太陽はまだはとんど真上だ。オレンジ色の砂浜は焼けるように熱い 「小さい頃から絵が上手だったの ? 」 「今だって上手かどうかわからないよ」 才きたくない ? ・ 「あたしを描いてくれない ? 「今かい ? 今はちょっと暑すぎるだろう ? 「そうね、暑すぎるわね」 「それに明るすぎるよ、目が痛くなる」 「でもその道具は、描こうと思って持ってきたんでしよう ? 「朝はこんなに暑くなかったんだ」 「一保しくなってからあたしを描かない ? 「一保しくなってからね、それより、チーズハイをもう一つどうだい ? 俺はちょっと甘すぎて降 参なんだから」 もうすぐ昼食だから、と言いながらフィニーは三角形の。ハイを半分に割って、食べた。 あなたのおかあさんってお料理がうまいのね、砂糖のついた指を舌で舐める。ロのまわりに。ハ イ皮の屑をつけている。 「食事に行かないか ? 」
124 らどうだろうか ? もっと生きたいと願うだろうか ? 早く死にたいと思うかも知れないでも こ、つい、つことは実際そ、つなってみないとわからないのに ( しなし 俺みたいに一人で歩ける人間 が考えたってわかることではない、しかしこの病室でいつも思うことだが、俺と母親との違い もちろん歩くこともできす、も、つ目 と言ったら何なのだろう ? 母親は一人で食事ができない も見えないだろう。誰かと抱き合うこともできない、せいぜいが掠れた声で俺と二、三一一一口話すく らいのものだ、俺は一人で歩ける、俺は何でも食べて、きのうの仮縫いを済ませあした婦人服を 仕上げる、妻の腹に触ってみる、赤ん坊が時々動くことがある。お腹を蹴ってるのよ、そう妻が 言って笑い接吻したりする、俺と母親との違いはどこにあるのだろう、洋服屋はこういう重病人 との決定的な違いを見い出すことができない。それは母親に寄せる同情とか愛とかとはまた別の 思いである。例えば歩ける、歩けない、の違いにしても両足のない不具者の場合とは意味が少し 異なるようだ。 うまく一一一一口葉で納得するのは難しいが、今の母親は赤ん坊と同しような気がする。赤ん坊と今の 洋服屋との決定的な違いなどない、むしろ赤ん坊は全ての成人の柔かい原型のようなものだ。裸 で、自分では食事も排泄もできない うまくしゃべれす目も見えなくて放っておかれると死んで しまう、赤ん坊が歩けないのと不具者が歩けないのとでは全く意味が違ってくる。つまり今の母 親が、病気のために不可能な動作や機能というのは、ある欠落ではなく、自然なことのような
五歳の息子が透明な棒を落とした。拾ってやろうとした衛兵は背中を押されて息子を背負った まま転んだ。血はすでにここまで流れてきて足が滑り立っことができない。他にも何人か倒れて いる。わざと血の上を滑る子供もいる。血に塗れた手の指を踏まれて衛兵は父親を思い出した。 今父親は象の前にいるような気がする。伝染病で死にかけた象の前に座っているような気がす る。身動き一つしない、息だけが聞こえる草食動物に向かって、いつもと同しことを語りかけて いるのだろう。 象よ、何という寂しい人生だ、いろんな事が色褪せわかりにくく醜悪に曖昧になった。何も はっきりしたことはない、 俺は一体誰を愛しているのかさつばりわからん、誰から愛されている るのかもわからん、この寂しさを埋めてくれるものは何もない、巨大な象よ、俺の回りはお前そっ 始くりだ、 やたらに大きくどこに何があるのか全くわからん、死にかけている、はっきりと病んで 争いる、吐日はそ、つではなかった。何もかもがはっきりしていた、自分が何を必要とするか、何が自 で分を必要とするか、はっきりしていたものだ、今は、お前の腐れている皮膚のように柔かく手応 こ、え力ない 、昔は違ったぞ、鉄の時代だった、病んだ象よ、今はお前の時代なのだ。空は曇ってい のる。しかし魚の内臓は血に塗れて黒々と光る。一人の男が刀に突き刺した一塊の内臓を高々と灰 色の空に掲げこ。 血の匂いは、港一帯だけではなく、町全体に拡がり始めた。海に流れ込んだ血と油は海岸線に
ところなんだな。 「あら、早かったのね」 囁くような声で妻は言った。そっと足立日を忍ばせてドアをゆっくり閉める。 「きようは祭だからな、祭の時は早く帰れる」 「俺の頃は違ったなあ、祭でもいつもの通りすっと立っていたものさ」 顔を拭きながら父親が部屋の中に戻ってきた。 「今は早く帰れるんだよ」 妻は子供の様子をもう一度見に行って、顎にシャポンを残している義父にタオルを渡した。 「おい、お前のクリーム、ちょっと貸してくれないかな」 父親は顔を手で擦りながら煙草に火をつけ、若い衛兵にそう頼んだ。 始 「あ、おとうさん、あたし今、ちょっと喉を痛めてるものですから、窓を開けて喫って下さい 争 で 煙草の煙でむせちゃうんです」 こ衛兵は父親にクリームを渡して、自分で窓を開けた。去年までは少しだけだが町が見渡せて、 の彼の勤務先である赤い煉瓦の建物も、息子に指差すことができたのだが、新しい家が建って何も 海 見えなくなった。見えるのはその家の真新しい壁だけである。 「おい、クリーム少ないが使ってもいいのか」
