という意味なのだろうか。でも、それがどうしたとい 原田誠子は男とっきあったことがない、 うのだろう。 「辻にはわかんないのよ、女の子の気持ち、ってものが」 南野は笑う。 「なんなの、その、オンナノコノキモチ、って」 「赤毛のアンの世界的女子の気持ち、ってこと」 わかりたくないよ、そんなもの。あたしは言い、南野にもらい煙草をする。 らいらするのは、あいかわら 原田誠子とは、あれ以来、別に仲良くも悪くもなっていない。い ずだ。 「辻には、一生わからんね。結婚して、女の子とか生まれたら、母娘の反目が起ること、必至だ 南野は言う。 た 「娘は、あたしに似るよ。赤毛のアン女子は生まれん」 て 「とも限らないって」 育 の そう言われてよく考えてみれば、原田誠子も真面目だが、あたしだって、これでけっこう真面ャ 目なのだ。とすれば、世が世なら、あたしも原田誠子のような女になっていたという可能性もあ るのだ。
じがした。わたしのにぎったおむすびは、夜の潮人さんには似合わなかった。 「男ってさ、こっちの思うようにならないんだね」 わたしはつぶやいた。 あたりまえじゃーん、だからなぐりあうんだよ。従わせようとして。お互い。すみれちゃんは くちぶえをやめ、笑いながら言った。 わたしはなぐりたくない。 アキちゃんは、なぐらないで、かわりにロでやつつければいい そういう才覚もない。 そういえばそうだね 言い合いながら、空を見た。 いわし雲が空いつばいに広がっていた。 好きなものは、潮入さんと、タイサンボクの花と、水牛の群れ。 おむすびを、今日もわたしはにぎる。 日曜日のものうさは、必ずやってくる。 潮人さんは、きっとわたしの気持ちに気づいている。でも知らないふりをしている。 というふりをしている。 わたしも、同じ。わたしの気持ちなんて、わたしは知らない、 2 引ーー少し曇った朝
桂木くんは、学生時代のサークルの同級生だ。二人きりで会うのは初めてじゃなかったけれど、 つきあっているというわけではなかった。 「メールするね」 そう言い置いて、桂木くんは降りていった。窓ごしに小さく手を振ると、桂木くんも、恥ずか しそうに振り返した。 なんだかこのごろ、やたらに男の子に「もてる」。 女子たるものも男子たるものも、せいいつばい「もて」をめざすべし、という風潮がこのとこ ろの世間さまでは強いみたいなのだけれど、わたし自身はそういう感じのこととは無関係、と、 田 5 いこんでいた 大学のときにつきあっていた北村くんと別れて以来、わたしには恋人と呼ぶことのできる男の 子がずっといなかった。二十五歳で実家を出て、一人暮らしを始めた。あっという間に五年が た 0 て、三十にな 0 た。仕事は忙しい。クラシックギターを習 0 ている。ときどきお酒を飲む男 友だちはいる。女の子の友だちは、も 0 とたくさんいる。恋愛をしたい気持ちは少しあ 0 たけれ ど、めんどくさい という気持ちのほうが、ちょ。とだけ多かった。総理大臣の国民支持率が、 五〇パーセントをわずかに切る、みたいな感じだ。 今年の二月に三十歳になってから、突然「もて」がはじまった。 77 ーー銀の万年筆
「でも、へんな両思いよりはましだよね」 すみれちゃんは言う。 すみれちゃんは、小学校の頃からの親友だ。 というので、いっか連れていったら、 潮入さんを見たい、 「けっこう、そそる男だね」 という感想を述べた。 すみれちゃんは、十七歳で結婚して立て続けに三人子供をうみ、上の子供はもう中学生になっ 「アキちゃんも早く結婚しなよ」 ときどきすみれちゃんは言う。 「相手がいないし、わたし、結婚てうまくできそうにない」 そう言うと、すみれちゃんはしばらく首をかしげ、 「結婚なんて簡単だよー」 と一一 = ロ、つ。 すみれちゃんは、どうして結婚する気持ちになったの。わたしが聞くと、すみれちゃんはまた 首をかしげる。 いっとき 「一時も離れたくないっていう男がいたからな」 225 ーーー少し曇った朝
「杏子ちゃんと結婚したかった。変われると思ったんだ。杏子ちゃんと結婚すれば。ほんとうに 杏子ちゃんのこと、好きになってたんだ。でも」 でも、の後の言葉は、なかった。 あたしは立ち上がった。振り向かずに、会計をした。中林さんのぶんも、あたしはきっちりと 払った。 修三ちゃんを呼んだのは、春になってからだった。 三カ月、あたしはヘたっていた。 ちゃんと好きになってくれていたのに。がんばれば、何とかできたかもしれないのに。 何回も、思った。 桜が咲いて、新しいイラストの仕事の注文がきて、お絵描き教室にも新しい生徒が入ってきて、 ようやくあたしは人間の正しいかたちを取り戻したのだった。 「人間のかたち」 修三ちゃんは笑った。 「そうだよ、なんだか自分が、細工のにせもの人間になったような気持ちだったよ」 「にせもの人間」 また修三ちゃんが笑った。 ろうざいく 192
