313 ようなものをあまり深く考慮しない町であるようた。それほど大きな規模の都市ではないのたけ れど、通りがだだっ広いせいか、歩きまわるとけっこう疲れる。札幌を歩くのに似た疲れかたで ある。 それからこの町には女性労働者の数が多い。町のどこに行っても働いている女の人の姿が目に つく。労働人口が少ないせいかもしれないけれど、・ハスや市電の運転手のほとんどは女性といっ てもいいくらいた。若い女性からおばさんにいたるまで、みんな一様に頬を赤くして元気そうに いきいきと働いている。人類みな質実勤勉にして健康、という思想のいぎわたった国であるよう た。そういう点はローマとはすいふん違う。少数の例外を別にすれば、ローマの人間はみんなな んとか楽して生きていきたいと思っているように見える。気候たってローマに比べたらそれは惨 めなものである。毎日どんよりと曇って、冷たい雨がしとしとと降る。九月たというのに、朝郊 外を走ると手がかしかむ。 寒さ以上にこたえるのが食事である。 レストランに人ると、季節ごとの料理のリストがあった。それを見てみると、夏場はけっこう キ ン料理の種類が豊富である。例えば九月には、〈・ ( ルティック・ヘリング、鱈、ヒラメ、ンロマ ス、鮭、ホワイト・フィッシュ、ヤツメウナギ、兎、野島、ワイルド・ダック、きのこ、苺、コ へ ケモモ、。フラム、クランべリー マトン〉なんてものが食べられる。なかなか豪華である。しか し夏が終わり冬がやってくると、地表は雪と氷に覆われて、材料そのものが極端に少なくなって
292 クレタに着く。イラクリオンの町は素通りし、パスに乗って南海岸に向かう。僕は前に一度ク レタに来たことがあって、その時クノッソスの宮殿は見てるし、二度見たいというような代物で はないから ( たいたい僕は遺跡というものに興味がないのだ ) 、全部。ハスしてそのまま南に向か う。クレタの南岸はすぐ向かいがアフリカだし、季節はもう五月なのたし、たっふりと泳いでや ろうというのが我々の目論見たったのたが、今回の旅行中の大抵の目論見がそうであったよう に、この目論見も死産の運命を辿ることになった。五月のクレタは五月の江ノ島海岸と気温的に はそれほど差がなかったのである。じゃあいったい何のためにクレタくんたりまで来たのか、と 我々は思った。いったい何のためにクレタくんたりまできたのか ? まあいいや。来てしまったんたものな。とにかく。 イラクリオンからの。ハスは山を越え、谷を抜け、葡萄畑とオリーヴ畑しかない平原を突っ切っ てタ暮れ近くにアギャ・ガリーニという小さな港町に到着する。ガイドブックによるとこのアギ ヤ・ガリーニは宝石のように美しい港町ということになっているが、その表現については我々は いささかの疑念を抱かざるを得なかった。我々の目にはアギャ・ガリーニの町は貧相な一一流観光 地にしか見えなかったからた。いや、こういう言い方は意地が悪すぎるかもしれない。というの はそんなことを言い始めたら、クレタ島の殆どの町はみんな貧相な一一流観光地になってしまうか
254 をつけられない。国民は好勝手にやってる。見てごらんよ、みんな夏とクリスマスと復活祭に は三週間も休暇取る、毎單咼いレストランで一家で食事する、アルマーニたとかヴァレンチノた とかやたら金のかかった服着てる : : : 日本のサラリーマンに比べたら豊かだと思わない ? そん なの給料だけしやできないよ」 「いい国みたいたなあ」と僕は感心して言う。 「国って、破産しそうでもなかなか破産しないものたよ」とウビさんは他人ごとのように言う。 ここで有料道路に人るが、料金徴収所に係員の姿は見えない。したがって、我々は金を払わな 「徴収係がストをやってるんたよ」とウビさんは言う。「しよっちゅうやってる」 こういうストなら有り難いと僕は思う。