イドリ . ス 1218 うか、幾つかの定理で説明し得たなら : 特徴を備えた別の人なのだ。私は " 人〃という言葉を事態を 人間というものが、それについて我々が知れば知るほど、平易に語るために、それ以上の他意なく使った。出てきたの より困難な認識の深みに入り込み、人間について一つの真実は我々にとっては見知らぬ存在だったのだ。ことが極めて重 一を発見し、それが人間の神秘へと導いてくれるものと思った 大なのは、その彼が入獄していったシャウキーとも、この地 いしゅう のも束の間、実は末知の領域、つまり、一層の発見を要請し、上に蝟集する何百万という人間たちともさほど変わらないか しかも一つの発見は更なる真実の発見を飽くなく求めてくるらなのだ。そして出獄したシャウキーは人々の中へ混入し、 領域を照らすものでしかないというようなものでは人間がな人々がするように話し、怒り、将来の設計をし、愛し、特定 かったなら、我々はどれはど救われるだろうか ? の話題に深く入り込むことを避けようとしている時において シャウキーの身に起きた異変は一定の、あるいはその背後さえも、人とあまり変わりなかったのだ。 に秘密を持っといった類の原因に帰せられるようなものでは その差異は長い観察と付き合いの後、さらにその問題へ ない彼が例えば政治や政治活動に関する話題において沈黙並々ならぬ関心を向けることによってはじめて明らかになっ してしまったり避けようとするのは、彼の内心に巣くったコてきた。また、新たなシャウキーと他の人間との間の相違は ン。フレックスでもなければ、恐怖が原因でもない。 深く潜在している、神秘主義の悟りの段階よりもそれは深く シャウキーの身に生じたことはまったく別のことなのだ。 潜在しているということを私は理解したのだが、そのように ちょう まき それは例えば、蛹から蝶が出て来るのに似ている。または薪人が理解できた時初めて明らかにされることだった。そして が火によって灰にされるがごとくなのだ。だがそれは彼が溶それはおそらくその動機において見られるのではなかろう 解し、形をとどめなくなったというようなことでもない。要か ? シャウキーは外目には人間と映るかも知れぬが、実際 するに、私は特に終局に近くなってから、自分が誤っていたのところはもはや人間とは無縁のものなのだ。理知的だとか、 こと、シャウキーを救おうとする私の試みは、私が事態を単精神異常だとか、病んでいるとか、奇人であるといったよう はんちゅう に彼の身に起きた異変であり、治癒の見込みは大いにあるな な、我々が知っている範疇の人間とは無縁なのだ。 どと考えている限り、何の成果ももたらさないことが明らか彼は新たな存在となって出てきて、かっそういう自身を体 になってきた。実のところ、私は自分がすっかり考え違いを現しようとしているということができるだろう。彼はこれま していたことが少しすっ分かり始めてきた。監獄に入ったシで存在した人間にとっては、まったく新しい動機でもって生 ャウキーは出てこなかったのだ。出てきたのは様々な長短のきるべく出所してきた。彼は群れを成そうとも、存続しよう さなぎ
がおおいに住民の尊敬を受けているのは、金持であるという ちの阿 C との関係は、仕事に雇うことと笑いものにすること だれ ことのほか、ともに文童の父親であるがためだった。しかし だけであって、これまで誰も彼の「行状」を気にする者など いなかったからである。それに阿 C 自身なにもいわなかった 阿 C は精神的に格別の尊敬をあらわさないばかりか、彼は、 め と思っているのだった。 が、ただ人とロ争いをすると、ときには眼をむいてこういうおれの息子ならもっと偉くなるさ , こともあった。 