第Ⅱ日目講義 す。フロー状態になっている人たちの心理状態からすると、苦労して作り出しているわけではない んですね。自分の身体とか脳が勝手にやっている状態を自分はただ見ている。 苦労なく生み出せるならそういう能力がほしいと誰しも思いますけど、そういう状態を作り 出すためにはやはり膨大な練習とか訓練が必要ということなんでしようね。 こま、お父さんにトレ 茂木そうですね。モーツアルトなんかも、そういうフロー状態になる前。。 ニングを受けたわけです。 誰でも身につけられるかどうかはともかく、そこで重要な点がいくつかあります。人間の脳は、 関係性とかコンテキストがすごく重要です。みんな見逃しているんですけれど、モーツアルトが英 才教育を受けたのは現場だった。その点が重要なんですね。英才教育がたいてい間違ってしまうの はそこなんです。「科学というのはこういうものだろう」と頭のなかで思って箱庭みたいな世界を 作ってそこでトレーニングをやる。そういう形では科学に必要な能力は絶対に身につかない。科学 者のなかで研究したり学会に行って議論したり発表したりするときに必要とされる脳のモードと、 箱庭的な科学とはぜんぜん違っている。モーツアルトが成功したのは、最初からお父さんが音楽家 の仕事の現場に連れて行っているでしよう。あれがポイントだったと思うんですよ。 いま日本で流 行っている、ドリルを徹底的にやるとかああいうのではなくて、たとえば小説書かせたいとかほん 195
茂木ああいうので鍛えられる脳のモジュールもあると思うんですよ。ただ、それは知性とはほと んど関係がないと思うんです。ばくも、一応大学受験の勉強はしましたけれど、大学に入った瞬 間、かなり唖然とした記憶があります。高校までの学力観とまったく変わってしまった。大学に入 っていきなり目の前に広がった知性の大海とそれまでの受験勉強の落差に愕然とした。無限に広が る あ っちゃった大海が知性なんですね。それまでドリルで鍛えた類のものは子供の遊びみたいなもので こした。ドリルみたいなもので世界全体を埋め尽くせるわけがない。与えられたドリルをこなすこと す が重要なのではなくて、無限にあるどうしていいかわからないようなもののなかで、私にいま必要 ン なのはこっちなんじゃないかなって嗅覚で先に行くことが必要ですよね。それこそがまさにコミュ ナ ニケーションの能力と共通した脳の働きなわけです。「確定した答えがある」とか「この時間内に 谷 渋 これをやる」とか、決まっていることをやるのは脳にとってそんなにたいへんなことではなくて、 本 。ししカわからないときですね。 いちばんたいへんなのはその先どうすれよゝゝゝ の だから、「みのもんたの脳科学、みたいなドリルばかりやっていると、日本はまた「知性の失わ 知 れた十年」ということになって後でシマッタと思うんじゃないですか。日本人にいま一番必要なの は、どうなるかわからない不確定な状況を切り開いていく知性なんですから。 174
る あ 見渡すためには一時的に記憶を蓄える必要があると言われましたね。 と 茂木ワーキングメモリ 1 は重要なポイントです。ワ 1 キングメモリーのあるところは自我の中枢 ン といわれている前頭葉なんですが、その点に重大なヒントがあるようなんですね。 ナ このところ情動系と記憶のシステムの関係がわかってきた。長期記憶として安定した記憶があっ 谷 ても、 いまの行動に使うためにはワーキングメモリーに引き出す必要があるんです。ワーキングメ 本モリーは一度に一個というか、ひとつの塊のものしか蓄えられないんですね。だから、何かの活動 性をしているときにワ 1 キングメモリ 1 に何があるかは重大な意味を持つ。膨大な記憶があるわけで すから、 いま自分が何を思い出しているかは生活の質をあげるためにものすごく重大な意味をもっ ています。ワーキングメモリーに引き出すものをどうやって決めているかというと、情動のシステ しいことがあ一るとい一つ強い欲胡王と これを思い出すとゝ ムがやっているんです。これを思い出したい、 いうか動機づけがあるときには、その記憶が出てくるんですね。かならずしも意識的にそう思って 人間にとってもっとも大事なのはドーパミンがいつ出るか 178
