次のように指令した。 ①サイ。ハン砲撃用に分派された巡洋艦八、駟逐艦二一は、十七日に第五八機動部隊に復帰す る。 ②サイバン島にたいする揚陸は十七日昼間までとし、日没後はの一部を除いた全輸送 船はサイバン東方に退避する。 ③ターナー中将指揮の旧式戦艦群は、サイバン西方二五マイルに進出、上陸援護にあたる。 ④ェニウェトクから飛行艇六機を動員し、十七日以後サイバン西方六〇〇マイルを哨戒にあ たらせる。 スミス中将は、さっそく予備の第二十七歩兵師団も上陸させ、サイバン攻略をス。ヒードアップ することを約東した。ス。フルーアンス大将は満足し、自分はミッチャー中将の第五八機動部隊と 、つしょに日本艦隊に向かう、とスミス中将に別れを告げた。スミス中将は、しかし、と大将を 呼びとめてたずねた。 失「ジャップは途中で尻尾をまいて逃げるんじゃないでしようか 島 ン 「いや、こんどは違う」と、大将は答えた。「彼らは大きなゲームを目ざしている。小さな勝利 イで満足するつもりなら、ビアク方面に小兵力をさしむけるだけでよい。だが、マリアナ攻撃は、 日本海軍にとっては、無視できない挑戦だ」 その夜、海兵隊の橋頭堡を、小川大佐の第百三十六連隊、唐島中佐の横須賀第一特別陸戦隊、
八〇機を発艦させていたので、直ちに攻撃に向かい、早くも駆逐艦一 ( 「秋月」 ) 轟沈、軽空母一 ( 「千歳」 ) 撃沈、軽空母一 ( 「千代田」 ) 、大型空母一 ( 「瑞鶴」 ) 航行停止など、続々と戦果が入ってき ている最中である 。ハルゼー大将にしてみれば、手負いの栗田艦隊など、護衛空母一六隻、旧式 戦艦六隻で十分処理できると考えたのである。 だが、キンケイド中将にとっては、事態はなまやさしいものではなかった。ォルデンドルフ部 隊の弾薬は、五日間にわたるレイテ島上陸支援射撃と西村部隊との戦闘で、ほとんど涸渇してい た。さらに午前七時四〇分、ス。フレイグ中将の護衛空母隊が突然、四機の日本戦闘機に襲われた。 あっという間に一機が空母「サンティ」の甲板に激突、つづく二機はそれそれ「サンガモン」と 「ベトロフべイ」を狙ったが、対空砲火で撃墜された。残る一機はしばらく上空を旋回していた が、同しく空母「スワニー の甲板に突入した。 この日午前六時三〇分、ダバオ基地を出発した、太平洋戦争最初の神風特別攻撃隊、「朝日隊。 「菊水隊ーの上野敬一一等飛行兵曹ら三機と直援機だった。被害は大したことなく、二時間後に は両艦とも戦闘に参加できたが、キンケイド中将にとっては、まさに危機だった。作戦参謀リチ 海 ャ】ド・クルーゼン大佐は、もし機動部隊の近接を知ったら、栗田中将が慎重になり、あるいは 島引き返すかも知れないと考えノ / 、、レゼー大将あての救援依頼と「二時間以内に救援に向かう」と いう返事を平文で電話したりした。キンケイド中将は、その程度の謀略の効果には期待せず、な おもハルゼー大将に第三四機動部隊派遣を要求した。大将は戦場に近づいているマケイン隊に急
282 進を命じ、その旨をキンケイド中将に伝えて北進した。 すると、このやりとりを傍受していたグアムのニ ミツツ大将から、ハルゼー大将にたいして午 前一〇時、「第三四機動部隊いずこにありや」という電報が届いた。しかも、のちにニ、、 令部の暗号係士官のミスとわかったが、「全世界は知らんと欲す」という一句がつけたしてあっ こ。ハルゼー大将はこんな侮辱はないと怒り、帽子をデッキに叩きつけてわめいた。そして、そ んなに助けて欲しいのかとばかり、第三四機動部隊に変針を命するとともに、あとはミッチャー 中将に任せて、自分もポーガン隊といっしょに南下した。 ところが、すでにレイテ沖では事態が一変していた。