しかも何度も町へ行っているので、阿 C は当然さらに自尊心 「おいらは以前はーーー。おまえなんかよりすっと豊かだったんが強くなる。それでいて彼はまた町の人々をもさげすんでい た。たとえば、長さ三尺幅三寸の板でつくった腰掛けを、末 だぞ ! おまえなんか何だい ! 」 ちょうと・つ 彼も「長発」といっているのに、 阿 c は家がなく、末荘の地蔵堂の中に住んでいた。きまっ荘では「長登 ~ 」といし じよ、つと、つ ひやとい た職業もなく、日傭に雇われていって、麦刈りなら麦を刈り、町の人々は「条登 ~ 」というのである。彼は、これはまちがい ふ、ね一一 と思う。鯛の空揚げには末荘では五分切り 米つきなら米をつき、船漕ぎになら船を漕いだ。仕事が長びだ、おかしい ! みじん ねぎ くときは、臨時の主人の家に住み込むこともあったが、おわの葱をそえるのに、町では微塵切りの葱をそえるのである。 それにしても末荘の ればそれきりだった。だから人々はいそがしいときには阿 C 彼は、これもまちがいだ、おかしい , 皮らは しかし思い出すのは仕事に雇うことであつ人間はまったく世間知らすのおかしな田舎者だわい、イ を思い出したが、 と田つ。 て、「行状」ではなかった。暇になると阿 C の存在さえさっ町の魚の空揚げを見たこともないんだ , さと忘れてしまうのである。「行状」についてはいうまでも阿は「以前は豊かたった」し、見識は高いし、しかも 「よく働く」から、本来ほとんど「完全な人間」だったが、 なかろう。たった一度だけ、ある老人が「阿 C はほんとうに 惜しむらくは彼は体質的にいささか欠点があった。最大の脳 よく働くよ」とほめたことがあった。そのとき阿 C は肌ぬぎ いつできたとも知れない瘡禿が みは頭の表面のあちこちに、 になって、だるそうに、ふらふらと老人の前に立っていて、 あざけ ほかの者にはその言葉が本気なのか嘲っているのかわかりかあることだった。それは彼の体にあるにもかかわらず、阿 C の考えでは、貴ぶに足りないもののようであった。なぜなら ねたが、しかし阿 C は大よろこびだった。 おん 旧阿 C はまた自尊心が強く、未荘の住民などすべて彼の眼中彼は「禿」および一切の「はげ」に近い音をいうことをきら 麦こまそれをおしひろげて「光る」もきらい、「明るい」 にはなかった。二人の「文童」 ( 2 しに対してさえ、なん もキ、らい さらに・後には「灯」や「燭」までみなきらった。 のねうちもないというふりをした。そもそも文童なるものは、 ちょっ この禁を犯す者があると、わざとであろうと無意識にであろ 将来は秀才に変するやもしれぬものである。趙旦那や銭旦那 せん
としか ) わしに襲われてから、その村の住民は家畜の防備改善に手年嵩の男が思い切って「百人の余になりますかな」と答えた。 そろ 弋「百人揃ってみんながみんな、トラを見たっていうんだね。」 をつけたのみか、伝を求めてお偉がたに援助を願い出た。仁 表が何人か町に派遣されて地方事務所長に面会を求め、救援「そのとおり」と声を揃えて答える。 を要請した。ロの達者な連中で、一頭のトラのために恐慌状所長は適当に一人を選び、相手の目をじっと睨みながら せんじよう 「どのくらいの大きさだったね」と問いカレた 態に陥っている実情について煽情的かっ誇大な報告を行い 男は暫く目をばちくりさせていたが、両腕を拡げてある大 トラは村に侵入して家畜を攫い、薪をとりに密林に入った村 人は不具になる程の重傷を負ったと訴え、殺された人々の名きさを示した。これを見ると別の男がしやしやり出て、「と ねっぞう 簿まで提出した。わしに罪を着せ、ありもしない話しを捏造んでもねえ、このくらいでかいトラだった」と訂正を加えた。 白熱した議論が始まり、賛成派反対派に別れて他の連中も したのだ。