のかもしれない」 長谷川先生は、中学校の養護教諭って、と続けた。 「思春期という人生の大事な時期に関われるけど、その子の人生を変えるほどではないの かな : 。ク人生のスパイスクになればいい。 それくらいの関わりですよね、養護教諭っ でも精一杯関わるんですけどね、と付け加えた一一一口葉が、いつも子どものためにひたむき な長谷川先生らしかった。 長谷川先生は「もっと何かできなかったか」と自分を責めたが、中学校の養護教諭とし て十分すぎるほどに尽力したのは誰の目にも明らかだろう。 児相や地域ボランティアなど、学校の外部とも連携を試みたし、何より高校の保健室へ と支援をつなごうとした。養護教諭は毎年、新しい生徒がやってくる身だから、特定の生 、 0 徒だけにずっと関わりつつけるわけにはい、 むしろ、長谷川先生と相葉さんとの関わりから教訓として考えるべきは、「中学以降」 のことではないか。 109 第 2 章虐待の家から出された SOS
しかし、私は自分の生活パターンを変えませんでした。 なぜなら、いじめを振るわれる反対に女の子と遊んで自分が自分らしく輝けていた面も あって、いじめから癒されていたのだと思います。 いじめについては、その後、度々ありましたが、身近にいる周りの人は、理解して支え てくださいました。本当にありがたかったなあと思います。 いじめは、今はされた場合は、無視をするようにしています。性同一性障害の方や周り の人と話していくうちに、それが一番いいことを知りました。なので今はク死ね ! クだ とかク気持ち悪 ) しーと一言われても知らん顔をしています。何も悪いことをしていないの に軽蔑されたりバカにされたりすることは、おかしいことだと思います。そ、ついうことを する人は無視して、堂々と自分らしく生きるべきだと思います。 今の自分は、同性愛者や性同一性障害のことを多くの方に知っていただき理解してほし いと思っています。そのために、先生方のところを回り、話して、少しでも知っていただ こうと励んでいます」 作文の最後に「先生方のところを回り」とあるのは、寺田さんが月 1 回、自身の体験談 188
理解してくれていると思えす、その状況を変えたかった。 担任に提出する作文には、性のことやいじめについて繰り返し書いた という思いがあったんです。いじめられて 「他の子には私みたいに苦しんでほしくない、 いる子がいたら守ってほしいし、相談に乗ってほしいし、助けてほしいと」 偏見と闘っていく情熱 当時、寺田さんが書いた作文に、「私が思う性同一性、同性愛について」という題のも のがある。引用すると次のような内容だ。 「ばくは、自分自身のことをク私ッと呼ぶことが多い。それは、自分自身が生きやすいか らです。 私は、保育園の頃から女の子になりたいと思っていました。私自身の中で男性として生 きていくより女性として生きる方が生きやすいというのがこの頃からありました。 しかし、その生き方を自分がマネて生活すると、クオカマククゲイとバカにされ、暴力 も振るわれることがありました。 187 第 4 章性はグラデーションなんだ
残念な結果に終わったこの一件だが、明るい側面もある。 無表情だった相葉さんが、泣き崩れるほど自分の感情を出せるようになっていたのだ。 同じ頃、休み時間に保健室へと駆け込んできた相葉さんが、わーっと泣き出したことも あった。教室で「お父さんやお母さんって何してるの ? 」という話題になり、いたたまれ なくなったのだという。長谷川先生は「辛いのに感情を抑えることはないよ。出る涙は全 部出しちゃえ」と声をかけ、ティッシュケ 1 スを差し出して寄り添った。 3 年になると、さらに大きな変化が生じる。 相葉さんは毎日、保健室で日々の出来事を話すようになっていた。 「先生、小テストで 10 0 点取った ! 」「わ 1 、すごい、頑張ったじゃん ! 」というよう な笑顔のやりとりが多くなった。「先生、これ持っといてくれないかな。うちじゃ誰も喜 んでくれないし」と、テスト結果や賞状を託されることもあった。 「相葉さんはテストで良い点を取っても、コンクールで賞状をもらっても、それまでは持 って帰る場所がなかったんですね。だから保健室が半分、家の代わりになっていたのかな。 ハウスじゃなくてつ家庭という意味の ) ホ 1 ムというか」 相葉さんは教室でも表情が柔らかくなり、どんどん友達が増えていく。その証拠に、卒 85 第 2 章虐待の家から出された SOS
ことにして、その足で保健室に向かった。 生徒数の多いこの学校には、 2 人の養護教諭がいた。寺田さんはます幻代前半で年齢の 近い筧志保先生に、いじめのことから性で悩んでいることまでを語った。すると筧先生は 「性のことは私よりも白澤先生がすごくよく知っているから」と説明して、白澤さんに話 を通してくれた。 寺田さんは初めて白澤さんと二人きりで向き合い、男性が好きで性同一性障害なんじゃ ないかと悩んできたことを打ち明けた。 白澤さんはじっくりと話を聞くと、寺田さんに「よく話してくれたね、辛いことがあっ たらいつでもここに来ていいんだからね」と言った。そして寺田さんの目を見て「ありの ままの自分でいいんだよ。あなたはあなたなんだから」と強調した。これ以降、寺田さん が繰り返し聞くことになる言葉だ 存在を否定されるような一一一口葉ばかり投げつけられてきた寺田さんは、白澤さんのメッセ ジに胸がいつばいになった。 「白澤先生との出会いで、自分はこのままでいいんだと思えたんです。その日から保健室 が自分の居場所になりました」と語る。 178