日本ならたふんこういう場合、管理職の人間が出てき て徴収するたろう。 「ムッソリーニは国の仕組みを大胆に変えることに成功した唯一の政治家たね」とウビさんは一一一口 う。「国民に有無を言わせなかった。あれくらいじゃないと、イタリア人相手にはまともな政治 なんかできやしないよ。文句を言うのが商売みたいな国民たからね、いちいち文句聞いてたら政 治なんかできないんたよ。ムッソリーニはマフィアさえ押し潰した。彼の唯一の失敗はイタリア 人の戦争能力を過大評価したことたな。イタリア人に戦争なんかさせたらおしまいたよ」 それからしばらくイタリア人の事務処理能力・勤労意欲についての話になる。
牛たちもじっと僕を見ている。床の上に ( 良く整列した牛たちの首は、品種改良された不思 議な野菜のように見える。僕には彼らの視線をはっきりと感じとることができる。彼らは僕を見 ながらこう言っている。マダ死ンデナイ、マダ死ンデナイ、と。たちはこう言っている。モウ 死ヌョ、モウ死ヌョ、と。 目を覚まして僕はすぐに時計を見た。僕は汗をかいていた。気のせいか手のひらまでべっとり としていた。まるで血糊がこびりついたみたいに。僕は裸のままキッチンに行って、冷蔵庫から ミネラル・ウォーターを出し、グラスに注いで飲んた。三杯か四杯続けて飲んた。 そして今こうしてソフアに座り、窓の外の暗闇を眺めている。時計は三時五十分を指してい よる。 さ 死にたくない、と僕は思う。 分僕は目を閉して、自分が死んでいくところを想像してみる。すべての肉徒能が停止し、最後 十 の息がすうっと肺から出ていく。最後の息というのは、思っているよりもすっと硬い。まるで軟 五 時式のテ = ス・ールを喉から吐いているみたいな感しがする。でもそれはちゃんと出ていく。そ 前してそれから死がやってくる。ゆっくりと、しかし確実に。隰が重みを増し、色が揺らぐ。ま るで。フールの底に寝ているみたいな気分だな、と僕は思う。たれかが飛び込んたらしく、水紋が 広がり、それが光を揺るがせる。しかし、やがてその光も消える。
たから僕は忘れないうちにそれを書き留めておこうと思う。こんなに明確でクリアな夢を見る のは、それほど沢山あることではないのたから。そう、ある意味ではその夢は現実そのものより すっと明確でクリアたったのた。 がらんとした大きな建物の夢たった。天井が高くて、まるで飛行機の格納庫のような建物たっ た。中にはたれもいない。僕のまわりには血の匂いが漂っている。重くぬめぬめとした匂いが、 はっきりとした比重を持って断層のようにどんよりと空中に浮遊している。空気がゆっくり渦を 巻くと、その匂いもエクト。フラズマのように動く。そしてその匂いは僕のロの中にまで人り込ん でくる。それを避けることはできない。それはいやがおうでも呼吸と一緒に人り込んでくるの なだ。僕は舌の先にその匂いの動きを感じることができる。その匂いは僕の喉に人り込み、僕の体 さ の隅々にまで滲みわたっていく。僕という存在はその血のぬめりの中にいやおうなく同化してい の 分 部屋の右手には首を切り取られてしまった牛の胴体が、左手にはその切り取られた首の方が床 五 時に並べられている。切り取られてまだ間がないらしく、首も胴体も、どちらもまたたらたらと血 前を流し続けている。どちらもとてもきちんと手際よく、綺麗に整理されて並べられている。その おかけで二分割されてしまった牛たちはとてももの静かに見える。まるでぐっすり眠っているあ いたに、苦痛を覚える暇もないくらいさっさと、麦でも刈るみたいに素早く首を切り取られてし
