ギター - みる会図書館


検索対象: ノルウェイの森 上
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1. ノルウェイの森 上

レイコさんは冷蔵庫から白ワインを出してコルク抜きで栓をあけ、グラスを三つ持ってきた。 まるで裏の庭で作ったといったよ、つなさつばりとした味わいのおいしいワインだった。レコード が終るとレイコさんはべッド の下からギター・ケースを出してきていとおしそうに調弦してか ら、ゆっくりとヾ ハのフーガを弾きはしめた。ところどころで指の、つまくまわらないところが あったけれど、心のこもったきちんとしたバッハだった。日皿かく親密で、そこには演奏する喜び のようなものが充ちていた。 「ギターはここに来てから始めたの。部屋にピアノがないでしよ、だからね。独学だし、それに 指がギター向きになってないからなかなかうまくならないの。でもギター弾くのって好きよ。小 さくて、シンプルで、やさしくて : : : まるで小さなあたたかい部屋みたい 彼女はもう一曲バ ハの小品を弾いた。組曲の中の何かだ。ロウソクの灯を眺め、ワインを飲 みながらレイコさんの弾くヾッハに耳を傾けていると、知らす知らすのうちに気持がやすらいで 9 きた。ヾソ . 、ゞ ノカ終ると、直子はレイコさんにビートルズのものを弾いてほしいと頼んだ。 の「リクエスト・タイムーとレイコさんは片目を細めて僕に言った。「直子が来てから私は来る日 、も来る日もビートルズのものばかり弾かされているのよ。まるで哀れな音楽奴隷のように」 彼女はそう言いなから「ミシェル」をとても上手く弾いた。 「良い曲ね。私、これ大好きよ」とレイコさんは言ってワインをひとくち飲み、煙草を吸った。 期「まるで広い草原に雨がやさしく降っているような曲」

2. ノルウェイの森 上

が聴こえた。僕はそっと階段を上り、ドアをノックした。部屋に入ると直子の姿はなく、レイコ さんがカーベットの上に座って一人でギターを弾いているだけだった。彼女は僕に指で寝室のド アの方を示した。直子は中にいる、とい、つことらしかった。それからレイコさんはギターを床に 置いてソファーに座り、となりに座るようにと僕に言った。そして瓶に残っていたワインをふた つのグラスに分けた。 「彼女は大丈夫よ」とレイコさんは僕の膝を軽く叩きながら言った。「しばらく一人で横になっ てれば落ちつくから心配しなくてもいいのよ。ちょっと気がたかぶっただけだから。ねえ、その あいだ私と二人で少し外を散歩しない ? 「いいですよ」と僕は言った。 僕とレイコさんは街灯に照らされた道をゆっくりと歩いて、テニス・コートとバスケットボー ル・コートのあるところまで来て、そこのべンチに腰を下ろした。彼女はべンチの下からオレン ジ色のバスケットのポールをとりだして、しばらく手の中でくるくるとまわしていた。そして僕 森 のにテニスはできるかと訊いた。とても下手だけれどできないことはないと僕は答えた。 工 「バスケットボールは ? ウ 「それほど得意じゃないですね」 「じゃああなたいったい何が得意なの ? 」とレイコさんは目の横のしわを寄せるようにして笑っ て言った。「女の子と寝る以外に ? 」

3. ノルウェイの森 上

スイッチを切り、奥から古いギターを持ってきた。大が顔を上げてギターの匂いをくんくんと嗅 いだ。「食べるものじゃないのよ、これ」とレイコさんが大に言い聞かせるよ、つに一言った。草の 匂いのする風がポーチを吹き抜けていった。山の稜線がくつきりと我々の眼前に浮かびあがって 「まるで『サウンド・オプ・ミュージック』のシーンみたいですね」と僕は調弦をしているレイ コさんに一一一口った。 「何よ、それ ? 彼女は言った。 彼女は「スカボロー ・フェア」の出だしのコードを弾いた。楽譜なしではしめて弾くらしく最 初のうちは正確なコードをみつけるのにとまどっていたが、何度か試行錯誤をくりかえしている うちに彼女はある種の流れのようなものを捉え、奈曲をとおして弾けるようになった。そして三 度目にはところどころ装飾音を入れてすんなりと弾けるようになった。「勘がいいのよ」とレイ コさんは僕に向ってウインクして、指で自分の頭を指した。「三度聴くと、楽譜がなくてもだい のたいの曲は弾けるの 工 ・フェア」を最後まできちんと弾い ハミングしながら「スカボロー 彼女はメロディーを小さく ウ た。僕らは三人で拍手をし、レイコさんは丁寧に頭を下げた。 日モーツアルトのコンチェルト弾いたときはもっと拍手が大きかったわわえ」と彼女は言っ 255 た

