部屋 - みる会図書館


検索対象: 1Q84 BOOK2
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1. 1Q84 BOOK2

た。それからドアマットの裏にガムテープでとめられた鍵をとり、それを使って部屋に入った。 玄関のドアを開けると自動的に入り口の照明がつく仕掛けになっている。部屋の中には新築の建 物特有の匂いがした。置かれている家具も電気製品もすべてまったくの新品らしく、使用された 形跡は見当たらなかった。きっと箱から出して、ビニールの包装を解いたばかりなのだろう。そ れらの家具や電気製品は、マンションのモデルルームをしつらえるために、デザイナーによって 一括して買い揃えられたもののように見えた。シンプルなデザインで、機能的で、生活の匂いが 感じられない 入り口の左手に食堂兼居間がある。廊下があって洗面所と浴室があり、その奥に部屋がふたっ あった。ひとつの寝室にはクイーンサイズのべッドが置かれていた。べッドメークも済んでいる 窓のプラインドは閉じられている。通りに面した窓を開けると、環状七号線の交通の音が遠い海 鳴りのよ、つに聞こえた。閉めるとほとんど何も聞こえない。居間の外に小さなべランダがあり、 そこから通りを隔てて小さな公園が見おろせた。ぶらんこと滑り台、砂場、そして公衆便所があ る。高い水銀灯が不自然なほど明るくあたりを照らし出している。大きなケヤキの木があたりに 枝を張っている。部屋は三階だが、近隣に高い建物はなく、人目を気にする必要もなかった。 青豆はついさっき引き払ってきた、自由が丘の自分のアパ 1 トの部屋を思い出した。古い建物 で、あまり清潔とは言えず、ときどきゴキプリが出たし、壁も薄かった。愛着のある住まいとは とても一一一一口えなかった。しかし今ではそれが懐かしかった。このしみひとつない真新しい部屋にい ると、自分が記憶と個性を剥奪された匿名の人間になったような気がした。 冷蔵庫を開けると扉のところにハイネケンの缶ビールが四本冷えていた。青豆は一本を開けて 2

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くりとったい、それから膝の上に落ちた。天吾はドアを開けてそのまま部屋を出た。タクシーに 乗って駅まで行き、やってきた列車に乗った。 館山からの上り特急列車は行きよりも混んでいたし、賑やかだった。客の大半は海水浴帰りの 家族連れだった。彼らを見ていると、天吾は小学生の頃を思い出した。そういう家族連れの遠出 や旅行というものを、彼は一度も経験したことがなかった。お盆や正月の休暇には父親は何もせ す、ただ家で横になって寝ていた。そういう時、その男はまるで電源を切られた、うす汚れた何 かの装置のように見えた。 席について、文庫本の続きを読もうと思って、父親の部屋にその本を置いてきたことに気がっ あるいはそれでよかったのかもしれないと思い直した。それに何 いこ。彼はため息をついたが、 を読んだって、まともに頭には入ってきそうにない。そして『猫の町』は、天吾の手元よりは父 親の部屋に置かれるべき物語だった。 窓の外の風景は、行きとは逆の順序で移っていった。ぎりぎりのところまで山の迫る、暗くて 寂しい海岸線は、やがて開けた臨海工業地帯へと変わった。多くの工場は夜になっても操業を続 けていた。煙突の林が夜の闇の中にそびえ、まるで蛇が長い舌を突き出すように赤く火を吐いて いた。大型トラックが強力なヘッドライトを抜け目なく路上に光らせていた。その向こうにある 海は泥のように黒々としていた。 自宅に着いたのは十時前だった。郵便受けは空つほだった。ドアを開けると、部屋の中はいっ もにも増してがらんとして見えた。そこにあるのは、彼がその朝に残していったままの空白だっ 205 第 10 章 ( 天吾 ) 申し出は拒絶された

