ワイン - みる会図書館


検索対象: 遠い太鼓
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1. 遠い太鼓

我々が最初に港に着いたときに見かけた一面の垂れ幕の正体が判明したのはその日の夕方のこ とであった。その日は日曜日で食料品店はどこも開いていなかったので、僕らは夕食を食べるた めに港の近くのタヴェルナに人ってメニューを広け、本日の魚料理と豆の煮込みを選び、辛口の 白ワインを注文した。 「申し訳ないんたけど、今日はワインが出せないのよ」と女主人がとても申し訳なさそうに言っ こ 0 ギリシ 僕はそれを聞いて心底びつくりした。唖然として、声も出なかった。ワインがない ? ヤのタヴェルナにワインがない ? そんなの日本の鮨屋に人って「ごめんなさい、今日醤油を切 らしちゃってて」と一言われるようなものである。 「ワインがない ? 」と僕は乾いた声で訊きかえした。 「ほら今日はアレでしよう」と彼女は言って垂れ幕を指差す。「たから出せないの」 でも急にそう一一一一口われても、僕にはさつばり事情がわからない。アレってなんた、いったい ? 「アレって何ですか ? 」と僕は質問する。 「今日は全国統一地方選挙の投票日なのよ。たから全国どこの店でもアルコール類を出しちゃい けないことになってるの。ワインもビールもウイスキーもプランディーもウゾーも、何もかも。 法律でそう決まってるの」

2. 遠い太鼓

478 逆にここにはあまり住みたくないと思うのは、シシリー。根性を据えて骨を埋めるくらいの気 で行くならともかく、正直に言ってよそものをすんなり受け人れてくれるところではない。同じ ような理由でカラ。フリア ( 長靴の爪先のあたり ) ももうひとっ気が進まない。逆に北部には美し い良い街は多いけれど、街としていささかきっちりしすぎるきらいがあって、長く住むと日本人 の感覚には今ひとっ馴染まないところが出てくるのではないかという気がする。気候的にも、冬 は辛い。気候が良いのはローマだけれど、この街にはかなり問題がある。 というわけで、キャンティーが浮かびあがってくる。ここはますなんといっても景色が綺麗 た。なたらかな緑の丘が次から次へと連なり、その斜面に葡萄園が広がる。交通量の少ないくね くねとした美しい道がどこまでもつづく。ローマを出て、 <—高速を通ってここまで来ると、気 持ちがすごくほっとする。風景にも広がりがあるし、空気も美味しい。人あたりもどことなくや わらかた。都会が恋しくなっても、少し足をのばせばフィレンツェやシエナに出られる。ワイン も料理もます文句のつけようもなく美味しい。 ワインのまとめ買いができることも、僕がトスカナによくでかける理由のひとった。あちこち の葡萄園を回って産地直売のワインを何ケースか買って帰ってくる。ローマからのワインの買い 出しといえば南のフラスカーティがいちばん近いのだが、キャンティー ・ワインのあのコクのあ る味に一度とりつかれてしまうと、フラスカーティあたりのワインはどうしても田舎味という感 じがする。もちろんフラスカーティにはフラスカーティの魅力があるのたけれど、せつかく行く

3. 遠い太鼓

なるほど、あの垂れ幕はみんな選挙運動のものたったのた。そういえば選挙がもうすぐあると 新聞に書いてあった。でも選挙があるとどうしてお酒が飲めないのたろう ? 僕は彼女にそれに ついて質問してみる。 「ほら、ギリシャ人ってみんな挙のことになるとすごおおおおおおく興奮しやすいのよ。みん なかっかしてるし、そんなところにお酒が人ると殺人事件たって起きかねないわけ。たからアル コール類は御法度なの。一滴も出しちゃいけないの」 彼女は店が暇なせいもあって懇切丁寧に説明してくれる。 「しかしですねえ」と僕は言う。「僕らは外国人なわけたし、選挙とは無関係ですよ。別に僕ら がワインを飲むふんには警察も文句を言わないんじゃないかな」 る「うーん、まあそうたわねえ」と彼女は言う。「せつかくギリンヤまで来てワインが飲めないっ ていうのも気の毒たわよねえ。オーケー、ちょいと島の警察に電話して訊いてみるわ。待って 島 スでも結局僕らはその日はワインにありつけなかった。警察の返事は外国人たろうが火星人たろ ッうが、本日酒を供することは一切まかりならんということであった。どこの国でも警察というの べは杓子定規である。ワインのないタ食がどれほど味気ないものかは、ギリシャに来てみないこと ス にはわからない。 それが我々のスペッツェス島における一日めの出来事であった。ワインの出ないタ食。さてさ