人間と会うのは、いつも意識的に避けていたし、 斤長ま頃合いを見て「ちょっと静か あの晩にしても、もしその気にさえなれば柵の中にいた人間次々に論陣を張ったが、戸。 にしてくれよ。きみたち二人は同じ一頭のトラの話しをして どもを八つ裂きにし目に物を見せてやることもできたのに、 いるのかい。それとも別の二頭のトラの話しなのかね。トラ そんなことはしなかった というより、したくなかったの だ。地方事務所長との会談の場に居合わせたならば、村人たは一頭なのか、二頭なのか、それとも三頭なのかな」と口を もっとも、こんな話しが挟んだ。 ちの嘘偽りを証言したものを : 「みんなで五頭でさ」と誰かが答えた。「仔が四頭に母親が わしの耳に入ったのは、すっと後のことだ。 所長はこの類いの陳情には馴れつこになっていたから「調一頭。みんな射ち殺されましたわい。」 「射したのは誰かね。」 査して見よう。今のところ何の約束もできないが」とあしら 虎 「町から来たハンターですわい。」 ったあと、「だいたいトラが出るなんて何か証拠でもあるの 来 「どの町だね。」 かね」と尋ねた。 イ 「さあてと、わしらにはわかりませんねえ、所長さん。」 デ「ちゃんと見たんですわい。」 「狩猟許可証を持っていたかな。発行者の名義はどうなって 「見た者は何人いるのかね。」 マ い」の・、か」 「村のもん全部が見やした。」 陳清人たちは底なしの泥沼に引き摺りこまれたことに気づ 「村民の人口はどのくらいかね。」 き、ロを噤んだ。 かれらは数字に弱いので、しどろもどろ顔を見合わせたが うそ まき
1420 Y 可ー必 イドリース せつかん 妹とガーリプを殺すことだった。事実はて ! 」と絶叫するファーティマ。だが、 い折檻を加え、家に閉じこめて一歩も外 おきて どうだったのかというと、その朝ファー 社会、宗教の両規範に基づく掟の忠実なへ出さない。時が流れ、例の事件も忘却 ティマは畑に出ている兄に朝食を届けに 執行者になることによって、自己の存続の彼方に押しやられ、ファーティマも外 行く途中、とうもろこし畑を通りかカ 、つを維持しようとする田荘の人間たちの前出をゆるされる。ファーティマは相変わ た。すると不意にガーリプがあらわれ、ではファーティマの必死の叫びも無駄でらす美しいが、もはや天賦の女らしさも 彼女の腕を掴んだので驚いた彼女は振りある。結局最後には田荘の差配の妻であ純朴さも失い、その代わりに鉄面皮で、 ほどきながら叫び声を上げたのだった。 る婦人のもとにファーティマを連れて行他人を欺く要領を身につけた女になって そこへ人々が駆けつけたというのが、起き、身体の検査をしてもらうことにな きたことの全てであった。「私は触れらる。そこでファーティマの純潔が証明さ れていないのよ , コーランに誓っれるが、ファラグはファーティマに激し 『一番安上がりの夜』ゝトミ 7 一 954 ナイル・デルタの寒村のある宵の有りせ、モスクから出てくる。彼の身なりか数のガキ共の説明ができはしないという おも 様を描いた作品である。事件らしきものらすると、この村でも極貧の一人らし、 し想いが、彼の脳裏をかすめる。 は何もなく、ただ果てしなく繰り返され彼はこれから寝るまでの時間をどのよう 彼は自分の家の近くまで来ていた。だ る日常生活の一コマがむき出しにされてにつぶしたらいいものかと思案中である。が、彼は日没のお祈りの刻に見張り番の タンターウィ いるだけだが、エジプト農村の人口爆発あれこれと思案しながら、歩いていく」 ーからおごって貰った、農 とそれに起因する貧困の実態が透徹して路にはパン屑をまき散らしたように子供い茶が末だに効いていて、眠気などどこ 描かれている。