らけば、たちどころにわたしは、自分がそれまで″知恵〃と きどきの状况に応じた新たな啓示の光に従いながら、それに いう一一一一口葉から連想していたどんなものともまるで違った知恵 よって示された真実と、その真実の例証である行動とのあい だに最小限度の食い違いしかないような生き方をするだけだの声に耳を傾けているのだ、ということに気づかないでいら った。当然、彼の行動は周囲の人びとの目に変ったものとしれなかった。彼を神秘主義者というひとことで片づけてしま うのは簡単だった。事実、彼は神秘主義者であるにはちがい て映った。しかしそれは、彼が水のなかの魚のように自然に 振舞うことができたと自分でも言っている、西海岸地方で彼なかったからである。しかし彼は、わたしが出会った最初の、 を知っていた人びとの目には、少しも変ったものには見えな足を地につけておくすべを知っている神秘主義者だった。実 かったのだ。そこではまちがいなく彼はすぐれた人物と見な用品を考案するすべも知っている神秘主義者だった。彼が考 され、彼の一一 = ロ葉は最大の敬意をもって、いや、畏怖の念さえ案したもののなかには、石油産業には欠かせないドリルなど もあり、のちに彼はそれで一財産を築くに至った。しかし彼 こめて傾聴されていたにちがいない。 けいじじ・よ、つカく わたしが彼と知り合ったとき、彼はすっとあとになるまでがそれを考えだした当時は、彼の一風変った形而上学的な わたしにはその意味が充分に理解できなかった苦闘のまった 話しぶりが災いして、そのきわめて実用的な新案品に誰も注 だなかにあった。実の父親が誰なのかを知ることが、彼にと意を払わなかった。どうせそれも彼の気違いじみた思いっき っていかに重大な意味をもっことだったか、当時のわたしにのひとつにすぎないだろうと高をくくられてしまったのだ。 は理解できなかった。事実、わたしは始終それを冗談の種に 彼はたえず自分のことや周囲の世界と自分との関係のこと したものだ。血のつながりというようなことに関して、父親を話していた。この特色は、彼があっかましいエゴイストだ の役割などー・ー母親の役割にしても同じことだが という不運な印象を人に与えるものだった。のみならす、彼 取るに 足りないものだと思っていたからである。わたしには、ロ は父親マグレガー氏の人物そのものよりも、マグレガー氏が きずな ハミルトンが、すでに親子の絆などというものから解放本当に父親なのかどうかという問題の方に強い関、いを持って されていながら、なおかっ、もはや何の必要もない生物学的いるのだと言われてもいた。もっとも、その言葉の文字通り しかしその 帰な連環を確立しようとして皮肉な苦闘を演じているというふの意味に関する限り、それは事実だったのだが、 南 うに見えた。実の父親を知ろうとするこの苦闘は、逆説的に噂の真意は別にあった。つまり彼は新しく見つけた父親に いえば彼を、父親であることを超越した存在に仕立てあげてたいして本当の愛情を持っていない、ただその件の真相から いた。彼は教師であり、模範であった。彼がひとたび口をひ個人的な満足感を引き出そうとしているだけであり、例によ うわ亠こ
かいしよう かし、新聞記者の勘は正しかった。ギャッビーの悪名は、彼かれていたのだろうとばくは思う。両親は甲斐性のない敗残 の歓待を受けたあげく彼の過去についての権威となった何百の百姓だった が、彼らを自分の両親と考えることは、ど ひろ 人という人びとによって拡められるがままに、夏の間にもまうしても彼の夢が許さなかった。実をいうと、ロング・アイ 力すます増大して、いまでは一つのニュースになりかかってい ランドのウエスト・エッグに住むジェイ・ギャッビーなる人 工 ジたのである。「カナダに通ずる地下ルート」に似た現代の神物は、彼が自分について思い描いた理想的観念から生れ出た ッ話が彼の身にはまつわり、彼は家に住んでいるのではなくて、のだ。彳。 