が、その発言は性についての深い認識に裏打ちされたものであり、子どもの側も、白澤さ んにはありのままの自分を出しやすい面があったのだろう。寺田さんと出会うまでに白澤 さんが歩んできた道をたどってみると、そのあたりがよくわかる。 白澤さんは 1969 年に養護教諭になった。 最初に着任した小学校では、児童の虫歯と回虫の改善が課題だった。養護教諭なのに栄 養士がわりに給食の献立の立案や発注をし、時には調理まで手伝った。 年代は小中学校で勤務したが、回虫が治まった頃から、アトピーや喘息の子への対応 が増えたとい、つ 年代に入ると、白澤さんは、自分が子どもの心に寄り添えていないんじゃないかと悩 むようになる。子どもの非行のサインを見逃したり、子どもと話をしようにも自分のほう を向いてくれないと感じたりすることが出てきたのだ。 保健室の扱う中心的な課題が、体から心へと移行していく過渡期だった。白澤さんは、 先輩の養護教諭に触発され、全国各地の勉強会を自費で駆けまわるようになる。 そんな中で出会ったのが「性教育」だ。 それまで、白澤さんが親しんできたものといえば「純潔教育」だった。 164
そのなかで保健室は、子どもにとって大人から「成績で評価されない」「否定されるこ とがない」貴重な場だ。 私の訪れた東京都内のある中学校では、生徒が自分たちの卒業アルバム用に「学校で好 きな場所アンケート」を取ったところ、保健室とトイレの人気が突出していた。それだけ 子どもにとって、自分の教室は緊張を強いられる場所といえる。 虐待などの事情を抱える子にとっては、家庭も教室以上に、気を抜けないだろう。 それゆえ子どもたちは苦しいことがあると、安らぎを求めて保健室へ吸い寄せられる。 とはいえ、彼らは最初から自分の悩みを差し出すわけではない。 し」とい、つよ、つ はじめは、保健室の主である養護教諭に対して、「お腹が痛い」「熱つほ、 な体調不良を訴える。あるいはただ雑談する。 養護教諭は、そんな子たちが発するの小さなサインに目を光らせる。そして他愛 ない話から、彼らが抱え込んでいる悩みを探り、引き出していく。 海外にもいるスクールカウンセラーやスクールナースが、それぞれ「心」と「体」に特 化しているのと異なり、養護教諭は心身両面の健康をカバーできる日本独自の職種であり、 その手法もまた、日本の教育現場で独自に築かれてきた。 はじめに
平日には通勤や通学客で混雑するという駅も、この日は駅員の姿さえ見当たらない閑散 ぶり。おかげで、約東の時刻に現れた人が寺田さんだとすぐにわかった。相手も同じだっ たようで、目が合った瞬間、寺田さんの表情がふわっとほころんだ。 寺田雅人さん、幻歳。春から働きはじめた社会人 1 年目だ。 「まだ見習い中のような半人前です」と謙遜するが、チェックの長袖シャツにべージュの 綿パンツという装いや、丁寧で静かな語り口が、年齢より落ち着いた印象を与える。取材 は周囲の耳目を気にしなくていいよう、カラオケ店の個室で行うことになった。 店に入ると寺田さんは、「中学生の時、白澤先生を通して、性同一性障害を乗り越えた 方から、社会的・文化的な性であるジェンダーについての資料をもらったことがあるんで す」と切り出した。さっそく自身の生について話そうとしているようだ。 「今の自分のジェンダーは、女としてのべースがあっての男だと思っています。生活する 中で、自分のちょっとした仕草や歩き方に『今の男つほかったかな』と感じることがよくあ るんです。普通だったら男なんだから当たり前ですよね。でも女つほかったかなと気にす ることはない。だから根源 ( ( こよ、自分は女性だっていう気持ちがあるんだと思うんです」 寺田さんの性的指向 ( 性愛の対象 ) が男性というのは、一貫して変わらない。一方で、 169 第 4 章性はグラデーションなんだ
かもしれないのはダメだ、と幾度となく思いとどまらせてもらっていて、自分の中で本当 に大きな存在なんだと思います」 長谷川先生に今度会う時に、こう伝えよう。 先生が保健室で生徒の心に振りかけていたのは、スパイスなんかじゃなくて、希望の種 だったようです。その種はちゃんと芽吹いて、しつかり根を張っていますよーー・と。 中学の養護教諭がある子どもに直接関わるのは、 3 年間という期間限定だ。その子の抱 える問題を全面的にすくい上げるには、難しいこともある。 しかし、自分のために必死になってくれた大人がいた、という事実は、子どものその後 にとってこれほどまでに大きな意味を持つのだ。 相葉さんが保健室で受け取った長谷川先生の思いは、これからも失われることのない 「一生もの」として、彼女の長い人生を支えていってくれるはずだ。 114
「私は直接伝えたい。思いが違っていたら嫌だから」 「あんたさ、もしダメージ受けるようなこと言われたらどうする ? 」 「それは我する。受け止める」 この子、すごい。強くなったよ 柳先生はそんな感慨を覚えながら「わかった、自分でちゃんと話をしたらいいよ。場所 は先生が作ってやるから」と約東した。結果、結衣さんと友達は、他に生徒のいない保健 室で話をして、仲直りした。 「喧嘩もエネルギ】がないとできないからね」と柳先生は、私に向かってにつと笑った。 結衣さんが保健室に通学力バンを置いて教室までの階段を上がっていったのは、それか ら間もなくのことだった。 思い描いた将来へ踏み出す 卒業式まであと 1 週間という頃になると、朝の保健室に結衣さんの姿は見当たらなかっ 他の生徒と同じように、昇降口から校舎へ入って自分の靴箱に外履を置き、通学力バン 、」 0 144