そこでは農民が日常使うらが群れ、彼の行く手を阻んでいる。彼かへ消し飛んでしまっていた。そこで彼 アーンミャ ( 土着の言葉 ) が、随所に使はこのガキ共めがと、さんざん罵倒しなは見張り番のタンターウィーにさんざん われるが、これらの言葉は農民の生活にがらも小路をやっとのことで抜け出す。悪態をついた。簡易茶屋へ行って、コー 密着して、貧困の実態に迫るうえで欠かその時、この村には人間の養鶏所でもあヒーを一杯飲み、そのあと水タバコをく せぬものとなっている。 るのではないだろうか ? そうでもなけゆらすことができたら、そしてそこでト ア・フドル・カリームは宵の祈りを済まれば、このうようよと湧き出るような無ランプ遊びを見ながら、ラジオに耳を傾 かなた
「そんなことはいらぬお世話だ」 でもないってね。このことは、間違いなく君を将来の保証さ 「そういえば彼等は、ゴキプリには全宇宙の存在の秘密が隠 れた夫として選ばせることになるよ」 されている、と真剣に考えているようだよ」 私は不安を抑え切れすに言った。 ねら 私は皮肉たつぶりに言った。 「しかし、僕がキャパレーで命を狙われたっていうのはひど 「そ , つい、つこと、なら、ミーリ ー家の人々に敬意を表してゴキ い誤解を受けるかもしれないよ」 。フリを大切にすることにしようか」 「そんなことを気にすることはないさ。ところで君はゴキ。フ そのあと独りきりになった私は、この込み入った結婚の手 リが嫌いだっていう話を聞いたが」 続きと、それに先行する馬鹿げた調査について考えてみた。 私は声をたてて笑った。 まるで人々は、現実に対する人間の驚異的な適応能力を忘れ、 「そんなことまでも ! 」 ふろば 苦労も経験せすに出来上がった、欠 「君は台所や風呂場やそれ以外の部屋に殺虫剤をふりまいて、結婚生活にはいる前に、 かんべき コキ。フリを見けることのない両性の完璧な調和を求めているかのようだ。 貴重な時間を浪費しているそうだね。それに、。 オしか。それがたとえあの月 狩猟や牧畜や農業の時代を、そして日照りや寒冷の気候を生 ると君は悲鳴をあげるそうじゃよ、 さくてかわいし き抜いてきた人間は、恐れすに現実に立ち向かい、厳しい矛 、ドイツ種であってもね」 盾を解決し、生命を持続できる程度に自らを実現しつつ生き 「そんな風に言っているのか ? 」 「ど , つでも、 しいことさ。どうでもいいように見える。しかしてきたのだ。そんな人間だから、間違いなく、両者の過去が それがあの老人にとってどんな意味を持つのか、それが問題どんなに異なろうと、新しい花嫁とうまくやっていけるはす さ。彼等はさらにこうも言っている。君は、もしゴキ。フリをだ。そのあと、過去の私がどんな政党にも属していなかった 絶滅できればこの国の生活状態が大きく向上すると思い込んと受け取られたことについて思い巡らし、それによって生じ る数々の非難、例えば、頭のできが悪いとか、民族教育が不 でいる、とね」 けいちょう 、、蚤兆孚薄だとか、利己的だとかいう評価 足してしると力車↑、冫冫 私は彼の話を聞きながら腹が立ってきて、思わす尋ねた。 について考えた。どうしてこの事実が、覆い隠された私の過 婿「本当に、アービド・ミーリー家の人はそんなくだらないこ あらし ちを根掘り葉掘り調査する嵐の中で、私を花婿として選ばせ とに関、いを持っているのかい ? 」 「まあまあ。君のゴキ。フリにまつわる思い出話は、彼等も尊る利点になり得るだろう。 重してくれるさ」
