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検索対象: 太平洋戦争 (上) (中公文庫)
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1. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

174 ドルマン艦隊の編成 衛は第五戦隊、第二、第四水雷戦隊が担当した。 オランダ海軍 二月二十七日午前二時二七分、 ドルマン艦隊がジャワ海警戒を 軽巡「デ・ロイテル」 ( 旗艦 ) 同「ジャワ」 終えてスラバヤ港に帰ってきたとたん、ヘルフリッヒ中将の命令 駆逐艦二隻 が到着した。 英国海軍 「スラ・ハヤ北方九 0 マイルのパウエン島に日本船団近接中、 重巡「エクゼター」 直ちに攻撃せよ 駆逐艦三隻 オーストラリア海軍 この日本船団は、フィリ。ヒンからきた第四十八師団と坂口支隊 軽巡「バ をのせたものだった。わずか九〇マイルに接近しているとあって 米国海軍 は、作戦会議をしている暇はない。・ トルマン少将は直ちに出撃を 重巡「ヒューストン」 駆逐艦四隻 決意した。たた、なにぶんにも四カ国連合艦隊、それも最初から ( ほかに一隻修理中 ) の編成ではなく、日本軍の南進にともなって、フィリ。ヒン、シン 一四隻 ガポールなどから逃げてきた米英豪艦隊とオランダ艦隊が合成さ れたものだけに、共通の戦術暗号もなく、出撃命令ひとっ下すにも、手間がかかった。 たとえば、米国艦隊への命令はまず旗艦「デ・ロイテル」 ( オランダ ) にのっている米連絡将校 に命令書を渡す。将校はそれを重巡「ヒーストン」に伝え、「ヒ「一ーストン」から電話で四隻 の米駆逐艦に指示が与えられる。英、オーストラリア部隊にも、それそれ発火信号で伝えねばな らない。したがって、命令はつねに簡単にする必要があったが、このときも至って短文だった。 計

2. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

87 マレー沖海戦 時四〇分、山下奉文中将の第二十五軍司令部と第五師団主力が一四隻の輸送船でシンゴラに、午 前二時、第五師団歩兵第四十二連隊 ( 安藤忠雄大佐 ) その他が三隻の輸送船で。ハタニーに上陸した。 シンゴラ、 パタニーの日本軍は、高さ約二メートルの荒波に悩まされたほかは、抵抗をうける ことなく、無血上陸に成功 ン団バ マレー半島英軍配備図 したが、コタ・ハルでは、潮 、ノ 流に流されて、インド第八 っムア【の『 , 旅団第三 / 一七ドグラス大 2 リ士 団士 隊の防御陣地の正面に上陸 レ、ノ したため、激戦となった。 ス また、コタ・ハル飛行場か ら発進した爆撃機、戦闘機 の攻撃により、輸送船三隻 6 第クげ は一隻が沈没、二隻が大中 、 1 、 / 万代ラクハ 破の損害をうけた。しかし 0 士 0 を 佗美少将みずからが軍刀を 飛ふるって突撃、将兵もまた、 ロ 中にはクツを輸送船でぬい ーー第 5 師団主力 第 5 師団一部 = : -- 一花美支隊 バタこ 日本上陸部隊 クアラルン屮ル 0 十 インド第 3 軍今部 ンド第 9 師団ロ ポートデソン インド第に歩兵放団 ] ス マ ゾール

3. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

240 南雲中将、運命の決定 〔〇八〇〇〕ヘンダーソン隊と隊の攻撃の真最中に、「利根ー索敵機から無電が入った。 「敵ラシキモノ一〇隻見ュ、 ミッドウェーヨリノ方位一〇度、二四〇マイル、針路一五〇度、 速カ二〇 ( ノット ) 以上」 南雲部隊は色めいた。敵艦隊には違いないが、機動部隊だろうか。だが、ハワイからミッドウ エーまでは一〇〇〇マイル以上ある。 ミッドウェーからの急報でかけつけてきたにしては、少し 早すぎはしないか。 「利根」機の電報は七時二八分発。中継のため南雲中将に届くのが遅れたのである。中将は返電 「敵艦種ヲ知ラセー 「利根」機は答えた。 「敵兵力ハ巡洋艦五隻、駆逐艦五隻ナリ」 機動部隊ではなかったと南雲中将がホッとしていると、八時二〇分、また「利根」機は報告し 「敵ハソノ後方ニ空母ラシキモノ一隻伴ウ」 ″らしきものとはなんだと思ううち、八時三〇分、三たび「利根」電が入った。 こ 0

4. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

ラハン少将は戦死した。同時に、コントロールを失った「サンフランシスコ」の主砲が軽巡「ア トランタ」に射ち込まれ、サポ島沖夜戦の勝者ノーマン・スコット少将を吹き飛ばした。米国側 はこの「アトランタ」のほか、駆逐艦四隻を失い、被弾しなかったのは駆逐艦「フレッチャー だけだった。日本側は戦艦「比叡ーと駆逐艦二隻を喪失した。「比叡」は命中弾八五発、魚雷二 発を受けたが、なお波間に漂いつづけ、翌朝、ガ島飛行場からの米急降下爆撃機七、雷撃機一八 の攻撃でやっと撃沈された。 十四日、日本輸送船団は、ラッセル島西北海面で一〇六機の空襲を受け、六隻沈没、一隻が落 伍した。このため、第二艦隊司令長官近藤中将は、戦艦一、重巡二、軽巡二、駆逐艦九を率いて 残る四隻の護衛にあたった。 十五日午前一時一六分、サポ島沖に待ち構えていたウィリス・ ー少将の戦艦二、駆逐艦四は、 レーダーで近藤部隊を発見、つづいて無線電話に日本語の話し声をキャッチした。期せずして近 死 藤部隊もリー艦隊を発見、重巡「愛宕ーのサーチライトがきらめくと同時に、両艦隊の砲弾が飛 の 島 び違った。海戦は約一時間つづき、日本側は戦艦「霧島」、駆逐艦一を失い、米国側は駆逐艦一 カ沈没、戦艦「サウスダコタ」、駆逐艦一が大破した。 その間、輸送船四隻はタサファロング海岸に入泊したが、夜明けとともに空襲を受けた。人員 二〇〇〇人、野山砲弾薬二六〇箱、米一五〇〇俵を揚陸したが、四隻ともに炎上した。 第十一戦隊司令官阿部弘毅中将は、所属の戦艦「比叡」「霧島ーを失い、「こんなことなら、ひ

5. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

ことは考えられない。では北か。ありうるが大作戦の必要はない。残るところは中部太平洋であ る。ふたたびハワイだろうか。 サンゴ海海戦の結果は、日本の戦術的勝利、米国の戦略的勝利だったと評価される。日本側は 米空母二隻を撃沈破したが、ポートモレスビー攻略を中止し、開戦以来はじめて、その破竹の進 撃にストップをかけられたからである。だが、当時の米海軍にとっては、長い目で見た戦略的勝 利などは問題ではなかった。太平洋艦隊が保有する空母は五隻。そのうち「レキシントン」が沈 ハワイ南西五〇〇マイルでイ 6 潜の攻撃を んだ。残る四隻のうち、「サラトガ。は一月十一日、 受けて大破、太平洋岸の・フレマ ートン基地で修理中である。残るは三隻。ところが、「ヨークタ ウンーも大破された。その損害の程度にもよるが、いずれにしても至急の間には合わない。して で太平洋を守らねばならない。 戦みればたった二隻、「エンタープライズ」と「ホーネット ニミツツ提督としては、山本長官がどこにくるか、なんとしても正確に見きわめねばならなか 工 ウ った。見当違いの場所を守ったり、時期を誤ったりしては、太平洋は完全に日本の支配下におか れるからである。解読された電報によると、山本長官が考えている大作戦の目標は″とな 襲っている。″〃とはどこか。 ニミツツ提督ま、ミ ッドウェーに海兵隊の急降下 京ワシントンの海軍作戦部はハワイと考えた。 爆撃機一六、ワイルドキャット戦闘機七、海軍哨戒飛行艇三〇、爆撃機一八、 % 爆撃機四 つまりハワイからさけるだけの全航空機を増派し、さらに高射砲大隊、歩兵一一〇〇〇人、潜

6. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

202 ″南方籠城〃か″攻勢防御れか 南方作戦が終ると、日本はビルマ、タイ、マレー、蘭印、フィリビンその他の東南アジア地域 を支配下におさめ、版図はさらに中部太平洋からニ = ーギニアにまで広がった。 米太平洋艦隊主力をはじめ、英、オランダ、オーストラリアの極東艦隊は海底に沈み、太平洋 からインド洋にかけて、南海を波だたせるのは、日本艦隊だけになった。 捕えた連合軍の捕虜は実に二五万人。撃沈した敵艦一〇五隻、大中破九一隻、撃墜した敵機は 海軍だけで四六一機、爆破炎上一〇七六機。これにたいして、日本側の損害は戦死約七〇〇〇人、 戦傷約一万四〇〇〇人、失った飛行機は陸軍四四〇機、海軍一一三機、艦船は二七隻を損失した 巡洋艦以上の大型艦は一隻も沈んでいない。まさに大戦果である。東京神田の共立講堂で開 かれた戦捷第二次祝賀大会では、海軍報道部課長平出英夫大佐が、 「西にロンドンで入城式というときに、東で = : ーヨ : クで観艦式 : : : その日が最後の戦捷 東京空襲とミッドウェー海戦

7. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

ラット大尉に報告すると、大尉は「間違いないかーと反問したあと、「イエス」の返事をきくと、 「とにかく射ってみろ」と一二・七ミリ機銃の射撃を命した。 銃火に照らしだされたのは高野中隊の二隻の大発だった。岸辺の波にゆられながら、適当な接 岸点を探している様子だった。プラット大尉は、三人の部下を呼び、岸にかけよって、大発めが けて手榴弾を投げた。一発が一隻にとびこみ、火炎と煙を吹きあげた。直ちに高野中隊も応射し、 一隻はそのまま真一文字に海岸に殺到、他の一隻はウ = 1 キ本島西端の第一兵営前の砂浜にのり あげて、灌木の中に布陣した。 デブルー少佐は、ウイルクス島からの連絡をうけると、飛行隊のパトナム少佐らを飛行場西端 略の機銃陣地に配置した。ウイルクス島の六〇インチ探照灯が海上をぐるりと照射する光の中に、 島飛行場前面の海岸に突っこむ哨戒艇二隻の姿が浮かびあがった。 ハンナ少尉の三 一午前二時五六分、哨戒艇は浅瀬にのりあげた。その前面に位置したロバー ウ インチ砲が火を吹き、第三十三号哨戒艇の艦橋に命中し、つづいて第三十二号も燃えあがった。 しかし、内田、板谷中隊は、燃える哨戒艇から暗夜の海にとびこみ、飛行場をめがけて進んだ。 ン カニンガム中佐は、、 / ワイに打電した。 「敵明ラカニ上陸中トミラル フ この期におよんで不明確な報告だが、それというのも、島も海も真暗で、おまけにスコールは やってくるし、電話線は切断されてデ・フルー少佐とも、ウイルクス島とも連絡がとれなかったか 119

8. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

176 て沈没、さらに高木少将の重巡「那智ー「羽黒」に遭遇した。今度は、日本艦隊も近距離に突っ こみ、旗艦「デ・ロイテル」とオランダ軽巡「ジャワ」が、相次いで魚雷攻撃により撃沈された。 ・ウォ 1 ーラ ドルマン少将は戦死し、艦隊の指揮はオーストラリア軽巡「パ ース」の艦長へクター ー大佐にゆだねられた。 翌二十八日、連合国艦隊はオーストラリアに脱出することになった。午後五時、まず米駆逐艦 四隻がスラ・ハヤ港から・ハリ海峡を通って出ていった。午後七時、英重巡「エクゼター」が英駆逐 艦「〒ンカウンター」と、修理のためスラ・ハヤ港にとどまっていた米駆逐艦「。ホープーに守られ、 スンダ海峡回りでオーストラリアに向かった。午後八時、最後の二隻、米重巡「ヒューストン」、 。ハース」が、同じくスンダ海峡に向かった。 オランダ軽巡「 午後一〇時三九分、今村中将の第十六軍主力は、すでに・ハンタム湾に集結して、上陸準備の真 最中だった。「ヒューストン」と「。、 / ースーの接近は、いち早くジャワ島西端をパトロール中の 日本駆逐艦によって察知され、新たに第七戦隊の重巡「最上」と「三隈」が北西から戦場に急行 した。午後一一時二六分、「ヒューストンーと「。 ハース」は日本の駆逐艦四隻、軽巡一隻にとり まかれた。駆逐艦からの青白い探照灯が、二隻を夜空に浮きあがらせた。一一時四八分、「三隈」 と「最上」の砲撃が「パース」に集中し、「。 ハース , は吃水線、水兵食堂、艦首ポイラー室に命 中弾を受け、約三〇分後に沈没した。 バンタム湾の輸送船団は、目前に展開された「。ハタビャ沖海戦」にかたずをのんでいたが、突

9. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

「われに続け。敵は九〇マイル前方にあり」 ドルマン艦隊にたいして、高木武雄少将の指揮する日本部隊は、第五戦隊の重巡「那智」「羽 黒」、第二水雷戦隊 ( 田中頼三少将 ) の軽巡「神通ーと駆逐艦七隻、第四水雷戦隊 ( 西村祥治少将 ) の軽巡「那珂」と駆逐艦六隻だった。ドルマン艦隊が一四隻、高木部隊が一七隻。数のうえから は圧倒的な差はなかったが、高木部隊はドルマン艦隊にない偵察機三機を持ち、二十七日午後三 時一五分 、ドルマン艦隊が気づく約一時間前に、その所在を探知した。 この日の「スラバヤ沖海戦」は、午後四時一五分、二万五二〇〇メートルの距離から発射され た「那智」「羽黒」の第一斉射で火ぶたがきられ、午後六時二二分、ドルマン艦隊の退避でいっ たんうちきられた。 この海戦は、太平洋戦争における最初の艦隊戦闘だったが、日本側は警戒しすぎたのか、終始 戦 略二万五〇〇〇メートル前後の遠距離から砲雷撃を行なった。そのため、発射された一二一本の魚 島雷は、あるいは敵艦到達前に自爆したり、命中しなかったりで、効果をあげたのは、オランダ駆 逐艦「ケルテネル」を轟沈させた一本だけだった。砲撃のほうも、偵察機三機が弾着観測にあた りながら、主砲弾のほとんど全部を射ちつくして、成果は、英駆逐艦「エレクトラー撃沈、英重 巡「エクゼタ 1 」中破にとどまった。 蘭 反転したドルマン艦隊のうち、米駆逐艦四隻は戦場を離脱したが、残りは午後九時、再び日本 船団を求めて北上した。ところが、英駆逐艦「ジュ。ヒター」がオランダ側で敷設した機雷にふれ

10. 太平洋戦争 (上) (中公文庫)

246 電信機故障のために報告でぎなかったが、敵空母は三隻いるという。山口少将は直ちに友永大尉 に雷撃機一〇機、戦闘機六機を率いて出発を命じた。 ッドウェー攻撃のさい、左翼燃料タンクに被弾し、片道の燃料だけしか積めなかっ 友永機はミ た。部下は、自分の機を使うよう申し出たが、友永大尉は「いいよーとほほ笑んで、片道燃料を 積んだだけで出発した。 友永隊は空母一、重巡一を大破したと報告し、山口少将は米空母三隻のうち二隻に打撃を与え たと考えたが、友永隊の目標は小林隊と同じ「ヨ , 、クタウン」だった。魚雷三本が命中し、「ヨ 1 ・クタウン」は波間に停止した。 〔一五三〇〕ス。フルーアンス少将は、「飛屯」攻撃のために、ウィリアム・ガラ ( , 、大尉の急 降下爆撃機二四機を発進させた。 〔一六三〇〕山口少将の手もとには、小林、友永隊生き残りの戦闘機六、爆撃機四、雷撃機四、 計一六機しかなかった。たが、敵空母も活躍できるのは一隻のはずだ。山口少将は夕暮れの薄闇 にまぎれて攻撃しようとした。 夜明けからいままでに「飛竜」を襲った敵機は延べ一一五機、魚雷二六、爆弾七〇発を回避し た。乗組員は攻撃にそなえて腹ごしらえをした。戦闘食は大きなボタもちだった。かぶりつく口 の中に甘味がとろけた。 〔一七三〇〕太平洋に太陽が沈もうとしていた。「赤城、「加賀、「蒼屯」の三空母は、黒煙を