1207 解説 解説 ヘンリー・ミラー 包まれ、小説家としてよりも、性意識の変革者とか国外放浪 ニ十世紀の放浪者 者とか「ビッグ・サーの聖者」とかヒッビーの元祖などとい った、作品評価とはほとんど無関係な、いわば社会現象的な ー・ミラーの良い読者ではない ばくはかならすしもヘンリ かたよ 側面からとらえられがちな現代作家も珍しいだろう。そうし 最初にはっきりとばく自身の偏った好みをいってしまえば、 おおよそのところ何がしかの興味をそそられるのは、『北回た試みは、生活者としてのミラーを理解するために時にはそ 帰線』から『暗い春』を経て『南回帰線』にいたる一九三〇れなりの効用をもっかもしれないが、だからといってそのた 年代に書かれた作品に限られている。四〇年代以後の作品でめに彼の文学的業績が明らかになることなど到底ありえない ほ、つド ) トつ は、ギリシアの土地そのもののなかに身を横たえ、豊饒なのである。それゆえ、ここではただ、ばくの理解した限りで ゲニウス・ロキ イメージと流れるような躍動的な文体でその土地の霊を見事のミラーの文学の特質と思われるものをいくつか指摘し、あ かんき とは読者の判断にまかせたいと思う。というのも、ミラーの に喚起させて見せた、散文詩風の紀行文『マルーシの巨像』 ような作家を前にしては、人はおのれの偏見や偏愛を告白し 以外はあまり親しみを感じない 例の長大な三部作『杯薇色の十字架』などは、『ネクサス』てあとはロをつぐむしかないと思われるからである。 はまだしも、『セクサス』や『プレクサス』にいたっては、 三〇年代前衛文学との類似性 、冗長な告白小説的な趣向と その平板な記録風の文体といし リー・ミラーは一八九一年ニューヨーク生まれである。 ミラーの欠陥があまりにも 、くどすぎる性描写といし あからさまに、集約的に露呈している趣があって、あまり興処女作『北回帰線』が。ハリのオペリスク・プレスから出版さ れたのは一九三四年のことだから、そのとき彼は四十の坂を 趣をそそらない。 とうに越えていたわけである。日ごろから作家の戸籍上の事 だがそれにしても、ミラーほど伝説のヴェールに幾重にも 富士川義之
1275 文学作品キイノート ′、ンリー・ミラー ヴァイタリズム こには、彼の生命主義、汎現在時主義、を記すことにより、創造行為における自りの糸により巧みに縫い合わせ、読者の めいりよう 黙示録的世界観が明瞭に記されている。由、芸術作品の自律性・虚構性を主張し興味をつないでゆくところに、文学の やくじよ また、ミラー自身によって書かれた、ている。読者に、リアリスティックな馬「仕立屋」としてのミラーの面目が躍如 『北回帰線』の解説としても読める。 の絵に対する期待を十分にいだかせておしている。 「巨大都市狂」ーー本短編集の冒頭に据 「わたしには天使のすかしが入ってい いた上で、その期待を裏切ってゆくとい えられた「第十四地区」は、共同体に生 一枚の絵画がいかにして描かれう「異化」の手法により、読者のリアリ ていくか、そのプロセスをこと細かに記ズム的芸術観にゆさぶりをかける挑発的きる人々を謳ったものだが、それと対を なすように、末尾を飾るこの作品は、共 した短編であり、ミラーは、この作品に な作品である。 おいて、己れの反リアリズム論を展開し「仕立屋」 ミラーが、酒好きの父、同体が崩壊した後、巨大都市でアトム化 ている。彼は、表象されるもの ( Ⅱ馬 ) その友人、気の狂った叔母のこと、祖父し孤独になった人々のことを謳っている。 なりわい が、表象行為 ( 馬の絵を描く行為 ) の中の代から続くミラー家の生業である仕立現代都市のグロテスクな姿、黙示録的ヴ で、自由自在にデフォルメされ、描かれ屋のこと、そして単調な仕立屋の仕事をイジョンが、語句の反復を主体にした音 た絵が、しだいに写実性、具象性を欠い手伝っていた己れの青春時代のことを回楽的文章によって提一小されている。 