失砲の係「ああ、もう駄目だ。このトラを誰か射ってくれ」と悲鳴を 騒音と怒号の中から「誰か鉄砲を持っていないか。金 十 ( 隹こ . : 」と喚くマダンの声あげて戸棚に隠れ、戸を閉めた。ちょうど裁判所から殺人罪 : こんなべらばうなことが : が聞こえたが、返事のできるほど落着いている者など一人もの未決囚が二人の警官に挟まれて出てくるところで、かれは なく、我が身の安全だけを求めて逃げまどう人々の中を、わ脱走の機会を掴むことになった。わしの姿を見たとたん警官 一頭立て ) こ しは落着き払って撮影所の外へ出た。技師がカメラを据えつが手錠ごと放り出して遁げたのだから。ジェトカ ( 一一輪馬車 でくわ けっ放しで逃げたので、出がけの駄賃とばかり軽く体当りを出会したのでウマを薙ぎ倒すと、乗っていた連中が零れ落ち 食わせたら、ガチャンと音を立てて引っくり返った。姿は見て命からがら逃げてゆくので、胸のすく思いがした。野良イ ヌが二、三匹、自ら身の破滅を招いた。余計な節介をせねば えないが「ズームが吹っ飛んでしまったそ。もう使いものに 良いものを、向う見すに吠えかかったりするからだ。 ならねえや : : : 」と泣き言を並べるやつもいた。 キャプテンの惨死とわしが市中を徘徊していることが報さ れたとき、マルグディの市全体を襲った大恐慌については、 マーケット大通りに来た頃、市中はまだ賑やかな時間帯だ後に我が師から聞き及んだ。人々を捉えたのは正真正銘の絶 った。わしの姿を見ると、みんな命からがら逃げだした。大望だったらしい。みんな家に引っこみ、家の中でもびくびく ドアというドアは閉ざされ、窓を締め、錠を降し、 通りを行くと店という店のシャッターが降ろされ、人々は橋していた。、 そな の下や樹の上や柱の蔭などに身を潜めた。わしの目の前から目張りまでした。わしが一種の超能力を具えており、塀でも 人影が溶け去って行く。サーカスにいた頃は人間の行動を研壁でも通り抜け自在で、知らぬまに屋根や天井裏や床下に潜 / 屋住いの貧しい 究する機会などなかったので、わしは人間について根本的なんで、待ち伏せしていると思う者もいた。ト 虎 誤解を犯していた。あの頃わしの見た人間たちは、リングの人たちこそ本当に心配する資格がある。その気にさえなれば、 みじん すわ に外で各自の席に冷静な態度で坐っており、わしはキャプテンかれらの家などみんな木っ端微塵だ。けれども何でわしがそ んなことするものか。ともかく、この人たちが心配するのは デの鞭が布くて小さくなっていた。こんな視点からしか見てい たくま 無理もないが、レンガとセメントで固めた家の住人がびくび ルなかったので、逞しく大胆不敵な生き物とのみ思いこんでい マ くする理由なんて、ありやしない。漠然たる不安と、資産を た。ところが今や、かれらは一群のシカのようにわしの前か いたくないという、わけのわからぬ恐怖心の然らしむると 失 ら逃げる。こっちには襲いかかる気など毛頭ないのに : 洋服屋の前に立止ったらミシンから飛び退き、おろおろ声でころだ。かれらに対して何の含むところもない単なる一介の
いんせい 「こう見えても、わしは仲々の切れ者だったのだよ。にしく わざわざ人里離れたジャングルの奥に隠棲の所を選ばれた 飛びまわり、分刻み、秒刻みの暮らしだった。預金通帳の残のに、わしらをーー人間とトラが共生するという、わしらの 高と相談しながら誰かれの区別なく愛想を振り撒いたものさ。暮らしの目新しさをーーー嗅ぎつけたらしく、いろんな人々が ン ひとかど ャ世間さまに一廉の人物として扱われたいという一念からだっ訪ねて来るようになった。ニュースが村から村へと拡がって めいそう し、しオし師が瞑想に入られる場所は小高い卓状の た。ところが或る日突然、こんな暮らしは一から十まで間違行ったこ違、よ、 ナっているという気持になった。四六時中、金と時間と見通し岩の上で四囲が隈なく見渡せる位置だったが、或る朝のこと とを秤にかけ、頭の中は次なる企画ではち切れんばかり。