午前九時一一分、栗田艦隊はレイテ湾ま で二四マイルの地点で突然、反転したのである。おかげで、重巡「利根」「羽黒」に一万メート ル以内に追尾されていたスプレイグ部隊は、虎口を脱した思いでレイテ湾に逃げこんだ。 レイテ″決戦〃ならす この栗田艦隊の変針で、レイテ海戦は終った。栗田艦隊はその後再びレイテ湾に向きを変えた が、またもやスルアン島北方四三マイルの地点で反転して戦場を去ったからである。「大和」の 艦橋にあった第一戦隊司令官宇垣中将は、大いに不満たった。 「一一二〇の頃に至り何を考えたか針路を二二五度として、レイテ湾に突入すと信号せるが 一三一三再び動揺してレイテ湾突入を止め : : : 大体に於て闘志と機敏性に不充分の点あ
キンケイド中将は、レイテ湾東側にスプレイグ中将の護衛空母部隊、湾の南スリガオ海峡入口 にオルデンドルフ中将の旧式戦艦部隊を配置していた。西村部隊の接近を知り、オルデンドルフ 中将には午後一一時四三分、夜戦準備を発令すみだった。ハルゼー大将の連絡を受けると、頼りに なる機動部隊がいなくなることに不安を感じたが、キンケイド中将の頭はそのとき、思いがけな い難問に悩まされていた。 夜戦準備命令が発せられると、巡洋艦「ナッシュビルーのコニー艦長は、勇躍した。そこで、 まだ「ナッシュビル」にいるマッカーサー大将にたいして、戦闘がはじまるから陸上に移るよう 要請した。ところが、マッカーサー大将は、「結構なチャンスだ。まだ海戦を見たことがないの で、・せひ同行しようーといった。万一のことを考え、コニー艦長はキンケイド中将に指示を抑い だ。キンケイド中将も大将の身を案じ、自分の上陸作戦司令艦「ワスカッチ」に移ってはいかが かと勧告した。マッカーサー大将は憤然とした。 「戦闘艦から非戦闘艦に移れというのかね。とんでもない。私が見たいのは海戦だ」 キンケイド中将はついに「ナッシュビルーの戦闘不参加を命じ、コニー艦長とマッカーサー大 海将はただ砲声に耳を傾けるたけで満足することになった。 午後一一時、キンケイド中将がようやくマッカーサー問題の解決に一息ついたころ、オルデン ドルフ中将は、レーダ 1 、が西村部隊をキャッチしたとの報告を受けた。中将は《第一陣に魚雷艇、 次に三層の駆逐艦陣、そのあとに巡洋艦、最後に戦艦という六段構えの防御体制で西村部隊を迎
中部ソロモン諸島図 べララベラ島 コロンバンガラ島 りう 飛行場・ー へう コノンガ レンドバ島 バングヌ島 テチバリ 米軍は完全に戦意を失い、ヘスタ 1 少将はノイロ ーゼ状態になってしまった。ハルゼー大将は第三十 七師団、ついで第二十五師団も投入し、結局総兵力 三万三七〇〇人でその一〇分の一の日本軍と対峙す る形になった。 しかし、ジャングルを完全に平地化する砲爆撃に さらされ、夜襲、斬込みを繰り返すうちに、日本軍 の兵力は次第に消耗していった。第二百二十九連隊 は八〇〇人に減少した。七月二十九日、後退命令が 出された。へスター少将は疲れはてて、副師団長ジ ョン・ホッジ代将と交代した。八月三日、第四十三 師団は、佐々木少将が撤退したムンダ飛行場に突入 した。そのニュースを聞いた南太平洋方面陸上部隊 ーモン中将は、嬉しさをこめて 司令官ミラード・ ハルゼー大将に報告した。 「いまや、ニップ ( 日本軍 ) にたいする狩猟解 禁シーズンが訪れた : : : 太陽は美しく輝いてい