3. 1Q84 BOOK2

若い看護婦が、父親が寝かされている部屋に天吾を案内した。彼女は「安達ーという名札をつ けていた。父親は新しい棟の一人部屋に移されていた。より重度の患者のための棟だ。歯車がひ とつ前に進んだわけだ。これより先の移動場所はない。狭くて細長い、素っ気のない部屋で、べ ッドが部屋の面積の半分近くを占めていた。窓の外には防風の役目を果たす松林が広がっている。 密に茂った松林はその療養所を、活気のある現実の世界と隔てる大きな仕切り壁のようにも見え た。看護婦が出て行くと、天吾は天井に顔を向けて眠り込んでいる父親と二人きりになった。彼 はべッドのわきに置かれた小さな木製のスッ 1 ルに腰を下ろし、父親の顔を見た。 べッドの枕元には点滴液のスタンドがあり、ビニールバックの中の液体がチュ 1 プで腕の血管 に送り込まれている。尿道にも排泄のためのチュ 1 プが挿入されている。しかし見たところ排尿 量は驚くほど少なかった。父親は先月見たときよりも、更にひとまわり小さく縮んで見えた。す こよ、おおよそ二日分の白い髭が生えている。もともと目は落ちくばん つかり肉の削げた頬と顎 ( ( そのくばみは前よりいっそう深くなっていた。何か専門的な道具を使って、 でいる方だったが、 眼球をその穴の中から手前に引っ張り出す必要があるのではないかと思えるほどだった。両目の まぶたはその深い穴の中で、シャッタ 1 でも下ろされたみたいに堅く閉じられ、ロはわずかに半 耳をすぐそばまで寄せると微かな空気のそよ 開きになっていた。息づかいは聞こえなかったが、 ぎが感じ取れた。最低限のレベルの生命維持がそこで密かになされているのだ。 天吾には、昨夜の電話で医師がロにした「まるで列車が少しずつ速度を落として停止に向かう ときのように」という表現がひどくリアルなものとして感じ取れた。父親という列車は徐々にス 477 第 24 章 ( 天吾 ) また温もりが残っているうちに

4. 1Q84 BOOK2

「高円寺の南ロ。環七の近くだ。部屋番号は三〇三。入り口のオートロックは二八三一を押せば 開く」 タマルは間を置いた。三〇三と二八三一と青豆は頭の中で繰り返した。 「鍵は玄関マットの裏側にガムテープでとめてある。部屋には当座の生活に必要なものが揃って いるし、しばらくは外に出なくて済むようになっている。俺の方から連絡をする。三度ベルを鳴 らしてから切り、二十秒後にかけなおす。そちらからはできるだけ連絡してほしくない」 「わかった」と青豆は言った。 「連中はタフだったか ? ーとタマルは尋ねた。 「そばにいた二人は腕が立ちそうに見えた。少しばかりひやっとすることもあった。でもプロじ ゃない。あなたとはレベルが違う」 「俺みたいな人間はあまりいない」 「たくさんいても困るかもしれない」 「あるいは」とタマルは言った。 青豆は荷物を持って駅の構内にあるタクシ 1 乗り場に向かった。そこにも長い列ができていた。 地下鉄の運行はまだ復旧していないようだ。しかしとにかくそこに並んで、我強く順番を待た ないわけにはいかない。選択の余地はないのだから。 苛立ちを顔に浮かべた多くの通勤客たちに混じってタクシーの順番を待ちながら、彼女はセー フハウスの住所と名前と部屋番号、オートロックの解除番号とタマルの電話番号を、頭の中で繰 329 第 15 章 ( 青豆 ) いよいよお化けの時間が始まる

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怯えてはならない。法えは顔に出るし、それは相手に疑念を抱かせる。 彼女は最悪の状況を覚悟しながら、左手にジムバッグを提げ、用心深く浴室を出た。右手はす ぐに拳銃にのばせるようにしてある。しかし部屋の中に変わった様子はなかった。坊主頭は腕組 みをして部屋の真ん中に立ち、目を細めて何ごとかを考えてした。。、 、、ホニーティルは、相変わらず 入り口の椅子に座り、部屋の中を冷静に観察していた。彼は爆撃機の機関銃手のような、静かな 一対の目を持っていた。孤独で、青い空を見続けるのになれている。目が空の色に染まっている。 「疲れたでしよう」と坊主頭が言った。「よかったらコ 1 ヒーをいかがですか。サンドイッチも あります」 青豆は言った。「ありがとう。でもけっこうです。仕事の直後はおなかがすかないんです。一 時間くらいすると少しすっ食欲が出てきます - 坊主頭は肯いた。そして上着の内ポケットから分厚い封筒を取りだし、その重みを手の中で確 かめてから、青豆に差し出した。 男は言った。「失礼ですが、うかがっている料金よりは余分に入っているはずです。先ほども 申し上げましたとおり、今回の件はくれぐれも内聞に願います」 「口止め料ということですか」と青豆は冗談めかして言った。 「なにかと余分なお手間を取らせた、ということですーと男はにこりともせず言った。 「金額とは関係なく秘密は厳守します。それも私の仕事のうちです。外に話が漏れることはあり ません」と青豆は言った。そして受け取った封筒をそのままジムバッグの中に入れた。「領収書 はご入り用ですか ?

