オーストリア - みる会図書館


検索対象: 遠い太鼓
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1. 遠い太鼓

540 トの中を見てあれこれと言い合っていたが、彼らにも原因はわからなかった。近所の修理工場ま で送ってあけようかと言われたが、でも見ると、アウトビアンキに大人が四人乗って、その隙間 にゴム・十ートやら腹の膨らんだスーツケースやらリュックやら、その他わけのわからない何や らかやらがぎっしりと詰めこんである。イタリア人の典型的なヴァカンス支度である。そんなと ころにあと一一人の人間が乗れるわけがないしゃないか。親切は大変にありがたいが、これは遠慮 させてもらった。 それから近所の家の玄関のベルを押して、そこの奥さんに事情を説明し、電話でオース ののようなものを呼んでもらった。日曜日の朝で、奥さんはまだガウン姿で朝食の用意を しているところだった。もうすぐ修理の車がやってくるから、と彼女は言った。僕は礼を言って 車に戻った。二十分ほどで車がやってきた。黄色に塗った三菱。 ( ジェロ。中から気のよさそうな おじさんが出てきて、「グリュース・ゴット ( こんちは ) 」とオーストリア式の挨拶をする。「グ ト・ダイ」に雰囲気が似 リュース・ゴット」というのはなんとなく例のオーストラリアの「グッ。 ている。「どうしたね ? 」この人はドイツ語しかできない。それで何とか僕は辞書片手に片言の ドイツ語で説明する。そこの坂で、エンジンが突然停まった。ふむふむ、とおじさんは言う。そ れでテスターで何やらチェックしている。十五分くらいいろいろとやっていた。「電気的なもん だねえ、こりや」と彼は一一一口う。「ここが完全に死んじゃってるものな。こういうのは私にはどう もならんから、ロイッテの町の修理工場に引いていってあけるけど、今日はなにしろ日曜日たか

2. 遠い太鼓

% なってしまうわけ。 それから以前ウィーンに一週間ほど滞在して、そのときものすごく退屈してしまったことも、 ザルツ。フルク行きに気乗りのしない原因のひとつであった。他の人々がどうお感じになるかは知 らないが、僕にとってはウィーンというのは本当に退屈な町たった。食べ物は不味いし、とりた ててやることもないし、世の中にこんなに退屈なところがあるのかとさえ思った。毎日動物園に 行ったり、あるいはシェーイフルン宮の森でリスに餌をやったりしてたらたらと時間を潰してい た。同じオーストリアなんたから、ザルツ、、フルクたってあれと同じようなものたろうと想像して いたのた。 今回の旅にしても、とくにザルツ。フルクに寄るために計画したわけではなかった。南ドイツに 旅行するついでに、でぎたら寄ってみようという感じだった。でもオーストリアの田舎をまわっ てザルップルクに着くころには僕らはこの国のことが結構気に人ってしまって、結局半月の旅行 で南ドイツに四泊しただけで、あとは殆どオーストリアをぐるぐると回っていた。人にしても国 にしても、第一印象たけでは相手を見誤ることがあるという証左である。正直に言って、オース トリアはいささか退屈な国ではある。イタリアの面白さもないし、ドイツの存在感もない。美し い清潔な国だが、退屈である。でも退屈で何が悪いという風に開ぎ直れば、これはいい国であ る。そしてこれは何処の国でも同しことかもしれないけれど、都市よりは田舎の小さな町の方が 面白い。それからオーストリアでいちばん素敵なことは、安全なことである。車の中に荷物を置

3. 遠い太鼓

ルップルクに限らす、オーストリアは何処に行っても本当に雨が多かった。毎日雨ばかり見て暮 らしていたような気がする。いつもワイ。ハーをべしやこ・べしやこ・べしやこ・べしやこと動か していたような気がする。ザルツ。フルクから十キロほど北に上がってドイツとの国境を越えてし まうと、そこはからっと晴れている。でもまた南に下りてオーストリアに人ると、見事に雨であ 、、ユージック』を見た方はオーストリアはいつもかんかん晴れて る。映画の『サウンド・オプ・ いるみたい冫 - こ思われるかもしれないが、あれはまったくの世紀フォックス的嘘である。僕らの 行った季節がたまたまそうだったのかもしれないが、あの雨の降り方は日本の梅雨以上であっ 雨ですっとホテルに閉し込められていたせいで、オーストリアではなんたか本ばかり読んでい た。持参した岩波文庫の『モンテ・クリスト伯』全七巻を全部読んでしまったので、シュラドミ ンクという小さな町の小さな本屋で ( メットの『マルタの鷹』を買って ( この本屋には、僕が読 んでもいいという気になれる英語の本はこれくらいしかなかった ) 実に久し振りに再読した。そ れを読み終えてからはトム・ウルフの『ポンファイア・オプ・ザ・パニティー ( 虚栄のかがり 火 ) 』を読んだ ( これはミュンヘンの本屋で買った ) 。アル。フスを越えて、村の旅館に泊まって、 ビールを飲んで、シュニツツェルを食べて、窓の外に降りしきる雨を眺め、牛の首についた鈴が ちりんちりんと鳴るのを聞きながら、そのトム・ウルフの面白くはあるけれどいささか大仰な小 説を読む ( なんでこんなに大仰に感してしまうのかよくわからないが、でもまあ面白い ) という

