奥さん - みる会図書館


検索対象: 遠い太鼓
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1. 遠い太鼓

の落ち着いた雰囲気が漂っている。何泊かするための簡単なパッグとサングラスと金のプレスレ ベネトンのセーターとソニー・ウォークマン。 それに比べると、②の人々はみんなすごくシン。フルで元気そのものという感じである。「その 男ゾを ( 」みたいなおっさんやら、血色の良いおかあさんやらが、ビレエフスかアテネで買い込 んできたらしい荷物をどっさりと抱えて、どたばたと波止場に降りてくる。彼らは正真正銘の庶 民である。僕は彼らのことを「ゾを ( 系ギリシャ人、と呼ふ。 それから黒いたらんとした僧衣 ( ラーソという ) に身を包んで長い髭をはやした、いかにも謹 厳そうな僧侶の姿も見える。この坊さんもまた、いったい何を買い込んできたのか、両手に段王 ール箱を下けている。すごく重そうな段十ール箱である。四十くらいのおばさんが船の降りくち で、迎えに来た小さな男の子 ( たふん息子であろう ) をひしと抱締めてキスしている。おかけ であとの乗客が船を降りられないでいる。さすがに船の乗務員が「奥さん、邪魔になるからそこ をどいてくたさいよ ! 」と大声を出している。船の上からゾルバ系おしさんが、波止場にいる別 のゾル・ハ系おしさんに向かってびつくりするような大声で怒鳴りつけている。「おおい、コス 夕、元気か ! 」 客引きもいる。あまり客引きには見えないちょっとインテリ風の客引きである。ほっそりとし たウディー・アレンみたいな感しの中年男で、ラコステのポロシャツを着て、ヤツ。ヒー風の黒縁 眼鏡をかけている。でもシャツも眼鏡も御本人もいささかくたびれている。彼は旅行者とおぼし

2. 遠い太鼓

「そうたなあ」と僕はマリーザのからあけをさかなに白ワインのグラスを傾けつつ、想像力を駆 使する。「ヤクザな。 ( トラリス①の方が本物の。 ( トラリスで、あのおばさんの亭主たな。。 ( はもともとが船員で若い頃から世界中あっち行ったりこっち行ったり女遊びしたりしながらけっ こう楽しく生きてたんだが、海運不況で仕事が失くなっちゃって、仕方なく女房の実家のあるこ の島に戻ってきて、タヴェルナを始めた。奥さんというのがわりにしつかりした人で、店を始め るために小金を貯めたり、実家から少し出資してもらったりしたんだね、きっと。ところが。 ( ト 日①は根がフラフラした性格たからなかなか仕事に身が人らない。忙しくてもどこかに遊びにいっ のちゃったりする。それで奥さんが心配して実家のお兄さんのところに行って『兄さん、ちょっと 説叱ってやってよ。あたしが何か言ったってちっともききやしないんだから』と頼む。兄貴の方も 劉『じゃあ、俺がひとっ』ってことで来るんたが、この人もわりに気がよくて、。 ( ト①に『義兄さ おん、説教なんていいからさあ、ちょっと手伝って下さいよ。今ほら、忙しいんたから』なんて言 朝われると、『あ、そうか』と思ってつい手伝っちゃって、そのままするするなんのかのと六年も ス いついちゃったーー・というのはどうかな ? 」 「どうでしようね」と女房はうたがわしそうに言う。僕の和刀にはどうやらあまり感銘を受け べなかったようである。 この日は白ワインを一本とマリーザのからあけが大皿に山もり、グリーク・サラダとカラマリ ( イカ ) のフライ、小型のタイを四匹と豆の煮ものをとって、約千五百円。彼ら三人がどのよう