るのがたいへんむずかしくなる。 つがいを作るような動物も自分のパートナーがわからないと困るわけです。移動しながらエサを 取る生物だったら、エサを取っちゃったところはもう行っても仕方がないわけです。そこでも同じ かどうかって重要な意味を持っている。相手が同種の生物かどうかを判断するのも大事ですし、同 じか違うかを判断するのは動物にとってすべての基本になることです。 また、こういうこともある。青いリンゴがあってそれがいつのまにか赤くなる。青いリンゴのと きは食べられないんだけど、赤いリンゴになったら食べられる。赤いリンゴと青いリンゴは違うも 義のじゃなくて、同じリンゴが変化して赤いリンゴになったんだということが理解できると役に立っ ことがあるはずですね。たとえばリスとかが、実の青いうちに取ってきて隠しておき赤くなってか 第ら食べるということをやるためには、同じものが変化する、同じものだけど違う性質を持っている ということを理解することが必要ですね。 こういう能力は言葉の準備段階というか、言葉の前夜みたいなものですよね。そうした理解から 言葉へジャンプできる。人間が思っているほど言葉って特別なものではないわけです。同一性の認 識は言葉の基礎になっていて、いろいろな動物が共通して持っているんだと思います。だから言葉 って贅沢どころか、生きていくうえで必要不可欠なものですね。そこが壊れちゃうとかなり生きて いくのがつらくなっちゃう。
とうに英才教育するんだったら、最初から小説家のところに連れていけばいいんですよ。弟子入り させるとかね。昔の人はそういうことを知っていたんですね。いまはどうも箱庭を作るのが好きみ たいなんだけど、それは脳の働きの仕組みからいうとちょっと違いますね。 る あ ・カ でっち のーーー学校なんか行かないで、丁稚に行け ! すると脱抑制ができる : : : かもしれない ( 笑 ) 。 カ 茂木サバン症候群と言われる自閉症の天才たちの能力も脱抑制なんですね。無理して想像力を発 で揮するというのではなくて、抑制をはずすと勝手にやってしまうというのがどうも大事なんです 飜ね。ただ、勝手にやる回路を作るためには苦労する必要がちょっとあるんですけどね。 の き 脱抑制の具体的な方法があるんですか ? 働 の 茂木まずセーフべースが重要なんですね。それは認知科学の重要な概念で、新しい探検とか新し れ い可能性を追求するためにはセーフべースがないとできない。セ 1 フべースというのは、要するに あ 安全基地です。子供が新しいことにチャレンジするためには、お母さんとか保護者が「安全基地に いるんですよ . というメッセ 1 ジをちゃんとあげることが重要です。そうすると子供はお母さんに アタッチメント 愛着を感じるわけですね。アタッチメントを感じている対象によるセーフべースの存在があっ 196
茂木それも含めてですね。自分があるやり方をしているということは、脳のなかにほかのやり方 をする可能性もあるけど、それを出ないように抑えているということなんですね。抑制をはずすと る あ いうのはその逆で、抑えていることをどうやってはずすか。それが創造性における重要なポイント ・カ のです。それを安心してはずすためには、過去の学習とかトレーニングが必要なんだと思いますね。 カ 想 る そうすると、ピアノを弾くときに何も考えないでも指が動くというのも一種のセーフべース でですか。 飛 茂木セーフべースですね。 の き のーーーー安全基地で守られているというのだけがセーフべースということではないんですね。 れ 茂木ええ。モーツアルトでいえば、子供のときのトレ 1 ニングで、技術的にピアノを弾くことは あ 問題なくできて、脳がリラックスできるわけです。そういうセーフべースがあると、脱抑制でき る。ぜんぜんピアノを練習したことがない人は、ピアノを弾くことに関してセーフべースがないわ けですから、脱抑制しようといったってそれはできないですよね。抑制をはずしても、でたらめの 198
