きないロマンス一般の遺産が作品の基底部にもちこまれ、余 ′一うりき ニ十世紀文学の読み方 人にはかなわぬ作者の強力によって、空前の独創が生みださ さいせんたん いやおう ポルへスの文学が二十世紀の前衛文学の最尖端に位置するれたことを、われわれは、否応なく思い知らされるのである。 この二例に従って、文学創造における伝統の効験を考え、 ことは、今日では、もう、ほば公認の評価になったようであ る。いや、あえて前衛ということもあるまい。二十世紀文学それを、あらゆる文学作品、とりわけ、前衛的な創造にまで がもっとも誇りにしていい文学の富を、その核心にもっ文学及ぶ、いわば普遍的命題として提示することは、もちろん、 と言い直した方がいいかもしれない。たとえば、カフカはそ可能なことだし、それはそれとして、ゆめ閑却すべき事柄で へケットがそうだろう。さら ういうものだろう。あるいは、、、 。オしたが、命題の普遍性は、 かならずしも、具体の細目 に、クロード・シモンも、また、そうである。 のすべてにまで導いてくれるわけではない。多少とも小説を しかし、一方で、われわれは、また、プルーストの『失わ読みなれたひとならば、一口に二十世紀文学というものの、 れた時をもとめて』やフォークナーのいくつかの作品群を今プルーストと、カフカ、あるいは、ジョイス、もちろん、 世紀最高の小説作品として、読みかえしながら、その都度、『ュリシーズ』以後のジョイスとのあいだにみられる、それ 賛嘆の思いをますます深めることができる。ところが、作品それ、一世を驚倒させ、二十世紀の新しい文学風土をつくり だした革命性の内実に、なにか決定的な相異があることに、 の内実にくわしく即して言えば、プルーストの小説には、バ 説ルザックからフローベールにいたる十九世紀フランス小説がおのずと気付くはずである。すなわち、伝統的な遺産が、新 やくろう しい文学創造の核心部において、伝統としての意味合いをど 築きあげた偉大な富が、みごとに変容され、自家薬籠中のも こまでもちつづけているか、いなかということである。 のにされていることが納得できるし、フォークナーの場合に 読者それそれの経験次第だが、カフカやジョイスよりは、 は、さらに古く、しかも、それとはっきり指し一小すこともで 解説 ボレヘス 篠田一士
ゅうひ ・イエジラー』の翻訳は否定と疲労うつ、タ陽のはげしい輝きが窓ガラスに映えており、風が熱 物であった。『セファー ノガリー音楽を伝えてくる。 ) この訪 と推定とを特色にしていた。彼はい水遠性の証明』の方が多情的で、なっかしいハ、 問につづいて他の人びともくる。レーメルシュタットは自分 分、より欠点の少ない仕事だと判断していた。第一巻は、バ ス につきまといにきた人びとを知らないのだが、前にどこかで、 ( ルメニデスの不変の存在からヒントンの改変可能の過去にし たる、人間によってあみだされたさまざまの永遠性の歴史でたぶん夢の中で見たという不快な印象をもつ。客はみな彼に ある。第二巻は、宇宙の出来事はすべて時間的連続をなすこおもねるが、彼らが彼を殺すことを誓った秘密の敵であるこ 明らかとな とを、 ( フランシス・。フラッドリーと共に ) 否定する。彼はとはーー最初は劇の客に、次には男爵自身に 人間に可能な経験の数は無限ではなく、たんなる「くり返る。レーメルシュタットはなんとか彼らの複雑な陰謀をだし ごびゅう し」が時間というものの誤謬を示してあまりあると論ずるぬくか、避けるかしようとする。会話の途中で、彼の婚約者 ただ不幸なことに、 この誤謬を指摘する論議が同じく ュリア・デ・ヴァイデナウと、一時彼女を追いかけていたヤ 誤っているのである。フラディークはこれらの論文を通読すロスラフ・クービンという人物の話が出る。クービンは気が じちょう ると、いつも、なにがしか自嘲的当惑をおばえた。