たとえ見せても取りつくしまもないそぶりをされたらどうす しらじらしい声だった。 「」 , っしても手自しこ、 るか。口下手な自分が果して思っていることを十分に伝える = = ロオしことがあるんた」 くちゅう ことができるだろうか。自分の苦衷、自分の誠意をわかって彼は叱られた子供のように赤くなった。 巴 もらうことができるだろうか。彼女を説得し、彼女の気持を 彼女は目もとをやわらげ、一息ついて低く言った。 動かし、心から自分と一緒に帰る気にさせることができるだ 「それじゃ五時にここに来てちょうだい」 ろうか : ・・ : 考えるうち決意もにぶり、勇気も消えうせた。進 「わかった」 ひ み出るべきか退きさがるべきか、進退きわまった思いで二分涙を落さんばかりに声をうわすらせた彼を、彼女はもう一 くびす か三分立ちつくしていたすえ、頭を垂れて踵を返した。 度じっと見た。彼は彼女の後ろ姿が銀行の通用門に消えるま 十五六歩も歩いた時、彼はハイヒールの音で顔を上げた。 で見送った。 かっ第 : っ 彼女が目の前にいた。さっき見たあの冾好で : : : 歩いてき彼女とはたった一日かそこらしか離れていなかったのに、 どうしてこんなによそよそしくなってしまったのだろう た彼女は、彼に気がついて足を止めた。そして、いぶかしげ わ だれ に目を細め、ロを動かしかけたが、つと目をそらせて横を通ふとこんな疑問が湧いた。彼はそれに誰かが答えてくれるの を待った。ひたすらに : 彼の頭は石でも詰ったように固 シューション 「樹生」 くなった。一本の腕が真っ向からぶつかってきて、彼はよろ 彼は思い切って声をかけた。胸が苦しいまでに躍っていた。 よろと歩道に倒れそうになり、夢から醒めたようにロのなか 息をつめて彼女の答を待った。 で「あっ」と叫んで、慌てて足を踏みしめた。その彼の目の まゆ 彼女は振り返ると、黙ったまま眉を寄せて彼を眺めた。彼前を人々が通りすぎ、自動車や人力車が埃をまきあげて走っ は声を震わせてもう一度彼女の名を呼んだ。彳 皮女は彼に歩みていた。「そうだ、おれも会社へ帰らなければ」彼は急ぎ足 寄った。 で歩きだした。 「。こ用 ? 」 彼は歩きながらもこの問題を考えつづけ、会社の前まで来 声だけではなく、目までも冷たかった。 て、ふとつぶやいた。 「十五分だけ空けてくれないか言たいことがあるんだ」 「みんなおれが悪かったのだ。あとで謝っておこう」 彼は顔を伏せた。声はまだ震えを帯びていた。 二階の自分のデスクに帰った。主任の姿は見えす、はかの 「時間がないわ」 二人の上役、秘書の李と校正課の呉課長が煙草をふかしなが
との、一 の女の足すら見ることができないが 、しかしそれがあの女の来、私は恐布の虜になってしまって、私であって私ではな い。たしかに独房であの少年がうつかり私に話しかけたりし ものであることはわかる。隠れ場から出るならいまこそその ないようにと番兵の指が少年の肩をがっちり掴んでいるのを チャンスだ。暗くなるまで彼女にかくまってもらえば、あと は町を抜け出て湖畔までの逃げ道はわかっている。だがどう見、そしてあの日起こったことがどんなことであったにせよ トの下から現れ出るまえそれにたいする非難は私が負うべきであることを知ったあの やったらそれができるか。私がべッ に。ヘッドが持ち上がるのを見て彼女は大声を上げて助けを求瞬間以後はそうなのだ。私は自分なりの大義名分をかかげ、 。しかなるものかを記述するだけの能力がい めるにちがいない。それに彼女が、この部屋でひとときを過その大義名分とま、 ごした大勢の男のなかの一人でしかないこの私、彼女が糊口かに自分には欠けているかを思い知らされつづけてはいるも こーっ張りこんだ多くの行きずりの男のの、その正当性を確信する正常な人間として独房に歩み入 の資を得るためにここし弓 の中の一人、汚辱にまみれた逃亡者に、はたして隠れ家を提った。しかし、ごきぶりに囲まれ、四方の壁と謎めいた煤の はたして私を私と認識できるかどうか。