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検索対象: 遠い太鼓
108件見つかりました。

1. 遠い太鼓

たら、山はすぐに丸裸になってしまうはすたから。でもとにかくみんなこれをやっている。軽ト ラックに電気のこぎりを積んで山にやってきて、木を切って帰っていく。方々でぎゅううううう ううううううううんというあのチェーンソー独特のうなりがこたましている。そう、冬がすぐそ こまで来ているのた。 しばらく走ると眼下に小さな集落が見えてくる。緑の松林と青い海のあいたに、こちんまりと した白壁の家が何軒か肩をよせあうように並んでいる。白い砂のビーチがあり、簡単な船着き場 があり、タヴェルナがあり、その先の方には円屋根の教会の姿も見える。美しい光景た。しかし それは打ち捨てられた集落である。家はサマー ( ウスであり、タヴェルナはビーチに泳ぎにくる リスト用のものである。でもすべては季節の終了とともに閉ざされてしまったのた。サマー ( ウスの窓には頑丈な鎧戸が下ろされている。タヴェルナには看板さえない。おそらく経営者が で盗まれないように看板を家に持ってかえってしまったのたろう。人り口の近くには脚のとれた椅 の子がひとっ捨ててある。エーゲ海プルーのペンキで塗られた木の椅子である。ところどころでペ オンキが剥がれている。その見捨てられた椅子たけが、微かに夏の記憶を漂わせている。 このような夏期用小集落 ( リゾート・コロニー ) が町のまわりにまるで小衛星のごとく点在し 一ているわけたが、これらは秋の訪れとともにひとっ残らすゴースト・タウンと化してしまう。そ うなると、島の人口は町に集中してしまう。島の反対側にはひとったけ漁師の住む小さな村があ るし、山の中には何人かの羊飼いが住んでいるが、その数は微々たるものである。どの方向でも

2. 遠い太鼓

静かな人江に五十隻か六十隻くらいの大小のヨットが停泊し、そのマストがカたカたカたカた と乾いた音を立てながら、占い棒のように不規則に揺れている。日焼けした乗組員が、そのへん の店で買い込んできた食料品の袋を船に積み込んでいる。岸壁の日だまりで黒猫が丸くなってぐ っすりと眠っている。ョットの船尾にはそれそれの船の国籍を一小す旗が翻っている。プルーの地 に白の十字をあしらったギリシャの旗がもちろんなんといっても多い。それからイタリアの旗も 見える。イギリス、ドイツ、スイス。 港に沿って湾曲した道路にはレストランやカフェが並んでいる。どれもなかなか感じの良い店 だが、残念ながら例によって全部閉まっている。ョットでやって来るツーリストが目当ての店な ので、夏が終わるとしつかりと閉まってしまうのた。すっと先の岬の突端には真っ白な灯台が見 える。灯台のすぐ下には座礁したまま廃棄されたらしい貨物船が不安定な格好で浮かんでいる。 大胆なくらいたっぷりとグリーンを混ぜたような鮮やかなプルーの水面に、濃紺の貨物船の船体 と、白い雲が映っている。そして人影はない。食料品を補給しおえたらしいョットが帆をあけて 港を出ていってしまうと、あたりにはもう誰もいなくなってしまう。 すうっと先まで歩いていくと、灯台のある岬の付けねあたりに幾つか造船所の姿が見えてく る。造船所といってもそれほど大表裟なものではない。二、三人の職人がとんとんと手作りで木 造船を作っているたけである。たいたいは地元の漁師がちょっと沖に出て網を打つのに使うよう な小さなホートたが、中にはゆうに十メートルを越える大型船もあるし、屋形船のような屋根の