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起きてらっしやるのではないかな、という気がふとしましてね。それで失礼とは承知の上で、こ うしてちょっと電話かけてみたわけです。いかがです、ご迷惑だったでしようか ? 」 牛河の言ったことは、天吾の気に入らなかった。彼がこの自宅の電話番号を知っていることも 気に入らなかった。それに直感なんかじゃない。彼は天吾が眠れないでいることを承知していて、 その上でこの電話をかけてきたのだ。彼の部屋に明かりがついていることが牛河にはわかってい るのかもしれない。 この部屋は誰かに見張られているのだろうか ? 熱心で有能なリサーチャー が高性能の双眼鏡を手に、どこかから天吾の部屋の様子をうかがっている様子が目に浮かんだ。 「たしかに今夜はまだ起きていますーと天吾は言った。「あなたのその直感は正しい。さっき濃 い緑茶を飲み過ぎたせいかもしれませんー 「そうですか、それはいけません。眠れない夜というのは往々にして、人につまらないことを考て えさせるものです。いかがです、しばらくお話ししてよろしいでしようか ? 「ますます眠れなくなるような話じゃなければ」 牛河は声を上げておかしそうに笑った。受話器の向こうでーーーこの世界のどこかの場所で 彼のいびつな頭がいびつに揺れた。「ははは、面白いことおっしゃいますね、川奈さん。そりや 子守歌のように心地よいとはいかんかもしれませんが、話自体は眠れなくなるほど深刻なものじ ゃありません。ご安心ください。ただのイエス・ノーの問題です。それは、ああ、あの助成金の 話です。年間三百万円の助成金。良い話じゃありませんか。いかがです、ご検討いただけました でしようか。こちらとしてもそろそろ最終的なお返事をいただかないとなりませんので」 「助成金のことはそのときにもはっきりとお断りしたはずです。お申し出はありがたく思います。

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それからジムバッグを手に取り、ドアに向かった。ドアノブに手をかけて後ろを振り返り、暗 闇の中でうつぶせになっている大きな男の姿を今一度見やった。熟睡しているようにしか見えな い。最初に目にしたときと同じように。彼が絶命していることを知るものは、この世界に青豆し 、刀いはしし 、や、たぶんリトル・ピープルは知っている。だからこそ彼らは雷を鳴らすのをやめ たのだ。今さらそんな警告を送っても無益であることがわかっているからだ。彼らの選んだ代理 人は既に生命を絶たれていた。 青豆はドアを開け、目をそばめながら明るい部屋に足を踏み入れた。音がしないようにそっと ドアを閉めた。坊主頭はソフアに座ってコーヒーを飲んでいた。テ 1 プルの上にはル 1 ムサービ スでとったらしいコーヒーポットと、サンドイッチを盛った大きなトレイがあった。サンドイツ チは半分ばかりに減っていた。使われてないコーヒーカップが二つその脇に置かれている。ポニ ーティルはドアのわきに置かれたロココ調の椅子に、さっきと同じように背中を直立させて座っ ていた。二人とも長いあいだ同じ姿勢で、無言のまま時間を過ごしていたようだった。部屋の中 にはそういう保留された空気が漂っていた。 青豆が部屋に入ると、坊主頭は手にしていたコ 1 ヒーカップをソ 1 サ 1 の上に置き、静かに立 ち上がった。 「終わりました」と青豆は言った。「今は眠られています。かなり時間もかかりました。筋肉の 負担も大きかったと思います。寝かせておいてあげてください」 「眠られている」 「ぐっすりとーと青豆は言った。 313 第 15 章 ( 青豆 ) いよいよお化けの時間が始まる

