が見つかった。次の日は、三つ。翌週は四つ、拾った。 輪ゴムをつなげたものは、だんだんに長くなっていった。 十一歳の誕生日には、十メートル以上になっていた。十二歳の時には、その倍に。十三歳にな ると、さらにさらに長く。最初は靴下をしまう引き出しの奥に隠しておいたのだけれど、収まり きらなくなって、持ち歩くことにした。 軽い布のバッグに、巨大な輪ゴムのかたまりを人れて、あたしは雨の日も風の日も学校に通っ た。学校でないところに行く時にも、忘れずにバッグをたずさえた。「りえ」も「さとし」も、 袋の中身については、詮索しなかった。なにしろ「フラット」な家だったので。友だちはときど き不思議がったけれど、 「親がうるさいから、これ、見られないようにしてるんだ」 と、曖味なことを言うと、適当に解釈してくれてーー見られたくない手紙だのモノだのなんだ ろうなあ、などとーーそれ以上くわしく聞こうとはしなかった。 さみしい時、わたしはいつも輪ゴムを取り出して、かさのあるゴムのかたまり全体を、ふって みる。びよん、という音がかすかにする。最初の頃につないだ部分は、劣化してべとべとしはじ めている。べとべとがくつついて、全体は丸くかたまっている。つないだばかりの新しい端をの ばしては、手を離してみる。びしりと鳴る。輪ゴムは、とても輪ゴムくさい ( 「りえ」と「さとし」を、どうしてあたしはあんまり好きじゃないんだろうなあ ) 163 ーー輪ゴム
「まさか」弥生ちゃんは笑いながら答えたのだったけれど。 ようやく水族館のある駅に、電車は着こうとしていた。太った英語のおじさんは、いつの間に か降りていってしまっている。弥生ちゃんは立ち上がり、棚からバスケットをおろした。まる ちゃん手製のお弁当の入ったバスケットだ。 重そうに、けれど大事そうに、弥生ちゃんはバスケットを小わきにかかえた。 水族館はすいていた。わたしが弥生ちゃんと知り合ったのは、高校の水族館同好会である。組 ゝ、ほし J ん も違うし、友だちのグループも違うわたしたち。服の趣味とかお休みの過ごしかたとカ ど重なるところはないのだけれど、水族館が好き、というのだけは、同じだった。 「でも栗子ちゃん、なかなか一緒に水族館に行ってくれないからなあ」 弥生ちゃんはときどきこほす。わたしは出かけるのが好きじゃない。お休みの日はいちにち家 にいて、お菓子を作ったりゲームをしたり手紙を書いたりするのが、いちばん楽しい。 「でもせつかく水族館が好きなら、何回でも実際に現地に行かなきや」弥生ちゃんは言う。 わたしは、「一つの水族館一回こっきり派」なのだ。ひとたびその水族館に行ってきてしまえ ば、それでもうすっかり満足する。人口の水槽にマンボウが泳いでいて、回遊水槽はあんまり充 はんすう 実していないけれど、オオカミウオが三匹いたな、なんていうようなことを、反芻するようにし て何回でも家で思い返すのが、好きなのだ。
この先も行くことのない場所。なんだか、安心する。 嬉しくなってビールをどんどん飲みはじめたら、酔った。気がつくと、ホテルにいた。吉田先 生は筋肉がきれいについてオ 、こ。ほとんど喋らずに、二人で体だけを動かした。二時間でホテル を出て、ろくにさよならの挨拶もかわさず別れ、そのままもう会わなくなるかと思っていたが、 次の週に吉田先生のほうから電話してきた。 平井くんほどは頻繁ではないけれど、そのまま、会いつづけている。 五月には田山くんに誘われた。六月には小林先輩。平井くん、吉田先生と同じく、「気がつい てみると、いつの間にか」ホテルにいこ。 さつはりわからなかった。 わたしは、とりたてて美人というわけではない。い つも、ダイエットをしなきや、と思ってい る。気のきいたことを喋ることもできない。かといって、人の話を引き出してじっくりと聞いて あげる、というような度量の大きさもない。 「星占いなんかで、千年に一度くらい、本来不可能な星の並びが、奇跡的にできちゃったような ものなんじゃないか」 手帳の、小林先輩と最初にホテルに行った日付の空欄に、メモした言葉だ。 八月を過ぎると吉田先生からは音沙汰がなくなったけれど、かわりに桂木くんが登場した。
