会社 - みる会図書館


検索対象: 乱反射
78件見つかりました。

1. 乱反射

108 しよ」 「会社を辞めることの、どこが常識ないのよ」 「常識ないでしようが。会社はね、ひとりの新入社員を採用するのにすごくお金をかけ てるのよ。あなたに投資した額は、一年勤めたくらいじや元が取れないほどなんだから。 会社に損をさせたまま辞めるなんて、非常識の極みじゃないの , 「あんな仕事、一カ月もあれば誰だって覚えられるよ。大袈裟だなあ , 佐緒里はハナを見くびったように肩を竦める。確かに佐緒里が入った会社は、男性社 員のお嫁さん候補として女子社員を採用しているようなものだ。女子社員は仕事ができ るかどうかが重要なのではなく、容姿と気立てのよさが重視されるという。そんな社風 を佐緒里は「女を馬鹿にしている」と憤るが、どこが馬鹿にしているのだろうかとハナ は思う。立派な会社に勤める一流の男性と結婚するのは、女にとって一番の幸せではな ぜんだ いか。そんな機会を会社がお膳立てしてくれるのだから、こんなに社員のことを考えて くれる企業も他にないだろう。佐緒里が今の会社に入ったときは、誰よりもハナが娘の 幸せのために喜んだものだ。それを自ら棒に振るとは、あまりのことに眩暈がしそうだ った。 「あのね、佐緒ちゃん。何があったか知らないけど、そんな大事なことをいっときの感 情で決めちゃ駄目よ。今はたぶん、冷静に考えられなくなってるのよ。だから今日はこ

2. 乱反射

332 4 今年は五年に一度の街路樹診断の年に当たっていた。市内の街路樹の診断は、市から 街路樹メンテナンス協会が一括して請け負い、加盟会社で分担する。足達道洋が勤める 石橋造園土木も加盟会社なので、街路樹診断の仕事が回ってきた。 道洋は公的な試験を受けて、樹木医の資格を持っていた。街路樹診断を請け負う会社 に籍を置く者は、必す取らなければならない資格である。言わば不動産会社における宅 地建物取引主任者の資格のようなものだった。ふだんはその資格のことを意識していな いが、五年目が回ってくると自分が樹木医であることを思い出す。 社長に命じられて、道洋は同僚とともに軽トラックで会社を出発した。道洋の方が年 下なので、ハンドルを握る。道洋は今年で三十四になるが、六人しかいない会社の中で は最年少だった。後輩が欲しいと思うことはたまにあっても、同僚たちは皆いい人ばか りなので自分の立場を嫌ったことはない。会社のためこ、 ( いっか新入社員が来るといい と考えているだけだった。 道洋が造園家を志したのは、祖父の影響だった。祖父もまた庭師だったのだ。祖父は 造園家と呼ぶよりもまさに庭師という呼称が似合う人で、粋な捻り鉢巻きをして園芸鋏

3. 乱反射

107 して終わるはすだった。にもかかわらず、夜になってそんな平穏な生活が一変した。仕 さおり 事から帰ってきた娘の佐緒里が、会社を辞めると突然言い出したのだ。 「辞める ? 会社を ? 」 遠い外国の出来事でも話すように切り出した佐緒里の態度に、自分が聞き間違ったの かとハナは思った。ハナの確認に、佐緒里は「そうよ、と澄まして応じる。 「もう決めたから。何を言っても無駄だから」 今年で二十四になる佐緒里は、四年制の大学を卒業するとともに就職をしたから、ま だ勤め始めて一年余りでしかない。こんな短期間で会社を辞めるなど、根気がないにも ほどがある。そもそも今の会社に入れたのは、夫のコネを使った縁故採用だからだ。狭 き門をコネで通してもらったのに、それをあっさり一年勤めただけで辞めてしまっては、 夫の立場がなくなってしまうではないか。黙って頷ける話ではなかった。 「何を言っても無駄って、佐緒ちゃん、あなたこそ何を言ってるのよ。会社ってのは、 一度入ったらそんな簡単に辞められるところじゃないのよ」 「あたしの同期でも、もう辞めた人はいるよ」 はす ダイニングの椅子に斜になって坐った佐緒里は、自分で冷蔵庫から出した麦茶で喉を 潤す。冷たいお茶でも飲んで頭を冷やしたいのは、ハナの方だった。 「あのね、そういう常識のない人に基準を置かないの。そんな人の真似をしちゃ駄目で

