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検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2
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1. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

「えらくまたすました声をだすじゃねえか ? おれの電報、薄い頤ひげをひっきりなしに引っ張りはじめたので、外套を 届いたろ ? 」 脱がせるのにえらく骨が折れた。彼はいまにもへたへたと倒 すわ れてしまいそうだったから、ばくは音楽室に連れこんで坐ら 「電報なんか一つもきませんよ」 ークの野郎がドジをふみやがってよ」早口に相手はまく せるとともに、何か食べるものを持ってこさせた。だが、彼 コップの牛乳も、ふるえる手からこば したてる「証券屋に堂々と証書を手渡したとこをバクられちは食べようとしない してしまった。 まった。その番号を知らせる回章がたったの五分前にニュー ヨークからまわってきたばかしだったんだ。おどろき桃の木「わしはシカゴの新聞で見ましてな」そう、彼は言った「す つかりシカゴの新聞に出とりました。わしはすぐさま出発し さんしょの木だよ、なあ ? まさかおめえ、こんな田舎町な んかでよ たのです」 「わたしはまたどうやってお知らせしたらいいかわかりませ 「もし、もし ! 」息をはずませてばくはロをはさんだ「あの ねーーーこちらはギャッビー氏ではありませんよ、ギャッビー んでねえ」 氏は亡くなりました」 彼の眼は、何ひとつ見てはいないのだが、絶えす部屋のあ 先方は長いこと沈黙していた。。 : カそのうちに驚いたようちこちを動いている。 「それには狂人とあった」と、彼は言った「やつは気が違っ な声が聞え : : : それから、ガチャンといって電話は切れた。 てたにちがいない」 「コーヒーを召しあがりませんか ? 」と、ばくは彼にすすめ ヘンリー・ O ・ギャツッと署名した電報がミネソタ州のあ る町から届いたのは、たしか三日目だったと思う。さっそくてみた。 出発するから自分が行くまで葬式は延期するようにと、ただ 「何も欲しくありません。わしはもう大丈夫ですよ、ミスタ それだけの電文であった。 「キャラウェイと申します」 ャそれはギャッビーの父親で、きまじめな老人だった。びつ くり仰天してしまってなすすべも知らず、暑い九月の日だと いや、わしはもう大丈夫です。みなさんはジミーをどこに 大 ・カいと一つ 偉 いうのに、長い安つばいアルスター外套にくるまって、小さ置きなされたか ? 」 ばくは、息子が身を横たえている客間に彼を連れて行って、 くなっている。眼はしじゅう興奮にうるみ、手にした旅行カ ハンと雨傘をばくが受け取ると、彼は、白いもののまじったそのままそこへ残してきた。小さな男の子が何人か、玄関先 あご