3. 遠い太鼓

312 週間ふんの料理を一度に作って冷凍する主婦みたいた。日本を出たのは九月始め。短い帰国たっ たけれど、結構疲れることが多かった。人とのつきあいとか、いもづる式にあとからあとから出 てくる事務的な雑用とか、いろいろと頭の中がもつれてくる。美味しい日本料理がしばらく食べ られないのは辛いけれど、まあ仕方ない。 今回はフィンエアに乗って、ヘルンンキ経由でローマに南下する。ヘルンンキは初めてなので 五泊くらいはしてみたい。北欧系の航空会社はたいたいにおいて好きたけれど、中でもフィンエ アは僕のお気に人りの航空会社のひとつである。スチュワーデスは決して美人ではないし、スタ イルがいいとはお世辞にもいえないけれど、べイシックな部分で親切だし、鷹揚に構えてカリカ リしてしなしところ力しし みんなのんびりとした顔つきで、にこにこしながら働いている。た ふん健康な人だけを選んで人社させているのたろう。日本の航空会社のサービスは概していいと は思うのたけれど、会社によってはいささかマニュアルっ。ほすぎて神経症的に ( これしやまるで 空飛ふマクドナルドだなと ) 感じられることがないではない。 フィンエアはおおむねその対極に あると言っていいと思う。 ヘルシンキの町は東京から来るとなんだかがらんとして見える。道幅が広く、・ハイクの数が極 端に少ない。、 公園がいやに多い。町には自動販売機が一台もない。見たところ、経済効率という

4. 遠い太鼓

に座って憮然とした顔で海を睨んでいる。場所が悪すぎるのた。それに愛想たって悪すぎる。僕 は一度くらい何かを買ってあげようと思って品物をひととおり見てみたのたが、絵葉書は日にあ たってすっかり白くなり、反りかえっていて、とても使えるような代物ではなかった。煙草を買 うといっても僕はすっと禁煙しているし、ガムは歯医者にとめられているし、買ってあけられそ うなものなんて何ひとつなかった。申しわけないとは思うが、いたしかたない。これがタカ ( シ さんのキオスク。 ここをとおりすぎて少し行くと。ハン屋があり、ここでいつも。ハンを買う。 ハン屋を越して、役場を越して少し行くと綿織工場のあとがある。いや、あとというような生 易しいものではない。これはもう完全な廃墟た。この工場が操業していた当時はさそかし立派な 様子であったろうと推察される堂々たる工場ーーというか工場としてはいささか堂々としすぎる 建築物ーーたが、今となってはそのぶん余計に寒々しく虚ろである。世の中にはたまにそういう ものがある。動機が立派で、見かけが立派なふんだけ、うまくいかなくなったときにどうしよう もなく惨めに見えるものが。全てのガラスを失った窓枠のペンキはすっかりはけおちて変色し、 壁は各所でぐすぐすに崩れ落ち、鉄扉は赤く錆び、石壁には落書きがある。我々はこの前を通り かかるたびに建物全体ががらがらと崩れおちて我々を埋めてしまうのではないかという恐怖に襲 われたものたが、それが決して大けさな心配でなかったことはあとになって判明した。嵐のあっ た翌日に工場に行ってみると、実際にその壁の一部が大きく崩れ落ちて、道を塞いでしまってい