皮よ「神の子」なのだ 「神の子」、もしこの言葉 イ フ家のように見えるのは、その実、船であり、ロング・アイラが何かを意味するとすれば、彼のような場合をこそいうので みわざ ンドの沿岸をひそかに行ったり来たりしているのだというあろう だから彼は、「彼の父なる神」の御業に励まねば うわ著一 ねっ けんらん 噂がまことしやかに語り伝えられていた。こうした話を捏ならぬ、絢爛豪華な世俗の美の実現に奉仕せねばならぬ。そ ぞう 造されるのが、ノース・ダコタ州のジェイムズ・ギャツツに こで彼は、十七歳の青年がいかにも思い描きそうなジェイ・ とって、なぜ満足を与えることになったのか、そのいきさっギャッビーという人間を創りだした。そしてこの人間像に、 を語るのは簡単でない。 彼は最後まで忠実だったのである。 ジェイムズ・ギャツツ これが彼のほんとうの、あるい 一年以上も彼は、貝掘りをしたり、鮭釣りをしたり、その はすくなくとも法律上の、名前だった。それを彼は十七歳の他、飯と塒を与えてくれる仕事ならなんでもやりながら、ス とき、彼が世に出る第一歩を踏みだしたその歴史的な瞬間に ピーリア湖の南岸をうろっきまわっていた。肉のしまりかけ とびいろ のんき 変更してしまったのだーーーダン・コウディのヨットが、スピ た鳶色の肉体が、この苦難時代の、激しくもあり暢気でもあ とうびよう リア湖上のもっとも物騒な浅瀬のむこうに投錨するのをる仕事を、生きぬいたのは当然である。彼は若くして女を知 けいべっ っていたが、 見た、そのときである。その日の午後、破れた緑のジャージ 女は彼を毒するというので、軽蔑するようにな ーを着、デニムのズボンをはいて水際をうろついていたのは った。若い処女ならば無知だし、他の女たちはまた、もつば ジェイムズ・ギャツツだったが、 : ホートを借りて「ツオロミら自分の運命にのみ没頭している彼からすれば当然と思える ー号」に漕ぎ寄せ、そこに投錨していては風を受けて三十分ことにも逆上して大騒ぎを演じるからだ。 こなみじん もすると粉微塵になってしまうとコウディに知らせてやった しかし彼の心は常に激しく立ち騒いでいた。夜、床にいる げん . よう ときにはも , つ、ジェイ・ギャッビーになっていた。 彼の頭に、世にも奇怪幻妖な想念がこびりついて離れなかっ その名はしかし、そのときよりもずっと前から彼の胸に描 た。洗面台の上で時計が時を刻み、床に脱ぎすてられた彼の ねぐら
さぐるようにぶるぶる震えながら ( 彼はそれを恐怖と驚きの行き、戦争に敗れて帰ってみると、彼は戦争より大事なもの せいだと思ったが、 もっとも、完全にすべてを失ったわけ あとでそれがまちがっていたことを知っを失っていたのだ いのち た ) 夢中で馬車に乗りこむと、座席のはしに座り、その小柄ではないが。そして、〈すくなくとも生命だけは残った〉と自分 なからだを前にのりだすようにしてーー・まるでそうしているに言いきかせてはみたものの、残ったのは生命ではなく、恐 ち・、よ、つし、よ、つ とそれだけ早くーーー馬のすぐあとから、クウエンティンより怖と嘲笑と不安と怒りに明け暮れてただ生きているだけの まなざ 先に、これであのことを終りにしたい、終りにしなければな老年にすぎなかったのだ。そして、昔と変わらぬ眼差しで彼 らないという気持より先に。 - 、、ー、到着できるとでもいわんばかを見てくれたのは、彼がこのまえ会ったときにはまだ子供だ りだったが、 ったあの少女だけだった。この少女は、昔よく彼が彼女には そうして馬車に乗ってジェファスンを出てから 初めて彼女はロをきいた。「いまわたしたちはあの《領分》気づかすに通りかかったりすると、窓や戸口から、まるで神 にいるのです。彼の土地、彼とエレンとエレンの子孫の土地さまでも眺めるようにじっと彼を見守っていたものだったが、 に。それはもうあのひとたちのものではなくなってしまいまそれは、彼女の目に映るものはまたすべて彼のものでもあっ したが、 たからだった。だから彼が小屋の前に立ちどまって水を求め でもやはり彼とエレンとエレンの子孫たちのものな んですわ」。