彼印しか見るものがなく、自分の体臭しか臭いを嗅ぐものがな 供するだろうか 女の足が、あっちに止まり、こっちに止まりして、部屋のそく、唇が封印されているのかと思われるような夢の中の亡霊 ちこちをせわしなく行き来する。その動きにはなんの様式もしか話し相手がない状態で二か月も過ごしたいま、私は自分 がますます信じられなくなっている。他人の体に触れたい、 ムはじっと息を凝らして横になったままで、 認められない。不 汗がしたたり落ちる。と、不意に彼女は行ってしまう。階段触れられたいという切望に、ときには暴力的なまでにはげし く襲われて、思わず呻き声をあげる。私があの少年との間に がきしみ、あとはしすまりかえる。 とんなに待ち 私にもやっと小康状態がおとすれ、ひとしきり頭が冴えて唯一持ちえた朝なタなのあの束の間の接触を、。 、」っけい こがれたことか ! ちゃんとしたべッドで女の腕の中に横た こ用旧な らくると、こんなふ , つに逃げ隠れしていることがい力し ひ トの下にもぐりこわる、うまいものを食う、陽を浴びて散歩する、ただそれだ なことかがわかってくる。暑い午後にべ、 、つ、つカ けのことが、本来味方であるべきなのに敵にまわっている警 待み、チャンスを窺って葦の茂みにこっそり逃げ込む、そし 狄てそこでこの手で捕まえる鳥の卵や魚を食料とし、土に穴を察の忠告などなしでことを決定する権利よりもすっと重要な 夷 ことに思われる。私の夷狄の女との逸脱行為を是認する人 掘って眠り、このいまの歴史の局面が過去を挽き砕き、辺境 間、あるいは仮にもしここから出かけて行った若い兵士たち がその昔の傾眠状態に逆戻りするまで時節を待つなどという が私の子分の夷狄によって殺されたとしても私に敵意を抱い ことが、いかに滑稽なことかがわかってくる。あのとき以 ここ、つ すす
「があっ、べっ , 若い尼僧は見向きもせず、頭を垂れてただ歩いてゆく。阿 4 恋愛の悲劇 C は彼女の傍へ近づくと、突然手をのばして剃りたての頭を とら ある人がいった。勝利者は、敵が虎のごとく、鷹のごとく 撫で、ばか笑いをしながらいった。 おしよう であることを願う。彼はそれによってはじめて勝利の歓喜を 「坊主頭、早く帰れ、和尚さんが待ってるそ : : : 」 ひなどり 「どうしてふざけるのです : : : 」尼僧は顔を真っ赤にしてそ感じるのである。もし羊のごとく、雛鳥のごとくであったな わび ついいながら、足をはやめた。 らば、かえって勝利の侘しさを覚えるであろう。また勝利者 居酒屋にいた人々はどっと笑った。阿は自分の功績がみは、一切の敵を服従させた後に、死ぬものは死に、降るもの おそ は降って「臣誠に惶れ誠に恐る死罪死罪」ということになる。 とめられたのを見ると、ますます調子づいてきて、 「和尚さんならふギ、けてもよいが、おれはいかんのかい ? 」 かくて彼は敵もなく、対立者もなく、友人もなく、ただ自分 彼は彼女のほっぺたをつねった。 が上位にいるだけのことで、ひとりばっちで、うらがなしく、 ものさびしく、かえって勝利の悲哀を感じるであろう、と。 居酒屋にいた人々はどっと笑った。阿 C はさらに得意にな しかし、われわれの阿 O は決してそのように弱くはなく、彼 り、見物人たちをもっと満足させようとして、もう一度ぎゅ は永遠に得意である。これはあるいは、中国の精神文明が世 っとつねってから、手を放した。 彼はこの一戦で、はやくもひげの王を忘れ、にせ毛唐も忘界に冠たることの一つの証拠であるかもしれない れ、今日の一切の「不運」に対して仇を報いたような気がし見よ、彼はふわふわと飛んでゆきそうではないか , いささか彼を異様にした。彼はふわ しかし今回の勝利は、 た。しかも奇妙なことには、全身がびしつびしっと打たれた あとよりもさらに軽やかになったように思われて、ふわふわふわと半日あまり飛びまわってから、ふわっと地蔵堂へもど った。いつもなら横になるとすぐいびきをかくはすである。 と飛んでゆきそうであった。 おやゅび ところがその晩は、なかなか眠れなかった。彼は自分の拇指 「跡取りなしの罰あたりの阿 C ! 」遠くから若い尼僧が泣き 伝 正ながらいう声がきこえた。 と人差指とがどうもへんで、いつもよりすべすべしているよ うな気がしたのである。若い尼僧の顔にすべすべしたものが 阿「はつはつはっ ! 」阿は十分の得意さをもって笑った。 「はつはつはっ ! 」居酒屋にいた人々も九分の得意さをもつあって、それが彼の指についたのか、それとも、彼の指が若 い尼僧の顔でこすれてすべすべしてしまったのか : て笑った。 あだ かん
