義 講 日ーーーー自分だけの楽しみ、ひそかな楽しみということでしようか。 第 茂木そういうの、ありますよね。研究としてとっかかりやすいのはサイコロとかですね。賭ける か賭けないか、い まいけそうな気がするとか、絶対あるでしよう。 でも、どうやって研究するんですか ? 茂木それは : : ここでは詳しいことを言えないんです、まだ。 茂木ある行動をすると得になるかどうかということを、これまであまりにも杓子定規に考えすぎ ていたところがあると思うんですね。もちろん何をうれしいと感じるかが損得とあまりにも無関係 でもその生物は死んじゃうわけですけれど、進化の過程では無関係の部分もかなり大きいというこ とですね。実際の報酬とは離れて、脳が勝手に報酬を作って、勝手に消費している部分がかなり大 きいと思われるんです。自分で報酬を作って、自分で消費しているんですよ。その感じわかりま す ? 229
本文中でも紹介したように、私たちの意識は、脳の中の神経細胞の活動の相互関係から「マッハ の原理ーによって生み出されると考えられる。一つ一つの神経細胞自体には、意識やクオリアを生 み出す力はない。 一〇〇〇億の神経細胞があつまって、複雑で豊かな相互関係を結ぶことによっ て、はじめて私たち人間の意識が生まれると考えられる。 相互関係から意識が生まれるといっても、「誰か」がその相互関係を「観測」しなければならな い。神様ならば、「神の視点」を持って、脳の中の一〇〇〇億の神経細胞の関係性を「えいやっ」 と見渡すことができるだろうが、私たち人間は ( おそらく ) 神様ではない。だとすれば、たとえ、 「つやつやとした赤いリンゴ」という意識の中のイメージが神経細胞の関係性から生み出されると 義 儲しても、その関係性自体が、脳の中の神経細胞の関係性によって観測されなければならない。そう でなければ、脳の中の神経細胞の活動によってある情報の「同一性ーを生み出すことはできない。 ここに、私たちの意識を生み出し、そのなかであるものの同一性を保証するメカニズムが、「メ タ認知的ホムンクルスーでなければならなかった理由がある。 脳は、外界から入ったさまざまな刺激を受けて活動する神経細胞のあいだの関係性をとおして、 世界のなかの森羅万象を表現する。そのなかには、「つやつやとした赤いリンゴーもあり、「グラン ドキャニオン」もあり、「犬と草原で遊ぶ子ども」もある。神経細胞のあいだの関係性から、この ようなイメージの同一性を成り立たせるためには、そのような関係性を「観察」する主観性の枠組 みが存在しなければならない。 これが、「ホムンクルス」である。 257
すか。 茂木クオリアが生み出されるためには、一個の神経細胞が活動しただけではだめで、クオリアを 生み出すに必要なだけの関係性がまず構築されなくてはいけない。 一〇〇ミリ秒ぐらいかかるとそ うした関係性が構築できるんですね。つまり心理的な時間の単位というのは何なのかというと、わ れわれの意識に残るクオリアを作るだけの神経細胞の関係性ができるまでの時間というわけです。 義神経細胞が一個活動しただけでは、クオリアは感じられない。神経細胞の活動がふわーっとまわり に広がって、関係性ができますよね。その関係性ができてはじめて、われわれは赤を見るし、音を 聞くし、悲しいと感じるわけです。それに一〇〇ミリ秒ぐらいかかる。脳のなかで神経伝達がどれ くらいかかるかというデータともだいたい一致しているわけです。だからクオリアの理論がまった くないというわけじゃないんですよ。 そして、客観的には時間がかかっているけど、主観的には同時と感じられるというのが、茂 木さんの主張されている「相互作用同時性の仮説 , というわけですね。 茂木ええ、そうです。神経細胞から神経細胞にシグナルが伝わってゆく時、物理的には時間が経 それは〇・一秒とか〇・二秒より短いと短かすぎて気づかないという以上の意味があるんで 155
