹、 ばくめつ もちろん、モスクワでも、首都から遠く離れたところでも、国内の各地で射殺されたり、ほかの手段で撲滅された。あち 一味を逮捕するために、ただちに迅速で精力的な措置が講じ こちの都市で、十五匹の猫が駐在所に突き出されたが、なか られたが、ひじように残念なことに、なんの成果もあげられには全身をこっぴどく痛めつけられた猫もいた。たとえばア 、、や

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らなければいけないのだ、と語った。ところが、ヌール・ムのさ。奴らを沼地に葬るわけにや行かん。伝染病が起るから ハメッドはチャガターエフに答えて、この民族の心はとうのね。だからおれは遠い砂漠へ死人をかついで行くんだよ。一 以前から困窮のうちに病みぬき、知能も鈍くなっているので、人残らずくたばるまで葬りつづけて、それからここを引き上 フ ノ自己の幸福を感するすべを知らないのだ、それよりむしろ、げて、出張任務を遂行したと報告するつもりさ : とむら この民族をそっとしておいてやり、永久に忘れ去ってしまう「彼らだって自分の身近な人間は自分たちで葬いますよ。そ 一フ か、でなければ、道に迷ってしまうようにどこか砂漠なり、んなことのためなら、あんたなんぞ必要はないんだ」 こうや 曠野なり、山中になり連れて行って、そのあとすでに生存せ 「いや、奴らは葬いやしないよ、おれは知ってるがね」 ぬものと見なすかする方がましだ、と一言うのだった。 「なぜ葬わないんです ? 」 チャガターエフはおもむろにヌール・ムハメッドを眺めた。 「死者を葬わねばならないのは生者だが、ここには生者なん まぶた 長身で、すでにかなりの年齢であり、細い切れ長の眼瞼の奥ぞいないからさ。ここにいるのは、まだ死なずに、夢うつつ から目が、まるで不断の苦痛を透すようにみつめていた。ウに寿命を生き永らえている連中だよ。この連中に幸福を作り ズベック・ガウンをまとい、丸帽を頭にのせ、フェルト靴をだしてやることなんかできるもんか。奴らはね、自分の悲し はいていた この一族中でこのような衣服を保っている唯みさえもう知らないんだ。これ以上苦しみやしないのさ。さ 一の人間だった。これは、ヌール・ムハメッド自身がジャンんざ苦しみぬいたからな」 民族に属しておらす、半年前にこの地へ派遣され、人々を他「じゃ僕らは何をすればいいんです ? 」チャガターエフはた すねた。 人の目で見てきたことによって説明づけられるものだった。 「あんたはこの半年間にここで何をやりとげたんです ? 」チ「何も必要ないさ」ヌール・ムハメッドが言った。「人間を ャガターエフはきいてみた。 永いこと苦しめつづけるわけには行かないんだ、ところがヒ 「別に何も」ヌール・ムハメッドは告げた。「死者をよみが ーワの領主たちは、それができると考えたんだよ。永いこと えらせることはできないんでね」 苦しめつづけりや、人間は死んじまう。人間てのは、少しす 「それだったら、 いったい何を待っているんです、何のつもっ徐々に痛めつけたら、今度は遊ばせてやり、それからまた りでこんなところにいるんですか ? 」 苦しめてやるようにしなけりやね・ : ・ : 」 「おれがここへ来た時、この民族は百十人だった。今じゃも「僕は連中の墓穴を掘ったりはしない」チャガターエフは一 = ロ っと少ないがね。おれは死んだ連中の墓穴を掘ってやってるった。「僕は、あんたがどういう人間なのか知らないが、あ やっ

