人生でいちばんせつない時間、それは女の子をタクシーに乗せて家に帰したあとの一時間ばか りかもしれない べ ッドにはまだ少し彼女の温もりが残っていて、テープルの上には飲みかけのコーヒー・カッ プ、そんな感しだ。まるで水を抜いてしまった水族館の水槽の底に座っているような一時間。本 いや、届きもしないのだ。 を読んでも、レコードを聴いても、頭には何ひとっ留まらない でも少し腹が減ったから、ごはんに納豆をかけて食べる。卵を割ってみたりもする。大根の しつばが残っているので味噌汁まで作る。となるとアジのひらきもほしい。福神漬だって仲間は ー ( ーし力ない。そういえばお中一兀のノリも残っていたな、ということになる。 すれにするわナこま ) 、 それだけを食べ終えた時、アンニュイな気分はもうすっかり消え失せている。不思議なもの コーヒー・カッフ coffee c にで
コ 「そんなもの、どこにだってあるよ」 「でも畳六枚ぶんくらいの看板にただコーヒーとだけ書いてあって、それが空を向いてるんだ ぜ」と僕は抗議した。 「爆撃機よけさ」と彼は欠伸をしてから言った。「赤十字のマークみたいなもんだよ。誰もコー ヒー屋を爆撃したりはしない。違うか ? 」 「違わない と僕は一言った。 北の国道沿いの小さな古い町に、巨大な看板をかかげたコーヒー店があって、今日も人々はそ こでコーヒーを飲み続ける。そこにはコーヒー的な平和があり、そして温かく美味いコーヒーが ある。 「コーヒー」空の上では若い爆撃手が看板の文字を読みあげる。 「コーヒー ? 」と操縦士が言う。 「コーヒーという看板が見えるんだ」 一面に雪が積った二月の午後でなら、それはおそらく素敵な眺めであるに違いない
その店の正面には「コーヒー」という巨大な看板がかかっていた。店の名前もなければ、唄い 文句もない。白地に黒でコーヒー、ただそれだけだった。おまけに少し上を向いているものだか ら、それはまるで空に向ってつきつけた挑戦状のようにも見えた。 何故わざわざそんな看板を取りつけたのか、僕にはよくわからない。通りを行く人が目をとめ るには看板の位置が高すぎたし、それに字だって大きすぎた。僕がその看板に気づいたのは、僕 がその時たまたま車の窓から意味もなく空を見上げていた、という幸運な偶然によるものでしか 僕たちは遠出の帰り道で、ぐったりと疲れていた。ハンドルを握った友人は一一十秒おきに欠伸 をするし、彼のガールフレンドはその隣でぐっすり眠り込んでいた。灰皿はいつばいで、カー ステレオのスピーカーからは、一一月と五月の気温の相違に関するテンプテーションズの唄が流れ ていた。 「コーヒー」と僕は読み上げた。 「コーヒー ? 、と友人が言った。 「コーヒーって書いた看板があった」 コーヒー COffee あくび
「右横の下に、金がある。鍵はついているが思い切りやれば開く。その金で、君を雇いたい 俺は一一一一口われたとおりに開けてみたけれど、金なんかなかった。 、。ムよ、はんと、つに海し 「なんだ。さっきの女、金を入れてなかったのか。ひどし 「俺のギャラは、払えないみたいだね。他の客もなかったのかい 「そういえば、さっき集金人が回収していった。運が悪い。ししー 「しや、俺は義勇軍になればいいわけだな」 「そうしてくれるとありかたい 「よし、わかった」 その後、俺はさっきの女を探したのだが、とうとうわからなかった。 「一生かけても、探してくれ。ぶったり、 蹴ったり、百円玉をねしこんだりしていたぶってく れ」自動販売機は震えながらいった。 あれからもう何年も経ったけれど、俺はあの時の女をまだ見つけていない。 もしかすると、あの依頼主も、この世にいなくなっているかもしれないのに、俺は頼まれた仇 ン イを探し続けている。 ①
清涼飲料水の自動販売機を足で蹴とばしている女がいた 「どうしたの」 「お金を入れたのに、出ないのよ」 当時流行しかかっていたビョンのプーツは、自動販売機にむかって何度もとびかかっていっ た。コンサート会場の狭い通路に、無遠慮な衝撃音が響く。機械のなかで、壜が暴れてガチャガ チャいっている。 女は、かなりしつこく機械を責めていたが、やがてあきらめて楽屋のほうに歩いて行った。 どこかのハンドのグルーピーらし ) 女の姿が見えなくなると、自動販売機は俺に話しかけた。 「海しい。仇討ちをしたい」 「俺に、手伝えというのかい」 コ コ′ 4 ン c 日
い低くなっちゃうんだ」 「まさか」とは一一一一口った。 「いや、本当だよ。残念だな、アイロン台だと 3 。ハーセントくらいだったのにな」 次にをみつけたのは文芸批評家をやっている友人だった。 「これは一見玄関マットのようではあるな」と彼は言った。 「玄関マットそのものだよ」とは言った。 「実証できるか ? 「足拭いてみろよ」 友人は足を拭いた。そしてが玄関マットであることを認識した。「またどうして玄関マッ なんかに ? 「俺のせいじゃない 「俺のせいじゃない ? と彼はくりかえした。「そういう科白はカフカ的というよりむしろカミュ 勺 ) だな」 その次にやってきたのは出版社に勤めているガール・フレンドだった。彼女は玄関マットであ るにつますいて郵便受けで頭を打った。
