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検索対象: 遠い太鼓
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1. 遠い太鼓

実にしつかりとしがみついている。僕はその記憶のグリップをはっきりと体のどこかに感じつづ けている。記憶の長い手が、非現実の暗闇のどこかから伸びて、現実の僕をんでいる。僕はそ の質感の意味を誰かに伝えたいと思う。でも僕はそれに相当する一 = ロ葉を持たない。それはある種 のこころもちがそうであるように、おそらく比喩的な総体としてしか示せないものなのた。 四十になろうとしていたこと。それも僕を長い旅に駆り立てたもののひとった。でも日本を離 くつかのポジティヴな理由があ れようと思ったのには、その他にもいくつかの理由があった。い くつかのプラクティカルな理由があり、いくつか いくつかのネガティヴな理由があった。い のメタフォリカルな理由があった。でもそのことについてはあまり語りたくない。今となって よ、別にどうでもいいことになってしまっているからた。僕にとってもどうでもいいことたし、 おそらく読者にとってもどうでもいいことたろうと思う。たとえどのような理由が僕を旅行に駆 り立てたにせよ、その長い旅はそれを発生せしめたそもそもの理由なんかどこかに押し流してし まったからた。結果的に一一一口えば。 そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。 それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える。シンプルで、説得力を持って いる。そして何事をもジェネラライズしてはいない。

2. 遠い太鼓

の瓶であり、玉葱みたいな形をした聖。ヒエトロ寺院の丸屋根である。ジョルジョとカルロが羽音 ・ノイズがそれに呼 を鈍く響かせると、まるでインディアンの蜂起みたいにローマのシティー そんなこんなで、僕はすごく歳を取ってしまったような気がする。昨日は女房の誕生日たっ 日た。彼女の誕生日に我々は日本を出てきたのた。時差の関係で、彼女はとても長い誕生日をもっ ことができた。とてもとても長い三十八回めの誕生日。僕が初めて彼女に会ったのは、僕らが一一 月 人ともまた十八のときたった。十八で、酒を飲めば必すぐでんぐでんに酔っぱらっていた頃。あ 年 れから二十年。 でも僕が年をとったように感じるのはその一一十年という年月のせいではない。それはジョルジ ョとカルロのせいなのた。 カ の参ったな、僕の思考はさっきから同しところをぐるぐるとまわっている。僕が昔もっていたビ とーチ・。ホーイズのシングル盤 ( 『グッ・ ト・ヴァイプレーション』 ) みたいに、真ん中あたりでいっ ジも先に進まなくなって、レコード 針を指で内側に押してやらなくてはならないのた。ひょ、 の ( ひょいっ ) 蜂 僕はどうしてこんな文章を書いているんたろう ? 何の目的で、誰に向けて ? この世界に僕 の疲弊に対して興味を持っ読者がいささかなりとも存在するのたろうか ? そしてもし存在する

3. 遠い太鼓

て、我慢して住みつづけたのだ。世の中というのはそういうものた。その状況の向こうにいる人 間の姿がぎちんと見えていれば、大抵のことには我慢ができる。逆にそれほど悪くない状況に身 を置いていても、ひとの姿が見えていないと苛立っし、不安になる。 ートメントにもうひとっ別の部屋を持ってい ところでカナーリさんはこの部屋の他に同しアパ て、そっちは地上にある。地下よりは設備もきちんとしている。僕は想像するのたけれど、どう もこの地下室はそもそもは人が生活するようには作られていなかったらしい。もとは倉庫か何か たったのたろうと思う。それがいろんな事情で部屋に改装されたのた。たからいろんな設備が間 にあわせ的で、中途半端である。トラ。フルも多い。地上の部屋とはすいふん違う。もし地上の部 ン屋が空いたら、あなたがたを優先的にそちらに移してあけましようと彼は約東してくれた。今は そこには単身赴任している自動車会社の偉い人が住んでいるのたが、ローマでの仕事が終わって トリノの家に帰ることになっているから、二、三カ月のうちにはたふん空くと思う、とカナーリ ア さんは言った。 の ん それで僕らはうす暗い地下室で暮らしながら、そのフィアットの重役がトリノに帰るのを待っ さ ていた。ところがこの男は来月こそトリノに帰ると言いながら、いつまでたってもその部屋に居 ナ座っていた。言によれば、彼たってべつにローマにいたくているわけではないのた、ということ だった。彼たって一刻も早くトリノにある自宅に戻りたいのた。でも会社がだらたらとその手続 きを引き延ばしているのである。あるイタリア人に聞くと、そういうのはイタリアではよくある