しかしクウエンティンはいわれるまでもなくそると、彼女はさっそく彼のためにバケツを持って何マイルも のことを知っていた。彼女が言いだすまえに、彼は『さあ、遠い泉まで行って冷たい新鮮な水を汲んできてくれたのだろ , つが、そのとき , 伐 , 女は神さまにむかって「バケツはからつば いよいよきたぞ』とひとりごちていたのだし ( あの長い暑い 午後のあいだじゅうあの薄暗いむしむしする小さな家にいたです」などといおうと思わないように、彼にもそんなことを ム いおうとは夢にも思わなかったのだ こんな無一物の男で ときのように ) もし彼が馬車をとめて耳をすましたら、疾駆 ロ ひづめ サ する馬の蹄の音さえ聞こえてきて、いまにもあの黒毛の種馬も、すくなくとも呼吸することだけは残されているのだから。 ア さて、クウエンティンはまた激しい息づかいを始めた。い にまたがった男が眼前の道を横ぎって走り去ってゆくのでは ロないかと思っていたのだからーー。その馬に乗った男は、かつままでしばらく暖かいべッドで静かにしていたのに、 プては一点に立って見わたすかぎりの土地をすべて所有し、そでも明けやらぬ雪に閉ざされた真っ暗闇にしびれをきらして ア の土地にある一切のものが、彼こそ自他ともに認める最大の激しい息づかいを始めた。彼女 ( ミス・コールドフィール 人物であることを、彼に ( もし彼が忘れていたとすれば ) 思 ド ) は彼を門のなかへ入らせなかった。彼女は突然「とまっ いださしていたものだ。それが、それをまもるために戦争にて ! 」といった。彼は彼女の震える手で腕をつかまれるのを
や ヴァージニアからの長い旅がまだそのままつづいているように、立 くものだ。『連隊長、やつらにはこっちもだいぶ殺られまし あいさっ しちどまるということがなく、たまに立ちどまっても家族の者に挨拶 5 たが、こちとらはまだまだまいっちゃいませんやね』 彼よ帰還した。彼はふたたび家へ帰するためではなく、ただちょっとジョーンズを茨の生い茂った畑や かしすべては終わった。ノ。 おのくわ ナってきた。そして家へ帰ってきた彼の当面の問題は急ぐこと倒れた垣根のほうへ連れだしてその手に斧や鍬を持たせるためであ り、そうして歩きまわりながら、ミス・ローザという難攻不落の独 。こった。時間はすぎ去り、急を要した。ーー彼はもはや度胸と オ フ ( と身女を攻めるための唯一の弱点に気づき、彼の昔の上官が見せたよ か意志とか、いや、頭のことさえかまってはいなかった コンプスン氏がいった ) 三度やりなおしをするだけの余力うな ( 第一一十三ミシシッビ連隊は一時ジャクソン ( の壁」と称された南車 が自分にあるかどうかということについても彼はてんでかまっては 将 ) の隊に所属していた ) なにか冷酷な戦略上の妙手を用いて、一 いなかった。彼の関心は、あげて、失った土地をふたたび回復する挙に攻略をおしすすめたようだった。ところがせつかく頭を使った 彼まのにまただめになってしまった。そんなものは崩れさり消え失せて、 ための時間が充分ないかもしれないということにあったのだ。 , 。 分秒たりともむだにはしなかった。彼はまた、意志と頭もだてに遊あとにはただ、以前にも彼を裏切ったことのあるあの昔の不毛な論 もっとも、じっと待ちかまえていてその理と倫理だけが残ったのだ。問題はただ時間がないということだけ ばせてはおかなかった 機会を彼の手に与えたのは彼の意志か頭かのどちらかだったのだとではない。問題は、この時間の欠如がいわば煮つまりすぎたところ にある。自分はもう六十を過ぎ、おそらくあとひとりしか息子を生 いうことを、彼自身は明らかに考えていなかったようだし、もしか すると、三カ月もたたないうちにミス・ローザと、それも彼女がそめないだろう、自分の腰にはせいぜいあと息子ひとり分の種しかな いだろうーーー彼がそんなことを、あたかも老朽した大砲が自分の体 の事実にほとんど気づかないうちに、婚約する機会を与えたのは、 こっぜん 頭というよりは意志、意志というよりは度胸のほうだったのかもし内にあと一発しか弾がないことを知るようにして忽然と悟ったとき れない。