4. 遠い太鼓

う。七時になったら、行ってみなさい」 彼はそう言ってイン / チェンティの家の地図を描いてくれた。 「とてもいい人なんた。もう何代もワイン作りを続けている家でね、とにかく熱心なんだ。毎日 しくつか違 毎日葡萄園を歩きまわって、葡萄のことしか考えてないんた。ほとんど家にいない。、 うところに葡萄園を持っていてね、すごく忙しいんた」 七時にインノチェンティさんの家に行ってみると、案の定彼は葡萄園めぐりから戻ってきたば かりたった。ごく普通の家で、そうと聞いていなければとても葡萄酒作りの家には見えない。イ ンノチェンティさんは頭の薄くなりかけた、温厚そうな感じの人たった。地方の私立大学の先生 のように見える。フランコに紹介されてワインを買いにきたのたと言うと、彼は悲しそうな顔を した。最初はワインを売りたくないからかと思ったのたが、話を聞いてみると、彼が自慢にして いた会心の名作ワインがちょうど売り切れてしまって、それを提供できなかったことが悲しかっ たのである。 「いちばんいい畑のいちばんいい年のワインだったんだ」とインノチェンティさんは言った。 「でももうなくなってしまった」 彼はまるで一月前に最愛の妻を亡くしたかのようにそう言った。それで僕らは説明した。それ は大変に残念ではあるが、二番めのでも構わないから譲っていたたきたいのだと。インノチェン ティさんは肯いて、僕らを地下の酒倉に案内してくれた。外見は普通の家たけれど、地下室は広

5. 遠い太鼓

うのがある。店に人ると、菓子とか食品のつめあわせみたいなのが値段別にすらっと並んでい て、そこから「そこにある五千円くらいの」という感じで適当に選ふ。内容というよりは、金額 で縦割りに選ふところも日本の御歳暮と全く同しである。変なところで日本とイタリアは本当に よく似ている。立派な。ハスケットに人ってセロファンとリ。ホンがかけられ、いかにも仰々しい 価格は下は五千円から上は三万円というところである。人々はそれを幾つも買い込んで車の後部 席にぎっしりと詰め込んで帰っていく。僕も住んでいるレジデンスの門番にクリスマス・。フレゼ ントとしてワインをあげた。門番は四人いるので、全部で四本のワインが要る。僕の場合なんか かたと、一時的滞在の外国人だし、とくに高価なものをあける必要はない。気は心である。五百円 ものワインを四本近所の食品店で買うと、「ギフト用に包装するか」と訊かれる。そうしてくれと な言うと、一本一本綺麗な包装紙で包んでリポンをかけてくれる。安物のワインたからといって差 別はしない。歳末のお店には歳末特別包装係のおねえさんがいて、買い上けられた品物をかたっ ばしからくるくると包装して、リポンをかける。 と 混んでいるうえに、この人たちは日本人みたいには手先が器用ではないから包装にはかなり時 歳 この国 間がかかる。しかしこれはもうこういうものなのたとあきらめて、じっと待っしかない。 マ でいらいらしたら負けである。とにかくじっと順番を待って包装してもらう。そして四人の門番 にワインをあける。 この程度のプレゼントをして効果があるかというと、これがちゃんとある。そのあと一週間く 369

