294 これは私の責任ではなく、あくまで工事人の責任である ( たから文句を言ってもらっ ても困る ) 。 ③しかしあと三時間で終わると彼らは言っておるので大丈夫である。 やれやれ、うまくいかない時にはなにもかもうまくいカオし 、よ、。「本当にあと三時間で終わるん たね ? 」と僕は念を押す。「大丈夫。職人がちゃんとそう言ってるから , とおしさんはにこやか に一言う。「たからそのへんのタヴェルナでゆっくり食事してらっしゃいな。帰ってきてしばらく したらちゃんとお湯が出るようになるから」「どうだか」と僕は思い 、「どうだか」と女房も思 う。でももうお金も払ってしまったし、ホテルを変えるわけにもいかない。珍しくホテルを予約 したりするとこの始末である。こういう場合に大抵の夫婦がそうするように、我々は不運の責任 を相手に押しつけあうが、やがてそれにも疲れて近所のタヴェルナに人り晩御飯を食べる。土地 のワインを飲み、菜の花みたいなもののサラダとお粥みたいなものとキウリ・と小さなタイとスタ マを食べる。これはなかなか美味しかったし、安かった。食事のあとで港をふらふ らと散歩して九時前にホテルに戻る。しかし我々が直感的に ( というか経験的に ) 予測したよう に、九時になってもお湯は出て来ない。 ロビーに行ってみると、若い実直そうな、しかし幾分気の弱そうなドイツ人がすでにおじさん に抗議しているところだった。このドイツ人はやはり実直そうな顔つきの奥さんと赤ん坊を連れ て旅行しており、このホテルの宿泊客は彼らと我々たけであったことが後になって判明した。ど
ソマスの店で一度日本に長く住んでいたというギリンヤ人のおじさんに会った。彼はカウンタ ーでソマスと話をしながらビールを飲んでいた。背が高くて、少し猫背気味で、頭が薄くなりか けていた。彼は僕に向かって日本人かと尋ねた。そうたと僕が答えると、そのおじさんはグラス を手に長い話をはじめた。 彼はかって船会社の社員として日本に駐在していた。一九六〇年代前半のことである。彼は鎌 倉の大仏を見にいく途中、・ハスの中である女性と出会って恋に落ちた。一目惚れというやった な、と彼は言った。彼は我慢できなくて彼女に声をかけた。私は大仏に行きたいんですが、どう 行けばいいんでしよう、と。彼女は親切に道案内してくれた。そして一一人はそれが縁で仲良くな った。彼らは何度もデートをかさねた。そして真剣に結婚のことを考えるところまで行った、と 彼は言う。今では彼はもう五十代後半というところたろう。顔だちは悪くない。 でも結局結婚はしなかったよ、と彼は言う。向こうの両親とも会って、話し合ったんた。いい 人たちたったよ。しかし現実に結婚するとなると、まあいろいろとむすかしいことがあってね。 私にもなんともならないようなことたった。でもそのときはそりやつらかったよ。私も若かった からね、その頃は。そして傷心をいだいたまま日本を離れることになった。 、コノス 時にどんなに悲しかったか。
181 港とヴァンゲリス 十二月の三日に設計家の E-* 氏がやってきた。ヴァンゲリスが明日さんが来るというので、僕 は出来たら会って話をしてみたいと言っておいたのた。 ()—氏はインテリたからもちろんきちんと した綺麗な英語を話す。ロンドンやらニューヨークやらを行ったり来たりする国際人である。同 リ / ハ系ギリシャ人である。僕がこのレジ しギリシャ人でもヴァンゲリスとはすいふん違う。 デンスはとてもよく作ってあると褒めると、彼は嬉しそうに場内を案内してくれた。「私はこれ を作るのに十一一年かけたんたよ。十二年たよ」と彼は言った。「あなたはギリシャの役所という ものを知らないたろうが、この役所仕事というのがまた実に大変なんた。