居場所をなくして不登校になる生徒 それでもしばしば保健室へやってくる子が、わすかながらもいる。勉強も運動も苦手な、 つまりは成績の良くない子たちだ。 4 時間目が終わってすぐ、 1 年女子が険しい表情でドアを開けた。保健室の来室記録の 「頭痛」と「気分不良」に丸をつける。熱はない。 「ちょっと休んでから給食たべようか ? 」と声をかける本田先生に対し、本人は「気持ち 悪いし帰りたい」と頑なだ。本田先生が若い女性の担任に知らせに行く。すると、担任が 保健室へ来て「今日の給食美味しそうだから行ってみよう」と明るく呼びかけ、うつむく 彼女を連れて教室へ戻っていった。 昼休みが終わる頃、担任が再び保健室へ来た。本田先生と話しているなかで、「ウソ」 という単語が耳に飛び込んできた。 実はこの前日、 1 年担当の教師の会議で、この女子生徒が「よくウソをつく」という話 になったばかりだというのだ。これまで早退したがったのが、いすれも宿題が終わってい ない日だったというのがその理由だった。
母親が生活保護を受給していたため、担当のケ 1 スワ 1 カ 1 にも加わってもらって、母 親との話し合いが持たれた。「生活保護費は子どもの分も含まれていて全部がお母さんの お金ではない」と説明し、きちんと面倒を見ることを確認。さらに、離れて暮らしていた 父親からも相応の金銭的負担を確保した。その甲斐あって、生徒はなんとか生活を立て直 し、卒業までこぎつけることができたという。 スクールソ 1 シャルワ 1 カ 1 がいなかった頃なら、この生徒は中退していた可能性もあ る。教育と福祉が連携できるというのは、非常に大きなことなのだ。 この学校では当初、スクールソーシャルワーカ 1 の来校頻度は月 1 回だったが、それで はまったく足りす、養護教諭らが要請して現在は週 1 回になったという。 スクールソ 1 シャルワーカーの側の意見も見ておこう。 四国の公立小中学校で活動するスクールソ 1 シャルワ 1 カーの女性は、「養護教諭は教 科担任よりアンテナが高いし、外部との窓口として、教科担任や児童生徒、家庭との橋渡 し役として一緒に活躍してくれる人が大半で、事例の多くで頼りにしています」と一一一一口う。 たた、こ、つも付け加、んる。 「理想としては、管理職にも進言したりアプローチしたりしてほしいところですが、学校 240
ていたのだが、「守秘義務があるから」と教職員には詳しいことを伝えなかったのだ。 柳先生が保健室で起きた発作の話をすると、は「しつかり抱きかかえていれば落ち 着くから、そのように対応してください」とだけ指示した。 ただ、結衣さんは発作ではない時にも、「私は死にたくないのに『死ね死ね死ね』とい う人の声が聞こえてくる」と話していた。母親は「万一のことがあれば一切うちの責任で すから」と言ってはいたが、学校としてはそれでよしとするわけにもいかない。 柳先生は、守秘義務を譲らないと話し合いの場を持ったが、結衣さんの発作や発言 がなぜ出てくるのかは結局わからぬまま、「とにかく結衣さんを一人では置いておけな い」という結論に至った。 校舎から飛ひ降りかねないならどうするか 2 年生の学年主任である男性教師がある日、うろたえた様子で保健室に飛び込んできた。 学校に話し合いに来ていた結衣さんの母親が泣いて困っているから、柳先生に来てほしい、 A 」い、つ 「学年主任と担任との男性二人で、大きなテープルで相対したお母さんに、結衣さんを一 0 126