ろう。もう十分に食べたのに」不思議に田 5 った。うつろな目 母親が低い声で限めしそうに言った。 で母親の姿を追った。母親は親指にも満たない蝦燭に火を移 彼は溜め息をついた して出て行こうとしているところだった。 「どうせ用もないんだから、このままでいいですよ」 ろうそく 「でも蝦燭をつけましよう、これではあんまり寂しいですか「母さん、こちらの長い方を持って行きなさいよ。明るいか ら」そう言って、「ばくは暗くて構わないから」と言い足し らね」 母親が昨夜の使い残しの蝦燭を出して来て灯した。火がゆた。おれには明りなんかあろうがなかろうが同じことだ、と すきまかぜ らゆらと揺れた。部屋のなかは一面黒い影で埋った。隙間風思った。 しん 「いえ、これで十分ですよ」 が炎をゆらめかせ、芯を一方に片寄せたので、蝦がたらたら ちやわん しよくだ、い と流れ落ちた。蝦は燭台がわりに伏せた茶碗の糸底から溢母親は、そのまま短い方の蝦燭を持って出て行った。 しよら , ばん 一本の蝦燭が彼に相伴して部屋に残った。 れ、みるみるテープルにひろがっていった。 「また一日過ぎてしまった。おれはあと何日生きていられる 「鋏を、早く」 言う気もなかったことばが、自然に彼の口から出た。ひどのだろう」 彼はひとりごち、限めしげに溜め息をついた く慌てていた。こんなことはありふれたことで、彼もすっか 誰も答える者はいない。壁には彼自身の影がゆらゆらと揺 いま、彼は自分でもす り馴れつこになっていたはすなのに、 れていた。自分が坐るべきなのかそれともこのまま立ってい る気もないことをし、自分でも一言 , っ気もないことを一一 = ロってい るべきなのか、寝るべきなのかそれともこのまま起きている るのであった。 べきなのか、自分でもわからなかった。自分が何をしようと 母親が鋏を持って来て、倒れかかった芯を切り落した。炎 しているのかすらわからなかった。テープルの前に立ちつく はいくらか安定した。 「そろそろご飯にしましようかね。鶏のスープを暖めて来てすうち、寒気が防寒用の上着や綿入れに次第に滲み透って来 た。からだがかすかに震えて来た。からだを暖めようと、テ ~ め一け・士玉しょ , つか」 ープルの前を離れ、何歩か歩いた。 液「ええ」 「おれは三十四にもなりながら、まだ何一つやっていない」 寒彼は気が進まないのを押して答えた。数時間前のあの元気 と食欲は跡かたもなかった。母親の気持を無にすまいとして限めしかった。苦しかった。「それなのに、もう何もかもお しまいだ」口惜しかった。大学時代の夢が、稲妻のように彼 返事しただけだった。「なんでまだ食べさせようとするのだ は ) み とり とも
にわっているわけではなかった。岐路に立ってためらいをかさ 胸がちくりと痛み、あらためて心の底にひそむ不満が表面 いすれかに踏み切ろうとしていたのである。し 浮かび上がってきた。それは突然だったので、防ぎようもなねたあげく、 かし、そう簡単に踏み切れるものではなかった。 カった。涙がこばれそうになるのを、必死に抑えた。冷たい いしよう 「それじゃ、明日はい、 し返事がもらえるだろうね」彼はなお 家庭、善良で甲斐性のない夫、極端に利己的で頑固な古くさ せきばく い姑、口論と敵視、寂寞と貧窮、戦争のあいだに失われた青期待をつなぎながら、断定的に言った。「明日八時、冠生園 むな 春、幸福を追い求める自分の空しい努力、灰色の前途 : : : こで返事を待っているよ」 れらすべてが、潮の湧くように彼女の胸に押し寄せた。これ「明日は多分行くことにすると思うわ」彼女は言った。