人間 - みる会図書館


検索対象: 愚行録
65件見つかりました。

1. 愚行録

格》したことを鼻にかけて、他の外部生を見下すような人ですよね。すごく勘違いしてるじゃ ないですか、そういうの。別の価値観とか世間の常識とかを学ぶチャンスがなかった内部生な ら仕方ないとも一一一一口えるけど、一歩間違えば自分が差別される側の人間だったくせして、他の人 を差別するなんて醜いでしよう。いるんですよ、そんな人も。 でも、夏原さんは違ったんです。少なくとも、表面上はぜんぜん偉ぶった気配がありません でした。誰に対してもいつも同じ態度なので、それは立派だなと思ったんですよ。大学一年生 なんて、たかだか十八か十九の子供でしよ。世の中のこととか人間関係とか、ぜんぜん見えて なくても当たり前のはずなのに、彼女は配慮が行き届いてましたね。あれはす ) 」いことです。 ど、つい、つことかと言いますと、まあ子供だからしよ、つがないとい、つか、人間って愚かだなと いうか、見下されている側の外部生の意識にもかなり問題があったんです。つまり、見下され て怒るどころか、内部生に憧れる人もいるんですよね。わからなくもないですよ。私自身、そ の場にいた当事者だから、大学の空気はよくわかります。やつばり内部生は華やかなんですよ。 育ちがいいから物腰が上品だし、服やアクセサリーも明らかに高い物を持ってるし、遊び慣れ ててスマートだし。地方から出てきて右も左もわからない子が、ああいうふうになりたいって 思うのも仕方ない部分はあるんです。 でも、内部生からのお声がかりかない限り、外部生が彼らの輪に入れることは絶対にない。 もうこれは、江戸時代に武士と町人の結婚があり得なかったこと以上に不可能な話なんです。 武士と町人なら、町人が一度どこか名家の養女に入るっていう手段がありますでしよ。そうや

2. 愚行録

てもらえるかなあ。 、つかっ けっこう大変なんですよ、世間に名前の通った会社に勤めるのも。名刺なんて迂闊に渡せな 1 いですしね。女が相手のときは、特にそうです。だからおれ、会社の名前が入ってない名刺を 別に持ってるし。おれだけじゃないですよ。うちの会社の人間、ふたつの名刺を使い分けてる 奴が大半じゃないかな。 最初の話にも繋がるけど、人間、自分の生活がかかると必死ですよね。鈴木さんは自分の住 む場所のことで必死になったわけだし、山本さんは安定した将来をもうと必死だったわけで しよ。おれはもっと優雅に生きたいし、実際そうできるだけの能力があると思うんですよ。 そういう余裕って、外に滲み出るんですよね、絶対。だからおれ、会社の名前を伏せてても 女にもてますよ。ははは、自漫になっちゃうけどホントなんだって。女に不自由したことは一 度もないなあ。 おれとは別のタイプだけど、田向もけっこうもてたんですよ。あいつの場合は真面目さと社 かも こんせん 会人としての自信が渾然一体となって魅力を醸し出してたんでしようね。だから、ふたりでつ るんでけっこう遊びました。ずいぶん女をナンパしたし、合コンもやったな。あ、合コンのと 、つつ A 一、つ きは会社名を隠しておけなかったですけどね。だもんで、おれはちょっと鬱陶しくてあんまり 合コンは好きじゃないんですが そ、つだ、合コンといえばこんなこともあったな。あれはおれも、田向の意外な一面を見た気 がして驚きましたよ。さっきからの話でわかるとおり、田向はおれに比べればおっとりしてる

