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検索対象: パスタマシーンの幽霊
49件見つかりました。

1. パスタマシーンの幽霊

「木は背が高いから、僕らは遥か下方から遠く眺めることしかできない」 山口さんは言う。 「でもこのべランダの木は、みんな丈が低くて、親しみ深くて、 いいんだなあ」 わたしのべランダには、樹木が多い。草本ではなく、木本。小さなサザンカに、小さなひいら ぎ。小さなツッジに、小さなさんざし。山口さんに指摘されるまで、自分が木本好きだというこ とに、気づいていなかった。 「たいがいのべランダ園芸ってさ、 ープとかゼラニウムとか。ハンジーとかトマトとかナスとか、 よわごし そういう、弱腰なものばっかりでしよ」 山口さんは、いっか言っていた。弱腰、という一一 = ロ葉に、わたしは笑った。トマトやナスって、 ぜんぜん「弱腰」じゃないと思いますけど。 「茎がね、葉っぱとかも、剛直じゃないよ。僕はなんといっても、どっしりした、ヤッデみたい なのの方がいいな」 ャッデが「どっしり」しているという山口さんの言葉に、わたしはまた笑った。山口さんも一 緒に笑っている。山口さんは、生きてゆくことに関して、ちゃんと自信を持っている感じがする。 どんなに体が小さくとも、山口さんの種族のすべてである「村」の人口がわずか五十人ほどで あっても、確固としたものが、ある。 わたしには、自信というものは、ほとんどない。三十過ぎても男の人とっきあったことがない そうほん もくほん

2. パスタマシーンの幽霊

ヤマグチさんが好きになった「大きなヒト」は、すなわち、ヤマグチさんと同じ種族の「小さ な人」ではなく、私と同じ、ごく普通の人間の女らしい、ということは、ほんとうは私にはわ かっていた。 「結婚したいとまで、僕は思ってるんです」 私はまだ黙っていた。何だか夢みたいなことを言ってるよ、この小さいヤマグチは。そんなふ うに田 5 ったからだ。 一度自分の恋のありどころを打ち明けてしまった後は、ヤマグチさんは恋の悩みを私に縷々訴 えるようになった。 「彼女、とても純情な人なんです」 「ともかく今の世の中には珍しいような美しい心を持った人で」 「おまけにナツツバキを育てるのがうまくて」 「こんな小さな僕が、彼女によこしまな心を持っていると知ったら、きっと軽蔑されます」 しまいには、ばからしくなってくるくらい、ヤマグチさんは「純情な彼女」、すなわち原田誠子、 という三十二歳のその女を賛美するのだった。 「そんなにものすごいよこしまな心を持ってるんだ、ヤマグチさんは」 私が言うと、ヤマグチさんは顔を赤らめた。 「いや、そ、それは」 るる 138

3. パスタマシーンの幽霊

七泊八日の計画になった。 「ニームや、あとせつかくそこまで行くのならイタリアにも寄ってみたいなあ。もう少し。ハリの 日数を減らせないの」 恵一は遠慮深げに提案したけれど、あたしは首を縦にふらなかった。 リでの買いものや街歩きに費やしたいくらいだった。あたしは ほんとうは七日間の全部を、 街が好きなのだ。南仏の自然や、名作がさりげなく置いてある小さな美術館などには、ほとんど 興味はなかった。 「まあ、ループルにもオルセーにもポンピドーにも一何けるから、 ノリでもそんなにたくさんの美術館に行くの ? と、内心で 恵一はつぶやいていた。ええつ、。、 じよ、つほ あたしは不満に思ったけれど、恵一の譲歩を思って、ロにはしなかった。 「楽しもうね」 あたしは明るく言った。恵一は、急に悲しそうな顔になって、 「うん」 と小さく頷いた。もともと恵一は、あたしと別れたくないのだ。知らん顔で、あたしはパンフ レットに熱心に見入るふりをした。 。、リは、さんざんだった。 235- ーープイヤペースとプーリー