てゆき、ついには、表象されるものから想風に記した自伝的作品である。断片的 独立した一つのオプジェと化すプロセスなエピソードを、ユーモラスで軽妙な語 『クリシーの静かな日々』 2 ミ、ミ Da C 、一 956 になる。「私」はニースとの房事にこの これは、ミラーとその友人アルフレッれた。 ・ベルレス ( ドイツ生まれの作家 ) の この小説は、大体三つのエピソードか上なく満足し、有り金すべてを彼女に与 クリシー ( バリ郊外の町 ) における共同ら成っている。まずはじめは、語り手でえてしまう。一文なしになった「私」は、 生活に題材をとって書かれた、自伝的色ある「私」とニースという名の娼婦との空腹をかかえて家路を急ぐ。 彩の濃い作品である。一九四〇年に書か情事。ニースは、洗練された物腰の、知その数日後、「私」とその友人力ール れたものであるが、一九五六年に改稿さ的な娼婦であり、その上、こよなく美しは、一人の女をアパートに連れこむ。こ じ。ようし れ、同年オリンビア・プレスより上梓さ く官能的であるゆえ、「私」の崇拝の的の女はヒステリックで、少々頭がおかし
1277 文学作品キイノート 1 舅一 ~ ヘンリー・ミラー ①〈ンリ ! ミラーの自筆原稿 ②「北回帰線』初版本の扉 ③ヘンリー・。。フーの自画象 ④プロンズのポートレイト ⑤プラ「サイによる。、ラーのカリカチ、ア
柄について別段特別の関心や興味を持ち合わせているわけでを植えつけるに足るほどの特質、つまり三〇年代のある種の けんちょ もないのだが、この事実を初めて知ったとき、ある種の驚き、前衛文学者たちにかなり顕著に見られたいくつかの特質がく おば というよりもむしろ軽い衝撃を受けたことを憶えている。ば つきりと鮮明に刻みこまれている。なかんすくまず第一に挙 ラくの大まかな印象、あるいは先入観では、ミラーは、実際にげられるのは、良くも悪くも彼らの文学の本質を決定してい は六歳年下のフォークナーや、八歳年下のヘミングウェイのるように思えるのだが、一種少年的な感受性の働きへのほと はんま、つ ようないわゆる「失われた世代」の作家たちさえよりも、なんど全面的な依存ということである、奔放な生命力の爆発と んとなく若い作家のような気がしていたからである。ところしての暴力や行動へのロマンティックな自己陶酔といし が、少なくとも年齢的な観点からいえば、彼はフォークナー 己拡大と発見の手段としての書くという行為への素朴な信頼 やヘミングウェイよりも、たとえば一八八、 ノ年生まれの・ 、自己と世界の荒廃と腐敗とに対する本能的で力強い ・エリオットにより接近しているといえるのだ。 抗議の叫びと、 しし、それらの根底には明らかに一種の少年的 - 一つけい ばくがかってこうした滑稽な錯覚に陥っていたことにはそなナイープな感受性の働きが見られ、それは対外的にはポへ れ相応の理由がなかったわけではない。 というのも、『北回ミアン的な姿勢、あるいは反抗者的態度となって現われてい 帰線』から、『南回帰線』にいたるミラーの一連の風変わりるのだが、 ほかでもないこの特質が、ミラーの場合、たとえ な小説を、ばくはまず何よりも、一九三〇年代の英語圏におば『黒い本』のダレルや詩と散文におけるトマスなど以上に、 おくめん ける実験的な前衛文学の一つの系列、すなわちデューナ・ はるかに臆面もなく露骨に示されていると思ったことが、 ーンズの「夜の森』、ロレンス・ダレルの『黒い本』、デイラくのつまらぬ誤解のよってきたるそもそものゆえんだったわ ン・トマスのいくつかの幻想的散文、あるいはまた、詩と散けである。 文を交互に用いた・・オーデンの野心作『雄弁家たち』 うかっ 詩と散文の接近 などに漠然と引きつけて読み、まったく迂闊な話だが、彼は これらの小説家や詩人たちよりもせいぜい十歳くらい年長の 三〇年代の前衛文学を引き合いに出した以上、ミラーとの 若い作家だと勝手に思いこんでいたからである。 ( もっとも、 関連でぜひふれておかねばならない特質がもう一つある。そ デューナ・ ーンズがミラーよりも一つ年下であることを知れは詩と散文の接近ということである。 さんび ったのはもっと後のことだけれども ) 。 エリオットが、『北回帰線』の最初の讚美者の一人であっ 実際、初期のミラーの小説には、こうした軽はすみな印象たことはすでに有名な事実である。共にアメリカ生まれで、
