的 - みる会図書館


検索対象: 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ
1252件見つかりました。

1. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

遍歴し、そこに君臨していた僭主的な大統領たちの歓待と庇 レー彗星出現の一 児護を受けて安穏に暮らしている。また、ハ じようし 九一〇年には『秋の詩』という表題の詩集を上梓してもい ケる ) 。いずれにせよ、ラテンアメリカの特殊な社会的・政治 ーレ 「的・文化的な背景のなかから生まれた現実の独裁者という異 ア様な種族から出発して、普遍的な寓喩をになう神話的存在と いして見事に造形された族長の物語の、悪夢にも似た、まがま かんけっ ガ がしい幻惑の半ばは、作中で頻繁に現われる「灯台」の間歇 的な光線ではないけれど、いわば機能昂進を起こした作者の 想像力が放射する怪奇なイメージの紛乱を伴った、その散文 詩的な文体によると言ってもよい せんしゅ

2. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

: 人は彼一人の魔術師という印象を受ける : トノソもやはり仮面と変装に 「仮面をつけることは基本的な魔術である。 じゅ で種々に見えようとし、仮面をつけてデーモン的なものの呪魅せられており、あるところで彼はこう述べている。「どう ・ : おそ : 仮面は迷わすのではなく、魅了するして自分はこれほどまで変装に惹かれるのだろう ? ・ 縛に入ろうとする。 こわ ノベきものである。仮面は、ある程度われわれの生の状況の逃らくそれは、変装が人間存在の統一性を打ち壊す方法の一つ れ難い不動性と固定性から救済する。人はふたたびすべてでだからに違いない 心理的統一性というのは、われわれが生 ありうる。仮面を用いて、人はある程度自らデーモン的暴力み出した身の毛のよだつような神話だが、変装はそれを打ち と力を獲得する。 : ・変装は人間の原始において、決して拘壊すのである : : : 」ドノソが仮面、変装に備わる魔術的なカ し 束力のない、恣意的な、危険のない遊び、いわば楽しみ事やに魅了されていることはこの一文からも明らかだろう。ラテ ンアメリカの現代作家の中にあっても、ドノソとフェンテス 央な仮装会とは解されていなかった。逆に、それは危険な だれ 冒険、デーモンの挑発とされた。それは誰にでも許されては はともに難解なバロック的文体を駆使する作家として知られ おらす、精通した呪術師、呪医の特権であった。仮面は、地ているが、彼らのそうした特徴は、作者自身が仮面と変装を 上と地下のデーモンの祝福しかっ恐ろしくもある暴力の全範通して絶え間なく変身することによって、一 = ロ葉に魔術的なカ 囲において、人間の社会的結合をたてる祭祀的降霊の儀礼的をもたらしているためだとも考えられる。 小道具となった。仮面で目指された『仮象』独特の『非現実 なじめなかった学校生活 性』は根源的に欺瞞効果としてではなく、魔術として、呪術 として了解される。祭祀的遊びは基本的底層において仮面の それはともかく、ドノソは一九三二年、先に触れたザ・グ レインジ学院に入学する。しかし、もともと内向的な性格だ 魔術なのである」 ( 千田義光訳、せりか書房 ) った上に、スポーツがまったくだめだったので学校生活にど 短編集「仮面の日々』から長編小説「空気の澄んだ土地』 をへて「クリストバル・ノナト』にいたるカルロス・フェン うしても溶け込むことができなかった。あるとき、ボクシン テスの作品を見ると、一作ごとに新しい技法と文体を用いてグでも習えば、スポーツがうまくなるかもしれないと考え、 さん 新たな小説世界を次々に創造していることが分かる。狂熱的一念発起して個人教授につくことにする。しかし、結果は惨 たん じようぜっ とも一言える饒舌な語り口で語られるフェンテスのこうした憺たるもので、一緒に習い始めた弟のほうが強くなり、ドノ ソはいっそ , つひどい自信喪失に陥っこ。 作品を読んでいると、危険な冒険に果敢にかかわってゆく、 父親が外交官だった関係でチリに来ていたメキシコのカル 魔術に精通した呪術師、デーモン的暴力と力を獲得した一 = ロ葉 ぎまん こわ

3. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

れた。これらさまざまの修練を積んだ個々の人間はたくさん定されるトレーンの祖語には、名詞というものがない圜訪 いるが、創造を容易にする者はなかなかしオし 、よ、し、ましてそと等価の、単音節の接尾語 ( または接頭語 ) に修飾される非 スの創意を、厳しく組織だったプランに従わせうる者は、なお人称動詞がある。たとえば、「月」に当たる言葉はなくて、 トウムーン ムーネイト ルまれなのである。このプランはあまりに厖大だったから、一 英語でいえば、さしずめ「月する」または「月にする」に当 人一人の書き手の分担はごく小さい。最初、トレーンは単な たる動詞はある。「月は川の上に昇った」は《 hlör u fang こんとん axaxaxas m 一 6 》 る混沌、気ままで手ごたえのない想像力の産物と思われた。 つまり「流れるもののうしろから上方 す 今や、それは一個の宇宙であり、それを統べる法が、暫定的 にそれは月した」となる。 にもせよ、周到に形成されていることがわかったのである。 ここまでのくだりは南半球の一一一一口語にあてはまるものである。 第十一巻の明らかな矛盾が、他の巻が存在するということを北半球の一一 = ロ語においては ( その祖語について第十一巻にはは 証明する根本的な論拠であるといえば、事は足りる。大衆的んの少しの記述しかないが ) 、基礎的な単位は動詞ではなく、 な雑誌が、無理もない熱狂ぶりで、トレーンの動物学と地誌単音節の形容詞である。名詞は形容詞の集積によって形成さ とら のニュースを流したことがある。しかし、その透明な虎と血れる。彼らは月とは言わないで、「暗い上の丸いー淡いー明 の塔は、あらゆる人びとの永続的な注目をひくことはおそらるい」とか「空のー青白いーオレンジ色」とか、そういった くあるまい。わたしは少しく時間を借りて、その宇宙認識を組み合わせを使う。あげられている例では、形容詞の集積が 解説してみよ , っと田 5 , つ。 ある現実の事物を指しているが、これはまったく偶発的なも ヒュームはたえず、 ークレイの議論はまったく論破の余のである。この半球の文学は、 ( それより小さいメイノング 地がないと同時に、少しも説得力がないと主張していた。この世界でのように ) 観念的な事物に富んでおり、それらは詩 の断定は、この地球に適用すればまったく正しいけれども、的要請に従って、瞬時に喚起されたり溶解したりしている。 トレーンにおいてはまったく誤っている。あの天体の住人は時としてそれらは単なる同時性によって決定される。視覚的 生来唯心論者である。彼らの言語と、その派生物ーー宗教、と聴覚的の二つの言い方で形成される事物がある。たとえば 昇る日の色と遠い鳥の叫びとで。多くの言い方から成る事物 文学、哲学ーー・はみな唯心論を前提としている。彼らにとっ まぶた て世界とは宇宙における物質の集合体ではない。それは個々もある。泳ぐ人の胸に当たる太陽と水、閉じた瞼の裏にみえ の行為の異質的連鎖である。それは連続的で時間的であり、 る漠としたふるえるばら色、川や眠りによっても運ばれるた 空間的ではない。「現在の」言葉や方言が派生してきたと推ゆとう感じ。これらの二次的な事物は他のものと結びつけら

4. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

ポルへス 40 管所、過去の証人、現在への規範で且っ教訓、そして末来じまる。年月がたつにつれて、それは哲学史の中の単なる一 への警告。 章ーー一段落や一名詞ではないにしても となる。文学に おいては、このやがてくる衰退はさらに顕著である。このキ けつきよく刪 十七世紀に、「天才的な俗人」セルバンテスによって書かホーテは とメナールはわたしに言った れたこの列挙は、単なる修辞的な歴史の賞揚である。メナー快な本である。今やそれは愛国的乾杯のための好機であり、 わいほん ルは一方こう書いている。 文法的傍若無人さであり、豪華版の猥本である。名声は無理 解の一形式、おそらくは最悪の形式である。 ・ : 真実、その母は歴史、それは時の好敵手、行為の保 このようにニヒリスティックな議論はなんら新しいものを 管所、過去の証人、現在への規範で且っ教訓、そして未来含んでいない。特異なのはピエール・メナールがそれらから への警告。 引きだした決意である。彼はすべての人間の骨折りを待ちう けているはかなさをだし抜こうと決心した。彼は非常に複雑 きゅう 歴史、真実の母。この考えは驚異的である。ウィリアム・ で、最初から無益な仕事に従事したのである。杞憂と眠れな ジェイムズの同時代人であるメナールは、歴史を現実の調査い夜とを、外国語のすでに存在する本の反復に捧げたのであ ではなく、その源泉だと規定するのである。彼にとって歴史る。草稿はどんどんふえていった。彼は粘り強く訂正し、何 ( 3 ) 的真実とは、すでに起こったことではない。われわれが起こ千枚の原稿を破いた。彼はだれにもこれらの草稿を調べさせ ったと判断することである。最後の句ー・ー現在への規範で且なかったし、彼の死後にそれらが残らないように非常に注意 っ教訓、そして末来への警告ーーとは恥ずかしげもなく実際した。わたしはそれらを再構成しようと試みたが無駄であっ 的である。 スタイルの対照的なことも明らかである。メナールの わたしは「最終の」キホーテを、最初の文字を消してその つまるところ外国人であるーーー擬古的なスタイルはある気取うえに別の文字を書いた羊皮紙のようなものと考えるのが当 りを免れていない。彼の先駆者のそれはそうではなく、自分 たっていると思う。そこにはわれらの友人の「前の」書体の こんせき の時代のロ語のスペイン語を楽に扱っている。 薄いけれども判読できないことはないーーー痕跡があらわ けつきよく無用とならないような知的な操作というものはれている。不幸にも、第二のピエール・メナールだけが第一 ない。哲学的学説は最初宇宙のもっともらしい描写としてはのメナールの作品を裏返して、これらの失われたトロイを発 ? ) 0

5. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

ポルへス 38 発的な本です。「ドン・キホーテ』は必然的ではありません。 シェイクスビアのある詩句を思いださせた。 わたしは書くことをあらかじめ考えることができます。類語 しようわる そこに性悪のター ンをまいたトルコ人が : 反復をおかすことなくそれを書くことができます。わたしは 十二か十三歳のときに、たぶんそっくりそれを読みました。 それにしても、なぜまさしくドン・キホーテなのか ? とそれ以来数章を注意深くよみ返しました。その章にはここし ばらくとりかからないつもりですが。わたしはまた幕間狂一言 読者は問われるだろう。そのような選択はスペイン人ならば 説明のつかないことではなかっただろう。しかしニーム出のや、喜劇や、「ガラテア』や、「模範小説集』や、『。ヘルシレ サンポリストとなると疑いもなく説明のつかないことなのでスとシヒスムンダの苦難』「パルナソ山の旅』等々の疑いも ある。とりわけ、エドモン・テストを生んだヴァレリー をない労作などをも研究しました。わたしの忘れつばさと無関 、いさによって単純化された「ドン・キホーテ』全体の記憶は、 生んだマラルメ、を生んだポードレール、を生んだポーに熱 狂したものとしては。上に引いた手紙がこの点を明らかにしまだ書かれていない本のばんやりした、予測のイメージとび ったりなのです。いったんこのイメージ ( だれもそれを正当 ている。メナールは説明する、「そのキホーテにわたしは深 なんといったらよに否定することはできません ) が設定されたうえは、わたし く興味を抱いています。しかしそれは しで 1 しょ , っ かけがえのないものではなかったように思えの課題がセルバンテスが直面したものよりもかなりむすかし ます。わたしはエドガー・アラン・ポーのあの感嘆をぬきに いことは明らかです。わたしの愛想のいい先駆者は運命の協 力を拒みませんでした。彼はその不滅の作品を少々いい加減 した宇宙を想像することができません。 に作りました。言葉と創作の惰性に身をゆだねて。わたしは ああ、この庭は魅入られしものなることを心にとめよ ! 彼の自然的な作品を逐語的に再構築するという不思議な義務 を課しました。わたしの孤独なゲームは両極の法則によって あるいは『酔 : しとれ舟』や『老水夫行』をぬきにして。し支配されます。第一のものは形式的心理的な質のヴァリエ ーションをわたしに試みさせます。第二のものは、そのヴァ かし、このキホーテはぬきにしても、宇宙を想像することは 丿エーションを原典のための犠牲にし、この消去を論破でき できるのです。 ( もちろん、わたしは自分の個人的な受容力 これらの人工的な障害の上に、 のことを言っているので、これらの作品の歴史的な反響につぬまでに理由づけます : いて言っているのではありません。 ) 『ドン・キホーテ』は偶もう一つの生来の障害を加えなければなりません。「ドン・

6. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

1301 文学作品キイノート 洫″ム BO ホルへ・ルイス・ポルへス げんがく 書物を愛する学識豊かな人が、衒学趣ン・キホーテ』の例を見てもわかるよう了してやまない。書物を読むことは、対 味をひけらかさすに自らの思索を書き綴に文体だけで決定されるものではない、 話することにほかならないと語るポルへ ったエッセイや批評文を読むこと、これ「不滅のページとはあらゆる試練の火をスは、この作品でも数知れぬ書物と交わ は読書人にとって何よりの楽しみだが、 くぐり抜けて生き続けるものであり」 した対話、 そこから紡ぎだした思索をわ かんべき ポルへスのエッセイ集はそうした喜びを「完璧なページ」というのはあらゆるもれわれの前に提示してくれているが、こ 十二分に味わわせてくれる。 のの中でもっとも不安定なものであるとれはなにものにも代えがたい贈り物であ かつば ある論文をもとに、該博な知識を駆使喝破した「読者の倫理的な迷信」、文学る。 して時間と空間を独自の視点から論じた における古典的なものとロマン的なもの 「現実の最後から二番目の解釈」、ウォルを対比し、ギポン、セルバンテス、テニ テフォー、キプリング ト・ホイットマンを論じた「もう一人のソン、ウエルズ、・ ホイットマン」、スタンバーグの『ニュ などを引きながら古典的な作品の復権を ーヨーク桟橋』、チャップリンの『街のうたった「現実の措定」、何種類もある 灯』などの映画を取り上げた「フィルホメーロスの英訳を対比させながら、翻 ム」、地獄について神学的な言及を行っ訳の持っ本質的な問題点とホメーロスの かめ ている「地獄の永続」、アキレスと亀の語法を考察した「ホメーロスの翻訳」、 有名な逸話をもとに無限について論じたフローベールを論じた「フローベールと 「アキレスと亀の永遠の競争」、「亀の化 その模範的な運命」、彼の遺作「・フヴァ 身たち」、あるいはアルゼンチン文学と ールとベキュシュ」を取り上げて様々な その伝統についてのべた「ガウチョの文学者、研究家の説を参照しつつ自説を 詩」、「アルゼンチンの作家と伝統」など述べた「『プヴァールとベキュシュ』の 多岐にわたっている。 キ言」物語に備わる魔術的な性格に触 中でも、文体をあまりにも重視する傾れ、その本質を鋭く突いた「物語の技法 向を批判し、文学作品の価値は、『ドと魔術」といったエッセイは、読者を魅 『へ間義 Disc ミ 1932 つ

7. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

グスト・ロアⅡバストス、バルガスⅡリョサ、オネッティ、 が全編をおおっている。現代メキシコの出発点であるメキシ ジェイムズ・ジョイス、ムー コ革命を視野におさめつつ、この国のもう一つの根であるア さらにはノーマン・メイラー まっえい ジル、ロブⅡグリエ、スタインべックなどを取り上げている。ステカ族の末裔を登場させ、彼らに重要な役割を担わせてい 若い頃のポルへスが雑誌の仕事を手がけることで多くのことるこの作品は、作者自身が「メキシコの真の顔」を描き出そ うとしたと述べているように、決して皮相的な風俗描写に終 を学んだように、ドノソにとってもこの五年にわたる編集の 仕事が文学的視野を広げる意味で、実り多いものになったこわっていない。写実的な傾向の作品を読みながら、その限界 とは言うまでもない翌六一年、ドノソはアルゼンチンで知を越えるすべはないかと模索していたドノソにとって、伝統 ーア・ピラールと結婚するが、この年、彼はあ小説の技法をまったく無視し、沸騰する激しいエネルギーを り合ったマリ る作品に出会って、決定的ともいえる影響を受けることになぶつけてくるフェンテスのこの小説との出会いはまさに衝撃 的なものであった。 った。その時のことをドノソはこう語っている。 「私と同じ世界に住み、しかも私と同世代のひとりの男が、 「一九六一年に『空気の澄んだ土地』を読んだことは、私に へきれき とって青天の霹靂であった。それまで私は硬直した〈趣味の私が従ってきた一切の規則を吹き飛ばしてしまうほどの自由 な形式で小説を書いたという意識は、私が作家として、他の よさ〉に支配されていたのだし、われわれの歴史に形となっ て現われる政治とか権力は、私にとっては友人同士の電話で作家から受けた最初の、真の刺激であった」ラテンアメリ うわさ カ文学のプームしと述べているように、以後ドノソは、伝統 話題になる町の噂程度の問題であり、神話とか、侵略とか、 ふっしよく 偶像崇拝というレベルの問題では決してなかったのである」的な小説の技法、文体を払拭するような新しい小説を書こ うと考えるようになる。しかし、「私が従ってきた一切の規 (? ラテンアメリカ文学の。フームし 印」とい、つ一一一豆果からも , つかが , んるよつに、チリ・又坦とい、つ閉 O ・フェンテスの『空気の澄んだ土地』は、五〇年代のメ キシコ市のあらゆる階層にわたる全体像を描き出そうという鎖的な世界で育ったドノソは、フェンテスとは比較にならな いほど強く伝統小説の規則に縛られていただけに、その束縛 バルザック的な意図のもとに書かれた野心作であることはっ 説とに知られている。この小説は、あまりにも数多い登場人物から免れるためには超人的といっても過言でないほどの努力 やはなはだしい場面転換のために、構成上難があると指摘すを重ねなければならなかった。 その翌年、チリのコンセプシオン大学で知識人会議が開か る批評家もいるが、それを補ってあまりある荒々しいまでの じようぜっ 創造力とバロック的というはかはない熱つばい饒舌な語りれ、ドノソはそこに招かれた。カルロス・フェンテスも招か ふっとう

8. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

はんしんろん もたないということを再確認した。彼らは、「水曜日の雨に主な理由がこの汎神論的観念論の完全な勝利を決定づけてい よっていささかさびた」という欺瞞的な状況を、実証されるるといっている。第一に、それは唯我論を否認した。第二に べき事柄、すなわち火曜日から木曜日まで四つの貨幣がつづそれは科学のために心理的基盤の保留を可能にした。第三に、 けて存在したことーーを仮定しているという理由で否定してそれは神々の崇拝が残されることを許した。ショー。ヘンハウ いる。彼らは、等しいことと同一性とは別物であると説明し、アー、あの情熱的で頭脳明晰なショーベンハウアーは、かれ 一種の間接証明法、九人の男が、九夜つづけて激痛に悩まさの『余録と補遺』 ()a 「 e 「 ga und pa 「 alipomena) の第一巻で れるという仮説をたてた。彼らは問う、その苦痛がいつも同たいへんよく似た理論を展開している。 ( 4 ) じだと主張するのはおかしいではないかと。彼らは教主が、 トレーンの幾何学には二種のいくらかはっきりしたシステ 存在という神聖なカテゴリーをただの貨幣などにこじつけよムがある。すなわち視覚的方法と触覚的方法である。後者は ばうとく うとする冒漬的な意図によってそそのかされたのであり、あわれわれの幾何学に相当する。彼らはそれを前者よりも劣っ る時は複数を否定するかと思うと、別の時には否定しないのていると考えている。視覚的幾何学の基本は面であって、点 だと言っている。彼らは論する、もし等しいことが同一性をではない この方法は平行の原理を否認し、人間は動きまわ も含むならば、九つの貨幣が一枚であることも認めざるを得るにつれて自分をとりまく形を変えると述べている。算術は ないだろうと。 不定数の観念の上にたっている、それは「より大きい」「よ 驚くべきことには、これらの反証も結論とはならなかった。 り小さい」という概念、われわれの数学者が「く」「 > 」の この問題が数百年にわたって論じられ、また反論された後に、 めいせき かの教主にまさるとも劣らぬ明晰な思想家が、これは正統派 ( 2 ) ラッセルは、この天体は、過去の幻影を「記憶している」人類を のほうだったが、非常に大胆な仮説をおしすすめた。その巧 伴って、数分前に創造されたと仮定している (? 心理分析 The Analysis of Mind 一九二一年版、一五九ページ ) 。 みな仮説はこう述べている。実在はただ一つしかない。そし ( 3 ) 一世紀は、十二進法に従えば、百四十四年の期間をさす。 てこの不可分の実在は宇宙のあらゆるものの中に存在する。 ( 4 ) 今日トレーンの教会の一つは、プラトン主義にならって、これこ 集これらの存在は神性の器官でありマスクである。 X はであ れの苦痛、これこれの黄緑色、これこれの温度、これこれの音等々 は存在するただ一つの実在であると主張している。すべての男は、 伝り N である。 N は、 X がなくしたことを記憶しているから三 交接の絶頂時において、同一の男である。シェイクスピアの一行を つの貨幣をみつける。 X は、残りがみつかったことを記憶し くり返すすべての男は、ウィリアム・シェイクスビアその人である ているから廊下で二つをみつける : : : 。第十一巻は、三つの

9. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

自分の家を集会所に変えてしまったが、そこには学生たちのな信念とで人を驚嘆させる。彼によると、一九三〇年代にホ グループがつめかけ、魅せられたように彼の一一一一口葉に聴き入っセ・カルロスⅡマリアテギによって描かれたベルーは、本質 本物の執念で自分の秘密を守りぬこうと努めており、彼的な面で、同じ時期に毛沢東によって分析された中国社会 ころ が演説をしたり、その頃弟子たちが催していた街頭デモに参 ( 半封建的、半植民地的 ) と似ている、だからその解放は、 加しているのを見たと記憶している者は誰もいない。センデ中国革命の戦術と同じものを使うことで達成されるだろうと。 ーロ・ルミノソのほかの指導者たちと違って、彼が人民中国つまり、農民層を背柱として都市に〈攻撃〉をかける、長期 にいたことがあるのかどうか、またベルーから出たことがあにわたる人民戦争である。 るのかどうかも知られていない。彼は一九七〇年に一度だけ、 センデーロが左翼の他の諸党派ーーそれらを〈議会主義の ち - ほ、つ 数日間捕らえられた。一九七八年に地下に潜り、それ以後は痴呆患者〉と呼んでいるーーーを攻撃するさいの激しさは、た よう しつかん 彼の居所は杳として分からない。皮膚の疾患によって、一九ぶん、右翼に対する時よりももっと強い。センデーロが取り 七三年に手術を受けたので、彼自身がゲリラを指導している戻そうとしている社会主義のモデルは、スターリンのロシア、 ということはありそうもない。確かなのは同志ゴンサーロ 〈四人組〉の文化大革命、カンポジャのポル・ポト政権であ 彼の兵士名ーーがセンデーロの揺るぎない指導者であつる。この狂気じみた急進主義が、アヤクーチョやアンデスの て、〈センデリスタ〉たちは彼に対して、宗教的な崇拝心をほかの地方のたくさんの青年をひきつけているのは、たぶん 抱いているということである。彼は〈マルクス主義の四番目その急進主義が、自らの将来を袋小路のようなものと直観し の剣〉 ( 初めの三つは、マルクス、レーニン、毛沢東 ) と呼ている大学生や高校生の失望感と無力感に出口を与えるから ばれているが、それは彼が、モスクワ、アルバニア、キュ だろう。現在のベルーの状況では、内陸部の青年の大部分は、 、そして今またベキンの修正主義的裏切りによって失われ人々で満ち溢れている市場には彼等のための仕事がないこと はんらん 真た純粋性を、ふたたび教条に戻したからである。ほかの叛乱を、そしてまた彼等も、スラム街で地方出身者の地獄のよう メ木・ 的なグループと違って、センデーロ・ルミノソはブルジョワな生活を送ることになるだろうという見通しを持ったまま、 る的なコミュニケーション手段を軽蔑し、宣伝を避けている。首都に移り住まなければならないことを知っているのであ 今日まで、同志ゴンサーロとのインタビューに成功したジャる。 ーナリストは一人もいない 一九七八年に〈センデリスタ〉はアヤクーチョ大学から姿 彼のテーゼはその図式性と、それを適用するさいの狂信的を消しはじめ、その数カ月後に破壊活動やテロ行為が始まる。 あふ