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らかに砂止の向う側のふもとからやってきたと思われるスフがした。 イヤンが立ちあがり、さらにだれやら見分けられぬ顔がのそ チャガターエフは微笑した。悲しみや苦悩などは幻影や夢 にすぎず、そんなものはアイドウイムですら、幼いカで一挙 フいた。そこにはアイドウイムもいたし、光も見えないという ノ のにモーラ・チェルケーゾフの姿さえあった。人間の顔がしに打ちこわし得るのだ、ということを彼は知っていた。人の 。こいに増えて行き、それらはみなチャガターエフの方をみつ 心やこの世界には、籠にとらえたように世にまだ現われぬ、 ラ めていた。チャガターエフも彼らを眺めた。食物の予感だけ だれも試したことのない幸福が脈打っているのであり、人間 が彼らをここへみちびきよせたのだったが、 その感情も、ふだれしもその力やその接近を感じているのだ。もうすぐ彼は つうの人間にみられるような、はげしい強烈なものではなく、自己の民族の運命を変えてみせるだろう。チャガターエフは 満たされずに終っても怒らすにいられるような、他愛ないもみなを追いやるように片手をふった。アイドウイムがそれを のだった。 察し、チャガターエフの狩りの邪魔をせぬよう、みなに立ち この人々はチャガターエフにいったい何を期待していたの去ることを命じた。 だろう ? だいたい一羽や二羽の鳥で、空腹がみたされると夜のはじめ、人々がみなまどろんだ頃、アイドウイムは一 でもいうのだろうか ? そんなことはない 。しかし、むしつ人で砂漠へ野生の羊たちを探しに出かけた。彼女はスフィャ ンとワーニカ爺さんに、長い二つの砂丘の間にある小さな谷 た一片の鳥肉をだれもがもらえば、彼らの悲しみは喜びに転 、両手で砂を掘っておくよう言いつけた。そこの砂の下で、 じ得るのである。それは、腹をみたすのに役立つのではなく、 全体の生活との結びつきやお互い同士の連帯のために役立っ彼女は粘土を発見したのである。粘土は水を集めるはすだし、 のであり、現実感を与えてくれるのだ。そして彼らは自己の現に彼女はもう小さな穴から少しばかり飲んだのだった。食 かて 生存を思いだすのである。ここでは食物は、精神の糧として、物のない時には、水も養分になることを、彼女は知っていた のである。 また、伏せたおとなしい目がふたたびかがやきだし、大地に ふり注ぐ陽光を見いだすために、すぐに役立つのだ。チャガ ターエフには、 かりに今、全人類が自分の前に立っていたと ぎまん しても、やはり、期待を裏切られることや、その欺瞞にたえ て、また避けがたい多様な生活にとりくむことを覚悟の上で、夜が砂漠の上を歩んでいた。チャガターエフは右側を下に という気して眠り、夢が渇きや、飢えや、衰弱や、いっさいの苦しみ 待ち受けながら、こうして眺めているに違いない、

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895 霧の中 「マッチをくれ ! 」セルゲイ・アンドレーイチがタバコをと相手では何を話していいのかわからないので、話の代りに愛 ーヴェルは男の子なので、愛撫 りだしながら、頼んだ。マッチなら自分のポケットにあるの撫してやる方が多かった。。ハ うれ などしてやらなかったが、その代り、一人前のおとなか、親 だが、父親にサービスする嬉しさを息子に与えたかったのだ。 しい友人でも相手にするように話した。違いといえば、生活 彼はタバコを吸いつけると、ポークリの黒い表装をちらと 一まつじ の瑣末事に話を向けるようなことを決してせす、まじめな問 眺めて、切りだした。 「俺はトルストイやその他の簡易主義者には根本的に賛成で題に会話を運ばうと努めた点だけだった。だから、彼は自分 ー、ウエルとエを一はじ きんよ。あの連中は、文明とむなしくたたかって、われわれ自身を立派な父親とみなしていたし、 人間がまた四足で歩くようになることを要求しているんだかめるときには、教壇に立った教授のような気持をおばえるの ーヴェルにとっても、それは非常 、こっこ。 , 似ことっても、 らな。しかし、文明というものの反面が、だね」彼は片手をたオ , し ーヴェルの学校の成績についてさえ、彼は 気に入った。パ あげ、すぐにおろした。「きわめて深刻な不安をいだかせる ことには、賛成しないわけには行かんよ。たとえばだ、現在こまかくたずねる勇気がなかった。そんなことをすれば、父 しっせき あの美しいフランスで行われていることを見ても、そうさ子の関係の調和を破り、怒号や叱責や非難などという低級な かん 性質を与えはせぬかと、案じたからである。