思わ - みる会図書館


検索対象: 愚行録
297件見つかりました。

1. 愚行録

ええ、そりゃあほくだって驚きましたよ。去年は夏原さんがあんな死に方をして、次には宮村 さんですからね。自分が昔付き合ってた人が次々に死ぬなんて、薄気味悪いなんてもんじゃな いですよ。ほくって呪われてるのかなって、本気で思いました。これで家内まで死んだら、確 定的ですよね。いや、ぜんぜんしゃれにならないから、こういうことは一言わない方かいいカ 宮村さんは通り魔に襲われたそうじゃないですか。道を歩いてたら、背中からナイフで何度 も刺されたんでしよ。そういう事件が、一番犯人が見つかりにくいんですってね。そりゃあ動 機も利害関係もない突発的な殺人なら、犯人がその場から逃げちゃえばお終いですもんね。夏 原さんの事件も、今度の宮村さんの事件も未解決のままじゃ、ふたりとも浮かばれませんよ。 日本は本当に物騒な国になっちゃったんですねえ。殺人事件なんてどこか他の国の出来事くら いに考えてましたけど、もう今じゃあ厳重な戸締まりが欠かせませんもん。本当に怖いです。 宮村さんは相変わらずでした ? こんなことになるならも、つ一度くらい会いたかったなって 気もあるんですが、まあやつばり会わない方かいいんでしようね。向こうはきっと、ばくとな んか一一度と会いたくないと思ってたでしようし。当然、ばくの話も出たんでしょ ? 悪く言っ てたんじゃないんですか。彼女、気が強いですからね。ははは、、 いいんですよ、あの人 が何を言おうと。もうばくとは関係のない人ですからね。 ばくがどう一一一口われてたかはだいたい予想がつくんですが、夏原さんについてはどうでした ? やつばりポロクソですか ? そうでもない ? ああ、さすがに死んだ人のことを悪く一一一一口えなか ったのかな。えつ、夏原さんのことは嫌いじゃなかったって言ってたんですか。なんだ、そ 251

2. 愚行録

たりするんでしょ ? 田向さん自身も包容力のある人だと思うんですけど、そ、ついう男性に限 ってしつかりした女性を求めたりするんですよね。 えっ ? 奥さんはそんなタイプではなかったんですか ? 家庭に入っておとなしく夫の帰り を待ってるような人 ? ああ、そうなんですか。時間が経って好みが変わったのか、それとも 付き合う相手と結婚相手は別ってことでしようかねえ。田向さんらしいと一一一一口えば、田向さんら はい、ごちそ、つさま。いつばい飲んだねー。じゃあ、ちょっとゲップをしようか。すみ とんとん。 ません、お行儀が悪いですけど失礼して。はい、 ああ、出ました。こうやってゲップさせとかないと、飲んだミルクを吐き出しちゃうんです よ。最初はうまくゲップさせられなかったんですけど、こういうのも慣れですね。はい、お夐 いつばいねー ごめんなさい、話を戻しますね。私は彼女のことを知って、今はちょっと難しいのかなと思 いました。年上好みなら、私にはもうどうしようもないじゃないですか。もちろん、私自身が 努力して大人になるという方法も考えられます。でも、それには時間がかかりますでしよ。そ んな実るかどうかもわからない努力をするくらいなら、いっそ正面からぶつかってみようって 考えました。 ふたりで会って欲しいと、電話で頼みました。相談したいことがあると言ったんです。そう したら田向さんは、央く応じてくれました。以前にも悩みを解決してもらったくらいですから、