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

雨脚ののろい灰色の重い雨がふたたび音もなく降りだしたのた。 静かな光が淡い光を放つ小粒の真珠のような雫となって、 圏だった。クウエンティンは霧雨を避けるようにうつむいて馬ちょうどろうそくから大理石の上に滴り落ちてまだすっかり を進めてきたので、そのとき自分がどこにいるのかまだ見当固まっていない雫のように、銃身や墓石の上に付着していた。 ナ がっかなかったが、 ここで顔を上げると前方に坂が見え、坂墓石は五つあって、二つは平べったい重いアーチ型の石板、 ク むら に沿って濡れそばった黄色いすげの叢が黄金を溶かしたようあとの三つの墓標はちょっと傾いていて、ところどころに文 フ に雨のなかに生い茂り、丘の頂に見えるこんもりした西洋杉字が刻んであり、この暗がりのなかでも雨滴がはこんできて の森は、濡れた吸い取り紙のうえにインクで描いたように、 解き放っかすかな光で瞬間的に判読することができた。二匹 雨にかすんで消えていたーーー西洋杉の森の向うの荒れた畑のの犬が、雨でずぶ濡れになりながら、まるで風にただよう煙 さらに半マイルほど向うは樫の木の森になっていて、そこに のように墓地に入ってきて、寒いのでからだを寄せあってど ひとけ あの灰色の大きな腐れかけた人気のない屋敷があるのだった。ちらがどちらと識別できないように丸くなってうすくまった。 コンプスン氏は以前から立ちどまって、騾馬に乗っているラ平べったい石板のほうはどちらも自分の重みでまんなかから カ一いし スターのほうをふりかえって見ていたが、ラスターは鞍のか割れていたが ( そして一方のアーチの煉瓦の笠石が落ちこん わりに使っていた麻袋を頭からすつばりかぶり、膝を持ちあで穴があいた所に小さな道がかすかについていたが、それは こもりねずみ げてそのなかにつつこみながら、馬を引いて溝の渡れそうな なにか小さな動物、おそらくは子守鼠のような小さな動物 ところを捜していた。「雨宿りしたほうがよさそうだな」と が、何代にもわたってつくったものだ。なぜなら墓のなかに コンプスン氏はいった。「いずれにしてもやつはあの西洋杉はもう長いことなにも食べるものがなかったはずだから ) 、 の森から百ャード以内の所に入ってこれまい」 しかしそこに刻まれている文字は容易に読み取ることができ 彼らはラスターにかまわず坂をずんすんのばっていった。 た。一方は《エレン・コールドフィールド・サトペン一八一七 二匹の猟犬はぜんぜん姿を見せず、すげの生い茂った坂のあ年十月九日出生一 八六三年一月二十三日死去》、他方には《南部 ちこちを獲物を捜して走りまわっていたが、そのうちに一匹連邦軍第二十三ミシシッピ歩兵連隊長トマス・サトペン一八六九 が急に頭をもたげて立ちどまり、後ろをふりかえった。コン年八月十二日死去》とあったが、後者の日付はあとからのみで プスン氏は森のほうへ行けというような手振りをして、クウぞんざいに彫ってつけ加えられたものであり、彼は死んでも エンティンといっしょにそのあとからついていった。西洋杉なお、いつどこで生まれたのか明らかにしていなかった。ク の森のなかは暗かった。薄暗いというよりは真っ暗に近かっ ウエンティンは二つの墓標をじっと見つめ、〈わが愛する妻と ひぎ くら れんが しずく

3. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

こえるような大声でなにやらどなっていたのだそうだ。 ろっくるにしろ、こっちもできるだけ立派なライフル銃を手 〈やつはけっしておれにそのことをいう機会を与えないんだ〉。それに入れることが先決じゃないか ? 』そして彼はそうだといっ は速すぎて、考えごとというにはあまりにも混乱していて、 オい。つまりやっ こ。『しかしこれはライフル銃の問題じゃよ ナありとある叫び声が彼にむかって一度に、まるであの黒んばらと闘うためには、やつらがやっているようなことをやつら 一の笑い声のように彼のまわりでわきたった。 〈やつはおができるようにさせているものを、こっちも手に入れなけれ フ れにそのことを話す機会を与えないし、おやじはおれが話してきた ばならない。やつらと闘うには土地と黒んばと立派な家を持 かどうかとも訊かないんだから、やつはおやじがなにかいってよこ っことだ。わかったかい ? 』そこでまた彼はそうだといった。 したとも知らない、だからやつに話が伝わったかどうかは問題じゃ彼が家を出たのはその夜のことだった。夜明けまえに起きて、 ない、おやじにしたってそうだろう。おれはあの黒んばに二度と表べッドに入るみたいにして家を出たのだ、藁ぶとんからそっ 玄関から入ってくるなといわれるためにあそこの玄関に行ったのだ と身を起こして忍び足で家を出たのだ。爾来、彼は二度と家 が、その話をしたところでやつのためになることをしたことにはな 族の者に会わなかった。 らないし、その話をしなかったからといってやつに悪いことをした 「彼は西インド諸島へ行ったのだ」クウエンティンはさっき ことにもならない どっちみちおれはやつにい、 しことも亜 5 いことも から身じろぎもせす、開いた教科書の上に開いたまま置いて できないんだ〉。それはまるで爆発のようだった、と彼はいつある手紙をじっと見つめて考えこんだまま、テープルの上の せんこう たーーー・閃光がひらめいて、やがてあとかたもなく消え失せ、教科書の両側に手をのせて、顔をあげようともしなかった。 広漠たる平原に彼のけがれない純情さだけが記念碑のように手紙の半分はまんなかの折り目の所から、まるで浮遊の秘密 そのきびしい姿を現わして立ったかのようだった。その純清を心得てでもいるかのように、なんの支えもないのになかば たと さがだれよりもおちついた語り口で、ライフル銃の譬え話を宙に浮いていた。「以上がサトペンの話の内容だ。彼とお祖 つかって彼にその問題の意味を教えたのであり、それゆえ 父さんは丸太に腰をおろしていた。犬どもが動かなかったか 《やっ》といわずに《やつら》といったとき、それは、午後らだ。つまり犬どもが大工を木の上に追いつめたのだーーー彼 つりどこ じゅうずっと靴をぬいで吊床に寝ていられるようなくだらぬがたしかにのばったと思われる木があって、彼はまだそこか 人間ども以上の意味をもっていたのである。つまり彼はこうら逃げてはいないようだった。というのは、彼がその木にの 思ったのだ 『もし立派なライフル銃を持っているやつらばるために使ったと思われる、棒切れの先端にズボン吊りを と闘うつもりなら、なによりもまず、借りるにしろ盗むにし 結びつけたものが発見されたからだが、しかし初めのうちは じらい