意 一列になってやって来る農夫の一隊が遠くに見えた。師は仁 のが 味のない、同じことの繰返しにすぎないじゃないカ 唐突せられた。「人間から遁れおおせることは、ついに適わぬの す だったがわしはすべてを棄てたーー衣類を含めて必要最小限 か。地の底に身を潜めようとも付き纏って来る。兎も角、お のものを除いては : 妻、子供たち、家庭、財産の、すべまえは姿を隠すがよい。あの人たちが恐れすに近づけるよう たんぎ てから逃れた。どれもこれも我慢できなくなったのだ。真夜 。」師が卓状の岩に端坐しておられるので、いつもの 中、みんなが寝静まっているあいだに、 裏木一尸の錠をそっと いになっていたのだが、命ぜられるままに ように地面に腹這 どうくっ 抜いてドアを開くと、シッダールタ王子と同じように家を出ッタやランタナの繁みに隠れた我が洞窟に退いた。まもなく か 1 」 こ仏伝に説かれる一 " 八相成 ) 。エラマン通りに面して建てられた我男たちが花と果物の籠を携えて登場した。かれらは遠くで立 オ道」のうち一出家」参照 が家の裏手から、サラュー河の岸まで砂地が続いていた。捜止り「尊者さま、そこにいらっしゃいますか」と怒鳴った。 みずかさ 索が行われたが結局無駄で、折から水嵩の増していたサラュ ここにおりますそ。ただしわしは尊者さまなんかじ ー河の水に呑みこまれたのだろうという結論になった : : : わやありません。」 しはジャングルであれ山であれ谷であれ、足の赴くところ委「そばに行ってもよろしゅうございますか。」 細構わす、てくてく歩き、とばとば足を連んだ。一貫して名「どうそ。どなたもこちらへおいでなさい。」 は名乗らす、完全に行きあたりばったりの旅で、次にどうし 「でも、トラがまだお側にいるんでしょ ? 「もちろんです。ですが、あれはトラではありません。」 ようなどと自問する必要もなかった。そして : : : ここに、 「どう見てもトラですよ。わしらはおっかないんです。」 うしておるのだよ。これだけ話しておけば充分だろう。」 「それなら、なにゆえ来ようなどという気になられたのか
おんてき た。彼は勝ちに勝ち、銅貨は小銀貨にかわり、小銀貨は大銀 阿 O はこのようなさまざまな妙計によって怨敵を克服した 後、楽しそうに居酒屋へかけ込んでいって何杯か酒を飲み、貨にかわり、大銀貨は山と積まれた。彼は有頂天になってよ またほかの者とふざけたり、議論をしたりして、また勝利をろこんだ。 「天門へ二両 ! 」 博し、楽しそうに地蔵堂へもどっていって、ひっくりかえっ けんか ばくち て寝てしまうのである。もし銭があれば、彼は賭博をしに行彼は誰と誰とが何のために喧嘩をはじめたのかわからなか となる声、殴る音、駆ける音がし、わけのわからない く。一塊の人間が地面にしやがんでいる中へ、阿 C は顔中汗った。。 大騒動がつづいて、ようやく彼が起きあがったときには、賭 だらけになってもぐり込む。声は彼のが一番高い せいりゅう 場はなくなり、人々もおらす、体のあちこちが痛むようで、 「青竜へ四百 ! 」 つばふた 「さあ : : : 開ける : : : そ ! 」胴元が壺の蓋を開ける。彼も顔彼も殴られたり蹴られたりしたらしく、数人の者がいぶかし てんもん じん 人げに彼を眺めているのだった。彼は腑抜けのようになって地 中汗だらけになって歌う。「天門だ : : : 角は返しだ : せんどう : 」蔵堂へ帰り、気を静めてみてはじめて、彼の一山の銀貨がな と穿堂ははすれだ : : : 阿 C の銭はこっちへいただきだ : くなったということに気づいた。祭り目当ての大道賭博はた 「穿堂へ百 : : : 百五十 ! 」 よそもの とこへ尻を持ってゆけばよいのか ? いてい他所者が開く。