3. 愚行録

いつばいいつばいになってたものが、ぶつって切れたんだ。ああ、もう駄目か、って。もう駄 目なんだなって思ったら、少 - し楽になった。 それでどうして殺すことになるのかなんて、あたしに訊かないでよ。あたしだってわからな いんだから。ともかく、もう切れちゃったのよ。大事なものが切れたの。それを切ったのは夏 原さんだから、責任取ってもらわなくちゃって思った。 あたしはいったん家に帰って、夜になるのを待った。包丁持って乗り込んだら、夏原さんび つくりするかなって、そんなことを想像してにやにやしてたよ。ちょっと楽しかった。 で、夜中の零時を過ぎた頃に家を出て、原チャリで夏原さんの家に行ったんだ。近くに大き い公園があったから、その脇に原チャリを停めておいて、歩いて夏原さんの家まで向かった。 最初は呼び鈴を押して夏原さんを呼び出そうかと考えてたんだけど、念のために家の周りを回 ってみたらお風呂場の窓が開いてたの。ああ、ここから入ればいいやと思って、よじ登ってみ たわ。中に入るのは簡単だった。 お風呂場から家の中に入ってみると、旦那さんにばったり会った。旦那さん、びつくりして て声も出ないの。あたしがもっと強盗つほい格好をしてたら素早く反応できたんでしようけど、 どう見てもただのおばさんが家の中にいたら、なんのことかと思、つわよね。口をばっくり開け て、間抜けな顔してた。 ってい、つのはちょっと」っ でもね、それでも旦那さんはかっこよかったのよ。かっこいい、 かな。頭よさそうで、金持ってそうで、いかにもエリートって感じ。つまり、あたしが捉まえ

4. 愚行録

最初のうちは冷静に話し合っていたんです。ただ、話し合ってもどうにもならないと私の方 は思ってますから、お互いに納得いく結論に達するわけもないですよね。顔を合わせれば喧嘩 にしかならないので、もう私は会わないことにしました。彼は彼、私は私で別々の道を歩んだ 方が、彼のためでもあると思ったんですよ。 でも、彼はそんなこちらの気持ちを理解してくれませんでした。勉強も手につかなくなっち やったみたいで、毎日電話をしてくるんです。電話の調子は、その都度違いました。怒ってる ときもあればほとんど泣きそうなときもあるし、楽しかった頃のことをしんみりと語るときも ありました。そのひとつひとつが、明らかに私の気を惹こうとするための計算なんです。私は 電話を受けるたびに白けていって、もう一一度と電話してこないでくれとあるとき言いました。 ひょうへん 谷口さんの態度が豹変したのは、それからのことでした。もともと谷口さんは真面目なタイ プで、どちらかといえば物静かな人だったんですよ。クラスでもそんなに目立っ方ではなく、 でも真面目に勉強している分成績はそんなに悪くなくて、現役では無理でも一浪すればけっこ ういい大学に入れそうでした。私はそういう真面目で堅実なところが好きで付き合ってたんで すけど、豹変した谷口さんは別人のようでした。 まず、電話での口調がぜんぜん変わっちゃったんです。私は居留守を使って電話に出ないよ うにしてましたから、相手をするのは母でした。それまでの谷口さんはきちんと礼を尽くして 母に接していたのに、「電話に出せ、ばばあ」とかひどいことを一一一口うようになったんです。私、 それを最初に聞いたときは母が嘘をついているんだと思いました。谷口さんは年長者にそんな つど 188

5. 愚行録

事故だとでもいうなら、腹は立つけどそのうちそんな感情をどこかにうまく落ち着けることも できただろうと思うんです。でも田向は、殺され方が殺され方でしよ。酷いにもほどがあるじ ゃないですか。ちょっと忘れられないし、仮に犯人側にどんな事情があったとしても、とうて い許せないですよね。捕まったら当然死刑でしよ。ひとり殺したくらいじや死刑にならないと か、なんだか日本には馬鹿な法律があるけど、さすがに一家四人皆殺しなら、どんな裁判官だ って死刑にしますよね。犯人殺さなきや田向たち一家は浮かばれないし、世間だって納得しな いでしよう。公開死刑にしたっていいと思いますよ。そうしたらおれ、絶対見に行きますよ。 石でもぶつけてやりたいですよ。 ・ : ああ、すみません。熱くなっちゃってますね、おれ。なんか、喋ってるうちにエキサイ トしちゃって。ふだんはあんまり意識してなかったんだけど、やつばり田向がいなくなって寂 しいんだろうな。今話してて、初めて自分の気持ちに気づいたような気がしますよ。やつばね、 さっきも言いましたけど十五年来の付き合いだから、そ、ついう友達を失、つってのは、うーん、 なんと言ったらいいのかな、欠落感かな、うん、そうそう、欠落感大きいですよ。おれのこの 気持ち、どうしてくれるって感じですよ。そうか、おれ、こんなに犯人に腹立ってたんだ。友 人が殺されてもあんまり悲しくないから、なんか自分のことをずいぶん冷たい人間のように思 っちゃって、少しいやだったんですよね。自分の中にちゃんと熱い気持ちがあったんだってわ かって、嬉しいですよ。話を聞きに来てくれて、感謝したい気持ちです。どうも。 もっと飲んでいいですか ? ええ、もちろんちゃんと話ができる程度に抑えておきますよ。