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

321 アプサロム、アプサロム ! わないうちに裏口へ回れといわれたわけだが、 彼が生まれたフル銃を彼が見れないように彼を近くへ寄せつけないような 社会ではどこの家にも裏口などというものはなく窓があるだ ものだった。 けで、窓から出入りするようなやつはかくれるか逃げるかし 「彼は逆上していたのでない。お祖父さんにむかってその点 ている連中であり、彼は逃げもかくれもしているのではなかをあくまで強調した。これはなんとかしなければならない、 った。事実、彼は用事があって、忠実にその用件を果たしに これから先なんとか自分の納得のゆくような生き方をしてゆ やってきたのだし、そのことは万人が認めるものと思ってい くために、なにか策を講じなければならないと思ったから、 た。むろん彼はなかへ通されて食事にありつけるとは考えて彼は考えこんでいたのだ。しかし彼は純情だったからどうし もいなかった。なにしろ時間というか、ある一つの料理からていいかわからなかった。そして自分の純清さにやっと気づ 次の料理までの距離というか、そういうものは何時間とか何いた彼は、そのことと ( つまり純情さとであって、その男と 彼よそれと 日とかで測られる必要などなかったのだから。おそらく彼はでも慣習とでもない ) 対抗しなくてはと思った。 , 。 たと 家のなかへ招じ入れられるなどと期待してはいなかった。し比較考量するにライフル銃の譬え話しか思いうかべなかった かしともかく用事を言いっかってきたのだから、話だけは聞が、それだけではどうもはっきりしなかった。そこでじっく いてもらえると思っていた。しかもその用事というのは、そり腰を据えて、風向きによっては鹿が十フィートと離れてい れがどんな用事だったか彼はおばえていなかったし当時はど ない所を通ってゆくのが見られるあのけものみちのそばの小 ひぎ うせなんのことやらわかっていなかっただろうが、ともかくさな洞穴に座って両腕で膝をかかえこみ、ひとりで黙々と自 あの農園に関係したことだった。あのつるつるに磨かれた白問自答しているうちに、だれかほかにもっと年上の、もっと しんちゅう しとい , っ もののわかったひとがいたら、そのひとに訊けば、、 い屋敷も、あのつるつるに磨かれた白い真鍮の飾りのつい たドアも、あの猿みたいな黒んばが身につけていた黒ラシャ 結論に達した。しかしそこには彼しかおらす、彼のなかでふ ーし、かーし亠め の服やリンネルのシャツや絹の靴下も、みんな農園あってのたりの人間が黙々と対話しているだけだった。 いつを射ち殺すことだってできる。 ( あの猿みたいな黒んばをで ものではないか。それなのにあの猿野郎はこっちがまだ用件 もいわないうちに裏へ回れなどと命令したのだ。それはちょ はない。黒んばをではない、ちょうどいっかの晩、彼の父親 がひつばたいたのが実は黒んばをではなかったように。あの うど、立派なライフル銃を持った男が射撃できるように彼が わざわざ弾をとどけてやったのに、その男が玄関に出てきてとき半開きのドアのかげから彼を見おろしていた黒んばもま た、つるつるして膨らんだあの陽気で大きな恐ろしい笑い声 その弾を森のはずれの切株の上に置くよう命令し、そのライ たま

5. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

こんせき ら痕跡を残さず、エレンの所では影のような、幻のような存在で、 りません。自尊心のためでも平和のためですらもなく、後に残した 生きた男ではなく、なにか秘密につつまれた家具みたいでーー花瓶あの愛と信頼のためだったのです。ですから彼もやがては死ぬ運命 とか椅子とか机とかーーー・ - ・それをエレンは欲しがったのです、まるででした。わたしにはそれがわかります、それがわかっていました、 彼がコールドフィールド家やサトペン家の壁に残していった ( ある自尊心と平和とがともに消滅する運命だったのと同じように。そう いは残していかなかった ) 跡がきたるべきことの重大な予言を秘めでなかったらどうして愛の不滅を証明できますか ? もっとも、愛 てでもいるみたいに ええ、わたしはあの最初の年 ( 南北戦争が といい信頼といっても、そのもの自体ではなかったかもしれません。 始まるまえの年 ) からそうして走りつづけていたのです。あの年工おそらくは希望のない愛、なんら誇るべきものをもたない信頼だっ 寺、つりく レンはわたしに嫁入り道具 ( それもわたしの嫁入り道具 ) のことや、たのでしよう。しかしすくなくともその愛と信頼は殺戮や愚行を超 落城の、つまりわたしの落城のしるしである夢のような道具一式の越し、すくなくともこの汚辱にまみれ告発された穢土から、いまは ・一わく ことを始終話していたものですが、わたしは落城しようにもそれ以失われたにせよかってひとの心を蠱惑したなにものかをともかくも 外のものは持ちあわせず、わたしがそれを持っていたのはともかく 救いあげてくれるようなものでした。 そうです、気がついてみ 嫁入りという夢があったからで、耐えがたい現実の渦の上に突き出ると彼女があの閉ざされたドアの前に立ちはだかっていてどうして ているこの唯一の岩にわたしたちはしがみついていたのですが もわたしをなかへ入れてくれす ( わたしの知るかぎり、ジョーンズ あの四年間、わたしが待っていたのと同じように彼女も待っている と他のだれかが棺をはこびあげるまで、彼女自身あのドアから二度 ものと思っていたあの四年間に、わたしたちがそういうものと教えと入らなかったのですが ) 手にした写真を脇腹にあてまったく平静 けんろう られてきた堅牢な世界は火炎をあげて崩壊し、ついに平和と安寧が な顔をしながら、一瞬わたしを見ると階下のホールまで聞こえる程 ム あとかたもなく消え失せ、自尊心も希望もなくなって、あとに残っ度に声をあげて、「クライティ、ミス・ローザは夕食にいらしたの ロ プたのは不具の名誉をになう退役軍人と、愛だけになったのです。そよ。もうひとり分の食事を用意してくださらない ? 」それからわた ア うです、愛と信頼とはあったはずです。これだけはなくせません。 しに「下へ行きましようか ? わたくしジョーンズさんに板や釘の せんべい ム この二つは、名誉の尖兵として誇りと平和の希望とを軍旗のように ことで相談しなくちゃ」と申しました。 ロ サ掲げていった父たちゃ夫たち、恋人たちゃ兄弟たちによってわたし それで全部です。いや全部とか終りとかいうものはないのですか ア たちに残されたものなのです。これだけはなくせません、でなかっ ら、それで全部とはいえないかもしれません。それはわたしたちが たらなんのために男たちは戦うのでしようか ? なんのために死ぬうけた打撃ではなく、クライマックスのないだらだらとくりかえさ のでしようか ? そうです、むなしい名誉のために死んだのではあれる事件の一つ、絶望の入口からはほど遠い取るに足りない余波に くぎ