1214 じようぜっ 堯舌のおもむくま 局のところ、そこに現前する混沌とした状態が、沸騰する生的な事実の羅列や忠実な記録ではない。自 命力そのものの混沌であり、創造的エネルギーの源泉であるまに、 ミラーは、自己の経験をほとんど末整理のまま、前後 ことをばくたちになまなましく感得させることにつきるとい の脈絡もしばしば欠いたまま雑然と提示しているが、そうす ラってよいだろう。 ることによって、複雑きわまる自己を発見し、ひいては新し この混沌への志向はミラーのほとんどすべての作品に見出 い自己に生まれかわろうと試みているのである。その契機と せる最大の特徴だが、彼はなんらかの知的な操作によってこ なるのは、黒い薔薇のイメージでとらえられた、彼にとって フアム・ファタール れに秩序や統一性を与えようとはしない。彼にとっては無定いわば「宿命の女」ともいうべきマーラとの愛の生活である。 形な混沌こそが形式であり、無秩序という名の秩序を意味し この女性との恋愛を通じて、彼は真の自己を発見し、新しい ているからだ。この点で彼は、混沌とした現実を秩序化する存在として生まれかわろうとするのだが、この作品に示され ための手段として神話的な枠組を用いた『ュリシーズ』のジているのは、そうした自己再生にいたるまでの過程における、 ョイスとはまさに対極に位置しているのである。 混沌とした状態の再現であり描写である。彼が「卵巣の市街 別の言葉でいいかえるならば、ミラーは徹底して自己の経電車に乗って」という副題によって暗一小しようとしたものは、 験に執着した作家である。『北回帰線』や『南回帰線』をは この混沌とした内面的な世界にほかならないと思われる。 じめとする彼の主要な小説がすべて自伝形式を採用している 『南回帰線』はいろんな意味でミラーの最上の小説といえる のは、書くという行為を通じて、この経験の流れのなかにふかもしれない。なかんずく、ニューヨークを扱った都市小説 たたび身をまかせ、そのなかでもう一度生きようとする根源として卓れた出来ばえを示している。特にこの都市の一種異 的な欲求の現われにほかならないと思われる。そのとき、作様な活気や荒廃ぶりを幻想的なイメージを駆使してとらえた 品中に描かれたかずかすの経験は、ストーリ ーの展開を動的描写が、『北回帰線』におけるバリの描写よりも一段と生彩 に押し進めてゆく梃子の役割を果たすと同時に、作品の唯一を放っていることは否定できないであろう。そしてなにより ず・いしょ の枠組とも形式ともなるのである。 も魅力的なのは、この小説の随処に見出せる、なかば写実的、 『南回帰線』は一見とらえどころのない、無定形な感じを与なかば幻想的な散文において、 ミラーの経験が、流れるよう える作品であるが、その根底にあるものは、こうした経験のオ よ崔動的なイメージの助けを借りて歌と化し、豊麗な音楽を 流れに身をまかせようとする作者の姿勢である。もちろん、奏でていることである。そこにミラーの散文が到達した最高 この作品は自伝的な体裁をとっているとしても、単なる外面の成果があることはいうまでもない ふっとう すぐ ほうれい
