「麦茶でよろしいでしようか」 「コーヒーにしてくれ 「副社長はいかかしましよ、つ」 「わたしもコーヒーをお願いします」 「かしこまりました」 綾子が退出したあとで、一一人はしばらく無言で対峙していたが、しびれを切らした吉岡がいら だった声を発した。 こんたん 「要するに、きみはマイクに喧嘩を売って、あと足で砂をかけようっていう魂胆なんだな」 「マイクを説得できる可能性はゼロではないと思いますけど」 マイクとぶつかるくらいなら、黙って辞めてもらった 「ゼロだ。一バーセントの可能性もない。 ほうがいいな。口止め料として、一千万円は返済せんでいい」 ターソンと吉岡のはからいで、一千万円が 西田の年俸は三千一一百万円に決められていたが、パ スカウト料として支給されていた。 マネジメント・コンサルティング・イン・エグゼクテイプサーチ、俗にい、つヘッドハンターに スカウトを依頼すれば年収の三五パーセント程度をプロフェッショナル・フィーとして支払わな ければならない。一千万円はほばそれに見合う金額なので、西田はさほど抵抗なく受け取った。 2 2
「つまり、ライアン社に、ケンの提案が伝わっている可能性があるっていう訳だな」 「おっしやるとおりです。 QßQ がウエストン社のアドバイザーになれるかどうか微妙ですが、わ たしが心配するのは、ライアン社に先を越されることです。いかがでしよう、ワイツマン会長か ら、あすにでもライアン社のウエルディ会長に、対等合併の提案をしていただくのがよろしいと 思いますが」 さすがに堪えた。 と言いそ、つになったが、 西田は、 eoga をもちかけた可能性も否定できない、 O とは、テーク・オー ・ビット、株式公開買付け、敵対的買収とも言われている。 「分かった。電話ありがとう。ケンの立場を配慮して、ワイツマン会長が自分の判断でウエルデ イ会長に話すことにしよう。つまり、今夜のきみの電話はなかったことにするよ」 「ご配慮感謝します」 「ダイヤモンド・プラザーズがウエストン社のアドバイザーであることは、明かしていいんだろ 「けっこうです。どうせ分かることですから」 「それにしても急展開してきたっていうか、にしくなってきたというか、お互い大変だねえ」 「ミスター ・ドナーのほうが大変だと思います。対等合併交渉を詰めなければならないのは、あ なたですから」 一一「ケンを頼りにしてるからな」 「ウエストン、ライアン両社の対等合併の実現を祈るのみです こら
「身に余る光栄です。ひと晩だけ考える時間をください。あす、午後一時からグランド・ワイレ ・ドナー、ミセス・ドナーにはおい ア・シーサイド・チャベルで結婚式を挙げますが、ミスター でいただけるのでしようか」 「オプコース。そのためにハワイに駆けつけてきたんじゃないか。いまの話はついでだよ」 ドナーのくばんだ青い目が笑っていたが、 ついでは結婚式のほうだと顔に書いてあった。 「ひと晩じっくり考えてもらおう。なんなら返事は帰国してからでもけっこうだ」 「考える時間はひと晩で充分です。ワイフはもうその気になっているようですが、お断りするこ ともあり得るとおばしめしください。むしろ、その可能性のほうが高いと思います 「なんだと」 けしき ドナーが気色ばんだ。 「いまのケンの話は、ノーと言っているのと同じではないか」 で「おっしやるとおりです。いまの心境はノーですが、ひと晩で考えが変わる可能性もゼロではあ りません。ワイフともよく相談したいと思いますし」 ウ マ 「ミセス・ニシダ。なんとかケンを説得してくれ。たのむ、きみを頼りにしているぞ」 ノー ワ ドナーが拝むようなポーズで、綾子を見つめた。 エリザベスが口を挟んだ。 + 「チャーリ ーがミスター・ニシダをどれほど必要としているか、わたしは痛いほど分かっていま す。しかし、ミスター・ニシダをシカゴにお呼びしようと考えているとまでは知りませんでした。
