丿って、きれいなの ? 」 あたしは聞いてみた。そうよ、あんなにきれいな街は世界じゅうさがしてもないわ。 せんぜん違った。 いすずさんのそんな答えを予想しながら。でもいすずさんの言葉は、、 「ううん、 って、大の糞はいつばい落ちてるし、暗いし、寒いし、最近じゃ暑い し、人はつんつんしてるし、建物は威圧的だし、ぜんぜんきれいじゃない」 そうなんだ。いすずさんの答えに気圧されて、あたしはつぶやいた。きれいじゃ、 ないんだ。 「そうなのよ。きれいじゃないし、人は意地悪だし、フランス語なんて、喉の奥で妙 ごうしゃ 。ハリが好きなのよ」 に豪奢な音たてるヘんな発音のものだし。でも、わたし、 筒 封 喉の奥の豪奢な音。あたしはばんやりと繰り返し、いすずさんの顔をじっと見た。 の 色 草 「ねえ、真名ちゃん、このごろあんまり来ないのね」いすずさんに言われた。 の 色 ほんとうに、いすずさんのところを訪ねるのは久しぶりだった。あたしは、恋をし草 ていたのだ。いや、過去形には、まだ、なっていない。恋をしているのだ。たぶん。
「きれいな人たちが、 、つばい出てくるのよ」 きれい、というのが、いすずさんのキーワードだ。きれいなものはみんな好き。そ う公言するいすずさんの部屋は、茶色と白で統一されたシンプルな部屋だ。窓にはア ンティークレースのカーテンがかかり、机と椅子も、前々世紀イギリスのアンティー ク。台所用品も変わっている。いやに重いほうろうのポールに、年季の人った泡だて 器。お鍋は銅で、ポットはアイルランド製だという、ぼったりした形の茶色。 いすず姉さんは乙女チックだから、と、義姉、すなわちいすずさんの末の妹は言う。 違うわよ、わたしは乙女チックなんじゃなくて、可愛いシックなの。いすずさんは意 味のわからない反論をする。いすずさんは直接妹に反論しない。あたしに向かってこ ばすばかりだ。 「世間さまは、誰にも迷惑をかけずおのれに従って静かに生きてゆくだけの老嬢を、 どうして温かく見守ってくれないのかしら」ぶつぶっと、いすずさんは言う。 「老嬢」びつくりして聞き返すと、いすずさんはにつこりした。そうよ。そんな年と ってなくとも、ゆき遅れの女は老嬢って呼ばれてたの、昔は。真名ちゃん、赤毛のア かわ 176
セッ長ー 0 彡ー」 彫亥刀セッ とい、つ感じがした。 お裁縫箱だけは、ちがった。きれいに詰まった裁縫道具の、びとっぴとつが、おまま ごとの道具みたいに思えた。だから、クラスのみんなはお裁縫箱を学校に置きつばな しにしていたけれど、あたしはもったいなくて、必ず家に持ちかえった。布の手提げ の中で、中の道具がかたかたとセルロイドの箱に当たる音も、あたしは大好きだった。 家に帰ると、ばかりと蓋を開け、片方に寄ってしまった中身をきれいに並。へなおした。 高校まで、あたしはそのお裁縫箱を使った。卒業してからも、あたしはお裁縫箱を 大切に取っておいてある。本棚のまんなかの段に置き、ときどき開けてみては、ばゝ り、という音を楽しむ。まち針をきれいに針山に刺しなおしたり、しつけ糸をとめて ある黄色いリポンをもてあそんだりする。 あかね 茜ちゃんのところに遊びにいって、同じお裁縫箱が机の隅に置いてあるのを見たと き、だからあたしはびつくりした。あ、おさいほうばこ、とあたしは田 5 わず口にした。 そうだよ、おさいほうばこだよ。茜ちゃんは言い、 えへへへ、と笑った。茜ちゃん特 。分度器と三角定規。それらは、でも、みんななんだか「実用」 140
って全部で二つ、それぞれに婿側と嫁側の親類がかたまって座るはずなのに、全員が 座りきれなかったために、三つめの、両方の親類がごっちゃに混じったテー。フルがし つらえられたのだ。なにしろ、あたしのところは兄弟姉妹が全部で五人、いすずさん のところは六人という、大所帯だったから。 いすずさんは、ものすごくつまらなさそうに伊勢海老のグラタンをつついていた。 あたしは伊勢海老なんてめったに食。へたことはなかったので、つつき散らされた伊勢 海老を、物欲しげに眺めていた。 「あげようか ? 」いすずさんは聞いたのだ。 「うん ! 」とあたしは答えた。 そのきつばりした答えかたが気に人ったのだ、といすずさんは後になって教えてく れた。 あたしのほうは、いすずさんの、なんだかこう、アンニュイな感じに、心びかれて いた。大人の女だなあ。当時中学を卒業するまぎわだったあたしは思った。そりゃあ そうだ。いすずさんは、当時すでに四十過ぎ。大人でなくて、何だというのだ。 174