1209 解説 ヨーロッヾ、 ノ特にフランスに強いれと共感を抱くことによられていると思われるからである。たとえば『夜の森』に寄 ってそれそれの文学的経歴の第一歩を踏み出したという点をせた序文のなかで、彼はこの作品を本当に理解しうるのは 別にすれば、ミラーとエリオットのあいだには、ほとんど越え「詩の読者」のみであるというすこぶる大胆な断定を下して だれ がたい溝が横たわっていることは誰の目にも明白な事実であ いるが、そのとき彼の念頭にあったのは、詩と散文の相互の ろう。しかしそれにもかかわらす、たとえば「ミラー・ダレ歩み寄り、誤解を怖れずにいえば、それ自体詩的構造によっ ル往復書簡集』などからもその一端がうかがえるように、 こて貫かれた小説、というよりもむしろ反小説の可能性に対す の二人のきわめて異質な文学者が、『北回帰線』を通じてたる期待であった。一九二三年に発表された有名なエッセイ 。、いに歩み寄ったことがあるという事実は、エリオットが現「『ュリシーズ』、秩序、神話」のなかで、彼は、『ュリシー 代小説に関してほとんど沈黙を守り通し、ろくに発言らしい ズ』を小説ではなく叙事詩と呼んだが、これは一種の反小説 発一一 = ロもしていないだけにやはり注目に値する。しかも彼はこ 論ともいえるもので、小説の未来に対する彼の期待がここで の作品のほかに、『夜の森』と『黒い本』への讚辞を残して展開された考え方にすべて直結していることは広く知られて いるのだが、そこには単に彼の個人的な好みが示されている いる通りである。 だけにとどまらす、小説の末来に対するある種の期待が籠め その期待のある程度の実現を彼は、『北回帰線』、「夜の森』、 あ、 ) が 上 / 八歳か九歳頃のヘンリ 父【母、妺ロレッタとともに 下 / ミラーの評伝を書いた 一プラッサイの投宿するパリのホテルに 現われたミラー ( 一九三二年 )
1211 解説 わ、くはな、つ んだ。彼らは、他の人びとが夢のなかで腰をおろす椅子を ばくは薬包のように世の中からはじき出されてきた。農 作る。街路の真ん中には車輪が一つ。その車輪の轂に絞首 霧が沈殿し、大地は凍った脂で汚れている。ばくは都市が 生暖かい肉体から取り出されたばかりの心臓のように鼓動台が取付けてある。死者たちが気が狂ったようにその絞首 かのう 台の上に登ろうとしている。しかし車輪の回転があまりに しているのを感じ取ることができる。ホテルの窓は化膿し、 燃焼中の化学薬品からのような堪えがたい、つんとする臭も速すぎるので : 気を放っている。セーヌ川をのそきこむと泥と荒廃とが見 おお おば 初期のミラーの作品中のいたるところに見出せるのだが、 える。街頭は溺れ、男も女も窒息死し、橋は家々に蔽われ、 と一つ 家々は愛の屠殺場である。一人の男がアコーディオンを紐これもまた、日常的な現実の描写が突如として夢や幻想に急 こんとん で腹に縛りつけ、壁を背にして立っている。彼の両手は手転回し、めまぐるしく移り変わる一種とらえがたい混沌のな げんわく 首のところで切断されているが、アコーディオンは彼の義かへと一挙に突き落されるような、そうした眩惑に読者が襲 足のあいだで蛇入れの袋のようにのたうちまわっている。われる例の一つである。 の , つめ・ 夢とも幻想ともっかぬ奇怪な情景が語り手の脳裡で勝手に 宇宙は縮小した。それは、ほんの一。フロックほどの長さと 。ここに住む人びとは死自己増殖し、現実のパリの風景や人間はその過程で途方もな なり、星もなく木もなく川もない ひも 上 / 絵を描いているミラー 一九六八年、カリフォルニア州 シフィック・パリセイズにて 下 / ホキ徳田と談笑するミラー
ミラー 654 の子だか女の子だか何だかは、それが煙草の名前だというこ重みに押しひしがれながら、ゆっくりと果てしのない円を描 とを知って、やがては自分でもその煙草を、たぶん一日に一 いて、自作のなかに不滅の位置を占めるべく、天国をさして 箱ぐらい吸うようになるだろう。子宮のなかでは、手の指の、昇って行った。そこでは、額のすべすべしたシェイクス。ヒア つめ そして足の指の一本一本に爪が生えてきている。ちょうどそが、優雅な四つ折り本と諷刺とをもって浮かびあがってくる の辺で、つまり足の指に見えるか見えないかぐらいの小さなべく、底しれぬ感動の夢のなかへと落ちこんで行った。