「あ が楽しい暮しと一一一一口えるだろうか。彼のことばは本当だ。自分たしはこの町の霧が本当にたまらないのよ。心まで腐ってポ ロポロになってしまうような気がするの。この二年ですっか はまだ三十四、生きる力に満ちみちているというのに、どう して楽しく暮してはいけないのだろう。自分には幸福を追求り飽き飽きしたわ」 いらいらして、何かに反抗せすにはいられなかった。しか する権利がある。黙っていることはないのだ。考えてきて、 し、彼女の目の前にひろがっているのは、白一色の霧だけで 彼女はついに低い声で、自分の、いに語りかけるように言った。 しいかも知れないわね。いまみたいな事態あった。前途にひろがっているはすの景色は何一つ見えなか 「行ってみるのも、 がいつまでつづくとも限らないのだから」 「それじや今度の飛行機でいいんだね。蘭州へ行けば何も かも片づくそ」 彼は驚喜した。 彼女はまた自分の家に戻って来た。門をはいると、別世界 皮女ははっと気がついたふうに言ったが、すぐ言 し。し一ん」ノイー し。いったようであった。何もかもが親しいものであるはす い足した。「明日返事するわ」 まゆ なのに、思わす眉をひそめた。一本の手に、自分の部屋へ引 「明日か。待ち遠しいなあ」 き戻されるような気がしたのである。 液彼は溜め息をついた。 寒「あたし帰「てよく考えてみたいのよ。今度こそはっきり決母親の部屋には明りがついていたが、物音もしなか「た。 夫は静かにべッドに横たわっていた。彼はまだ起きていて、 めるわ」 そう言ったものの、彼女は決して愛し愛される幸福など味彼女がはいってくるのを見て、声をかけた。 ランチョウ
やす 母親は物も一言わすに自分の部屋にはいってしまった。トラ 「さ、お寝みなさいな。立っていては疲れるわ。病気はまだ ンクの蓋を閉めて立ち上がった樹生の顔からは、もはや半分完全になおったわけではないんだから。あたしもそこに坐る かた怒りの色が消えていた。彼は彼女の顔を見つめたまま、わ」 金 巴物も一言えずにいたが、その目はせつなげに光っていた。 彼は言われるままに横になった。彼女は腰のあたりまで布 「どう、あの人はいつもこうなのよ。あの人は心からあたし団を掛けてやってから、べ ッドの縁に坐った。 を憎んでいるのよ」 「あたし、明日の今頃はどうなっているのかしら」 樹生が低く言った。 彼女はひとりごと一のように言った。 「おふくろは思い違いしているんだ。いすれきっとわかって 「あたしはどうでも行きたいというわけではないのよ。どう していいかわからないのよ。もしあなたたちに引き止められ くれる。勘弁してやってくれ」 たら、いまからでもやめてしまうかもしれないわ」 「あたしにはとてもあの人を憎めないわ。あなたのお母さま なんですものね」 これは彼女のいつわりない気持だった。 彼女はやさしく笑った。 「気にしないで行っておいで。いったん決めたことを、変え 「有難う」彼もっくり笑いを浮かべた。そして、いっそう声ることはないさ」 を落した。「明日の朝は飛行場へ送って行くよ」 彼がおだやかに言った。彼は自分の苦悩を忘れていた。 しいわよ。からだに障るわ」彼女が急いで言った。「どう 「でもあたしは、自分でも今度の蘭州行きが果して自分のた せ主任がついて来てくれるのだから」 めになるのかどうか判断がっかないのよ。向うには相談相手 はいす、あなたは病気で寝こんでいるというのに。お母さま 最後の一句が彼の胸をグサリと貫い 、と田 5 って だけよ、あたしが一日も早くあなたと別れたらいし 「それじゃ、ばくらはこの部屋で別れるのかい」 彼の目にキラリと涙が光った。 いるのは」 「いますぐ行くわけでもなし、そんな顔しないで。今夜は早彼女は感傷と憂鬱を帯びた目で彼を見つめた。 彼女たちは く「郷るから、ゆっくり話しましょ , つね」 「病気」ということばが彼の頭を打ちのめした。 , 彼女はそんな彼を見かねて、やさしく言った。 永久におれに病気を忘れさせまいとする。彼女たちは永久に 彼はうなすいて、「待っているよ」と言おうとしたが、こおれを病人あっかいする。彼は溜め息をついた。自分が彼女 とばにはならなかった。 と同等の高みから転落し、一筋の蜘蛛の糸のような希望も絶 ゅううつ