4. ノルウェイの森 上

うもうと上る黒煙を眺めつつビールを飲んだ。そして緑はギターを弾いて唄を唄った。こんなこ として近所の顰蹙を買わないのかと僕は緑に訊ねてみた。所の火事を見物しながら物干しで酒 を飲んで唄を唄、つなんてあまりまともな行為だとは思えなかったからだ。 「大丈夫よ、そんなの。私たち近所のことって気にしないことにしてるのーと緑は言った。 彼女は昔はやったフォーク・ソングを唄った。唄もギターもお世辞にも上手いとは言えなかっ たが、本人はとても楽しそうだった。彼女は「レモン・ツリー」だの「。ハフ」だの「五〇〇マイ ル」だの「花はどこに行った」だの「漕げよマイケル」だのをかたつばしから唄っていった。は しめのうち緑は僕に低音パートを教えて二人で合唱しようとしたが、僕の唄があまりにもひどい のでそれはあきらめ、あとは一人で気のすむまで唄いつづけた。僕はビールをすすり、彼女の唄 を聴きながら、火事の様子を注意深く眺めていた。煙は急に勢いよくなったかと思うと少し収ま りというのをくりかえしていた。人々は大声で何かを叫んだり命令したりしていた。ばたばたと いう大きな音をたてて新聞社のヘリコプターがやってきて写真を撮って帰っていった。我々の姿 森 のが写ってなければ いいけれどと僕は田 5 った。警官がラウド・スピーカーで野次馬に向ってもっと 工 うしろに退ってなさいとどなっていた。子供が泣き声で母親を呼んでいた。どこかでガラスの割 ウ れる音がした。やがて風が不安定に舞いはしめ、白い燃えさしのようなものが我々のまわりにも ちらほらと舞ってくるようになった。それでも緑はちびちびとビールを飲みながら気持良さそう に唄いつづけていた。知っている唄をひととおり唄ってしまうと、今度は自分で作詞・作曲した

5. ノルウェイの森 上

Ⅷとい、つ不議な唄を唄った。 あなたのためにシチューを作りたいのに 私には鍋がない あなたのためにマフラーを編みたいのに 私には毛糸がない あなたのために詩を書きたいのに 私にはペンがない。 「『何もない』っていう唄なの、と緑は言った。歌詞もひどいし、曲もひどかった。 僕はそんな無茶苦茶な唄を聴きながら、もしガソリン・スタンドに引火したら、この家も吹き とんしや、つだろ、フなとい、フよ、つなことを考えていた。緑は唄い疲れるとギターを置き、日なたの 猫みたいにごろんと僕の肩にもたれかかった。 「私の作った唄どうだった ? 、と緑が訊いた。 「ユニークで独創的で、君の人柄がよく出てる」と僕は注意深く答えた。 というのがテーマなの」 「ありがとう」と彼女は言った。「何もない 「わかるような気がする」と僕は肯いた。

6. ノルウェイの森 上

肥りに行くことは伏せておいた。ただあの寮において親しくつきあっている唯一の男はこういうュ ニークな人物なのだと説明しただけだった。そのあいだレイコさんはギターを抱えて、もう一度 さっきのフーガの練習をしていた。彼女はあいかわらすちょっとしたあいまを見つけてはワイン を飲んだり煙草をふかしたりしていた。 「不思議な人みたいね」と直子は言った。 「不思議な男だよ」と僕は言った。 「でもその人のこと好きなの ? 「よくわからないね」と僕は言った。「でもたぶん好きというんしゃないだろうな。あの人は好 きになるとかならないとか、そういう範疇の存在じゃないんだよ。そして本人もそんなのを求め てるわけじゃないんだ。そういう意味ではあの人はとても正直な人だし、胡麻化しのない人だ し、非常にストイックな人だね」 「そんなに沢山女性と寝てストイックっていうのも変な話ね」と直子は笑って言った。「何人と 寝たんだって ? 」 「たぶんもう八十人くらいは行ってるんしゃないかな」と僕は言った。「でも彼の場合相手の女 の数が増えれば増えるほど、そのひとつひとつの行為の持つ意味はどんどん薄まっていくわけだ し、それがすなわちあの男の求めていることだと思うんだ 「それがストイックなの ? と直子が訊わた。

