わたしの率直さ。それが、かわいい女になることを、さまたげる。そのことを、むろんわた しはもともと頭では知っていた。世に流布している小説やらマンガやらドラマでは、かわいい 女はいつも、ものごとを断定しないと決まっていた。 でも、と、わたしは心の中のメモ帳に言い返す。 かわいくない、率直で不器用な女が、その不器用さゆえにかわいい女となる、とかいうお話 だって、世の中にはけっこうたくさん出まわっているじゃない。 『それは、うそのお話です。い くら率直なそぶりをしたとしても、最後の最後では、女は真実 を口にしてはいけないのです』 心のメモ帳は、おごそかに教えてくれるのだった。 大学を卒業してから、わたしは小さな編集。フロダクションに勤めた。三十を過ぎてからフリ ーになり、毎日はにしく過ぎていった。 恋は、何回か、した。健の時でこりていたので、決して恋人たちには坂上を紹介しなかった。 つの間にか恋はさめ、ひとと 好きになった時には、好きは永遠につづくはすだったのに、い きも離れたくなかった男はただのかさばる存在になり、そのたびにわたしは率直に、前向きに、 「別れよう」 と宣一言した。 164
「不幸そう ? 」 「うん」 亜美ちゃんにも、恋の悩みがあるのだという。 「亜美ちゃん、お店に、行く ? 」 「たぶん、行かない。だって、不幸そうになりたくないもん」 でも、恋をすると、誰でもちょっぴりすっ不幸になるよ。あたしがそう言うと、亜美ちゃん はまた笑って、それから、あたしにさからうように、言った。 「わたしだけは、幸福でいてみせる」 あたしは、お店のおばさんを思いうかべる。おばさんは、けっこう幸福そうにみえた。頭の おだんごと、バナナ模様が、ポイントかもしれない。 ネイルサロンには、今日もたくさんのお客さんが来た。このご時世に、ラッキーなことよ。 あなたたちのおかげね。そう言いながら、桐谷さんは丹念に帰り支度をしていた。今日はきっ と、サロンキングとのデートだ。 いっか別れるかもしれなくとも、あたしの名前を彫ってもらうよう、恋人に頼もうかなと、 あたしはこのごろ、ふと思う。恋って、たまらん。亜美ちゃんが、つぶやいている。うん、た まらんよ、たまらん。あたしもつぶやく。 やぎとりの串に、あたしと亜美ちゃんは、かぶりついた。串から肉をはずして分けて食べる まっさおな部屋 133
「いや、ここは友だちとだけ」 友だち、という言葉から、私は注意深く離れようとした。修三の、友だち及び恋人及びあれ これの関係のひとたち。私にはぜんぜん想像できなかったし、想像してみたくもなかった。 でも、修三はかまわず、「友だち」について、喋りつづけた。少し酔っているようだった。 「大学時代の同級生で、ばかな女の子がいてね、 楽しそうに、修三はその「ばかな女の子」の話をはじめた。 「どうしても一人の男が忘れられなくて、じたばたして、でもやつばりどうしようもなくて、 そのじたばたが、一直線なんだなあ、また」 「ばかな女の子」の名前は、「あんこちゃん」なのだという。 おいしそうな名前ね、と反応すると、修三は笑った。和三盆とか使った上等のあんこじゃな 、安いあんこだな、あいつのは。 「ねえ、おかあさんが昔作ってくれたガウチョパンツ、ぼくまだ持ってるんだよ」 ぼつりと、修三が言った。え、と、私は聞き返した。 「おかあさんてさ、おしゃれだったじゃない。ぼく、それが自慢だった。まだ若いんだから、 今ももっと、おしゃれすればいいのに」 私の髪形が好ぎだったのだと、修三は言った。修三が小さい頃、私は髪をへップバーンみた わさんぼん はにわ