時たま起す しやく セルゲイ・アンドレーイチは聡明な、立派な人間だった。癪を彼はいつまでも恥じ、それを気質のせいにして弁解した。 ーヴェルの考えや、見解や、固まりつつある信念を、彼は 彼は、同じ学校で学んで同じ立派な書物や、新聞雑誌を読ん ーヴェル全体を知っていると思って でいる、この国この時代の聡明な立派な人々の考えることは、すべて知っていたし、 いた。だから、不意にその。ハーヴェルが、それらの信念や見 、「皮ま《フェニックス》保険会社の監 ことごとく考えてした。彳。 査役なので、職務で首都を離れる機会が多かった。また、家解をいだいておらず、それを離れたどこかで、何やら不可解 な気分や、けがらわしい絵に囲まれているとわかった時の、 にいる時には、数多い知人たちと会ったり、劇場や展覧会に 行ったり、書物から新しい知識を吸収したりするのに、時間おどろきと失意は大変なものだった。それらのものの由来に がそれにもかかわらす、彼は時ついて、説明を求める必要があった。遅かれ早かれ、しなけ が足りないくらいたった。、ゝ、 ればならないことなのだ。 間を , 乍っては子たちといっしょにいるよ , つにしこ。土寸にパ ーヴェルの発育には、男の子の発育として、特別の意義を付今も彼は、文化は個々人の生活様式を改善するが、全体的 リヤ に見れば、すべての人が感じてはいても明確に名ざすことの していたから、なおさらのことだった。おまけに、リー おれ あい

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自分が病気であることを知っている。それにもう一つ、このわれらの特殊ガラスである。ガラスの胴体の内側では横に肋 材を、縦に縦桁を固定している作業が見えた。船尾では、 病気を治したくないということも分っている。治したくない、 ただそれだけのこと。私たち二人はガラスの階段をのばって巨大なロケットエンジンの基礎を据えつけていた。このエン ジンは三秒に一度すっ爆発する。三秒ごとに積分号の力強い 行った。私たちの足の下に積分号の全景が : この手記の読者諸君が何者であるにせよ、諸君の頭上には船尾は、宇宙空間に炎とガスを噴出するだろう。そして疾走 チムール 太陽がある。そしてもしも今の私のように諸君もかってこのまた疾走。火を吐きながら幸福を運ぶ勇者、帖木児 : 病気に催ったことがあるとすれば、朝の太陽がどんなもので下ではテーラー方式に従って整然と、迅速に、リズミカル に、まるで一つの巨大な機械のさまざまな槓杆のように、 あるか どんなものであり得るかを御存知だろう。この薔 薇色の、透明な、暖かい黄金を御存知のはずだと思う。大気人々が身を屈めたり、伸びをしたり、回れ右をしたりしてい かす そのものすら微かな薔薇色に染まり、何もかもがやさしい太るのが見えた。人々はびかびか光る小さな管を手に持ってい た。その管から吹き出る炎で、ガラスの壁面や接手や肋材や 陽の血液を享けて生きる。石も生きて柔らかくなる。鉄も生 ようせつ ほほえ きて温かくなる。人々も生きて、一人の例外もなく微笑む。アングルタイを切断したり、熔接したりするのである。透明 なガラス製の怪物のようなクレーンがゆっくりとガラスのレ 一時間後には何かが起り、すべては消え去るかもしれない ールの上を滑り、人間そっくりに回れ右し、身を屈め、その 一時間後には薔薇色の血がしたたり落ちるかもしれないが、 それまでは森羅万象は生きている。そして私は見る、積分号積荷を積分号の腹中に押しこむのが見えた。クレーンも人々 のガラス質の体液の中で何かが脈打ち、流れるのを。私は見もまったく一つの存在なのである。人間性を与えられた存在、 かんべき る、積分号が己れの偉大な未来、恐ろしい未来について、あ完璧な人間たち。これは最高に感動的な美であり、調和であ : さあ早く下へ行って、彼らと一緒に仕 るいはまた不可避的な幸福という重い積荷について思索にふり、音楽であった : けるのを。