彼を主要目標 ( 生とはいわないまでも ) とするあの悪魔は、彼にとって実に最悪の日であったことだろう。彼は片足を一歩 祓いの信徒であり首唱者でもあるミス・ローザが、同じ屋根の下でふみだし、たちどころに感覚を失った手に感覚をもたない鋤の柄を にぎったまま、畝のなかで凝然と立ちどまり、あるいは塀板を手に 彼とまだよくなじまないうちに彼と婚約したのだー・・ー・そうだ、意志 というより度胸だ、しかしまた頭もちょっとは使ったようだ。五十しても、宙に支えもったまま、まるで手の感覚がなくなって筋肉に 年間わずかずつ苦労してものにしてきた頭が、まるで真夜中かただ重みが感じられなくなったようだった。そういうわけで彼は彼女に の鉄塊のなかに眠っていた種子のように、急に芽を出し開花したのああいうことをもちかけたわけだが、彼女は彼が当然予期している だ。急に頭をもたげたのだ。彼は家のなかを歩いていても、まるでべきはずの態度にでた。そういうことが彼にわからなかったのは、 たま すき
とも言った。わ一冊の本を書くことでもできるだろう。 みんなよくしてくれるので何も不満はない げんわく たしはいささか眩惑されて彼と別れた。そのあと、近くの海それからディヴ・オリンスキー。これもまた忠実で勤勉な 岸へ行ってひと泳ぎすることにした。わたしには、すべてが配達員で、仕事のことしか念頭にない男だった。彼にはひと それまでと違ってみえた。わたしはほとんど家へ帰ることもっ致命的な弱点があったーーロ数が多すぎたということだ。 忘れていた。それほどこの男について考えることに心を奪わわたしの前に現われたとき、すでに地球を数回まわっていて、 皮の身の上に起こったことが、何もかも彼に彼が生活の糧を得るためにやらなかったことは、すなわち語 れていたのだ。彳 しいノ、らいだった。・彼はほば とって最善のことでなかったと、誰に言えるだろう ? ことるにたりないことだといっても、 によると、彼はセールスマンなどでなく、立派な伝道者とし十二カ国語を話すことができ、自分の一一 = ロ語学的才能をかなり 彼のすることは誰にも予鼻にかけていた。彼は何でも喜んで引き受け、そしてそれに て出所してくるかもしれないのだ。 , 測できない。そして彼の手助けをすることもまた、誰にもで熱中することが身の破滅につながるといったタイプの人間だ きはしないのだ。なぜなら、彼は彼独自のやり方で自分の運った。誰にでも手を貸したがり、誰にでも成功の方法を教え たがった。与えられる以上の仕事をしたがったーーっまり彼 命を切りひらいて行こうとしているのだから。 。ゝ、「クプタルという名前のインド人だ。彼は単は仕事の虫だったわけだ。たぶんわたしは、彼をイースト・ の男力した。、 に品行方正の見本というだけではなかった・ーー彼は聖者だっサイドの支局へやるとき、やっかいなところだから気をつけ た方がいいと注意しておくべきだったのだろう。しかし彼は、 た。彼はフルートが大好きで、よく自分のみじめな小さな部 屋にひとり閉じこもってそれを吹いていたが、ある日、すっそれくらいのことはわかっているというような素振りを示し たし、また ( その一一 = ロ語学的才能のために ) そこで働くことを 裸のまま喉を耳もとまで切り裂かれて死んでいるのが発見さ 熱心に希望したので、わたしは何も言わなかった。わたしは れた。べッドに横たわった彼の死体のかたわらに、フルート こ , っ思った 行ってみれば、すぐにわかることさ。思った がころがっていた。葬儀には、彼を殺害した管理人の妻も含 通り、彼はたちまちトラブルを引き起こした。ある日、近所 めて、一ダースもの女が熱い涙を流した。わたしが会ったな 可かでもっとも柔和な、もっとも清浄なこの若者、いちども人に住むユダヤ人のごろっきが入ってきて、頼信紙を一枚くれ 南 と言った。配達員のディヴは、そのときちょうど受付の机に の気持を傷つけたことがなく、誰からも何ひとっ奪い取った ことのない、 しかし平和と愛とをひろめるためにアメリカへむかっていた。彼は相手の請求のしかたが気に入らなかった ので、もっと丁寧に頼んだらどうかと注意すると、とたんに 来るという根本的なあやまちを犯したこの若者については、