3. 愚行録

最初はほほ全員の読者が、被害者夫婦の若き日の行動が「愚行」なのだと思ったろう。私もそ う思った。しかし、それだけではない。確かに被害者夫婦の行動は褒められたものではないが、 それ以上に、自分が見透かされていることに気づかず滔々と他者を評価してみせる証一一一一口者たち こそが「愚か」なのであり、そんな人々を集めたものがこの「愚行録』なのである。 愚か、という一一一一口葉に注意したい。善悪ではなく、是非でもなく、ただ愚かなのだ。悪なら断 罪できる。非なら糾弾できる。しかし愚かであるとい、つことは : ・ : ただただ哀しい、と感じる のは私だけだろ、つか 最後になったが、本書は人間の持っ愚かさとその哀しみを如実に、且っテクニカルに表現し ながらも、ミステリとしての趣向も充分用意されている。各章 ) 」とに挿入されるある女性のモ ノローグ。トリッキーな仕掛けに長けた著者なので、この一見何の関係があるのか分からない 箇所がどこに落ち着くか、その技も併せて堪能されたい。 と、つ A 」、つ

4. 愚行録

に判を押してもらいたいですから。 この質問の時間が、住販の人間に言わせるとなかなか面倒だそ、つです。細かいことをうだう だうだうだ突っ込んでくる客がいるんですよね。そんなのどっちだっていいだろって話とか、 言っても仕方ないこととか、重箱の隅をつつくどころの騒ぎじゃないんですって。高額商品を 売る場合の接客は、本当に大変ですよ。 で、ここで鈴木さんが手を挙げたわけです。鈴木さんはいかにも小太りのおばちゃん然とし た人で、確か四十半ばくらいだったとか言ってたかな、初めての不動産購入で、ちょっと舞い 上がってたそうですよ。田向もなかなかいい男でしたから、そんな人間に担当してもらって浮 かれてた面もあったみたいです。 「土壌から有害物質が検出されたって、さっきおっしゃいましたよね。あたし、初耳だったん ですけど」 けんかごし そんな感じで切り出したそうですよ。もう最初つから喧嘩腰で、田向は後ろから見てたから 顔つきまではわからなかったらしいけど、前にいた人間によれば目が吊り上がってたって話で す。 「まい。 先ほどご説明申し上げたように、建設前の土壌から検出されましたが、しかるべき処 理をして今は安全になっております」 重説を担当していた人間が、 マイクを使って答えました。一度説明したことですから、それ 以上につけ加えることも少ないですよ。でも、鈴木さんは納得しませんでした。

5. 愚行録

てきめん そうしたら効果は覿面で、まず同学年の男子がいきなり私に興味を持ち始めました。飲み会 では入れ替わり立ち替わり寄ってきますし、電話もよくかかってきました。デートの誘いだっ たり、その勇気がない人はつまらない世間話だったりです。モデルを始めて化粧や服装を変え たのは事実ですけど、でも中身が変わったわけでもないんだから、あの態度の変化は露骨でし た。明らかに、モデルという肩書きに幻惑されていたんです。男なんて、そういうものなんで すね。 もちろん私は、誰にもなびきませんでした。誘いは全部断りました。そうすることが自分の 価値を高め、そんな私と付き合っている田向さんに優越感を与えると思ったからです。田向さ んに私の価値をわからせるためには、大勢の男にちやほやされる必要がありました。 それだけでなく、私はことあるごとに父の話をするようにしました。父は某大手商社に勤め ている人なんです。今もそうでしようけど、商社は学生にとって魅力ある勤め先でした。どん な成績の悪い人でも、取りあえず商社の OCQ 訪問はしてたみたいです。だから、父親がそんな 憧れの会社にいるというのは、それだけで点が高くなるはずでした。田向さんもきっと、父の 勤め先に入れるなら入りたいと思うだろうと考えたんです。 それから、車の免許も取りました。どうしてかと一一一口うと、父に車を買ってもらうためです。 短大に行きながらモデルの仕事もして、その上での教習所通いですからけっこう大変でした。 でも父はそうやってがんばる人間が好きですから、努力を評価してもらえて免許取得と同時に 車を買ってもらいました。当時人気だった、プレリュードという車です。ご存じですか ?