理解 こうしよう 爪が生えた段階で、おまえは停止することもできたのだ。そ外の青緑色の霜が、哄笑の疾風に吹きはらわれた。食用蛙 して何とかその小さなものの正体を知ろうとして、さんざんの眼の中心からは、注釈も分類もできない、勘定も定義もで 頭をひねることもできたのだ。子宮の台帳の片側には、これきない、澄みきった真っ白な光の輻が放射され、万華鏡のよ までに人間が書いたすべての本、知恵とたわごと、真実と虚うに変化しながら目にもとまらぬ速さで回転していた。食用 偽の、たとえメトセラ並みに長生きしてもその混乱を解きほ蛙ハイミーは、二つの岸のあいだの高い通路上で発生した、 ぐせそうもないような、ごたまぜが詰めこまれた本が記載さ卵巣型のじゃがいもだった。彼のために、摩天楼が建てられ、 れている。台帳のもう一方の側には、足の爪とか、髪の毛と荒野が開拓され、インディアンが大虐殺され、野牛が絶滅さ か、歯とか、血とか、お望みなら卵巣とか、そういったものせられたのだ。彼のために、一対の都市がブルックリン橋で せんかん が数えきれないほど、違った種類のインクで、違った書体で、結ばれ、工事用の潜函が沈められ、櫓から櫓へ鋼索が張り渡 不可解な判読不能の書体で記されている。食用蛙の目は、冷されたのだ。彼のために、空中でさかさまになった男たちが こい脂肪の塊にはめこまれた二つのカラーボタンのようにわ火と煙で文字を書き、彼のために、麻酔薬が発明され、精巧 かんし たしの方を向いていた。それは冷たい汗のにじみ出る太古のな鉗子や目に見えないものでも破壊できる《ビッグ・ 泥の表面にはりついているのだ。。 第一次大戦にドイ車 ) が作りだされた。彼のために、分子は とちらのカラーボタンもサ》 ( が ルーキュプレイション にかわ さらに細かくくだかれ、原子は実質のないものであることが 膠のはがれた卵巣であり、灯下の勉学に少しも役立たない 辞書からはぎ取られた図解だった。眼球の冷たい黄色い脂肪明らかにされた。彼のために、夜ごと空の星が望遠鏡で眺め のなかで鈍く光る二つのボタンの卵巣からは、地底の冷気が、渡され、やがて誕生する宇宙がその懐胎の瞬間を撮影された。 ひしよう 人びとが氷の上で逆立ちして両脚をばたっかせながら食われ彼のために、時間と空間の壁が無視され、鳥の飛翔であれ惑 るのを待っている地獄のスケート・リンクの冷気が吹きつけ星の運行であれ、すべての運動が、誰のものでもない宇宙の はん・はく てくる。そこでは、ダンテが連れもなく、みすからの幻想の高僧たちによって反駁の余地も議論の余地もなく説明された やぐら
1218 ューリッヒで、〔。プレクサス』のドイツ語、イタリア語版なども出ス、イタリア各地を旅行後、ビッグ・サーへ戻る。 ハンブルク滞在 版される。 中、レーディッヒ・ローヴォルト社のレナーテ・ゲルハルト邸で ・一九五六年 ( 六十五歳 ) 「ハリーに夢中』の最初の草稿を書き上げる。 一月、重病の母親を見舞いに、妻とブルックリンへ。三月、母死す。 ・一九六一年 ( 七十歳 ) ニューヨーク滞在中、 Z 0 放送局で「ヘンリ ー・ミラーの回想と ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、ポルトガル、ス。ヘイン 感想」を録音。ビッグ・サーへ妹ロレッタを伴って戻る。「暗殺者を旅行。ニューヨークのグローヴ・プレス社より「北回帰線」が初 の時』の英語版をニュー ・ディレクションズ社より出版 めてアメリカで出版され、ベストセラーになり、地方の検閲に数十 ・一九五七年 ( 六十六歳 ) 回もひっかかる。十一月、ロンドンよりパシフィック・ ハリセイズ 十五年前に紛失した『クリシーの静かな日々』の原稿を発見、稿を に戻る。 改める。ロンドン、エルサレム、テル・アヴィヴで水彩画の個展を ・一九六ニ年 ( 七十一歳 ) シフィック・ 開く。〕。性の世界』の改訂版をパリのオリンピア・プレス社より出 ハリセイズでネクサス』下巻の執筆開始。