答え - みる会図書館


検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

アンドレーエフ 888 、も , つ一一一一口っ ーリヤ ! 俺にさわるなよ , 「離れろったら、リ ーヴェルは眼をそらし、陰気な答えを投げた。 ただろ」ハ ーヴェルは顔をかくしながら、うつろな声で言っ 「俺はいつだって陽気にしたことなんかないぜ」 こ。「俺十 ( ・ ・ : けがれた人間なんだ ! 「違うわ、あたし知ってるのよ。兄さんがそんなになったのオ この苦しい言葉を重々しく吐きだすと、彼は不意にこみあげ は、別荘からかえって来て以来だもの。みんなを避けて、一 おえっ 度として笑顔を見せないようになったわ。ダンスもやめてしる嗚咽をこらえて、頭から足の先まで全身をふるわせた。 リヤはびつくりした。 「どうしたの、ねえ、兄さん ! 」 オったし」 とう 「お父さんをよびましようか ? 」 「くだらん遊びだからな : ・ まえ マズルカを踊るのなんて、 ーヴェルは低い声で、冷静に答えた。 「だって以前し。 」こま踊ったでしょ ? 「 , っ , つん、 いいんだよ。別にどうってことはないんだから。 とても上手だわ、いちばん上手よ。ほかのだって上手だわ。 ねえ、教えて、どうしてなの、え ? きかせてよ、ねえ、兄頭がちょっと痛いだけさ」 ーリヤは、半信半疑の面持で、短く刈りあげた、切り立 ったような彼の後頭部をやさしく撫で、考え深げに兄をみつ こう言って彼女は、兄の頬の、赤くなった耳の付け根あた めた。やがて、さりげない口調で言った。 りにキスした。 「さわっちゃいかん , 「昨日カーチャ・レイメルが兄さんのことをきいてたわ」 : 離れてろよ ! 」彼は肩をすくめ、 ーヴェルは顔をふりむけずにた しばしの沈黙のあとで、 小声でつけ加えた。「俺は汚れた人間なんだ : ーリヤは笑いだし、耳のうしろをくすぐりながら、言っすねた。 「何てきいてた ? 」 ふろ 「兄さんはきれいよ , いつだったか、い っしょにお風呂に 「ううん、ただ何となくよ。兄さんはどうしてるとか、何を してるとか、どうして遊びにこないのかって。あの人の家で 入ったのを、おばえてる ? 兄さんは仔豚みたいに真白だっ 兄さんをおよびしてたんですってね ? 」 たわ、とってもきれいだったわ ! 」 「そりや、向うは用があるから : : : 」 「離れてくれよ、リーリヤ ! 頼むよ ! おねがいだ ! 」 「だめよ、兄さん、そんなこと一一 = ロわないで ! 兄さんはあの 「兄さんが朗らかになるまでは、あたし離れないっと。兄さ んの耳のわきに可愛いホクロがあるのね。あたし今はじめて人を知らないのよ。あの人、とっても知性の豊かな利ロな人 気がついたわ。ねえ、ここにキスさせてね ! 」 だし、兄さんに関心を持ってるのよ。兄さんは、ただのダン こぶた : けがれてるんだよ」

