視覚野 - みる会図書館


検索対象: 脳の中の小さな神々
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1. 脳の中の小さな神々

たいなもの、たとえば「林のなかで蝉がミンミン鳴いている」というように視覚と聴覚という違う 感覚情報が結びついて一つになっているような場合は、視覚野と聴覚野という違う領域の神経細胞 の活動を結びつけなくてはいけないわけですね。そういう問題になってくると、機能局在ではどう しても説明できなくなっちゃう。しいて説明しようとすれば、視覚野と聴覚野を結びつけている第 三の領域があって、そこの神経細胞が働いているということになるけれど、どうもそうじゃないら しいということがわかってきているんです。 誰 の 感覚の種類が異なると、 いよいよ問題は大きくなるわけですか。 る っ茂木われわれは、視覚と聴覚というのはぜんぜん違うだろうとあたりまえのように感じているわ 見けですけど、脳の神経細胞の活動を一個一個見ていくと違いはないんです。いままでそれをどうご まかしてきたのかというと、じつは研究者によって立場がぜんぜん違う。心理学者は「赤い色の見 え方と音の聞こえ方は違う」という形でバーンとジャンプしてしまって、「それはもう違うんだよ ね . っていうことで研究をしている。ところが脳科学は、数値化できるもの以外はあっかってはい けないというイデオロギーのもとにずっとやってきているんです。だから「視覚と聴覚はたしかに 主観的には違うんだけど、それは数値化しようがない。数値化できないものはデータではない。脳 科学の対象にはできませんね」ということになる。そんなふうに考えに入れなかったということ

2. 脳の中の小さな神々

流れというふうに考えられます。 ええと、意識が上で、無意識が下ですね。 茂木ええ。それで、どちらかというともともと脳研究はポトムアップのほう、つまり無意識から か意識のほうへと研究が進んでいたんですよ。たとえば視覚系でいうと、網膜などの末梢神経細胞の る こ活動はもっとも外部に近くて調べやすいからいちばん最初にはじまった。それで視床外側膝状体と て いうところから、第一次視覚野、第二次視覚野、第三次視覚野、第四次視覚野とどんどん高次のほ し うに、下から上にあがっていくみたいな感じで研究が進んできたんですね。でもある時期に、脳自 ・カ 氓体がある仮説を作って、下からあがってきた情報と参照しあって視覚のイメージを作るんじゃない 革かと言われはじめた。 で、「奥の院 , が前頭葉というわけですね。そこがもっとも謎めいている。 茂木前頭葉がおもしろいと思っている人はいるんです。でも、前頭葉の神経細胞は複雑で何をや っているのかを調べるのが格段にむずかしい。一方、ポトムアップのポトムの視覚の研究は、シグ ナルとノイズがどれくらいの割合だとか、この神経細胞は何を表しているのかとか比較的手堅く研 138

3. 脳の中の小さな神々

き 脳は各部分が結びついているという話をずっとうかがってきたわけですけど、逆に結びつけ と る る仕組みがおかしくなるとたいへんなことになっちゃうんでしようね。 実 茂木統合失調症の患者さんみたいに境界がはずれてしまって、自分が想像しているだけなんだけ 女ど、外から入ってくる刺激のように鮮明な感覚として感じてしまうこともあります。視覚よりもと くに聴覚のほうがそうしたことが起こりやすい。ばく自身も一人暮らしのときに夜寝ていて、「絶 想対に電話が鳴った」と感じたことが何回もあるんですね。でも電話を見ると着信記録がない。そう いう例を見ても、特殊な条件下では、自分の脳が作り出したものが鮮明な感覚的クオリアをともな ってしまうことがある。通常の脳の状態だとそういうことはなるべく起こらないように設計されて いる。どのようになっているかは、とてもおもしろい脳科学の問題ですね。 精神科医も興味を持つでしようね。 現実と想像の境界がはすれると : ・・ : ◎統合夫調广 122