訊ねなかった。だからとうとう彼のほうから学校へ戻るつもサトペンはいなかったわけだが、ポンは彼が屋敷にいること りだと言いださなければならなかった。弁護士はなにを訊い を期待していなかったことに気づき、内心、〈さあ、さあ、 て・もにこ いまにチャンスがくるそ、もうすぐだぞ。それにしてもおれ にことうなすいているばかりでそれ以外の表情はな ナ 。いかにも若いな、どうすれま、 にも見せなかったから、おそらくボンは彼からなにかを探り ししいか自分でもまだわからないと ク たそがれ だそうとしてもむだなことを吾ったのだろう。だから彼は学は〉と思っていたのだ。だからおそらく彼はあの黄昏どきに オ いんぎん フ校へ帰っていったのだ。学校では、まえに〈ばくの妹とばくとあの庭をジューディスと散歩していたとき、慇懃に優雅にう は、あげてあなたのものです〉といったことのあったヘンリー わのそらで彼女と話しながら ( ジューディスはあの夏初めて が、彼の帰りを待ちわびていて ( そうなんだ、待ちわびてい キスされたときのことを思いだして、〈これでおしまいだわ。 たんだ ) 、彼を見るなり『あなたはばくの手紙に返事もくれ恋なんてこれだけのことなんだわ〉と思いながら、またしても ませんでしたね。ジューディスに手紙もくれませんでした失望にうちひしがれたが、 それでもまだ屈服してはいなかっ ね』というのだった。しかし彼は帰ってきてからジューディ た ) 彼は待っていたのだ ( 彼はサトペンが戻ってきて家にい スに手紙を出し、この夏はなにも変りなかったので書くようることを知っていた。おそらく彼はなにやら風のような、暗 なこともありません、と書いて、封筒の表に《チャールズ・ い冷たいそよぎを感じて立ちどまり、〈なんだ ? あれはなん ポン》、とはっきり消えないように署名して、サトペン荘園 だ ? 〉と思いながら真顔になってじっと油断なくかまえたこ に行く最初の便で黒んばにとどけさせたことだろう。そしてとだろうが、そのとき知ったのだ、サトペンが屋敷へ入るの 内心では、〈これはきっと彼の目に入るにちがいない。おそらく彼を感じたのだ。そこで彼はいままでとめていた息を、静か ' はこれを送り返してよこすだろう〉とか、〈もし送り返されてきた ほっとして深々と吐きだしたことだろう。彼の心も平静だっ ら、もうおれは遠慮しない。そうなればおれは自分がなにをやりた たことだろう ) ーー、おそらく彼はそのときあそこで待ってい いのかがわかるだろう〉と思っていたのだ。しかしその手紙は たのだ。そして、〈もしかするとまだ彼はおれを呼びによこすか 返送されてこなかったし、ほかのも戻ってはこなかった。そもしれない。せめてそういってくれればいいのに〉と思っていた うして秋がすぎクリスマスがやってくると、彼らはまたサト が、実はもっとよくわかっていて、〈いま彼は書斎にいる、黒 ペン荘園を訪ねたが、今度もまたサトペンは留守で、畑に行んばにヘンリーを呼びにやらせたところだ、あ、ヘンリーが部屋に ったのだとか、町へ出たとか、猟に出たとか、エレンの話で入ってくる : : : 〉とつぶやいていたのだ。そこで彼は立ちど はど , つもはっきりしなかった。ともかくせつかく一訪ねたのに まって彼女のほうを向くと、なにやら微笑をたたえながら、
