フロー状態 - みる会図書館


検索対象: 脳の中の小さな神々
49件見つかりました。

1. 脳の中の小さな神々

なかなか考え方を変えられない。 茂木いま研究者としゃべっていてわかるんですよ。こいつは古いタイプだな、これは新しいタイ いまの プだなっていうのが明らかにわかります。私が受けた物理学のような教育のパラダイムと、 コンピューターサイエンスのパラダイムは違う。物理学者というのは古いタイプの脳の研究になじ むんですね。要素還元的というか、ある特定の機能を引っ張り出してきて、それを徹底的に調べ っ る。あるいはある方程式に乗るかどうかとかね。 と 一方、コンピューターサイエンス的な視点というのは、ある要素の性質だけを徹底的に調べても システム全体のなかでそれがどういう意味を持っていてどういう役割を担うかという 意味がない、 食視点から対象を調べる。コンピュータ 1 というよりも、ネットワ 1 クで結ばれたコンピュータ 1 と も イ、 いうメタファーが近いでしようけれども、コンピュ 1 ター内の部品は、それだけ取り出して一生懸 命調べても機能がわからない。その部品が置かれているほかのネットワ 1 クとの関係性をとおして あ はじめてその意味がわかる。こういったセンスを持っている人たちが徐々に増えてきています。 まちょうど世代交代が起きていて、古いタイプの人もまだずいぶんいる。 新しいタイプが多くいるのはやつばりアメリカですね。それはアメリカという国がもともとそう いう思考になじんでいるからなんだと思うんですね。いろいろな人がアメリカの悪口を言うけれ ど、アメリカ人はシステム的な思考を徹底的に鍛えられている。戦争のときなど、何十万人もの兵

2. 脳の中の小さな神々

第 6 日目講義 で、その安定している状態があって、そのうえにダイナミックな解釈を貼り付けられる。安定性と ダイナミックなものの共存というのが私たちの認識の基本のようです。 細胞の例で言えば、の三つの並びがどういう蛋白質を作るかという遺伝暗号の部分はもの すごく安定していて、ずっと進化の過程で変わっていなし ゝ。けれど、作られた蛋白質がどういう役 割を果たすかは変わるんですね。その一方で、情報をどう解釈するかという細胞の生理のところは 柔軟に変わっている。どっちが欠落しても細胞というシステムは成り立たないわけですね。脳も似 たようなアーキテクチャー ( 構造 ) にな っているようなんですね。変わる部分と 変わらない部分がある。 形 図 義 感覚は移り気と思われているけ 両 の ど、じつは変わらない部分であるという 婆 老のはおもしろいですね。ともかく変わる 部分と変わらない部分があることで、柔 若軟に適応できるということなんでしよう ね。 117

3. 脳の中の小さな神々

のいい鏡があったら、顔を怪我したときに傷の状態が見えますよね。当然それを利用する生物が出 てきたはずです。でも写りのいい鏡がなかったんで、やっていない。われわれ人間にとっては、鏡 を見るのはたしかに自己意識に関係するようなことなんだけど、その機能だけを取り出して実現し ようと思ったら、自己意識なんていうものがなくても簡単にやる方法があるんですね。 なるほど。鏡のテストは、自己意識があるかないかの万能の試薬ではないということです ね。でも、意識がなくても同じようなことができるって、鏡のテストだけじゃなくていろいろなこ 義とについて言えちゃうんじゃないですか ? 第茂木そうです。ロポット工学がなかなか意識とかにたどり着けないのはそこなんです。ミラーニ ューロンについても、自分の行動が他人の行動と同じかどうかを判別するだけだったら、そういう システムはおそらく作れるんですね。だけど、それを作ったからといって、われわれが持っている 自己意識や、相手がどう思っているかといった心の理論がロポットのなかで働いていることにはな らないわけですね。そのあたりが厄介ですね。 うーん、たしかに厄介ですね。人間はゾンビではないと思っているけど、ますますゾンビで もよくなってきたぞ ( 笑 ) 。 167