また、彼狂っていて、自分がレーメルシュタットだと思っている : は一連の表現派的な詩を書いたことがあった。作者を困惑さ危険は増大する。レーメルシュタットは第二幕の終わりで陰 せるのは、これらの詩が一九二四年のアンソロジーに入れら謀者のひとりを殺す羽目になる。終幕である第三幕がはじま れ、それ以後どのアンソロジーもそれを踏襲していることだる。支離滅裂の状態がしだいにあらわになってくる。出番が った。フラディークは詩劇『敵』によって、自分の不安定な終わったと思われた俳優たちが再び登場する。レーメルシュ つまらない過去から脱けだしたいと切望していた。 ( 彼は韻タットに殺された男も、ちょっとのあいだもどってくる。だ 文形式をよしとしていた。なぜなら、それは観客が非現実性れかが、時間が進行していなかったことに気づく。時計が七 を忘れるのをくいとめているからで、このことは芸術の必須時をうつ、西日が高い窓ガラスを染め、情熱的なハンガリー 音楽がただよっている。劇の最初の語り手が再び現われて、 の条件だからである。 ) この作品は三一致の法則 ( 時間、場所、行動の ) を守って第一幕第一場で語った一一 = ロ葉をくり返す。レーメルシュタット いた。ドラマはフラドカニーのレーメルシュタット男爵の図はいささかも驚かずに彼に話しかける。観客は、レーメルシ りよう ュタットがみじめなャロスラフ・クービンであることを諒 書室で、十九世紀の最後の夜におこった。第一幕第一場では、 ひとりの客がレーメルシュタットを訪れる。 ( 時計が七時を解する。ドラマはおこらなかったのだ。それはクービンがは
サントニカの房をみつめて放心していた。 れに帰したらいいのかわからなかった。 , 彼の誤りをすっかり そのころわたしは、多少の見栄もあって、ラテン語の規則さとらせるために、わたしはキシェラの『詩文階梯』とプリ かばん 的な勉強をはじめていた。わたしの旅行鞄には、ローモンド ーニウスを送った。 の『著名人伝』、キシェラの『知識大全』、カエサルの『ガリ 二月十四日に、わたしはすぐに帰れという電報をプエノ ア戦記』、プリーニウスの『博物誌』の半端な一冊が入ってス・アイレスから受け取っこ。、、ゝ オ , 乂が「まったノ、よくない」と あてな おり、それらはわたしのラテン学者としてのつつましい才能 いうのであった。神よ許したまえ、緊急電報の宛名人である を超えていた ( し、いまも超えている ) 。トさな町では何事という威信や、フライ・べントスのすべての人にその知らせ けんでん も喧伝される。イレネオは郊外の小さな農園にいて、これらの否定的な形と肯定的な副詞とのあいだの矛盾を指摘したい の変わった本の到来のことを間もなく耳にした。彼はわたし という欲望、また、男性的なストイシズムを装ってわたしの つら に美辞麗句を列ねた儀礼的な手紙をよこした。そのなかで彼悲しみを劇的に演出したいという誘惑、それらすべてが疑い は、「一八八四年の二月七日の」不運にも短かったわたした もなくわたしの目を苦悩の可能性からそらさせたのであった。 力い一」、つ ちの邂逅のことを思いおこし、また同年に死んだわたしの伯旅行鞄をつめているとき、わたしは『階梯』と『博物誌』の 父ドン・グレゴリオ・アエドが「華々しきィッサイゴの戦い 一冊が抜けていることに気がついた。「サターン」号は翌日 しカめ・ において二つの祖国に対してなされた」華々しい功労に言及の朝錨をあげるはすであった。その晩夕食後にわたしはフネ し、それから、「わたしはいまだラテン語を存知ませぬので、 スの家へ向かった。外に出ると、夜も昼に劣らず蒸暑くてお 原典のよりよき理解のために」辞書をそえて、どれか一冊をどろいた。 お貸しいただきたいと懇請していた。彼はその本をよい状態 イレネオの母親が小ぢんまりした牧場でわたしを迎えた。 