その年下の恋人のような、あるいはいっそのこと明確な詐欺目当てのような、どちらとも判然 としない、けれどそれなりに大胆な行為をたくらむ男にしては、素朴な結末と感想である。 この仕事は、文章を書きはじめる前、クライアントやその周辺について想像をたくましくし ている時が、いちばん楽しい 実際にクライアントに会ってみれば、それがいくら奇態な注文をする人だったとしても、存 外平凡な人であるにちがいない。 クリスマスローズの季節は、そろそろ終わりだ。次に蒔く花の種を用意しなければ。 クライアントに会ったことはないと言ったが、この前ひょんなことから、ラブレターの宛て 先の相手らしき人を見た。 その人は、銀色の短い髪をきれいにカットしている、姿勢のいい女の人だった。歳の頃は六 十と少し。ほとんどメイクをしていないつややかな肌に、くちべにだけはきれいな色をひいて 大きなポケットのついたコートを腕にかけ、電車の吊り革につかまっていた。コートのポケ ットからは、封筒の一部がのぞいている。 「どうそ」 席を譲ろうとすると、につこりとして首を横にふった。 さぎ 13- 一一一朝顔のヒ。アス
さん ) の立派な教えを、世にも大切にしているのだ。 マザコン。 という名前の営為があることを、あたしたちはよく知っている。 母親のことが大好ぎで、母親に支配されていて、そしてその支配を疑っていない。それが、 マザコン、というものの実態だ ( たぶん ) 。 じゃあ、匡はマザコンなのだろうか。 それはちょっと違う、ような、気がする。 あたしは、匡のお母さんの純子さんと、存外仲がいい 恋人の母親にとりいらなくちゃ、とか、そういうのではなく、ごく自然に、純子さんはあた しによくしてくれるのだ。 匡の家は、けっこう厳しい。まずお金のこと。高校を卒業した後に実家に住み続けるとした ら、生活費を家に人れる、という決まりになっている。学生時代は月に八万円。就職したら、 給料の六十パーセント。もちろん家を出て一人で住むのは自由。その場合は、学費以外は自分 ねんしゆっ で捻出すること。 人間関係だって、甘くない。両親のことを「じじい , 「ばばあ」なんて呼んだら、即刻家を 出ていってもらう、ということだったらしいし、反対に親が子に向かって、「親の言うことだ から聞くように」なんてかさにかかった言い方をすると、家じゅうの人間からブーイングがわ 242
みちゃんが、相談があるって。佐野さんに、仕事のことで教わることがあって。 ほんとうは、そんな用事はなかった。カラオケポックスで、わたしは時間を過ごした。たま には、映画館で。 夜十時過ぎに駅に帰りつき、コンビニで小さなビールの缶を買い、歩きながら飲み、酔っぱ らったふりをして、わたしは玄関の扉をあける。 光史は、いつもテレビを見ている。 「おっかれ」 やさしく、光史は言う。うん、疲れた、疲れた。このごろの光史のロぐせと同じ言葉をわた オしテレビの音が、 しは言い、ひらひらと手をふりながらべッドの部屋に人る。光史は、来よ、。 聞こえてくる。今夜も、しないんだね。つぶやいて、わたしは枕に顔をうずめる。光史とわた しのにおいが、枕から、してくる。 いったいどのくらい、恋人たちはセックスをするものなんだろう。 そのことを知るために、わたしはネットで「セックスレス」のサイトを調べたり、こっそり 「セックスレス解消」と銘打った本を買ったりした。 どうやら指標になるのは、「一年、という期間らしかった。 ( まだ、それまでには、間がある ) ビーカン 177
愛い ときどき僕は、涼音の可愛さが、面倒になるのだ。 そんな時、涼音は僕の気持ちを感知して言う。 「タイチって、なんか、ときどき感じ悪いよね , その通りだ。僕は感じの悪い恋人だ。よくもこんな男とつぎあってくれていると思う。 携帯につるしたトンポ玉を、僕はさわってみる。描かれている顔は、笑っている。あるいは、 嘆いているのか。どちらともとれる顔で、二つ並んでいる。 感じの悪いことへのバチがあたったのかもしれない。 、、、ほかの男を好きになった。 涼音が 「ごめん」 涼音は謝った。僕は下を向いていた。こんな日がくるような気がしていた。たぶん少しの間 つらくて、でもじきに平気になると思った。 涼音は立ち上がり、伝票を持っていって素早く支払った。そこは、はじめて人った、会社の 近くの、れいの古びた珈琲店だった。なにも別れ話をするのに、僕が毎日通る道筋にある店をポ 選ぶこともないのにと、ぼんやり思った。 つらさは、薄まらなかった。時間がたっても、だめだった。意外だった。涼音に会いたカ
