サーカス - みる会図書館


検索対象: 海の向こうで戦争が始まる
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1. 海の向こうで戦争が始まる

ても、長い列ができて最前列などとても無理だっただろうが、きようは特別だったらしい、サイ レンと共に、人々は港の方へ行ったようである。採れた、祭用の巨大な魚のことで話は持ちきり だった。この小規模のサーカスは魚に勝てなかった。実際こうやってもうすぐ始まる次の芸を 待っているのだが、どちらかと一一一一口うと魚の方が面白いのではないかと思う。 すっと前、横で息子と話している父親と一一人で、寒い国からきたサーカスを見に行ったことが あるが、その豪華さに比べると、こちらは持っている動物の種類とその芸、団員の服装、垂れ幕 や様々な小道具、あらゆるものが貧弱であった。若い衛兵は、以前に見た寒い国からのサーカス 団の名前を言っては、父親と顔を見合わせて溜め息をついた。 「全く、世の中の全部が全部、見すばらしくなってるな」 一つの例をあげると、ライオンが火の輪を潜れなかった。訓練不足だった。火の輪を支える台 にぶつかり、火事になりそうだった。 この時はさすがに場内から野次と失笑が起こった。人混みと疲労が予想される魚の見物を避け て静かなサーカスを選んで来た観客だから大人しかったが、それでもその時は少し騒ぎがあっ た。小さな息子は、あんなに熱そうな火が燃えているところを動物に潜らせる方が間一っている、 とライオンを弁護して妻を喜ばしたが。 このサーカスには熱気がない、と衛兵はっている。サーカスは昔から好きだった。サーカス

2. 海の向こうで戦争が始まる

そ、つ一一一口って嬉〔しそ、つに夭った。 五歳の息子は寝ついたところを起こされて、不機嫌そうな顔をしている。目を擦りながらズボ ンを穿かされていたが、サーカスのことを聞いて目を輝やかせた。 「象はいる ? 」 「象 ? いるさ、サーカスだからな」 「あの絵には描いてあったけど、本当に象がいるの ? 」 「いるとも、象は何をするかなあ。きっと逆立ちするだろうな」 「それからあれもやるぞ、前足をついて御辞儀したり、ポツンポツンと置かれた小さな椅子を歩 いたりするんだぞ」 「本当 ? 象が ? 」 「ああ、象がやるんだ」 「逆立ちするの ? 」 「するさ、そのために長いこと練習するんだ、他の象はできないんだよ」 「いっか本で見た象は ? あれは ? 「あれは動物園にいるやつだから逆立ちなんかできないさ」 「サーカスの象だけできるの ? 」

3. 海の向こうで戦争が始まる

「あ、おい、俺は少し残したんだぞ」 「いいんだよと、つさん、僕は剃らないから」 「剃った方がいいよ、みんなに会うかも知れないし」 おい、と衛兵は台所で洗いものをしていた妻を呼ぶ。 「おい、きようはお則らだけで行って来ないか ? 」 「あなたは ? 」 「お前、具合でも悪いのか ? 」 「いやあ具合は、からだは悪くない、ちょっとね」 「わかった、俺はお前の服借りないよ、制服で行くことにしよう、お前があの黒い服を着てい いいな ? それかいい」 、違いますよ」 「いや、そんな事じゃない 「わかった、俺は行かないことにするよ、俺が行くのをやめる、お前達一二人で行ってくればいい、 で 俺は足もちょっとまだ痛いし、いや本当に痛むんだ、留守番だ留守番してるよ、お前は行かなきや のいけないぞ、あいつが朝から楽しみにしていたんだから、サーカス、サーカスって何度も言って 海 た、俺は行かない、だからお前、黒い服であいつを連れていってやれ、あいつはサーカスを楽し みにしてるんだから」

