ーで、レジのアルバイトをしている結衣さ 少し前に、長沢さんがたまたま入ったス 1 んとばったり会ったというのだ。清楚な雰囲気は高校を卒業しても変わらず、声をかける し」などと二言一一一一言会話を交わしたのだとい とニコニコと挨拶して、「頑張ってる ? 」「は ) 休日ともなれば大勢の客でごった返すような繁盛店だ。中学時代の結衣さんからしたら 「信じられなかった」という長沢さんの言葉に大きくうなずきたくなるし、接客のアルバ イトに就けるほどになったという事実に胸が熱くなる。 柳先生は電話がつながらなかったことを「元気にしてるんだと思うよ、本当に困ったら 逆にかかってくるだろうから」と前向きにとらえていた。 その言葉で思い出した。結衣さんの中学卒業間際、柳先生はこう語っていたのだ。 「結衣さんも、いっかは保健室にいた記憶に蓋をしちゃうと思う。横を通りすぎても知ら ん顔だね」 ちょっと寂しいですね、と一言う私に、柳先生はううんと首を振った。 「そうしているのが元気な証拠 ! 」 156
殺につながる。心を否定することは、その人の本質を否定することになってしまうからだ。 「お父さんに女の人になりたいと言ったら怒られちゃった」「メーク道具捨てられちゃっ た」と日々落ち込んだり嘆いたりする寺田さんに、白澤さんは「わかってもらいたいよ ね」と慰めた。 白澤さんから寺田さんの父親に電話をかけることにした。 白澤さんによると、寺田さんの父親との電話は、時間にして分ほど。ます、性自認や 性的指向は「治る」とか「治す」ものではないことを、丁寧に説明した。 父親は静かに聞いた後、「息子は学校ではどんな様子ですか」と尋ねた。白澤さんが 「いろんなところで気を遣っているので、生きづらい面があると思います。寺田さんが自 分らしく生きられる方法を一緒に探していきましよう」と言うと、父親は「わかりまし た」と答えた。電話越しには落ち着いた様子だったという。 寺田さんが見たその日の父親の印象は、だいぶ異なる。 「電話の後、怒っていたんです。男手一つで育ててきたわが子を性同一性障害のように言 われるのは嫌だって」 寺田さんは電話でどんなやりとりがあったのか、このとき私が伝えるまでよく知らなか 183 第 4 章性はグラデーションなんだ
ったとい、つ 「電話の後、お父さんから、もう白澤先生に会っちゃいけないと言われたんです。なんで そんなこと一一一口うのかわからなくて、すごくお世話になっている先生なのにと、お父さんの ことを嫌いになりました。治らないと聞いてすごく傷ついちゃったのかな。普通の男の子 として生きてほしい気持ちと、本当の自分らしく生きてほしい気持ちとで板挟みになって いたんでしようね。今わかりました」 ただ、電話の直後こそ怒っていた父親だが、その日を境に態度が軟化していくのを、寺 田さんは肌で感じていた。寺田さんが女性のような格好をして歌うことについて、あれこ れ尋ねてくるようになったのだ。寺田さんは白澤さんと変わらす接していたが、それにつ いても黙認していた。 寺田さんは「白澤先生の電話があってよかった」と感謝する。「それが一つの起爆剤に なって、お父さんはお父さんなりに考えてくれたんだと思います」 将来への不安と「先輩」の言葉 白澤さんは保健室の本棚に、に関する本をたくさん置いていた。 184
高崎先生のその言葉どおり、マスクを通して保健室とつながる「常連」がいる 「はざま」の子 「おはよっす」 2 時間目の途中、制服を着崩した 3 年男子が保健室のドアを開けた。 「おー、マキ君、いま来た ? 」 彼はうなずきながら、慣れた様子でマスクの入った箱に手を伸ばす。忘れ物を取りに一 景 旦帰宅し、そのまま教室へ行かずに保健室へ来たのだという。それを聞きとった高崎先生 健 は職員室へ校内電話をかけ、 3 年担当の教師に伝える。 保 の 電話の間、彼は「分寝るわ」と言ってべッドに向かうも、すぐに出てきて水を飲んだ ど り歩き回ったりしている この学校では、授業開始時に席に着いていない子がいれば、ただちに手の空いている教 章 師たちが「捜索隊」を結成し、学校内外を捜しまわる。だから休み時間以外に保健室にい 第 るような場合は、あらかじめ授業の担当教師などにサインしてもらう「連絡票」を持って こないと、高崎先生がすぐに校内電話をかけることになる。