いう戸惑いがあるのだろう。また、知識のない教師だと、当事者の生徒が身近にいてもお かしくないことに思いが至らず、教える必要性を感じないというのも考えられる。 白澤さんも退職前、同僚たちに理解を広げようと奮闘していた。 「職員会議で説明したんですよ、性同一性障害のこと。こういうお子さんがいて、性同一 性障害ってこういうふうなんだって。でも、伝わらなかったのかもわからないね」 特に担任とは、寺田さんについて話していたという 「担任の先生からは、寺田さんが性同一性障害かもしれないからお願いってことは、うん と言われてました。理解できなくて先生も困ってたんだろうね」 寺田さんが 3 年間を通じ、担任に対して相談したり作文を書いたりと状況を訴えていた のは見てきたとおりだが、担任は結局、保健室に対応をお願いする以上に理解を深めるこ とはなかったようだ。 寺田さんが 3 年生の頃にこの担任から受け取ったメッセージがあるのだが、その内容を 教えられて、私は唖然としてしまった。「寺田君は体格も顔も柔道向きだが歌に走ってし まった」「最初のうちは歌もインパクトがあったが、くどくなってきた」という趣旨で、 192
つばねた。しかし、現に生活に支障が出ている。本田先生は半月かけてじっくり話をし、 再度「あなたはどうしたいの ? 」と尋ねた。タケシタさんが改めて出した答えは、本人と 話をしたい、 ということだった。担任は、本田先生に対処を一任した。というより、ネッ トのことはよくわからないし丸投げした、というほうが正しいかもしれない こうして当事者一一人と、仲介役の本田先生が、保健室に集まることとなった。 テープルの一辺に並んで座ると、タケシタさんは「悪口の拡散はやめて」と思いをぶつ しかし、ヤノさんは真面目に向き合おうとしない。 本田先生から、「タケシタさんの就職や結婚の時になって画像の影響が出たらどうする の ? 」「こんなことをされてどんな気持ちになるかわかる ? 」と尋ねても、ヤノさんは 「私はされたことがないんでわかりません」とさらりと答える。 平行線をたどりかけた話し合いは、本田先生が二人の望むことを聞いたところで動いた。 ヤノさんが「卒業までには仲直りしたい」と言ったのだ。「それなら今きちんと謝って」 というタケシタさんに、ヤノさんは頭を下げた。ヤノさんは謝罪後、「楽になった」と涙 を流した。
この日を含めて、寺田さんは 3 日間、保健室登校をした。 なせ 3 日間だけ、という私の問いかけに、寺田さんは「その時も担任の先生が : 表情を曇らせた。 最初の日、担任は寺田さんに「いじめをした子たちが謝りたいと言ってるから、明日の 朝は必す教室に来いよ」と言った。その頃の寺田さんは毎晩べッドの中で朝が来ないこと を祈り、遅刻する日々だった。 翌朝、這いするようにして学校へ向かったが、やはり遅刻してしまった。担任はすごい 剣幕で「なんで皆が待っていたのに来ないんだ」と寺田さんを責めた。しかし寺田さんが、 待っていたのは誰なのか尋ねると、いじめていた子たちの名前は出ない。周囲で見ていた 女子たちが何もできなかったと泣いているというのだった。 「それを聞いて落胆しました。本当に謝ってほしい人たちじゃないし、自分がその子たち ま教室に戻ってもきっとまたいじめが繰り返 を悲しませたのが痛ましい気持ちでした。い されるだろうなと」 3 日目、寺田さんを見つけた担任が「何で教室に戻らないんだ、戻れ」と怒鳴り、引っ 張るようにして寺田さんを教室へ連れ戻した。 179 第 4 章性はグラデーションなんだ
よ」と促し、個別指導が始まることもあった。 柳先生は相談員の長沢さんと話し合い、教室に入れない生徒の対応は、別室よりも保健 室を中心にすることにした。そのほうが担任も寄りやすいと判断してのことだ。 それによって、長沢さんが丸テープルにいることがぐんと増える。結衣さんは来室者の たびに隠れることはなくなってしたか、 、 : 苦手な男子が来た時などは、長沢さんに付き添わ れて別室へ避難し、頃合いを見てまた戻ってきた。 新たに着任した当時代の、小野寺順子さんも、カウンセリングの空き時間には 「私もここ座っていい ? 」と結衣さんに尋ね、丸テープルに着いた。結衣さんへのカウン セリングは病院との重複を避けるため行われなかったが、良き雑談相手の一人となる。 柳先生は結衣さんに、意識して話したことがある。高校から先のことだ。 「結衣さんに限らないけど、保健室登校の子って自信を失っているから、これからどう生 きていくか不安なところがあるの。学校行っていない分、勉強ができないとかね。だから、 これから毎日学校に来れば行ける高校はあるから大丈夫だよ、というのは言っていた。そ れだけで励みになるからね」 そんな話が効いたのか、結衣さんは 3 年生になってから、休むことなく保健室に通って 134