6. 愚行録

事故だとでもいうなら、腹は立つけどそのうちそんな感情をどこかにうまく落ち着けることも できただろうと思うんです。でも田向は、殺され方が殺され方でしよ。酷いにもほどがあるじ ゃないですか。ちょっと忘れられないし、仮に犯人側にどんな事情があったとしても、とうて い許せないですよね。捕まったら当然死刑でしよ。ひとり殺したくらいじや死刑にならないと か、なんだか日本には馬鹿な法律があるけど、さすがに一家四人皆殺しなら、どんな裁判官だ って死刑にしますよね。犯人殺さなきや田向たち一家は浮かばれないし、世間だって納得しな いでしよう。公開死刑にしたっていいと思いますよ。そうしたらおれ、絶対見に行きますよ。 石でもぶつけてやりたいですよ。 ・ : ああ、すみません。熱くなっちゃってますね、おれ。なんか、喋ってるうちにエキサイ トしちゃって。ふだんはあんまり意識してなかったんだけど、やつばり田向がいなくなって寂 しいんだろうな。今話してて、初めて自分の気持ちに気づいたような気がしますよ。やつばね、 さっきも言いましたけど十五年来の付き合いだから、そ、ついう友達を失、つってのは、うーん、 なんと言ったらいいのかな、欠落感かな、うん、そうそう、欠落感大きいですよ。おれのこの 気持ち、どうしてくれるって感じですよ。そうか、おれ、こんなに犯人に腹立ってたんだ。友 人が殺されてもあんまり悲しくないから、なんか自分のことをずいぶん冷たい人間のように思 っちゃって、少しいやだったんですよね。自分の中にちゃんと熱い気持ちがあったんだってわ かって、嬉しいですよ。話を聞きに来てくれて、感謝したい気持ちです。どうも。 もっと飲んでいいですか ? ええ、もちろんちゃんと話ができる程度に抑えておきますよ。

7. 愚行録

「捨てるも何も、そもそもそ、ついう関係じゃないじゃないか」 「嘘よ ! 私のこと好きだって言ったじゃない 「好きにもいろいろある。ラブとライクの違いくらい、君もわかるだろ」 「 : : : ひどい。本当にひどい男だったのね、田向さんは」 垣内さんはショックのあまり、わなわなと震え始めました。逆に私は、やり取りを聞いてい てどんどん冷静になっていきます。確かに田向さんの一一一一口葉は悪い男の典型のようですが、女を もてあそ 弄んだ結果の発言ではなく、理屈に基づいたものだということが私には理解できたからです。 きろ 「見解の相違だよ。就職ってのは、その人の人生を左右する重大な岐路なんだぜ。そのときに できることをやらないで、後になって後海するのがいやなんだ。おれはいい生活を送りたい。 そのための努力なら、なんでもする。これって、ひどいことでもなんでもないんじゃないか。 人間として、ごく当然の欲求だろ。むしろ、努力すべきときに努力しないような人間こそ、非 難されるべきだとおれは思うんだ。そ、ついう人間は、社会に出ても絶対大成しない。君がそう いう小粒な人を好むというなら何も一一一一口わないけど、おれの志をつまらない視点から否定しない で欲しいよ」 田向さんは熱弁を振るいました。でも残念ながら、それは垣内さんには届かなかったようで す。彼女はとうてい理解できないものを見たとばかりに目を見開き、田向さんのロ許を凝視し ていました。そして、「信じられない」というひと言だけを残して、席を立っと足早に店を出 ていきました。田向さんはその背中を見送って、垣内さんが外に消えると軽く肩を竦めました。 240

8. 愚行録

もちろん、敵うわけないよね。あたしはお父さんの腿を殴ったんだけど、ぜんぜん通じなか ったよ。むしろ突き飛ばされてさ、お兄ちゃん相手のときとは違って手加減してたんだろ、つけ ど、それでもあたしは背中から畳に落ちたんだ。お父さんはゆっくり靴を脱いで、あたしに近 づいてこようとするの。怖くて怖くて、体が固まっちゃって、なんだか悪い夢の中に落ち込ん じゃったようで、あたしはも、つ駄目だって思った。このまま死ぬんだって、本気で思ったよ。 まだ小学校一一年生だったのに、自分の人生は終わりだなんて諦める体験、すごいよね。あのと きの諦めがあるから、それ以後何が起こっても耐えられたのかもしれない。死ぬよりはましだ って思えるからね。 まばた お父さんの目は据わってたよ。目が据わると、瞬きすらしないんだ。あれ、怖いよお。人間 の目じゃないみたい。やつば人間の目って、表情があるんだよね。嬉しいとか悲しいとか、目 だけでもちゃんと表情があるんだよ。それなのにあのときのお父さんの目は、完全に無表情だ った。作り物にしか見えないんだよ。動いてる人間なのに、目だけはガラス玉なの。で、その 視線はただあたしだけに向けられてたんだ。 あたしは生きるのを諦めてたから、ぜんぜん動けなかった。逃げようって発想すらなかった。 声も上げずに、お父さんが近づいてくるのをただ呆然と見てたの。お父さんが拳を振り上げる とか、足を蹴り上げよ、つとかせずに上にのしかかってきたときは、だからすごくびつくりした。 あれ ? あたしを殺すんじゃないの、って感じ。のしかかってどうするつもりなのかなんて、 ぜんぜんわからなかった。 177