客の熱正を誘う仕組みになっているのだが。シルクハットの男が鳴らすシンバルは却って耳障り 客席は半分だけ埋まっている。擦り切れた薄い布が敷いてあるだけの座席では、舞台を見るこ となく抱き合う男女や、酒で酔いつぶれている男達が目についた。その酔った連中の一人は、ラ イオンが火の輪を潜れなかった時、ウイスキーの瓶を投げた。それで芸が一時中断し、シルク ハットの進行係がお詫びとお願いをした。しかし今流れている音楽も空中プランコとは不似合い だし、男の芸人が女の芸人の尻を撫でて客の興味を引くというような下品なこともするし、何か と衛兵は考えている。 が投げられても仕方のないサーカスかも知れない 「でも、サーカスはい、 しよ、何となくいし 何故だろうな、お前達もそう思わないか ? 」 「ああ、僕もそう思う、何となくいいよ」 始 争「あたしはそうは思わないわ、日、父からいろいろ聞かされたもの、子供を攫ってくるとかね、 0 からだがよく曲がるようにお酢を飲ませるとか、動物だって何だかかわいそうよ、坊やも言った けど、さっきのライオンでもね、別に火の輪を潜るために生まれてきたんしゃないと思うのよ、 の草原で暮してたんですもの」 海 「ねえ、象がいないよ」 「僕だって今の仕事をするために生まれてきたんじゃないかも知れないし、あのライオンでも同
ばいで、動く気がしなくて、イン。ハラのお肉をどっさり食べて、眠くてたまらないって顔してる の、そんな夢見るのよ」 沖を船が走っている。形ははっきりとわからないが、一定の速さで動いているところを見ると 舶だろう。かなり遠くだ。相当巨大なものらしい。あの黒い稜線に向かうのだろうか 「今のあなたに似てるわ、そのライオンがよ、他の動物は腹を減らしてて、猿とかキリンとか縞 馬が周りをうるさく走り回ってもライオンは知らん顔なの、満腹してるもんだから、うるさいな あって顔したきりでね、今のあなたに似てるのよ、あなたの顔つてライオンみたい」 「フィニー、冲に黒い点が見えるだろう ? あれは何かな、さっき俺はヘロだと田 5 ったんだけど」 フィニーはオリープ油で光らせた顔を離し、目を細めて海の向こうを見た。 「捕鯨船しゃないかしら」 船は黒い稜線に向かっている。 だって加工していない鯨を一頭積んでるわ、どこかきっと遠いところへ行って帰って来たん もっと大きな別の魚かも知れない、祭に使うん しゃないかしら、でも鯨じゃないかも知れない じゃないかしら、普通の魚なら船の中で加工するはすだから、黒い稜線の左端、港に向かうんで しようね、みんなその魚の到着を待ってるのよきっと。鯨じゃなくて、とっても珍しい魚で祭に 町の人々は興奮しているもの、 はなくてならないもので、この何年か採れなかったのじゃない ?
厄介な事になったと衛兵は思った。あとでまた妻から言われるだろう。あたしにいつも注意す るくせに、あなたが一番おとうさんの性格を知っているのに。どう話を持っていけば父の機嫌が 治るだろうか。父親はもう一本煙草に火を付けながら、頬と首のあたりを撫で、剃り残しの髭を 捜している。若い衛兵にはこの気ますさを打開するいい話か浮かんでこなかった。きようの勤務 は昼までで、そんなに疲れているわけはないのだが、父親への言葉を捜すのが、とても面倒臭く こだわ 思われた。い つもの自分はこうではない、それは妻もよく知っているはすだ。やはり祭に拘泥っ ているのだろうか。今、彼は父親の声が昔とはひどく変わってしまった原因についてばんやりと 考えているだけである。昔はもっと張りのある声だった。父が号令をかけるのを、祖母に抱かれ て見た記億がある。父が誰かに号令をかけるというのは滅多にないことだった。 年に一一度、新しい衛兵が徴募され、採用になった何人かに、銃の持ち方や警護の順序、足の運 び方等を指導するのだが、従って、年に一一度父親は号令することができるわけだった。それも晴 れた日にだけ見ることかできた。 雨の日は屋内で行なわれるので見ることはできない。その新兵の訓練の日、父親が空模様を気 にしていたのを憶えている。しかし、雨の日でも祖母は彼を背負って右手に傘をさし、公園を通っ て赤煉瓦の建物まで必す連れていってくれた。号令をかけていた父親の張りのある声、それが今 は枯れてしまっている。