3. 遠い太鼓

いうアメリカから来ていた日本人の女の子と、御主人のアメリカ人の青年が出てきた。この御主 人の方も日本語がべらべらたったので、僕らはここにいるあいたすっと彼らと日本語で話をして いた。人り口の前の梁の上には燕が巣を作り、親の燕がしよっちゅうそこに餌を運んでいた。 実はこのスイス人の奥さんはここで旅館をやろうというようなつもりはまったくなかった。御 主人はスイス人の弁護士で、十代後半の娘さんがひとりいる。生活には何の不自由もない。彼女 はこの家が一目で気に人って別荘用に買ったのたが、それまでそこが旅館として使われていたこ とをまったく知らなかった。売る方もそんなことは一言も一言わなかった。ところが、この旅館が 「トスカナの魅刀的な小さな旅館」として、あるアメリカのガイド・フックに紹介されてたものた から ( 僕もその本を読んでここのことを知ったわけである ) たまらない。休暇を過ごそうとここ にやってきたとたんに部屋の予約をしたいという電話がかかってきた。「そりやもうびつくりし ました」と奥さんは一 = ロうけれど、まあたしかにびつくりするたろうと思う。休暇を取ってトスカ ナの別荘に来て気持良く寝ていたら、真夜中にニューヨークから国際電話がかかってきて「八月 七日に二人用の部屋をお願いしたい」なんて突然言われたら誰だって相当びつくりしちゃう。 でもこの奥さんの偉いところはその電話の相手に「よく事情はわかりませんが、もしいらっし 鳩やりたいのならどうそお越し下さい」と答えてしまうところである。親切というか、呑気という とまあそうい か、人がいしとしうか、こういうのは普通の人にはなかなかでぎることではない。 う具合にして、なんとなく成り行ぎでなしくすし的に彼女の素人旅館が始まってしまったわけで

4. 遠い太鼓

452 ( たふんそうたと思うが確信は持てない ) 。それ以外には店と名のつくものは何もない。僕らがふ らふら歩いていると、菅原さんがやってきて、よう、何か飲もうやと言った。それで僕と女房と 菅原さんとでタヴェルナに人ってビールを飲んた。菅原さんはハルキ島の住民である。この島に 家があり、奥さんと子供がいる。船は自分の持ち物である ( この人は暇さえあれば船を磨いてい たので、たふんそうではないかと僕も想像していた ) 。 ここの人口が三百人と教えてくれたのも菅原さんである。「でも昔はここにも二万人くらい人 が住んでたんた」と彼は言う。「みんなスポンゴ採りたった」 「スポンゴ ? 」 「うんスポンゴ」 よく聞いてみると、スポンゴというのは海綿のことたった。つまりスポンジである。この辺の 島の住民はたいたいが海綿採りのスペシャリストで、これが昔は大変良い金になったんたそうで ある。でも人工のスポンジができたり、海綿が昔ほどは採れなくなったりで、それで生活が苦し くなって ( 岩たらけの狭い島はあまり農耕に適さない ) 、みんなアメリカに移民しちゃったとい うことであった。島に残っている人々の大部分は瀬業に従事している。「アメリカに行った連中 のほとんどはフロリダで海綿採りしてるんた」と菅原さんは言う。フロリダにターポン・ス。フリ ングという町があって、そこには ( ルキ島出身者が集まって、コミュニティーのようなものを作 って暮らしているんたそうである。この島の人たちは誇り高い海綿採りのスペシャリストなの

5. 遠い太鼓

492 人が二人で新しく始めたという店たけあって、料理にもいろいろと新鮮な工夫があったように思 夕方に旅館の近くを散歩すると、大のサミーが喜んですうっと後をついてきた。細い農道を辿 っていくと、深い森の中に人る。森の中はシーンと静まり返っていて、落ち葉を踏むかさこそと いう足音が響くたけた。柔らかい光が夏の緑に染まって足元にちらちらと揺れる。キノコとりの おしさんがかごを背負って歩いているのに出会うくらいた。「こんちは ! 」と大きな声で挨拶す る。宿の奥さんの話では、この森の中にはウサギやイノンシがい つばい住んでいて、夜になると 葡萄やア。フリコットを食べに出てくるのよということであった。それくらい奥の深い森である。 大はすっと前の方に行ったかと思うと、飛んで戻ってきて僕らがまたそこにいることを確認し、 それからまた先の方に行ってしまう。とても平和で、とても静かで、そこには人の心を乱すよう なものは何もない。 こういうところに住めるといいたろうなとっくづく思う。仕事たって気持ち 良く捗るだろうと思う。 朝になると、奥さんが眠そうな顔をしながら車を運転して、町まで朝食の食品の買い出しに行 く。そして新鮮この上ないヴォリュームたっふりの朝食を作ってくれる。。ハン屋の窯から出たば かりの焼きたてのクロワッサンと、ロール。ハン。大きな皿に並べた何種類ものチーズとハム。生 ェッグ。たっぷりと水差しに人った生ジュース。コーヒ みたての卵で作ったスクライフルド・ フルーツ・カクテル。庭で取れた果物のもりあわせ。アップル・。、 ノイ。僕はどちらかとしう