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

ロス 948 格好に緑の背広に腕を通し、ワイシャツの襟がボタン・ダウ 「いオにわかるき、」 ンになってしるのこ、、、、 オタンはかけないまま、ネクタイを二 しつば 「つぎは何なんだい ? 」 インチほど尻尾を垂らして結び、・ スポンは靴の上に垂れかか 「いまにわかるよ」 って。ーー黒い帽子をかぶっているときよりも背が低く見えた。 眠っているときに着ていた下着を脱ぐと台所へ行って、 それに洋服が動いているようなもので、歩いてはいても歩く ーコレーターのスイッチを入れた。湯が噴き上がり始めると、 とい , っ・ものじゃ、なし 4 みで不格好な歩き方だ。彼は角を , か , っ ) い 湯気が目の奥にあるシコリを和らげてくれるように、顔をポ曲った。そして、異様な風采にもかかわらずーー異様さは頬 トの上にかざした。まだシコリがぬけないうちに電話が鳴髯にもこびりついていたし、身のこなしにもおのずから現わ つつ ) 0 れていたけれどもーー町の人間らしく見えた。たぶん風変り 「イーライ、またテッドだけどね。ィーライ、あの男は町じではあるけれども、町の人間になっているのだろう。呻き声 ゅうの通りを行ったり来たりして歩いているぜ。まったくな、 もあげず、また両腕を大きく広げてイーライを招き寄せるこ あの男は見物でもしているつもりだぜ。アーティが電話をか ともなかった。しかし、イーライを見ると立ち止った。立ち てつべん けてきて、 ープのやつもかけてきた。こんどは女房のシャ止って帽子に手をやった。帽子の天辺を探ったときに、手は ーが、おれたちの自宅の前を通ったという電話をかけて帽子よりも高く上がりすぎた。すぐに、帽子の山が平らなの きてね。ィーライ、ヴェランダへ出てみろよ」 に気がつくと、縁を指で撫でまわした。指はあっちこっち触 あいさっ ィーライは窓へ行って外をのぞいた。曲り角から向うは見れて、やっと帽子をつまんで挨拶をすると、指はその男の顔 えなかったし、見える範囲には誰もいなかった。 のほうへ降りてゆき、すぐに顔立ちの一つ一つを探りながら 「イーライ ? 」電話機を置いたテー。フルからぶらさがってい 降りていった。指は目を軽く触れ、鼻を上から下まで撫で、 る辺りからテッドの声が聞えた。 髭だらけの唇をかすめ、カラーの一部をおおっている鬚の中 「イーライ、見えたか : : 」ーー最後の短い言葉が下からた に隠れた。わたしは顔を持っている、少なくとも顔を持って だよって来るのを聞きながら電話を切った。昨日着ていたズ いると、指はイーライに向って言っているように見えた。っ はだし あごひげ ポンをはきワイシャツを着ると、裸足のままで庭の芝生の上ぎに手が顎鬚をくぐりぬけて胸で止ったとき、それは何かを に出た。すると、まぎれもなく例の男の姿が、曲り角の辺り差し示す針のようだった・ーーそして二つの目は、潮の動きが まぶか に見えた。茶色の帽子をちょっと目深にかぶり、前を広げた変るように、逆にある質問を問いかけていた。顔は間違いな ひげ ほお

7. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

たあいだの出来事なのだ。それはちょうど、彼女が生まれて かったのである。彼女は、まるでポンが、三つの無生物が一 つになったもの、あるいは自分たち一家がそこに三つの用途初めて入ったキャパレーにあるような色つき電灯の輝き を一致して見いだせるような一つの無生物ででもあるかのよ突然頭上にふりかかり、一瞬そこに静止してやがてまた動き うな口ぶりだった。つまり、一つには、まるで乗馬服か舞踏だすきらきらした微片の実体なき輝きにみちた電光ーーのよ しっと 彼女はジューディスに嫉妬を感じなかった。そ 会用のガウンでも着るようにジューディスが着て歩ける衣裳うであった。 , れんびん れは自己憐憫でもなく、彼女は博労と駆け落ちした叔母がお として、一つにはエレンの家門と地位とを飾るにふさわしい 一調度品として、一つにはヘンリーの田舎くさい態度や一一 = ロ葉そらく二度と着たくなかったからあるいはこんりんざい着る づかいや着付けをただす良き教師としてである。彼女は時間まいと思ってうっちゃっていったつぎはぎだらけの家庭着を を封じこめてしまったようだった。彼女は、蜜月もなければ着て ( エレンが折にふれて彼女にくれた衣服は、ときにはお べつに変わったことも起こりはしなかった過去のある年月を、古もあったがたいていは新品で、もちろんいつでも絹物だっ それが実際にあったかのように措定したのだ。するとその歳た ) 、エレンが話しているあいだ、姉を見つめる目をたえす 月をとおして、 ( 現在では ) 五人になった顔が、あたかも真しばたたかせながら、そこにじっと座っていた。おそらくそ ぎせつ ( 五人ともあらかじめれは、。ンユーディスが挫折した夢の補償となるものを犠牲に 空中に掛けられた肖像画のように とぎばなし 予定されたその全盛時に写しとられ、思考や経験はすべて奪して、生きたお伽噺の世界へ入ってゆこうとしているいま われており、描かれた当の本人たちはずっと昔に生まれ死んとなっては、きつばりと捨てられてしまったことにたいする あんど よろこ でいったので彼らの歓びや哀しみは彼らが喜怒哀楽を演じた静かな絶望と安堵だったのだ。エレンが後日おまえのお祖母 ム さんにその話をしたとき、それはお伽噺めいて聞こえたもの ほかならぬその舞台においてすらいまではもう忘れられてし ロ サ いわば生だ。もっとも、上流婦人のクラブみたいなところで演じられ まったにちがいない、そんな肖像画のように ) ア るように書きおろされたお伽噺みたいなものだったが。しか 命なき永遠の花ざかりといった趣を帯びて垣間見えたのだ。 ム これはしかし、ミス・ローザがーー・・彼女は最初の一語を、おしミス・ローザにすれば、それは単にもっともらしいという ロ プそらくはチャールズ・ポンという名前を聞いただけで、あのだけでなく、正当な理由のある、本当の話だったにちがいな ア い。だからこそ、エレンがまた ( これも彼女が話したことだ、 画像を幻視したのだったがーーー十六歳で生涯独身たることを 運命づけられたミス・ローザが、べつにエレンの話を聞いてなにしろたわいもない冗談だから ) おもしろがってじれった そうな驚きの声をあげるようなことをいったのだ。「わたし いたわけではなく、この明るく輝く幻の画像の下に座ってい カナよ みつげつ