4. 遠い太鼓

う。七時になったら、行ってみなさい」 彼はそう言ってイン / チェンティの家の地図を描いてくれた。 「とてもいい人なんた。もう何代もワイン作りを続けている家でね、とにかく熱心なんだ。毎日 しくつか違 毎日葡萄園を歩きまわって、葡萄のことしか考えてないんた。ほとんど家にいない。、 うところに葡萄園を持っていてね、すごく忙しいんた」 七時にインノチェンティさんの家に行ってみると、案の定彼は葡萄園めぐりから戻ってきたば かりたった。ごく普通の家で、そうと聞いていなければとても葡萄酒作りの家には見えない。イ ンノチェンティさんは頭の薄くなりかけた、温厚そうな感じの人たった。地方の私立大学の先生 のように見える。フランコに紹介されてワインを買いにきたのたと言うと、彼は悲しそうな顔を した。最初はワインを売りたくないからかと思ったのたが、話を聞いてみると、彼が自慢にして いた会心の名作ワインがちょうど売り切れてしまって、それを提供できなかったことが悲しかっ たのである。 「いちばんいい畑のいちばんいい年のワインだったんだ」とインノチェンティさんは言った。 「でももうなくなってしまった」 彼はまるで一月前に最愛の妻を亡くしたかのようにそう言った。それで僕らは説明した。それ は大変に残念ではあるが、二番めのでも構わないから譲っていたたきたいのだと。インノチェン ティさんは肯いて、僕らを地下の酒倉に案内してくれた。外見は普通の家たけれど、地下室は広

5. 遠い太鼓

スに乗ることになった。車掌は違う車掌たったが、運転手は同し人物である。何となく不吉な予 感がした。ギリシャやらイタリアやらを長く旅していると、我々はいやがおうでもこの「不吉な 予感」能力を身につけるようになる。かのトロイのカッサンドラのように、我々は予感の不吉な 面たけを見るようになるわけた。そして残念ながらその予感はたいてい当たる。オリンビック航 空がストで飛ばないんじゃないかなという気がふとすると、やはり飛ばない、イタリアの列車が 二時間遅れるんしゃないかなという気がふとすると、やはり二時間遅れる ( もっともこの二つの 例は確率的に言って殆ど予感とも呼べないけれど ) 。 さて宴会パス 101 号についてのそのときの僕の不吉な予感も、また見事に的中した。パスカ 走っている最中に・ ( スの荷物室の蓋が開いてーー車掌が蓋をきちんと閉めなかったのたーー中に ご人れてあった乗客の荷物がふたっ道路にころけ落ちてしまった。パスは百キロくらいのス。ヒード 島 を出していて、荷物が落ちたことには運転手も車掌も気がっかなかったのたが、幸いなことに一 レ 番後ろの席に座っていたパック ッカーがそれに気づいて大声を上げ、なんとかススは停車し : というべきところたが、実は あた。そしてパックして落ちた荷物を回収した。まあ、良かった : ス あまり良くない。何故ならその二つの荷物というのは二つとも我々の荷物たったからた。ひとっ コは僕がかついでいるミレの大型の、、ハック。ハ ック、もうひとつは女房の持っているナイロンの、パ グ。、、ハスから降りて調べてみると、ミレの・ハック。ハ ックの方は路面に叩きつけられて見事に穴が あいている。もちろん僕は車掌に文句を言うけれど、文句を言ってそれで何かの結論に到達する 299