根回し根回しで厄介こ のうえない。計画書を出す、設計図を出す、なんとか図を出す : : : そういうのにいやっていうほ ど時間を取られるんた。規制も多いし、仕事ものろい。どうしようもない。ひどい国たね。でき あがったときにはもうくたくたたよ。もうこんなことは二度とできないね。一一度とやりたくない よ。でも我ながらよく出来たと思う。会心の作だ。私はこれにかかりつきりになったんた。私は 毎日ここに来て、石の積み方ひとつまで職人に指図した。そうしないと駄目なんた。あいつら見 てないと手を抜くんだよ。怠け者たしね。たから本当に細かいところまで私が直接指一小して作ら せた。たからこのレジデンスは私にとっては子供も同然なんた。五十一二戸作ったんたが、そのう ちの四十九戸まで売れた。毎年幾つと決めて売りにたしているんた。そうしないと荒れてしまう
548 答える。配線がごたごたしていてコードの断線がみつけにくかったらしいのたが、た、たいエン ジンに点火しないんだから、ディストリビューターに行くコードをチェックするなんて自動車整 備工の初歩の初歩たし、二時間も。ホンネットを開けて調べてりやわかりそうなものたろうが、と いう気もする。親父にしてみれば、まだまだ未熟な息子なのたろう。 でもとにかくなおったことはなおったし、他人の家庭のことは他人にまかせておけばいいわけ だから、僕は礼を言って修理代金を払う。代金は約一一万円である。日曜日に働かされて可哀そう だったから息子にもちょっとチップをあげる。 「たからちょっとムリしてもべンツ買えばよかったのよ」と女房はぶつぶつ文句を言う。 「よしてくれよ、べンツなんて地上け屋か野球選手が乗る車だ」と僕は言う。 ( 地上け屋と野球 選手とヤナセのみなさんごめんなさい。これは本当にただの冗談です。職業差別なんかではあり ません。べンツは誰が何と言っても立派な車です。僕がこんな冗談を言うのはたた単にべンツが 買えなかったひがみです ) 「でもとにかく故障は少ないわよ」と女房は言う。 「もう壊れないよ。あれは本当に特殊な事故だったんた。何度も起こるようなことじゃないよ。 もう大丈夫。調子自体は悪くないんだもの」と僕は説明する。説明するというよりは、妻に嫌わ れた出来の悪い友人を弁護するような気分である。 「どうたか」と女房はクールに言う。まるで軽度の呪いをかけるかのように。そうーー多くの妻
542 買ったディーラーにすると「あなた勇気がありますねえ。あの車でよく京都まで行きましたね え」と真剣に感心されたそうである。本当の話かどうかは知らないが ( なんとなく都市伝説つ。ほ い ) 、でもいかにもありそうな話である。楽観的な性格の人でなくては買えない。それと勇気。 「大丈夫、なんとかなるよ , と僕は言う。 「なればいいけど、と妻は言う。 なればいいけど、と僕も思う。 おじさんもけっこう楽観的な人であるらしい。「あのさ、今はいないけど、そのうちに 帰ってくると思うんた。帰ってきたら私が工場を開けるように交渉してあけるから、そこにある カフェで待ってなさい。迎えに行ってあげるから」と言う。まあ親切な人である。イタリアたと こ、つよ ないかない。僕はイタリア人が親切じゃないと言うのではない。でもこれだけは確信を持っ て一一一口うことがで、る。イタリアではこうよ、 冫しかない。少なくとも彼らの親切心は ( もしあったと しても ) 日曜日には出てこない。 「ものごとの良い面を見ようよーと僕は言う。「これがイタリアでなくて良かった。そうたろ う ? これがイタリアだったらます一二日は足止めを食ってるよ」 「たしかに」と女房もそれにはしふしふ同意する。 しばらく口ィッテの町をぶらぶらしてみるが、正直言って面白くもなんともない町である。ド ィッのフュッセンからインスプルックへと通じる交通の要所なのたが、おかけでやたら車が多く