。ゝたくみにいろいろ質問してくるので ているはずだ。だから、そんな理由で彼が雲隠れしたなんておれが こだ、弁護士カ 思うわけがないことは彼だって承知しているはすだし、彼のほうで ( たとえば、学校やそこの土地の人びとは気にいったかとか、 もそんなことを理由にするつもりは毛頭ないだろう。彼は冷酷だがその土地の家族に友だちができたかーーーあるいはできなかっ しゃ とか ) 、そのようすから、サトペンがこっちへはこ 気前もしいから、おふくろを離婚した慰藉料として、彼とおふくろたか なかったか、あるいはすくなくとも弁護士は彼がきたとして の全財産をおふくろとおれのために残してくれたにちがいない〉と 、 ' それは、こういう仕も気づかないでいたという証拠だけは得られたように思って いう思いを抑えつけようとしてしたが、 いた。というのは、そもそも弁護士が自分を特定の学校へや 打ちをうけて自分が傷つき、侮辱され、不必要にいつまでも った魂胆はわかっているつもりだったので、彼はそうした質 不安にさせられていたからではなく、自分が問題にされてい 、弁護士があれ以来なにか新しいことを知ったという徴 ないからだった。自分がどんなに待ちくたびれ、脳んでいて 候を認めることができなかった。 ( あるいはそうして弁護士 も、問題にされていないからだった。自分ならこうはしな、 だろう、しかし自分は彼と同じ血をうけているといっても母と面会したとき、彼はなにも知ることができなかったのかも 。というのは、面会が短時間だったからだ。それは の血で汚されているのだ、ということは、彼がたえず想起ししれない そうしてだんだふたりのあいだでおこなわれた面会では二番目に短いものだ ていなければならない事実だったのだ。 った。いちばん短かったのはその翌年の夏にヘンリーといっ ん家に近づいてゆくうちに、しまいには不安も当惑もいらい こんぜん しょに会ったときだ。 ) ポンが母親に面とむかって問いただ らした気持もなにもかも渾然一体となって、おとなしくあき らめようという気持に昇華してしまい、彼はただ、〈よし、よすだけの勇気をもたなかったように、弁護士もポンに面とむ ムし。これでもよし。彼がこうしたいのならよし。誓って彼女には二かって質問する勇気はなかったようだ。弁護士は彼のことを カ サ ばっとしているとかいうよりは馬鹿なのだと田 5 っ 度と会うまい。彼には二度と会うまい〉と考えただけだった。そ鈍いとか、 ア サトペンがここへきたかどうかはていたが、その弁護士でさえ、自分がそうなるだろうと思っ れから彼は家に着いたが、 ム わからずじまいだった。どうしてもわからなかった。たしかていた愚かぶりを、ポンがみずからすすんで発揮しようとし ロ サにきたと思うのだが、どうしてもわからなかったのだーーー九ているとは夢想だにしなかった。そんなわけで、ポンは弁護 ア 月に別れたときと同じであいかわらず陰険なきびしい偏執狂士になにもいわず、弁護士も彼にはなにもいわないまま、夏 がすぎ九月になったが、それでもまだ弁護士は ( 彼の母親も 彅の母親からは間接的にせよなにも教えてもらえなかったし、 。オかそうだったが ) 彼に学校へ戻りたくないのかなどとは一度も かといって面とむかって問いただすだけの勇気も彼によよ
やそうですが、わしの傷がなおるまでにはちょっと時間がかのだ。そこで彼はよした」 かったですよ』といった。彼はしかしそのことは話さなかっ 「そのとおり。先をつづけてくれ」とシュリーヴがいった 物語に重要ではないその辺のことはなにも話さなかった。「彼はよした、といっただろ」とクウエンティンがいった かんめき ナ ク彼はただ銃を捨て、だれかにドアの閂をはすさせ、彼がお「聞いたよ。なにをよしたんだい ? 婚約してそれからよし オ もてに出たあとまた閂をさせると、暗闇のなかに歩いていって、それでもまだ後で別れた細君がいたっていうのかい ? フ て彼らを鎮めたということだった。たぶん大きな声でわめき、 きみの話では、彼はどうやってハイチ島に着いたかおばえて たぶん仁王立ちになって、彼らから見れば生身の人間が耐えなかったというし、それから黒んばに包囲されたあの家へど 得ないような、あるいは耐えるべきではないような ( そうだ、 うやって入ったのかもおばえてなかったそうだが、今度は彼 耐えるべきではない。生身の人間が生身の人間の耐えるべき が結婚したこともおばえていなかったというつもりかい ? ではないことを耐えているのを見るのは恐ろしいことだ ) こ彼は婚約してそれからよすことに決めたくせに、ある日ふと とにじっと耐えることによって、彼らを鎮めたのだ。