「正直なところ可能性はどうなんだ」 「なんとも申し上げかねます」 「ということは、あんまり期待できないな」 西田は途方にくれる思いで、沈黙した。 ハターソンの赭ら顔を目に浮かべて、西田は身ぶるいした。 目の中でジャネットの美貌がパターソンと入れ替わった。 勿五ロこ一一一口った。 ) ンヤ、不ットか ~ 授牛 = = ロ ( 「ケンを追っかけて、トウキョウに行こうかな」 ジャネットとのことでの負債をパターソンに返済しようと思う気持ちがないとは言い切れない。 だとしたら、ウエストン社入社はやはりあり得ないとい、つことになるのだろ、つか 。いまは専念したいと ンキング部門を立ち上げることこ、 「グレース証券でインベストメント・ 思います」 西田が永い沈黙を破ったとき、ドナーはにこっと笑いかけた。 「わたしは強引過ぎたようだ。忘れてくれ」 あか ノ 54
十二月十日午後一一時前に、西田はサイクスからの電話をオフィスの自席で受けた。 挨拶のあとでサイクスが言った。 「ケンのほうから連絡があると思って待ってたんだが オ「ミスター ・ランリネイとそんな約束はしてませんよ」 「ジョエルから、ケンがわれわれのビジネスに参加してくれることになったと聞いているが、違 の ハッピーと言ったそ、つじゃないか」 うのかね。べリー 「気持ちが揺れて困っているとも言いましたよ。ミスター・サイクスは、日本人のメンタリティ 最 ・ランリ、不イにおっしやったそ、つで からすれば、わたしをスカウトすることは困難だとミスター 八すねえ」 西田は言い返したが、サイクスはそれには反応しなかった。 らしいけど、とアップルツリーに取り込まれた可能性はあると思うなあ。東長銀に対してア ップルツリーと接触するななんて厳禁するのは、どう考えてもおかしいよ。政治家が絡んでる可 能性も否定できない」 「小野の用向きはよく分かったよ」 西田が時計を見ながら、中腰になった。一時半から会議が始まる。 377
二人がラクレルの役員応接室に案内されたのは十時五十五分だが、熊野は十一時五分過ぎにあ らわれた。 「その節はどうも」 吉岡にならって、西田は低頭した。 お、つよ、つ 熊野が鷹揚にソフアをすすめた。 「どうぞ。坐って」 「失礼します」 西田は吉岡にならって、小声で言った。 「西田君とゆうたかねえ 「はい。 西田健雄と申します。ニューヨークでは大変失礼しました」 「マイクがもの好きなのか、きみがもの好きなのか。こういうのを瓢簟から駒っていうんだろ 、つなあ」 「恐れ入ります」 べ 煎茶をひとすすりして、吉岡がおもねる口調で言った。 額「副社長のおっしやるとおりですよ。ミスマッチじゃないかとわたしも心配してます。インベス 巨 トメント・ ハンキング部門を立ち上げるのは、若い西田にはさぞ重荷だろうって、心配でなりま 五せんよ」 俺の辞任を見越して、伏線を張ったつもりだろう。その可能性は限りなく大きい。だが、下駄 ひょうたん 259
まる前、書斎で西田はネクタイをプレゼントされた。 0 「ケンがダイヤモンド・プラザーズを退職した理由は分かっている。ケンの気持ちは痛いほどよ 1 く分かるよ。まったく許し難い連中だよなあ 「真実がど、つなのかはともかくとして、ミスター・サイクスが一一一口、つとおり、ライアン社との話が 先行していた可能性はゼロではないかもしれませんよ」 「ケン、冗談じゃないぜ。ゼロに決まってるじゃないか」 「両社の合併話は、進行してるんでしようか」 ドナーがくほんだ青い目を伏せて、両手をひろげた。 「合併委員会を設置して議論してるが、わたしは悲観的になってるよ」 「どうしてですか」 「ライアン社がワイツマン OLIÄO を認めないと主張し続ける限り、この合併話は破談になると思 、つ。ダイヤモンド・プラザーズかライアン社のアドバイザーに鞍替えしたことにも、ワイツマン ノンクをアドバイザーにしたが、 は感清的になっている。当社はやむなく別のインベストメント・ どうもしつくりいっていない。ケンとは大違いだ」 「破談にはならないと思いますが」 「経済合理性よりも感情論のほうが優先されるケースはよくあることだよ。いまだに合併を発表 していないし、マスコミに嗅ぎつけられてもいないのは、両社のトップの熱意が冷めてしまった 証左かもしれないせ」