, 刀 せ ん 細おばあさんが魅力的に見える発想の転換が必要 神 の 茂木そしてもう一つ、チャーマーズとかべンローズも十分に考えていない厄介な問題があるんで す。「客観的な説明をしなければならない」とか言うんですけど、そもそも原理的な問題としては ・刀 主観的な表象以外ないわけですね。たとえば神経細胞の膜電位を計測してマイナス七〇ミリポルト し りでしたという数字が出る。それを客観的なデータというわけですけれど、液晶に赤い文字で書かれ ている「ー 70 」という文字自体は、赤いクオリアとして感じられている。主観的な体験と客観的な データは別々の領域にあるというのではなくて、同じものの違った見方だということが重要だと思 うんです。すべてのものを機能主義的に見れないこともないけれど、同時にすべては主観的な体験 同じだかどうだかわからないけど、でもそんなに違ってないなと思って暮らしている。 茂木思っているんですよね。ふだんばくたちは忘れているけれども、そこにこそ可能性があるん だと思うんですね。
茂木それはわかりませんが、「言語乗っ取り仮説」というのを出しているアメリカの言語学者が いますね。一一一一口語について特別な脳のモジュ 1 ルがあるわけではなくて、一一 = ロ語に必要な情報処理とい うか認知過程のほとんどは一 = ロ語が現れる前に脳のなかに用意されていて、あるとき脳のある部位で ーンと爆発的な進化が起こって、ほかのことに使っていたところを一一 = ロ語が乗っ取ったんだという 説なんです。 ・カ る それはおもしろいですね。たちまちにでもなりそうです。言語が乗っ取ったきっかけは あ 何だったんですか。 動茂木それは多くの人が関心を持っていると思いますけれども、わからないですね。でも実際のと ころ、進化の過程で突然何か新しいものが生まれてくるということはまずないんだと思いますよ。 これは脳を考えるときにすごく重要なことで、われわれはなぜか知能を特別なものと思っちゃうけ れども、脳の構造とか機能から生まれてくるという意味では、知能もふつうの進化の過程をたどっ ていて、前にあったものを利用する形で進化するわけです。言葉というのも、かなり高等な動物だ ったらあるような認知過程を乗っ取るような形で生まれてきたんだろうと考えるのが、まあ妥当な んじゃないでしようか。 100
自己報酬みたいなことが大きいんじゃないですかね。 分子進化の中立説というのがあるんですね。国立遺伝研究豌にいらっしやった木村資生さんが提 唱された。進化はふつう機能が改善される方向で起こるように思っている。じつは関係ないからこ そ勝手に変化でき、それが重要だということを示された。脳の報酬系とかも、もちろん最終的には 生きるために役に立たなければいけないんだけれども、ひょっとしたら木村さんの中立説に相当す るものがあるかもしれない。自分で報酬を作って勝手に消費しているだけで、生きるには不利でも ないし有利でもないということがあるかもしれない。「脳のメンテナンスのために必要なことがあ 義 ったら勝手にやってください。、 とっちにしたって生きるうえでは害になりませんから」ということ 講 日のほうがむしろ早く進化する可能性だってありますね。 第 それは、個体ではプラス・マイナスがゼロでも、全体としてはプラスとか、個体と大勢が集 まったときには違うということもありえますよね。 茂木進化心理学でよくやる議論というのはそれですね。ただ脳というのは個体の問題なんです ね。集団脳というのはないですから。あくまでも個人個人の脳のなかの反応が問題になる。 それはそうですね。ただそうすると、一人一人別々の反応が一般論として論じられるかどう 231
義 え、そうですか ? 第茂木生きていくだけだったら、こんなに大きな臓器にして全身の何十パーセントもの血糖量を消 費するような贅沢は必要なかったわけです。人間の脳はここまででかくなっちゃって、空間あたり やらなきゃいけないタスクが多くて家賃が高い。なるべくぎゅうぎゅう詰めに詰め込むっていうこ とが本質的に必要だった。 あるいは足が四本あって首がもっと太く、脳をもっと大きくできれば、人間はぜんぜん違う 発展をしていたかもしれない。 っておそらく起こっているはずなんですね。 う 1 ん、いかにもありそうですけど、不思議な話ですねえ。 茂木そもそも脳って贅沢なものでもあるんですよ。生存に絶対必要不可欠というわけではないで すから。