長谷川先生は落胆した。が、保護のハ 1 ドルの高さは予想できたことでもあった。 相葉さんより前に児相に連絡したケースで、給食が唯一の食事で、週末になると何も食 べさせてもらえない男子生徒がいた。近隣の学校に忍び込んで給食用のパンを食べてしま うほど飢えてしたが、 、、その男子についても、児相の判断は、経過観察だった。 そんなことから長谷川先生は児相へ足を運んだこともあったのだが、目の当たりにした のは、彼らの抱えている事案があまりに多すぎるという現状。命の危険が迫っていないと 保護してもらうのは難しい、と痛感させられるばかりだった。 相葉さんの保護を断られた長谷川先生は、それでも悩み、かっての教え子が自ら児相に 電話することで保護されたケースに思い至った。 「家を出て暮らす方法もあるんだよ」と説明して、相葉さんに児相の電話番号を書きとっ たメモを手渡した。 相葉さんはそのメモを「生徒手帳に入れてお守り代わりにした」という。 ただ、相葉さんが自分から電話をかけることはなかった。長谷川先生に対して相葉さん は、「お母さんも異国で生きていくのに大変なんだよ」「お父さんもお姉ちゃんも根はいい 人だから」と、家族をかばったという。
ては、ただそこにいるだけでも相当のストレスがかかる 顔を隠すな、自信を持てと一言ったところで難しい。 親の前では「いい子」 貧困というのは、単純に経済的にマスクが買えないというだけではない。 高崎先生はむしろ、そもそも親にマスクを買ってほしいと言い出せない子が多いと感じ ているという。ただでさえ忙しい親をいらだたせたくないと気を遣っていたり、親の離景 光 の 婚・再婚などの事情で気兼ねして本音を出せすにいたりする、というのだ。 室 たとえばある日、 1 時間目の途中に「耳が痛い」と来室した 1 年男子がいた。問診や触健 の 診をした高崎先生が母親に何度か電話をかけるが、仕事中のようでつながらない。男子は 「お母さんに帰ってくるなって絶対言われる」と暗い顔をしている この学校では、保健室で休めるのは基本的に 1 時間までで、それ以上治らない場合は保 章 護者に連絡をとったうえで早退させることと決まっている。この男子も、耳鼻科で診ても 第 らうために早退という方針になった。 しかし、母親から留守番電話の折り返しがなかなかない。男子はひたすら、高崎先生に
の低さを示す二つの調査結果を挙げており、射精を「汚らわしいもの」としたのが % 前 後、「恥すかしいもの」としたのが % 弱だった。また、全国各地の電話相談では、性の 本談は圧倒的に男子からが多く ( そのトップはほば自慰に関するもの ) 、いかに男子が性を 学ぶ機会が少ないかを物語っている、と指摘している。 第 1 章で述べたとおり、多くの子どもがスマホを持っているのだから、自分で調べれば わかるはすと思われるかもしれない。しかし、いくらインターネットが並日及し、物心つい た頃から生活の中にパソコンや携帯電話があった世代とはいえ、中学生が自力で求めてい る清報に到達するのは難しいこともある。誤った情報がネット上に流布していて、余計に 不安をかきたてられることがあるのも、容易に想像できる。 ちょうど先般、ある養護教諭から、来室した男子生徒から自慰をしたことがあると報告 されてびつくりした、こんなことを言ってくる子は初めて、という話を聞いた。生徒はふ ざけていたわけではないようなので、何かしら聞きたいことがあるのかもしれない 保健室で自発的な相談に至るかはともかくとして、男子にも、体のことをちゃんと教え てほしいという潜在需要は確実に存在するのだ。 218