4. 脳の中の小さな神々

特別講義 ふたたび、この「特講ーの最初に触れた、視覚的アウェアネスの不思議に立ち返ろう。 「私」が身の回りのものを同時並列的に見渡しているということは、あまりにもあたりまえに思え る。私たちは、ついつい「見る」という体験の不思議に気がっかずに通り過ぎてしまいがちだ。 しかし、一体どのようなメカニズムでそのようなことが可能になっているのかを考えはじめる と、この世にこれほど不思議なことはないというくらいの謎がそこに潜んでいる。 視覚的アウェアネスの中で同時並列的に見えているさまざまなものは、脳の中の視覚野で活動し ている神経細胞の関係性が、前頭葉を中心とする神経細胞の関係性によって生み出される「ホムン クルス , によってメタ認知されることによって生じている。そこでは、あたかも、「私」という視 点が、脳の中の神経細胞の活動を「見渡している」かのようである。 「私」はこの宇宙全体を見渡す「神の視点」はもたないが、自分自身の一部をメタ認知し、自分の 脳の中の神経細胞の活動を見渡す「小さな神の視点ーはもっている。私たちの意識は、脳の中の神 経細胞の活動に対する「小さな神の視点」として成立している。 私たちの脳の中には、 小さな神が棲んでいるのである。 これが、私たちの意識の成り立ちを最新の脳科学の知見に基づき考察していったときの、論理的 な帰結である。それは、現時点では、とても信じられないような不思議な命題であるように思われ る。しかし、将来、意識の謎が解明されたときには、「私たちの脳の中には小さな神が棲んでいる , という命題は、「木からリンゴが落ちる」のと同じくらい自然な現象として理解されることだろう。 259

5. 脳の中の小さな神々

大脳皮質の 4 領域 図 1 頭頂葉 前頭葉 後頭葉 小脳 側頭葉 図 2 脳の機能マップ 運動野 体性感覚野 運動前野 46 野 ( ワーキングメモリー ) 視覚野 野 野言 力性 ロ 小脳 記憶 ウェルニッケ野 ( 感覚性言語野 ) 28

6. 脳の中の小さな神々

聞、電気スタンドといったものが、同時に、並列して見えてくる。そして、文章を書くことに熱中 して注意を向けていなかったときにも、これらのものが視野の中にクオリアとして同時並列的に存 在していたということに気がつく。 それらが何であるか、はっきりと言葉にしたりラベルをつけたりすることこそ一度に一つしかで きないものの、目覚めているとき、私たちの心の中にはずっと同時に多数のものが見えている。こ のような状態を視覚的アウェアネスという。ここに、アウェアネスは、「気づいている」というよ 神 うな意味の言葉であり、意識の中で数多くのクオリアが同時に感じられるという性質を表す用語と さ して現代の脳科学で使われている。 む 私たちが、視覚的アウェアネスのなかにさまざまなものを同時に見ていることは、取り立てて驚 くべきことではないように思われるかもしれない。しかし、この一見あたりまえの事実のなかにこ 中 脳そ、現代科学の最大の謎である意識というミステリ 1 の核心があるのである。 一度は否定された脳内ホムンクルス 私たちの「見る」という体験がなぜそれほどの驚異なのか、その「神髄」を味わうためには、見 240

7. 脳の中の小さな神々

特別講義 私たちが日々体験しているごくあたりまえの事実のうち、もっとも驚異的なことの一つは視覚体 験のあり方である。 たとえば、こうしてこの文章を書いている私の目の前には、ノートブックパソコンがある。パソ コンの下にはテープルがあり、テープルの上には、コ 1 ヒ 1 カップや、ノート、ペン、本などが乱 雑に散らばっている。 部屋の向こうにはソフアがあり、そこには読みかけの新聞が広げられている。ソフアの横、部屋 の隅には、電気スタンドがある。 文章を書くことに熱中しているときには、これらの視野の中にあるものの存在に気がっかない。 、ソコン、テープル、コーヒーカップ、。 しかし、いったん手を休めて前を見ると、 ヘン、本、新 視覚的アウェアネスの謎 意識にかぎらず、科学に残された難問の解決への道は、きっとまだその問題の所在にさえ私たち が気づいていないようなごくあたりまえの事実のなかに隠れている。私たちは日々自分が実際に体 験しているあたりまえの事実に気づき、それを見つめ直す必要があるのである。 239

