1299 解説 マーク・トウェイン ・イン ・イングランドにあり、そのニュ 心は東部のニュ アメリカ的文学伝統の確立 グランドは、依然、文化的にはヨーロッパの影響の下にあっ マーク・トウェインといえば、わが国でも昔から少年小説 た。そうしたなかで、ラルフ・ウォルドー・エマソンは、一 フィ の傑作「トム・ソーヤーの冒険』や「ハックルべリー 八三七年、アメリカの知的独立宣言と称される「アメリカの ンの冒険』などで広く親しまれているが、彼は単にそうした学者」と題した講演で文化面におけるアメリカの独立と自己 少年小説の作家であるだけでなく、十九世紀後半のアメリカ信頼を知識人レベルで訴えたが、それを一般大衆レベルで主 を代表する国民的な大作家であり、そのすぐれた作品によっ張したのは、その二年前の一八三五年に南西部ミズー て今世紀のアメリカ文学に大きな影響をあたえた。アーネス名もない開拓村に生まれたマーク・トウェインであった。工 アメリカ東部 ト・ヘミングウェイが、「すべての現代アメリカ文学は「ハ マソンはかって「ヨーロッパはアレゲーニー山脈 ( の山脈でアパ ックルべリ ・フィン』という一冊の本に由来する」と言っ ラチア山 ) にまで及んでいる。アメリカはその向こうから始ま たことはよく知られているが、彼は、雄大なミシシッビー る」と言って、アメリカの西部こそ真のアメリカであるとい を背景に少年時代の思い出を叙事詩的に綴ったこのアメリカう考えを表明したが、マーク・トウェインは、まさにそうし 文学屈指の傑作で、真にアメリカ的と称するにふさわしい文 たエマソンの予一言を実現した文学者であった。 学伝統を確立したのであった。 西部辺境地での少年時代 マーク・トウェインがこのよ、つにアメリカ独自の文学伝統 フロンティア の確立者の一人となったのは、ひとつには、彼がヨーロツ。ハ 一八三五年、ミシシッピー川西岸の、当時、開拓線の最先 リ州フロリダに生まれたマーク・ト 文化に影響されることの少ないアメリカの南西部の辺境に生端の小村であったミズー まれ育ったからである。十九世紀のアメリカでは、文化の中ウェイン ( 本名サミュエル・・クレメンズ ) は、辺境地の 解説 渡辺利雄
669 緋文字 すきま ではなくして行政府の出先機関が置かれていることを示して には、石の隙間から生えた草がけっこうのびていて、近来は いる。正面には木製の円柱六本でバルコニーを支える形の柱用事でここを踏みならす人々の足がさほど繁くはないことを みかげ 廊がしつらえられ、そこから下の道路に向かって幅広い御影語っている。とはいうものの、一年のうちに何カ月かは、昼 わし かつばっ 石の階段がきざまれている。玄関の上には大きなアメリカ鷲前のひととき、あたりがにわかに活気づき、い つになく活 たて アメリカの紋 3 の ) の像がとまり、翼をひろげ、胸には楯をあて、に業務が行われることも珍しくない。そんな折、年輩の市民 やじり たしか雷電と鏃のついた矢とがまじった束を両の脚に握ってならば、先の対英戦争の前、セールムが港町として立派にそ いたと思う。気の毒にもこの鳥にはいつも気分がすぐれない の機能を発揮していた頃のことを思い出すであろう。それが ふ、つ ) い という特徴があって、ロつきも目つきも嶮しく、全体の風采今では土地の商人や船主までが蔑視して、おのれの町の波止 / = っ - も、つ が獰猛な感じを与えるために、罪もない土地の人たちに危害場は傷み崩れてゆくにまかせながら、みすからの船荷はニュ を加えそうに見える上に、とりわけ、その翼の影が包み込ん ーヨークやボストンにまわして、その地に溢れかえる商取引 でいるこの建物に入り込もうとする者は、身の安全に気を付の洪水の中に、目にも見えぬくらいの、しかも要らざる一滴 けるがよいと、全市民に向かって警告しているようにさえ見をいやが上にもつけ加えているありさまなのだ。でも、先に そう えかねぬ。それなのに、多くの人たちは、この連邦鷲のロや述べたような朝には、三、四艘の船が、たいていはアフリカ かましげな風貌にもかかわらす、今のこの瞬間にも、その翼や南アメリカからだが、たまたま一度に入港したか、もしく の下に庇護を求めようとしているのだ。