たぶん気がついてみると、よしたんじゃなくて逆に結婚してたって 彼らはそれを見て怖くなり、彼の白い腕や脚から逃げだしたわけかい ? しかもきみは彼が童貞だったといったじゃな、 のだろう、自分たちのと同じ形をし、自分たちと同じように 血を出し流すことのできる、そして自分たちの魂をつくった 「彼はしゃべるのをよしたんだ、話すことをね」とクウエン のと同じ原初の火から発しているのに自分たちにはけっしてティンがいった。彼はさっきから身じろぎもせず、机の上に 持っことのできないような不屈の魂をもった白人サトペンか両手ではさんで開けてあった教科書の上にのっている手紙に ら。彼はそのとき負った傷あとをお祖父さんに見せたが、そむかって ( もしなにかに向かってだとすれば ) 話しかけてい のひとつは、お祖父さんの話によると、あやういところで彼るようだった。彼に向かいあってシュリーヴはバイプに煙草 を一生童貞にしておくところだったという。こうして八日めをつめ、またそれを喫み終わっていた。パイプはまたひっく に初めて太鼓の音のしない夜が明け、彼ら ( たぶん農園主と りかえされて、灰皿から吹きこばれた白い灰がテープルの上 娘 ) はおもてに出て、明るい太陽がなにごともなかったように散らばっていたが、その向うではシュリーヴが、自分の体 に照りつけている焦土を通り、いまや信じがたいほど荒凉とを支え抱きしめるようにして腕組みをしていた。彼がそんな した平和な静寂のなかを歩いていって彼を見つけ、家へ連れ格好をしていたのは、まだ十一時になったばかりではあった 帰った。そして彼が回復したとき、彼とその娘とは婚約したが室内が冷えこんできて、いつも真夜中になるとラジェータ
フォークナー 320 ていなかったかもしれないが、父親がそれに答えたのと同じ もしれないよ」とシュリーヴがいった ) , ーー・そのようすを見 気持だったにちがいない、 というのは、苦しみもだえ泣き叫ていた彼はその黒んばがなんといったのか、おばえてさえい ぶ生身の黒んばというものをまだ知らない、自分の純情さに なかった。黒んばは彼が自分の来意を口に出さないうちに、 くらやみ まだ気づいていなかったからである。彼は木の間の暗闇に動二度と表玄関から入ってこないで裏口へまわるようにといっ たいまっ く松明の明りや白人たちの恐ろしくひきつった顔、黒んばのたのだが。 風船玉みたいな顔が見えるようだった。たぶんその黒んばは「彼はどうやってそこを立ち去ったのかもおばえていなかっ 両手を縛られていたか押えられていたのだろうが、風船玉野た。気がついたときにはもう駆けだしていてその家からかな 郎が自由を求めてもがくのはその手を使ってではなかったかり離れた所まできていたのだが、しかし自分の家のほうへむ ら、それでどうということもなかっただろう。風船玉のよう かっていたのではない。泣きはしなかった、と彼はいった。 なその顔はふわふわと紙風船のように膨らんで、白人たちの逆上してもいなかった。ただちょっと考えてみる必要がある 顔のあいだをすり抜けて浮いているだけだった。やがてだれから、静かな考えごとのできる場所へ行こうと田 5 ったのだが、 かがやけを起こしてその風船玉を一撃すると、まわりのみんそういう場所を彼は知っていた。つまり森のなかへ行ったの ながさっと逃げだし、わけもなしに脅すような大声をあげてだ。彼の言では、自分でもどこへ行くつもりかわからなかっ 陽気に笑いながら波のように遠ざかってはまた近づいて黒人たが、からだが、足が、自然にそっちへ向いたのだというこ とうやぶ たちを圧している清景が、彼にはまざまざと見えるようだっ とだーーそこはけものみちが籐の藪に通じている所で、樫の た。そしていま、彼が立っているあの白いドアの所では、猿木が一本その上に横倒しになってちょっとした洞穴ができて みたいな黒んばの家令が立ちはだかり、つぎはぎだらけの仕 いて、そこに彼は鉄板をかくしておいてそれでときおり小さ 立て直しのジーンの服を着て靴もはいていない彼の姿を見おな獲物を焼いたりしていた。