二人すっ向き合い、和やかな時間が流れていた。家庭環境が深刻で驚くほど学力の低い子 も多いということだったが、皆、真剣な眼差しで机に向かっていたという。 長谷川先生は、そこにいるだけでほっとするような雰囲気がすっかり気に入った。 「勉強だけじゃなくて、ここも相葉さんのホームになるって思ったんですよ。中学は私が 異動したら彼女の居場所もなくなるけど、ボランティアの方は卒業後も生徒に関わってい るそうなので。家で辛いことがあった時の逃げ場は多いほうかいいじゃないですか」 長谷川先生は高校入学の先まで見据えて、 3 回も見学に訪れた。 ここでもしかし、相葉さんの家庭の事情が立ちはだかる。 相葉さんの門限は午後 5 時だった。掃除に洗濯、買い物と、家事全般を一手に担ってい るため、少しでも遅れることは許されなし々 、。市も家事を替わってはくれない。 残念なことに学習支援の開始時間は、門限よりも遅かった。長谷川先生は何回か学習支 援に誘ったが、相葉さんはそのたび「家族に半端なく怒られるから無理」と頑なに拒んだ。 それでも長谷川先生の心には、学習支援ボランティア代表のこんな一一一一口葉が残っていた。 一緒に頑張ってくれる大人がいて希望を捨てずに高校受験する子と、誰からの手助けも なくはなから高校受験をあきらめている子では、もし結果が同じだったとしても、その後
よね」と感想を漏らしていた。 先の副校長も「生活に余裕があっても教育熱心なご家庭では、成績が伸びないと子ども を追い詰めるような親御さんもいます」と付言していた。この手の親は今の時代に限った 話ではないが、 子どもにとって否定され、評価されるばかりの家庭では、心のよすがには なりえない。 悲しいことだが、こうした子たちにとって、保健室は家庭よりも自分をさらけ出せる場 所ということだろう。家庭では親にそっほを向かれたら生きていけないので、本音をぐっ と呑み込んでいるのだ。 副校長は、話の最後にこう言った。 「だから、養護教諭は大変ですよ。昔とは求められるものが違います。とても高度で多岐 にわたる仕事になり、つくづく大変だと思います」 この副校長は生徒のことを把握するためにしよっちゅう保健室に出入りし、養護教諭と 情報交換しているからこそこうした感慨に至ったらしく、非常に実感がこもっていた。 増える ? 男子の来室者 214
配になるような子もいない。 だが、家庭状況に目をこらせば、「立派な分譲マンションに住んでいる家庭もあれば、 崩れ落ちそうな安アパートの家庭もある」。つまり貧富が混在しているのだ。 その差はわかりやすく学力差に直結しているという。さらに話題が合わないために、友 人関係も分離していくという。 学校の管理職にマスク依存の多さを聞くと、「自信のなさの表れでしよう。顔をさらす のが怖いんでしようね。育ちに由来して、自尊感情の低い子が多いと感じます」と分析し てくれた。 「育ち」が指すのは、必すしも貧困とイコールというわけではない。貧しくなくても、 様々な理由から自信がなくてマスクで顔を覆う子はいる。 もっとも、そういう子はわざわざ登校時に顔をさらしたりせす、自宅から気に入ったも のを装着してくることができる。 一方、登校してすぐ保健室にマスクをもらいに来るのは、貧困が絡んで自尊感情の低い 子か多いようだ。 学校が格差を感じざるを得ない場になっている以上、家庭環境にハンデのある子にとっ