おそらくは、この鳥はそれらの地方に向けて出帆間際の場合だが、御影石の石段 まくら の胸が、綿毛の枕の柔かさと心地よさとを余すところなくそを活に昇り降りする足音が、頻繁に響き渡る。港に着い さび なえているものと期待しているのであろう。ところがこの鳥ばかりの船長が、錆がきた・フリキの箱に船の書類一式を収め こわき は、ごくごく機嫌のよい時でさえも、さしたるやさしさなど たのを小脇に かかえ、細君からねぎらいの一一一一口葉をかけられる 持ち合わせておらぬ。それどころか、おそかれ早かれーーーおよりも先に、その潮焼けした顔をこの場に見せる。それから く亠っド・し そいよりも早い方が多いが 爪で掻いたり嘴でつついた船の所有主。いま終ったばかりの航海の思惑が、すぐにも金 り、あるいは鏃のついた矢の先で突いて傷を負わせたりして、 になり変わる商品となって実現したか、それとも一人として ひなどり とかくにおのれの雛鳥を放り出してしまうのである。 引き取り手のない厄介な品物の山にうずもれる羽目に立ち至 上に述べたこの建物ーー今ここでこれをこの港の税関であったかによって、はしゃいでいるか深刻か、愛想がよいか不 ると言っても不都合はないだろうが、この税関の周辺の石畳機嫌かの違いはあるものの、これもきまって姿を見せる。更 、か、つば、つ つめか ころ あふ
ることになるのであった。 アメリカ文学のリンカーン おそらく、社会が急激に変化し、思想的にも混乱が目立っ た十九世紀末から今世紀初頭のアメリカで、誠実に生きよう としたマーク・トウェインが救いようのない懐疑にとりつか れ、最後は宇宙全体を幻影とみなすようになったのは避けが たいことであっただろう。しかし、そうした晩年の暗い思想 にもかかわらす、彼が後世に残した数々の作品は、その波乱 にみちた、振幅の激しい生とともに、アメリカ文学にとっ てかけがえのない遺産であった。彼の親友・・ハウエル ズは、彼の死後、生涯にわたる交友関係や、その文学の意義 と魅力を敬愛の念をこめて綴った追文「わがマーク・トウ ェイン」で、彼を「アメリカ文学のリンカーン」になそらえ たが、アメリカ一般民衆の夢と現実を彼ら自身の一一 = ロ葉で表現 し、擁護した、その大衆性において、また、アメリカ社会の 矛盾と限界に鋭い批判の眼を向け、その解決、克服を求めた 批判精神において、彼はまさに「リンカーン」的な存在であ った。彼の生涯と作品を通して、われわれはアメリカの最も 本質的な部分を知ることができる。そうした、いかにもアメ 説リカ的な文学者として、マーク・トウェインは、現在も、ア メリカ文学史上、揺るぎない地歩を占めているのである。
しかし、アメリカはやがて資本主義社会のさまざまな矛盾 会への急速な変化、彼自身の経済的な破綻と愛する妻と二人 の娘をつぎつぎに亡くした家庭的な不幸、そしてその根底にやひずみを露呈し始める。社会意識の強いマーク・トウェイ ある彼の遺伝的な体質、つまり彼自身が「人間とは何か ? 』 ンは決してそうした矛盾に無関心ではいられす、社会問題に テンペ一フメント トレイニング ン イで説く環境の「教練」と、生まれもった「体質」が複雑積極的に発一 = ロする。しかし、アメリカの社会は国内的には産 工 ウにからみあって生じた結果というべきであろう。 業主義、物質主義、対外的にはいわゆる帝国主義的拡張政策 、「フォーーにーこ ともかく、結婚後は、コネティカット羽 の方向をとり、それに応じて、彼の思想には暗い影がさし始 ク 一新築した豪邸で、表面的には幸福な家庭人として、また社会め、発表する作品も最初の頃の底抜けの明るさはしだいに姿 マ 的にも最も人気のある作家として「トム・ソーヤーの冒険』を消してゆく。たとえば、彼の空想ュートピア小説として有 や、『ミシシッピー河上の生活』「ハックルべリー ・フィンの名な「アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』は、六 冒険』『アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』など、世紀イギリスのアーサー王時代に舞いもどったヤンキーを主 中期の最も充実した作品をつぎつぎ書いていった。 