やつばり少しくさかったけれど、女のびとがいいびとだったので、あたしは喜んでたべた。 結局その女のひとを、あたしは穴に連れ帰ることにしました。歯もじようぶだったし。 ートでは、もちろん大きな 女のびとは、大きな大を飼いたがっていたけれど、住んでいるアパ 犬を飼うことなどできなかったのです。海には大みたいな感じのいきものも、いるよ。あたしが 誘うと、女のひとは、そうねえ、行っちゃってもいいわねえ、わたし、昔許されない恋をして、 そのひとと一緒にどこまでも逃げて、最後にはこの海辺に住みついたのよ、でもそのひと十年前 に死んじゃったの、わたし、さみしいから、海石さんと一緒に行くわ、と言いました。 あたしは女のひとの手をひいて、海に戻った。穴はすぐにみつかって、あたしと女のひとは、 いちにのさん、で、穴にもぐりこんだ。狭いのね。女のひとは、言いました。でもじきに、あた しのからだも、女のびとのからだも、穴のいきものに変わってゆきました。小さくほそく長く なって、すっかり落ち着きました。 あたしたちは、穴に住んでいます。連れてきた女のひとも、もうあたしたちの一人になってま じってしまったので、「女のびと」ではなく、ただのあたしたちになりました。穴の上に潮が満 ちるとき、あたしたちは、じっと海の水のにおいをかぐ。潮が引くと、あたしたちは空を見上げ る。空の色はたくさんあって、あたしはうすむらさきが好きです。あたしたちのうちの、ちがう あたしは、灰色が好きだと言います。 あたしたちは、すぐにものを忘れるけれど、海石という名だけは、残りました。あの夏から 11 ーー海石
翌年には花子が生まれた。 花子が八歳になった年に、父が亡くなった。清水家では影の薄い父だったけれど、母はがつく りと力を落として、みるみるうちにふけていった。 花子が十歳になった年には、母が亡くなった。 「いいお義母さんだったのに」 と言いながら、研三郎がわたしよりも激しく悲しみ嘆いたのには、ちょっと驚いた。 富士さんを捨ててしまって以来、どうもわたしは、まっすぐに母と対することができにくく なっていた。父が亡くなってから、ますます母が「清水の家の女」としての誇りを強めたことに も、違和感があった。 花子の初めてのデートは、花子が十三歳になった時のことだった。 昔、わたしが初めてデートに行くことを母が見破ったことを不思議に思っていたけれど、自分 が子供を持ってみたら、よくわかった。 なんとなく、わかるものなのだ。 花子にとって嬉しいことが起っている、という時には。 友だちとうまくいっている、とか。テストの勉強をさばらずできた、とか。欲しかったとかげ の指輪を手に入れた ( 花子はわたしに似て、妙な指輪を集めるのが趣味なのだ ) 、とか。 157 ーー富士山
しよ、つこ 「章子のおばあちゃんのそのまたおかあさん、章子にはひいおばあちゃんにあたる人が、最初に このバックルを使ったらしいのよ」 そう言いながら、わたしの十三歳の誕生日に、母はバックルを渡してくれた。 「名前は、富士さん」 冗談のような名前を、ことさらに重々しく言って、母はわたしのてのびらの上に、ゆがんだ富 士山の形をしたバックルを置いたのであった。 富士さんには、カがある。 「デートを、成功させてくれるの」 十四歳になって、わたしが同じクラスの住吉くんと人生最初のデー 母は教えてくれたのだ。 「だから、今日はぜびともこの富士さんを、身につけて行きなさい」 さと 教え諭すように、母は言った。 「でも」 わたしはつぶやいた。何を着ていくかは、もう決めていた。ワンビースに、サンダル。ヾ のかたちの指輪は、中指に。 「ベルトする余地なんか、ないよ」 トに出かけよ、つとした時に、 ノナナ 148
ら。 今年は、どんな年になるだろう。 姉が部屋に戻っていったあと、柄にもなくわたしは考えはじめた。 わたし、ほんとうは、やりたいことがあったんだ。 一人になった部屋で、わたしは思い出していた。 わたしは、映画を撮る人になりたかったのだ。大学の商学部なんていうところじゃなく、脚本 のことや映像のことを勉強できるところに行きたかったのだ。 姉のことも、兄のことも、わたしはずっと苦手にしていた。今だって、それは変わりない。 ( でもお姉ちゃんの方が、わたしより、ずっとえらい ) はじめて、わたしは思ったのだった。 わたしと違って、お姉ちゃんは生まれつき優秀だから。お兄ちゃんも、生まれつき頭がいいか そんなふうに、 、つもわたしは思っていた。 ( でもそれって、言い訳 ) ひいおじいちゃんの部屋の匂いを、久しぶりに思い出した。お香と、かびが、入り混じったよ うな匂いだった。古い部屋の匂いだった。 ( 専門学校に、入りなおしてみようか ) おじいちゃんの本は、地元の図書館に寄付したのだと聞いている。今度、茨城に行ってその図 119 ーーーきんたま