いる。現状では非常勤で教育委員会から派遣されるケースが多い。 国は 2008 年に配置を始め、四年度までに全中学校区をカバーする約 1 万人の配置を 目指している。 中教審の「チ 1 ム学校」答申は、「スク 1 ルソーシャルワーカ 1 と養護教諭との連携・ 分担体制にも留意することが重要」と、両者が相互に協力することを前提としている。 これまで養護教諭にとって、子どもの貧困や虐待の問題に関わる際に一番つらいのが、 根っこである家庭に介入しづらいことだったと思う。学校は「子どもの教育機関」という 位置づけで、教師が保護者に指導を行う権限はないからだ。 第 1 章の < 中学の養護教諭・高崎先生は、家庭環境が不安定で愛着障害の疑われる男子 生徒の支援で、「学校と家庭とを結ぶ存在がいてくれるといいですよね」と話していた。 続けた一一一一口葉が、「だからスクールソ 1 シャルワ 1 カーを入れてほしいんです」だった。 第 2 章でも、いくら生徒本人を支えても、それを崩しにかかる家庭にロ出しできない養 護教諭のもどかしさを感じてもらえたのではないだろうか。 すでにスクールソーシャルワ 1 カ 1 が入っている大阪市内の公立高校の養護教諭に、状 兄をいこ 238
また、それでなくとも地域の絆が希薄になったといわれる昨今だが、生活に追われてい る家庭だとなおさら親が地域とつながる余裕はなく、子もまた孤立しやすい いうなれば「つながりの貧困」が生じる。 こうした子どもたちのすがった先が、保健室だというのだ。副校長は一言う。 「従来は学校ではなく、家庭や地域が担っていた役割だったけど、それがなくなってきた ので、保健室が最後の拠り所になっているんです。否定されない、評価されない、生きて いるだけで大丈夫と言ってくれるところってそうはないから」 以前であれば家庭でなされていたようなものを含め、養護教諭を相談相手に選ぶ子が増 えている背景には、こうしたつながりの貧困があるようだ。 親に迷惑をかけたくない 親に気を遣う子が増えている、というのは行く先々の保健室で聞いた話だった。 第 1 章で「マスクを買って」と言い出せない子のエピソ 1 ドを紹介した。「親の仕事の邪 魔になるから、どんなに具合が悪くても早退できない」という話はごくありふれたものだ。 土曜日にケガしたのを親に一一一口えず、月曜日に登校してから養護教諭に相談し、病院に連 212
ある中学校の副校長にそんな話を向けると、面白い解説をしてくれた。 「教室での指導って、父性的な関わりが多いんです。やりたくなくてもやりなさいとク我慢 する % 頑張るクことから社会のルールを身につけさせるんだけど、子どもにとってストレ スフルなものなので、その分どこかで息を抜いてバランスをとらないと壊れてしまう」 確かに教室では、子どもは強い同調圧力にさらされる場面が多い。そこで無理に自分の 意思を通そうとすると、叱られることになる。特に中学生だと大半が高校受験を控えてお り、評価に響くかもと思うとうかつな言動を取りづらい。 そんな緊張とのバランスをとるために必要なのが、教室とは方向性の異なる、母性的な 存 ~ 仕とい、つことになる。 「昔だったら、家に帰れば優しいお母さんが 1 日中いたり、『何があったんだい ? 』と話 を聞いてくれる地域の人がいたりと母性的な関わりがあったじゃないですか。でも今は、 下校してもそういう相手がいない子が多い。じゃあ誰が受け止めてくれるかとなると、学 校の中にそうした場所がないとバランスが保てない」 両親が共働きの家庭は珍しくないし、貧困家庭、特に、ダブルワーク、トリプルワーク が当たり前のひとり親家庭では、親子が顔を合わせる時間さえないこともある。 211 第 5 章変わりゆく子どもと保健室
妹に対して、「私のこと頭がおかしいと思ってるんだろ」「態度が気に食わない」「誰も あんたに期待してないから」などと毎日、何時間でも罵倒した。母親の置いていく金も勝 手に使ってしまう。ロ答えをすると、さらに罵倒されたりせつかく買ってきた食べ物を投 げつけられたりするので、「ごめんなさい」と言って耐えるしかなかった。 相葉さんは、これらのことを長谷川先生にいっぺんに話しきったわけではない。相葉さ んの手紙に「保健の先生へ」とあったように、相葉さんから見て、長谷川先生はまだ名前 で呼ぶ相手でさえなかった。この日をきっかけに、少しすっ、家庭という密室での事実に ついて口を開いていったのだ。 なぜこの日まで相葉さんが声を上げなかったのか。 相葉さんは「誰にも知られたくなかったから」と言った。 中学生になる前は、よそを知らすにこれが当たり前の家庭だと思っていた。 そして中学生になってからは「知られてどうにかなるとも思ってなかった」と、はなか ら諦めていた。あまりに辛い日は、学校へ行かすに近所のアパートの階段などで終日ばー っと過ごすこともあったとい、つ