その積荷は、末知の読者よ、諸君のもとへ運ばれ事をしよう ! みいだ そして今、肩を並べ、彼らと一体になり、鋼鉄のリズムに るのだ。永遠に求めつづけてついに何ものも見出し得ぬ諸君 ら のもとへ。諸君は見出し、幸福になるだろう。いや、幸福に捉えられて : : : 規則正しい動き。丸い弾力的な紅潮した頬。 れ 思想という名の狂気の影もない、鏡のような額。私は鏡のよ わならねばならない もう永いこと待っ必要はない うな海を泳いでいた。、いはあくまでも安らかだった。 積分号の胴体ははとんどでき上っている。細長い優美な楕 と、突然、一人の工員がのんびりした顔を私に向けた。 円体で、材料は金のように久的で鉄のようにしなやかな、 えん カカ とら ストリンガー 」カカ エルボウ

10. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

ふそん ーヴェルはぎくりとして、腹立たしげにあとすさった。 ベトロフはその不潔な口で不澄にも《カーチェニカ》など ひっそりとした路地にある、カーチャ・レイメルの家の前 と、なれなれしくよんでいるのだ。 ーヴェルは、広間でまたダンスがはじまるまで、しばらで、彼は足をとめた。今までに何度もここへ来たことはあっ たが、今やってきたのは、自分がどれほど不幸で孤独である く待ってから、人気のない食堂をそっとのそき、そこを通り かを見せるためだった。死ぬはどの淋しさと、死ぬほどの恐 ぬけて、浴室のわきの、不用の衣類が山のように吊るさがっ とら ている場所で、古ばけた自分の夏コートをさがしだした。そ布に捉えられている瞬間に、たすねてきてくれなかったカー のあと急いで台所をぬけ、裏口の階段づたいに庭へおり、庭チャ・レイメルが、それによってどれほど卑劣な振舞をした とお ことになるかを、見せてやるためだった。霧を透して窓がか から通りに出た。 まなぎ ほのぐら 仄暗いその眼差しには、粗 とたんに、湿っぱく、寒く、不央になった。まるで、空気すかな明りをかがやかせていた。 ちょうしよう が重くよどみ、ぬるぬるした高い壁にはワラジ虫が這いまわ野な意地わるい嘲笑がこもっていた。さながら、飲めや歌 あなぐら えの席につらなっていた人が、満腹感にとろんとした眼でひ っている、だだ広い穴蔵の底にでもおりたかのようだった。 もじい人間を眺め、ものうげに微笑しているかのようだった。 腐臭をただよわせている、こんな鉛色の霧の中にも、それな ーヴェルは、腐ったような霧にむせび、古ばけたコート りに、何かしら騒々しい活気のある生活が流れつづけている のが、意外に思われた。姿の見えぬ馬車のとどろきの中にも、枚で寒さにふるえながら、ひもじい人間の憎しみをこめて、 この眼差しに酔った。カーチャ・レイメルの姿がありありと 中心部にばんやりとおだやかに街灯の燃えている、輪廓のに じんだ巨大な光の球の中にも、生活が流れていた。灰色の紙眼にうかんだ。清純無垢な彼女は、清純な人々の中に坐って、 めかるみ ににじんだインクのシミを洗い落したのにも似て、霧の中か上品な本を読んでいる。破滅しつつある人間が泥濘と寒気の こっぜん ら忽然とあらわれ、また霧の中に消えて行く、ばやけた、せ中にたたすんでいる、この往来のことなど、何一つ知らない 彼女は清純であり、清純であるがゆえに卑劣なのだ。 わしげな人影の中にも、生活はあった。それらの影は、間近のだ。 , に人間の存在することを誤りなく立証してくれる、あの異様もしかしたら彼女は今、何かしら高潔なヒーローでも心に思 ーヴェルが彼女の部 い描いているかも知れないかりに、パ 中な感覚によってのみ感じとれる場合さえ、しばしばあった。 霧姿は見えぬが、だれかが急ぎ足でバーヴェルに突きあたり、屋に入って行って、「僕はけがらわしい人間です。病人です、 堕落した人間です、そのために僕は不幸なんですし、死のう 叫あやまりもせすに歩み去った。と、今度は一人の女性がバー としているんです、僕を助けてください ! 』と一言ったら、彼 ヴェルを肘で押しのけて通り、近々と顔をのそきこんだ。パ ひじ っ