206 のおかけでどの建物もどす黒く汚れている。汚れているたけではなく、造り自体も安つ。ほくて醜 。そういうのを見ているとだんたん気持ちが落ち込んでくる。ヨーロツ。 ( の街並みというのは た、こいにおいて統一感があって、見ているたけで楽しいものたが、そういう意味ではここはも うヨーロツ。 ( ではない。もしそこに何らかの統一感というものがあるとしたら、それは醜さと貧 しさである。人口が増えて、仕方なくて安普請の集合住宅をその場のおもいっきでぼんぼんと建 てたという感しの街並みである。形もひどければ、色もひどい。それがうす汚れてくたびれて、 スラムみたいな感しになっている。街自体が健康な活気を失って没落しつつあることが、そうい う建物を見ているだけでよくわかる。 そしていたるところに警官の姿が見える。みんな防弾チョッキをつけて、自動小銃を抱えてい る。ローマなんかに比べると、警官の目付きはすっと鋭い。僕らがパレルモに行ったとき、ちょ うどマフィアの・ホスの裁判が行われ、その報復のための大量殺人事件が続発しているところたっ たのだ。。ハレルモの街のどこに行っても、マフィアの影が見え隠れしていた。僕らのア。ハートの 世話をしてくれたサンドラという女の子はその少し前に友人の男の子をマフィアに殺されたのた と言った。彼が何かをしたわけではない。彼の父親がマフィアの幹部だったのた。たたそれたけ の理由でその青年は。ハレルモの街を歩いているところを自動小銃で蜂の巣にされてしまった。 「そういうのべつに珍しいことしゃないのよ、ここでは」とサンドラは肩をすくめて無表情に言 っこ 0
ミコ . / ス撤退 しだった。せ。なあ君、ジョン、ベルギーのことは忘れるんたな。起こってしまったことは、起こ ってしまったことなんたよ。君の気持ちはわからないではない。でも六〇年代なんて、遥か背後 に過ぎ去ってしまったんたよ。すうっと遠くの方に。 ジョンが帰ったあとの部屋の中には、彼のいらたちがしばらく残っている。まるで微小な埃の リか七ミリの唇の歪みが残っている。死者の形見の ように、彼の文学的自我が漂っている。 ようこ。 ジョンは僕に歴史上の満たされぬ死を思い出させる。誰かがジョンの伝記を書くべきなんしゃ ないかという気がする。誰かが、疲弊と後退した髪とほころびたセーターとギリシャ人の姑とミ ンマとオーエにいたる彼の人生を、精密に描くべきなのた。それもセシル・・デミルの『十戒』 みたいにすごく大掛かりに。僕はソフアに座って、部屋の中に漂うジョンの苛立ちを感しなが ら、そんなことを考えてしまう。 それから僕はヴァンゲリスのところに行く。ヴァンゲリスは暗い部屋の中で老眼鏡をかけて漁 網のつくろいをしている。彼は一人でいるときには、ほとんど部屋の電灯をつけない。たふん電 気代を節約するためだろうと思う。暗闇の中に一人でいると、ヴァンゲリスはいつもより歳を取 って見える。 僕がノックをして中に人ると、ヴァンゲリスは電灯をつけ、漁網を下に置き、僕に椅子を勧め る。ゆっくりと眼鏡を外し、マッチを擦ってひどい匂いのするギリシャ煙草に火をつける。そし
6 化にあたってこの本を読み返してみると、アメリカに住むこととヨーロツ。 ( に住むこととは、ほ んとうに全然違うんだなという思いを新たにします。面白さから言えば、はっきり言ってヨーロ ッパに住んでいたときの方が数段面白かったと思います。ヨーロ ツ。、には「今日いちにち何が起 こるかわからない」というスリルがありました。そのふん消耗も激しくて、ときにはくたくたに 疲れてしまったけれど、でも面白いことは面白かった。たたふらふらと道を歩いていたり、マー ケットに野菜を買いにいったり、車で ( イウェイを走っていたりしていても、何かびつくりする ような光景をふと見かけたり、唖然とする経験をしたりすることがよくありました。そのたびに ヨーロい 。ハという社会はやはり深いんたなと実感しました。 でもアメリカの生活にはそういう「純粋な驚き」みたいなものがヨーロツ。ハに比べるとあまり ないように感じられます。この国ではだいたいのものごとが、なんとなく予測可能なところで成 立しているように僕には感じられます。