・ 阿 C の銭は、このような歌い声の中で次第に別の顔中汗だ 真っ白なきらきらした銀貨の山 ! しかもそれは彼のもの らけの者のふところへ巻きあげられていく。彼は結局いやお それが、いま 自 5 子に持っていかれた うなしに人垣からおし出され、うしろに立って見ながら、人 のために気をもみ、やがておひらきになってしまうと、末練ようなものだといっても、やつばりおもしろくない。自分は がましく地蔵堂へ帰っていって、翌日は、眼を腫らしながら虫けらだといってみても、やはりおもしろくなかった。彼も こんどばかりはいささか失敗の苦痛をあじわったのである。 仕事に出かける。 、いおう しかし、まことに「人間万事塞翁が馬」である。阿 C は不だが彼はすぐ敗北を勝利に転じたのである。彼は右手を上 げ、自分の横っ面を二つ三つつづけざまに力いつばい打った。 幸にも一度勝ち、そのためにかえって失敗をしそうになった。 正それは未荘のお祭りの夜だった。その夜は直例によって芝ひりひりとして痛かったが、打ってしまうと気持がおだやか 阿居がかかり、舞台の附近にはこれまた直例によってたくさんになってきて、打ったのは自分であり、打たれたのは別の自 どら 大道賭博が開かれた。芝居の銅鑼や太鼓は、阿の耳には十分であるような気がし、まもなく自分がほかの者を打ったの と同じような気になってーーまだひりひりしたけれども 里も遠くにきこえた。彼は胴元の歌う声しかきいていなかっ
うと、阿は禿まで真っ赤にして怒りだし、相手を見定めてくなっとらん : : : 」こうして彼もまた満足し、意気揚々と引 ののし きあげていくのである。 位から、口下手なら罵り、弱い者なら殴りかかった。ところが、 迅どうしたことか、阿 C が負かされるときのほうが多いのであ阿 O は心の中で思っていることを、後にはいつも口に出す る。そこで彼は次第に方針を変え、たいていは眼をむいて睨ようになった。そのため阿を笑いものにする人々は、ほと びた、け・にーしこ。 んどみな彼し ここういう精神的な勝利法のあることを知った。 ところが、阿 C が眼をむく主義を採用してからは、未荘のそれからは彼の茶色の辮髪をつかまえたときにはいつも、 ひまじん 閑人たちはますますよろこんで彼を笑いものにした。顔をあ人々はます彼に対してこういうのである。 わせると、彼らはびつくりしたふりをしてこういう。 「阿 C 、これは息子が親父を殴るんではないそ。人間が畜生 「おや、明るくなったな」 を殴るんだそ。自分でいってみろ、人間が畜生を殴るんだ 阿 C はいつものように怒りだし、眼をむいて睨みつける。 「なんだ、安全ランプがあったのか ! 」彼らはいっこうにこ阿 C は両手で自分の辮髪の根元をおさえつけ、頭を傾けな わがらない が、らい , っ 阿 C は仕方なく、別のやり返しの言葉を考えざるをえない。 「虫けらを殴るんだ。これでいい力し ? おいらは虫けらだ 「おまえらにはあるまい : 」このとき、彼の頭にあるものよ。ーーーもう放してくれよ」 こうしよ、つ は、高尚な光栄ある瘡禿であって、普通の瘡禿とはちがう だが、虫けらだというのに閑人は放してくれす、いつもの かのようであった。だが、 前にもいったように、阿は見識ように近くの場所にごっんごっんと五、六回頭をぶつけ、そ があるので、すぐ「禁忌」にふれることに気づき、それかられでやっと満足して意気揚々と引きあげていく。彼は、阿 C さきはいわなかった。 もこんどこそはこたえたろうと思う。ところが十秒もたたな 閑人はなおもやめす、しきりに彼にからんで、ついには殴 いうちに、阿 C もまた満足げに意気揚々と引きあげていく。 かろ りあいになる。