人公にして、過去の封建制度や魔術迷信に対する十九世紀の 民主主義、科学思想、機械文明の優位を一面で信じ、主人公 若々しい文学者として出発 のヤンキーに数々の改革を行なわせ、文明の恩恵を中世の暗 彳の結婚から一足飛びに晩年の厭世思想を先に紹介したが、黒時代にもたらすが、しかし、それにもかかわらす、作品の マーク・トウェインは、元来、アメリカの若々しい精神と 結末ではそうした改革の成果をダイナマイトで一挙に破壊す おうか たくま 逞しい生活体験を屈託のない新鮮な文章で謳歌したきわめる。それによって、彼は文明の進歩に懐疑的な態度を象徴的 て楽観的な作家であった。十九世紀後半のアメリカは、急速に表明したといえるだろう。そして、こうした傾向は、彼の み な産業の発達と西部開拓の進展などによって、物質的には末人間不信とともに、その後ますます強まってゆき、晩年の 曾有の発展を遂げており、こうした国家的な成長をみて、一「人間とは何か ? 』、そして遺稿として残された「不思議な少 般の国民は自国アメリカの末来に大きな自信と明るい期待を年』などに繰り返し記されることになる。 いだいていた。初期のマーク・トウェインは、その時代風潮 古きよきアメリカへの郷愁と文明社会批判 を一般大衆のために代弁したのである。彼が国民的な作家と こうしたマーク・トウェインの懐疑的な傾向は、年ととも して安定した人気を保っていたのは、まさにそうした彼の一 に強まり、やがてアメリカ社会に対する激しい怒り、絶望と 面によってであった。 はたん
解説 うであるように、そこで語られる物語の舞台がなぜ南部でな 時空を超えて ければならないのか、その必然性は必ずしも明らかではない なるほど、ポーの作品には、たとえば「モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポーの作品を読んで、ます感じられる たんてい ・ロジェの謎」「盗まれた手紙」のように、名探偵デ ことのひとつは、通常の意味での時間的および空間的限定が だれ ほとんど完全にと言っていいほど欠けているという印象であュバンを主人公とする、今日推理小説の歴史を語る際誰もが その歴史を開いた最初の記念碑的な作品として見る一連の推 る。彼の作品のうちで最も広く知られ、昔から愛読されてい る「アッシャー館の崩壊」や「黒猫」のような名作をはじめ理小説があり、そこではバリが物語の舞台となっていて、時 間的・空間的限定の欠落の印象を与えない。あるいはまた として、みすから編集者として敏腕をふるった幾つかの雑誌 を中、いに、十九世紀中葉のアメリカ各地の雑誌に精力的に書「群集の人」におけるロンドン、「リジーア」や「ウィリア ム・ウイルソン」における英国の田舎、「メエルシュトレエ きまくった彼の短篇の多くは、彼が養子として育てられ教育 ムの底へ」におけるノルウェーの辺境ロフォーデン地方、 を受けたアメリカ南部はもとより、そもそも十九世紀アメリ 力という時間的にも空間的にも限定され、制約された特定の「落し穴と振子」におけるス。ヘインの都市トレドなどといっ た具合に、アメリカ以外の土地を舞台とする作品があること 土地からほとんど完全に切り離され、その文化や社会や環境 こんせき は改めて指摘するまでもないだろう。しかしそれならなぜア の痕跡を意識的に排除することによって成立しているように 説さえ見える。一応アメリカ南部の土地を舞台にしている「黄メリカを舞台とする作品を書かなかったのか。そのことは、 金虫」や「鋸山奇談」にしても、その特定の土地の存在感は彼の文学の特性を考えるにあたってかなり重要な糸口を与え 店はなはだ稀薄だし、そこに住む人間たちとその土地との結びてくれるように思われる。 だがそれにしても、アメリカ以外の土地を舞台とする作品 つきもすこぶる微弱である。とくに「鋸山奇談」の場合がそ の、一ギ一りやま くろねこ 富士川義之 「マリ