「お母さんのことを教えてくれ」 「いや、聞かない方がいいー しかし僕がポケットからレヴォルバーを取り出すと、彼はすぐに全てを打ちあけた。 「君のお母さんは去年の夏、反乱軍の奴らに輪姦されて、トラックのパンク修理剤にされちまっ たんだ」 そして僕は三年間スペイン中のトラックのタイヤを調べてまわった。しかし僕はついに母親を みつけることはできなかった。 「親愛なるアーネスト」と僕はヘミングウェイに手紙を書いた。「グレープ・ドロップスについ てその後何かわかったことがあったら教えてはしい」 それ以上は何も知らないからスタインべックに聞いてみてくれ、という返事が返ってきた。僕 スはノーベル賞授賞式に出席したスタインべックをストックホルムでつかまえた。 「ねえ、ジョン、グレープ・ドロップスについて知っていることを教えてくれないか」 「グレープ・ドロップスか」とスタインべックはため息をついた。「そういえば二年ばかり前に プテキサスの小さな町でみかけたよ。その時は脱腸ベルトになっていたなあ」 僕は煙草の量を減らすためにすっとグレープ・ドロップスをなめている。この小文はそんなグ レープ・ドロップスのために書し
しかしそのような幸せな生活は長くはつづかなかった。意地の悪いライオン使いが牛を殺し て、カツレツにして食べてしまったのだ。ライオン使いはビーフ・カツレツに目がないのだ。そ のショックでおじいさんは死に、僕はサーカスを逃げ出して騎兵隊のマスコット大になった。そ して一八八九年のア。ハッチ蜂起では僕は三人のインディアンを噛み殺して「白い牙」という異名 をとった。大統領はホワイト・ハウスに招待してくれたが、僕はそれを丁重に辞退した。僕には 母親を捜すという目的があったのだ。 僕がはじめてグレープ・ドロップスの話を耳にしたのは一九三六年、スペイン戦争当時のマド リッドで、ヘミングウェイとシェー ー酒を飲んでいる時だった。 いまなんて言った ? 「おい、アーネスト、 ヘミングウェイは酔払ってテープルにうつぶせになっていた。僕は彼の頭を思い切りレヴォル ーで叩いてから、氷水をかけた。 「グレープフルーツと彼は叫んだ。 「違う」と僕は言って、もう一度レヴォルバーで頭を叩いた。 「グレープフルーツ」 ヘミングウェイが意識を回復したのは三日後だった。 「グレープ・ドロップスと彼は言った。「そうか、君はグレープ・ドロップスの息子だったの か」
一八〇 , ハ年に父親のグレープ・ドロップスが死んだ時、僕はまだわすか十歳だった。そして僕 は孤児になった。 しかし誰も僕に同情してはくれなかった。その当時は孤児の数は今よりすっと多かったし、そ れになにしろ相手がグレープ・ドロップスなのだ。いったいどこの誰がグレープ・ドロップス孤 児の身を案してくれるというのか。 孤児院の中でも僕は苛められた。そこではオレンジ・ドロップス孤児やレモン・ドロップス孤 児が幅をきかせていたのである。 ス「グレープ・ドロップス ? そんなの聞いたこともねえや」と連中は言った。 で、僕は孤児院を脱走し、サーカスの牛飼い助手となった。牛飼いのおじいさんはとても親切 ロ ドな人で、僕に余分に食事をわけてくれたり、グレープ・ドロップスの話を熱心に聞いてくれたり 「どこかにお母さんがいるんです」と僕は言った。「とても綺麗なグレープ・ドロップスなんで 「ふむふむ、ミルクが飲みたいか」とおしいさんは言った。おじいさんはとても耳が悪いのだ。 グレーフ・ドロッフス grape d 、 0 s
クラブ club ャング向けのバラエティ・ショー番組を観ていた。 番組の後半に、トランプ占いのコーナーがあって、友人たちによれば、それはとてもよく的中 するのだそうだ。 私のさそり座は、その日の連勢は最高なのだという。「転んだひょうしに金の指輪をひろう、 といった感じで、ツキにツィてる週末になりそうです」ジプシーの衣装をつけた女が、自信たっ ぶりに言っていた。 うちょうてん ) つもできない これはよく当る。私はすっかり有頂天になり、その日の計画を練りはしめた。し と思っていたことを、今日こそ勇気を出してやってみよう。私は、当時、まだ、少年だったの 女は、最後に、魚座の占いをしていた。 ひいたカードは、クラブの 5 だった。 「魚座の人、 5 時以降のクラブ活動に注意してください まだ少年だった私だが、なんだか今日はツィてなさそうだぞ、と思って食卓を立った。 その日も、遅刻からスタートした。 ①