4. 脳の中の小さな神々

聞、電気スタンドといったものが、同時に、並列して見えてくる。そして、文章を書くことに熱中 して注意を向けていなかったときにも、これらのものが視野の中にクオリアとして同時並列的に存 在していたということに気がつく。 それらが何であるか、はっきりと言葉にしたりラベルをつけたりすることこそ一度に一つしかで きないものの、目覚めているとき、私たちの心の中にはずっと同時に多数のものが見えている。こ のような状態を視覚的アウェアネスという。ここに、アウェアネスは、「気づいている」というよ 神 うな意味の言葉であり、意識の中で数多くのクオリアが同時に感じられるという性質を表す用語と さ して現代の脳科学で使われている。 む 私たちが、視覚的アウェアネスのなかにさまざまなものを同時に見ていることは、取り立てて驚 くべきことではないように思われるかもしれない。しかし、この一見あたりまえの事実のなかにこ 中 脳そ、現代科学の最大の謎である意識というミステリ 1 の核心があるのである。 一度は否定された脳内ホムンクルス 私たちの「見る」という体験がなぜそれほどの驚異なのか、その「神髄」を味わうためには、見 240

5. 脳の中の小さな神々

き なるほど。 め る す茂木おばあさんより若い女のほうが魅力的に思うのはなぜか、みたいな話をしましたけど、あの 3 進化心理学も人間の行動を説明する大きな学問体系のひとつですね。人間がなぜそういう心理状態 になるのかをダ 1 ウインの進化論から説明する学問ですが、この学問の考え方にしたがえば、究極 定 不の成功・不成功の判断基準は何かというと、子孫が残せるか残せないかですね。ある行動をとった 人の遺伝子が残るということになればその行動は成功なわけです。これは報酬がはっきりと定義さ の れている。けれども、われわれの人生を考えてみると、これをやったって遺伝子が残るか残らない 人 かには関係ないということをしているでしよう。恋愛の問題とかでもそうですね。遺伝子を残すた めの行動をしているばっかりではない。 避妊しちゃったり ( 笑 ) 。 茂木だから、これまでのゲーム理論みたいに、何かをやって実際利益につながるかどうかという ことだけではないとわかってきた。むしろわれわれのやろうとしている研究のほうが人間というも のを考えるうえでは重要な問題があるんじゃないかな、という気がするんですね。 228

6. 脳の中の小さな神々

き 脳は各部分が結びついているという話をずっとうかがってきたわけですけど、逆に結びつけ と る る仕組みがおかしくなるとたいへんなことになっちゃうんでしようね。 実 茂木統合失調症の患者さんみたいに境界がはずれてしまって、自分が想像しているだけなんだけ 女ど、外から入ってくる刺激のように鮮明な感覚として感じてしまうこともあります。視覚よりもと くに聴覚のほうがそうしたことが起こりやすい。ばく自身も一人暮らしのときに夜寝ていて、「絶 想対に電話が鳴った」と感じたことが何回もあるんですね。でも電話を見ると着信記録がない。そう いう例を見ても、特殊な条件下では、自分の脳が作り出したものが鮮明な感覚的クオリアをともな ってしまうことがある。通常の脳の状態だとそういうことはなるべく起こらないように設計されて いる。どのようになっているかは、とてもおもしろい脳科学の問題ですね。 精神科医も興味を持つでしようね。 現実と想像の境界がはすれると : ・・ : ◎統合夫調广 122

7. 脳の中の小さな神々

に取り入れていると、脱抑制したときにい ) しクオリアが出るわけですね。一種のクオリアのコピー が起こるというんでしようか。 ばくは最近のホラ 1 小説とかは、人間のすごくいやなところだとか暴力を描いていて、これが文 学だと言っているのが気にかかります。小林秀雄なんかも言っていましたけれど、どうせ現実なん てやりきれないところがあるに決まっているし、すべてがうまくいくなんてこともないんだから、 ア 1 ティストの役割というのは美しいものを生み出して、そういうクオリアを人々の脳のなかに与 しクオリアが山山るように えることなんじゃないでしようか。その人たちの脳が脱抑制したときにい ) 講するというのが、ほんとうのアーティストの役割だと思うんですね。ある種の感覚は伝播するんだ 日 と思うんです。ポジテイプ、ネガテイプっていうのはあとから人間がつける価値判断ですけど、ど ういうクオリアをその人が過去に感じていたかという履歴にかなり依存すると思いますね。 醜いものを暴くのも文学だと思っていましたけど、脳科学者にそう言われるとなんとも説得 力があります ( 笑 ) 。 茂木去年の十一月、仕事の必要があって内田百閒の小説とかェッセイとかをずっと読んでいたん ですよ。そのときはっと気がついたんですけれど、精神状態がすごく良くなっているんです。何で おれ最近こんなに気分がいいのかなって思ったら、百閒の小説を読んでいたからなんですね。 205

