416 隣にはプロフメリア ( 化粧品店 ) がある。ローマには。フロフメリアが腐るほどある。プロフメリ アで働いているシニョーラやらシニョリーナやらは、もちろんごてごてと化粧している。彼女た ちは退屈すると表に出て、近所の人達と延々と立ち話をしている。よくもまあそんなに話すこと があるものたと感心する。 しかしこの窓から見える局の見物は何といっても路上駐車である。これはどれたけ見て いても飽きない。なにしろこのあたりで駐車スペースを見つけるというのはまさに至難の業なの ど。たから僕なんか、一度家の近くに車を停めることができたら、もう一一度とそこから車を出し たくないと思う。とにかくそれくらい深刻な駐車難なのである。うちのア。ハ トの前にもいつも ぎっしりと車が並んでいる。車を停めるスペースを求めて四六時中近所を車がうろうろと徘徊し ている。たからたまに駐車していた車を出そうとする人がいると、それを見つけた幸せなドライ ヴァーが、ものすごく嬉しそうにすっとその後に人ってくる。そういうのをじっと見ていると、 飽きないのである。 信してもらえないかもしれないけれど、イタリアの車には表情があるのた。とにかく乗ってい るドライヴァーと同じくらい豊かな表情が車にもある。だから駐車スペースがあいていたりする と、それこそもうドライヴァーと一緒に、人馬一体というかんしで車そのものがにこっと微笑ん でしまうのだ。しかしそのスペースがタッチの差で他の車に取られてしまったりすると、車。せん たいががくっと落ち込んでしまう。伏目がちに、参ったなあという顔をする。そういうひとつひ スペッターコロ
208 ーに残した一族全員を殺戮された。だから人々は余計なことは一切言わない。じっと口をつぐ み、目を閉じている。これで街の空気が暗くならなかったら、その方がおかしい。 しかしマフィア以上に我々が注意しなくてはならないのは、車である。なにしろ。ハレルモの道 は狭く、車は多い。そして運転はきわめてあらつ。ほい。おかけで車の囲。 ( ーセントまでは疵たら けである。。ハレルモで疵のない車をみつけるのは、日本でヘこみのあるメルセデス・べンツをみ つけるよりもむすかしいかもしれない。いたるところで車ががしゃんがしゃんとふつかりあって いる。信号そのものも少ないうえに、歩行者はほとんど信号を守らない。おおかたの歩道は駐車 した車でプロックされている。これはまあイタリア全土について一一口える交通事情ではあるが、。 ( レルモはその中でも最悪の部類に属すると僕は思う。僕は散歩するのが大好きな人間なのたが、 この。 ( レルモでは外に出たいという気がほとんどといっていいくらい湧いてこなかった。あの車 の洪水を思い浮かべたたけで何をする気もなくなってしまうのた。 そして絶え間のない騒音。 ートはますますの広さがあって、。ハレルモにしては居心地の良いところたった 僕の住んたア。ハ 、 0 0 、 ノオ が、それでも一日中車の騒音がひどくて、いささか頭が痛くなった。とくに夜中がひどし 。 ( オ。 ( オパオと音を立てて。 ( トカーたか救急車たかが街を疾走する。車はしよっちゅうキュオウ ウウウンと急プレーキをかける。車に取りつけられた盗難防止アラームが何かの拍子に。ヒュオー ン、ビュオーン、。ヒュオーン、。ヒュオーンと大音量で鳴り響く。二重駐車されて出られなくなっ