ただ、緊張を強いられる状況が家庭にあったのは確かだろう。「ホッとした」の言葉ど おり、緊張がほどけて、この話をしたくなったのかもしれない。 彼が保健室を出たあと、高崎先生と顔を見合わせてしまった。しばらくして、高崎先生 が「実はこの前」と切り出した。 「ムラカミ君の目の前でハサミを取り出した時に、彼、不自然なくらいビクッとしたんで す。気になって家庭科の先生に聞いたら、そういえば彼の裁縫箱にはハサミがないです、 って。過去に何かあって、ハサミが怖いんでしようね」 高崎先生は、彼が虐待由来の愛着障害だという見立てを持ち、じっくり接してきた。だ からこそ、彼のハサミへの恐布心に、反応することができたのだろう。 高崎先生は、話をこう結論づけた。 「やつばり、虐待があったと思う」 保健室での高崎先生の気づきがなければ、彼は教師たちから、「注意されてもすぐハサ ミをなくすだらしない子」としか見られなかったかもしれない。しつかりしなさいと叱ら れることさえあっただろう。 実際、彼はこれまで周囲から「忘れ物や落とし物が多いやっ」「すぐさほるやっ」と、
してもらえないかと伝えると、「自分のことを話すのはあまり得意じゃないけど」とはに かみながらも了解してくれた。 相葉さんと、彼女を支える長谷川先生への長い取材がここから始まった。 この学校は保健室がないと回らない 相葉さんの話に入る前に、長谷川先生のことに触れておく必要があるだろう。 当時代の長谷川先生は、おさげ姿が中学生以上にはまり、パタバタと校内を走り回る。 白衣を着ていなければ生徒と同化しそうな雰囲気だ。そんな見た目のかわいらしさとは裏 腹に、その手腕は他校の教師からも評判が伝わってくるほどだった。 2000 年代前半に養護教諭になり、生徒数約 700 人のこの学校に着任した。学区に はひとり親家庭や複雑な事情を抱えた家庭が多く、就学援助を受けている世帯が 354 割 にのばる。就学援助は受けていないが、制服を買えない、修学旅行に行けないというよう な子もいた。 その頃の学校はとても荒れていた。喫煙にケンカ、窓ガラスが割られるといったことは 日常茶飯事。保健室でも、包帯や体温計が盗まれたり、べッドがぐちゃぐちゃにされたり
冷ややかな目で見られてきた。担任はそれらの問題を、彼個人の資質によるものとして受 け止めていた。 高崎先生が他の教師に、彼がハサミを怖がること、虐待の疑いがあることを共有するこ とで、彼への見方や指導の仕方は大きく変わるだろう。さらに今後、彼に新たな虐待の芽 がないか、多くの大人の目で見守ることができる。この意義は大きい。 一方で、課題も見えてきた。彼のケガは父親がいなくなったことで止まるかもしれない が、家庭環境は不安定なままだ。愛着障害も残る。 学校としては、彼への教育はできても、母親にじかに介入するのは難しい 高崎先生は「学校と家庭を結ぶ存在がいてくれるといいですよね。この地域は、昔なが らのお節介なおばちゃんみたいなクご近所さんクもないから」としみじみと言った。 隠蔽されることが多い性的虐待 養護教諭が虐待の可能性をつかむきっかけは、他にもいろいろある。 「今、とても気になる子がいるんです」 窓の外が真っ暗になった頃に、高崎先生が切り出したのは、 1 年女子のことだった。普 37 第 1 章いまどきの保健室の光景