一、大本営 ( 決戦方面ヲ比島正面ト概定シ決戦ノ時期ヲ十月下旬以降ト予定ス 二、南方軍総司令官、支那派遣軍総司令官、台湾軍司令官ハ概ネ十月下旬ヲ目途トシテ夫々 ソノ任務達成ノ為作戦準備ヲ整ウペシ 三、細項ニ関シテ ( 参謀総長ヲシテ指示セシム 昭和十九年九月二十二日 参謀総長梅津美治郎 奉勅伝宣 南方軍総司令官伯爵寺内寿一殿 支那派遣軍総司令官畑俊六殿 安藤利吉殿 台湾軍司令官 て決戦時期は″十月下旬以降〃というのは、少なくともあと一カ月以内に米軍の来攻はあるまい という判断である。それは、十月五日にな 0 て第十四方面軍司令官を更迭したことからも裏づけ をられる。方面軍参謀からとかくの尊のある黒田中将を山下奉文大将にかえたのには、シンガポー ル攻略の勇将″マレーの虎〃の指揮に決戦成功を期待したからだが、満州にあった山下大将をこ の期になって送ったのは、″決戦未だし〃と考えたからにほかならない。 しかし、この予想ははずれ、山下大将がマニラに着任した ( 六日 ) 十二日後には、レイテに二 フ 〇万のマッカーサー軍が殺到するのだが、しかもその前に、日本側はいま一度大きな痛手を受け ねばならなかった。台湾沖航空戦である。
244 ハルゼー大将の幕 参謀長 ロバート・カーニー少将 ーー台湾沖航空戦 作戦主任参謀ラルフ・ウイルソン大佐 ハルゼ 1 大将の幕僚は、カーニー参謀長以下七人で構 航空参謀ホレス・モルトン大佐 成されていたが ( 上表参照 ) 、彼らはみずからを″卑劣な 通信参謀レオナード・ドウ大佐 計画局〃と呼んでいた。戦争初期に、誰かが「なんとか 情報参謀 マリオン・チーク大佐 日本軍をやつつける卑劣な計画はないものかーと叫んだ 作戦副参謀 ーバート・ホーナー大佐のをきっかけに、日本軍打倒のための計略案出を誓いあ 戦務副参謀ハロルド・スタ , セン中佐ったからである。そして、台湾沖航空戦も、まったく ″卑劣な計画局〃の演出によって行なわれた。 十月九日、ハルゼ ! 大将は、重巡三、駆逐艦七を分派し、指揮官アラン・スミス少将に「でき るだけ騒々しく動いて、大艦隊接近の印象を日本に与えろ」と命じた。スミス少将は、南鳥島を 襲い、砲撃を加えるとともに、煙幕をはり、吊光弾をうちあげるなど、大将の計画達成につとめ た。翌十日朝、日本側の注意をひいたと思った ( ルゼー大将は、沖縄、奄美大島、南大東島、宮 古島などに約三四〇機を飛ばし、爆弾五四一トン、ロケット弾六五二発、魚雷二一本を投下した。 日本側の損害は、飛行機四五機、艦艇一三、船舶四隻を数えた。フィリビン視察の帰途、台北に いた豊田連合艦隊司令長官は「基地航空部隊捷一号、捷二号作戦警戒」を発令し、第五十一航空 戦隊は関東、第三艦隊は南九州に進出するよう命じた。 ″卑劣な計画れ
まだるい戦闘ぶりに不満を抱いていた。いままた前進をためらうとは、なんたるふがいなさか。 中将は二十四日朝、第二十七歩兵師団長ラルフ・スミス少将に通告した。 「総司令部は、第二十七師団が六月二十三日、命令された時刻に攻撃開始に失敗したこと、 さらに小火器および迫撃砲の反撃に出会っただけで目標 0 ー 5 の奪取に失敗した同師団の攻 撃精神の欠如にたいして、きわめて不快の念を抱くものである : : : 第二十七師団は、命令ど おり前進と目標占領のために速やかなる措置をとるよう、指令される」 スミス中将は、この通告を送ると同時に地図をわしづかみにして、司令艦「ロッキ 1 マウン ト」に急ぎ、ターナー中将をさそって重巡「インディアナポリス」のスプルーアンス大将を訪れ た。地図をたたき、窓ガラスも破れよと大音声をはりあげて、第二十七師団の意気地なさを責め た。スプルーアンス大将は、ではどうすればよいのか、と中将に反問した。 「ラルフ・スミス ( 少将 ) は、明らかに彼が戦意を持ち合わせていないことを証明しました。 彼の師団はわれわれの前進を遅滞させています。彼は解任されるべきであります、 中将はその後任として、とりあえずサンダフォード・ジャーマン少将をあて、のちに然るべき 指揮官を任命すべきだと提案した。ターナー中将がスミス中将を支持し、ス。フルーアンス大将は 承諾した。直ちに、スミス少将解任が発令されたが、おさまらないのはスミス少将とその部下で 日本軍がしぶといからで ある。第二十七師団の前進が遅れているのは、師団長のせいではない。 ある。まして、スミス少将は″マキンの英雄〃であり、陸軍の誇りである。その少将を一方的に