すいふんいろいろと電話をかけたあとで、やっと 1600GT が一台みつかった。色はグリッ ジョ・クオルツ・メタル ( メタリックのダーク・グレー ) である。 ベルフェット、申しふんない。やればできるのた。 この人はヴェントウーリさんというおしさんで、日本車に対してけっこう敵愾心を燃やしてい た。日本でイタリア車が売れないのは、保護主義のせいたと言った。僕も日本の市場にそういう 傾向があることはあえて否定しないが、それでもドイツ車があれたけ飛ふように売れてるんたか ら、保護主義も糞もないだろうにと思う。多少値段が高くても、品質が良くてサー・ヒスがきちん としていれば製品はちゃんと売れるのた。そう言おうかと思ったが、イタリア語もできないし、 そういうことを言い出すと話が長くなるので、適当にふんふんと聞流しておいた。でもとにか く、我々は今度ランチアが出すデドラという新車で、日本車を打倒するからね、と彼は言う。僕 はあとでこのデドラという車をショウルームで見たけれど、かなり醜い車たった。まあ人すきす きなんたろうが。 車が手に人るまで一週間くらいたということたったが、なんのかんので、この車がローマに届 くのに二週間ちょっとかかった。でもここはイタリアなんだから、これくらいの遅延は遅延とも 呼べない。日本でこのクラスの車ならだいたいのものは標準装備で揃っているところたが、イタ ・ステアリングなし。カー・ステレオ、ラジオなし。ェア リアではそうはいかない。ます。ハワー コンもちろんなし。右側のドア・ミラーなし。フロア・マットもなし。ないものたらけである。 ランチア
サートが始まるのはたいたい夜の九時ごろたし、終わるのはどうしても十一時過きである。オペ ラなんかだとなんのかので十二時近くになってしまう。そうなるともう歩いて家に帰るか、それ とも近くのホテルに予約しておくかしかない。たから長く暮すとなると、どうしても車は必要に なってくるのた。僕は來で一一十年近く生活していて、車が必要たと思ったことはほとんどなか ったし、たからこそ運転もしなかったのだけれど、ローマに来るようになってからは、車がなく て困るということが多々あった。ローマ市民もこういうひどい状况には閉ロしているし、新聞も なんとかしろというキャンペーンを張っているのたが、打つ手はないというのが実情である。 それはそれとして、僕は思うのたけれど、車というのはそれそれの国の文化と事情をよく表し ている。つまり、イタリアの車というは実にイタリア的なのである。イタリアの小型車は一般 青的に言って、狭い街角に駐車しやすいように作ってある。ますたいいちにコン。 ( クトである。そ 。狭いところでもすっと人っていける。最近はローマ市 車れから ( ンドルの切れがものすごくいし 駐内でも大型のメルセデスや。ホル・ホをよく見掛けるようになったけれど、こういうのはローマでの 一駐車にはやはり向いていないと思う。アメリカ車なんかはもう論外である ( 実際全然走ってな い ) 。市内の駐車についていえば、フィアットの 500 ( チンクエチェント ) とか 126 ( チェ ントヴェンテイセイ ) とかゥーノとか、あるいはアウトビアンキの天下である。彼らはちょこま
アを開けてから、六 をロックする。そうすればアラームは鳴らない。人る方はもっと難しい。ド 秒以内にアラームを解除しなくてはならないのた。ところがこのアラームのスイッチがとんでも なくわかりにくいところについている。まあわかりやすいところについていたら、泥棒もすぐに 解除しちゃうから、それはそれで困るわけたが、それにしても本当に冗談抜きでわかりにくい ちょうど冷蔵庫の裏の狭い空間に手をつつこんで手探りでプラグを抜くような感しである。これ を、ドアを開けてから六秒以内にやってのけなくてはならない。これじゃなんたか「ス。 ( ィ大作 戦」みたいである。汗をかいてしまう。それに失敗すると馬鹿でかい音でボワーン・ボワーン・ ボワーン、という警報があたりに鳴り響くことになる。イタリアで車を運転するというのは並み 大抵のことではないのた。 それから、車のインテリア・デザイン。これが意外に貧弱である。こう言っちゃなんたけど、 内装に関してはサニーやらカローラ・クラスの日本車の方がよほど小綺麗に仕上っている。ラン チアはプラスティックの継ぎ目なんかかなりペこペこしているし、高級感というのがまるでな 。まあ、マセラティなんか見てみるとたしかにすごく立派な内装なんたけど、イタリア車も大 ア 衆車になるといささか問題がある。こんなものテキトーに作っておいて保護主義がどうしたもな チ ン いよな、と思う。日本の消費者の大多数は、相当に趣味的な人を別にすれば、高い金をたしてわ ざわざこういう車はます買わないだろうと思う。たって日本車の方が比べ物にならないくらいお 買い得なのたから。