かん。へき くらやみ でほとんど即刻お返しすると約束した。その手紙は完璧で非 イレネオは裏の部屋にいるが、暗闇の中にいるところをみ 常にうまく構成されていた。綴字法はアンドレス・べリョのても驚かないでくれ、彼は蝦燭をつけずに真夜中を過ごす方 主唱するタイプのものであった。のかわりに のかわ法を知っているのだから、と彼女は言った。わたしは玉石を 集りにという式である。最初は当然冗談だと思った。それが敷いた中庭と小さな廊下を横切った。第二の中庭にきた。大 ロ 伝そうではなくてイレネオのやり方なのだということを従兄がきなぶどうの木があらゆるものを蔽っていたので、闇そのも わたしにうけ合った。わたしは、難解なラテン語が辞書だけののようだった。突然、甲高い、からかうようなイレネオの ずうずう を必要とするという考えを、図々しさと無知と馬鹿とのいず声がきこえた。声はラテン語で話していた。その声は ( 闇の ろっそく おお 力してい
った。わたしには、宇宙のどこかの棚に全き本がのっている 嫌われた。しかしこの狂熱によって破滅した「宝物」を嘆く ( 3 ) 人びとは、二つの顕著な事実を見おとしている。一つ。図書ということが、ありそうもないこととは思えないのだ。わた しは未知の神に祈る。たとえ、たった、ひとりの人間でも、 ス館はあまりにも大きいので、人間によって行なわれたいかな だれかがそれを ルる削減も極微である。二つ。それそれの本は独自のものでかそしてまた、何千年の昔であろうとも ! けがえがないが ( 図書館は総体的であるから ) 、常に数百数調べ読んだことを。もし名誉と知恵と幸福とがわたしのもの 千の不完全な模写がある。それらは一文字か一コンマしかちではないならば、他の者のものたらしめよ。わたしの場所は がっていないのである。一般の意見に反して、わたしはあえ地獄にあろうとも、天国は存在せんことを。わが身はふみに じられ滅ばされようとも、御身の大いなる図書館は、ひとっ て、清浄化運動者たちによって行なわれた破壊の結果は、こ れらの狂信者たちによってひきおこされた恐布のために誇張の瞬間に、ひとりの存在のなかに、正当化されんことを。 やから されてきたのだと推定する。彼らは「真紅の六角形」にある不敬の輩は、図書館では不条理が正常であり、何事であれ、 合理的なものは ( つまらない、単なる一貫性でさえも ) ほと 本を奪取しようとして夢中になっていた。原型より小さく、 んど奇跡的な例外であると主張する。彼らは ( わたしは知っ 全能で、挿絵がっき、魔力のある本である。 当時のもうひとっ別の迷信も知られている。「本の人」でている ) 、「そこのあぶなっかしい本はいっちがう本にすりか ある。どこかの六角形のどこかの棚に、残りのすべてに対すわってしまうかもしれす、その本の中では、錯乱した神のし る完全な概要である本が存在するにちがいないと人びとは推わざのように、あらゆることが肯定され否定されこんがらが ってしまうような、熱病やみの図書館」と言っている。これ 定した。ある図書館員がそれを精読し、今や神に相似してい こんせき らの言葉は、無秩序を告発するばかりでなくそれを例証して る。その遠い役人崇拝の痕跡は、この地域の言葉にいまだに たず 一世紀のあもいるのであるが、その話者の悪趣味と絶望的な無知を天下 持続している。多くの巡礼が彼を探ねて歩いた にさらすものである。実際に、図書館はすべての言葉の構築 いだ彼らはきわめて雑多な道を空しくさ迷った。彼のすみか である秘密の六角形をいかにしてつきとめられよう ? ある物と、二十五の文字によって許されるかぎりの変化をもって そ第 : っ いるが、絶対的に無意味なものはただのひとつもない。わた 者が遡行する方法を提案した。本 < をつきとめるために、最 しの管理下にある多くの六角形の中で最上の本は『調髪した 初 < の位置を指す本に当たる。本をつきとめるために、 けいれん せつこう わた雷鳴』という題のものだとか、もうひとつは『石膏の痙攣』 ます本 O に当たる。こうして無限につづけてゆく : という名だとか、また別のは「アクサスサス・ムレー』だと しはこれしきの冒険のために年月を浪費し使いはたしてしま
