く色つぼくて魅力的だった。ねえ、あの人素敵だね。同僚は言って、うっとりと兄の 姿を目で追った。 兄はわたしと兄妹であるというそぶりは、みじんも見せなかった。むろんわたしの ほうも。同僚は、しばらくそのお店に通っていた。また一緒に行こうと誘われたが、 断った。ケイ ( 兄の源氏名である ) さまにはなかなか手が届かないわあ。ものすごく 競争相手が多くて。同僚はときおりこばしていた。 三十歳で結婚することになったとき、父と母はわたしの相手を見て一瞬腰をぬかし そうになった。わたしの恋人である坂本さんは、兄にそっくりだったのだ。 性格や、声や、動作の感じは、ずいぶん違うのだけれど、顔だちと体型が、兄その ものだった。喋りはじめると、坂本さんは兄とは異なった雰囲気をかもしだす。けれ ど黙ってわたしと父母のやりとりを聞いているときには、そこに兄が座っているよう にしか思えなかった。 式の当日まで、父母はもう坂本さんに会おうとしなかった。二人とも大人なんだか 134
ら、あなたたちの好きなように式を挙げればいいじゃない。安心してすっかりまかせ てるのよ。ロ出しすることなんて、一つもないわ。そんなふうに母は言っていたけれ ど、ほんとうの理由は違うに決まっている。たんに、兄を思い出させる坂本さんに、 会いたくなかったのだ。 おにいちゃんも、式には呼ぶよ。わたしが言うと、父母は無表情に頷いた。 兄はごくオーソドックスなブラックスーツを着て式にあらわれた。もしかして、妙 に光沢のあるまっ白い三つ揃い ( お店で兄はそういう感じの服をきれいに着こなして いた ) かなにかで来るんじゃないかと、内心少し不安に思っていたのだけれど。 兄に直接会うのは、お店に行って以来だった。五年以上たって久しぶりに対面した 兄は、痩せていた。坂本さんとは、もうあまり似ていなかった。式が終わって披露宴 実 が始まるまでの間、わたしは控室で休んでいた。学生時代の友達が数組やってきて、 の 子 写真をばちばち撮った。その子たちも出ていって静かになったところで、兄が人って揶 きた。
んだろう。内心で思「た。だから、兄に、や 0 ばりおまえ下手くそだなあ、と言われ たときには、がっかりした。だって、よく合 0 てたじゃない。言い返すと、兄は、お れが合わせてやったからだ、と答えた。それから、兄はに 0 と笑った。わたしも、に っと笑い返した。 結婚式の間じゅう、わたしは雛壇の上から、父母と兄の様子をはらはらしながら見 ていた。父母はかたくなに兄から目をそらしつづけた。兄は気にしないふうで、ばく ばくとコースの料理をたいらげていた。 式が終わってお客を見送。た後、兄がす。と寄。てきた。今度おれ、自分の店出す ことになったから。兄は早ロで言った。それからわたしに四角いものを手渡した。 蝶々「ぼい透かしの人。た薄い封筒だ。た。案内状、これ。早ロのまま、兄はつづけ た。おとうさんおかあさんには、言ったの。聞くと、兄は首を横に振った。 しばらくわたしも兄も黙 0 ていた。やがて気を取りなおしたように、兄は言「た。 おまえ。フラザーコンプレックスだったんだな。坂本さんを見やりながら、兄は目を細 137-- ー揶子の実
秋風がたって、協子伯母の店がことに繁盛する季節になった。 「さんまでしよ。茸ご飯でしよ。牡蠣や鰤もどんどんおいしくな 0 てくるわよね」伯 母はうたうように言いながら、お客をもてなす。 「由真ちゃん、種田くんはもう来ないのかね」 なかなか打ち解けようとしなかった宮本さんが、いちばんしまいまで種田くんのこ とを気にかけていた。あたし、ふられちゃったんです。そう説明してからは、宮本さ んもそのことに関しては何も言わなくなった。やつばりうちのお客は、筋がいいのよ ね。協子伯母は店じまいしながらつぶやいた。ねえ由真、きっと今に、種田くんより もっといい男が出てくるわよ。 あたしは曖味に頷く。種田くんに嫌われた当初は、そんなにショックでもなかった のだ、実は。でも、このごろになって、あたしはものすごく後悔している。種田くん のことが、恋しい。ほらみなさい、 と、さっちゃんにも言われた。でも今ごろになっ て、遅いよ、まったく由真は。 九月半ばを過ぎてからは、さすがに隣家の人が全部取り去。たらしく、笹には短冊 ぶり 158
はもう一枚もかかっていない。 種田くんは、ずっとあたしを避けている。知らない女の子と歩いている姿も、ちょ くちよく見かける。さっちゃんが、このあいだ合コンに誘ってくれた。由真、前より ずっと柔らかくなったから。今の由真なら、きっと男の子から、声かかるよ。そんな ふうに言いながら。 でもあたしは断った。そんな簡単に、長年培った「男を信じられない」気持ちは、 なくならない。ただ、種田くんには謝りたいのだ。 ごめん。種田くんを、「男」 0 ていう、よくわからない集合に乱雑に含めちゃって。 種田くんは種田くんだ 0 た。男は信じられないけど、種田くんは、信じられたかもし れないのにね。って。 結局、大学を卒業するまで、種田くんと話す機会はなかった。「りら」であたしは の 四年間働き、お金を二百万円ためた。小さな商事会社に就職が決まった日には、宮本笹 さんと酒田さんと武井さんが、図書券を一万円ぶん贈って祝ってくれた。
