492 人が二人で新しく始めたという店たけあって、料理にもいろいろと新鮮な工夫があったように思 夕方に旅館の近くを散歩すると、大のサミーが喜んですうっと後をついてきた。細い農道を辿 っていくと、深い森の中に人る。森の中はシーンと静まり返っていて、落ち葉を踏むかさこそと いう足音が響くたけた。柔らかい光が夏の緑に染まって足元にちらちらと揺れる。キノコとりの おしさんがかごを背負って歩いているのに出会うくらいた。「こんちは ! 」と大きな声で挨拶す る。宿の奥さんの話では、この森の中にはウサギやイノンシがい つばい住んでいて、夜になると 葡萄やア。フリコットを食べに出てくるのよということであった。それくらい奥の深い森である。 大はすっと前の方に行ったかと思うと、飛んで戻ってきて僕らがまたそこにいることを確認し、 それからまた先の方に行ってしまう。とても平和で、とても静かで、そこには人の心を乱すよう なものは何もない。 こういうところに住めるといいたろうなとっくづく思う。仕事たって気持ち 良く捗るだろうと思う。 朝になると、奥さんが眠そうな顔をしながら車を運転して、町まで朝食の食品の買い出しに行 く。そして新鮮この上ないヴォリュームたっふりの朝食を作ってくれる。。ハン屋の窯から出たば かりの焼きたてのクロワッサンと、ロール。ハン。大きな皿に並べた何種類ものチーズとハム。生 ェッグ。たっぷりと水差しに人った生ジュース。コーヒ みたての卵で作ったスクライフルド・ フルーツ・カクテル。庭で取れた果物のもりあわせ。アップル・。、 ノイ。僕はどちらかとしう
つばり要領を得ない。「そんなことは私にもわからない」のいってんばりである。仕方ないから 荷物をかかえて車で二十分くらいかかる空港まで行く。そして空港のロビーに座って二時間だか 三時間だか、便があるのかないのか発表を待つ。そしてやはり飛行機が飛ばないとわかるとまた 荷物を抱えて町に戻る。これを三日間続ける。言うまでもないことだとは思うけれど、こういう ことをしていると結構消耗する。空港で航空会社の担当者をつかまえて質問しても、まともな答 えはます返ってこない。彼らも何もわかってないし、みんなにいろんなことを訊かれてひたすら 混乱している。僕の見聞したかぎりではギリシャ人というのは比較的混乱しやすいタイプの人種 である。なんとかうまく物事をこなそうという音宅はあるのたけれど、すこし事態が込み人って くると収拾がっかなくなって混乱し、ある場合には怒り始める。またある場合には落ち込んでし まう。こういう点ではイタリア人と正反対である。イタリア人は始めから物事をうまく処理しょ うという音宅ハが希薄なので、それがうまくいかなくても殆ど混乱しない。どちらのやりかたを好 むかというのはもう完全に趣味の問題である。 とにかくそんなわけで三日間空港のロビーをうろうろとして過ごす。何人か日本人とも会っ て、情報の交換をする。一人は雑誌の撮影班の出迎えをしなくてはいけないコーディネーターの 男の子で、来るか来ないかわからないアテネからの便を飛行場でえんえんと待ち続けている。気 の毒たから手元にあった『フォーカス』の最新号をあける ( どうして僕がそんなものを持ってい るかというのは話が長くなるので説明しない ) 。あとの二人は関西弁の二人組の女の子である。
204 えす新年を祝う。ヴァチカンは一晩中華やかなウインナ・ワルツを流していゑ一九八七年 である。明けましておめでとう。そして我々はローマをあとにし、次なる目的地ンシリーへと向 、つこ。。、レルモに一カ月ほどア。 ( ートを借りて暮らすわけである。どうして。 ( レルモかという と、ある航空会社の機内誌のためにシシリーの記事を書くことになっていたからた。その記事さ え仕上けてしまえば、あとは好ぎに自分の小説を書いていられる。まあ悪い話ではない。一度シ / リーにも行ってみたかったし。しかし。 ( レルモの街に到着した時、僕は一瞬にして理解するこ とができた。。 ( レルモはあらゆる意味において、観光客が一カ月も腰を据えて滞在する場所では ないのたという事実を。ますとにかく街が汚い。すべてがうらふれて、色褪せて、うす汚れてい る。街を構成する建物のおおかたは一言でいえば醜悪である。そして街を行く人々の顔は無表情 で、どことなく暗い。車が多すぎて、騒音がひどく、都市機能は見るからに貧弱である。そして これはあとでわかったことだが、街には暴力犯罪があふれ、人々は猜疑心が強く、よそ者に対し てはひどく冷たい。 もし約束した仕事がなかったら、そして一カ月ふんの前家賃を払っていなかったら、僕はおそ らくこのろくでもない街を、着いた翌日にはさっさと出ていったたろうと思う。でもそういう事 情があって、予定をかえるわけにはいかなかった。そして住んでみてこれは悪くないなと思うよ うなことももちろんいくつかはあった。でもそういう数少ないいくつかの例外を除けば、僕はこ の。ハレルモという街のありようにおおむねうんざりしてしまった。
どない。 ロードスに買い出しに来たらしいハルキ島民が、非感動的な面もちで、我が家に戻って いくくらいである。 日曜日を別にすれば、ハルキ行きの船は午後の三時にこのスカラ・カミロス港を出て、翌朝の 七時に戻ってくる。船は一一隻ある。一隻は『 ( ルキ号』、もう一隻は『アフロディーテ号』であ とういうわけか同し場所からまったく同じ時間 る。この二隻の船はまったく別の経営なのたが、。 に出ている。どちらも午後三時にでて、朝の七時に帰ってくる。別々の時間にすれば利用客も便 利たし、無益な客引き競争をしなくて済むたろうと思うのたが、この二隻の船はびたりと同じタ イムテープルで運航している。その理由は僕にはよくわからない。 『 ( ルキ号』は『アフロディーテ号』より少し綺で、一応観光的努力は払われている。客室も 清潔である。サンデッキも広い。片道六百五十ドラクマ。『アフロディーテ号』は乗客の他に、 野菜やら日常雑貨といった貨物も積んでいる。車も積める。こちらは五百ドラクマ。でも僕らは 『 ( ルキ号』に乗ることに決めた。名前にひかれたということもあるけれど、そのいちばん大き ( な理由は船長が菅原さんに似た人物たったからた。菅原さんというのは、読者はもちろん御存知 島ないたろうが、以前僕らが住んでいた千葉の家で塀を作ってくれた職人さんである。とても丁寧 な仕事をする親切なおじさんで、僕らはけっこう親しくなった。この庭にはライラックがあう よ、と言ってわざわざライラックの木を捜して植えて、甯守の時には水までやりにきてくれた。 このギリシャの菅原さんもなかなか親切な人で、僕らが時間前に行くと、まあまああがんなよ 449
うのがある。店に人ると、菓子とか食品のつめあわせみたいなのが値段別にすらっと並んでい て、そこから「そこにある五千円くらいの」という感じで適当に選ふ。内容というよりは、金額 で縦割りに選ふところも日本の御歳暮と全く同しである。変なところで日本とイタリアは本当に よく似ている。立派な。ハスケットに人ってセロファンとリ。ホンがかけられ、いかにも仰々しい 価格は下は五千円から上は三万円というところである。人々はそれを幾つも買い込んで車の後部 席にぎっしりと詰め込んで帰っていく。僕も住んでいるレジデンスの門番にクリスマス・。フレゼ ントとしてワインをあげた。門番は四人いるので、全部で四本のワインが要る。僕の場合なんか かたと、一時的滞在の外国人だし、とくに高価なものをあける必要はない。気は心である。五百円 ものワインを四本近所の食品店で買うと、「ギフト用に包装するか」と訊かれる。そうしてくれと な言うと、一本一本綺麗な包装紙で包んでリポンをかけてくれる。安物のワインたからといって差 別はしない。歳末のお店には歳末特別包装係のおねえさんがいて、買い上けられた品物をかたっ ばしからくるくると包装して、リポンをかける。 と 混んでいるうえに、この人たちは日本人みたいには手先が器用ではないから包装にはかなり時 歳 この国 間がかかる。しかしこれはもうこういうものなのたとあきらめて、じっと待っしかない。 マ でいらいらしたら負けである。とにかくじっと順番を待って包装してもらう。そして四人の門番 にワインをあける。 この程度のプレゼントをして効果があるかというと、これがちゃんとある。そのあと一週間く 369