7. ノルウェイの森 上

138 「でも何かあるだろう。預金通帳とか実印とか証書とか、そういうもの。とりあえすのお金だっ てなきや困るし」 「大丈夫よ。私逃げないもの , 「ここが燃えても ? 「ええ」と緑は言った。「死んだってかまわないもの」 僕は緑の目を見た。緑も僕の目を見た。彼女の言っていることがどこまで本気なのかどこから 冗談なのかさつばり僕にはわからなかった。僕はしばらく彼女を見ていたが、そのうちにもうど 、フでもいいやとい、フ気になってきた。 「いいよ、わかったよ。つきあうよ、君に」と僕は言った。 「一緒に死んでくれるの ? ーと緑は目をかがやかせて言った。 「まさか。危くなったら僕は逃げるよ。死にたいんなら君が一人で死ねよ、 ) ーししさ」 「冷たいのね」 「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわナこま ) 、 ー : ーし力ないよ。夕食ならともかくさ」 「ふ、つん、まあいいわ、とにかくここでしばらく成りゆきを眺めながら唄でも唄ってましよ、フ よ。ますくなってきたらまたその時に考えればいいもの」 「唄 ? 」 緑は下から座布団を一一枚と缶ビールを四本とギターを物干し場に運んできた。そして僕らはも

8. ノルウェイの森 上

跖てそのまま忘れてきてしまったのだ。僕はもう一度下におりて薄暗がりの中に横たわった十本の 水仙の白い花をとって戻ってきた。緑は食器棚から細長いグラスを出して、そこに水仙をいけ 「私、水仙って大好きよ」と緑は言った。「昔ね高校の文化祭で「七つの水仙』唄ったことある のよ。知ってる、『七つの水仙』 ? 」 「知ってるよ、もちろん」 「昔フォーク・グループやってたの。ギター弾いて」 そして彼女は「七つの水仙を唄いながら料理を皿にもりつけていった。 緑の料理は僕の想像を遥かに越えて立派なものだった。鰺の酢のものに、ばってりとしただし まき玉子、自分で作ったさわらの西京漬、なすの煮もの、しゅんさいの吸物、しめしの御飯、そ れにたくあんを細かくきざんで胡麻をまぶしたものがたつぶりとついていた。味つけはまったく の関西風の薄味だった。 「すごくおいしい」と僕は感心して言った。 「ねえワタナベ君、正直言って私の料理ってそんなに期待してなかったでしょ ? 見かけからし 「まあわ」と僕は正直に言った。

9. ノルウェイの森 上

254 「まさか」と女の子は笑って答えた。「こんなところに夜いたら淋しくて死んでしまうわよ。タ 方に牧場の人にあれで市内まで送ってもらうの。それでまた朝に出てくるの」彼女はそう言って 少し離れたところにある牧場のオフィスの前に停った四輪駆動車を指さした。 「もうそろそろここも暇なんしゃないの ? 」とレイコさんが訊ねた。 「まあばちばちおしまいやわねえ」と女の子は言った。レイコさんが煙草をさしだし、彼女たち は二人で煙草を吸った。 「あなたいなくなると淋しいわよ」とレイコさんが言った。 「来年の五月にまた来るわよ」と女の子は笑って言った。 クリームの「ホワイト・ルーム」がかかり、コマーシャルがあって、それからサイモン・アン ・フェア」がかかった。曲が終るとレイコさんは私この歌好 ド・ガーファンクルの「スカボロー きよと一 = ロった。 「この映画観ましたよ」と僕は言った。 「誰が出てるの ? 」 「ダスティン・ホフマン 「その人知らないわねえ」とレイコさんは哀しそうに首を振った。「世界はどんどん変ってい のよ、私の知らないうちに わよと女の子は言ってラジオの レイコさんは女の子にギター貸してくれないかと言った。いい

10. ノルウェイの森 上

それから彼女は「ノーホェア・マン」を弾き、「ジュリア」を弾いた。ときどきギターを弾き ながら目を閉じて首を振った。そしてまたワインを飲み、煙草を吸った。 「『ノルウェイの森』を弾いて」と直子が言った。 レイコさんが台所からまねき猫の形をした貯金箱を持ってきて、直子が財布から百円玉を出し てそこに入れた。 「なんですか、それ ? ーと僕は訊い 「私が『ノルウェイの森』をリクエストするときはここに百円入れるのがきまりなのーと直子が 言った。「この曲いちばん好きだから、とくにそうしてるの。心してリクエストするの」 「そしてそれが私の煙草代になるわけね」 レイコさんは指をよくほぐしてから「ノルウェイの森」を弾いた。彼女の弾く曲には心がこも っていて、しかもそれでいて感情に流れすぎるということがなかった。僕もポケットから百円玉 を出して貯金箱に入れた 「ありがと、つ」とレイコさんは一三ロってにつこり笑った。 「この曲聴くと私ときどきすごく哀しくなることがあるの。どうしてだかはわからないけど、自 分が深い森の中で迷っているような気になるの」と直子はいった。 「一人ばっちで寒くて、そし て暗くって、誰も助けに来てくれなくて。だから私がリクエストしない限り、彼女はこの曲を弾 かないの