なるもんだからな、私は狂ったように、いや本当に狂ってしまって、小便のように精液を出して 死んだんだよ、まるで乳牛が音楽を聞きながらミルクを流すみたいにさ、そう、ミルクと言えば、 まだ山羊や兎や駱駝のミルクを消毒しないままみんな飲んでた頃の話だよ、偉い大人達はみんな 剣を持って女の取り合いをしていたそんな昔のことなんだ、その頃、私は大だったんだ、そんな ことがあってから私はその布が、濡れて重い厚い布、ウォーターベ ッドのような、夜の空気の鳥 が恐かったのさ、恐がってばかりいるから私は何もできない子供だったよ、何もできなかった、 何の遊びもできなかった、ポールや独楽や人形の向こうから、自分を押し潰す巨大なウォーター べッドが出てくるのを想像してくれよ、私はひどい子供だったんだよ」 女はピンク色の酒を飲みながら、窓にもたれかかって男の話を聞いている。また同じ話だ。も う、うんざりしている。今までに何十回も聞いた。 「そうは思わないわ、あなた小さい頃の写真を見せてくれたでしよう、利ロそうな子供だとあた 争 しは思ったわ、小さい頃のあなたの顔、好きよ、悪くないわ」 で 油に浮いた何種類かの絵具、それを思いきり掻き混ぜると、これ以上はないというような汚な のい緑色になる。今の男の目はちょうどそんな色だ。 海 「いや違うよ、写真じやわからない、透明だろうが何だろうがガラスでもレンズでもそれを実物 の間におくと、本当しゃなくなるんだ、見る時には空気だけを通して見なきや何にもならない、
て彼が母親の看病に来ている今は、身重の妻が店をまかされている。きのうの夜も、孫の顔が早 く見たいと言っていたのに、と妻と話したものだった。あと三カ月で子供は生まれてくるはすだ が、それまで母親が生きるだろうとは到底考えられなかった。 母親は、結婚九年目にやっとできた孫を死ぬ程見たがっていた。入院後もそのことばかりを口 にした。注射もいやだという古い人が、孫を一目、という思いから手術にも同意したのである。 成功です、はとんど摘出できました。そう一一一一口ってくれた若い医者の柔かい声が今でも洋服屋の耳 に残っている。その時はこれで孫が見せられると田 5 い涙を流した。 しかし、子供達が祭のための飾りつけを始めた頃、表通りの家々の屋根や壁を飾り始めた頃、 る皮膚が黄色になっていた。 始きよう、この白い最後の病室に移ってきたザラザラした黄色い肌の母親を見ていると、洋服屋 争はたまらなくなってくる。この部屋に移る前、それも黄疸を併発する前は、まだかなり元気が で残っていた。 一日のうち、頭やからだが軽くなる時間が三十分程あるらしくて、洋服屋や見舞い こに来たその妻によく話しかけた。医者から黄疸だと聞かされて、そのお喋りが悪かったのではな の いかと洋服屋は悩んだこともあった。しかし、母親がまだ入院する以前、癌が発覚する前は、商 海 売にかまけてしみしみと話をする機会があまりなかったので、その二、三十分のお喋りが新鮮で 楽しかったのも事実なのである。父親は彼が十四の時に死んだ。確か急性腎炎だった。それ以来、
中の鳥に怯えていたんだ、それで私は思った、きっと私はすっと韭日、生まれる前は大だったのだ ろうと、そう思ったんだ、まあ聞いて欲しい、それもタオル地でできたいい匂いのするマットレ スを小屋に敷いてもらった鼻の 40 た大しゃなくて、いろいろな種の混じ 0 たやっさ、本当に 大って感じの大だ、そういうのがよくいるだろう、それで私はそんな大で、フランダースの大み たいにどこかの粉屋か屠畜場に、その二つのどっちかに飼われていたんだよ、普通の家庭で飼わ れていたのなら、いろいろと億えているはすだろう ? 庭の花の匂いとかさ、 小さい女の子がく れるミルクの味とか、近所の牝大が送る発情のサインとかね、そういうのが何もないからなあ、 とうーツろ、一し ただ、この部屋でも、今でもそうだけど鼻の奥や喉にザラサラと詰まって吐気のしてくる玉蜀黍 の粉の感じは憶えてるんだ、たぶん粉だろうと思うな、それに変な匂い、肉が腐れていく時の匂 る いを慮えているからなあ、大きな牛が首を切られる時に出すいやな声とかさ、私は実際にそんな ことを見たことかないし、そんなところには一丁ったことかないからね、映画で知ったとい、つ = = ロ 争 憶もないから、きっと大だった時に億えたんだろうと思うよ、頭の上を飛び回る蠅や床を流れて で くる血を舐めたことも億えているから、とにかく粉屋や屠畜場に飼われている大だったんだ、そ のれである日、主人が死んだのさ、主人が死んで私は余計者になってしまった、死んだ主人はとて 海 もいい人だったな、その人のことも私はよく慮えているんだ、主人は私によくレタスを食べさせ てくれた、私は大のくせにレタスが大好物だった、今でも好きなのはそのせいだよ、レタスを毎