6. 遠い太鼓

メタ村 269 ルを飲んたり、カードをやったり、あれこれ男同士の話をするのた。すっと昔からそういう習慣 なのである。世の中にはいろんな習慣がある。僕みたいに日曜日の午後は家てのんびりアップダ イクの新しい小説を読んでいた方がいいなんて考える人は、マッチョなイタリアでは生きていけ ・カウンターがあ ない。もちろん、、ハールには女の客なんていない。完全な男の世界である。 り、テレビ・ゲームがあり、奥にテープル席がある。ときどき子供が小銭を持ってお菓子なんか を買いにくる。何か用事が出来たのかお父さんを呼びにくる子供もいる。 ここでウビさんの二人のお兄さんに紹介される。上のお兄さんがフィリポ。大柄で、押したし があって、いかにも長兄という感しの人である。たたし、目はいささか神経質そうた。彼は貿易 商として成功していて、すごいお金持ちということた。大きなメルセデスに乗っている。出世 頭。次男のロベルトは痩せている。フィリボとは全然感しが違う。この人は地方議会の議員をや っている。この前、メータ村の広場に立派な噴水を作った。「シンジラレナイでしよう」とウビ さんが言う。「こんなところに噴水作っていったい何の役に立っと思う ? でもそれで村の人は みんな結構よろこんでるんた。変わってるよ。僕には理解でぎないね」 とにかく、それが二人のお兄さん。二人ともメータ村の近くに住んでいる。メータ村からどう 一しても離れられないのた。 「二人とも、メータ村から遠ざかれば遠ざかるほど、だんたん一兀気がなくなってくるんた。典型 的なイタリア人たよ。育った土地が一番、ママの。 ( スタが一番なんたね」とウビさんは言う。

7. 遠い太鼓

かかってしまう。たからもう、ほろぼろのア。 ハートならともかく、まともな家であれば、家主は余 程のことがない限り身一兀のわかった人間にしか貸さない。まあ困った国てある。 僕らの借りた家はローマ郊外の高台の、ますます高級な住宅街にある。壁に囲まれた広い敷地 の中の家で、電動扉のついたものものしい門番小屋が人口にあり、人場するときに顔をチェック される。身元がわからないことには門も開けてくれない。たから治安という点ではいちおう安し でぎる。住人には外交官や高級ビジネスマンが多く、車もとかメルセデスとかアウディと か、十をホとかサープとかレインジ・ローヴァーとかいった外国車が多い。たいていの家はフィリ 。ヒン人のメイドをやとっている。 僕らの家の家主はマローネさんというナポリ出身のイタリア人である。イタリア外務省上級職 に就いている人で、このレジデンスに家を三軒持っている。そのうちの一軒を僕らに貸してくれ たわけである。マローネさんは。、 , リにも別荘を持っている。要するにお金持ちなのである。 家 僕らがローマに着いた夜に、マローネ一家が僕らを・ ( ーベキューのガーデン・ディナーに招待 の ん してくれた。マローネさんの奥さんはイギリス人である。昔はさそ綺麗な人たったろうと思うの さ ネたが、今では体の各部に少々肉がっきすぎている。マローネ夫妻には十代前半の娘が一一人いて、 ロ 名前はデ。ホラと。 ( ウリーナという。どちらもなかなか綺麗な女の子である。イタリア人の陽気で マ 闊達な血と、イギリス人の内省的で落ち着いた血がそれそれにうまくプレンドされたという感じ 引がある ( 逆たとどうしようもないんたけどね ) 。この年代の女の子らしくすごくはにかむのたが、