5. 遠い太鼓

き外国人をかたはしからっかまえて、「あんた、今日泊まるところは決まってるの ? 」と英語や らドイツ語やらできいている。港の広場には馬車が全部で六台並んで ( ヴァレンティナの言った イエス、。フリ ーズ」と人々に呼び掛け とおりちゃんと馬車は存在した ) 、御者たちが「 ( ロー ている。広場のまわりにはカフェがすらりと並んでいて、人々はビールを飲んたり、新聞を広け たりしながら、船から降りてくる客を眺めている。 それから大がいる。椅子の足もとで、二匹の茶色い大がごろんと横になったまま身動きひとっ しない。生きているのか死んでいるのか、まったくみわけがっかない。これはスペッツェス島に 限らす、全ギリシャで日常的に見受けられる現象である。僕はこれを「死に大現象」と呼んでい るのたが、とにかくギリシャの大は暑い午後にはみんなこんな風に、ぐったりと石のごとく眠る るのである。もう本当に文字どおり、びくりとも動かない。息すらしていない ( ように見える ) 。 増ギリンヤ人にとってさえこのような「横たわり大」の生死のほどを見分けるのは至難のわざであ にるらしく、何人かのギリンヤ人が横たわり大のまわりを取り囲んで、大が生ぎているか死んでい スるかについて額に皺をよせて真剣に討論している光景を何度か見掛けた。棒か何かでつついてみ ればすぐにわかると思うのだけれど大を起こすのが可哀そうたと思うのか、それとも噛みつかれ 。 ~ るのが怖いのか、そういうことをする人はいない。たたじっと見て、これは生きているたの、 ス や死んでいるたのと言い合っているたけである。大も暇たけれど、人間の方も相当に暇である。 客引きラコステ男 ( たぶんどこかのペンンヨンの親父なのたろう ) が僕のところにやってき

6. 遠い太鼓

4 るの力な、ミスタ・ムラカミ ? 」 それを説明するのはとても難しい、と僕は言う。 「前衛的なものかな ? 」 少しは前衛的といえるかもしれない、と僕は答える。そうかな ? 彼はまた首を振る。首を振ることが人生の重要な一部であるというように。僕は膝の上で手を こすりあわせる。僕にだって人生の重要な一部はあるのだというように。 それからしばらく我々は小説の話をする。やがて彼はソフアから立ち上がり、レインコートを 着て、僕に手を差し出す。「君に会えてよかったよ、ミスタ・ムラカミ。なにしろこの島には文 化というようなものはほとんど何もないからね」 ジョン、僕も君に会えてよかったよ。またいっか会おう。 「やあ、雨がやんたようだね」彼は空を見上けてそう言う。「これなら大丈夫、飛行機は出る な。良い旅行を」 亠めりがとう、と僕は一一一口う。 我々はもう一度握手をして別れる。そして僕はもう一度ナポレオンの撤退戦に思いを馳せる。 頭の禿けかけたややこしい名前のベルギー人のジョンが、・ とことなくみつともない白い息を吐き ながら手斧で橋を落としている光景が目に浮かふ。ここには文化というものがないよ、と彼は首 を振りながら言う。なんでこんなところに来ちまったんだろう。これならベルギーの方がまたま

7. 遠い太鼓

彼らは何かを着せておかなくてはならないから仕方なく軍が作って彼らに与えたというよう ないかにも粗末な、ざらざらとした古毛布みたいな生地のカーキ色の軍服を着て、重そうな黒 いプーツを履いている。略帽を畳んで肩の肩章にはさみ、軍服と同し色のダッフル・ ( ッグを担 いでいる。胸のポケットには煙草の箱が人っている。でも、気の毒たとは思うのたけれど、彼ら には全然その軍服が似合っていない。身についていないのた。 彼らは三人でフェリ ーポートのデッキの手すりにもたれて、カヴァラの港を眺めている。港に はタ闇が迫っている。漁船が船尾の誘魚灯を灯し始めている。フェリ ーポートはあと何分かで出 航するはすだ。 一人の兵隊はひどく背が高く、一人の兵隊はひどく背が低く、もう一人はその中間くらいの背 一・丈で小太りである。そんな三人が並んで立っていると、彼らはとてもじゃないけれど、兵隊なん = かに見えない。とてもちぐはぐで、無防備なのた。中間的背丈の兵隊が胸のポケットからマル・ホ フ ロの箱を取り出し、一本口にくわえてからあとの二人にも勧める。そしてみんなそれそれに火を の ら つける。タ闇のなかでオレンジ色の三個の火先がそれそれに図形を描く。彼らは煙草を吸いなが ら、とても楽しそうにいつまでも話を続けている。あはははと声を上げて笑ったり、顔をしかめ ヴたり、手をふりまわしたり、はにかんだり、誰かの腹に軽く。 ( ンチを人れたりする。マルポロの 箱が空になり、今度は背の低い兵隊がキャメルの箱を取り出す。そしてみんなでキャメルを吸 う。風はな、。煙は静かに上にのぼり、輪郭をゆっくりと失って消えていく。