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う気さえした。口をあけて一件を説明しようとするたびに笑でちょっとばかり気晴らしに行くとしよう。とりわけわたし いがこみあげてくる。しまいには恐ろしくなってきた。おれは、お体裁など薬にしたくもないような、きたならしい最下 は笑い死にするんじゃあるまいか、と思ったのだ。やがてや等の淫売女に食指が動いていた。そういう女にどこへ行けば っとのことでいくらか落ち着いたとき、カー か長い沈黙会えるだろう : : : そんな条件にびったりの女に ? まあしか を破ってだしぬけにたすねた 「うまくいったんですし、ます力 1 リー ーリーは、む を追いはらうことだ。そのカ か ? 」それを聞くとまたしてもわたしは発作に襲われた。前ろん気を悪くした。わたしにくつついてくるつもりでいたの のよりももっとひどいくらいだった。わたしは道端の柵によ 彼は五ドルなどほしくないというような顔をしたが、そ りかかって腹をおさえなければならなかった。なにしろ腹がれなら喜んで返してもらおうというそぶりをみせてやると、 痛くてかなわなかった : : もっともそれはこころよい痛みであわててしまいこんだ。 はあったが。 その苦しさを忘れるのに何より役立ったのは、マクシーの ふたたび、夜だ。平穏も、憩いも、うちとけた親しさもな 札束からかっさらってきた紙幣の顔を拝んだことだ。そいっ 、無限に不毛で、冷たくて、機械的な、ニューヨークの夜 は二十ドル札だったのだ ! それを見るとたちまちわたしは だ。何百万もの足をもった群衆の、広大な、凍りついた孤 しゃんとなってしまった。と同時に、 いささか腹立たしくも独。ネオンの冷たい無益な炎。女の完成というものーー、完成 なった。あんなマクシーみたいな間抜け野郎のポケットにますることによって性の辺境を越え、電気のように、男の中性 しやく ここで言う″相を だまだ札がつまっているのかと思うと、癪にさわったのだ。的エネルギーのように、相をもたない遊星 ( とは占星術の用語 それもたぶん二十ドル札だの、十ドル札だの、五ドル札だの うに、平和綱領のように、ラジオから流れる愛の言葉のよう といったやつがだ。もし彼がこっちの誘いに応じて一緒に外 に、マイナス符号となり、赤字となった、女の完成というも へ出てきてあの札束をたつぶり拝ませてくれたとしたら、わのの圧倒的な無意味さ。白紙状態の中性的エネルギーのまっ かしやく たしは彼をなぐり倒しても良心の呵責など全然感じなかった ただなかにあってポケットに金を持っているということ、カ 帰だろう。どうしてそんな気持になったのかわからないが、と ルシミン性飃料 ) を塗った街路のまぶしい輝きのなかを、無 南にかくわたしは癪にさわってしかたがなかった。しかし何は意味かっ非生産的に歩きまわるということ、狂気のふちの孤 ともあれ、一刻も早くカー ーのやつを追っぱらうことだ 独にひたりながら声に出してものを考えるということ、都会 五ドルもやれば言うことを聞くだろうからーーそのあとの、それも大都会の人間であるということ、世界最大の都会 ) く

9. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

670 代だ。わたしはいつも妻に借金があり、妻は食料品屋やら肉っている、中風で両手が利かなくなった、目のかすんだ男は、 屋やら家主やらに借金がある。わたしは髭を剃る気にもなれもとニューヨーク市長だった男だ。齢は七十だが、どんな仕 またその時間もありはしない。破れたワイシャツを事でも喜んでやると言う。立派な推薦状を何通も持っている 着て、朝飯をかきこんで、地下鉄代の五セント玉をひとっ借 が、しかし四十五歳以上の人間を雇うことはできない りる。妻の機嫌が悪いときは、地下鉄の駅の新聞売りからく ーヨークでは、四十五歳が限界になっているのだ。電話が鳴 すねることになる。息を切らして事務所へ駆けつけたときはる。の口先のうまい秘書からである。たったいま彼 一時間も遅刻していて、求職者たちに面接する前に電話を十の事務所へやってきた少年のために、特例を設けてやっては いくつもかけなければならない しかもひとっかけているあもらえまいかとの依頼だ 一年ばかり感化院に入っていた いだに他の電話が三つもかかってくるというありさまだ。わ少年だという。ソノ少年ハ何ヲャラカシタノカ ? 自分の妹 たしは一度に二つの電話機を使う。交換台は鳴りつばなしだ。を強姦しようとしたのだ。イタリア人である、もちろん。わ ハイミーは通話の合間に鉛筆を削っている。ドアマンのマガたしの助手のオマラは、求職者の一人を拷問にかけていた。 てんかん ヴァンはわたしのそばに立ち、求職者のなかに、おそらくは癲癇持ちではないかとにらんだのだ。結局、オマラは拷問に 偽名を使ってまたもぐりこもうとしている札つきの男でもい成功し、相手の若者は事務所のまんなかでたつぶりと発作を れば、わたしに忠告しようと待ちかまえている。わたしの背起こしてみせてくれる。それを見て女がひとり気絶する。み 後には、これまでにこの関門を通り抜けた求職者ひとりひと ごとな毛皮を首に巻きつけた、器量のいい若い女が、何とか りの名前を記したカードと台帳とが並んでいる。悪質な連中わたしをくどき落として雇い入れさせようとする。こいつは し・よ ) っふ には赤インクで星印をつけてあり、なかには本名の横に六つれつきとした娼婦で、こんなものを雇おうものなら、あとで もの変名をつらねたやつもいる。そうこうするうちに、部屋とんでもなく高い代償を払わせられるにきまっている。彼女 のなかは蜂の巣のようにごった返してくる。汗や、汚れた足はどこか山の手の方にある事務所で働きたいと一一一一口う・・ーーその や、古い制服や、樟脳や、リゾールや、臭い息などのにおい 方が家に近いからだそうだ。昼食どきが近づくと、何人かの がむんむん立ちこめる。求職者たちの半数は、追い返される友人がばつばつやってきはじめる。彼らはわたしのまわりに ことになるーー・、、会社が彼らを必要としないからではなくオ 、こ腰をおろし、寄席演芸でも見物するようにわたしの仕事ぶり とえどんなに人手不足のときでも、とうてい役に立ちそうもを見物する。医学生のクロンスキーがやってきて、わたしが てすり ない連中だからだ。わたしのデスクの前に手摺にもたれて立 いま雇い入れたばかりの数人の若者たちのひとりはパーキン