板ひとつ見えない。ハ ウス・ククレカレーの広告も見えなければ、サントリー 純生の広告も見え 。ハチンコ屋の新装開店の立て看板もない。「注意一秒・怪我一生」という標語の石板もな 。どの村にも先がきゅっと尖った塔のついた立派なたまね型の教会がある。日曜日の朝なの で、チロル服に身をつつんたおじさんたちがそんな村の教会に集まってくる。旅行者たちは登山 の格好をして、山へと向かう。この人たちは雨が降ろうが何が降ろうが、全然関係ないみたい で、しつかりとハードな休日を楽しんでいる。分厚い雲がアル。フスの尾根から尾根へと移動し、 そこらの山あいに雨を降らせていた。そこにはトラブルの影さえなかった。曇ってはいるけれ ど、静かで穏やかな日曜日の朝たった。ポール・サイモンの歌の文句ではないけれど、そこでは どのようなネガティヴな一 = ロ葉も交わされてはいなかった。 でも僕が最後の山を越え、ロイッテの町を眼下に見ながらギャ・チェンジしたところで、突然 エンジンがとまった。あれ、ギャが人らなかったかなと思って人れなおし、改めてアクセルを踏 みこんでもまったく手応えがない。フォン、という頼りない音がするだけなのだ。何が起こった ののか見当もっかない。しかしとにかくいつもの不吉な予感たけはたつぶりと漂っている。下り坂 ス の途中だったし、、 しちおうプレーキはきくし、坂だけは下りてしまおうと思って、ゆっくりと坂 を下り、人家が見えたあたりで車を脇に寄せてとめた。そしてもう一度ゆっくりキイを回してみ ア た。セルモーターは動く。でもエンジンに点火しない。エンジンを切って、五分くらい間を置い てキイをもう一度回してみる。でも駄目だ。何度やっても点火しない。
! コノスからクレタ島に行く 297 目に走っていたのたが、途中からまた雲行きがおかしくなる。お昼になって、車掌と運転手が車 中で酒盛りを始めたのである。もちろん連転しながら。 運転手が何処かの小さな村で知り合いにワインを一本もらったところから騒動は始まる。運転 手はその村でパスを止めて車掌と一緒に誰かの家に人り、十分ばかり出てこなかった。我々はそ のあいた。ハスの中で運転手と車掌が戻ってくるのをしっと待っていた。運転手は一升瓶くらいの 大きさの瓶をさけて戻ってきた。すごく不吉な予感がしたのたが、案の定それは地造りのワイン であった。次の村で運転手はまた・ ( スを止めた。今度は車掌が下りてチーズを作っている家に人 ( レーールくらいの大きさのある丸いチーズを買ってきた。そのようにしてパスの酒盛り は始まった。 一番前に座っていたギリシャ人のおばさんが「あんた、あんたが飲んでるのワインたろう」と 連転手に向かってとがめるように言った。「水たよ、水」と運転手は笑って誤魔化していたが、 そのうちに「ばあさんも飲みなよ」といってグラスにワインを人れ、チーズを切っておばさんに 差し出した。そしていつの間にか我々乗客を含めた・ ( スの中の全員が前に集まってワインを飲 み、チーズを食べているということになってしまった。車掌はほろ酔い加減で、鹿の皮でも剥け そうな鋭いナイフを使ってチーズを切ってみんなに配るのたが、パスが揺れるとナイフの刃先が 一番前の席に座った英国人の老夫婦の鼻先を行ったり来たりするので、彼らは肩を寄せあい、こ わばった微笑を顔に浮かべつつ冷汗を流している。運転手はもう路面なんか殆ど見てもいない。