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

このとき、一人の男が部屋に入ってきた。部屋に入ってき 最後まで一言いきらぬ , っちに、コロヴィョフはポケットから た男を見るなり、机に向かってすわっていた男はまっさおに よっこ。 十 / 子′ 汚れたハンカチを取り出し、それを鼻に押し当てて、泣きは 「理事のペャトニヤジコだね ? 」部屋に入ってきた男は、すじめた。 : ベルリオーズの伯父です : : : 」 わっていた男にたずねた。 「そ , つでしょ , つ、そ , つでしょ , つ」コロヴィョフは顔からハン 「ええ」かすかに聞きとれるほどの声で答えがあった。 部屋に入ってきた男が、すわっていた男になにやら囁くと、カチをはすして、さえぎった。「ひと目見ただけでわかりま したよ、あなただってことは ! 」そこで、涙にむせび、身を すわっていた男はすっかり気も転倒し、椅子から立ちあがり、 数秒後には、ポプラフスキイはがらんとした部屋にただ一人震わせながら叫びはじめた。「ご愁傷さまなことで。本当に、 こんなことになるなんて」 とり残された。 ひ 「電車に轢かれたそうですね ? 」とポプラフスキイは声を落 《ええ、なんと面倒なことになったものか ! ちょっと、よ としてたずねた。 : 》とポプラフスキイはいま うすを見ておかねばなるまい 「ばらばらになりました」とコロヴィョフは・叫び、涙が鼻眼 いましげに考えながら、アスファルトの中庭を突っ切って、 の下からどっとほとばしった。「ばらばら ! わたしはそ 五〇号室に急いだ。 計画経済学者が呼鈴を押すやいなや、ドアが開いたので、れを目撃したのです。信じられますか、あっという間のこと 薄暗い玄関ホールに足を踏み入れた。彼をいささか驚かせたでした ! 首が吹っとびました ! 右足がばきんと音を立て だれ てまつぶたっ ! 左足がばきんと音を立ててまつぶたっ , のは、誰がドアを開けてくれたのかわからなかったことで、 一玄関ホールには、椅子にすわった巨大な黒猫のほかには誰もまったく、あの電車ときたら、よくもこんなことができたも のです ! 」と言うなり、自分を抑えきれなくなったものらし せき ポプラフスキイは咳ばらいをし、足を踏み鳴らしたが、そく、コロヴィョフは鏡の脇の壁に鼻を押しつけ、肩を震わせ、 マ 匠こでようやく書斎のドアが開き、コロヴィョフが玄関ホールすすり泣きしはじめた。 巨 ベルリオーズの伯父は見知らぬ男の振舞に心の底から揺り に出てきた。。、 「ホプラフスキイは丁重 に、ただ威厳を失わぬ程 ( 、どキ、は田むいやり・ 動かされた。《このとおりじゃよ、 度に相手に会釈して、言った。 「ポプラフスキイです。わたしは死んだベルリオーズののある人間なんて一人もいやしない、などと言われている ささや わき

3. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

ショーロホフ 990 おけや 「労働者 ? 職人じゃな、靴職人かい、それとも桶屋か ? 」 ガヴリーラは、ペチカの上で足をぶらぶらさせながら考え しいえ、おとつつあん、おれは工場で働いてたんですよ。 こんでいたが、やがてポツリ、ポツリと舌し。こしこ。 鋳物工場です。子供のときから : 「どうじやろう、おまえに身寄りがないなら、 っそここに 「それがなんで穀物徴発なんそおつばじめた ? 」 おちついては : わしらにも息子があった。あったればこ 「軍隊から派遣されたんです」 そおまえをベトロと呼ぶんじゃが : : : それも昔がたり、 「なにか、おまえが指揮を取っとったのか ? 」 : この日ごろおまえ はばあさんと二人きりのかくれ鬼じゃ・ 「ええ」 の苦しみをわしらも分けおうたが、そのせいか、めつばう、 ききにくいことだった、しかし乗りかけた舟である。 としゅうなってのう。他人の血でも気持ちは生みの親子じゃ 「では、おまえは、とおーいんなのかな ? 」 : おちつかんか ? 大地の恵みを享けて暮らそう、ドンの ほほえ おうよ、つ 「共産党員ですよ」はれやかに微笑みながら、ベトロは答え土は、肥えて鷹揚じゃ・ : もとのからだにもどして、嫁も取 ってやろうよ : : : わしらは隠居しておまえに家をまかせる。 そうしてこの邪気のない微笑のおかげで、ガヴリーラにも、年に免じて、死ぬ日までのバンは見てくれるじやろう ? な その耳なれぬことばがさほど恐ろしいものではないような気あ、ベトロよ、この年寄りを見捨てんでくれんか : わび こおろぎ がしてきた。 ペチカのうしろで侘しい蟋蟀の声がしていた。 よろいど 自分の番がくるのを待ちかねていた老婆が、いそいそとっ 鎧戸が、風にあわせて悶えた。 づけた。 「わしとばあさんはな、実はもう嫁探しにかかっとるん 「。ヘーチャや、それでおまえ、身寄りはあるのかい ? 」 ぞ ! 」ガヴリーラはわざとおどけて目まぜをしたが、笑った 「天にも地にも一人きり、空のお月さんといっしょです」 はすの唇がみじめにゆがんでいた。 きず 「親御は亡うなったんかの ? 」 ベトロは頑なに、疵だらけの床板に目を落としたまま、左 はなた おやじ 「ええ、まだ洟垂らしのときに。七つだったかな : : 親父はの手で軽く腰掛けを叩いていた。じれったいような切れぎれ けんか 酒の喧嘩で死んだし、お袋はどこかへ行ってしまいました」 コッコツ、カタン ! コッコツ、カタン ! の音が 「ひどい女じゃ , かわいい子を捨てるとは : 思うにそれは、なんと答えたものか、考えこんでいたのだ 「請負師といっしょになったもんですから : : : おれは工場でろう。やがて、はたと打つのをやめ、顔をあげてベトロはい つつ ) 0 大きくなったわけです」 おなご