とおらんことです。わけても、あなたと子供たちには住み心過去も末来も存在せぬ。この瞬間を生きるーーそのように意 地の良い家と有り金全部を遺して行き、暮らして行く上のあ識するだけで充分なのです。この境地に到達するまで随分苦 らゆる便宜を保障しているのですからな。ここのところを良労をして来ましたが一々ここで説明する必要はない。自分の く考えてごらんなされ。権利を放棄したのはむしろ亭主どの名とか身元とか、そういうものの意味とかを、自分の心から のほうだったと、思い当られることだろうて。しかもその放拭い取ってしまったのです。ずるする後退することなど、お 棄たるや徹底したものだ。それまで営々として蓄えた富があよそ考えられません。あなたはあなたの生きかたで、生きな ったのに一片の腰布のほか全てを棄てて顧みなかったのですさるが良い。わしにも、わしの生きかたで生きさせ、わしな かれの家りのやりかたで幕を降ろさせて下さい。」 からな。だがしかし、どうかわかって頂きたいが、 出の動機は怒りなどではない 彼女は泣き崩れ声を立てて歎き悲しんだ。師は静かに女を 内的変容に迫られてのこ 見守っておられた。「ラジャに手を貸して、かれの荒ぶる魂 となのです。」 「おかしな理屈ですこと。」 を鎮めることがようやくできた。あなたにも手をお貸しでき 自はいささか威儀を正して仰せられた。「日暮れまでに最ればと思うのだが : : : あなたの幸福をお祈り申し上げるしか、 寄りの村に着かねばならぬとしたら、もうお引き取り願わねありませぬ。」 ばなりません。山を降りて村まで案内して差し上げよう。そ「せめてお近くに身が置けるように、あの村で暮らさせて下 さいません ? 」 こから先は一人でも大丈夫 : : : 」 「なぜそんなことを ! あなたには無理ですよ。あなたには 「一人じや行けません : : : 一緒に帰って下さらないのなら、 こちらに置いて下さいな。」 家庭と家族がおありなさる。」 「あなたには感清というものが無いのですか。ごく当りまえ 「いけません。あなたがご覧になっているのは古いわしの形 骸にすぎぬ。中味は全く別のものです。わしと暮らしを共にの義務感もないのですか。」 「おっしやることの意味がわからぬ。いろんなことばの意味 デすることは不可能です。」 「じゃあ、一緒に帰って下さいよ。そのままのあんたで結構。を忘れましたわ。どうか余り自分のことを喋らせないように マ 髭も腰布もそのままで : : : ただ家で " あんた。って呼べる人して貰いたい。あなたに同情し、あなたに手をお貸ししたい と本当に願えばこそ、今までお話しをして参りました。さも を、あたしに恵んで下さいな。」 「落着ついてお聴きになって頂きたい。わしにとって自分のなければ、思い出したり、ことばで語ったりして昔の自分を
イドリース 1250 で、我々はなんと彼に対して盲になっていることだろう。こその時はすっかり黙り込んでいたのに、今は堰を切ったよう の若い男は力強く、健康と力と生命力を漲らしている。それに話すのか ? なぜこの自分には貴重なものである結婚指輪 は彼女を見舞った亡夫の病と非力とあまりに早く来過ぎた老を今はめているのか ? それは結婚の時に婚資や他の指輪や あがな しに対して、彼女に償いをし、さらにあまりあるものがあっ 贈物と並んで、自分が苦心して購った指輪なのだ。それなの になぜ今日の午後は、それをはめていなかったのか ? 沈黙は姿を消した。もはや二度と姿を見せぬように思えた。 彼女が身を激しく震わせ、胸を掻きむしり、立ち上がり、 生活の活気が這い戻ってきた。亭主は自分の亭主で、堂々と絶叫したとしても、当然だっただろう。そのまま発狂したと れつき 人前に出せる歴とした亭主だ。自分の宗教に則ってもらった しても無理からぬことだったろう。隹ゝ 一一 = ロカか、皮を几又してしま やま ってもよかったのだろう。