ベルレ 版。「ライムの小枝と裏切り』の執筆を開始するが、『ネクサス』に スに会うためロンドンへ。一カ月にわたり、。ヘルレス夫妻と共にア 集中するため断念。アメリカ芸術院会員に選ばれる。 イルランド旅行。そのあと、 リで友人たちと旧交を暖める。ベル ・一九五八年 ( 六十七歳 ) リンを訪れてから、五月末、ニューヨークへ戻る。六月、イーヴと 『ネクサス』を書きつづける。 の離婚正式に成立。七月中旬、エディンバラで開かれた作家会議に ・一九五九年 ( 六十八歳 ) 出席、ダレルと会う。そのあと、ダレルと共にパ丿 ーへ赴く。『南回 四月初旬、『ネクサス』完成。四月中旬、妻子を伴ってヨーロッパ 帰線』がグローヴ・プレス社より出版される。「暗い春』も同社よ へ。『セクサス』裁判について、「読む自由の擁護」と題する長文のり出版。「北回帰線』がジョン・コールダー社によりイギリスで初 はちどり 書簡をオスロの裁判所に送る。八月中旬、ビッグ・サーへ戻る。ダめて出版され、大成功を収める。「蜂鳥のごとくじっと立て』をニ ュ レル編『ヘンリ ー・ミラー読本』ニュ ・ディレクションズ社より ・ディレクションズ社より出版。 出版。『芸術と弾圧』に収められる三通の手紙文を書く。「芸術と弾 ・一九六三年 ( 七十ニ歳 ) 圧』 ( ミラー 、。ヘルレス、ダレル往復書簡集 ) がダットン社より出最初の戯曲『ハリ ーに夢中』をニュ ・一丁イレクションズ社より出 版される。 シフィック・ ハリセイズのオキャンボ・ドライヴへ移 一ム 0 ヾ ・一九六〇年 ( 六十九歳 ) ショージ・ウィックス一「ミラー ・ダレル往復書簡集』をダッ 『ネクサス』上巻をオペリスク・プレス社より出版。「描くことはふトン社より出版。 たたび愛すること』を執筆。四月、カンヌ映画祭の審査員としてョ ・一九六四年 ( 七十三歳 ) ロッヾ ノへ。数カ月間バリで過ごしたあと、 ハン。フルクへ。フラン ー・ミラー創作について語る』をニュ 『ヘンリ ・一丁イレクション
1213 解説 その際、みずからが窮極的に依って立つべき文学伝統とし 的必然性や欲求をどうしても欠いてしまうことになる。ミラ て彼の目の前にあったのはやはり、十九世紀アメリカ文学の ー一人に限らず、その文学的経歴の比較的早い時期にシュー ルレアリスムの影響をかなり受けた三〇年代における英米の伝統、具体的にいえばエマソンやソローの散文、とりわけ感 スポンティニアス 情や思考の自然生成的な記述を重視したホイットマンの詩で モダニストたち、たとえばオーデンにせよ、トマスにせよ、 ダレルにせよ、 ーンズにせよ、束の間の蜜月のあと、皆一あったことはいま改めて指摘するまでもないであろう。 様にそれから離れてしまった根本的な原因は、おそらくこの 混沌への志向 あたりにひそんでいるといってもよいだろう。 このようにミラーの詩的散文には、一方ではきわめて現代 それはともかくとして、ミラーの行なった一言語的実験の意 せんえい 味合いについて考えるとき、シュールレアリスムの影響のみ的で尖鋭な方法意識に支えられたシュールレアリスム的な要 を過大視することは危険である。彼は自動記述の方法をいわ素が、他方ではアメリカ的な土臭さを感じさせる、何か生の エネルギーそのものの力強い噴出を思わせるような要素が、 ば一種の起爆剤として使用することによって、英語散文のさ まざまな可能性を追究し、そこから詩的機能をもっ要素を、雑然と入り乱れ、混じり合っていて、ある混沌とした状態を 、、まど色えすめまぐ 形づくっている。変幻自在と呼んでもししし糸 奔放に、しばしば傍若無人に引き出して見せたと思われるか るしく移り変わり、流動するミラーの詩的散文の魅力は、結 らだ。 みつげつ 上 / イギリスての発禁がとけ 出版許可のおりた「セクサス』をもっ ( 一九六九年、ロンドンにて ) ベルレスと 下 / 友人のアルフレッド・ ( 一九五五年 ) くき一