当然この「くじ」は失敗した。その倫理的価値は無だった。 しばらくするとくじの発表は、罰金の額を書かすに、それ それは人間の無力には訴えるところがまったくなく、単に希それの外れ番号に相当する入獄の日数を公告するだけになっ ス望に訴えるのみであった。大衆にそっぱをむかれて、この貪てしまった。その当時ははとんど気づかれなかったが、この 欲なくじをつくった商人たちは金を失いはじめた。だれかが簡略さがたいへんな重要性をもっこととなった。それは金銭 ちょっとした変改を試みた。外れくじのいくつかを、当たりぬきのくじの最初の出現であった。その成功はたいへんなも 番号の中に書きかえたのである。この変改によって番号札ののだった。常連にせがまれて組合は外れ番号をふやさざるを 買い手は、合計額を手に入れるか、しばしば相当の額にのばえなくなってしまった。 る罰金を払うかの、倍のリスクに立たされることになった。 ハビロニアの人びとが論理を、いや、均斉さえも大いに好 このちょっとした危険はーーー三十枚の当たりに対して一枚のんだことはだれでもみとめる。彼らには、幸運な番号は円い 外れになるーーきわめて当然ながら、大衆の興味をそそった。貨幣で数えられるのに、不運な番号は監獄で過ごす日と夜と ハビロンの人びとはすっかりそのゲームに入れあげてしまつであらわされるのは不合理だと思われた。あるモラリストた おくびよう た。くじを手に入れない者は臆病者、根性のけちな者とみちは、金銭を所有することは幸福をきめるものではなく、他 オくじをやらない者の形の財産の方がおそらくもっと直接的だと論じた。 なされた。やがて、この軽蔑は倍増しこ。 はさげすまれたが、はすれて罰金を払う者も軽蔑された。組貧しい階級の地区には、また別の不安のもとがあった。僧 りよ 侶の学校の生徒はかけ金をふやして、恐怖と希望との変転を 合 ( 当時それはこういう名前で知られはじめていた ) は当た った者を保護する手だてを講じなければならなくなった。罰探った。貧しい者は、正当なまたは避けがたいねたみをもっ 金のほとんど全額が集められてしまうまで、当たった者は賞て、この悪名高い甘美な浮き沈みからのけ者にされていると もら 思った。貧しい者も金持ちも同じようにひとしくくじに参加 金を現金で貰うことができなかったのである。組合はかけに こうふん したいという熱望は、昂奮をまねき、その記憶は年月を経て 負けた者に対して訴訟をおこした。裁判官は彼らに、もとも との罰金に訴訟費用を加えたものを払うか、監獄で数日暮らも消されなかった。ある頑固な人びとは、新しい秩序、必然 すように申し渡した。負けた者は組合をだしぬくためにみな的な歴史上の段階がきたのであることを理解せず、または理 。ひとりの奴隷が真っ赤な札を盗ん 監獄をえらんだ。組合の全能の地位ーー・その教会的な形而解しないふりをした : ・ しし当っ だ。その札は彼に舌を焼かれる権利をもたらした。犯罪法は 上的なカーーーのもととなったのは、このはじめの数人のか らいばりであった。 札を盗んだ者に対してその同じ刑罰を制定した。あるバビロ けいべっ どん そう