4. パスタマシーンの幽霊

「瀬戸島さんだって、まだまだこれからいろいろ変化してゆくんじゃないですか。いつまでたっ ても変化しますから、人間というものは」 「人間、ねえ」 ヤマグチさんのもっともらしいくちぶりが可笑しくて、私が思わず言うと、ヤマグチさんは少 しばかり気を悪くしたような表情になった。 「人間ですよ、こんなに小さくても、僕は」 あら、そういう意味じゃないのよ。 私はあわてて言った。ヤマグチさんの種族 ( というのだろうか ? ) を、見下したり人間ではな いと差別したりするつもりは、全くなかった。 ヤマグチさんは、草の陰に隠れてしまった。るるる、という音が聞こえてくる。すねてしまっ たのだ。 ヤマグチさんのくちぶえの美しい響きに、私はうっとりと聞きほれた。しばらくすると、ヤマ グチさんはまた姿をあらわした。 「反省、してくれましたか」 しかつめらしい顔でヤマグチさんは言った。 井えてるなあ、この小さなヤマグチは。 内心であきれながら、私は、 140

5. パスタマシーンの幽霊

れた言葉である。 山口さんと初めて遭遇したのは、このべランダだ。引っ越してきてしばらくした頃だった。小 あしび さな馬酔木の花の陰に、山口さんは立っていた。 「やあ」 というのが、山口さんの第一声だった。 「やあ」 わたしも答え、それから山口さんとの「つきあい」が、始まった。 「コロポックルったって、ヒトの一種だから」 山口さんは言う。体は小さいけど、機能は一緒。恋もするし子供も生む。歳もとるし死にもす る。戦争は、まあ人口が非常に少ないから起こらないけど、諍いくらいはしよっちゅうある。 「僕たちは、けっこうみんな短気でね。誠子さんみたいに、落ちついてる女の人は、助かるよ」 山口さんは言う。 「落ちついてないですよ、わたし」 答えると、山口さんは笑った。 「でも誠子さんは、樹木を育てるのが上手だ」 それは、まあ。わたしは慎重に答える。山口さんがわたしの小さなべランダに姿をあらわした のは、木に咲く花が好きだからだそうだ。木に咲く、白ゃうすもも色や黄色の花。 67 ーーーナツツバキ

6. パスタマシーンの幽霊

私は驚きながらも、小さな人をじっくりと観察した。 髪は黒い。眉も。縞の背広みたいなものを着ている。ちゃんと、靴もはいている。小さな手に 小さな爪もある。精巧なものである。 「あなた、だれ」 すいか 私は誰何した。 小さな人は、私がじろじろ眺めているのと同じように、私のことをまじまじと見返している。 「ヤマグチです」 小さな人は、答えた。 可愛い声だった。男の声だったけれど、なんともいえない甘い感じがあった。ちょうど、枇杷 の実をもいでいた時によく聞いた「るるる」という音と、同じような。 「もしかして、あの音は、あなたがたてていたの」 「どの音ですか」 「あの、鳥みたいな小さなかえるみたいな」 「それは、こんな音ですか」 言いながら、ヤマグチさんはその場でくちぶえを吹いてみせた。 るるるるるるる。 きれいに、くちぶえは響きわたった。 136

7. パスタマシーンの幽霊

あたしたちは、穴に住む。 引き潮になると、穴からは空が見えます。空はいろんな色をしている。うすむらさき色のとき が、あたしはいちばん好きです。 たがいのあたしたちは、穴から出ることはなくて、満ち潮のときにすうっと穴の上を横ぎる 小さな魚を引きこんで、まず水気を吸ってから、肉をたべます。あたしたちはじようぶな歯を もっているから、魚をた。へるときには、上下の歯でよくすりあわせ、骨までこなごなにして飲み こみます。魚は、おいしい。 あたしたちはときどき、穴から出て、町へさまよいだします。五十年に、一度くらい あたしはちょうど、穴から出ていって、幾人かのひとと、しばらく一緒に住んできたところで す。その夏は、満ち潮になっても、小さな魚一匹、蟹や小えび一匹穴の上を通らなくて、しかた ないから薄いプランクトンを海水ごと飲んでは、海水をまたざあっと吐きだす、という、おお 海石 / 、 C ノ