彼はその洞穴に逾い戻って倒木 ろしていたのだ。 , 彼の姉さんたちは櫛をかくしておいたから、の根にもたれ、じっくり考えたという。彼にはまだよくわけ 彼は髪に櫛を入れたことなどなかったと思う。彼はあの猿みがわからなかったのだ。彼は純情さが自分の足手まといにな たいな黒んばを見るまで、自分の髪や服装や他人の髪や服装っていることをまだ理解できなかった。そのことがわかった がてん のことなど考えたこともなかったのだ。ところでその黒んばのは万事合点がいってからである。だから彼はそういうこと は自分ではなにもしなかったのにたまたまリッチモンドあたを推し測る基準を求めて自分のささやかな経験をふりかえっ りで仕込まれてきたのだが ( 「チャールストンあたりかてみたのだが、なにも見いだせなかった。彼はまだ用件をい
、現にいま彼の目の前に現われているようなわたしの性格たわたしが二度と彼を必要としなくなったのもそのためだ。 に合致するものを、それまで一度もわたしのなかに見出した彼自身、そのことを充分に理解していた。おそらく彼を自我 , 及まロイ ことがなかったのだ。彳。 ・ハミルトンのことを、人にの発見という道へ押しやったものは、父親がないという事実 悪影響を及ばす人間だと言った。これもまた、しごくもっと だっただろうが、この自我発見こそは自己と世界との同一化 きずな もな指摘だった。なぜなら、彼の片親違いの兄弟とのこの思の最終過程であり、したがってそれは絆というものの無益さ いがけない出会いは、ほかの何にもましてマグレガーとわたを認識することでもあったのだ。まちがいなく、自己達成を しとを離反させる原因になったからだ。ハミルトンはわたし十全に果たした彼にとってはもはや誰も必要ではなく、とり の目をひらかせてくれ、わたしにものごとの新しい価値を教わけ彼がマグレガー氏のなかに空しく捜し求めていた、血肉 えてくれた。後年、わたしは彼から授けられたこの洞察力をを分けた父親などというものはまったく無用の存在であった 失ってしまったが、それでも彼との出会い以前に見ていたよ はずだ。実の父親を捜しに東部へ来たことは、彼にとって最 うな目で世界を、あるいは友人たちを見ることはけっしてな後の試練ともいえるものだったにちがいない。マグレガー氏 かった。要するにハミルトンはわたしという人間をすっかり に、そしてハミルトン氏にも見切りをつけて別れを告げたと 作り変えてしまったのだが、これはきわめて稀有な書物か個きの彼は、不純物をすっかり洗い落としてしまった人間のよ 性か経験かにしかなしえないことだ。生まれてはじめて、わうに見えた。そうして別れを告げたときのロイ・ノ たしは生命の中枢にまで触れるような、しかもそれに束縛も ほど、完全にひとりばっちで、しかも生気にあふれ、末来へ 執着も感じないでいられるような友情を経験したのだ。彼との確信に満ちた人間を、わたしはいままで見たことがない 別れたあとも、わたしは現実の彼の存在を必要と感じたことそしてまた彼がマグレガー家に残して行ったものほどひどい は一度もなかった。彼は自己のすべてをわたしに投げ出して混乱や誤解も。あたかも彼は、マグレガー家の人びとの目の くれ、そしてわたしは彼に所有されることなく彼を所有する前で息を引き取り、それからまた生き返って、完全に新しい ことができたからだ。それはわたしがはじめて経験した、清未知の人間として彼らに別れを告げたかのようだった。彼ら らかで完全な友情であり、ほかのどんな友人によってもけっ 一家が建物の横の通路に立ち、呆けたように力なく手を振り 回 南 して再現されることがなかった。ハミルトンは、友人という ながら、ついに自分たちのものにはならなかったものを奪い よりも友清そのものだった。彼は人格化された友情の象徴で、去られたという悲しみ以外に理由もわからないまま泣いてい だからこそわたしに完全な満足を与えてくれたのであり、また姿が、いまも目に見えるようだ。わたしはこんなふうに考