6. 愚行録

車を買ってもらったのは、けっこうポイントが高いはずでした。というのも、田向さんは車 を持ってなかったからです。大学生で車があるかないかは、すごく大きな違いなんですよ。男 だったら、車を持っているというだけでランクがひとつ上がるんじゃないかな。だから私が車 を持っていて、それを田向さんに自由に使わせてあげれば、私の価値もぐーんと上がることに なるんです。ましてその車がプレリュードだったら、誰だって私と付き合いたいと思うはずで すよ。 つまり、その時点での私は野口さんとは比較にならないくらい、付き合ってメリットのある 女になっていたんです。ここまですれば文句はないだろうと、私は改めて田向さんに迫りまし 、」 0 「ねえ、もうそろそろ野口さんと別れてよ」 その頃には、田向さんを独占したい気持ちが頂点に達してました。私と田向さんは、一一週間 に一回くらいのペースで会ってました。私と会わない週には、彼は野口さんと会っていたんで す。それが露骨にわかるべースだけに、私の苛立ちも募っていました。どうして未だに野口さ んと付き合い続けているのか、それが不思議でなりませんでした。 「またその話かよ」 田向さんはいやな顔をしました。それが本当に心底いやそうだったので、私は内心でショッ クを受けました。そんな顔をする理由が瞬間的に理解できたんですけど、私にとってはとうて い受け入れがたいことだったんです。 214

7. 愚行録

でね、そのときは自惚れかなと思ったんですが、夏原さんはやつばりばくの目をじっと見て 話を聞くんです。男はほくとも、つひとりいたのに、ほくの目だけを見てるんですよ。ほくはそ んなに自惚れ屋じゃないですけど、これはなんなのかなと思いました。夏原さんみたいな美人 がばくを好きになるわけないし、でもそうとでも考えないとこの目つきの理由はよくわからな いしと、ちょっと頭を悩ませました。結局、深く考える必要はなかったんだと後でわかりまし こっちから誘えば、夏原さんは断らないかもしれないなとは思いました。でも、そうする気 はありませんでした。何しろばくは宮村さんと付き合っていましたから。こんなことを言って も説得力ないかもしれませんが、その辺の倫理観はけっこう強いんです。簡単にふた股かけら れるような性格だったら、あんなに苦しまなかったんですけどね。 ただ、また会いたいなとは思ってました。一緒にお昼ご飯を食べるだけでもいいから、って。 だから夏原さんの知り合いだった友達に、またセッティングを頼んだりもしました。でも夏原 さんも人気者ですから、ほとんど毎日のように予定が埋まってたらしいです。次に彼女と食事 ができるのも、ずいぶん先になってしま、つとのことでした。 その間も、宮村さんとはデートしてました。約束してなくてもバイト先で会うし、お互いに けっこう遅くまで働いてたから、仕事を上がったらそのまま飲みに行くのが習慣だったんです。 でも、前から感じているずれは、埋まるどころかどんどん広がっていくようにも思えました。 心のずれって、一度できちゃうともう駄目なのかもしれませんね。 259