なぜなら、彼の言ったことにはた 亭主だ。何も疚しいことなどない。だから自分は何をしても、 許されるのだ。もはや彼女は、戸が半開きでも、秘密が洩れった一つの意味しかないのだから。だが、何と奇怪で、醜悪 ても、もはや意に介そうとしなくなった。夜ともなると、皆 な意味であることか , の′】もと 一つ部屋に一緒になり、精神と肉体が寛ろぎ、娘たちがそち しかし、その時彼女の喉元を締め付けんばかりに何かがっ こちに四散し、彼女らは何もかも承知していて、時々うずく かえ、すべてを封じ込めてしまった。彼女の息さえも。そし くギ一づ ような声や吐息を漏らし、その場に自らを釘付けにしたまま、て彼女は黙り込んだ。耳を鼻に、触覚に、目に変えて、彼女 せき 体の動きや咳を押え込み、突然熱い吐息を漏らしてしまい はその耳を澄ませた。彼女の最初の関心事は、それが誰なの 別の幾つかの吐息がそれを押し殺すというふうだった。 かをつきとめることだった。彼女は勘で、それは真ん中の娘 彼女は昼間金持ちの家で洗濯女として働いた。そして彼の し違いないと思った。この娘には弾丸をもってしても始末し たが、彼 方は貧者の家でコーランの読経をした。はじめは、午後部屋きれないような大胆さがその目の中に伺えるのだ。。 画レ」ギ一 一↑。彳に。なカっただが夜が長くなり、夜伽の時女はひたすら耳を澄ます。三つの息は高く、深く、そして発 みなぎ 間が延びるようになると、彼は昼寝の時分に家へ戻るように 熱しているかのように熱く、欲望を漲らせ、低い唸り声を、 、ラーム・イスラームによ ) の夢が呼 なった。前夜の夜の疲れから体を回復させ、次の夜に備えて繰り返しては中断する。禁忌 ( ノ って禁じられている行為 おく必要があった。 吸を時折、中断する。乱れた息は蒸気のような摩擦音に変わ ある夜、二人が存分に時間をかけて満ち足りた後、彼は唐る。渇いた大地から吐き出される暑熱が発する音のように。 、今日の午後は、どうかしたのかと彼女に尋ねた。なぜ 息苦しさはいっそう深まり、すべてを封じ込んでいく。聞 みなぎ のっと カ せき
ザンファリ ーについてアプダッラーが備えている回想録をすがね、県庁の二階にある、そう、医局の真向かいに当たる やから 我々の耳に入れるために、我々と並ばうとして彼が歩を緩め部屋の中のことですが、奴は政治に頭を突っ込んだ輩と二人 たのを私は歓迎した。はじめ彼は同僚のことに自分が介入すっきりでその部屋へ入って戸を閉めさせ、我らの主のお創り 、あーいと泣きわめく男のことなど、 になった朝から、あー るこの任務を渋っていたが、それも今はほとんどどこかへ消 めいりよう もう構うものかとわしらが五時になって帰ろうという時にも え去ってしまったことは明瞭であった。またその気詰りな やくどころ 気持ちもどこかへ失せ、自分のお気に入りの役所へ彼が戻まだ殴り続けていたんで、わしらはほっといて先に帰ったん ってきていたことも明らかだった。自分はあらゆることに通 もういい加減にしろ ! ア。フダッラー ! 家は何処な じている、あなた方が知らぬ黒い警官のことさえ知っていて、 進んで忠告も情報も差し上げますよ、ということを我々に分んだー やくどころ そう一言ったのは、シャウキーだった。私は驚かされた。ア からせようとするあの役所へ。 ねえ、先生、あの男はファルーク王だって知らねえよ。フダッラーも必要をはるかに越えた甲高い声に驚かされた。 うな大した栄光に浴したんですぜ。奴は県庁に平服のまま出その声はシャウキーがこれまで私の前で決して話したことの 入りしていたんだが、皆が奴にてんでに挨拶を競ったんですないものだった。彼はいつも話しているのは自分だと人から ぜ。座ったまま奴にものを言った将校なんぞは、あっという思われたくないような話し方をするのだ。 いすれにしろ、彼の常ならぬ声は即座にア。フダッラーを沈 尸に何処かへ飛ばされちまうんでさあ。わしらなぞは誰一人 正面から奴の顔を見る勇気のある奴なんそなく、奴の方に目黙させ、しばしば若い医者たちの前で彼が浮かべるいつもの を向けるだけでも、空恐ろしかったんですよ。