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

ラバのほ , つがヨシュアよりも比校にな か、いずれを最高法院が釈放しようとしているか、その意向で犯しているのだ。バ らぬほど危険ではないか を総督は知りたいというのである。カヤバは質問の意味はよ こういったすべての事実から判断して、総督は決定の再考 くわかったというしるしにうなずいて、答えた。 と、二人の受刑者のうちより危険性の少ない者、それは疑い 「最高法院はバラバの釈放を要請します」 まさしくそのような答えが大祭司から返ってくることを予の余地なくヨシュアのほうであり、その者の釈放を大祭司に 測してはいたものの、この答えにはまったく驚かざるをえな望むが、それはいかなるものであるか、というのである。 カヤパはピラトの目を直視して、静かではあるが確信にみ というふりをする必要があった。 一うまん ピラトはそれをきわめて巧妙にやってのけた。傲慢な顔にちた声で、最高法院は本件を重に調査した、と語り、バラ とくり阪 ~ した。 ハを自由にする意志に変わりはない、 眉を吊りあげて、いかにも驚いたように、まじまじと大祭司 こうしてわしが頼んでもか ? ローマ官権を 「なんだと ? の目を凝視した。 「正直なところ、その答えには驚かされた」と総督はおだや代表するこのわしが頼んでもか ? 大祭司、三度目だが、く り返してみるのだ」 オカこれにはなにか誤解があるような ゝこ切りたした。「。こ。ゝ、 ハラバを自由にします」とカヤ 「三度めにも申しあげよう、 気がしてならぬが」 パは静かに言った。 ピラトは説明しはじめた。ローマ官権は地元の宗教権力の これですべては終わり、もはや話すことはなにもなかった。 権限をいささかも侵害するものではなく、そのことは大祭司 ヨシュアは永久に去ってゆき、総督の恐ろしく激しい痛みを もよく承知のはすであるが、この問題にかぎっては、過ちは あまりにも明白である。この過ちを正すのに、ローマ官権は治してくれる者もいなくなり、痛みに効きめのあるものは、 いまや死のほかにはなにもなくなってしまったのだ。しかし、 当然のことながら関心を払わずにはいられない いまのピラトに画撃を与えていたのは、その思いではなかっ 実際、バラバとヨシュアの犯罪は、その重要性においてま ガ こ。ヾレコニーに出たときからすでにつきまとっていたあの もしも後者、つまり気の狂った人間オノ丿 ったく比較にならない マ しつよ、つ ン一 が、エルサレムやその他の各地で民衆を迷わす愚かな説教を理由のわからぬ憂愁が、全身に執拗にひろがっていたのだ。 匠 巨 行なったことで罪に問われているとするならば、前者はそれ総督はすぐにその理由を説明しようとしてみたのだが、その よりもはるかに重大な罪に問われている。バラバは公然と暴説明は奇妙なもので、自分があの捕囚になにかしら言い残し たことがある、いや、あるいはなにか聞き残したことがある 動を呼びかけたのみならず、逮捕しようとした衛兵の殺害ま

5. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

「わたしがですか ? 」と教授は聞き返し、突然、考えこんだ。のほうは二人を自分のそばに招き寄せ、そして二人が身を傾 「そう、ドイツ人といってもよいかもしれません」と言った。 けたとき、そっとつぶやいた。 「ずんぶんロシア語が達者じゃありませんか」とべズドーム 「よく覚えておいてください、イエスは存在していたので フ コ ヌイは一一一一口った。 「おお、だいたい、わたしは何語でも話せましてね、ひじよ いいですか、先生」無理に笑いを作って、ベルリオーズは うにたくさんの外国語を知っているのですよ」と教授は答え言い返した。「あなたの該博な知識には敬意を払っておりま すが、それでもこの問題にたいしては、別の見解をもたない 「それで、ご専門は ? 」と・ヘルリオーズが訊いた わけにはゆきません」 「黒魔術の専門家です」 「どんな見解も必要ありません ! 」と奇妙な教授は答えた。 《これは驚いた , : 》ベルリオーズは頭をがんと打ちのめ「とにかくイエスは存在していた、それだけのことです」 された感じだった。 「しかし、そうはいっても、なんらかの証拠が要求されます 「そ : : : それで、その専門を買われて、わが国に招かれたの : 」とベルリオーズは言いかけた。 ですか ? 」と・ヘルリオーズはどもりながらたずねた。 「いかなる証拠も要求されません」と教授は答え、低い声で 「ええ、その専門の関係でです」と教授は答えて、説明しは 語りはじめたが、 このときには、奇妙な訛はなぜかなくなっ じめた。「こちらの国立図書館で、十世紀の魔術師ヘルベルていた。「すべては簡単です : : : 純白のマントをはおり : ト・アウリラクスの自筆草稿が発見されたのですよ。それで、 それを解読するために招かれたわけです。わたしは世界でた 2 ポンテイウス・ピラト だ一人の専門家なもので」 「ああ、あなたは歴史家なのですね ? 」ベルリオーズはほっ 純白のマントをはおり、真紅の裏地をひるがえしながら、 とした気持になり、尊敬の念をこめてたずねた。 ユダヤ駐在ローマ総督ポンテイウス・ピラトは騎兵特有の あいづち かかと ユダヤ暦の七 「歴史家です」と学者は相槌を打ち、それから唐突につけ加踵をすり合わせるような歩き方で、春の月ニサン ( 月、太陽暦で は三月か えた。「今晩、ここ、 ハトリアルシェでは、興味深い事件が ) 十四日の早朝、ヘロデ大王の宮殿の左右の翼屋を結 ら四月 起 ~ こりますよ ! 」 ぶ屋根っきの柱廊に歩み出た。 そこでまたしても、編集長と詩人はびつくり仰天し、教授 この世にあるなにものにもまして総督が憎んでいたのは薔

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

ショロホフ 964 ヤコフ・アレクセーヴィッチはこうして二冬分もの草を蓄にきいた。 えた。実際家である老人は、冬の終わりに各家の自家用の家「牛を、一日だけ貸していただきたいんで : : : 。乾草を連び 畜が飢えだせば、ひとかかえの乾草でも立派に金になること ますだ。明日は日曜だが、わしはかまいません、でないと草 を、よく心得ていた、金がない場合には、去年生まれた仔牛を盗まれてしまいます : : : 」 めす ほしく ) やま 一の牝をもらいうける。渡し舟の三倍もある乾草堆を、苦心し「貸せないよ」 てつみあげる値打ちはじゅうぶんあるわけだ。口さがない連 「キリスト様に免じて、どうか : 中は、老人が他人の刈った草まで夜中にこっそり取っている 「だめだ。牛は疲れているからな」 うわ」 のだと噂していた。しかし、現場をとらえなければ、泥棒も「察してください、家族の者らが : : 。牝牛に冬を越させる 泥棒とはよべない。まして世の中には、無実の罪で人をおと ことができません。一生懸命、苦労して刈ったんです : : : 」 しいれるためしも、少なくはないのである : 「貸してやれよ、おとつつあん ! 」スチョープカが口をだし っ ) 0 プローホルは、スチョープカのほうを感謝するようにちら ある土曜の夕方、ヤコフ・アレクセーヴィッチの家に、プと見た。そして、目をしよばしよばさせながら、じっと老人 ローホル・トーキンがやってきた。プローホルは、古ばけたの答えを待った。そのとき、スチョープカは、思いがけぬも ひざがしら 草色の赤軍帽を手でもみながら、ながいこと入り口でためらのを見てしまったーープローホルの膝頭が、こきざみに震 っていた。 気弱そうな笑いのうかんだその顔つきから、スチえている : : : そして、それをかくそうとして彼は、ながえに スチョー ヨープカにはすぐ、彼が父親の牛を借りにきたのだと察しがつけられた馬のように足ぶみをしているのだ : ついた。プローホルのだぶだぶのズボンには穴があいて、色プカは、不快さのあまり胸がむかむかして、怒鳴りつけるよ 、つ . っ ) 、つつ ) 0 のわるい素肌がのそき、足先には血がにじんでいる。やや斜 がんか 視の黒い眼は、落ちくばんだ眼窩の底で燠のようにくすぶつ 「貸してやりなったら ! なんでそう人を苦しめるんだ ? 」 ていた。すがるような表情で、 老人はいやな顔をした。 「ヤコフ・アレクセーヴィッチ、助けてもらえませんか : 「おまえの指図は受けん。それほど気になるなら、自分が運 あとで働いてお礼しますで : : : 」 びに行けばええじやろう、日曜にな ! わしは他人には家畜 「なんの用かね ! 」老人はべッドから起きあがろうともせすを貸さんのじゃ」 おき

7. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

「ねえ、ときどき思うんだが、ばくは君を殺してしまうんじ こんなことがほとんど二年もつづいたころ、娘は発病した。 朝ゃないだろうか : 彼は仕事を投げ出し、組織の活動をやめ借金をした。同志た ちと会うのを避け、彼女の居宅の近くをうろっくとか、病床 一娘は黙っていた。 キ 「聞こえたかい、に 工くの一一一一口ったことが」 に付き添って、彼女が日ごとに透き通るように白く病み細る ゴ さまを、また彼女の目の中で病の火がどんどん燃えさかって 彼の顔にやさしいまなざしを向けて娘は答えた。 いくさまを、見守った。 「そうね」 そのとたん彼はった たとえ死んでも彼女は譲歩すま 「話してきかせて、末来のことを」娘は頼んだ。 せつぶん 彼は現在のことを語った、われわれをだめにするすべての この答えを耳にするまでは、ときおり抱きもし接吻もし あらが た、そのたびに女は抗ったが、 その抵抗は弱まってきていた、 ことを執念ぶかく数え上げ、自分はそれに対していつまでも 、つづけること、人間の生活から、黒く汚れたばろきれの いっかは折れてくれる、そうなれば、女の本能が、彼の勝利 たがいまや彼は吾っ ようにほうり出すべきものは何かなどを彼は舌した。 の味方になるーー彼はそう夢見ていた。ゞ 娘はきいていた、そして苦しみが耐えがたくなると、話を た、それは勝利ではない、隷属にすぎないのだと ( そのとき さえぎり、彼の両手にふれ、すがるようにその目を見つめた。 から、彼女の中の女を目ざめさせるのはあきらめた。 「わたし、死ぬのかしら」ある日、娘に訊かれたーー娘は急 こうして彼は、娘の人生観の暗い輪の中を彼女とともに とも 堂々めぐりをしていた、灯せるかぎりの灯を娘の行く手にと性肺結核で、絶望的な状態だと医者に告げられた日からかな もした、。 たが、彼女の目にそれは見えないーーー夢見るような りの日数が過ぎてからのことだ。 彼は何もこたえすに目をおとした。 微笑を浮かべて彼の話に聞き入るだけで、信じようとはしな 、力学 / 「わかっているわ、もうじき死ぬのね、手を握らせて」 彼が手を差し出すと、娘は熱のある唇でその手に接吻して あるとき娘は言った。 言った。 「ときどき、あなたの言うことがすっかり理解できるの。 ゆる そうかもしれないなって。でもわたし、それはあなたを 「ごめんなさい、赦してね、悪かったわ、わたしが間違って いて、あなたを苦しめたんだもの。死ぬまぎわの今になって 愛しているせいだと思う。理解はできるー・ーでも、わたし信 じない、信じられない。だからあなたが行ってしまえば、あわかったのーーわたしの信仰なんて、理解の及ばないものヘ なたごと、あなたのすべてが行ってしまう」 の懼れにすぎない、あれほどわたし自身も理解したかったし、 おそ