6. 遠い太鼓

の水中翼船の中でエウリビデスの『トロイアの女』を読みかえしたばかりたった。 アテナ「 : : : ますゼウスが、空を曇らす旋風を巻き起し、雨と霰を車軸も流せと降らせ ましよう。ゼウスの雷の火を借りて、ギリンアの船を焼き捨てる約束もできております。そ こで次にはポセイドンよ、あなたがアイガイオス ( エーゲ ) の海をば、怒濤で湧きたたせ、 渦潮に狂わせてほしいのです : : : 」 ポセイドン「心得た。おれが手を貸すと決心したからは、これ以上の論議はいらぬ。ア イガイオスの海を湧きかえらせ、ミュコノスの浜、デロスの岩、さてはまたスキュロス、レ ムノスの島々、カペレウスの岬のあたりをば死人の骸で蔽うてやりましよう。・ ( ちくま文庫『エウリ。ヒデス・上』 ) とまあ、ここまで古くさかのぼらすとも、映画『ナ。ハロンの要塞』にだって大嵐は出てきた。 映画『その男ゾを ( 』の冒頭のンーンもたしか土砂降りのビレエフスたった。そう、もちろんギ 丿シャにだって嵐は来るのた。しかし正直に言って、まさか自分がエーゲ海で嵐にでくわすかも る 来しれないなんて相もしなかった。雨具といえば、日本を出るときに「雨が降ることもあるたろ 型の傘をひとっ持ってぎただけたし、それもどこかに置忘れ う」とふと思って、壊れかけた小」 てきてしまった。そしてそこにーー傘の一本も持たない人間の頭上にーー・まさに青天の霹靂とで

7. 遠い太鼓

ている。もちろん泳けない。美味しいレストランは閉まっている。ホテルの従業員はやる気がな い。わざわざそんなところに来ても寒々しいたけである。がっかりする人も多いのではないかと 思う。遊びに来るのならなんといっても夏です。ツーリスティックだとか人が多いとか言われて も、ホテルが満員で物価が高くて住民が不機嫌でも、近所のディスコがうるさくて眠れなくて も、やはり夏のミコノスはすごく楽しい。それはもうひとつの祝祭なのた。 でも結果的に言って、このようなひどい天候にもかかわらす、いや、このようなひどい天候な ればこそ、シーズン・オフのミコノスは僕が静かに仕事をするには実にもってこいの環境たっ た。家の居心地は良かったし、とくに他にやることもないし、集中して仕事をすることができ た。僕はここで O ・・・プライアンの『グレート・デスリフ』という小説の翻訳を仕上けた。 けっこう長い小説たったのだけれど、面白い話たったし、とにかくこれを早く仕上けて自分の小 説にかかろうと思って、こっこっと毎日翻訳を進めていた。この頃はまたワードプロセッサーを 使っていなかったから、大学ノートに万年筆でぎっしりと字を書いていた。 『グレート・デスリフ』を最後まで仕上けてから、スペッツェス島での生活についていくつかス ケッチのような文章を書き ( ここに収められたものの原形である ) 、それから待ち兼ねていたよ うに小説にかかった。その頃にはその小説が書きたくて、僕のからたはどうしようもなくむすむ すしていた。からだが一一一〕葉を求めてからからに乾いていた。そこまで自分のからたを「持ってい く」ことがいちばん大事なのた。長い小説というのはそれくらいぎりぎりに持っていかないと コノス

8. 遠い太鼓

496 僕の持っているあるアメリカのガイドブックを見ると、第二次世界大戦中にアメリカ軍の がローマから故国に向けて書いた手紙が一九六〇年代になってようやく到着したというェビソー トが載っていた。無茶苦茶な話たとは思うけれど、これは決してありえないことではない。少な くとも、この話をしてもイタリア人はあまり驚かない。そういうことは現実的にありえない話で はないからである。「届いたたけラッキーたよ」というのが、彼らの一致したクールな感想だっ 郵便もひどいけれど、電話たってひどい。日によって音が大きかったり小さかったりするし、 かかったりかからなかったりするし、かかっても声が大きくなったり小さくなったりするし、話 している途中でふつんと突然切れてしまったりする。ある会社のイタリア支店に勤めている人が 東京の本社と電話で話している途中で、突然ばしやっとラインが切れてしまった ( 彼らはこうい うのを落ちると表現する。これはイタリアではそんなに珍しいことではない ) 。慌ててかけなお したのたが、相手はかんかんに怒って取り合ってくれなかったそうである。いくら謝っても、日 本の人はそういうことが日常的に起こりうるという事実をまったく理解してくれないのである。 目しい度胸してるよな」とさんざん厭味を言われたということである。本当にこういうの は気の毒だと思う。 電話もひどいけれど、小包もひどい。日本食が不足しているたろうと思ってわざわざ送ってく たさる親切な方もいるのたが、 これが残念ながらあまり着かない。孤立した日本軍部隊に食料を