4. 遠い太鼓

オーストリア紀行

5. 遠い太鼓

繰り返しの毎日であった。 オーストリアて驚きかっ感心したのは、雨がやたらざあざあ降っていても、傘もささす、レイ ンコートも着す、ゆうゆうとそしらぬ顔で歩いている人の多いこと。これはあるいは気候にあわ せて人間が進化したのかもしれない。それからやたらマッダの車の多いこと。トヨタよりもニッ サンよりも、すっとマッダの方が多い。どうしてかはわからない。 オーストリアでは毎日いろんなものを食べたが、料理の名前がそれそれの土地で異なっている 上に、やたらつづりが長いので、何を食べたかは忘れてしまった。そりやまあ注文するたびにそ の料理名をメニューからメモしておけばいいのたろうけれど、そういうのも面倒くさいので途中 でやめてしまった。たいたい、 PRINZREGENTENTORTE ARTISCHOCKENHERZEN GESCHNETZELTE HAHNCHENBRUST ク SCHASCHLIKSPIESSCHEN なんていうような料理名をいちいち手帳にメモしながら飯が美味く食えると思いますか ? 僕 ッ は駄目た。大学一年生のときのドイツ語のクラスのことを思い出して胸が重くなってしまう。 僕が「うん、これは美味しい」と思ってわざわざ料理名をメモしたのは、ザルップルクで食べ た VOLLKORNROLLE という料理である。これは野菜をコロッケの中身にして、ラビオリみた

6. 遠い太鼓

536 のたよ、そういうことってあるんだよ、それくらい予想していなくっちゃ云々 ) 、それをいざ自 分の身にあてはめるとなると、その精神的追求刀は夏の午後の老犬のように不活発になってしま う傾向がある。たとえばあなたは明日自分が癌たと宣告されることを想像できるたろうか ? あ るいはあなたの奥さんが明日どこかの男と逃けてしまい、銀行からの電話でクレジット・カード 引き落とし口座の不足額が五百万円に及んでいる事実を告けられることを相できるたろうか ? その時のショックと痛みをあなたは我がこととして想像できるたろうか ? できるわけがない。実際にリアルな現実としてそのトラ・フルが自分の眼前に姿を現すと、人は それを理不尽たと思い、不公平だと思い、あるいは腹を立てさえする。そういうものなのた。僕 たってその例外ではない。 トラブルが発生したのは八月六日の日曜日の午前十たった。我々はドイツの南端にあるオ ( アメルガウという町を朝の九時に出て、森の中の小さな国境を越え ( 警備員がひとりいて、 トリアに人ると、例によって雲 車の書類をチェックするだけ ) 、オーストリアに人った。オース ゅぎがおかしくなってきた。いっ雨が降りだしてもおかしくないような空模様たった。オーパア メルガウからロイッテというオーストリアの町までは全長三十五キロほどのとても綺麗な山道で ある。別名チロル街道という。車も少ないし、静かで空気も綺麗なところた。牛の群れがいたる ところにいて、湖がときど婆を見せる。ごみひとっ浮いていない美しい湖だ。道路沿いには看

7. 遠い太鼓

4 にした。 国境の検問所を越えて、赤白緑の三色旗の翻るイタリアに人ると、思わすほっとしてしまう。 変な話だけれど、なんだか自分の国に戻ってきたような気さえする。雨にもいささかうんざりし たし、食べ物のパター臭さも鼻についてきた。たしかに風景は美しいのたが、い くら美しくても 来る日も来る日もアルプスと教会と湖ばかり見ているとそれはそれで飽きてくる。国境の峠を越 えると、光の質ががらりと変わってしまう。何から何までが明るく輝いているように見える。ゲ ーテが『イタリア紀行』の中で、オーストリアからイタリアに人った時に感した明るさのことを 興奮して書いているけれど、確かにその気持ちはよくわかる。イタリアというのは実に神に愛さ れた土地なのだ。暖かく、美しく、そして豊穣である。 ドイツ・オーストリアからアルプスの国境を越えてイタリアに戻ると、とたんにまわりの運転 ふりがワイルドになる。しかしこのワイルドふりにも、それなりのルールや傾向があって、慣れ てしまうとたんだんそれが当たり前のことに思えてくる。すくなくとも最初に感じたほどには乱 暴には思えなくなる。なにしろ僕の場合は免許を取ってすぐにヨーロ ツ。ハに行って、 ~ 有業マーク つきでローマの街を乗りまわしていたから、運転というのはそもそもそういうものたと思い込ん でしまっている部分がある ( 思えばおそろしいことである ) 。だから僕にとっては、日本に帰っ てきて経験した啝示の街なかでの運転や、東名高速の交通事情の方が正直に言ってすっと大変だ っこ 0