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ここで、われわれのよく知っている二人連れは外国人と鮭 もないリポンっきの新しい帽子をかぶり、紫色のコートをは おり、赤茶けたキッドの手袋をはめた男が売台のそばに立ち、のそばを離れ、菓子売場のほうに歩きだした。 「今日は暑いですね」とコロヴィョフは頬の赤い若い女店員 押しつけがましく、なにやらぶつぶつ言っていた。清潔そう みかん な白い上っぱりを着、青い帽子を頭にのせた店員が、紫色の に声をかけたが、なんの答えも得られなかった。「蜜柑はい くら ? 」とコロヴィョフは質問した。 コートの客の相手をしていた。店員は、あのレビのマタイの 「一キロ、三十コペイカです」と女店員は答えた。 盗み出したナイフにそっくりのよく切れそうな包丁で、脂の へび べにざけ 「高いな」ため息をついて、コロヴィョフは言った。「ああ のった紅鮭の身から蛇のような銀色の光沢をおびた皮を切り : ああ : : : 」ちょっと考えてから、連れを呼び招いた。 離していた。 「食べてみろよ、べゲモート」 「この売場もなかなか結構だな」とコロヴィョフはもったい ふとったペゲモートは石油ストー。フを脇に抱え、ピラミッ ぶって言った。「あの外人も感じがいいし」彼は好意的に紫 色のコートの背中を指さした。 ド型に積みあげた蜜柑のいちばん上に載っていたのを取ると、 「いや、フアゴット、ちがうね」とべゲモートは物思わしげあっという間に皮のついたまま食べてしまい、二つめの蜜柑 に答えた。「いや、きみ、それは間違いだよ。紫色のコート に王」」由・ばー ) こ。 ラし。オし力が足りないそ , っ思 , つな」 女店員は激しい恐布に襲われた。 の紳士の顔こまよこ、 しかしそれはおそ「気でも狂ったの ! 」頬の赤みを失いながら、女店員は叫ん 紫色のコートの背がびくりと震えたが、 小切手を ! 」女店員は菓子ばさ らく偶然だったのだろう、コロヴィョフとその連れの話すロ だ。「ト切手をください , シア語をこの外国人が理解できるはずもないのだから。 みを取り落とした。 べっぴん タ 「コレハョイカ ? 」紫色のコート 「ねえ、可愛い別嬪さん」コロヴィョフは売台に身を乗り出 の客が怪しげなロシア語を 使って、きびしい口調でたすねた。 し、女店員に目配せしながら、しわがれ声で話しだした。 ガ : ( あ、ど , っ 「世界一 ! 」気どった包丁さばきで鮭の皮を剥がしながら、 「今日は外貨を持ち合わせていないのですよ : マ しょ , つ、も、ないでしょ , っ ! しかし、誓ってもよい このつぎ と店員は答えた。 にくるときには、そう、遅くとも月曜までには現金でお返し 巨「ヨィモノハ好キ、ワルイモノハ好キデナイ」と外国人はき びしく一 = ロった。 します。すぐ近くに住んでいるのです、いま火事が起こって いるサドーワャ通りに」 「もちろんですとも ! 」と店員は意気ごんで答えた。 はお

9. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

ゴーリキー 1142 ハンも得ることができずに、貧困に追いたてられ、断腸の 表現形式などにも欠陥はあろう。しかし芸術の真の価値と 思いで、生まれ故郷から三十日もかかるアメリカの南部へ は、表現や技術のうちにのみあるのではなく芸術家がいか でかせ 出稼ぎに行くことになったとしよう。もし、生活がそうな なる新しい認識をなしえたか、いかに新しい発見を芸術に ったら、あんた方はその人間に何を期待できるだろうか。 もちこんだかという点にこそ求められるべきである。 それが誰であろうと同じことだ ! その人は、母親の胸 ゴーリキーの幾多の名作は、今日でも進歩的な世界の民衆 から引き離された子供と変わりはない。他国の酒は苦く、 のあいだに 無数の読者を得ているのである」 ( 草鹿外吉「集 たの 、いをしませてはくれない。飲むほどに、ふさぎの虫にと 英社・デュエット版世界文学全集」恥 ) りつかれ、海綿のようにふやけてしまう。そしてちょうど ふところ ソヴェト社会主義がソルジェニーツイン ( ゴーリキーを論海綿が水を吸い込むように、故国の懐から引き裂かれた どんよく 難する、ゴーリキー以後の最も注視を浴びた作家 ) をはじめ この心は、あらゆる悪を貪欲に吸収し、暗い感情を育むの だ。 (r イタリア物語』「復讐し とするソヴェト体制のなかから育って来た芸術家・思想家を 追放しつくし、さらにはまた新たに誕生したアジアの社会主 義が小舟で海に乗り出す民衆によって見捨てられたすえ、 一片のバンーー人は知っている、人はパンのみに生くるに かて 中・東欧で人々がかって " 進歩的。と目された〈社会主義〉あらず : : : 精神的な糧をこそ人間は求めるものである。事実、 に訣別したあとわれわれはゴーリキー文学のなかに、右の肯放浪のなかに飢えた少年・青年時代を過ごしたゴーリキーに みいだ 定派が求めるどのような〈新しい認識〉と〈発見〉を見出すとって、読書・文学作品は、人間への信頼、革命へのあこが べきなのか。 れ、解放への願いを生みつけるものだった。作家となった彼 『イタリア物語』の次の一節を見直すことは、ゴーリキーがの文学もまた、人びとのために精神の糧を生み出す活動にほ いかにレーニンと親交をもち、スターリンの信頼を得ていた かならなかった。物質の貧困を精神の高貴へと転することに かを知るよりも、この疑問への答えの一つとなるだろうよって、自分の仲間である下層プロレタリアートを政権の高 みへ押しあげる運動に貢献したのが、ゴーリキーの一生であ つ ) 0 かりにある人間が、祖先の骨の埋まる土地でもう一片の 革命は形の上では達成された。だが、その中身はどうなの ハンも得ることができないはめになったとしよう、一片のか。もう一つの人類の偉業であったフランス大革命が変質を けっぺっ