4. 海の向こうで戦争が始まる

は疲れることがない。サーカスの熱気はテントの中だけに収まっている。決められた場所に座っ て、キラキラと軽やかに襲ってくる熱気と緊張を楽しんでいればいいのだ。 このサーカスは輝ゃいていない 湿っていて蒸し暑いだけである。 「ねえ、あの人達宇宙人でしよう ? それでも息子は結構楽しんでいるらしくて、時々そんなことを聞いてくる。 「色がとても白いし」 「あれはね、白い粉を塗ってるんだよ」 「僕ね、本で読んだの、宇宙人ってあんな服を着てるんだよ、ピカピカ光るみたいなやつをさ、 服がピカピカ光るんだ」 「字宙人かも知れないなあ、本当のな」 始 争「おとうさんもそう思う ? 」 「でも、字宙人っていうのは空を飛ぶんしゃないのか ? で こそう言って衛兵は狂った婆のことを思い出してしまい、ちょっとだけ気が滅入った。 のでも、息子とのこうした会話は楽しいものだ。 海 「・夲当にいろいろあって、デバート みたいだね、デパ トのおもちやを売っているところみたい

5. 海の向こうで戦争が始まる

「そうか、サーカスが来るのか」 「小さい頃、お前と一緒にサーカスに行ったことがあったな、慮えてるか ? 」 「ああ、あの時どうしておばあさん連いて来なかったんだろう、病気でもしてたのかな」 「下の叔母さんが死んだろう、あの頃だよ」 「おとうさん、あちらで黒い服に着替えてきて下さい、坊や今寝たのに、じゃあ、起こしましょ うね、早く行っていい席にすわりたいものね」 玄関のチャイムが鳴った。妻は汚れているエプロンを外して立ちあがる。あなた、ちょっと見 てきますから、坊やを起こしといてわ。 玄関のドアの向こうには、中年の男が立っていた。知らない男だ。度の強い眼鏡をかけ、髪が ポサポサで、くたびれきった灰色のスーツとひどい皺の赤いネクタイをしている。 「あ、主人ですか ? 呼んで参ります」 「いえ、奥さん違います」 「主人ではないんですか」 「ええ、実は私、昔この近くで製材業をやっておりまして」 はあ ? と衛兵の妻が怪訝そうな顔をすると、男はキョロキョロとあたりを見回し、後を振り 向いて女の子の名前を呼んだ。早くおいで何をしていたの ? かってにいなくなるとおとうさん

6. 海の向こうで戦争が始まる

客の熱正を誘う仕組みになっているのだが。シルクハットの男が鳴らすシンバルは却って耳障り 客席は半分だけ埋まっている。擦り切れた薄い布が敷いてあるだけの座席では、舞台を見るこ となく抱き合う男女や、酒で酔いつぶれている男達が目についた。その酔った連中の一人は、ラ イオンが火の輪を潜れなかった時、ウイスキーの瓶を投げた。それで芸が一時中断し、シルク ハットの進行係がお詫びとお願いをした。しかし今流れている音楽も空中プランコとは不似合い だし、男の芸人が女の芸人の尻を撫でて客の興味を引くというような下品なこともするし、何か と衛兵は考えている。 が投げられても仕方のないサーカスかも知れない 「でも、サーカスはい、 しよ、何となくいし 何故だろうな、お前達もそう思わないか ? 」 「ああ、僕もそう思う、何となくいいよ」 始 争「あたしはそうは思わないわ、日、父からいろいろ聞かされたもの、子供を攫ってくるとかね、 0 からだがよく曲がるようにお酢を飲ませるとか、動物だって何だかかわいそうよ、坊やも言った けど、さっきのライオンでもね、別に火の輪を潜るために生まれてきたんしゃないと思うのよ、 の草原で暮してたんですもの」 海 「ねえ、象がいないよ」 「僕だって今の仕事をするために生まれてきたんじゃないかも知れないし、あのライオンでも同

7. 海の向こうで戦争が始まる

「そう、練習するんだよ」 「すごいなあ、象って大きいのにね、サーカスの象は逆立ちするの、でもおとうさんは嘘をつく から」 「うん」 「何のことだ、この前もちゃんとおかあさん連れていったしゃないか、魚釣りにおかあさんも一 糸 ( 彳たよ」 「あれじゃないの、お隣のおばあさんがいっかこうやって座ってて、僕がオシッコでしょ ? っ て言ったら違うって言ったけど、あれやつばりオシッコなんだよ、あれ、おばあさんに聞いたら まオシッコだって言ったよ」 若い衛兵、父親と妻は顔を見合わせた。子供に嘘をついたと思われたからではない。・息子が今 争 喊話した隣の老婆というのは、狂人だったからである。確かな話ではないが、梅毒だという噂だっ の「それだけなの ? その他に何か話した ? 話しただけなの ? 手を触ったりしなかった ? 何 海 もしなかったのね ? 妻は興奮している。