429 ランチア 今回はとにかくイタリアで車を一台買おうと思った。べつにそんなにたいした車しゃなくても しいから、それに乗ってヨーロツ。ハを気楽にふらふら旅行でぎるくらいの車がほしかった。あま り大、くないイタリア車がいし 僕としては古い型のアウトビアンキ 112 が可愛くて好きたったし、女房はチンクエチェント の熱烈なファンたったのたが、これはどちらもタウン・カーとしてはともかく、アウトストラー ダを走って長い旅行をすることを考えるといささかしんどいし、それにどちらもなにしろ新車は 製造中止になっている。いろいろと考えた末に、僕は個人的な好みでランチアのデルタ 1600 というのを買うことにした。これはサイズも小さいし、エンジンが結構強力なわりに外 見は目立たないので、僕の希望にびったりたった。ジウジャーロのデザインもすっきりして、厭 ーズのラインナップの中では松竹梅の竹クラスの車である。値段は日本 味がない。デルタ・シリ ランチア
たしかにイタリアのドライヴァーは乱暴たけれど、ドライヴァーの顔つきや車の動きかたにひ とつひとっ表情がある。だから動ぎを読みやすいのである。川センチ、センチの差でひょいひ よいとかわせるーーーあるいはかわしてくれるーーというところがある。でも日本に戻ると、その 表情が読みきれない。だから呼吸がっかめない。それがとても怖かった。一方ドイツ人の運転と いうのはたいたいにおいて階級社会的にしごくまっとうである。だから国境を越えて南下して、 アルフアやフィアット ; びよんびよんと鼻さきを突っ込んでくる光景を目にすると、ああイタリ アに帰ってぎたんだなあとっく。つく実感する。 やけにがらんとしたヴァカンスのローマに戻ってきて、しばらくは物静かな日々を送った。真 夏のローマには他の季節にはない独特の風情がある。通りを行く人影もまばらたし、走っている このンーズンばかりはさしもの路上駐車も楽々である。どこでも好きなとこ 車も見事に少ない。 ろに好きなたけ車を停めることができる。人も車もこれくらいがらんとしているとローマもなか わ 終なか良い街なんだけどなあと思う。 旅僕の家の前に、数台のおんぼろのフィアット 500 がもう何週間も放置されている。夏の日差 しの下にじっとうすくまった車は、雨と埃とで無残に泥たらけになっている。子供たちの落書き 後の餌食になっているものもあるし、タイヤの空気がすっかり抜けてしまっているのもある。ワイ ーには何かの広告ちらしがはさまれたまま黄色く変色している。たふん彼らは普段奥さんの買 い物用に使われている車なのたろう。でも彼らの御主人たちは家族揃って、もっと大きな車に乗
・ウインドウになっている ( 信しられないくらい狭くて操作しに かろうして前部席の窓が。 ( ワー くいところに、小さな開閉スイッチがほとんど嫌がらせみたいについている ) 。それから集中ロ ック式になっている。でも試してみると、集中ロックがきかなかった。エンジニアに見せると、 「ああ、ヒューズ人れるの忘れてた」ということたった。大丈夫かねえこれは、とたんたん心配 になってくる。 追加料金を払って、右側のドア・ミラーと盗難擎轆機をとりつけてもらう。これが両方あわせ て二万四千円。警報機は日本ではともかく、イタリアでは絶対の必需品である。こんなもの誰が 盗むんたというようなぼろぼろのチンクエチェントでさえこのアラームがついている。