8. 脳の中の小さな神々

実際、私たち人間にとって、「あるものがあるものである」という同一性は、それを認識する 「私」と切り離すことができない。何よりも、私たちが視覚的アウェアネスのなかで身の回りのさ まざまなものを同時並列的にとらえている、という疑いようのない事実がある。そして、そのよう な意識のあり方のなかで、私たちがさまざまなものの同一性をとらえているという事実がある。 どのようにして意識が、そして視覚的アウェアネスが生み出されているか現時点では明らかでは ない。しかし、私たち人間にとってもっとも自然な「同一性」の成り立ちが、それにホムンクルス 神 という名前をつけるかどうかは別として、「何か」が世界を見ている、という形式のなかにあるこ . な さ とも事実なのである。 む 実際、先に紹介したフランシス・クリックとクリストフ・コッホが二〇〇三年に連名で発表した と断一『一口し 判論文は、「ホムンクルス仮説は、今日ではすっかり時代遅れのものと言わざるをえない の た後で、次のように続けている。 「しかし、結局のところ、私たちがあたかもホムンクルスがいるがごとく意識の体験をしているこ とも事実である。この、疑いようがないようにさえ見える幻覚が、何らかの意味で脳の一般的組織 原理を反映していなかったとしたら、むしろその方が驚くべきことだと一一一一口うことができるだろう」 クリックとコッホが言うように、私たちは、あたかもホムンクルスがいるかのように意識体験を している。それは疑いようもない事実である。しかも、「ホムンクルスがいるかのように」見てい る世界のなかで、「つやつやとした赤いリンゴ」や「犬と草原で遊ぶ子ども」といったものの同一 250

9. 脳の中の小さな神々

「あ、ぼくも食べたい」と思ったサル に向かいつつあるんだと思うんですよね。 ヒュ 1 ベルとウィ 1 ゼルがやったみたいに、視覚野を単独に取り出していろいろ調べることがで きる一方で、日常の活動において幾何学的な情報をあっかうときにも視覚野が使われていることが わかってきた。目をつぶって溝を手でなぞり、その溝の角度がどれぐらいか判断するときにも視覚 野が活動する。視覚野の活動を磁気刺激で邪魔すると、この傾きがわからなくなっちゃう。先ほど 「脳は増築ができないという制約のなかで進化してきた」と言いましたけど、ぜんぜん容量に制約 がないんだったら目で見るときの判断とは別の領域でやってもよかった。だけど、それだけのスペ ースの余裕がなかった。だから、一つのところでやっているんでしようね。 頭のなかで思い浮かべて角度を測っているということなんですか。 茂木いえ、頭のなかで意識してイメージしているわけではないんです。だけど、幾何学的に正確 な判断をしようとすると、われわれの脳ってどうしても視覚野を使うようにできているらしい。視 覚野というのは、見ることだけに使われているんじゃなくて、ある空間的なタスクをやろうとした ときに使われる。われわれがやっていることは、全体として見ないとほんとうの素晴らしさがわか らないんですね。

10. 脳の中の小さな神々

特別講義 いかに無限後退を避けるか 脳のどこかにホムンクルスが隠れていて、それが神経細胞の活動を観察することで意識が成立す るーーーこのようなホムンクルスの「素朴モデルーが否定された理由の一つは、それが「無限後退」 に陥ってしまうことであった。 たとえば、ある人が、グランドキャニオンの上をへリコプターで飛んで撮影した映像を見ていた とする。この時、目というカメラから脳の中のスクリーンに投影される映像 ( すなわち、網膜から 入った視覚刺激を受けた大脳皮質の視覚野の神経細胞の活動 ) を「観察」しているホムンクルスを 性が成り立っていることも事実である。 私たちの経験に照らせば、「あたかもホムンクルスのごとく世界を見ている」ことと、意識の中 であるものが「同一性ーや「意味ーを獲得することが深く関係していることが事実だとすれば、私 たちはそのような意識の成り立ちを、脳の神経細胞の活動をとおして説明することを試みなければ ならないだろう。 つまり、私たちは、何らかの形でホムンクルスを復活させなければならないのである。 251