阿 C は形式的には負け、茶色の辮髪をつかま彼は自分を、みすから軽んじみずから賤しむことのできる第 れて壁にごっんごっんと四、五回頭をぶつけられる。閑人は一人者だと感じるのである。「みすから軽んじみすから賤し じようげん 科挙の第一 それでやっと満足し、意気揚々と引きあげていく。阿 O はしむ」を除けば、残るのは「第一人者」だ。状元 ( 位合格者 っ ばらくつっ立っていて、心の中でこう思うのである。「おれ「第一人者」ではないか ? 「おまえらなんか、なんだい」 はまあ自 5 子に殴られたようなものだ。い まの世の中はまったてんだ ! べんばっ
とも、また進歩しようともしない彳 皮の生に対する動機は逃めた後、再度噛まれまいとして、自らとその人生とのすべて げること、逃げ失せることだった。あたかも彼は人類すべてを防御に動員しているかのようであった。 おおかみ 彼は人間どもを狼や犬や悪魔の群れとしか見なくなった。 をジン ( イ 精霊、幽鬼精 ) かあるいは悪魔としか見ておらず、そ れらの関心のすべては彼に襲いかかり、傷つけ、破滅させるそして彼自身はそれらの住む地上から別の惑星に逃げて行く ことでしかないと思っているかのようであった。 こともできす、それらを遠い離島に隔離することもできない 人間どもは皆悪魔で、彼一人が人間であるか、さもなくばのだ。その群れはあらゆる処で彼を待ち伏せしているのだ。 彼らは皆人間で彼一人だけが悪魔で、人間どもは皆で彼に敵彼はそれらの一人一人と絶えず顔を合わせて、会話を交わし、 対し、待ち伏せ、彼を滅ばすまで止めようとしないのだ : 互いに人生を交差させていなければならない。 彼の悲劇は彼が恐れ戦いてやまぬ人間たちと一緒に、この彼はこれらのことを恐怖を外に表わさぬようにしてなさな 地上に生き続けなければならないということだった。そしてければならない。危険な野獣が群れる場所を恐怖に震えなが き ) き ) い 彼らと付き合い、あれこれ彼らと行を共にし、友としてまた ら、どんな些細な音も聴き漏らすまいとびんと耳を立て、全 同僚として交際しなければならないことだった。彼はそれら身はいつでも逃げ出せるように身構えて彼は進んで行く。だ を恐怖に震えながらなさねばならないのだ。もはや彼の人生が、心の内部を外に表わすことは決して許されない。僅かの き ) と あいさっ には計画も望みも、その実現のために尽力し、かっそのため恐怖心も覚られずに、挨拶を交わし、進んで行かなければな らない に生き永らえようとする遠大な将来の目的もあり得なかった。 ごく自然に、微動だにしない平静を保って。目付き おび 生き永らえようとする動機は逃げることにあった。それはや表情は決して法えておらず、何にも関心を奪われていない 普通の人間としての責務を回避し、それらをすっかり投げ出ということをはっきり印象付けなければならない。静かに微 して、この神のお創りになった御国で神に憑かれた世捨て人笑をしてみたり、時々は喜怒哀楽を表わしてみせなければな となって生きていくといった、単純な意味での逃亡では決しらない。他の人間と同じように自分が人間であること、ある もと 官てなかった。彼は人間どもの許にいながらにして、逃亡しな 、は彼らと同じように自分も犬であることを示さねばならな いだがもし自分によりカがあり、より有能で、自身と自分 ければならなかったのだ。その時逃亡は複雑極まりないもの 黒 となる。それは彼の全生涯を費やすやもしれない。安全とい の力とをより一層信じることができたらと、どれほど彼は願 ったことだろう : う意識を喪失した人間ほどに奇怪な存在が他にあろうか , 彼はまるで自分と同族の犬に噛まれ、危うく一命を取り留彼の人生には目的も設計も望みもなく、それが遠い末来の おのの っ