つまりアメリカというのはいろんな人種や宗教の人々が 集まってあとから出来た国家ですから、予測がある程度可能じゃないと国家として成立するのが むすかしくなるのです。目で見えてロで説明のでぎる共通観念がないと、社会そのものがばらば らになってしまう恐れがあるのです。そういう意味ではアメリカには、生活そのものの日常的ス リルのようなものはあまりないと思います ( もちろん犯罪のスリルはあるわけたけれど、そうい う反社会的なものは別にして ) 。でもだからアメリカという国が退屈かというと、ひとくちでは そうも一一一口えないのです。そこには予測可能であることのスリルみたいなものが、あるといえばあ
って長いヴァカンスにでかけてしまったのだ。そして見捨てられたチンクエチェントたちは文句 ひとっ言わす ( 言おうと思っても言えないわけたけど ) 、ひとり寂しく路上でお留守番をしてい るのである。 午後の日向はくらくらするほど暑いけれど、日陰に人ればひやりとして心地好い。ときどきも わっと熱気がおしよせるが、それを別にすれば、日本の夏よりはすっと過ごしやすい。ェアコン たっていらない。昼食のあとでプラインドを下ろして一時間はかり昼寝をする。その時間には街 中がしんとしている。夕方前に外に出て、道端のカフェでレモンのグラニータ ( シャーベッ ーム ) だが、僕はグラニータが好きた。冷 を食べる。イタリアといえばジェラート ( アイスクリ たくて、甘くなくて、そしてきゅっと酸つばい。本当のレモンで作ってあるから真剣に酸つばい のだ。そしてところどころにレモンの種が混ざっている。ローマの夏というと僕はレモンのグラ ニータを思い出す。 光はひどく眩しく、街を行く人々はみんな濃いサングラスをかけている。やがて日が暮れる と、人々はテヴェレ河のほとりを散策し始める。河の屋台船の上で食事をしている人たちの姿も 見える。サンタンジェロの広場に据えられたステージでは、派手な衣装を着たラテン・ジャズ・ ハンドが楽器の調整を始めている。昼間はぐったりしていた大たちもようやく息をふきかえし、 あちこちを小走りに走っている。 このシーズンは市場も食料品店もなにもかも全部閉まっていて、食べ物を手に人れるのが一苦
4 にした。 国境の検問所を越えて、赤白緑の三色旗の翻るイタリアに人ると、思わすほっとしてしまう。 変な話だけれど、なんだか自分の国に戻ってきたような気さえする。雨にもいささかうんざりし たし、食べ物のパター臭さも鼻についてきた。たしかに風景は美しいのたが、い くら美しくても 来る日も来る日もアルプスと教会と湖ばかり見ているとそれはそれで飽きてくる。国境の峠を越 えると、光の質ががらりと変わってしまう。何から何までが明るく輝いているように見える。ゲ ーテが『イタリア紀行』の中で、オーストリアからイタリアに人った時に感した明るさのことを 興奮して書いているけれど、確かにその気持ちはよくわかる。イタリアというのは実に神に愛さ れた土地なのだ。暖かく、美しく、そして豊穣である。 ドイツ・オーストリアからアルプスの国境を越えてイタリアに戻ると、とたんにまわりの運転 ふりがワイルドになる。しかしこのワイルドふりにも、それなりのルールや傾向があって、慣れ てしまうとたんだんそれが当たり前のことに思えてくる。すくなくとも最初に感じたほどには乱 暴には思えなくなる。なにしろ僕の場合は免許を取ってすぐにヨーロ ツ。ハに行って、 ~ 有業マーク つきでローマの街を乗りまわしていたから、運転というのはそもそもそういうものたと思い込ん でしまっている部分がある ( 思えばおそろしいことである ) 。だから僕にとっては、日本に帰っ てきて経験した啝示の街なかでの運転や、東名高速の交通事情の方が正直に言ってすっと大変だ っこ 0