脚の脛には、その当時に蹴られて腫れ上がった痕が今も残る。 授業中には、背後からライターを改造したスタンガンのようなものを当てられたり、消 しゴムのカスや紙くずをかけられたりして、まともに勉強することができない。当然、成 績も低空飛行となる。 それにしても、授業中の教室でこのようなことが起きていて、教師が気づかないものだ ろ、つか。そ、つ問、つと、亠寸田さんはきつばりと一言った。 「先生は気づいていても無視します。注意してくれた先生は 2 人だけです。先生は見て見 ぬふりなんだという思いは、未だにずっと引きずってますね」 実はこの時期、担任である中年の男性教師と話をした折に、自分はこういうことで悩ん でいるんです、と同性愛についてやんわり伝えたことがあったという。担任は「保健室の 先生がよく知ってるから、一一一口えたら相談してみて」と答え、その話は終わった。 しかし寺田さんは、この時点では、保健室で相談しようとしなかった。 「いっか小学生の時みたいに溶けこめるんじゃないかと楽観していたところもあって、ま だ相談するほどでもないかと。でも現実は違っていじめの日々が続きました」 担任は 3 年間変わらすこの男性教師だった。寺田さんは「い、 し面もある先生だった」と 174
虐待ゃいじめに悩んでいた第 2 章の相葉さんに対して「相談なら ooo にして」と突き放 し、保健室から追い出した高校の養護教諭はまさにその典型と言わざるを得ない。 また、第 3 章の柳先生が、自らの後任について述べていたことを思い出してほしい。 「養護教諭が変わったら態勢がすべて変わるというのは、本当はあっちゃいけないことだ けど、今の先生には一人で抱えすにチームでやるという実践がないんだと思う」 そこでも書いたことだが、 一人職の養護教諭は、自分以外のやり方を学ぶ機会が少ない。 そして、保健室という殻に閉じこもろうと思えば閉じこもれる立場でもある。 結果、その人の「養護をつかさどる」が独りよがりになっていても気づきづらい どうしたら子どもにとっての悲劇を防げるのだろう。 養護教諭を含めたチーム支援については、かねてから文科省や、文科大臣の諮問機関で ある中教審によって見解が示されている。 たとえば、 2008 年の中教審答申から引用する ( 注〕傍線は筆者 ) 。 「子どもの現代的な健康課題の対応に当たり、学級担任等、学校医、学校歯科医、学校薬 剤師、スクールカウンセラーなど学校内における連携、また医療関係者や福祉関係者など 地域の関係機関との連携を推進することが必要となっている中、養護教諭はコーディネー 225 第 5 章変わりゆく子どもと保健室
そのうち相葉さんは、登校しても、教室の階へ上がろうとすると吐いてしまうようにな こうして欠席日数ばかりが積み上げられ、ついに担任の男性教師から、「出さなければ 強制退学になるから」といって退学届を渡されたのだった。 相葉さんは、この担任にも事情を相談しようと試みたことがあった。しかし、教室に入 れないという打ち明け話に、担任はこう返したという。 「みんな自分に必死で、相葉が抱えている問題を抱えてあげられないんだよ」 相葉さんは、「その瞬間から、もう先生には話せないなって思っちゃって」と振り返る。 都立の定時制高校の現役教師や元教師に、 3 部制高校の実情について、話を聞いたこと がある。 彼らはロを揃えて、「 3 部制は 1 日に教室が 3 回転、教師は 2 交代制で勤務する。場所 も人も常にフル回転状態で、困難を抱えた生徒の居場所となる余裕はない」と述べた。 2000 年以降、全国的に高校が統廃合され、夜間定時制から 3 部制に変わる学校も増 えた。貧困をはじめとした問題が集まりやすいという定時制の性質に変わりはないはずだ る。 101 第 2 章虐待の家から出された SOS