10. 集英社ギャラリー「世界の文学」15 -ロシア3

人にもおよぶ行列ができていて、後尾はクドリンスカヤ広場 これはヴァラエティ劇場の外側での話であったが、内側で まで届いていた。この行列の先頭には、モスクワの演劇界でもまたすさまじい騒ぎだった。早朝から電話が鳴りはじめ、 はよく知られているダフ屋が二十人ほど並んでいた。 リホジェーエフの事務室で、リムスキイの事務室で、経理部 フ コ 行列はひどい興奮状態にあって、傍らを通り過ぎる市民ので、切符売場で、ヴァレヌーハの事務室で、ひっきりなしに ひ 注意を惹き、昨日の驚くべき黒魔術ショーをめぐる煽動的な鳴りつづけていた。ラーストチキンは最初のうちはなにやら プ話題に打ち興じていた。このような話は、昨夜の見世物を見応答し、切符売り係も、案内係も電話ロでなにごとかつぶや いてしたが、 、 , やがて、リホジェーエフはどこか、ヴァレヌー ていなかった会計係のラーストチキンをこのうえなく困惑さ ハはどこか、リムスキイはどこか、とたすねられても、まっ せた。案内係たちはあることないことを彼に語って聞かせ、 あのショーのあと、何人かのご婦人があられもない姿で通り たく答えようがなかったので、応答するのをすっかりやめて を走りまわっていた、とかいうようなたぐいの話までしたのしまった。はじめのうちは、「リホジェーエフは自宅です」 である。控え目でおとなしいラーストチキンは、ただ目をば という一一 = ロ葉で済ませようとしていたのだが、相手は、自宅に きせき ちくりさせながらこういった奇蹟のすべてに耳を傾けるばか電話をかけると、リホジェーエフがヴァラエティにいると返 りで、どうすればよいのかさつばりわからす、それでいて、事があった、と一言うのである。 なんらかの措置を講する必要に迫られていたが、それという 興奮した婦人が電話をかけてきて、リムスキイを呼んでほ のも、まさに彼こそは、ヴァラエティ劇場に残された従業員しい というので、自宅の奥さまのところにかけてみるよう のなかで、いまやもっとも責任の重い立場にあったからであにすすめたところ、受話器の向うでわっと泣き出し、自分が る。 丿ムスキイの妻であり、主人がどこにもいないのだ、と答え 午前十時ごろになると、切符を手に入れようとする人々のた。なにか奇妙なことがはじまっていた。掃除婦は、掃除を つ。わ一 列はすっかり膨れあがり、その噂を聞きつけた警察は、驚くするために経理部長の事務室に入ったとき、ドアが大きく開 ほどのすばやさで警官と騎馬の一隊を派遣し、行列もある程け放たれ、電灯もついたまま、庭に面した窓ガラスは破れ、 ひじかけいす だれ 度の秩序をとりもどした。しかし、整然と並んではいたもの肘掛椅子は床に転がり、誰もいなかった、と早くもみんなに ちょうだ、 の、一キロにおよぶ長蛇の列は、それ自体、すでにきわめて語って聞かせていた。 十時過ぎに、リ ムスギィ夫人がヴァラエティ劇場に駆けこ 誘惑的で、サドーワャ通りの市民を驚嘆させるにじゅうぶん であった。 んできた。彼女は泣き喚き、両手を揉みしだいた。ラースト せんどう わめ