8. 遠い太鼓

た、すっと道の前に立ってこの縦列駐車の模様を見物しているのたが、これもまたローマにおけ る飽きない娯楽のひとつである。もしローマにいらっしやることがあったら、僕としてはコロッ セウムやらヴァチカン美術館の見物よりはこの縦列駐車見物をお勧めしたいと思う。これはもう とにかく面白いのた。イタリア人にとってもこの駐車見物はなかなか楽しいものらしく、僕が立 ち止まって見ていると、何人かが歩をとめて隣でそれに見人るということが多々あった。 ぎりぎりに車が一台人るか人らないかというくらいのスペースがあれば、これはもう見物とし ーがス。ヒードを緩める。「人るかな て言うことない。そのうちに車がやってくる。ドライヴァ ド・ランプをつけて、ゆ あ ? 」と目測する。「やってみるかーと思う。少し前で停めて、 ( ザー ックを始める。そのあたりで見物人が出てくる。たいたいは暇そうなおしさんである。 僕のように妻が買い物しているあいた、ぼんやり時間潰しをしているという人間もいる。日本で よくエ事現場なんかを腕組みしてぼおおっと見物しているお暇おしさんがいるけれど、なんとな 情くあの雰囲気に似ている。ドライヴァーはアウトビアンキ間に乗って商店街に買い物に来た普 事 通のシニョーラ ( 奥さん ) たったりするわけたが、これがまた上手い。慣れた手付きですっとお 車 駐尻をつつこんで、きゅっきゅっと素早く何度か切りかえす。そしてぎりぎりにす。ほっと収めてし まう。こういうのは「フラーヴァ ! 」である。ものすごく上手いと、ばちばちと手を叩く人もい る。みんな肯いたり、「ベルフェット ( 咼 ) 」と声をかけたりする。イタリア・オペラのアリア と同しである。シ = ヨーラもにこっとして、賞賛に素直に答える。おかしい国である。

9. 遠い太鼓

441 本で言えば路地裏の縄のれんの焼蔦屋かおでん屋という感じの店である。人口をはいるとすぐ に大ぎな炭火グリルがある。そのグリルにはいつも赤々と燃えた炭が人っている。その前にはラ ンニングシャツ姿の魚焼きおじさんが控えていて、ワインをちびちび飲みながら、焼け具合をチ ェックし、串をひっくりかえしている。その隣には新鮮な魚を人れたンヨウケースがある。その ショウケースから「これをくたさい」と客が名指しで魚を選んで、おしさんに焼いてもらう。店 は三人で経営されている。英語を解さない炭火焼き係のおじさんと、英語を解するウェイターの おしさんと、中でサラダなんかを作っている奥さんの三人である。冬場に行ったときには英語ウ ェイターなしの二人でやっていたのたが、観光シーズンになると一人増えていた。例によってこ の三人の関係はよくわからないけれど、でもここの炭火焼きの魚はとてもとても美味しい。魚は なんといってもたっふりした炭火で勢いよく焼くのがいちばんである。そして値段も安い。とれ たてのタコを一匹と、小型のモンゴイカを三匹焼いてもらって、サラダとフライド・ポテトを食 べ、レツツィーナ・ワインを一本飲んで、。 ( ンがついて、おなかいつばいになって、それで勘定 は千五百円くらいである。おまけに何度か通うと水蜜桃のデザートまでおまけしてくれた。この 焼きあがった魚やイカにたっふりレモンをしぼ 店は携帯用のお醤油を持っていくとすごくいい。 り、隠し持った醤油をさっとかけると ( 別に堂々とやったっていいわけだが ) 、もう見事に美味 しいのである。 この焼き魚屋には近所の人も自分の魚を持ってくる。炭火で焼いてもらうためである。焼いて

10. 遠い太鼓

493 雉鳩亭 と目が覚めてすぐにおなかが減るので、朝食をたっふりと食べる方だが、それでもこの朝食はと ても食べきれなかった。でもすごく美味しかったので、奥さんにお願いして洋ナシとアップル・ 。ハイをお弁当にしてもらった。 旅館を出るときに、いろいろありがとう、とても楽しかったです、と言うと奥さんはとても嬉 しそうな顔をした。でも僕らがまた今度来る時に、彼女がまた旅館を経営しているかどうかは、 かなりむすかしいところだと田 5 う。たってそんな朝食を用意するだけでも、本当にすごい重労働 だと思うから。僕らも昔七年くらい客商売をしていたから、その大変さというのはとてもよくわ かる。お客に喜んでもらえるのはとても嬉しいことなのたけれど、喜んでもらうために接待する 側が払う労力というのは傍目で見ているよりはすっと大変なものなのた。 こういう素敵な旅館に巡り合うと、旅行していてよかったなあという気がする。まあがっかり して旅の疲れがどっと出るようなひどいホテル、旅館も世間にはいつばいあるけれど。