8. 海の向こうで戦争が始まる

しだと思うな、何回も何回も訓練してるうちにれるのさ」 「おとうさん、象が見たいなあ」 「でも、あなたのお勤めと、ライオンが火の輪を潜るのとは少し違うわ、やつばり違うわ」 「だから、慣れるのさ」 「ねえ、ねえ、象は ? 」 「いや、火の輪を潜るんだ、饋れるということはない、俺は何度もあの火の輪と同じようなもの を潜ったが、ああいうことは饋れられると言うものじゃないぞ」 「ねえ、ねえってば、象がいないじゃないか」 「ほら、坊や、お猿さんよ、お猿さんがポールを蹴ってるわよ、お上手でしよう ? 「何言ってるの、猿なんて、この前のあのおばあちゃんのお墓があるとこの檻の中にもいつばい いたよ」 「坊や、よく見ると、あそこにいた猿とは違うみたいよ、お尻の毛の回りが黒いしゃない 「猿じゃないかあ」 「象が見たいんだ、なあ ? 「あの、おじいちゃんと見た絵には象の絵があったよね」 こんなサーカスだ、ひょっとすると象はいないかも知れないぞ、と若い衛兵は思った。

9. 海の向こうで戦争が始まる

でも、まさかな。あのテープルの下お気付きになりましたか。ええ、酒瓶でしよう ? あれ、百 本はありましたよ。それに、部屋全体が臭かったでしよう ? あれは何の匂いだろうなあ、汗臭 いような。何か腐ってるんでしようねえ。 と衛兵は思う。 自分に迷惑が及んでこない範囲なら、隣に狂人が住んでいてもしようがない しかし子供と接触するようなことがあると、これは別問題である。 「とにかく、サーカスはもうすぐ始まってしまうし、とうさん、明日また僕が行ってみるから、 イ健所のあの人にも一応言っておかなきゃならないだろうし」 父親はネクタイを直しながら頷い あ、そうなんだ、ソフアの上で跳ねていた息子が叫んだ。 「そうなんだ、思い出したけどあのおばあさんおかしいよ、頭が変なんでしょ ? おかしいって 始 耡僕が思ったのはね、飛行機って言って逃げるんだよ、オシッコしながらね、垂らしながらさ汚な 、僕もうあのおばあさんに絶対近寄らないよ、空を見てね、大きい声でさ、指で差してさ、こ でし ういう風に指で差してさ、何もないのにね、飛んでないのに、飛行機なんてどこにもいないのに のね、飛行機飛行機、プーンプーンプーンプーンなんてさ」 動物の排泄物の匂いがする。でも自分は少し匂いを気にしすぎるようだと若い衛兵は苦笑し た。早目に着いたせいか、衛兵の一家は最前列に座ることができた。本来なら、いくら早目に来

10. 海の向こうで戦争が始まる

三年前に患ったリウマチのためだろうか、と妻はある夜言った。心臓リヴマチって声が枯れる ことがあるってお隣の人に聞いたわ、その時若い衛兵は、昔号令をかけ過ぎたんだ、と妻に答え 父親は自分の一一一一口葉を待っている。 いっそのこと、命令してくれればいいのだ、お前らだけで 祭に行って来い、と強く号令をかけてくれればいい。 「あら、おとうさん、サーカスが来るんですか ? 坊やがそう言ってましたか ? 」 「何だ、知らなかったのか、俺はきよう、ポスターを見たんだ、はら、昔映画館で今は集会場に なっている、あそこにあるだろう、掲一小板があるだろう ? ポスターが貼ってあった、あいっと 散歩していたんだ、きようはちょっと遠くまで行ってやったら喜んでいた、あいつは目を輝やか して、これ何 ? って聞いたよ、まだ見たことがなかったんだなきっと」 る 「そう一言えばもう何年も来ていないからなあ」 始 「この前来たのはうんと前よねえ」 争 「でもとうさん、そのポスター確かに今年のものだったかい ? あそこには時々古いのが張った で こままになっているからなあ」 向 の 「バカ言え、一週間前にはなかった、一週間前にあったのは、ええと、狂大病の予防注射のやっ 海 だ、お前なんかあそこの前を通ることがないだろう、俺はあいつを連れて毎日散歩してるんだ