4. 乱反射

361 平日だったが、デパート勤務の榎田克子は休みだった。せつかくの休みでも、恋人が おっ いるわけでもないから出かける用はない。わざわざ化粧をして繁華街に出ていくのも億 劫なので、結局家でごろごろしていることになる。つまらない休日の過ごし方だと思う が、平日の休みでは友達とスケジュールを合わせることもできない。こんなものだと最 近では達観し、朝から漫然とテレビを見ているのが平日の過ごし方だった。 父は会社、妹の麗美は学校に行き、元気な母は午前中からどこかに出かけていった。 麗美の快活な性格は、間違いなく母譲りだと思う。母は大した用がなくてもせっせと外 しゃべ 、つらや 出し、友人とのお喋りや買い物を楽しんでいる。羨ましいと思わないでもないが、母や 麗美のようには生きられないと悟っていた。昼ご飯は、ひとりでチャ 1 ハンを作って食 四時過ぎに、母から電話がかかってきた。昔の知り合いにはったり会ったから、一緒 感じたのは気配だった。何か巨大な質量が迫ってくる気配。その正体に見当がっかす、 光恵はついに目を開けた。すると、とうてい信じがたい光景が網膜に映った。 街路樹が、光恵に向かって倒れてこようとしていた。

5. 乱反射

114 わあと声を上げて泣き始める。ハナは小さく首を振り、しばらく放っておいてやった。 「ーーねえ、佐緒ちゃん。何もかもすぐに決める必要はないのよ。ヒロくんだって後悔 してるかもしれないし、会社もあなたを必要としてるだろうし、残っていればきっとま いことがあるわよ」 ぜひとも今の会社でまた別の男を探して欲しいという気持ちを込めて、慰めた。だが それはなせか、佐緒里を怒らせるだけだった。 「あんな会社に残ってたって、なんにもならないわよ ! 会社の男どもはみんな、女は 家で子育てでもしてろって考えしか持ってないんだから。あたしはね、何かを成し遂げ あかし たいのよ。この世に生まれて存在していた証を残したいの。家で子供を育てて年取って いくだけの人生なんて、絶対いやなのよ ! それをあいつは、ぜんぜんわかろうとしな いんだから : : : 」 ああ、喧嘩の原因はそんなことなのか。ハナは脱力感を覚えた。どうして佐緒里は、 子供を育てることを一段低い行為として見るのだろう。極端な話、仕事は絶対に誰か代 わりの人が見つかる。佐緒里にしかできない仕事など、この年ではまだないはすだ。一 方、子育ては違う。佐緒里の子供は佐緒里にしか育てられないのだ。誰にもできないこ となのに、どうして見下すのだろう。なまじ佐緒里に高い教育を授けたのがいけなかっ たのか。やはり女は四年制の大学になど行かせず、料理学校にでも通わせるべきだった

6. 乱反射

111 「たまに海外旅行に行くだけなんだから、ホテルやお店で困らなければ充分じゃない それ以上れるようになって、何がしたいの ? 「何が、が問題なんじゃなくって、目標を持っことが大事なのよ。今のあたしにとって、 目標は英語をネイテイプ並みに喋れるようになることなの。そのためには、日本にいる んじゃ駄目なのよ」 「だから会社を辞めるの ? でも、そんな目標があるなら大学にいるうちに目指してお けばよかったじゃない。どうして就職してから、いきなり夢を持ち出すわけ ? 」 「いいでしよ。あたしの勝手よ。これはあたしの自己実現なんだから、ロ出さないで」 佐緒里はつんと顎を反らし、ハナとは反対の壁を見やった。そんな態度を見て、ハナ はピンと来た。 「会社で何かいやなことがあったのね」 佐緒里は何不自由なく成長したためか、どうも根気に欠けるところがある。少し困難 なことがあるとすぐに投げ出し、また別の道を探そうとするのだ。その性格のせいで、 これまでいくつの習い事を始めては途中でやめたことか。会社勤めだけは別だと考えて したか、どうやらそ、つではなかったようだ。 「別に何もないわよ」 佐緒里は言い返すが、視線を戻そうとはしなかった。ハナは自分の推測が的を射てい

7. 乱反射

112 ることを知った。 瑁、てあげるから」 「話してみなさい。ドし 「何もないって言ってるでしょ ! 変に勘ぐらないでよ」 「じゃあ、ヒロくんには会社辞めるって話したの ? 彼はなんて言ってた ? 」 ヒロくんというのは、現在佐緒里が付き合っている相手だ。会社の同僚で、二度ほど もろて この家にも連れてきたことがある。娘が男と付き合うことを諸手を挙げて歓迎している わけではないが、そろそろ年頃なのだから認めてやらなければならないとは思っていた。 佐緒里の相手としてふさわしいかどうかという視点で見れば、ヒロくんは悪い相手では なかった。 「 : : : 話してない」 佐緒里は言いにくそうに答えた。そのひと言で、ハナの勘はふたたび働いた。会社で のトラブルは、ヒロくん絡みなのだ。 「話してないって、そんな大事なことを相談してないの ? ヒロくんと何かあったの ね」 「もう別れたから相談する必要なんかないよ ! あたしがどこに行って何をしようが、 あいつはなんにも気にしないんだから ! 」 顔をこちらに戻した佐緒里は、涙ぐんでいた。やはりそうか。ハナは激しく落胆する。