8. 遠い太鼓

352 葉書を何枚か買い、カフェで熱いコーヒーを飲みながら海に沈んでいくタ日を眺める。まるで柔 らかいお餅をのし棒でべらべらに延ばすみたいに、僕らはいろんな動作・作業をできる限り長く 引き延ばして、時間をなんとかやりすごす。やれやれ、やっと日が暮れた。やっと一日が終わっ 日暮れとともに、人々は動物たちを連れて家に戻っていく。星がくつきりと空に点を打つよう に輝き始める。牛がどこかで物愛けに鳴く。そして僕らも自分たちの部屋にもどる。僕は水筒の プランディーを飲みながらフォークナーの『響きと怒り』を読む。それがシーズン・オフのギリ シャで読むに相応しいものか、僕にはわからない。でも他に読むべき本もないのだ。 朝、からからという羊の鈴の音で目を覚ます。奥さんがミチリーニ行きの。 ( スの時間にあわせ て早めの朝食を作ってくれる。ヴェランダのテープルで、僕らは朝食を取る。。 ( ンと。 ( ウンド・ ケーキと ( 北ギリシャではどういうわけか朝に大抵。 ( ウンド・ケーキが出てくる ) 、茹で卵と、 コーヒ ー。卵は産みたてで、実に新鮮である。二匹の猫がごはんをねたりにやってくる。 食事が終わると奥さんがやってきて、世間話をする。「私達、すっとオーストラリアにいたん です」と彼女は言う。「お金を貯めるためにすっとオーストラリアで働いていました。そしてそ のお金でこの家を建てなおして、民宿を出来るようにしたんです。それでギリンヤに帰ってぎま した。みんなで一緒に。子供たちもギリシャで教育をうけさせたかったし。でも上の息子が昨日 オーストラリアに行ってしまいました。高校を卒業したからです。仕事が必要なんです。昨日行

9. 遠い太鼓

実際に住んでみるとわかることたけれど、イタリアはそれほど大きな国ではない。 の長靴形半島のだいたい真ん中あたりに位置するが、そこから北端のオーストリア国境までも、 あるいは南端のレッジョ・ディ・カラブリアまでも、おおよそ 700 キロメートルちょっととい うところた。アウトストラーダ ( 高速道路 ) を飛ばせば、その日のうちに端っこまで着いてしま 。し力なしし たからイタリア国内はたいたい全部旅行して回った。もちろん隅から隅までとよ、 ナ 寄っていない主要都市もあるけれど ( たとえばナポリ、トリノ ) 、たいたいの地方には足を踏み カ 人れた。その中でいちばん気に人ったのはやはりトスカナ地方、もっと限定していえばキャンテ ー地方である。ここなら家を買って住んでもいいと思う。でも思うたけで買わない。久し振り に行ってみたら家具がごっそりと無くなっていたなんていうのは嫌たから。本当の話。 トスカナ

10. 遠い太鼓

ってしまいました」 なるほど昨日はそれで何となく淋しけな顔をしていたんたな、と僕は納得する。 「日本の方ですね。オーストラリアで沢山日本の人見ました。クレヴァーな人達」そして彼女は 哀しけに首を振る。それから畑の向こうの方に目をやる。そのむこうにオーストラリアが見える かしら、という風に。「また来て下さい」と彼女は言う。「ここは静かでいいところです。ムマ度は ゆっくりと来てくださいね」 そうする、と僕らは言った。今度は夏に来たいものですね。 明「お子さんはいらっしやらないの ? 」とふと思いついたように彼女は尋ねる。 年 いない、と僕らは答える。 彼女は僕らの様子を見て、それからにつこりと笑う。「でもまたお若いですものね」 朝僕らは荷物をまとめ、勘定を払う。お金を受け取る時、彼女はとても恥すかしそうにする。ど ス うしてかはよくわからない。またそういう客を相手にする仕事に慣れていないのたろうか。僕は ス 案内してくれた女の子にと言って日本から持ってぎた小銭をあける。彼女は礼を言って、手のひ らに載せたその小銭をじっと見る。「さよなら」と僕らは言った。そして彼女をその物静かなみ すたまりのような哀しみのなかにそっと置キ去りにした。 それがベトラの町で起こったことの全てである。 353