る。大気が好いともう本当にニコニコして楽しそうなのたが、雨が降ったり寒かったりするとま るで自分の責任で皆さんに迷惑をかけているというようなすごい暗い顔をしている。声も低く沈 みがちである。この秋一週間雨が続いた時なんか、首でも吊るんじゃないかと心配になってくる くらい真剣に落ち込んでいた。片手をさっと天井に向かって上け、目を閉じて首を振り「皆さ ん、この雨雲がですなーー」なんて予報しているのを見ていると、これはもうたかが天気ともい っていられないような気がしてくる。とにかく手を広けたり、肩をすくめたり、空中でくるくる 手を回したり、首を傾けたり、ばんと手を打ったり、両手をぎゅっと握り合わせたり ( もうこれ は手話に近い ) 画面いつばいにあばれまわるこの人のジェスチュア天気予報は僕なんかが見ると 腹絶倒なんたけど、イタリア人に聞いてみると「どこが面白いの ? フツーじゃない」と言わ れたりするので、こういうのもちょっと布い もうひとりカールした金髪をほわっと横に驚異的に膨らませた ( よく少女漫画に出てくるあの 髪型ですね ) 天気予報美人お姉さんがいるのだが、この人もけっこうおかしい。この人はジェス チュアは殆どなくて、テレビ・カメラに向かってにこっと笑ったまま座っているのたけれど、そ のかわり髪型のせいで大気図がすっぽりかくれちゃって、視聴者には非常に迷惑である。でもま あ綺麗だし、本人もとても楽しそうにやってるから、もうどうでもいいやいいやという感じの人 である。 ニュースも飽きない。たとえば大火事があって、そこの現場をカメラが写している。消防士た
死ぬのはいつも若者なのた。彼らはまた何が何たかよくわからないうちにそんな風にして死ん く。僕はもう若くはない。そしていろんな国のいろんな町を旅した。いろんな人間に会っ た。いろんな楽しい思いもしたし、いろんな嫌な目にもあった。そしてこう思う。たとえどのよ うな理由があるにせよ、人と人とが殺しあうというのはやはり馬鹿けていると。 隣のテープルに座っている中年のギリシャ人が僕に向かってほら、テレビを見てごらんよ、日 本たよ、と言う。一等船室のロビーのテレビのニュースが啝兜町の証券取引所の光景を映し出 一している。こわばった顔つきをした人々が何かを叫んでいる。指を上けている。シャツの袖をま 一・くりあけて、電話に向かって何か奴寘穹ている。でも何のことだか僕には理解でぎない。「 money = たよ、 moneyJ とギリシャ人が片言の英語で言う。そして金を勘定する仕種をする。どうやら の株が暴落したらしい。でも詳しいことは彼の英語力では説明できない。 ( * あとになってわかっ あたことたが、それが例のプラック・マンデーたった。僕はこのときのことを思い出すたびに、ス コット・フィッツジェラルドのことを考える。スコット・フィッツジェラルドは 1929 年の大 ヴ暴落をチュ = ジアを旅行している時に知った。「まるで遠い雷鳴のように」と彼は描写してい る。もちろん、プラック・マンデーは規模として 1929 年の暴落とは比べ物にならなかったけ 337 れど、その時のなにかしら不安定な空気のことを僕はまた記憶している。たふんちょうどそのと