8. 乱反射

588 それはどこかの岬の写真だった。青い海に、夕日が照り映えている。い力に も絵葉書向きの風景で、その意味ではごく平凡だった。しかしその素朴さに、 どこか胸を打たれた。 あてさき 宛先は会社だった。ホ 1 ムページがなくなってメ 1 ルが出せなくなったため、 会社気付で加山に絵葉書を送ってくれたのだろう。名前がないのでどこの誰と もわからないが、加山は手を合わせたいほど感謝した。健太が死んでから三カ 月、生きる目的を見いだせずにただ漫然と日々を過ごしているだけの加山には、 心底ありがたいと思える励ましだった。 家に帰って、葉書を光恵に見せた。光恵は短いメッセージを食い入るように 読み、そして風景写真を凝視して動きを止めた。もう光恵は涙を流さない。 っと涙は涸れ果ててしまい 心の中だけで泣いているのだろう。加山もそれは 同じなので、光恵の心の状態が自分のことのように理解できた。 「嬉しいね 光恵は短く感想を口にした。ああ、と加山は頷いた。 翌日、会社から戻ると光恵が、「ねえ」と話しかけてきた。光恵から話しか けてくるのは珍しい。加山と光恵は、まるで惓怠期の夫婦のように会話がなく なっていた。それは夫婦仲がぎくしやくしているせいではなく、本来あるべき けんたい

9. 乱反射

ことが幸造に複雑な思いを味わわせた。 ひるがえ 翻って己の現在を客観的に眺めてみると、ただ寝ることだけが楽しみの老人に過ぎな がくせん いことに気づき、幸造は愕然とした。会社勤めをしていた頃は接待でゴルフや麻雀を やったが、今はまるで食指が動かないところからするとあれらは趣味ではなかったのだ とわかる。しかしそれに代わる何かしてみたいことがあるかと自問してみれば、言葉に 詰まってただ思考停止するだけだった。会社の肩書を取り除いてしまえば自分には何も 残っていないという事実、そして実際にそうなってみるまでそんな己に気づきもしなか った視野の狭さに、幸造は呆れ返った。小さい挫折を繰り返しながらも最終的には大過 なく会社員生活を終えたという自負が、この年齢になって音を立てて崩れていくかのよ うだった。 何よりも幸造を悔しがらせたのは、実は自分が心の奥底で妻を羨ましがっていること だった。幸造は無学な妻を、結婚当初からどこか馬鹿にしていた。料理がうまく口答え しないのは美点だったが、リ 半断力がなく機転が利かず、政治や経済にほとんど無知な妻 は、専業主婦になる以外に道はなかった女だと見做していた。妻は幸造の庇護下にいて 初めて、この社会に生きていく場を得られたのだ。おれが養ってやっている、という意 識は、抜きがたく幸造の気持ちの底に居座っていた。 それなのに今、幸造は妻を羨ましがっている。幸造が鼻の先で嗤うべン習字やフラワ ざせつ わら

10. 乱反射

かけ声とともに、自転車のサドルに尻を乗せた。ろくに手入れをしていないのであち こちが錆びているボロ自転車は、和代の体重に抗議するかのようにぎしぎしと鳴る。そ 、ついえば以前、ス 1 1 の自転車置き場でハナと出くわしたことがある。ハナは当然の ようにびかびかの自転車、しかも電動アシストつきの最新の自転車に乗っていた。スー ノ 1 に来たばかりのハナは、これから帰る和代と少し立ち話をして建物の中に入ってい った。だから和代は、その新品の自転車の後輪を軽く蹴りつけてやった。それでも自転 車には泥跳ねひとつつかないのが癪だったことを憶えている。 ハナの旦那は、超がつく一流会社に勤めている。その上三人の子供たちはひとり残ら す、一流大学から一流会社に入ったのだそうだ。男の成功物語はよく語られるが、女の 成功者を探すならやはりハナのような人になるのだろう。ハナくらい何もかもに恵まれ あいきよ、つ ていると、少しくらい浮世離れして小太りなのも愛嬌になるのだから得だ。 マンに過ぎな それに引き替え和代の亭主は、どこにでもいるごくごく平凡なサラリー かった。腹が出て、髪が薄くなり、日曜日にはただひたすらごろごろしてテレビを見て いるだけのつまらない男に過ぎない。 息子ふたりはかろうじて大学には入ってくれたも のの、名前を出すのも恥すかしいような三流大学である。卒業をしたところでどうせろ くな会社には入れないだろうし、そもそも真面目に大学に通う意欲もなく、毎日遊び呆 けている。ハナの家庭とはあまりに何もかも違いすぎて、嫉妬する気にもなれなかった。 しやく