り好むところではないようである。一人で重いリュックを担いでとぼとぼと歩き、あるときには ( ンとチーズとリンゴたけで一週間過ごし、お湯の出ないホテルでドアがばたばたと音を立てる のを聞きながら眠るという旅行は、イタリア人よりは北ヨーロツ。ハの人々に遥かに向いているよ 虐うに僕には思える。 北方ヨーロツ。ハ人ーー彼らは実に困難と貧困と苦行を求めて旅行をつづける。嘘じゃない。彼 ゼらは本当にそういうのを求めているのた。まるで中世の諸国行脚みたいに。彼らはそういう旅を 経験することが人格の形成にとって極めて有効・有益であると信じているように見える。彼らは と殆ど金を使わない。彼らは殆どレストランに人らない。彼らは二百円安いホテルを捜して二時間 週町を歩きまわる。彼らの誇りは経済効率にある。車の燃費と同じである。どれたけ安い費用でど 祭れたけ遠くまで行ったか。彼らはそのような長い苦行の旅を終えて故国に帰り、大学を出て、社 佖会に出る。そして , ーー例えばーー株式仲買人として成功する。結婚し、子供も成長する。ガレー る ジにはメルセデスと・ホル十のステーション・ワゴンが人っている。するとムマ度は彼らはまったく け お 逆の経済効率を求めて旅に出る。どれたけゆったりと費用をかけてどれたけのんびりと旅行をす ス るか、それが彼らの新しい経済効率である。 そういうのが彼らの目標とする人生であり、生方のスタイルである。 でもイタリア人はそうではない。彼らはとくにそういう風には考えないのた。そういうのは彼 らの生 ~ 一阜刀のスタイルではない。彼らは午後の。 ( スタやら、 ミッソーニのシャツやら、里 ~ いタイ
いな斜面に沿って家々が肩をよせあうように集まっているのたが、この眺めは大変に美しい。ど の家も真っ白で、四角く、赤つ。ほい色合いの屋根はなだらかな三角形てある。白い壁には縦長の 窓が規則正しく並んでいる。どの建物もほとんど同じスタイルで、日本の家みたいにめいめい好 き勝手なスタイルと色で建っているということはない。白い壁、赤い屋根、四角い形、縦長の 窓。窓枠と雨戸とドアの色だけがそれそれの家によって違う。コスルト・プルーや、鮮やかなグ マト・レッドや、サーモン・。ヒンクに塗られている。遠くから見ると、洋菓子の箱 がすらっと並んでいるように見える。美しい教会があり、とても立派な石造りの時計塔がある ( 十五分遅れている ) 。家なみの上には真っ青な空が広がり、紺色の静かな海に家々の影がひっそ りと映っている。 それがハルキ島である。僕はこの島が一目で気に人ってしまった。 ( ルキ島にはいくつかの民宿と、一軒のホテルがある。民宿は船つき場のすぐ前にあり、ホテ ルはそこから港に沿って十分ばかり歩いたところにある。船を下りると小さな女の子が何人かや 〈ってきて、「 Room ~ 」と恥すかしそうに訊く。「 YesJ と言うとにこっと笑「て自分の家に連れて 島 いく。値段はだいたいダブルで千円くらい。不潔とは言わないが、でもたからといって清潔とも キ . 呼びたくない。。 こく普通のギリシャの民宿である。 港の前にはタヴェルナが三軒ばかり並んでいる。キオスクがひとつあり、せむしの青年が椅子 に腰掛けて新聞を売っている。各種雑貨を売っている小さな店がある。。 ( ン屋らしきものがある
( ルキ島に行くことにする。もしあなたと同し名前のついた小さな島がエーゲ海にあったとし たら、あなたたって一度はそこに行ってみたいと思うでしよう ? 正確に一一一口えば、 ( ルキ島は島ではない。英語的に記述すればという ことになる。はたいたい力と ( の中間 ( ジンギスの、ルはではなく である。でもギリシャ人の発音を聞くと、ごく普通に発音した日本語の「 ( ルキ」にすごく近い し、僕が日本語で「はるき」と言っても何の問題もなく通じる。たから僕と同名の島と言っても へ 島まあかまわないんしゃないかと思う。 ( ルキ島はエーゲ海のトルコ沿岸に沿って展開するドーデカニス諸島の十一二の島のひとつであ る。 ドーデカニスというのはギリシャ語で「十二の島 . ということたが、この諸島には人の住む 島は全部で十三ある。英語では十三という数字を嫌って十三個めのことを「。 ( ン屋のおまけ 447 ハルキ島へ