デカルト、ライプニツッとジョン・ウイルキンズの思 カルロス・ウルカーデの石版画展覧会カタログへの序 言 ( ニーム、一九一四年 ) 。 想のあいだの「ある関連または類似」についての研究 ( ニ ーム、一九〇三年 ) 。 ⑩彼の作品『一つの問題の多くの問題』 (Les probl&mes d ・ un probl&me) ( パリ 一九一七年 ) 。これは有名な問題ア ④ライプ一一ツツの『並日ー遍的性格 J(Characteristica univer- かめ キレスと亀のいろいろな解答を年代順に扱ったものである。 salis) についての研究 ( ニーム、一九〇四年 ) 。 ルック この本の二つの版が今までに出版されている。第二の版は チェスの勝負を、飛車のもっ歩の一つを除くことによ 心配無用、亀だ」 って内容豊富にするための技術的研究。メナールはこの革題辞としてライプニツツの忠告「貴君、 を掲げ、ラッセルとデカルトにあてた章の改訂を含んでい 新を提案し、推奨し、反論し、終には斥けている。 る。 ①ラモン・ルルの『大芸術』 (Ars magna generalis) に しつよう トウーレの「文章のくせ」の執拗な分析 (z ・・ ついての研究 ( ニーム、一九〇六年 ) 。 回ルイ・ロベス・デ・セグーラの『チェスの発明と技法誌、一九二一年三月号 ) 。わたしはメナールが日ごろ、非難 と賞揚とは批評となんの関わりもない感傷的作業であると の書』 (Libro de la invenci6n liberal arte del juego 一九断一一 = ロしていたことを覚えている。 del axedrez) の、序言とノートをつけた翻訳 ( 。ハ 6 ポール・ヴァレリ ーの『海辺の墓場』 (Cimeti&re ma ・ 〇七年 ) 。 アレクサンドラン rin) の十二音節句格への転置 ( z ・・誌、一九二八年一 ジョージ・ブールの象徴的論理についての研究の素描。 月号 ) 。 サンⅡシモンの用例によるフランス散文に基本的にみ ⑩ジャック・ル。フールの『現実抑圧論集』 (Hojas para られる韻律法の検討 ( 「ロマンス語評論」、モンペリエ、一九〇 la supresi6n de la realidad) 中のポール・ヴァレリー攻 九年十月号 ) 。 リュック・デュルタン ( 彼は前述のような法則の存在撃。 ( この攻撃は、括弧つきでいうべきだろうが、ヴァレ ーに対する彼の真意とはまったく反対である。ヴァレリ を否定した ) への回答、リュック・デュルタンの用例によ の・、よ、つ力し ーもそのことは諒解していたので、二人のあいだの古い 集る ( 「ロマンス語評論」、モンペリエ、一九〇九年十二月号 ) 。 奇 友清はけっして損われなかった。 ) 『プレシオジテ文学の指針』 ()a boussole des pré- 伝 この言いまわしはもう一人 「勝利にかがやく書」 cieux) と題されたケベードの『誇飾主義の羅針盤』 (Agu 」 a の協力者ガプリエル・ダヌンツイオのものであるーー・の中 de navegar cultos) の翻訳草稿。 しりぞ カカ
こんせき マンズの多形の宮殿での陰謀に加担し、カルカッタのベスト こと。最初は微笑か一言かのかすかな痕跡である。最後は、 の悪臭のさなか、すなわち、マチュア・バザールのなかで、理性の、想像力の、善の、さまざまな、しだいに大きくなる 祈り密通し、日が海に生まれるところをマドラスの事務所か光輝である。たすねられた者がアル・ムターシムと親しけれ ら眺め、午後が海に死ぬところをトラヴァンコーレ州のバル ば親しいだけ、その者の神聖さは大きいのである。 彼ら コニーから眺め、インダブールでためらってから殺し、そし はただの鏡にすぎないということは常に明らかなのだが。数 て月の色をした猟犬の庭からほんの少しはなれたあのポンべ 学的な方法が適用できる。 ハドウールの、たくさんの荷物 イで、里程と年月の行路を閉じるのである。筋は次のとおりを背負いこんだ小説は、ひとつの上昇運動である。その最終 である。わたしたちがすでに知っている懐疑的な逃亡学生は、目的は「アル・ムターシムとよばれる男」の予覚にある。