さて、あなたはこの会話の主をどう想像しただろう。一見すると仲のいい女子生徒同士 のようではないだろうか。 正解は、 < は女子生徒だが、は女性の養護教諭だ。「保健室の先生」と言ったほうが 一般的かもしれない。休み時間の保健室、他の生徒がいなくなったタイミングで女子生徒 が養護教諭に切り出したのだった。 2010 年の冬、私は保健室の取材を始めた直後に、この場面に遭遇した。へえ、思春 期の子が学校の先生にここまであけすけに語るんだ、と新鮮な驚きを感じた。 この女子生徒は、教室ではとてもおとなしい子だった。養護教諭は「あの子は保健室で は何でも話します。ダメなことを誰かにダメと言ってほしくて、ああいうことも一言ってく るんです」と解説してくれた。 同じ頃、別の中学校の保健室では、「だるい」とやってきた女子生徒が机に突っ伏して こう叫ぶところに遭遇した。 「金さえあれば何でもできるんだよ」「あいつもしよせん金だけなんだよ」 この女子生徒は、出会い系サイトで知り合った歳の男と付き合いはじめたが、その彼
「その時男子がたくさん来てくれて、少しいじめに加わっていた子もいたんです。それを 見て、『歌だったら自己表現ができるし生きていく道があるな』とはっきりわかりました。 その後もいじめはあったけど、いじめっ子たちも歌は認めてくれて、妨害するようなこと はなかったです」 この日から、放課後の教室や学校行事で歌うことが、学校生活唯一の楽しみとなる。 とはいえ、そう毎日コンサートを開けるものでもない。 日常に戻れば、教室のべランダ から飛び降りるイメージが頻繁に降ってくることに変わりはなかった。 クリスマスが近づいてきたある日、寺田さんのその後を変えるきっかけが訪れる。 寺田さんは学校の会議室の前で、小学校の同級生の女子と鉢合わせした。彼女は中学入 学後から保健室登校になっていた。 久しぶりのおしゃべりに花を咲かせ、寺田さんはクラスでいじめられていることを打ち 明けた。するとその子は「そんな思いをするんだったら、教室に戻らなくていいから保健 室にいなよ」と言った。 寺田さんは「保健室は悩み事で行っても、 しいところなんだ」と初めてった。 避難場所を見つけてふっと肩の荷が下りるのを感じた寺田さんは、その子の勧めに従う 177 第 4 章性はグラデーションなんだ
相談は、学校に配置されているスクールカウンセラー (no) を利用するよう案内され た。この学校の coo は数人態勢で、全員で情報を共有するシステムらしい。 1 回菊分の面 談を 1 週間前から予約できるのだが、すぐにスケジュールが埋まることが多く、毎回同じ 人と面談できるわけではなかった。 相葉さんは、その都度違う人と向かい合って、デリケートな話をしなければならないの が苦痛だった。自然と足が遠のいたというのも無理はない。 要するに彼女は 2 年生になった途端、保健室も、それに代わる場所もない状態に陥った のだ。 精神的支柱を失って、い細い彼女は、いじめっ子には格好の標的に見えたのだろう。教室 の彼女の席に連れ立ってやってきては、携帯電話のカメラで彼女の顔を撮影するようにな った。その輪には男子生徒も女子生徒もいた。 く間にネット上に流された。彼女の実名と電話番号、メールアド 撮られた顔写真は、瞬 レスが、写真とともに出会い系サイトなどに勝手に登録された。相葉さんは、 1 日中届く 迷惑メールを削除しつづけることになる。 アドレスを変えても、同じことだった。友達だと思っていた子も加わっていたのだ。 100
来室する子どもの側の変化でいうと、私が保健室の取材を始めた 2010 年以降でも変 わったと感じることがある。もしかしたら、第 1 章の時占で「おや ? 」と思った読者もい るかもしれない。 それは来室者に男子の「常連」が目立つようになったことだ。 第 1 章に登場する 3 校でいうと、どの学校も女子より男子の割合が高かった。各校の養 護教諭によると、この 152 年の傾向という。 竹内和雄・兵庫県立大学准教授が 2016 年に実施した、関西の公立小中学校に勤める 養護教諭 166 人へのアンケート結果を紹介したい。竹内准教授は元中学校教諭で、現在 は大学で養護教諭の養成課程にも関わり、さらには現役の養護教諭たちの自主勉強会を主 宰している。 このアンケートで保健室来室者の男女比を尋ねたところ、小学校も中学校もほば半々 ( 男子の割合が小学校浦・ 9 % 、中学校的・ 0 % ) だった。竹内准教授はこの結果を見て、 「数年前までなら考えられない」と驚いていた。 私自身、取材前は女子が多くて当たり前、と思っていたし、実際取材を始めた 2010 年頃は、どこの保健室へ行っても、常連はほば女子。男子の姿を見かけても、その多くは 215 第 5 章変わりゆく子どもと保健室
3 東京都内の 0 中学校の場合 保健室前で追い返す教師 / 居場所をなくして不登校になる生徒 先生にわかりにくいネットいじめ / 困った子は困っている子 第 2 章虐待の家から出された あらゆる虐待を受けてきた女子生徒 / この学校は保健室がないと回らない 無表情な女子生徒の 1 年以上にわたる様子見 保健室で噴出した密室の事実 / 児相の判断と「私のオアシス」 自立するしか道はない、が / 生きててよかった 落とされた支援のバトン / 社会から孤絶したその行く末 養護教諭の無念 / 保健室が育んだ「一生もの」 第 3 章保健室登校から羽ばたく 処置台を覆う布 / 保健室は困った時に行くところ