思ってたんた。日本車かドイツ車を買えばよかったのよ。そうすればこんな馬鹿な目にあわなく て済んたのよ」 まあたしかにそうかもしれない。堅実にフォルクスワーゲン・ゴルフを買っておけばよかった のかもしれない。僕がランチアを買うとき、イタリア人も含めて多くの人がイタリア車を買うの はよした方がいいと巾定ロしてくれた。でも僕は好奇心半分でイタリア車を買ってしまったのた。 いったいどういうものなのかと。 「たからこういうものなのよ」と女房が言う。「日曜日の朝にオーストリアの山道で突然エンジ ンが止まってしまうのよ」 言うまでもないことたけれど、彼女はかなり腹を立てている。雨までしょぼしょぼと降り始め た。やれやれ、なんでまたわざわざ僕がこんな目にあわなくちゃいけないんだ、と愚痴のひとっ レも言いたくなる。こうなると理屈も正論も何もなくなってしまう。こんなひどいことが自分の身 に起こるなんてとても信じられない。 しかしいつまでもそんなことをしているわけにもいかない。女房はたたふんふん怒っていれば の ス 済むけれど、夫は黙って善後策をこうじなくてはならない。これが世の習いというか、宿命であ 。フ る。言っちゃなんたけど、実に不公平な宿命である。 ア ます外に出て、とおりがかりの車を停めた。そして事情を説明した。停まってくれたのはポロ ーニヤ・ナイハーのアウトビアンキ間であった。若い男が二人と女の子が出てきて、・ホンネッ
、スタ・ムラカミ ? 」 に慢ができなかったんた。今たって我慢できない。わかるかい ふむふむ。 「たからこそ僕はベルギーを離れたんた。さつばりとね。そしてギリシャに来た。どうしてギリ シャを選んたのかって ? それはギリシャがヨーロッパの端っこたったからさ。ヨーロツ。ハを出 てやっていけるという自信はなかったからね。だから端っこまで来たんた。良いところたよ。ギ リシャ人を別にすればね。正直に言わせてもらえば、あいつらはどうしようもないと思うね。た とえばヴァンゲリス。あいつなんか英語だって喋れない。グズで気がきかない怠け者た。救いと いうものがない。ああいうのを見ていると、ときどきうんざりしてベルギーに帰りたくなる。た とえそれがインチキの文化であるにせよ、少なくともあそこには文化というものがあるものな」 ベルギー版団塊の世代というところだ。やれやれ、世界中のあらゆる場所で我らが世代は健在 なのた。さすがに少し疲れて色褪せているにせよ。でも僕は何も言わない。実を言うと、僕はジ ョンよりはグズのヴァンゲリスの方がすっと好きなのた。一一十倍くらい。でもそんなこと言うわ 退けにはいかなし ス 「僕はミシマとオーエが好きた」とベルギー人のジョンは言う。「君はどちらかと会ったことが コ あるか ? ない、と僕は答える。 ジョンは何度か首を振る。それは残念、という具合に。「ところで君はどんな小説を書いてい 193
4 るの力な、ミスタ・ムラカミ ? 」 それを説明するのはとても難しい、と僕は言う。 「前衛的なものかな ? 」 少しは前衛的といえるかもしれない、と僕は答える。そうかな ? 彼はまた首を振る。首を振ることが人生の重要な一部であるというように。僕は膝の上で手を こすりあわせる。僕にだって人生の重要な一部はあるのだというように。 それからしばらく我々は小説の話をする。やがて彼はソフアから立ち上がり、レインコートを 着て、僕に手を差し出す。「君に会えてよかったよ、ミスタ・ムラカミ。なにしろこの島には文 化というようなものはほとんど何もないからね」 ジョン、僕も君に会えてよかったよ。またいっか会おう。 「やあ、雨がやんたようだね」彼は空を見上けてそう言う。「これなら大丈夫、飛行機は出る な。良い旅行を」 亠めりがとう、と僕は一一一口う。 我々はもう一度握手をして別れる。そして僕はもう一度ナポレオンの撤退戦に思いを馳せる。 頭の禿けかけたややこしい名前のベルギー人のジョンが、・ とことなくみつともない白い息を吐き ながら手斧で橋を落としている光景が目に浮かふ。ここには文化というものがないよ、と彼は首 を振りながら言う。なんでこんなところに来ちまったんだろう。これならベルギーの方がまたま