ア もっとも卑しい階級の人びとのあいだに身をおとし、一種のル・ムターシムの直接の先行者は、このうえなく楽しげで折 堕落の競争で彼らに順応してゆく。突然ーー砂の上の人間のり目正しいベルシア人の本屋である。この本屋の先祖は聖人 足あとにぶつかったロビンソン・クルーソーのような奇跡的である : : : 。何年もたってから学生は、「その奥に安ものの、 きようがく な驚愕をもってーー彼はこの堕落の中にある和らぎを感得ビーズがびっしりついた垂れ幕の扉があり、その後方から大 よろこ する。嫌悪すべき人びとの中の一人にあるやさしさ、歓ばしきな光が放射している」回廊にたどりつく。 学生は一度二度 さ、静けさを。「それはあたかもより複雑な対話者が会話に と手をうち、アル・ムターシムを求める。男の声がーー・ア 加わったようであった。」彼は自分と話しているその卑しい ル・ムターシムの信じがたい声がーーー彼を招じ入れる。学生 男には、この瞬間的な端正さをもっことが不可能なのを知っ は幕を引き進み出る。小説は終わる。 ている。このことから彼は、その瞬間の相手は友人の反映、 わたしの思い違いでなければ、そのような議論の行使に成 あるいは友人の友人の反映であると推理する。その問題を熟功するには、二つの責務が作家に課される。ひとつは、さま 考して、ある神秘的な確信に到達する。この世のどこかに ざまな予一一一一口的特性を発明することであり、もうひとつは、こ この清澄さが放射されている人がいるこの世のどこかにこれらの特性によって予想される主人公が、ただの約束事や幻 集の清澄さそのものである人がいる学生はこの人を見つけるにならないように注意することである 。ヾハドウールは前者 伝ために人生を捧げようと決心する。 には成功したが、後者をどの程度まで充足しえたかは疑問で いちべっ ここに至った推論の骨子を一瞥するとこうである。その魂ある。換一言すれば、異常な見えざるアル・ムターシムは、気 が他にのこしたほのかな反映を通じてあくまでその魂を探すのぬけた超自然のよせ集めという印象ではなくて、実在の印
安閑と無視すべきでない、 これらは真正の証一一 = ロなのだという詩にはいった。詩の形式は簡潔を旨とするからである。その のである。提案は即座に承認された。そこでフェルナンデ後わたしの生涯をみたすことになった、この一一 = ロ語との最初の しへんレクイエム ス・イラーラと、ラテン語を教えているイグナシオ・クルス出会いは、スティーヴンスンの力強い詩篇「鎮魂歌」である。 それから、 博士とか、必要なテクストを選ぶ役目を引き受けた。トワー 古謡のかたみ』〈一七六五〉を出版力いカめ ルは、その問題について、すでにニーレンシュタインと話をしい十八世紀に対して啓示したバラッドがつづいた。ロンド げんわく 」こま、スウインバ 、レ。一 5 き、れ つけていた。 ンに向けて出発する少し前レ。 アレクサン リをユートピアと思わぬていて、いささか後ろめたくはあったが、 イラーラの十二綴 当時、アルゼンチンの人間で、 に・一フン 者はひとりもなかった。われわれのなかでもっとも熱狂的だ音詩の卓越性を疑うようになっていた。 ったのは、おそらくフェルミン・エグ ! レンだったろう。っ 一九〇二年の一月はじめ、わたしはロンドンに到着した。 ぎに、まったく別の理由からだが、フェルナンデス・イラー 、パリは生れてはじめて見た雪の愛撫にふれて、ありがたい感じがし ラが二番目だった。『大理石の柱』の詩人にとって ウエレレーヌとルコノト・ド・リーレ。こっこ、、ゝ、 ノオオカ他方、エグたことを、いまもおばえている。さいわい、エグーレンとは ーレンにとってのバリは、フニン街の改良版だったのだ。思 別の旅だった。