9. 遠い太鼓

たりする。クローゼット ; がたがた揺れる。中のカメラは大丈夫かなあ、と僕は不安になる。で も戸は開かない。 「今、道具持ってくる」と彼女は一一一口う。僕はそれを聞いてほっとする。そう、最初から道具持っ 殺 虐てくればいいんだよ。でも彼女の持ってきた道具というのは実に石ころである。グレー。フフルー トッくらいの大きさの石ころ。それでクローゼットの金具を叩並似そうというのた。とにかくもの ゼすごい音がする。僕はそれまで知らなかったけれど、石ころでクローゼットの金具を叩瀇すと いうのはひどくうるさい作業なのた。ホテルの他の宿泊客が何事が持ち上がったかとみんな覗き にくるくらいうるさい。「ええい」とか「くそ」とかいうようなことをわめきつつ、彼女は石で 週クローゼットを打ち続ける。そのうちに石がふたつにばかっとわれる。クローゼットの方も金具 祭や鍵穴がぐしゃぐしやになっている。でもまた戸は開かない。それは本でしか読んたことのない 古代文明の虐殺を僕に想起させる。カルタゴの抹殺やらインカ人の虐殺やらサマルカンドの陥落 けやらを。 お「事態は前より悪くなってるんじゃないかしら ? 」と女房は言う。 ス 「そんな気もするけど」と僕は言う。 「専門家を呼んでもらった方がいいんじゃない ? 」 「復活祭の週末にそんなもの来ない」と僕は言う。復活祭の週末に、鍵の専門家が電話一本で飛 んで来てくれるわけがないしゃないか。何もない平日にたって相当疑わしいというのに。 281

10. 遠い太鼓

にはなかなか立派なジョギング用のコースがあって、これは大変有り難かったのたが、問題はそ こにいくまでである。住んでいた所から走って十五分くらいの距離のあいたに何匹か放し飼いの 大がいる。他のジョガーはどうしているのかと思って見てみると、なんのことはない、みんな車 に乗ってそのコースまでやって来て、走り終えると車に乗って帰っていく。僕は車がないから、 どうしてもそこまで走っていかざるをえない。とくにガソリン・スタンドの隣に飼われている白 い大きな犬が悪質たった。僕が走って通りかかると、何はさておいてもワンワン吠えながらあと を追い掛けてくる。いつも同じ場所にいて、いつも追い掛けてくる。飼い主も大抵そのへんにい るのたが、 大が僕を追い掛けていても、べつに注意するわけでもなく、ぼおっと眺めたりしてい 事るたけである。僕が片言と身振りで文句を言っても、まったく取り合ってくれない。 ンというのは、そういうことに対してはたいたいが不親切で頑固である。他所者なんかみんな大に 食われりやいいと思っているような節さえある。 仕方ないからはじめの何週間かは護身用に棒を持って走ったのだが、これがこれでけっこうま 〕た問題がある。というのはこのときマフィアの幹部のかなり大掛かりな裁判が行われていたから た。マフィアのほうもその報復に何人か役人を街頭で射殺したりと、とにかく町じゅうが厳戒態 勢で、いたるところ警官たらけである。みんな防弾チョッキを着て自動小銃を持って、びりびり 南 した顔をしている。そんな中を棒を持って走るんだから、これはいくらなんでもちょっときっ 。大も怖いが、警官も怖い