い色の髪をしていて ( カラーリングとかじゃなく、もともとの色だそう ) 、けっこう 一愛し、つま、。 「でも、世の中には、優しい男なんて、ほんとま、よ、ゝ オカら」あたしが一言、つと、さっ ちゃんはため息をついた。由真って、依怙地すぎ。少しなら面白いけど、それじゃ、 冗談にもならないよ。 種田くんは、すぐに「りら」に出人りするようになった。職場に来ないでよ、とあ たしが頼んでも、だって由真がなかなかデートしてくれないから、などと言いながら、 種田くんはすいすい「りら」に人りこんできた。いつの間にか常連の酒田さんや武井 さんとも仲良くなり、しばらくは打ち解けようとしなかった宮本さんとも、最近はす つかり親しい口をきくよ、つになった。 「種田くんみたいなタイプだと、ひょっとすると、このまま結婚まで行っちゃうか も」などと協子伯母が言うので、あたしは憤慨した。 「男なんかと一緒に生活しないよ、あたし」 伯母は笑いながら、頷いた。そりゃあそうよ。由真なんかと暮らしてくれる男の子 154
酒田さんは、「へつ」と言った。武井さんは、「ほう」と目を細める。まだまだ由真ち ゃんも青いねえ。酒田さんがからかうように一言うのを、あたしは無視して、お皿を洗 いはじめた。 話題はすぐにほかのことに移り、そのうちに酒田さんも武井さんも帰っていった。 短冊って、ボール紙かなにかでつくればいいのかな。あたしは考えながら、酒田さん ちょこ とっくり たちの使ったお猪ロと徳利を水に沈めた。 けれど、そのすぐあと、あろうことか、あたしは男にびつかかってしまった。「悪 い男にひっかかりませんように」なんて短冊を本当にさげたのが、いけなかったのか もしれない。 「それ、びつかかるって、言わないよ。ただの、つきあう、っていうもんだよ」と、 さっちゃんは言うけれど、男とっきあうっていうこと自体が、あたしにとってはまず いことなのだ。 あたしがびつかかった男は、同じクラスの種田くん。びよろーっと背が高くて、薄 153 - ーー笹の葉さらさら
あるとき、物干しの紐いつばいに、く っ下が洗濯ばさみでとめられていたことがあ った。欠色。、つすむらさき。ミントグリー ン。あんず色。パウダービンク。ドロップ のように色とりどりのくっ下が、一足ずつ、きれいな等間隔で、干されていた。 「晴彦さんが、はくの ? あのくっ下」そう聞くと、晴彦さんは頷いた。 「いつもああいう色の、はいてるの ? 」そう聞くと、晴彦さんは今度は首を横に振っ 晴彦さんがドロップの粒みたいな色のくっ下をはいているところなんて、あたしは 見たことがなかった。はだし。でなけれは、白の木綿のくっ下を、いつも春彦さんは はいていた。たまに親類筋の結婚式なんかで会うときには、むろん黒 ( たぶん。だっ て結婚式のとき男のびとが何をはいているかなんて、ふつうは注意していないもの。 だけど、うすむらさきやビンクのくっ下をはいていなかったことだけは、たしか ) の 紳士ものを。 結局そのときは話がうやむやになって、晴彦さんがいつ、それら。 ( ステルカラーの 108
ほんの少しだけ竹を残しておいたのだそうだ。 「竹藪って、地盤と関係あるの」あたしが聞くと、武井さんは「近ごろの若い女の子 は、何も知らないんですねえ」と言った。武井さんは、地方銀行を退職して数年とい 、堅物のおじさんだ。 「ほら、根がしつかり張るでしよ、竹。だから地面が崩れないの。地震のときは竹藪 に逃げこめって一言うじゃない」酒田さんが教えてくれた。 「でね、七夕のときに、あすこの竹に願い事をつるすと、必ず叶うんですって」協子 伯母は金網の上の厚揚げをひっくり返しながら、言った。 それそれ、俺もさあ、初恋のさゆりちゃんとデートできますようにつて、昔つるし た。酒田さんが笑いながら一言う。あ、わたしもそういえば、受験の年にこっそり短冊 持って行ったおぼえがありますよ。武井さんがつづける。 そうか、じゃ、あたしも願い事、つるそうかな。そう言うと、酒田さんがのぞきこ むようにして、「由真ちゃんの願い事って、何なの」と聞いた。 「悪い男にびつかかって人生を誤りませんように、です」あたしがすらすら答えると、 152
のだった。 おみやヂま、こ、。ゝ、 オも力食べ物だった。「人にあげるものは、消えものがいいからね」 そういえば、木戸さんはつねづね言っていた。お皿とか、人形とか、アクセサリーと か、そ、つい、つ形に残るものじゃなくて、消えてしまうもの。 その言葉通り、木戸さんがわたしの部屋の把手にひっかけていった紙袋に人ってい たのは、ある時はチューリ ップの花束だったし、ある時はびよこまんじゅうだったし、 ある時は焼津の黒はんべんだった。 「なによ、結局じゃあ木戸さんて、 千寿ちゃんは目を丸くしながら聞いた。 うん、でも木戸さんのそういうところが、わたし、好きだった。 わたしが答えると、千寿ちゃんは肩をすくめた。 美代子のそういうところがあたしも好きだよ、と千寿ちゃんは言い、肩をすくめた まま、浅く笑った。 リングとかそういうものは、一つもくれなかった 55 ーー一月世界