大英博物館の裏の安宿に泊って、世界会議に め曩っ力し うに、彼はすでにトワールとのあいだで、諒解に達していたふさわしい一一 = ロ語を探求するために、朝にタにその図書館に通 った。世界語も見落さなかった。エスペラント、すなわち、 のだろう。次の集会では、会員の用いるべき一一 = ロ語について、 また、情報収集のために、ロンドンとパリに二人の代表を送ルゴーネス ( ア モカム人 ) が『感傷的な暦』のなかで、「公平、 単純、かっ経済的」と形容した言葉のほかにも、動詞を変化 る便宜について、討論がかわされた。公平を装って、トワー ルはまずわたしの名を持ちだし、それから、軽いためらいのさせたり、名詞を活用させたりして、あらゆる一一一一口語的可能性 あとに、自分の友人工グーレンを指名したのだ。例によって、を試みようとしたボラピュック ( 一八七九年頃、ドイツ人、ヨン・ のそいてみた。幾世紀を経ても、なお、永続してやまないノ ドン・アレハンドロは賛成した。 スタルジアの対象であるラテン語の復活についても、賛否両 本レンが、イタリア語を教えるのと引きかえに、英語という、 かぎりない言語の勉強への手ほどきをしてくれたことは、す論を検討してみた。わたしは、また、各語の定義は、それを でに書いたと思う。文法や、初心者用にでっち上げられた練綴る文字にあるとする、ジョン・ウイルキンスの分析的一一 = ロ語 習問題を、できるかぎりとばして、わたしたちは、いきなりの調査にも、時間を費した。わたしがビアトリスを知ったの
にするかどうか考えればいし 。まるで彼の考えを見透かした 作りのトリュフの薫りがするタ食を食べ、お祝いのシャン。へ かのよ , つに、マルタがこ , っョねた : なにもかもが軽やか ンを飲み、おいしいお菓子を食べた : で、繊細だった。ムードはいやがうえにも盛り上がり、べッ 「何のためにアンセルモの家に送るの。しばらくの間、あの ドで迎える結婚記念日のこのうえない序曲となった。べッド 空き部屋にいれておけばいいんじゃないの」 マルタには分かっていないのだ。彳 皮女はたしかに憂し、だ は彼女が間に合わせで寝室に作ったもので、その日が使い初 めだった。トリュフ、シャン。ヘン、ロウソクの明かり、どれけでなく、理解があった。けれども、彼がしたいと思ってい もすてきにはちがいなかったが、 ロベルトにとってあの夜がることをどうしても理解できなかったし、彼がそのことを説 : そうなのだ、明しようとしても耳をかそうとしなかった。釘とプラスチッ 忘れ難いものになったのは、もっと意味深い クの詰め物、ハンマー、ドリルが漆塗りのキャビネットのう 意味深い何か、何というか : : : あの夜を高め、豊かなものに したのは、陸的な満足感ではなかった、そうでなく別の、もえに置いてあった。あのキャビネットはもともとマルタの母 っと : : : つまり、もっと意味深く、複雑な何かだった。あの親の、ポストモダン的な感じのする重苦しいブルジョワ的な とき魔法の力を発揮したのは、別のものだった。マルタがあ雰囲気の中に置かれていた。それを運んできたのだが、何も のときこちらの心をとろかすような優しい声で、愛情をこめ置いていない新しいマンションの中に入れると、びつくりす て、ローカの店のエメラルドはいらないわ、それよりも結婚るほど現代的な感じがして、これが同じものかと目を疑うほ 記念日の思い出に、あの『緑色原子第五番』を頂きたいの、どだった。 スポットライトがあの絵を照らしだしていた。絵といって と言ったのにほだされたのだ。 も縦六十センチ、横八十センチの、それはど大きなものでは その絵は今、玄関のドアのそばの壁にもたせかけてあった。 オカオこうしてみると、たしかに違和感はなかった。そ 昨夜は壁に穴まで開けたのだが、結局妻を説き伏せてあの絵よゝっこ。 土を壁にかけないことにした。