母は、言い返すわたしを見据えた。叱る、というのではなく、ふたたび教え諭すように、 「そりゃあ、富士さんを身につけて行くか行かないかは、章子の自由よ。でもね。生まれて初め ての逢い引きに、富士さんを身につけて行かなかった女は、今までの四代続いたあたしたち女系 の清水家には、一人もいなかったのよ」 と言うのだった。逢い引き、という古めかしい言葉に、わたしは一瞬身を引いた あたしたち四代。 それは、しばしば母がロにする言葉である。 わたしが生まれたこの清水の家には、なぜだか女しか生まれない。それも、一代につき一人き りの子供しか、生まれないのだ。婿をとって、清水の家は続いてきた。べつにたいそうなお金持 ち、とか、由緒ある家柄、というのではないのだけれど、四代続く婿取りの家、というのがどう やら母にはびどく意味のあることのようなのだった。 「わかったよ」 結局わたしは母の迫力に負けた。富士さんのついたベルトをしめるために、ワンビースはあき らめてジー ンにした。わたしは足が短いので、どうにか足を長く見せようとして、デート中は 気もそぞろだった。住吉くんは結局、二度と誘ってこなかった。 「その男の子とは、駄目だって、最初から決まっていたっていうことね」 冷酷に、母は言い放った。恨みをこめた目つきで母をにらんでみたけれど、母は平然としてい むこ 149 ーー富士山
おどおどしているところだ。 この前だって、そうだった。 「べランダでゴーヤを育ててるんだ、おれ」 昼休み、お弁当を食べながら、大野くんが言ったのだ。 以前は昼休みには課のほとんど全員が外に食べに行っていたのだけれど、このごろはお弁当派 がふえている。ポーナスもどんどん減るし、昇給もほとんどないしで、あたしも去年から「とき どきお弁当派」になっている。 部屋の隅にある会議用テープルで、あたしたちはお弁当を食べる。女子だけでなく、男子も二 人、交じっている。大野くんはそのうちの一人だ。 「ゴーヤって、育つのが早いんでしよ」 あたしは打てば響くという感じに答えた。あたしは場を盛り上げるのがうまい。自分で言うの もなんだけれど。 「そうそう、なんかやたらゴーヤが可愛くなっちゃってさ、おれ。ゴーヤン、とか、名前までつ けちゃった」 ゴーヤなど育てたことはなかったけれど、あたしは大野くんの話に要領よく相槌をうっていっ た。気を良くした大野くんは喋りつづけ、そのうちに話題は、ゴーヤでつくるおかずや、沖縄の 話にまで広がっていった。 あいづち 209 ーー - ゴーヤの育てかた
男のひとは、あたしの名前を聞きたがった。「名前なんて、ないよ」そう答えると、男のひと は首をかしげ、「なんか、わけ、あるんだね」と言った。名乗りたくないんなら、おれが適当に つけたげよう。海から来たから、海石って、どう。男のびとは言いました。 あたしが海の穴から出てきたことは、もちろん男のびとには打ち明けていなかった。勘のい 男のひとだと思いました。海石って、ふしぎな言葉だね。そう言うと、男のびとは、じいちゃん に聞いたんだ、と答えました。じいちゃんは北陸の漁師で、七十過ぎまで毎朝船に乗って海に出 てた。親父は会社員になったけど、おれはじいちゃんの血を濃くびいてるみたいで、海から離れ ることができないんだ。男のひとは言って、沖を見た。 陸のいきものの言うことは、ちょっと大げさだなあ、とあたしは田 5 いました。男のひとは翌日、 あたしがはいていたトランクスを洗濯して、かわりに自分のトランクスを貸してくれた。水玉も ようだった。かーわい 嬉しがると、男のびとは、照れた。 何カ月かたった頃、男のびとは、結婚しよう、と言いました。あたしは断った。ずいぶん、残 念だったけれど。男のびとのことを、あたしはすごく好きになっていました。だけど、あたした ちの「好き」は、陸のいきものの「好き」とは違うから、だめなんです。 あたしたちは、「好き」になると、みんな一緒になってしまうのです。「好き」と「好き」が引 き合って、隣の穴の「好き」がやってきて、またその隣の穴の「好き」もこちらにくつついて、 さらに隣の「好き」までくつついて、どんどん大きなものに育ってゆく。最初の「好き」は小さ