見える。 「疲れたね」 あたしは声をかけた。 「疲れた」 原田誠子は答えた。珍しく、ふつうの女子、みたいな口調だった。いつものあの、ていねいで 清潔で可憐な口調ではなく。 「原田さんでも疲れるんだ」 「何ですか、それ」 「原田さんて、絶対に投げやりにならないじゃない」 少しだけ悪意をこめて、あたしは言った。原田誠子は、顔を上げた。 「そんなことありません」 原田誠子の頬が、赤くそまった。かすかに、眉をびそめている。知らない間に、原田誠子の嫌 がることをあたしは言っていたのだろうか。 ますますあたしは、意地悪な気持ちになった。 「いつも真面目で、人望があって、男子にだって好かれて」 原田誠子が、突然立ち上がった。握ったこぶしが、ふるえている。口を開け、何か言いかける。 やつばりあたしの言葉の何かが、原田誠子を刺激したのだ。 217 ーーーゴーヤの育てかた
そのことが、恐ろしいほどの確かさで、あたしにせまってきた。 ( あたしが、自分で決めるって、決めちゃったから、そうなってしまったんだ ) につこりしている。昔、好きだった笑顔。さあ、あたしは、どちらを取る ? 坂上くんが、 行くの ? 戻るの ? 胸が、大きく高鳴っていた。それが、坂上くんを好きだという気持ちのためなのか、それとも、 はじめて大きな選択を自分でできることへの期待のためなのか、あたしにはわからなかった。 しつばが抜け落ちるのに、こんなに長く、かかっちゃった。 そう思いながら、あたしは、 「ねえ」 と、坂上くんに呼びかけた。太陽が、さんさんと照っている。沖縄の、湿っておおらかな風が、 頬をなでてゆく。四十五年。自分で大事なことを決断できる自由を得られるようになるこの時ま まだまだこれから で、ずいぶん長かったようだけれど、でも、そうでもなかったかもしれない。 も、ちゃんとあたしの人生は続くのだから。 生まれてはじめて人に呼びかける子供のように、あたしはもう一度、 「ねえ」 と、坂上くんに呼びかけた。 132
部屋の隅にほっんと置いてあった。火鉢の中の灰は、、 ざらと黒っぽくみえた。 「結局全部落ちたんだー」 彩子が、いつものばんやりした口調で言う。 「落ちたさー」 やけみたいな気持ちで、わたしもばうっと答える。卒業式も近いというのに、わたしはまだ就 職が決まっていない。卒業したら家を出て独り立ちすること、というのが我が家の決まりである。 兄と姉は、医者と弁護士になった。二人とも都心のマンションに住んでいる。 「彩子はいいな」 ダイエットコーラをぐっと飲みくだしながら、わたしは言う。 「なんで」 彩子は、ふつうのコーラを飲んでいる。ダイエットコーラって、コーラより辛くない ? か彩子は言っていた。 「だって先行きが不安じゃないつほいし」 「実家のコンビニにそのまま勤めるんだよ、あたし。すつごい不安だって」 彩子はロをとがらせた。 月さい頃に見た時よりも、ざら 112
わたしがふつうに家族に囲まれ、ふつうに家族と喧嘩し、ふつうに家族と仲良くし、そのうえ とい、つことが、きっと弥生ちゃ 「ふつう」であることの幸せさをわたしが全然わかっていない、 んを傷つけていた。 そしてまた、何の悪意もないわたしに、ひそかに傷つけられている、ということ自体にも、弥 生ちゃんは傷つけられて。 今だったらなあ、と思う。 今だったら、もう少し、違っていたかも。そんなふうに、田 5 う。 でも弥生ちゃんはわたしのこんな思いを知ったら、怒るかもしれない。そんなにあたし、ヤワ じゃないよ、って。 まるちゃんはどんな女の人と結婚したんだろう。今も髭はたてているんだろうか。もう少しし て、さらに大人になったら、いっかきっと弥生ちゃんに連絡してみよう。水族館に、また行って みよう。ピラルクを一緒に見て、さみしい気持ちになりあおう。それから、今度はわたしが作っ たお弁当を、二人で食べよう。カモメがきっとピーピー鳴くことだろう。トビも、わたしたちに 近く、飛んでくることだろう。
「でも力もちなのに」 きも 「肝は小さい」 川成チーフは、一カ月に一回、家に戻る。生活費を渡すためである。振込にしたらますます離 婚に応じる気持ちをなくす、と、奥さんに言われているのだ。 「行ってくる」 そう言いながら、川成チーフは出かけてゆく。あたしは小さく手をふって見送る。 奥さんに生活費を渡してきた日には、あたしたちはちょっと離れて眠る。 いつもはつくらない隙間を、あたしが無意識につくって いつも敷いている二枚の布団の間に、 しまうためだ。 そのことに最初に気づいたのは、川成チーフだった。 「あれつ、こんなところに川がある」 川成チーフはつぶやいた。 「なにそれ」 あたしが聞くと、川成チーフは突然歌をうたいはじめた。 「おとーこーとおんなーのあいーだー あたしはびつくりした。 177 ーーーかぶ