ねえ、先生、厳めしい、格式張った表情を取り戻させた。私はシャウキー に目をやった。 彼には不機嫌な顔も、渋面も見られなかった。 アッラーに誓って言いますがね、ある時のこと、半リャー 力、カ ル・コインを奴はおっことしたんですがね、身を屈めて取ろ彼は顔の下半分でのみ笑っているような、遠くの声を聞いて 官うともしないんですぜ。本当のことですけどね、奴が総理大いるような、奇妙な笑いを浮かべていた。 : どうしたんだ ? 何考えてるん 臣の運転手の脇に乗っていたのを見たことがありますよ。総 私は彼に小声で囁いた : 黒 理大臣の脇にいたことだってありましたつけ。それがもう厳だ ? そび つく聳え立つようなふうなんですよ : : : それから、アッラー ・ : なんにも。何を 同じ笑いを浮かべながら、彼は言った : たま の神よ、私めを護り給え : : : わしはこの目でしかと見たんで考えろっていうんだい ? わき
しつべんに二重に裏切られたことその行く末を痛ましく思う気持ちが尽きることなく沸いてく 精神的にも肉体的にも、 になるが、果たして南竹は、自分が病に冒されていることをるのであった。幼い頃の夢を育み、花を咲かせて生きる道は 承知していたのであろうか。初めは彼女から愛情を示された人それぞれ異なるだろうけど、そのおびただしいケースの中 まの結果からすから、賢輔は図らすも南竹の生きざまに、無残にも夢に破れ ことに感激し、有難いと思ったものだが、い ると、ある種の愛欲の詐欺に遭ったとしか考えられなかった。てもっとも忌まわしい結果に終わった、痛々しい一点の標本 たと 賢輔には七、八年前にあんなに健康で美しい夢を膨らませなを見る思いがして、譬えようもなく憂鬱であった。 もろ よからぬ手段に訴えてまで旅費としてこしらえた五十円の がら始まった南竹の若い人生が、こんなに脆くも病に蝕まれ、 傷ついていたとは、想像だにできなかったのである。いや、金が、思いもかけなかった、ロにするのも憚られる病の治療 のろ あれほど堅実な夢を追い求めていたヒロインが、七年後には費として役立ったことの皮肉と、その金の不遇な運命を呪い ながら、鬱々として愉しまない心を持て余していた賢輔はそ つばしの夜の女になりさがっていたと、どうして想像でき ーにでかけて酒をあおった。ところ たろうか の夜、まだ宵の口からバ 、偶然にも同じバーで例の遊び人、金長老のどら息子と鉢 たおやかな一輪の薔薇は蝕まれていたに留まらず、余すと ころなく病に冒され、傷つき始めていたではないか。「大衆合わせをしてしまったのだから、何と痛烈な皮肉であったろ ウオン うか。のつべりとしている癖にいつもてかてかと磨き上げ、 苑」書店の裏手の部屋で、冬ともなると傍らに火鉢をおい て机に向かい、読書に熱中するかと思えば、ときには理論闘人もなげに振る舞う彼の態度は、いつ見ても虫酸が走り腹立 たしい限りであった。けれども、南竹とのことに関して一言え 争と称して相手嫌わす議論を吹っかけ、まだ十分に自分のも のとなっていない理論をやたらと振りかざしていた南竹。そば、彼女自身の意思によって彼が一夜をともに過ごしたのな れからも、学校で持ち上がった事件の処理をめぐって生徒たら、それも致し方のないことだった。ただ、気持ちのうえで は、その場できやつに一発食らわせ這いつくばわせてやれる ちのリーダーに祭り上げられるや、少しでもしつかりしてい だれ むるように見える生徒ならば誰彼の別なく自分の部屋へ呼び集ほどの勇気と腕つぶしを持ち合わせていないことが、賢輔に め、かんかんがくがくの議論と討義に明け暮れた南竹。そんは哀しかった。きやつのほうもほどなく賢輔がいることに気 な七年前の彼女の面影を思い起こすと、賢輔は押さえ難い感がついて、わざわざ自分のグラスを手にして彼のテープルへ 慨に耽る余り、しばしおのれの肉体に刻み込まれた深い傷の移ってきた。そして向き合って腰を掛けると、意味ありげに 痛みも忘れ去り、今日の南竹との再会を限みに思うよりは、薄笑いを浮かべるのだった。 むしば テジュン