10. 集英社ギャラリー「世界の文学」17 -アメリカ2

ロス 954 「わたしたちは、 : わたしたちはちゃんとナフタリンを入新米は、二つの白い涙をもてあそびながら、体を固くして れますよ。ボタンが一つとれてますね」 ィーライはとれ立っていた。 たところを差してみせた 「ちゃんと直しますよ。ジッパ 「何だってできる : : : わたしが、これまでにやったことを見 ーをつけて : : : ほらーーーわたしを見るだけでいい : 」イり - てまーし、 し」イーライは黒い帽子をつかむとそれを男の顔の前 一一 = 口三一つよ , つにエしていたが、。 とうやって話にしめくくりをで振った。 つければいいんだろう ? 言っていることは何ひとつ意味を そして、新米はそれとひきかえに返事をした。男は手を胸 なさなかった 話すことだけが、彼を得意にした。何とかのところへ上げて、指からさきに地平線のほうへ押し出した。 しやペ 喋りつづけているうちに、二人のあいだの固苦しさをとるそして塗料がついたままの顔で ! まるで空気には危険があ ようなことを喋った。「ほら : 」彼はワイシャツのなかにふれているみたいに , ィーライは指をたどってみて、関節 手を入れると下着の縁飾りを日の光のなかにひつばり出した。の向うの爪のずっと先にウッデントンを見た。 「わたしは特別の下着まで着ている : : : ほら」と言った。「ほ 「何なんです ? 持って来ますよ ! 」とイーライは言った。 ら、ほら、ほら」それが神聖な一 = ロ葉でもあるかのように歌っ 新米は突然そっちへ駆け出した。しかし立ち止り、体をま た。「ああ、ほら : : : 」 わして、また宙を指差した。指は同じ方向を差していた。す ツィードの背広の下では何ひとっ動かなかったーーそして、ぐ に、男は姿を消した。 目は涙ぐんでいるのか、輝いているのか、それとも憎しみを それから、たった一人になると、イーライは啓示をうけた。 表わしているのかわからなかった。彼は気が変になりそうだ自分が理解したことに、その実質なり内容なりに疑問を持た った。道化役者みたいな服装をしたが、これは何のためだろなかった。しかし、異常な、夢を見るような暗示をうけて、 う ? 現在のためか ? ィーライは手をあげて、顔をおおっ ィーライは立ち去って行った。 ている両手をひきはなした。 「さあ ! 」と言ったーーそして新米の顔に最初に見たものは、 コーチ・ハウス通りには、二重に車が駐車させてあった。 それそれの頬にこびりついている二つの白い塗料の点だった。市長夫人はストップ・アンド・ショップの店から買物用の手 わき 」イーライはその両手をつかむと両脇におろ押車にドッグ・フードをいつばい積んで自分のステーショ 「わたしにできることがあれば言ってほし、。 わた ン・ワゴンのほうへ押して行った。ライオンズ・クラプ会長 しはやる : : : 」 は、首にナプキンをつけたまま、ビット・イン・ティース・