8. 1Q84 BOOK2

手錠を両手にかけられ、目隠しをされ、ストッキングだか下着だかを口に突っ込まれて。あゆみ 自身が常々危惧していたことが、そのまま現実になったのだ。もし青豆があゆみをもっと優しく 受け入れていたなら、あゆみはおそらくその日、一人で街に出かけたりはしなかっただろう。電 話をかけて青豆を誘っていたはすだ。そして二人はもっと安全な場所で、お互いをチェックしあ いながら男たちに抱かれていたはずだ。でもたぶんあゆみは青豆に遠慮をしたのだ。そして青豆 の方からあゆみに電話をかけて誘うことは一度もなかった。 午前四時前に、青豆は部屋の中に一人でいることに耐えられなくなり、サンダルを履いて部屋 を出た。そしてショートパンツにタンクトップというかっこうのまま、未明の街を当てもなく歩 きまわった。誰かが声をかけてきたが振り向きもしなかった。歩いているうちに喉が渇いたので、 終夜営業のコンビニに寄って、大きなパックのオレンジジュースを買い、その場で全部飲んだ。 それから部屋に戻って、またひとしきり泣いた。私はあゆみのことが好きだったんだ、と青豆は 思った。自分で考えていたより、もっとあの子のことが好きだった。私の身体を触りたいのなら、 どこだって好きなだけ触らせてあげればよかったんだ。 翌日の新聞にも「渋谷のホテル、婦人警官絞殺事件」の記事は載った。警察は全力をあげて、 立ち去った男の行方を追っていた。新聞記事によれば、同僚たちは戸惑っていた。あゆみは性格 が明るくて、まわりのみんなに好かれ、責任感も行動力もあり、警察官としても優秀な成績を収 めていた。父親や兄を始めとして、親戚の多くが警官の職に就き、家族内の結東も強かった。ど うしてこんなことになってしまったのか誰も理解できす、ただ途方に暮れていた。 103 第 5 章 ( 青豆 ) 一匹のネズミが菜食主義の猫に出会う

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にかく彼女は連絡なんかしてこない。だいたいどこの誰が新聞の三行広告なんて読むだろう。 あとは大きな興信所に捜査を依頼するという手段もある。彼らはその手の人捜しには置れてい るはずだ。そのためのいろんな手段やコネクションを持っている。これだけ手がかりがあれば、 あっという間に見つけ出してくれるかもしれない。おそらくそれほど高い料金も請求されないは と天吾は思った。ま ずだ。しかしそれは最後の手段として取っておいた方がいいかもしれない、 ずは自分の足を使って捜してみよう。自分に何ができるものか、もう少し知恵を絞ってみた方が いいような気がする あたりが薄暗くなってから部屋に帰ると、ふかえりは床に座って一人でレコードを聴いていた。 年上のガールフレンドが残していった古いジャズのレコ 1 ドだ。部屋の床にはデューク・エリン ・ホリディといった人々のレコード・ジャケットが散らばっ トン、べニー・グッドマン、ビリー ていた。そのときターンテープルの上で回転していたのは、ルイ・アームストロングの歌う『シ ャンテレ・バ』だった。印象的な歌だ。それを聴くと、天吾は年上のガールフレンドのことを思 い出した。セックスとセックスとのあいだに二人でよくそのレコードを聴いた。その曲の最後の 部分で、トロンポーンのトラミ 1 ・ヤングはすっかりホットになって、打ち合わせどおりにソロ を終わらせることを忘れ、ラスト・コ 1 ラスを八小節ぶん余分に演奏してしまう。「ほら、ここ のところ」と彼女は説明してくれた。レコードの片面が終わると、裸のままべッドを出て、隣の 皮よそのことを懐かしく 部屋まで *-ÄP-* レコードを裏返しに行くのはもちろん天吾の役目だった。彳 ( 思い出した。そんな関係がいつまでも続くとはもちろん考えてはいなかった。しかしこれほど唐 め 2

10. 1Q84 BOOK2

す。そのホテルの一室で、彼はあなたから筋肉ストレッチングを受けることになります。そこで あなたはいつものことを実行すればいいのですー 青豆はその情景を頭の中に思い浮かべた。ホテルの部屋。ヨーガマットの上に男が横になり、 青豆がその筋肉をストレッチしている。顔は見えない。うつぶせになった男の首筋が無防備にこ ちらに向けられている。彼女は手を伸ばしてバッグからいつものアイスピックを取り出す。 「私たちは部屋の中に二人きりになれるのですねーと青豆は尋ねた。 老婦人は肯いた。「リーダーはその身体的問題を、教団内部の人間の目には触れないようにし ています。ですからその場には立ち会う人間はいないはずです。あなた方は二人きりになりま 「私の名前や勤め先を、彼らはすでに知っているのですか ? 」 「相手は用心深い人々です。前もってあなたのバックグラウンドを念入りに調査しているでしょ う。でも問題はなかったようです。昨日になってあなたに都内の宿泊所まで出向いてもらいたい という連絡が入りました。場所と時間は決まり次第知らせるということです 「ここに出入りしていることで、あなたとのつながりを疑われたりすることはないのでしよう か ? 」 「私はあなたの勤めているスポ 1 ックラブの会員であり、あなたに自宅での個人指導を受けてい るというだけです。私とあなたとのあいだにそれ以上のつながりがあるかもしれないなんて、考 える理由はありません」 青豆は肯いた。