1366 川 4 T 4 / 〃 マーク・トウェイン 『無邪気な外遊記』 The 0 ミ s ゝ、 04 、 1869 一八六七年、ある新聞の特派員としてレス諸島に立ち寄り、ジプラルタルを経ク教会や、そこに寄生する観光ガイドの 欧州・聖地観光旅行団に参加したマー て、マルセイユに上陸し、その後はパリ、 浅ましい生態にも批判の眼を向ける。も ク・トウェインが、二年後の一八六九年、イタリアの諸都市、アテネ、コンスタンちろん、彼の批判は恐いもの知らすとい 旧大陸での見聞や体験をまとめて出版しチノープル、そしてパレスチナに向うマ ってよい「無邪気な」観光客たちが発揮 た旅行記。それまで旧大陸の文化伝統は、 ーク・トウェインは、こうした豪勢な観する赤毛布振りにも向けられ、そのかぎ 東部出身の教養ある文学者たちによって光旅行に出かける余裕のないアメリカのりではこの作品は自国アメリカ文化を批 さんび イイ視され、讚美されることが多かった 庶民のために、それぞれの土地の風物習判する性格ももっている。 が、マーク・トウェインは、この型破り慣をいかにも旅行記らしく紹介してゆく しかし、出版当時、アメリカの読者が の旅行記で、そうした旧大陸の文化の虚が、同時に「自分よりも先に旅行した人この作品を歓迎したのは、彼が感激をこ 偽と堕落を鋭く指摘するとともに、自国びとの眼ではなく、自分自身の眼で」見めて語るヴェルサイユ宮殿の庭園や、ヴ たくま アメリカの粗雑であっても健全で逞しい たことをそのまま書き記すと「前書き」 ェニスの運河の絵のような夜景、ローマ で宣一言する彼は、ヨーロッパ 文化の優越性を主張し、旧大陸とアメリ のすばらしのサン・。ヒエトロ寺院、月光を浴びたバ かんたん ルテノンであり、 力の関係に新時代を画した。また、このい大教会や古城にただ感激感歎するだけ リの理髪店や、有名 積極的な姿勢と、彼一流のユーモア、奇でなく、そうした華やかな文化遺産のか なトルコ風呂での幻滅的体験、生まれて 抜な観察・描写がアメリカの一般読者にげで無知と貧困に苦しむ一般庶民の毎日 初めて見たフレンチ・カンカン、彼が感 受けて、半年間に三万部を売り切るとい の平凡な生活をヨーロッパ の偽らざる現激のあまり涙を流したというアダムの墓 う当時としては桁違いの、、ヘストセラーと実として描き出す。パレスチナの聖地も、 など、感激や失敗の物語であったことは なった。こうして彼は、この一作の成功現実には、聖書や観光案内書で美しく描確かである。しかし、この作品の真価は、 らいびよ、つにん で、西部の「ほら話」を得意とする単な かれた魅惑の世界ではなく、孀病人や、何といっても、一見「無邪気な」観光客 るユーモア作家ではなく、独自な性格を不具者、肓人、白痴などが観光客にわすの眼を借りて、形骸化し、空洞化したヨ もったアメリカ文化を代表する国民的なかばかりの金銭をせびりに群がってくる ーロッパ文化に関する彼の鋭い観察であ 不毛の土地であることを事実としてそのって、その点の新鮮さは、現在でも読む 作家という地位を得た。 者に訴える真実を含んでいる。 当時の観光ルートに従って、ますアゾ まま記録する。また観光化したカトリッ
文学作品キイノート◇アメリカ— アメリカ文学史年表 メルヴィル ホーソーン マーク・トウェイン ヘンリー・ジェイムズ ヘンリー・ジェイムズ 1333 解説・杉浦銀策 ・・並日ち 著作年譜 解説・富士川義之ち年評 日 ~ 者作住・並 解説・山下宏一 年譜四著作年譜四 解説・渡辺利雄 著作年譜粥 解説・大原千代子引年譜必著作年譜 オウエン・ウイングレイヴの悲劇 密林の獣 1299 1281 1241 ⅱ日 1310 林節雄訳 大原千代子訳 1192 1153