8. 遠い太鼓

丘の上から見下ろすと、尖った糸杉のあいたからフェリ ーートの姿が見える。見事に鮮やか な秋の光が家々の瓦屋根をきらりと輝かせ、閉鎖されたポシドニオン・ホテルの一際高い円屋根 の上に真っ白な鵰が二羽同し方向を向いてとまっているのが見える。とても穏やかな午後であ る。珍しく風もない。 町では人々が冬支度を続けている。でもいったい何をすればいいものやら僕には ( 異国人であ る僕には ) 見当もっかない。帰り道、どこかのカフェに人ってビールでも飲もうと思ったのた が、結局どこも開いてはいなかった。

9. 遠い太鼓

ギリシャでフェリーポートに乗るとよく兵隊に会う。 彼らがどのような目的でフェリーポートに乗っているのかはわからない。任地に向けて移動し ているのかもしれないし、あるいは休暇で故郷に向かっているのかもしれない。彼らはいつも三 人から六人くらいの小さなグループを組んで移動している。 でもいすれにせよ、船に乗っている時の彼らはとても楽しそうである。まるで友達同士で一泊 旅行にでかける高校生のように彼らははしゃぎ、少し興奮している。 若い兵隊たちた。若いというよりは、殆ど少年といってもいいくらいた。あるものはロ髭をは やしているが、そのせいで余計に子供つ。ほく見えたりもする。兵隊やら警官やらが子供のように 見えるのは、言い換えれば僕が歳をとったということである。でもそれはそれとして、彼らは本 当に少年のような目をしているのた。 カヴァラからのフェリー 。ホート

10. 遠い太鼓

板ひとつ見えない。ハ ウス・ククレカレーの広告も見えなければ、サントリー 純生の広告も見え 。ハチンコ屋の新装開店の立て看板もない。「注意一秒・怪我一生」という標語の石板もな 。どの村にも先がきゅっと尖った塔のついた立派なたまね型の教会がある。日曜日の朝なの で、チロル服に身をつつんたおじさんたちがそんな村の教会に集まってくる。旅行者たちは登山 の格好をして、山へと向かう。この人たちは雨が降ろうが何が降ろうが、全然関係ないみたい で、しつかりとハードな休日を楽しんでいる。分厚い雲がアル。フスの尾根から尾根へと移動し、 そこらの山あいに雨を降らせていた。そこにはトラブルの影さえなかった。曇ってはいるけれ ど、静かで穏やかな日曜日の朝たった。ポール・サイモンの歌の文句ではないけれど、そこでは どのようなネガティヴな一 = ロ葉も交わされてはいなかった。 でも僕が最後の山を越え、ロイッテの町を眼下に見ながらギャ・チェンジしたところで、突然 エンジンがとまった。あれ、ギャが人らなかったかなと思って人れなおし、改めてアクセルを踏 みこんでもまったく手応えがない。フォン、という頼りない音がするだけなのだ。何が起こった ののか見当もっかない。しかしとにかくいつもの不吉な予感たけはたつぶりと漂っている。下り坂 ス の途中だったし、、 しちおうプレーキはきくし、坂だけは下りてしまおうと思って、ゆっくりと坂 を下り、人家が見えたあたりで車を脇に寄せてとめた。そしてもう一度ゆっくりキイを回してみ ア た。セルモーターは動く。でもエンジンに点火しない。エンジンを切って、五分くらい間を置い てキイをもう一度回してみる。でも駄目だ。何度やっても点火しない。