このあいだ言ったように、全部ゾンビとして起こってもよかったんで 根本的なことがわからない。 すね。いまの科学だと、夢遊病者みたいにぜんぜん意識がなくて、勝手に脳が動いて体も動くとい うような存在でも何も困らないように見えちゃう。「クオリアが生まれるには神経細胞の関係性が なければならない といういまの話にしても、クオリアがあることを前提にして「じゃあそのクオ リアがどう生まれるのか」という説明にはなっても、「何でそもそもクオリアがあるの ? 」という つまりほんとうの意味で問題を解いたことになっ 根本的な問題を説明する理論にはなっていない。 ていないんです。 の と 前回までの話のように、神経細胞の世界と主観的にクオリアを感じる世界の関係がわかる必 ン ど要があるわけですね。 人 茂木そうです。主観、客観というのにどういう起源があるのか説明しなくちゃいけないですね。 それがとても厄介なんですよ。二元論的な世界になっちゃうか、一元論で脳しかないと思うか、あ るいはそのどちらでもなくて、主観と客観をなんとかうまくつなごうということをやるか。一元論 で行くなら物質の脳でそれで終わりですし、二元論で行くんだったら脳と主観は別のものとしてあ るんだということでそれでいい。 三番目の可能性に心ある多くの人が賭けているんですね。何か両 者に関係があるというときに、じゃあ両者の関係は何なのかということを知りたいということなん 158
フロ 1 状態になるには相手がいたほうがいいんですか ? 茂木いや、相手はかならずしもいらないと思います。ただ、セーフべ 1 スがそもそも保護者との 関係性のなかで成り立つものですから、関係性は重要です。一般に人間の脳というのは、関係性と いう文脈が設定されたときにものすごく新しいものを生み出す傾向というか、そういう事実があり ますね。恋愛というのもそもそもそうだし。 日ーーーー恋は新しいものを生み出す ( 笑 ) 。でもともかくフロー状態になるには、セーフべ 1 スがま ず重要ということですね。 第 茂木とても重要だと思いますね。私がいまやっている研究のひとつの重要なテ 1 マです。小泉首 相みたいに「痛み」ばっかり言っていると、セーフべースがなくなっちゃって冒険ができなくなっ てしまう。 たしかに萎縮するというか、守りに入ろうってことになりますね。 201
第 2 日目講義 力や装備を何か月以内にどこそこに送らなきゃいけない。そういうときどうすればい ) ゝ し力といった ことについて、彼らはものすごくノウハウを持っている。 残念ながらいまの日本の文化のなかではそれが根づいていない。だから、「このドリルを反復す ると前頭葉が鍛えられる」などというもっともシンプルな意味での機能局在説にはまってしまう。 そんなのは昔の骨相学と同じで、ここがでかいとこういう性格だとか、そういうものの延長線上に 過ぎない。それがもてはやされるというのは、日本の社会のなかでシステム的な思考が根づいてい ないことと関係しているんじゃないか。そういうのを「みのもんたの脳科学」の勘違いだと言って いるんですが、脳科学といっても社会全体の流れと無関係ではないわけです。 「みのもんたの脳科学ーというのは言いえて妙ですね。「何を食べると、こんなすばらしい 効果がありますよ」って昼のテレビ番組で毎日やっているやつの脳科学版というわけですね。なる ほど、何をやると頭がよくなるというのは、〃ココアを飲めば痩せられる〃というのと同じ程度の 発想かもしれません。 茂木あるドリルをやって脳のある部位を鍛えたってだめで、肝心なのは有機的なシステムのなか でその人の知性がどうなのかということですね。いまの日本の脳研究にはそういう視点が欠けちゃ っていてすごく残念です。でも脳科学は急速にモデルチェンジしつつあって、システム論的な方向