今年はいつもと趣向を変えて、三人だけの誕生会じゃなく、にぎやかな誕生会にしよう。 そう提案したのは、ナナだった。 できるだけたくさんの友だちに、声をかけること。友だちの友だちでも、可。 それで、わたしたちは熱心にカナッペを作ったりパンを切ったり肉をいためたりしている。 ナナものぞみも、料理上手なのである。わたしは、まあ、片づけ専門 ナナの小さなキッチンには、さまざまな料理道具がそろっている。のそみとナナは、てきば きと準備を進めていた。 わたしだけがうろうろと所在なく動きまわって、なにかと二人の邪魔になっていた。 最初のゲストがやってきたのは、夕方近くだった。 「やあやあ」 くにえだ ワインの瓶をさげて三人で人ってきたのは、のぞみの恋人の国枝くんと、その友だちだった。 国枝くんたちは、サッカーチームの試合帰りだった。髪がぬれていて、せつけんの匂いがし た。女の子のところに行くんだから、シャワー浴びなきやって思ってさ。国枝くんは、照れた ように説明した。 次にやってきたのは、昌子たちだった。同じ中学を卒業した女の子四人だ。昌子たちとわた したち三人が、きゃあきゃあ声をあげ、だきあったり手をつなぎあったりしているのを、国枝
らすぐに別れて、今は新しい恋人がいるのだと、ひでちゃんは嬉しそうに言った。 ひでちゃんとは、いつも買い物に行く。あたしとひでちゃんは、服のサイズがほぼ一緒で、 好みもよく似ている。五時間くらいは、平気であたしたちは歩きまわる。証券会社に勤めてい いい買いかたをしたものだった。 たころのひでちゃんは、いつばいお金があったので、気っふの あたしの方は、海藻なんかを扱う小さな問屋に勤めていて、お給料はそこそこ、ひでちゃんの ようにはお金は使えない。でも、ひでちゃんが買うのを見ていると、なんだかあたしも気が済 んだような気分になるのだった。 もちろん、誰とでもそういう気分になれるわけではない。一緒に買い物をして、相手の子ば かりがどんどん好きにものを買っていたら、ふつうはちょっとは憎たらしい気分にもなろうと いうものだ。 でも、ひでちゃんとの時は、ぜんぜん憎たらしくならなかった。ひでちゃんは、買い物をし おえると、ははははは、と笑う。それはそれは、楽しそうに。お腹の底から。その声を聞くと、 うらやましさは、どこかに飛んでいってしまうのだ。 っさい服を買わなくなった。 研ぎ師の修業をはじめてからは、ひでちゃんは、し だって、お金ないもん。 というのが、ひでちゃんの簡単明瞭な説明である。 退職後のひでちゃんは、何年も前に買った服を、すっと着ていた。似合うけど、ちょっとへ かいそう
ね」 最初は、ごく単純な色しか見えなかった。嬉しい時の色。悲しい時の色。怒っている時の色。 きれいに塗ったぬりえのように人の顔に色がついて見えるのにも慣れたころ、漣二さんはそ れらの色の中に微妙なグラデーションがあることに気づくようになる。 悲しいうちにも解放感がある時の、色のまじりかた。 嬉しいのだか困ってしまうのだかわからない時の、だんだらの色。 ぼんやり夢想している時の、淡くたなびくような色。 「じゃあ、漣二さんにとって、人の顔つて、いつもいつも色がついてるの ? 「いや、見える時と見えない時がある」 「せつかくメイクとかばりばりにしても、そういう色がついちゃうんじゃ、無駄になっちゃう そうなんだよ。漣二さんは笑った。だから、丹子はそんなにメイクしなくていいよ。 「メイクは、趣味なの。男のためにしてるんじゃないんだよ」 へえ、と漣二さんは言い、あたしのまっげを撫でる。ふさふさしていて、よく反り返った、 あたしのまっげ。つけまっげじゃなくて、ほんもののあたしのまっげだ。 どうしてあたしに声かけたの。恋人になってしばらくしてから、聞いてみた。 「丹子は、ものすごくいろんな濃い色がまじってるんだ。そして、それが時々、ばっと単純な 一色になる 205- ー - 金色の道