9. 愚行録

仕事は何 ? 」って。 どういう意味だかわかります ? つまり彼らは、私たち外部生の生活レベルを知りたがった わけです。住んでいる場所や、父親の職業によって外部生のランクづけをするために。 わからないですよね、どうしてランクづけなんかが必要なのかって。私だって本当はわかり ません。でも、否応なくわからされるんですよ。慶応での常識は内部生の常識であって、私た ちの常識とは違うんで。 こういうことです。彼ら内部生にとって、外部生は下に存在するものなんです。でもそ、つい う下層階級の中にも、拾い上げてやってもいい人間が存在する。だからまず最初にリサーチし て、仲間に入れてもいい人間を選別するわけです。いいところに住んでいて、父親が立派なポ ジションにいる人間を。 もうね、こうやって第三者に話すと笑い話としか受け取ってもらえないんですけど、彼らは 本気で自分の父親を自慢するんですよ。おれの父親はどこどこの社長だ、とか、私の父はなん とか病院の医局長だ、とか。もっとすごい人は、おじいさん自漫もします。おじいさんが明治 げんくん の元勲だとか、そんなことを真顔で誇るんですよ。 これは意地悪で一言うんじゃないんですけど、私はある意味、彼らって素朴だなと思、つんです。 素朴でかわいいなって。だって今どき、自分の父親を自する大学生なんてそんなにいないで しよう。むしろ逆に、父親は嫌われてるんじゃないんですか。それなのに胸を張って父親を自 漫できるんだから、いい子だとも一言えますよね。ましておじいさん自慢、先祖自曼となれば、

10. 愚行録

を絞り込もうとしても、きっとその網からは漏れてますよ。だから、いつまでも事件は解決し ないんです。 えつ、警察にそれを言ったかって ? ええ、まあね。こんなに具体的に話したわけじゃなく、 客から逆恨みされるケースもあるって言っただけですけど。だから、警察がどれくらい真剣に 検討してるかはちょっと怪しいですよ。だって、しようがないでしよ。うちの客の中に犯人が いるかもしれないなんて、そんなに強調して一一一一口えないですよ。外部にバレたらャパいじゃない ですか。あ、だからこのことは書かないでくださいよ。約束ですからね。 こんな話、参考になってます ? むしろ田向自身のエピソードを話した方がいいですかね。 そりやもちろん、エピソードはいつばいありますよ。何しろ付き合い長かったですから。 。いい話は山ほどありますけど、そ、ついうことでいいんですか ? でも、あん そうですねえ まりいい話は面白くないかもな。何しろ田向は、一流大学を出て一流会社に入って、会社では 多少の挫折はあったかもしれないけど、それでも大過なく過ごして、家族に恵まれて三十半ば で一一十三区内にマイホームを持ってって感じで、絵に描いたようなエリートですもんね。そん な話、一般読者にはつまらないかも。むしろ反感買っちゃうかもしれないですね。そういう奴 は無惨に殺されちまえばいいんだって考える人もいますよ、きっと。えつ、そこまで考えるか って ? いやあ、いるんですよ、必ず。人間ってのは自分と周りを常に比較して、どっちが上 とか下とか、そういう判断をする生き物ですからね。自分より上の人間がいるのは面白くない、 下の人間がいたら安心して馬鹿にする。それが普通なんです。