「ケンと縁がなかったのは残念だが、気が変わる可能性はゼロではないと思うので、ビジネス・ 2 カードを交換しよう。アップルツリーのトウキョウ・オフィスの電話も印刷してある。ケンの自 宅の電話番号もビジネス・カードに書いておいてくれないか」 さして意味のあることとは思えなかったが、西田は名刺を交換してから、サイクスと別れた。 5 夜十時過ぎに枕許の電話が鳴った。 西田は、綾子と睦みあっている最中だったので、電話に出るつもりはなかったが、親機を留守 電にしていなかったので、呼び出し音が長く続いた。 「きみのご両親ということはないかねえ」 「だったら携帯にかけてくると思うわ。出たら 「土曜日のこんな時間に、無粋な奴もいるもんだな」 西田は、綾子から体を離して、コードレスの子機を耳に当てた。 「グッドモーニングケン 「グッドイプニングミスター ・一フンリ、不イ」 西田は電話をかけてきたのが、ランリネイだとすぐ分かった。 「スティープから聞いたが、 わたしには信じられない。ケンに断られるとは夢にも思わなかっ
西田が居ずまいを正したとき、吉岡が投げやりな口調で言った。 「商取引にリべートは付きものだ。しかもハレる可能性は一バーセントもない。育 . 野氏の口座は、 ケイマン諸島にあるべー ーカン。ハニーに複雑な仕組みで入金されている。こんなことまでオー そんたく プンにしているわたしの気持ちを少しは忖度してくれよ」 三度目のノックの音が聞こえ、綾子がドアの隙間から、「そろそろお時間ですが」と告げた。 「そうだった。頭に血がのほって、すっかり忘れてたが、 今週は西田の挨拶回りに付き合、つこと になってたんだな。ど、つしたものかなあ」 「十一時にラクレルの熊野副社長でしたねえ。もう十時半ですか」 西田は時計を見ながら、思いきりよく起立した。 「参りましよう」 「無理しなくてもいいぞ。わたしが一人で行く手もあるよ とっさ とにかく一時休戦だ、と西田は咄嗟に肚を決めていた。 「わたしも一緒に参ります。ぜひ、そうさせてください」 「ま、とにかく出かけるか」 額眉間にたてじわを刻んで、吉岡が重い腰をあげた。 巨 章 五 第 はら 257
「パパは再婚しないんですか」 「うん。そんな気はないねえ。よっほど素敵な女性があらわれたら考え直すかもしれないけど、 その可能性は少ないと思うよ」 由佳のまなざしを右頬に感じたが、西田は前方に顔を向けて、話をつづけた。 「独身生活って、けっこう気楽でいいもんだよ」 「だったら 、パパは由佳と一緒に暮らすことは厭なんですね 「それとこれとじゃ、話が違うだろう」 「由佳はパヾ ノと一緒に暮らしたいと思ってますが、ダメですか」 のぞ 由佳に覗き込まれて、西田は顔を火照らせた。 「うれしいことを言ってくれるなあ。お世辞だと分かってても、悪い気はしないよ」 「お世辞なんかじゃありません。ママはどうしてあんなに暗いのかなあ。ほんとうにパパのほう が好きですー 「ヾパにとって願ってもないことだけど、ママは許さないだろうなあ。由佳の親権者はママだか らねえ。面接権さえ放棄しろって言われたが、パパは冗談じゃないって怒ったんだ。そのへんの とことは、由佳も薄々知っていると思、つが」 父 はい分かってます」 四「面接権を放棄しなくて良かった、とっくづく思うよ。だからこそこうして由佳と会えるわけだ から。ママが再婚してくれたら、もしかすると由佳と一緒に暮らせることになれるのかなあ。状