6. 遠い太鼓

! コノスからクレタ島に行く 297 目に走っていたのたが、途中からまた雲行きがおかしくなる。お昼になって、車掌と運転手が車 中で酒盛りを始めたのである。もちろん連転しながら。 運転手が何処かの小さな村で知り合いにワインを一本もらったところから騒動は始まる。運転 手はその村でパスを止めて車掌と一緒に誰かの家に人り、十分ばかり出てこなかった。我々はそ のあいた。ハスの中で運転手と車掌が戻ってくるのをしっと待っていた。運転手は一升瓶くらいの 大きさの瓶をさけて戻ってきた。すごく不吉な予感がしたのたが、案の定それは地造りのワイン であった。次の村で運転手はまた・ ( スを止めた。今度は車掌が下りてチーズを作っている家に人 ( レーールくらいの大きさのある丸いチーズを買ってきた。そのようにしてパスの酒盛り は始まった。 一番前に座っていたギリシャ人のおばさんが「あんた、あんたが飲んでるのワインたろう」と 連転手に向かってとがめるように言った。「水たよ、水」と運転手は笑って誤魔化していたが、 そのうちに「ばあさんも飲みなよ」といってグラスにワインを人れ、チーズを切っておばさんに 差し出した。そしていつの間にか我々乗客を含めた・ ( スの中の全員が前に集まってワインを飲 み、チーズを食べているということになってしまった。車掌はほろ酔い加減で、鹿の皮でも剥け そうな鋭いナイフを使ってチーズを切ってみんなに配るのたが、パスが揺れるとナイフの刃先が 一番前の席に座った英国人の老夫婦の鼻先を行ったり来たりするので、彼らは肩を寄せあい、こ わばった微笑を顔に浮かべつつ冷汗を流している。運転手はもう路面なんか殆ど見てもいない。

7. 遠い太鼓

別し、税金も払わなくてはならないし、販売ルートも確保しなくてはならない。インノチェンティ さんのような個人葡萄酒作りにとってはこれはいささか面倒な話である。たからおおかたは契約 制で外国に輸出して、あとは個人的な知り合いにごく個人的に売る、という風にしているらし 飲ませてもらったインノチェンティさんのワインは、作った本人がマニアックであるだけあっ ・クラ て、相当に腰の座ったワインだった。はっきり言って、その辺のそこそこのキャンティー シコ・リゼルヴァなんてぜん・せん目ではない。二枚腰で味がたたみかけてくる。後味がとても良 くて、舌先に残った味が自然にすうっと抜けていく。これが一一番めの出来なら一番めはどんなだ ったんだろうと思う。 このあともうひとっ別の種類の赤を飲ませてくれる。これは前のよりはもっとフルーティー いささか比喩に無理はあるかもしれないが で、優しい。モーツアルトの音楽にたとえると 前者がプダベスト弦楽四重奏団の演奏するクアルテットなら、後者はラン。ハルとスターンの 演奏するフルート・クアルテットという感じである。これはもう好みとその時の気分次第で、甲 乙つけがたいというのが実感である。でも一本たけ選べと言われれば、僕なら前者を選ふ。この ワインの厳しい攻め際は、生半可ではないから。 それからもうひとっ言い忘れてはならないのが、インノチェンティさんのヴィン・サント。普 ト・ワインとして飲まれるものだが、こくのある美味いヴィン・サン 通ヴィン・サントはデザー 、 0