8. 愚行録

験でした。 まあ、ほくが宮村さんから夏原さんに乗り換えたのは事実ですから、悪く一一一一口われても仕方な いと諦めてる面もありましたが、ばくだけが一方的に悪いと思われるのは心外でした。だって、 男女が別れるときに、どっちか一方だけが悪いなんてことはあり得ないでしよう。双方に問題 があるから別れることになるわけで、宮村さんはそんなこともわかってなかったんです。そも そも、別れる際にあんなふうに暴力を振るう自分にも問題があると思わなきゃいけないのに、 彼女は完全に被生暑意識だったんでしようね。そういう女だから、ばくもあれ以上付き合えな かったんですけど。 一緒にいて楽しかったのは事実なんですよ。話が合いましたしね。ただ、それなりに付き合 いが長くなってくれば、必すしも本音で喋ってるわけじゃないことがわかってきます。こう一言 ってるけど本音は違うんだろうな、ってのが見えてくるわけですよ。そうなると、なんだか表 へきえき つくろ 面を取り繕ってるばかりの宮村さんがいやになってきちゃって、ちょっと辟易してたんです。 見栄っ張りの人と付き合うのは辛いですよ。 そこに、たまたま夏原さんが現れたんです。夏原さんは宮村さんと違って、優しい人でした。 ええ、こんなふうに女性を比較したような物言いはよくないってことくらいわかってますよ。 でも、それが事実なんです。生前の夏原さんのことを語るためには、どうしたってある程度宮 村さんと比較しないわけにはいかないんです。だってばくは、両方をよく知った上で夏原さん を選んだんですから。

9. 愚行録

きびす 態を理解したようです。そのまま踵を返して逃げるんじゃないかと思いましたけど、さすがに そんなみつともない吉 I( 似はしませんでした。 「そ、ついうことか。ふたりがこうして顔を並べるきっかけを作ったのは、もちろん恵美の方だ 私たちの前まで来ると、田向さんは淡々と指摘します。認めると、田向さんは苦笑して席に 着きました。 注文を聞いたウェイトレスが去るとすぐに、垣内さんは食ってかかりました。 「全部聞いたわよ。田向さんは就職活動を有利に運ぶために、私を利用したのね」 「そういうふうに要約するとひどい男のようだけど、でも基本的に就職活動っていうのはそう いうもんだろ。コネがあったら使、つのは、ごく当然のことじゃないか」 いかにも田向さんらしい返事です。私はそう思ったんですが、垣内さんは違いました。開き 直っていると受け取ったようです。 「そんな言い訳が聞きたいんじゃないわ。私の気持ちをどう思っているかってことよ。自分が ひどいことをしたという自覚はないの ? 」 「君に迷惑はかけていないつもりだけど。おれのために動いてくれたお礼は、ずいぶんしたじ ゃないか」 「だから、私の気持ちをなんだと思ってるのか訊いてるのよ ! 利用するだけ利用して、用済 みになったらポイって捨てるつもりだったんでしよ」

10. 愚行録

「知ってるわよ」 私はそのひと言でピンと来ました。も、つ、田向さんの一一 = ロ葉を聞かなくても全部わかりました。 ただ、ここはあまり察しよくしちゃいけないなと思いました。あまりに都合のいい頼みなので、 田向さん自身の口から一一一一口わせなきゃいけないと考えたんです。 「だから ? 私は意地悪に促しました。田向さんが考えていることを思えば、それくらいは許されるはず です。田向さんは肚を決めたように、顔を引き締めました。 「おれがこんなこと頼めた立場じゃないのはわかってる。一一年前には、恵美にひどいことをし てしまった。まずそれを謝らせて欲しい」 私はほとんどそのときまでに田向さんのことを許していたのですけど、改めて謝ってもらっ たのは嬉しかったです。これでまた、田向さんとわだかまりなく話ができるなと思いました。 「うん、ありがとう。嬉しい」 「そうか。そう一言ってもらえて、おれもホッとした」 田向さんは硬い表情を緩めました。そして、こう続けます。 「おれ、就職活動を始めたんだよ。もう Opa 訪問やってるんだ。やつば大変だな、就職活動っ 「ヒロならいいところに入れるよ」 これは焦らしではなく、私の本心からの言葉でした。田向さんならコネなんか使わなくたっ 223