8. パスタマシーンの幽霊

その時から、私はヤマグチさんを可愛がるようになったのだ。 ヤマグチさんは、道ならぬ恋をしている。 「どういうの。不倫とか。それとも義理のおねえさんとか」 面白がって、私は聞いてみた。 ヤマグチさんとは、すぐに打ち解けたのだった。世の中にこんな小さな人が生息しているなん て、この年になるまで知らなかったし、想像したこともなかったけれど、なに、おかしなことな ど、この世には他にも山ほどある。害をなすわけでもない小さな人が存在する、ということに、 何の目くじらをたてることがあるだろう。 「そういうのではなく」 ヤマグチさんは真面目に答えた。 「じゃ、なに」 大きなヒトなのです。ヤマグチさんは、もじもじと言った。 大きなヒト。ちょうど、瀬戸島さんのような、大きなヒトなんです、僕が好きになったのは。 「私は、そんなに大きい方じゃないわよ」 そう言うと、ヤマグチさんは困ったような顔になった。 しばらく、私は黙っていた。面白かったのだ。ヤマグチさんをからかうのが。 せとじま 137- ーー庭のくちぶえ

9. パスタマシーンの幽霊

ヤマグチさんを知る前から、私はヤマグチさんのくちぶえの音をよく知っていた。 最初にそれを聞いたのは、枇杷の実を長ばさみで剪りとっている時だった。 「るるる」 高音の、甘い響きだ。た。すぐに止んだけれど、またじきに始ま「た。枝の元から少しずつ熟 れてゆく枇杷の実を、全部収穫するまでの十日ほどの間ずっと、その音は断続的に聞こえていた。 鳥だと、最初は思ったのだ。けれど、そうではなかった。そろそろ枇杷も取りつくして、さて この季節の雨ですっかり伸びてしまった雑草でも抜くか、と腰をかがめたところで、私はその音 の主をみつけたのだった。 「細長い鳥だこと」 まず、私は思ったのだ。近眼のうえに老眼が重なって、遠くのものも近くのものも、ほとんど す。へてのものが、このごろはぼやけて見える。 すぐに飛び立つかと思っていたのに、その細長い鳥らしきものは、じっとしていた。しやがん だ姿勢のまま、私は近づいていった。 「に、人間」 ずいぶん近くまで寄っていったところで、眼の焦点がようやく合った。鳥かと思っていたもの は、鳥などではなく、小さな人なのだった。 ( でもそれにしてもまあ、ずいぶんと小さな ) 135 ーーー庭のくちぶえ

10. パスタマシーンの幽霊

墓地といっても、お寺に付属した墓地ではない。 道ぞいの竹林の中、二基の墓石からなる、そうだ、これは墓地というよりも墓所といった方が、 なんとなく似合う場所だ。 お墓は、とても古い。彫ってある名は摩耗しかけている。たぶん「寺島」と彫ってあるのだろ うけれど、「島」の文字は、「島」にもみえる。 墓所のまわりは、竹藪と、あとは一面の雑草だ。竹藪が尽きるあたりからは水が湧きだしてい て、小さな流れができている。流れに沿って、今の季節ならばミソハギが紫色の小さな花を咲か せ、流れにはこまかなヒシが浮いている。 しおいり 窯から煙がのばっている。潮人さんは今日は忙しいのかもしれない。音をなるべくたてないよ まき う静かに近づいていったけれど、足が草を踏む音に、潮入さんは耳ざとく顔を上げた。薪を割っ ているところだった。 「おお」 潮人さんは手をあげた。髭がのびている。咋晩は徹夜で作業をしていたのかもしれない。 潮人さんとは、一年前からロをきくようになった。墓地の横手にある小屋に住んでいる潮人さ んは、陶芸家だ。 まも、フ 222