見えない。そこから神経細胞の関係性が生まれてくるんだけれども、関係性が生まれてくるために は関係性を見渡す何かが必要なんですね。それを「小さな神の視点ーというふうに言っているわけ です。それはいままでの脳科学のなかで徹底的に隠されてきた。神経細胞を外からだけ見ていれば 情報表現はあっかえるというウソにもとづいて研究してきた。脳科学で最大の問題はそこで、それ ・カ せを突破するのは掛け値なしにむずかしい。でもこの一歩がないとおそらくクオリアの問題など先に 一何けない。 ん 「脳のなかに小さな神がいる」というのはとても大胆な主張ですけれど、そうとでも考えな 細 経 神 いと解けないということなんでしようね。 の 茂木客観といっている科学でさえ、じつは仮想的な神の視点みたいなものを前提にしないと記述 . な ができないんですね。神の視点みたいな、全宇宙を見渡すような仮想の視点を獲得したことによっ かて近代科学は発展していった。だけど、宇宙全体を見渡している人はいない。宇宙のひとつひとっ し っ一 の粒子というのは自分のことしかわからない。粒子が飛んできて衝突したというけれども、この粒 隣 子の視点から見たら運動ということがそもそもありえないんですね。運動も何も自分が世界の中心 なわけです。二つの粒子がぶつかってはね返ったという記述ができるためには、それを見渡してい る仮想的な神様の視点がいる。物理学をはじめとする自然科学はそうした視点を仮想したわけだけ
でもそうは言っても、ここはわりと見こみがありそうだというような、い ぐらいはあるわけでしよう ? 茂木あると思いますね。私なんかが言った「マッハの原理 . というのはそのひとつだと思いま す。ようするに神経細胞の関係性からクオリアを考えようということですが、従来の機能局在説と 義 は真っ向から対立する、一つ一つの神経細胞にはクオリアは宿らずその関係性からクオリアが生み 出されるという考え方です。その先におそらく革命があると思う。もうひとつの手がかりは、次回 第お話しするように、神経細胞の活動から主観的な時間がどうやって生み出されるかということです ね。私は相互作用同一性の仮説というのを提唱していて、これはぶざまなんですけど、未来に繋が るぶざまさだと自分では思っています。 ですね。 くつかの手がかり 151
ドリルで脳の部分を鍛えるというのとはちょっと違って、全体を見渡して考えるという能力 もありますね。こういうのは、脳科学から見ると、どういう能力なんですか ? 義 日茂木全体を見渡すためには一時的に記憶を蓄えることが必要ですね。それは短期記憶、つまりワ 1 キングメモリ 1 がやっているわけですけど、実験で調べると、どれぐらいのものを同時に覚えら 第 れるかという能力と知能指数にはきれいな相関関係があるんです。つまり一度に多くのものを考慮 に入れられる人ほどが高い。 ただこのごろ—の研究というのはしにくいんです。イギリスでは、個々の知性じゃなくて総合 的な知性に関係している遺伝子があるのかどうかという研究をやっている人がいる。だけど、やっ ばりナチの優生学の後遺症がものすごく強くて、タブーに近い研究テーマになっているんですね。 ーーーー全体を見渡すという能力についてそれ以上の手がかりはないんですか。 「見渡す能力」に必要なも 175
脳の中に棲む小さな神 同一性はどう成り立つか それでは、脳科学からホムンクルスは完全に消えてしまったのだろうか ? 「見る」という体験は、色、テクスチャ、形などに対して反応選択性を持っ神経細胞の活動パタ 1 ンによる情報表現によって説明できるのだろうか ? 結論から言えば、説明することはできない。 脳科学が説明してきたのは、脳の中のある神経細胞の活動と、外界から入る刺激の「対応関係」 だけである。そのような「対応関係」を通して脳の中で生み出された神経活動の一つ一つが、「私 . にとって、どのようにして「赤ーや「つやつや」や「りんごの形」といったクオリアとして成立し ているのか、というメカニズム自体を説明するわけではない。 むずかしい言葉を使えば、私たちが「見る , という体験のなかにとらえている、さまざまな視覚 特徴の「同一性ー自体を説明するわけではないのである。 後に見るように、「同一性ーがいかに成り立っているかを説明しようとするとき、脳科学はふた 「見る。ということの脳内メカニズムを、近代の脳科学はこのように説明してきたのである。 244