わたし、ちょっと、傷ついちゃったんですね。恥ずかしながら。 でももうだいじようぶです。あれしきのことで傷ついてちゃ、仕事もできません ものね。 わたしは恋は苦手だけれど、やつばりきれいなものは好きだから、きれいな漫画 を描く。へくがんばります。 いろいろ考えたけれど、お祝いは同封のものにしました。お金をためて、 いっか 、リに行って下さ、 モデルチェンジして次の色に変わる前に、ぜひ行ってみて下さい そんな文章の手紙と一緒に、うすむらさきのカルネが十枚、人っていた。 ああ、いすずさんだ。あたしはほっと息をついた。 リに今に一緒に行きましよう、でもなく、。、 リに行くってを探してくれる、でも なく、回数券を一綴り、というところが、まったくもっていすずさんだった。 いすずさん、とささやきながら、いすずさんをそ「とだきしめてあげたくな「た。 184
美崎さんを、とられてしまう、感じなのかな ? 自分に問うてみる。そうかも。 自分よりきれいな女の子に男の子が注目するのがつまんない感じなのかな ? そう カ ) も 「家庭教師」がエッチくさいのに怒る、父親じみた気分なのかな ? そうかも。 いろんな気持ちが混じって、わたしはやつばり、がぜん、いやだった。 美崎さんは「家庭教師」の視線及びわたしの気持ちに、気づいているのかいないの か、頬をきれいなピンクに染めて、興奮したおももちで、あいかわらず周囲を見まわ しては、はしゃぎつづけていた。 美崎さんは、それからしばらく「家庭教師」とっきあっていたようだ。ようだ、と いうあいまいな言いかたをするのは、つまり、じきに本格的な受験態勢に人ってしま ったので、美崎さんとわたしはゆっくり打ち明け話をする暇もなくなってしまった、 からだ。でも今になって考えると、ほんとうのところ、「家庭教師」の話題は、なん卒 となく二人ともに、避けていたのだ。どうしてだか、はっきりとはわからないのだけ
額の中で、花々が春らしく咲き満ちている。姉と義兄の今後の運を願って、あたし は軽くてのひらをあわせた。おはな、とってもきれいだね。あたしはそこにいない尚 くんに向かって、話しかける。うん。姿のみえない尚くんが答える。それから、すぐ に向こうへ行ってしまう。子供の井い息のにおいが、ちょっとの間だけ、部屋にち て、消えた。 クレョンの花束 197
部屋に帰ると、もうタ暮れだった。やつばり恋人がほしいなあ、とわたしは思う。 原田くんはどうしてるかなあ、と思う。原田くんもわたしのことを思い出すのかなあ、 と思う。でもきっとわたしは二度と原田くんに連絡しないんだろうなあ、と思う。 昼にいれたコーヒーを温めなおして飲んだら、ものすごくおいしかった。ほっとた め息をついて頬にさわると、うぶ毛はきれいに剃りあげられていて、頬はつるつると、 つめたかった。
卒業 じいっと美崎さんの胸を見ていたら、 「堤さんたら、あたしの胸、そんなふうに見るんだあ」と、美崎さんに言われた。 美崎さんとは今年初めて同じ組になった。組が三つしかない中高一貫の女子校の、 人学六年めまで同じ組にな「たことのなかった人は、美崎さんを人れて四人しかいな かった。その四人全員と、今年はとうとう同級になったのである。 美崎さんは、髪も肌も目もみんな色が薄くて、まっげがものすごく長い、学年でも 一二をあらそうくらいの、きれいな女の子だ。 ものなの ? 」美崎さんは聞いた。 「胸って、そんなにいい 210
かっていた。 「ありがとう」わたしは言った。 「あら、あたし、特別なことは何もしてないわよ」籠おばさんはさばさばと言った。 「そうね。でも、ありがとう」わたしは繰り返した。 籠おばさんは、ふふ、と笑った。籠おばさんのちゃんとした笑い声を聞くのは、初 めてだった。わたしも一緒に、ふふ、と笑ってみた。 それから、籠おばさんは、消えた。今度こそ、ほんとうに。きれいさつばり。未来 、水劫に。 日曜日の昼などに、ときおりわたしは籠おばさんのことを思いだす。 あけびの蔓の籠は、また天袋から出してきた。籠おばさんは、やつばり二度とあら われなかった。いったい何のためにわたしのところに来たんだろうと、ときどき思う。 思いながら、ちょっと泣く。笑うことも、ある。急に豆料理がつくりたくなって、白 いんげんを水にびたすことなんかも、ある。 208