8. 脳の中の小さな神々

んですね。色とかは目を閉じると、とりあえずなくなりますよね。でもたとえば、ゝ しま自分の目に 花が見えていたとか、おばあさんの顔が見えていたとか、解釈にともなう独特の感覚というのは目 を閉じても残っていますよね。あるいは目を閉じて想像しただけでも蘇らせることができる。 感覚的クオリアと志向的クオリアではわれわれの心のなかに立ち現われるモードが違う。感覚的 なクオリアは、実際に目を開けて外からの刺激を見ている状態でないと絶対に生まれないように脳 は設計されている。そうじゃないと、実際に見ているものなのか、自分が想像しているものなのか がわからなくなる。逆にいうと、想像しているものと現実のものとの差を保証しているのが、感覚 義的なクオリアといってもいいですね。 そして、記憶に残るのは志向的なクオリアだけですね。たとえば色の記憶って残せないじゃない 第ですか。ビデオテープに撮るのだったら、基本的にはいま見ているのと同じ色が再現できる。けれ ども、思い出すときには脳で色そのものが蘇るわけではなくて、色という感覚的なクオリアに貼り つけられた志向的なものしか残りえない。そういう意味でいうと、世界の原体験というかデータを ある解釈のもとにまとめて脳のなかに残しておくのが志向的クオリアだという言い方もできると思 いますね。 いまはクオリアは二つだけではないと考えているわけですか。 115

9. 脳の中の小さな神々

第 1 2 日目講義 茂木快感によってド 1 ハミンが出るんですね。たとえば食べ物をもらうと出る。ところが、ある 刺激がきたらかならずこの食べ物が出るとわかっているとき たとえばある図形を見せてその一 〇秒後に食べ物が来るというトレーニングをするとーーその図形を見た瞬間にドー ハミンが出ちゃ ハミンはあんまり う。でもだんだん食べ物が来るというのが折りこみずみでわかってくると、ドー 1 ーハ、、、ンか 出なくなる。食べ物なんか絶対にもらえないと思っている状態で食べ物をあげると、ド どっと出る。その快楽がどれぐらい不確実かということが大きく関係しているんですね。 前回うかがったように、抑制をはずすというのもド 1 パミンが関係しているんでしたね。ド 1 パミンをどばーっと出せば抑制がはずれるとかいうことはないですか。 茂木そういうドラッグはいつばいあるんですけど、そこは一筋縄ではいかないんですよ。一番最 初にお話ししましたように、脳の入口と出口のところは刺激と反応が一対一に対応していて操作で きるんですけど、情動は外界からもっとも離れた中枢で、そうした機械論的なやり方ではアプロー チできません。 脳内物質って放出しつばなしだと情報にならないので吸収するシステムができているんですね。 つまり 1 という情報を出したときに、それが吸収されて 0 に戻るから 1 ということが意味を持つわ 217

10. 脳の中の小さな神々

第 6 日目講義 たとえば、感情の状態とかですね。私が出す例は男女の恋愛が多いんですが、たとえばそんなに しいとも思っていない女の人に言い寄られたとしますね。しつこく言い寄ってきて「いやだな」と 思っていたんだけど、その女の人にポーイフレンドができたと聞いたときの独特の感覚ってありま すよね。あるいは知り合いの女の人が結婚したと聞いたときの独特の感覚がありますね。そうした ときの感情というのは、言葉にはならないけど、「ああ、あれだ . とはっきり同一性がわかるわけ です。色の同一性がわかるのと同じように、感情の同一性がわかるわけです。それもクオリアの役 割ですね。 あるいは動作的クオリアというのですか。何かをやろうとしているときのクオリアっていうのも ある。ラ 1 メン屋に行って行列して待っていて、カウンターに座っている人が立ち上がって「あ つ、椅子があいたよーというときの感覚とか、椅子に座ってラ 1 メンが来るのを待っているときの 感覚とかですね。そろそろ食べ終わるころにふとまわりの人を見まわすときの感じとか、「ほら立 ってあげるよーみたいな感覚、全部独特の感覚があるんですね。言葉にはなっていないけれどそれ をメタとして把握できるということがわれわれの認知プロセスの前提条件なんです。それなしで は、われわれは世界について考えられない。そこにクオリアが同一性の問題としてかかわってくる し、それからそれを見ている、感じている私という形で主観性の問題がかかわってくるんですね。 ですから意識というものはすべてメタコグニションであるという方向に行くと思います。それを脳 のシステムがどういう形で認識しているのかというのがおそらく最大の問題です。 113