10. 集英社ギャラリー「世界の文学」19 -ラテンアメリカ

アタナシウ 1182 アリスグコラレタシ」急いで目を通した私は、ヘラー は、いっかは不明だが、かって、私が若かったころのことを 言っているのだという結論を下した。私は彼の姿を想い出せ なかったし、彼との間のどんな共通点が我々の疑わしい友情 いかなる事実が を保証しているのか、あるいは少なくとも、 帰還 我々の関係を示す目印となっていたのか、また期間はどのく 列車の窓の外に現れては消える風景のように、私の人生にらいだったのかということも、一切想い出せなかった。とに かく私は、午後一番の、ロス・ティーロス行の列車に乗るこ 起きたことは、幸と不幸とを問わす、はかないものだった。 他の人々のように現実的な形では、私の青年時代あるいは青とにしたのだった。 春の様々なイメージを記憶に留めることはできなかった。私眠気を催す汽車の旅を続けているとき、絵に描いたような は、過去に属するものに対しては近視眼的な、自己中心的な田舎の村が現れると、目が覚めるような楽しい思いをした。 現在を生きた。あまりに現実的な利害に捕われていたため、村は、清々しい憩いへと招くように、線路に沿って、穏やか に広がっていた。そのとき私は、何年も前になるが、ここみ 自分を取りまくもののすべてが、結局どうなったのかを知ろ 町から遠く、茨に囲まれた、静かな余生を送ること うとすることなど、まるで思いも及ばなかった。五十という おも 歳を迎えながら、私は、相変らすの調子で、かっては独特なのできるような村を、夢見たことがあったのを想い出した。 喜びとともに味わった感清を、繰りかえし味わっていた。そさして重要でない事件とともにしばしば現れるイメージが、 ふ ) わ とうして留まっている うすることによってのみ、その感清の中に、時にまぎれては 木し出とするに相応しい記憶の中に、。 つきりしなくなった、そしてまったく観念的なものとしてまのか、私には分からなかった。というのも、先に述べたよう みいだ に、私は、自分の人生に生じた基本的な出来事という大事で わりから切り離されてしまった、遠い先例を見出すことがで きた。それを知っている証人は私しかいなかったし、あの遠すら、記億に留められなかったからである。だが、おそらく、 その想い出は、私の青春時代の決定的な傾向を体現していた い響きという仕掛けでしかそれは判断できなかった。 ーよろ、 ) からだろう。つまり、〈永遠に夢みる〉歓びのあの甘くほろ 意も呼 したがって、その朝、ヘラーからの電報がどんな記 び覚まさなかったのも、当然のことだった。それにもかかわ苦い感覚を愛する我々が、敢えて実現しようとはしない〈願 らす、電文の四つの語を読んだとき、私は驚いた。「ヨウジ望〉なのだ。