262 「武蔵」シプャン海に沈む 二十三日未明、潜水艦「ダーター」の日本艦隊発見の報が、ハルゼー大将に届いたとき、第三 八機動部隊のうち、マケイン中将の第三八・一機動隊はウルシー泊地に向かっていた。ャップ空 襲をかねて休養をとるためであるノ / 。、レゼー大将は直接機動部隊の指揮をとることにし、シャー マン少将の第三八・三機動隊をルソン島東方、ポーガン少将の第三八・二機動隊をサンベルナル ジノ海峡沖合、ディビソン少将の第三八・四機動隊はレイテ沖と、南北一二五マイルの線に配置 した。ハルゼー大将は旗艦「ニュージャージー」に乗ってポーガン隊とともに行動し、 ー中将は空母「レキシントン」にあってシャーマン隊に加わった。 二十四日午前八時一〇分、ポーガン隊の偵察機が報告した。「ミンドロ島の南端沖に戦艦四、 巡洋艦八、累逐艦一三、針路五〇度、速カ一〇ないし一二ノット : : 」。ハルゼー大将はワシン トンのキング作戦部長、グアムのニ ミツツ大将、レイテ湾内のキンケイド中将、そしてシャーマ ン、ディビソン少将に敵発見を伝えた。ついで、シャーマン、ディビソン両隊にーガン隊との 合同を命じ、ウルシーに向かうマケイン隊にも反転、洋上補給を指令した。そして、八時三七分、 全部隊に「攻撃せよ、ただ攻撃せよ。武運を祈る」と電話指令、同八時四五分、ポーガン隊の空 母「イントレ。ヒッド」「カボット」「インデベンデンス」から戦闘機三一、雷撃機一六、急降下爆 撃機一二が、まず栗田艦隊を求めて発進した。
第五八機動部隊も含めて、ス。フルーアンス大将麾下の艦隊の使命は、サイバン攻略の達成にあ る。だから、日本艦隊接近を知っても、あくまでサイバン近海を離れず、上陸部隊を守る形で防 戦しなければならないわけだが、 ミッチャー中将は心配だった。日米の艦載機をくらべた場合、 米国機は装甲と燃料タンク防弾板のため重量がかさみ、行動半径は二〇〇マイル以下である。だ が、日本機は攻撃一点ばりの軽量なので、三〇〇マイル以上飛べる。サイバン近海にうろついて 敵を待っことは、日本母艦機の一方的攻撃を受け、さらにグアム、硫黄島方面からの基地航空部 隊に襲われる危険もある。中将は、むしろ積極的 第五八機動部隊 に日本艦隊にたちむかう攻勢防御方式のほうが有 大型空母「レキシントン」「ホ】ネット」「ヨークタ 利だと判断し、十八日夜、ス。フルーアンス大将に ウンー「バンカーヒル」「ワスプ」「エンター プライズ」「エセックス 意見具申した。だが、大将は作戦目的の変更は認 小型空母「バターン」「カボット」「べローウッド」 、、ツチャー中将は不安を覚えながら、サイ 「モントレー」「プリンストン」「サンハシ 。ハン西方を右往左往することになった。 ント」「カウペンスー「ラングレー」 陥戦艦「アラバマ」「サウスダコタ。「インディア 小沢中将も、不安を感じていた。たしかに、小 島 ナー「ニュ ージ 1 」「アイオワ」「ワ ン 沢中将は、ミ ッチャー中将が予感したように、敵 シントンー「ノースカロライナ」 イ の鋒先の届かない距離から相手を襲う″アウトレ 重巡三、軽巡六、防空巡四、駆逐艦五八 サ 総計九三隻ンジ〃戦法を採ることにしていた。もし米艦隊を 艦載機 計九〇二機 確実に撃減しようと思えば、タウイタウィ集結時