二人で話し合った結果、明日、れどころか、日本製の漆塗りのキャビネットとじつによくマ ア ッチしていた。それに軽かった。軽い感じの絵という意味で 守衛を呼んで、穴を埋め、そのうえに同じ色のペンキを塗っ ジ はなく、実際に目方が軽かったのだ。目方を量り、それを紙 てごまかしてもらうことにした。親しい友人のアンセルモ プリエートの家には、がらくたを詰め込んである大きな書斎切れに書いておいたので、一キロと八グラムという正確な数 値まではっきり覚えていたが、今のタイトルをつける前に、 があるので、はかの絵といっしょにあの絵もしまってもらう ことにしよう。その間に、あの空き部屋を本格的なアトリエその目方に基づいてあの絵を『重量 108 』と名づけようと
その虐殺は、政治的・社会的なものであると同時に、魔術生まれてから死ぬまで、その中を動きまわっているのだ。わ た 的・宗教的な色合いをも持っていた。死体に加えられた恐るれわれがアヤクーチョへ行ってからひと月経っか経たないう べき傷は儀式的なものであった。八人は、二人を一組にし、ちに、イキチャの人々がセンデーロ・ルミノソの復讐を恐れ 口を下にして埋められていたが、これは共同体の人々が〈悪てパニックに陥っていたのが理由のないことではなかったこ はき」み 魔〉もしくは、悪魔と契りを交わしたと信じられている鋏のとが、別の悲劇によって確認された。その事件というのは、 踊り手のような者たちを埋葬するさいに用いる形式である。 ウチュラハイから約二百キロ離れたルカナマルカで起きた。 同様に、よそ者であるという性質を強調するために、彼等はその土地の共同体の人々はそれまでセンデーロ・ルミノソに もんちゃく 記者たちを共同体の外辺の地に埋葬した ( アンデス地方では、協力してきたが、食糧の問題でゲリラと悶着を起こした。 悪魔はよそ者の姿をしている ) 。死体は特に目とロの損傷がその時、ルカナマルカのインディオは二、三人のゲリラを捕 ひどかったが、それは加害者を見分けられないように目を、 らえ、彼等をワンカサンコの警察に引渡した。四月二十三日、 そして加害者を告発できないように舌を、被害者から取り去敵対関係にある共同体の何百人というインディオを従えたセ らなければならないというのが彼等の信念だからだ。彼等は、 ンデーロ・ルミノソの四箇分隊が、懲罰のためにルカナマル ふくしゅう = = ロ者たちが殺した者に復讐しようと戻ってこないようにと、 力に入った。七十七名の人間が村の広場で殺されたが、数名 くるぶし その踝を砕いた。共同体の人々は死者から衣服をはぎ取っ が銃撃によるほかは、大部分が斧や、山刀や、石によるもの たが、これは衣服を洗濯してその後で、〈ピチュハ〉の名でだった。首を斬られ、手足を切り取られた者のなかには、四 きょ 知られる浄めの儀式のさいに、それらを焼き捨てるためだつ人の子供が入っていた。 集会が終り、われわれが見たり聞いたりしたことに強い衝 ウチュラハイの犯罪は身の毛のよだつものであった、そし撃を受けてーー記者たちの墓はまだ開けられたままだった 真て、それが起きた状況を知ったからといって、それを免罪し アヤクーチョへ帰ろうとしていたとき、村の一人の小柄 殺するものではない。 しかし、状況を知ることは、それをよりな女性が急に踊り出した。彼女はわれわれには意味が分から る理解しやすいものとしてくれる。この犯罪のなかに見られるない歌を口ずさんでいた。女は、子供みたいに小さかったが、 しわ ほお あ 暴力はわれわれを驚かすが、それはこうした暴力が、われわ皺の寄った老婆のような顔をしており、その両頬は縦横に走 れの日常生活においては異常だからである。イキチャ族の者る皺だらけで、腫ればったい唇は高原の寒気にさらされて暮 にとっては、そうした暴力は環境そのものであって、彼等はらす者のそれだった。彼女は裸足で、色物のスカートをはき、 はだし