ロ絵解説高階秀爾 この絵が最初に発表された時、ビンガムが与え た題名は、「フランス生まれの商人と、インディ アン女を母とするその息子」というものであった。 この題名は当時のアメリカ中西部の状況を鮮明に 浮き上がらせてくれる。十九世紀の中葉は、中西 部においてもすでに活発な商業活動が展開されて いて、毛皮の取引も主として大規模な会社によっ て組織的に行われてした。・ 、「ヒンガムの「毛皮商 人」は、そのような時代の波から取り残された、 やがて消え行く運命の存在である。仔熊を連れた 孤独な親子の周囲に、どこかノスタルジックな影 が漂っているのは、そのためであろう。すでに一 八三六年に、ワシントン・アーヴィングは、皮革 たど 商一家の歴史を辿った小説〔。アストーリア新のな かで、「半ば野性人で半ば文明人」の貧しいフラ ンス商人のことを語っている。 もや しかし、暖かい銀色のに包まれた風景の描写 は素晴しい ジョージ・カレプ・ビンガム ( 一 一一ー七九 ) は、ヴァージニア州に生まれたが、 まレ」り 父の仕事の関係で、幼い時からミズーリ河り珒で 育った。絵画はほとんど独学である。肖像画家と しても活躍したが、何よりもアメリカの自然と生 活を愛惜の情をこめて描き出した作品で知られる。 マーク・トウェインが〕。ミシシッ。ヒー河上の生 活で語っているような、南北戦争以前の若い 素朴なアメリカの姿が、ここにはある。
アメリカ
れを事実として受け取った当時の多くの読者をまんまと一杯土着的な要素の意識的な拒否の姿勢であると思われる。土着 むたん 食わせた短篇「軽気球夢譚」などによっても端的に知られる的なものの拒否とはつまり、言葉を換えて言えば、自分がそ とおりである。いかにももっともらしい事実や通俗科学的な こで生れ育ったアメリカの風土から、さらにはその風土の上 きまじめ いやおう し日石に印され、否応なくそこに縛りつけられている自分 ポ知識をふんだんに並べ立てながら、生真面目な読者をかつぎ、 たぶらかすことに無上の喜びを覚えるといったポーの奇談癖、の肉体から逃れることにほかなるまい。ポーの物語の主人公 誇張癖が、アメリカ土着の文学伝統、つまり西部を中心に広たちがあれほどまで自分の出自や家系や名前すらの公表を拒 く行き渡り、マーク・トウェインの「西部旅行奇談』にいたみ、それらを執拗に隠蔽しようとする傾向を目立って示すの ってその頂点に達する、反ヨーロッパ的傾向の強いユーモラも、とどのつまりはそれらが肉体の属性であるためではなか スな「ほら話」の伝統に根ざすものであることは、一部の研ろうか。さらに言うなら、それらは精神ないしは魂にとって まったく非本質的な、瑣末な事柄に属するためではなかろう 究家によってたびたび強調されるところである。そのような ひんばん か。彼の作品に頻繁に認められる特性、すなわち夢や想像の 解釈は確かに、ともすればポーの文学世界を、アメリカの土 着的、風土的な影響から隔絶した、土の臭いのしないきわめ世界への著しい傾斜が、自分を特定の土地に縛りつける肉体 じゅばく て人工的な世界として受け取りがちなわれわれの通念を反省の呪縛から解き放たれ、時間も、空間も、あるいはすべての しげきギ ) い ものが、内面の魂の領域に還元され、そこに真実を見出そう させ、再考させる上での刺戟剤にはなるのだが、一部のポー つう とすることをもつばら顕一小していることは明らかである。物 通の読者に珍重されている彼の「ほら話」やユーモア小説が、 それならなぜアメリカを舞台にしないで、たとえば月世界や語の主人公たちはほとんどみな一様に、外的な尺度の基準、 大西洋横断のような話になるのかという根本的な疑念を完全とりわけ社会的な道徳や倫理の基準そのものにかたくなに背 を向け、自分たちの置かれた時間的にも空間的にも限定され に晴らしてくれるまでにはいたらない。 た外的現実の世界からの脱出を果敢に企て、ひたすら夢や想 魂の上昇と下降の運動 像力の創り出す世界に沈潜しているからだ。したがって彼ら は、軽気球で大空や月世界へ向かって飛び立ったり、あるい 若干の例外的作品があるにせよ、あるいは外国の読者には ちかろう 、つカカ 容易に窺い知ることのできないようなアメリカの土着的な発は逆に大地の奥深く、地下牢とか地下納骨堂のなかや、世界 想の源泉と隠微に結びついた要素があるにもせよ、おおよその中心へと向かってメエルシュトレエムの底へと下降して行 くのである。あるいはまた、意識の根源にある、いわゆる潜 のところ、ポーの文学の基底に深く根を張っているものは、 さまっ