あらゆる虐待を受けてきた女子生徒 「さっき保健室に来ていた子たちの中に、例の、虐待を受けてきた女子がいたんです。他 にも生徒がいたのでその場で言えなかったんですけど」 2011 年 2 月の、梅の花がほころぶ頃。 東京東部の区立中学の保健室を初めて訪ねた私は、生徒の殺到した休み時間が過ぎた後、 養護教諭の長谷川恵先生にそう切り出されて面食らった。「例の」というのは、その子に 会いたくて取材をお願いしたからだ。 えつ、それらしき子なんていたかな、というのが率直な感想だった。取材ノートをめく りながら必死に思い返す。 って言って突っ伏していた子、ですか ? 」 「家も学校も楽しいことなんて何もない、 「その子は違う子ですね。二人組で来ていたんですけど」 そう言われてみればいた。「湿布貼って」と来たはずなのに、付き添いの大柄な子に笑 わせられ、抱きついてはしゃぐ小柄な子が。中学生にしては小さすぎる気がしてくる。 「ああ、あの小さな子ですか」
この言葉が大げさでないのは、当時の在校生で、健康診断以外に保健室のお世話になっ たことのない生徒がたった一人だけだった、という事実が証明しているだろう。 無表情な女子生徒の 1 年以上にわたる様子見 そんな頃に入学してきたのが、相葉さんだった。 小学校からは、家庭が複雑という申し送りがあった。この学校では珍しくない。 入学早々の 4 月、ちょっとした事件が起こる。相葉さんが、早退届を保護者が書いたか のように「偽造」して 2 回早退していたことに、担任が気づいたのだ。 この話を知った長谷川先生は「ただのサポりじゃないかも」と直感した。というのも、 「しんどい」と言って熱を測りにきた時の様子が引っかかっていたからだ。 入学したばかりの相葉さんは、まるで能面のように表情がなかった。 長谷川先生のかっての生徒の中にも、無表情な女子生徒がいた。その子は後に、父親か らの身体的虐待で児相に保護された。 「その子の顔にアザがあった時、どうしたのと聞いたら、お父さんに殴られたけど私が悪 かった、と言ってかばうんです。虐待だと言わないし、むしろ隠す。人に隠すなかで表情
居場所をなくして不登校になる生徒 それでもしばしば保健室へやってくる子が、わすかながらもいる。勉強も運動も苦手な、 つまりは成績の良くない子たちだ。 4 時間目が終わってすぐ、 1 年女子が険しい表情でドアを開けた。保健室の来室記録の 「頭痛」と「気分不良」に丸をつける。熱はない。 「ちょっと休んでから給食たべようか ? 」と声をかける本田先生に対し、本人は「気持ち 悪いし帰りたい」と頑なだ。本田先生が若い女性の担任に知らせに行く。すると、担任が 保健室へ来て「今日の給食美味しそうだから行ってみよう」と明るく呼びかけ、うつむく 彼女を連れて教室へ戻っていった。 昼休みが終わる頃、担任が再び保健室へ来た。本田先生と話しているなかで、「ウソ」 という単語が耳に飛び込んできた。 実はこの前日、 1 年担当の教師の会議で、この女子生徒が「よくウソをつく」という話 になったばかりだというのだ。これまで早退したがったのが、いすれも宿題が終わってい ない日だったというのがその理由だった。
字が書き込まれている。結衣さんに聞くと「卒業式までのカウントダウンです」と教えて くれた。休み時間ごとにやってくる女子が書いていったらしい。 日々これを目にする結衣さんも、自然と卒業を見据えることになっただろう。 2 月に入るとすぐ、結衣さんは「授業に出る」と言い出した。特別支援学級ではなく、 自分の教室での授業に出たいのだと。 柳先生は「結衣さんにエネルギ 1 が出てきたんだね」と喜んだ。 実はその少し前、結衣さんは同じクラスの一番仲の良い女子と喧嘩したのだという。 結衣さんは丸テ 1 プルで泣きながら「あの子が話をしてくれなくなった」と柳先生に打 ち明けたのだ。 柳先生が担任に相談すると、担任も相手の子にそれとなく何があったのか聞き出してく れた。教師間で双方の話をすり合わせた結果、言った言わないの行き違いのようだった。 本人同士できちんと話をさせれば、解決できそうなトラブルではある。 ただ、柳先生は結衣さんがそれに耐えられるかが気になって、本人に意向を尋ねたとい 「ど、つしたい ? 」 143 第 3 章保健室登校から羽ばたく
処置台を覆う布 部屋には洗濯機の回る音だけがリズミカルに響き、窓辺の観葉植物が初冬の朝の低い日 差しを浴びている。 学校の中なのに学校じゃないみたいだな。保健室というより家庭のような : 小さなクリスマスツリーの乗った柔らかなピンク色の丸テープルで、黙々と二次方程式 のプリントを解く女子生徒の白い横顔を見ながら、ばんやりと思う。 やがて授業終了のチャイムが鳴って廊下が騒々しくなり、女子 4 人組が「せんせー、ち よっと聞いてー ! 」となだれ込んでくると、錯覚はあっさり破けた。 ここは、某地方のターミナル駅からバスで分ほど揺られたところにある中学校の保健 室。校舎の窓からは、山と畑に囲まれたのどかな風景がひたすら広がる。 2010 年が終わりに近づく頃、私は生徒数 400 人弱のこの学校を初めて訪れた。 さばさばとした姉御肌のべテラン養護教諭、柳久美子先生から、取材は慎重にお願いし ます、と事前に釘をさされていた。 「保健室登校の子がいてデリケートな事情を抱えていますから」と。 1 16