これがな いと、イタリアでは自動車とは呼べないのた。 それからカー・ステレオ。これはすごくリスクが大きいので、つけないことにする。街で車を 停めてそのままどこかに行くと、そのあいたにカー・ステレオはます絶対に盗まれてしまうから た。たからイタリア人のドライヴァーは車を出る時には、カー・ステレオをすつ。ほりと抜いて持 って歩く。僕自身はいちいちそんな面倒なことしたくないので、カー・ステレオはつけなかっ た。カー・ステレオをふら下けて街を歩きたくなんかない。 アラームのセットの仕方。 これはもちろん車の盗難を防ぐためのものである。ます車のエンジンを切って、外に出る前 に、アラームのスイッチをオンにする。そしてオンにしてから三十秒以内に車の外に出て、ドア
思ってたんた。日本車かドイツ車を買えばよかったのよ。そうすればこんな馬鹿な目にあわなく て済んたのよ」 まあたしかにそうかもしれない。堅実にフォルクスワーゲン・ゴルフを買っておけばよかった のかもしれない。僕がランチアを買うとき、イタリア人も含めて多くの人がイタリア車を買うの はよした方がいいと巾定ロしてくれた。でも僕は好奇心半分でイタリア車を買ってしまったのた。 いったいどういうものなのかと。 「たからこういうものなのよ」と女房が言う。「日曜日の朝にオーストリアの山道で突然エンジ ンが止まってしまうのよ」 言うまでもないことたけれど、彼女はかなり腹を立てている。雨までしょぼしょぼと降り始め た。やれやれ、なんでまたわざわざ僕がこんな目にあわなくちゃいけないんだ、と愚痴のひとっ レも言いたくなる。こうなると理屈も正論も何もなくなってしまう。こんなひどいことが自分の身 に起こるなんてとても信じられない。 しかしいつまでもそんなことをしているわけにもいかない。女房はたたふんふん怒っていれば の ス 済むけれど、夫は黙って善後策をこうじなくてはならない。これが世の習いというか、宿命であ 。フ る。言っちゃなんたけど、実に不公平な宿命である。 ア ます外に出て、とおりがかりの車を停めた。そして事情を説明した。停まってくれたのはポロ ーニヤ・ナイハーのアウトビアンキ間であった。若い男が二人と女の子が出てきて、・ホンネッ
438 ト・ウーノを借りる。ゥーノ ロードス空港の・ハジェット・レンタカーのデスクで黒いフィアッ はシンプルで手応えのある車で、僕はわりに好きなのたけれど、僕が借りたのは残念ながらかな り問題のある代物であった。スモール・ライトが点かない、点火プラグがくたびれていてなかな かエンジンがかからない、サイド・。フレーキがほとんどきかないという有り様である。坂道に停 めて用を足して帰ってきたら、停めておいた場所に車がない。あれれっと思ったら、坂の下の金 網に鼻先からつつこんでいた。よくこんな車を客に貸すものたと思う。あまりにひどいので文句 を言いにしったら、「それはどーも」と気楽に別のウーノと交換してくれた。換えてくれたのは いいのたけれど、新しいのも前のとほとんど同じ状態であった。点火。フラグの具合もどっこいど っこいだし、いろんな警告ラン。フが振動で点いたり消えたりする。サイド・プレーキは確かにき くようになったけれど、今度はフット・プレーキを踏むたびに小型のニワトリを締め殺している ような翡痛な音がする。当たり前の話たけれど、これはすごく気になるどこかのコーナーの手 前でプレーキ・ 、トかなんかがばこっと外れちゃったりしたらどうしようというような恐怖が いつもついてまわる。これならまたサイド・プレーキのきかない車の方がよかったかもしれな でもまあ仕方ないのでこのおんぼろフィアットを運転して島中を駆けめぐることになった。一 度ニッサン・チェリーに乗ったおしさんに道で呼びとめられたことがある。何かと思うと、「お 前はどうして日本人のくせにそういうフィアットみたいな下らない車に乗っておるのか。俺はす 、 0