相談は、学校に配置されているスクールカウンセラー (no) を利用するよう案内され た。この学校の coo は数人態勢で、全員で情報を共有するシステムらしい。 1 回菊分の面 談を 1 週間前から予約できるのだが、すぐにスケジュールが埋まることが多く、毎回同じ 人と面談できるわけではなかった。 相葉さんは、その都度違う人と向かい合って、デリケートな話をしなければならないの が苦痛だった。自然と足が遠のいたというのも無理はない。 要するに彼女は 2 年生になった途端、保健室も、それに代わる場所もない状態に陥った のだ。 精神的支柱を失って、い細い彼女は、いじめっ子には格好の標的に見えたのだろう。教室 の彼女の席に連れ立ってやってきては、携帯電話のカメラで彼女の顔を撮影するようにな った。その輪には男子生徒も女子生徒もいた。 く間にネット上に流された。彼女の実名と電話番号、メールアド 撮られた顔写真は、瞬 レスが、写真とともに出会い系サイトなどに勝手に登録された。相葉さんは、 1 日中届く 迷惑メールを削除しつづけることになる。 アドレスを変えても、同じことだった。友達だと思っていた子も加わっていたのだ。 100
休み時間を過ぎても保健室に居座ろうとする子たちが、高崎先生の「電話、電話」という つぶやきを聞いて「マジ卑怯なんだけど」と毒づきながら退室することはしよっちゅうだ。 ただ、マキ君はちょっと特別だ。教師の一一一一口うことを聞いて教室に落ち着くことができな いのだ。授業中でも突然ふらふらしだす。トイレや校舎の裏などどこへ行くかわからない もちろん勉強どころではないから、学力もっかない。 ある時、保健室へやってきて、休み時間が終わる頃に「おれ帰るわ」と言って退室した ことがあった。高崎先生は教室へ帰ったのだろうと安心していたら、そのまま学校からい なくなっていて大騒ぎになった。 担任が何度となく「何も言わないで帰ってよ、ナよ、 ( しーオし」と言い聞かせてきたが、彼は常 に無反応。なので教師陣が神経を尖らせ、彼の居場所把握に努めているのだ。 休み時間に担任に付き添われ、保健室へマスクをもらいにくることもよくある。高崎先 生の一一一口葉どおり、まさに「精神安定剤」がわりなのだ。 マスクを着けたよ、、ゞ、 ( ししカそれでも不安定な様子で、保健室の椅子に腰かけ、同じ単語 をつぶやき続けることがあった。授業開始のチャイムが鳴り、困り顔の担任だけが「迷惑 かけんなよ」と言い残して退室していく。
親の恋人が住む隣県の警察署からで、母親がその恋人とケンカになったので保護している、 外国人登録証明書を持って手続きに来るように、とのことだった。 舞県といっても自宅からは距離があり、到着 相葉さんと姉は急いで現地へ向かったが、ド した時には夜も深まっていた。警察署から出た母親は「恋人と話をしたい」と言ってあっ さり姿を消してしまい、残された姉妹は、家に帰る交通手段もなく、現地のファミリーレ ストランで一晩を明かすしかなかった。 朝になって母親と会えたので話をし、東京に戻ってきて登校したというのだった。 「 1 日がめまぐるしくてよくわかんなくなったな」という彼女の様子は明るかったが、普 通であれば高校受験を控えた大事な時期のはすだ。 長谷川先生は、相葉さんの今後について、内心悩んでいた。 担任とも話し合いを重ねていた。担任は、母親と進路について面談をしようと試みたこ とがある。しかしやっとのことで約東を取り付けても、当日になったら、母親は予定時刻 を過ぎても姿を見せない。午前中に電話をかけると、「こんな時間に電話をかけてくるな んて非常識すぎる」とすごい剣幕で罵られ、結局会うことは叶わなかったという。自室に こもっている父親には接触さえできない。 87 第 2 章虐待の家から出された SOS