8. 遠い太鼓

て本を読んた。 時々雨が降った。雨の日に、タヴェルナのテラスで雨を眺めながら魚料理を食べていると、な んたか遠くまで来たんたなあ、という気がふとする。どうしてたろう ? 音がこもり、冷えすぎ た白ワインの瓶が汗をかき、漁師たちは黄色いゴムの合羽を着込みみんなで一列に並んで鮮やか な色合いの漁網のもつれをほぐしている。黒い大が葬式の雑用係みたいな格好で小走りにいすこ へともなく走っていく。ウェイターは退屈そうにちらちらと新聞に目をやっている。痩せて、奇 術師のような不思議な髭をはやしたウェイターた。僕は鯵のグリルを食べながら二つ向こうのテ ープルに座ったナイロンのジャン。 ( ーを着たおしさんの姿をノートにスケッチしている。彼はす ごくつまらなさそうにワインを半 リットル飲み、イカを食べ、パンをちぎってロの中に詰め込 む。それを順番通りにやる。ワインを飲み、イカを食べ、。 ( ンを口に詰め込む。猫が一匹それを しっと見上げている。僕はそのおしさんを特に意味もなくボールペンでスケッチしている。雨の 午後には本当に何もやることがないのた。 でも悪い気はしない。前には港がある。後ろには山がある。ホテルの部屋に帰れば、ワインと ( ドプロスのクラッカーがある。そして僕には今のところ考えなくてはならないことが殆ど何 カ のもない。マラソンは走り終えたし、航空券は払い戻してもらった。小説はもう書いてしまった し、次の小説までにはまた少し間がある。

9. 遠い太鼓

その苛立たしい音のせいで、まともに何かを考えるということができないのた。 まあいい、もうなんでもいい。蜂の名前は「ジョルジョ」と「カルロ」にしちゃおう、と僕は こよイタリ 決心する。蜂のジョルジョと蜂のカルロ。意味なんてない。でも少なくともその名前冫。 アの香りのようなものが感じられる。 グラスの赤ワインを飲み干し、四杯めを注ぐ。きっとした香りのトスカナのワイン。ホテルの 近所の酒屋で買ってきたあまり高くないワインたが、悪くない。 ラベルには鳥の絵が描いてあ 月 る。見たことのない鳥だ。日本の雉に似ているが、色がもっと派手た。僕は半分ほどに減ったそ 年 のワインの瓶を手にとって、何の意味も目的もなしに、瓶の形やらラベルの図柄やらを長いあい だ眺める。瓶のくちを手で握り、底を腹の上にのせて、特に何の感情を抱くこともなくそれをし っと見つめる。ぐったり疲れると、僕はそんな風に何かを眺めつづけることがある。何たってい カ の とにかくそこにあるものをじっと見るのた。 蜂 と僕は今ワインの瓶をじっと見つめている。ずいふん長いあいだ見つめている。でもまた何の結 ジ論にも達しない。 感情 ? うん、球なら少しある。 の僕はすごく歳を取ってしまったような気がする。すべてが緩慢で遠くにあるように感しられ 蜂 る。そしてジョルジョとカルロが相変わらす頭の中を飛びまわっている。ふんぶんふんふんと。 僕の疲弊こそが彼らの養分なのた。

10. 遠い太鼓

陽気に歌をうたい、冗談を言ってがははははと笑っている。道はあいかわらす険しく、曲がりく ねっている。 しかしこの旅行を通じてこんな美味いワインを飲んたのも初めてだったし、こんな美味いチー ズを口にしたのも初めてたった。これは誇張ではない。本当に信しられないくらい美味しかった のた。もちろんワインだって上等なものではない。そのへんの農家の庭さきで作られたようなも のである。でもこれがなにしろもう目が覚めるくらいに美味い。俺はいままでこのギリシャでい ったい何を食べ、何を飲んできたのたと愕然としてしまうような味だった。シンプルで、新鮮 で、しかも深い温かみがあって、大地にそのまま根ざしたような懐かしい味なのた。こういう味 、つばいになって無事 のワインは残念ながらレストランでは出てこない。とにかく我々はおなかし アギャ・ガリーニの町に到着した。乗客はほっとしたような満足したような、また同し、、ハスに乗 りたいようなもう一一度と乗りたくないような、複雑な気分で。ハスを下りた。みんな運転手と車掌 と握手し、肩をたたきあい、さよならを言った。クレタというのは結局のところそういうタイ。フ の島である。良くも悪くも荒つ。ほくて、ザッなのた。細かいところでいちいち真剣に考え込んた りしていたら、とても生き残っていけない。まったくの話。 さてこの宴会パス 101 号たが、実を言うとその二日後に偶然、我々はもういちどこの同し。ハ